今年も早、クリスマス。正に光陰矢の如しですね。今日はこれから安田登先生の平家講座があるのです。クリスマスに平家物語をやるというのも、今年の仕事を象徴するような締めくくりですな。嬉しい限りです。今年も色々な場所で演奏する機会を頂きました。本当に感謝以外に言葉は出て来ないですね。
今日で年内の演奏はもう終わりなのですが、先週までは結構忙しく飛び回っていました。火曜日は人形町のギャラリーVisionsで、安田登先生とSPACの女優 榊原有美さんとで「耳なし芳一」を上演。有美さんのク・ナウカスタイルのドラマチックな語りと表現力にびっくりしました。凄かったです!!。響きの良い場所でもあったのですが、有美さんの語りに乗せられて、私も結構ガッツリと弾いたので、安田先生からは「ロックみたいだ」との評を頂きました。
そして木曜は日本橋富沢町楽琵会にて、津村禮次郎先生と毎年暮れの恒例の会をやってきました。
Vnの田澤明子さんと私で、9,11を題材とした「二つの月」を演奏し、そこに津村先生が舞をつけてくれました。この曲では、いつか津村先生と共演してみたいと思っていたので、今回は良い機会でした。来年は横浜能楽堂でも津村先生と共演の機会があります。ご期待ください。この日の津村先生はいつになく縦横無尽でした。やはり年末の日本橋富沢町楽琵会は格別ですな。勿論来年もお願いいたしました
金曜は愛知県の大府文化交流の杜にて、安田先生と、もう何度もご一緒している劇団Mizhenの女優 佐藤蕗子さんとで、崇徳院と西行の物語「白峰」、そして「経政」を上演。この二曲は久しぶりの再演でしたが、こちらもなかなかいい感じで出来ました。この組み合わせも随分とこなれてきました。実は今日の平家講座もこのトリオでの演奏となります。息が合うというのは気持ち良いですね。
次の土曜日には笛の大浦典子さんと本当に久しぶりに「まろばし」を演奏したのですが、これが実に素晴らしかったのです。
もう今更書くまでもなく「まろばし」は私の一番の代表曲であり、塩高=「まろばし」と言えるほどの最重要な作品なのですが、実はこの曲の初演は大浦さんでした。20年前に邦楽ジャーナル倶楽部「和音」で演奏して以来、実の多くの方と演奏してきましたが、大浦さんとは他にも合奏曲を沢山つくってあり、特に樂琵琶とのデュオ作品を随分と演奏してきたので、そちらを広めることもあって、「まろばし」を演奏する機会がずっとなかったのです。それが最近、能「経政」の中に琵琶の音をあらわす「鳥手(からすで)」という手が在る事を知り、その手を即興パートに取り入れてみたら、これが実に良い感じなのです。即興の部分に明確な意味合いが出てきたように感じました。20年という長い時間が、二人のアンサンブルを熟成してくれたとも言えますね。他には代えがたい「まろばし」が出現したのです。
ウズベキスタン タシュケントのイルホム劇場にて。ネイの演奏家と「まろばし」リハーサル中。
指揮はアルチョム・キム、オケはオムニバスアンサンブル
これは大きな収穫でしたね。これまで20年間、様々な音楽家と「まろばし」を演奏してきましたが、やればやる程、見えてくるものと、見えなくなってくるものがあるものです。久しぶりに初演を一緒にやった大浦さんと演奏し、改めて原点に光を当てることが出来ました。来年は、また「まろばし」のきっかけとなった静岡の鉄舟寺で、今年に続き大浦さんとの演奏も予定されておりますので、「まろばし」がまた面白くなってきました。
私の作曲する曲は、共演者がとにかく活き活きと輝くように、即興部分なども入れて書いてありますので、相手によって様々な形に変化します。つまり譜面上も、演奏も、どれだけ相手を輝かせるか、そこが私の腕の見せ所という訳です。これはマイルス・デイビスの影響ですね。だからこそ相方はとても大事でなのです。最近はフルートやヴァイオリンなど洋楽器のパートナーも出来つつあります。今回の田澤さんや、最近よくやっているフルートの神谷和泉さんなど、皆さんそれぞれに独自の雰囲気とスタイルと魅力を持った音楽家なので、これからが実に楽しみ。また新たなアンサンブルが生まれてくるのはワクワクしますね。
池袋 「あうるすぽっと」にて Photo 山本未紗子(BrightEN)
大浦さんと「まろばし」を演奏しながら、時を重ねるという事は、やはり大事なんだなと思いました。何事も近過ぎても、遠過ぎてもいけない。良い距離をずっと保ちつないで行くことの大切さは、年を追うごとに感じますが、一つの曲が自分と良い距離を保ちながら20年という時を重ね、また次の境地に辿り着
いたように感じました。
これまで60曲以上琵琶の作品を創っていますが、それぞれがこれから時を重ねて、時代の中に響いて行ったら嬉しいですね。
師走ですね。ぐっと寒くなってだんだん年末らしい感じになってきました。
何かと忘年会と称して呑み歩く機会が増えていますが、今年は演劇系の知り合いが多くなったこともあって、面白い話をよく聞きます。自分と違うジャンルの人と話していると楽しいですね。頭の中も広がって、発想も豊かになった気がします。
いわゆる邦楽系の人は、「芸」という事をよく言いますが、そこには技を練るという意識がとても強く、作品を創り上げるという感覚が薄いですね。私は、邦楽人のそういう所がとても残念なのです。舞踊の方などは創作舞台をよくやっていますが、工夫はしていると思うものの、どういう哲学や主張を持って、何を表現し、何故今それをやっているのか、全然見えてこないものが多いですね。練れた芸やお見事な技は判るのですが、工夫のその先が見えないと、頑張ってるな~とは思うものの、魅力を感じないのです。
大きな声も弾法もちろん大事なのですが、それらは皆「技」のレベルの話であり、作品の話ではない。またそれが旧価値観での技だという事を判っていない人が多いと思います。マイクの無い時代、大きな声で、且つ高い声が出ることは何よりも大事なスキルであり「技」でした。しかし今はマイクをどううまく使うかというのも大事な「技」であり、周りとアンサンブルが出来ない人は本番では使いものにならない。マイクや音響機材の知識は結構重要なスキルなのです。
ピアノでもギターでも、お筝でも三味線でもどんどんと改良され、それに合った技が開発されてきました。お座敷やサロンからホールやライブハウスまで演奏場所も変化している。そういう状況の変化の中で、自分のセンスと違うものを受け入れようとする姿勢がなくなってしまったら、衰退するのは当たり前ですね。私は琵琶奏者の中にもヘッドセットなんか付けて、クルーナー唱法で歌う方が出てくると良いと思っています。
常に時代のセンスと向き合って行く安田登先生と 人形町Visionsにて
これからAIの時代になって、労働という概念も変わり、貨幣すら無くなって来るだろう時代を迎え、人間の生活も哲学も大きく変わって行くでしょう。勿論人間としてのセンスも技もあと5年10年程で驚くべき変化をするはずです。ジェンダーフリーの時代に「着てはもらえぬセーターを、涙こらえて編んでます」なんていう歌をそのまま歌えますか?。男はこうでなくては、女はこうであれ、みたいな概念を引きずったまま芸術に携わることは不可能です。どんな時代でも時代と共にあるのが芸術。時代を先取りして新たなセンスを世の人々に見せて行くのがアーティスト。私はスプツニ子!さんの動画など面白いと思うのですがね・・・。琵琶人は見るかな????。
「技」は作品になって初めて「技」なのであって、いくら包丁を切れ味鋭く研ぐことが出来ても、それだけで終わっていたら芸術作品にはなりません。しかもそこにヴィジョンが無ければ、その研ぐ技術は手っ取り早い活用法として武器を生んでしまう。核融合のようなヴィジョン無き技術は何を生みましたか?。人を幸せにしましたか?。後先を考えない近視眼的な努力は悲劇を生むのです。音楽もただやみくもに、今迄通りにまじめにやっていれば良いなんていう底の浅い考えでいたら、先がある訳ないですね。邦楽は、永田錦心や鶴田錦史、宮城道夫、沢井忠夫のような、次の時代を先取りして、最先端を突っ走っていたアーティストが居たからこそ、ここまでもったのです。今我々邦楽人はその遺産を食いつぶしているだけなのだという事を判って欲しいですね。
芸術家は作品を創るのが仕事。観客は作品やそのアーティストの世界や、現代におけるセンスを観ているのです。お見事さを観ているのではありません。社会の変化と共に、皆の「良い」という感性もどんどん変わってきているのです。しかもそのスピードはものすごく早くなっている。時代と共に、社会と共にあってこその音楽であり、芸術です。社会と隔離された村の中で大声出していても、その声は世の中に届きません。
安田登先生と担当した、eテレの「100分de名著」もああいう形で平家物語を語って、見せてくれたからこそ、多くの方が観てくれたのです(番組視聴率が歴代トップだそうです)。時代を超えて残ってゆくという事は、決して昔のままの形を守ることではなく、本質を保ちながら時代と共に変わることなのです。それはどの分野にも言えることではないでしょうか。
さて今日はこれから日本橋富沢町楽琵会。津村禮次郎先生が拙作「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」で舞ってくれます。この曲は9.11を題材としていまして、二つの異なるものの出会い~反発~葛藤、そして最後にはお互いの違いを認め合って共生の道を歩む、という構成になっています。芸や技を軽々と越えて、一つの世界を表現する津村禮次郎先生の舞が見ものです。ヴァイオリンはCDでも共演している田澤明子先生。田澤先生の生演奏で、津村先生の舞を目の前で見ることが出来る、他にはあり得ない企画です。予約は要りませんので、是非是非お越しください。
これだけ素晴らしいものを内包している邦楽を、このままにしておきたくはないですね。
先日、西新井ギャラクシティープラネタリュウムで行われた「冥界から現世へ~イザナギの冥界下り」を観てきました。
第一部がドームに映す映像作品「HIRUKO]、第二部が安田登先生率いる「ノボルーザ」による演劇という構成で、なかなか興味を惹かれる内容でした。作品の感想は色々とあるのですが、今回はそれよりも、自分自身のこれまでの事が色々と甦って来ました。
実は、私は25年前にこのギャラクシティーが開館した時に、映写技師としてここで働いていたんです。ここは東京で初めてのIMAX常設劇場として開館した所でして、私はIMAXの研修を受けて、映写を担当していました。
ここは西新井という東京と埼玉の境にあったこともあって、とにかくお客さんが少なく、入場者0の事も多く、待機ばかりの所でしたので、このドーム内で琵琶の練習を日々やっていました。作曲も色々として、それが元となってプロ活動へと歩みを進めたのです。5年程みっちりと(?)ドームで練習させてもらって、琵琶一本で活動を始める決心をして映写技師の仕事を止めたのですが、ありがたいことに、すぐに仕事が色々と舞い込んで、1stアルバムの発表へと突っ走って行きました。ここには若き日の様々な記憶が詰まっているのです。
20年ぶりの来館でしたが、なんだかワクワクしましたね。安田先生から現在運営をしている会社の方にご紹介を頂き、特別にコンソールルームなどを見させていただいて、もう感無量でした。今は機材も最新のものが入り、IMAXも撤退してしまっているのですが、25年前の記憶の中に、しばし浸ってしまいました。
今回は映像作品も良かったのですが、ノボルーザの「いざなぎの冥界下り」がグッと来ました。メンバーに笙の演奏家が入っていたのですが、その効果が絶大で、笙の音に導かれて、自分自身の過去から現在へと想いが巡るような気分になりました。
ノボルーザの演目はイザナギ・イザナミの古事記の物語でしたが、イザナミは火の神を生むことで死んでしまいます。一説によれば、そのこと自体が火山の噴火によって国が創られた象徴でもあるとされ、「いさな」は「鯨」を意味し、「き」は「男」、「み」は「女」とも考えられています。つまり海から生まれたという事を名前が象徴しているそうです。何か人間の記憶の根源を探るような感じがしますね。
人類は文字を持ったことで文明が栄え、特に現代は加速度を増してAiやITの技術が人間を脅かすほどなっていますが、文明は発展したものの、何か大きなものを見失っていると考えている人も少ないないはずです。個人を考えても、何か専門的なことを勉強すると、確かに知識も技も感性も鋭くなりすが、かえって知識がある分、その視点以外の所が影となってしまい、光を増す代わりに、影もまた増して行くものです。
芸術はそんな人間の根源に改めて光を当てる事も一つの役割ではないかと私は感じていますが、いわゆる「芸」はある特定のまなざしを持つことに特化していて、見えない部分を作り出してしまうとも考えています。何かを表現することで、色々なものと繋がり、光と影を内包させて行くのが私の理想です。しかしながら「芸を練る」などと考えてしまうと、芸を見せる聞かせることに心が執着してしまい、本来の芸術の姿を忘れて、お見事さを披露し、自己顕示欲を満足させる方向へと、どんどんと傾いて行ってしまいます。
30代の終わりころ組んでいたバンド、フルート・琵琶・ターンテーブル・シンセ
私自身も琵琶を演奏することで、大きなものを得てきましたが、同時に失ったものもあるのかもしれません。専門家に成れば成る程に、初心の頃の気持ちや感動を忘れたり、どこかに奢る心も芽生え、音楽家としての純粋な根源の姿を見失ってしまいがちです。自分の視線の届かない所は見えないものです。今回は琵琶を手にしたあの頃に今一度立ち戻ることで、何か浄化されたような気持になりました。
先月の「あうるすぽっと」公演 安田先生、玉川奈々福さんと photo:山本未紗子(BrightEN)
実はこのプラネタリュウムでは、来年私も安田先生と舞台を予定しています。まずは2月18日。この時はいつもの「耳なし芳一」を上演予定なのですが、ゆくゆく折口信夫の「死者の書」をやろうという話になっています。私にとってはまるで凱旋公演のような感じで、実に楽しみなのです。
今回は、まるで自分のルーツをたどるような時間を頂きました。そしてあれからもう25年が経ったのかと思うと、あっという間としか言いようがないですね。これからまた25年、自分のペースで、多くのものと繋がり、光を当てるような音楽をやれたら嬉しいです。まだまだ旅は半ばに差し掛かったところなのです。
早、12月ですね。このところ雨も多いですが、紅葉もいい感じになってきて、天気の良い日には紅葉を眺めに散歩してます。先日は北の丸公園に行ってきました。毎年12月は演奏会の数にも少し余裕が出てくるので、体も楽になり、気分も随分とほぐれてきます。仕事に緩急があるというのは良い事ですね。
今年は多くのお仕事を頂き大変充実した年でしたが、これから更に先があるように思っています。曲も色々と創って行きたいし、活動も広げて、もっと自分の音楽を充実させて行きたいですね。
今年も毎年年末の恒例で、日本橋富沢町楽琵会に能楽師の津村禮次郎先生を迎えて開催することになりました。今年は豪華に、vIの田澤明子さんにもお越しいただいて、拙作「二つの月」で津村先生に舞っていただくことになりました。田澤さんとは8thCDでの共演以来、色々と御一緒させてもらっていますが、来年も神奈川のお寺 貞昌院にて、ジョイントの演奏会をやります。コンビネーションもだんだんと深まってきていますので、今月の日本橋富沢町楽琵会は充実の演奏となると思います。是非是非お越しください。19日(木)の開催です。
「二つの月」は9.11のテロの時に書いたもので、当初はチェロと琵琶のデュオとして1stCDに収めた曲ですが、年月を経てViと琵琶に編曲し直して、8thCDに再録音した曲です。異なるものが出会い、反発を繰り返しながら、最後にはお互いの違いを認め合って共生の道を歩んで行くというストーリー展開になっています。田澤さんのダイナミック且つ繊細な表現と、津村先生の自由闊達な感性が、どんなコラボレーションになって行くか、実に楽しみなのです。
以前の日本橋富沢町楽琵会にて、津村先生と
さて今日のお題の「Improvisation」ですが、邦楽というと、皆さんお着物を着てきちっとしているイメージで、即興なんかしないように思う方も多いともいますが、実は邦楽は究極の即興音楽と言っても良いくらいに「Improvisation」の応酬なのです。言い方を変えると、現在の邦楽の衰退は、そこを忘れ、習ったことしかやらなくなってしまったからに他なりません。
よくご一緒させていただいている、下掛宝生流ワキ方の安田登先生もそうなのですが、毎回即興でやっているんです。私がその時と場所で、色々なことを色々な形で弾くのですが、それに乗ってや安田先生もその時々で変化して行きます。津村先生も簡単な打ち合わせをするだけで、毎回お互いに結構な即興をやっています。邦楽の中でも特に能はジャズに近いものを感じますね。
そして特に能楽師の方と御一緒するといつも感じるのは、共通言語(と言っても良いくらい)としての「間」ですね。呼吸という人もあるでしょうし、私は「円運動」という言い方で説明することも多いです。始まったとたんに、その円運動の中に入ることが出来れば、あとはもう自由自在にLive して行くのです。
勿論、自由に動くためには土台となる「型」は必要なのですが、これはフリーインプロなんて言っている音楽だろうがジャズだろうが、「身体」(自分がこれまで生きて来た経験の蓄積)という土台は逃れらません。だから逆に「身体」や「型」を認識している演者ならば、そこを土台に自由自在にやれるのです。日々違和感なく日本語を使って生活しているのと同じように、型が身体に染み込んでいる位のレベルは必要かと思いますが・・・。
インプロ?共話? 安田登先生と、浪曲師の玉川奈々福さんと photo 新藤義久
日本語は世界でも珍しい「共話」という形式で成り立っているそうです。どういうことかというと、「対話」と違って、話しながら、話のストーリーを会話をしている者同士で創り上げていっているのだそうです。話を完結させず、未完成のまま相手に受け取らせ、相手がそれを完成させて行くことを繰り返している、という事です。先日のレクチャーでご一緒したドミニク・チェンさんが紹介していましたが、話を聞いていて、まさにいつもの即興演奏の様だと思いました。ご興味のある方はぜひこちらを読んでみてください。
https://kangaeruhito.jp/article/5338
私は前々から「音楽は調和」という事を言っていますが、ドミニクさんの話を聞いていて、まさに音楽を演奏するとは、日本語の会話をしているのと同じだ、と思いました。つまり音楽で「共話」している訳で、これこそが日本の音楽の根幹なのだ思いました。即興というとなんだか適当にやているイメージもあるので、これからは「共話」という言い方を私も使いたいと思います。
この「共話」を持って世界の音楽家と音楽を創り上げて行きたいですね。この「共話」こそ、音楽が生きたものとして輝くキーワードの様に私は思います。この話はまた改めて掘り下げてみたいと思います。
アゼルバイジャン バクー音楽院 ガラ・ガラエフホールでの日本音楽セミナーにて
Liveな琵琶樂を次世代に、世界に響かせたいですね。
先日、石田克佳さんの所に改造修理調整に出していた中型一号機が戻ってきました。いい感じに仕上がっています。姿も実に美しい。これで完全な象牙レス仕様となりました。あと大型二号機の改造が終われば、私の琵琶は完全象牙フリーとなります。
この中型一号機は、一昨年のレコーディング前に診てもらったので、ちょうど2年経っていて、定期健診の時期でもありました。中型一号機は一番稼働率が高く、あまりのハードワーク故、かなりのお疲れさん状態で、悲鳴を上げる寸前という感じでした。
今回は糸口を象牙から貝プレートにするのが、一番の目的だったのですが、もう柱は限界に来ていたし、全体的に疲れが溜まっているような感じで、鳴りは悪くなかったものの、どこか音の芯が虚ろな感じがしていました。そこで覆手(テールピース)をよくよく診てもらったら、やはり一部が少し浮いていたようで、そこが原因となり、音も今一つだったようです。通常覆手は指の関節でコツコツと叩いて、その音を聴いて接着具合を判断するのですが、今回は微妙で、ちょっと判らなかったのです。石田さんが根気よく手をかけて診てくれたおかげで、わずかな一部のはがれが見つかりました。
今回は、①糸口を象牙から貝プレートに交換、②柱の全取り換え、③覆手(テールピース)接着直し、④糸巻の調整もやってもらいました。

薩摩琵琶はとにかく手がかかるのです。樂琵琶はほとんど何をしなくても大丈夫なのですが、薩摩は、サワリや絃、柱、撥等々かなり、日々気を使います。それだけ酷使しながら使っているんでしょうね。どこか一つ調子が悪いと良い音がしません。例えて言うなら、手のかかる子供を養っていると言えばよいでしょうか。私の部屋には、そんな手のかかるやつらがゴロゴロと居るんです。子沢山にもほどがありますな。
左が大型1号機と2号機、右が今回退院してきた中型一号機と二号機の糸口部分。中型1号機は糸口の貝プレートの縦幅が狭くなりました。これは石田克佳さんのアイデアなんですが、彼は毎回色んなアイデアを実践してくるのです。まあ私の琵琶は彼の実験台ですな。それで今回はこのような仕様となりました。これもあとは大型二号機の糸口を改造すれば完璧です。
音は象牙でも貝プレートでもほとんど変わりませんね。一番最初に貝プレートを使いだした一昨年の5月の頃(
https://biwa-shiotaka.com/blog/51474362-2/)は、ちょっと音が固くなるようなイメージがあったのですが、それは単なる思い込みでしかありませんでした。昨年は大型一号機も貝プレートに変えて何回か使ってみましたが、音色に関してはほとんど変化はないし、象牙と同じようにサワリの調整次第で、シャープにもマイルドにもなります。全く問題もないことが判りました。またコストもとても安い。
ウードの常味裕司さん、フラメンコギターの日野道夫さんと。樂琵琶に象牙は使われていません
私は、もう象牙を使う時代ではないと考えています。もともと象牙は江戸の中期~後期に少しづつ高級品として出回り始めて、邦楽器の材料として今の様に一般的に使われだしたのは、そんなに古くはありません。多分ここ100年程ではないでしょうか。もしかすると皆がやたらと使いだしたのは、戦後からだったりして・・・?。
素材が変われば、手の感触も変わるし、音も確かに多少は変わるでしょう。しかしどんな楽器でも時代と共に素材が変わり、それに合わせててテクニックも音楽も変わっていったのです。洋楽器は勿論、和楽器でも、テトロン糸が開発されたり、三味線の材料がほとんど外国産になったりして、どんどんと時代と共に変わって行きます。琵琶に於いて象牙の使用が何百年にも渡る伝統というのであれば、何かしらの納得も出来ますが、薩摩琵琶が世に出てからまだ100年ちょっとです。それを考えれば、さしたる伝統がある訳でなし、時代の要請に合わせて変えて行くべきだと、私は思っています。ちなみに千年以上の歴史がある樂琵琶には象牙は使われていません。
キッドアイラックホールにて 灰野敬二、田中黎山各氏と
世界の流れの中で我々が生きている以上、象牙を取るためだけに象が理不尽に殺されて、闇取引されている現実を見れば、象牙を使うのは、どう考えても良いことだと私には思えません。私は世界に向けて楽曲を配信しています。だから世界標準の感覚を持って、演奏活動をするのは当然だと思っています。日本だけに通用するような村社会ルールでやっていても、世界のリスナーは納得してくれません。象牙を使うことを歓迎するリスナーはどこに居るでしょうか??。私は世界中にそんなリスナーは居ないと思います。
色んなご意見があるかと思いますが、音楽は勿論の事、楽器も奏法も、時代と共にあってこそ
音楽。これからも時代の中で琵琶を弾いて行きたいと思っています。