お楽しみはこれからだ

少し間が空いてしまいました。暑い日が続いていますね。皆様お変わりないでしょうか。

来月後半には上記のチラシの公演が新潟の佐渡であり、「良寛」で音楽を担当するのですが、私はとにかく夏の暑さが苦手なの昼間引き籠り状態。夜になるとふらふらと徘徊しています。夜な夜な色んなジャンルの仲間と話をしていると「薩摩琵琶は今発展途中」という事をいつも感じます。

筝曲は「みだれ」のような世界に誇る完成度の高い独奏曲から多様な内容を持った語り物、合奏曲等、多くの形態構造を持った曲があって、曲も軽いものからラブソング、歴史もの等様々なヴァリエーションで、筝曲という大きなカテゴリーを形成しているのに対し、薩摩琵琶は歌詞の内容一つとっても未だ大正・昭和の男性優位の目線で、戦争、忠義哀ればかり。ラブソングが無い音楽は世界中探しても薩摩琵琶位ではないでしょうか。

永田錦心

 

永田錦心が明治期に薩摩琵琶の質を底上げし、組織作りもしてジャンルとして確立しましたが、その志が今受け継がれているとは思えません。水藤錦穰・鶴田錦史がオリジナルな演奏スタイルを発展させたものの、音の形も歌詞の内容も当時のまま。現代人から見ると、そこにはレトロ趣味か嫌悪のどちらかしか気持ちを投影できません。

少なくとも現代に生きる人のセンスを表現しなければ次世代を担う若者は着いて来ません。古典の物語も新しいセンスで読み解き演奏すれば、新たな古典の魅力として次世代が注目して行くのに、未だに敦盛」は戦場で名乗りを上げてしまう大正時代の歌詞のまま平家を最初に語った生仏もびっくりするような捏造ですがそれを何故そのまま未だに大声張り上げてっているのでしょう。

こうした戦前センス平気そのまま舞台でやるという事は、その演奏者が男尊女卑的で忠君愛国的な精神を表現するアーティストと判断されるという事です。私には考えられません。他の邦楽器では、多様な形で活躍している人がどんどん出てきているというのに残念でなりませんね。薩摩琵琶は大正・昭和に出来上がった曲がほとんどで古典ではないのです。歌詞だけを書き換えるような曲作りではなく曲の構造そのもののバリエーションが必要です。オリジナルといいながら、イントロもフレーズも旧来のままで、曲の構成も同じでは聴いてる方に独自性は伝わりません。流派の曲を上手に弾いているのはお稽古事。現代はリリースと同時に世界に広がる時代です。是非ともこれからの日本の音楽に成って行くような創作活動が必要なのです。

戯曲公演「良寛」津村禮次郎先生と 座高円寺にて

そんな活動をやろうとしている若者もちらほら出て来ました。流派の優等生みたいなセンスではなく、これから現代のセンスで琵琶を弾く人が出て来る事と思います。

私は今後面白い展開になって行くと思っています。流派のお稽古事を脱し、薩摩琵琶の歴史を創って行く若者がどんどん出てくるでしょう。今迄流派の中に固定されていたものが解き放され、これからやっと歴史は動き出すて行くでしょう。私もどんどん作曲・演奏をして、新たな琵琶の魅力を発信して行こうと思います。

お楽しみはこれからだ。

 

 

らしさの構造

お知らせ

この程HPリニューアルに伴いまして、ブログ「琵琶一人旅」及び「琵琶樂人倶楽部」をこのHP内に移設しました。今後は、こちらの方を御覧くださいませ。よろしくお願い申し上げます。

 

先日第209回琵琶樂人倶楽部「琵琶唄の現在」をやって来ました。いわゆる弾き語りの琵琶唄ではなく、Msの保多由子先生に歌ってもらって様々な形の琵琶歌を聴いて頂きました。まだまだ未消化なものも多かったのですが、定型の弾き語りにこだわる琵琶唄をこれからもどんどん柔らかくして、未来に向けて新しい魅力ある琵琶樂を発信して行きたいと思っています。

伝統のものには、常に「らしい」かどうかという意見が付きまといます。それはリスナーよりも演者の側にこそ強くあり、自分の習ったものや伝統とされているものが正統で、その型の逸脱を強く拒みます。その結果リスナーとの溝はどんどんと広がって行ってしまいます。リスナーは音楽として素晴らしいと感じてくれれば新しいものでも聞いてくれますが、演者の方は拘りから抜け出すことが大変難しい。色々勉強して、自分で会得したものは勿論の事、自分を取り巻く状況を感じていると、そこで通っている常識や価値観を乗り越えられないし捨てられない。勉強した人程、一つの事は深く知っていても視野が狭くなり、周りが見えなくなって、身にまとわりついている状況から逃れられなくなるものです。

個人的な感想ではありますが、薩摩琵琶が弾き語りに固執し、今でも白虎隊や石童丸、鉢の木、城山、松の廊下(忠臣蔵)など忠義の精神みたいなものをやっているのは、今後の琵琶樂に於いても良い事ではないと思います。歴史の資料としてそれらの曲を遺すのは良いと思いますが、お稽古事とは言え、時代錯誤と思うのは私だけでしょうか。

若き日30代の頃はライブをやると「古典を聞きたい」と言ってくる年配のお客さんがよくいました。私も返事に困って薩摩琵琶の歴史を説明すると、相手も困った顔をするという経験が何度もありました。お客様が琵琶に対して何かのイメージを持って聴きに来ることは結構な事だと思いますが、琵琶樂人倶楽部発足前(20~30年程前)は、演奏者も一番新しい流派程「琵琶千年の歴史」「古典やってます」みたいなキャッチフレーズで「伝統ビジネス」化したような宣伝をして琵琶のイメージを売りにしていました。琵琶樂人倶楽部を始めたのも、こうした現状に対し、しっかり琵琶樂史の説明をして、その豊かで魅力的な琵琶樂を知ってもらいたいと思ったからこそ、活動を始めたのです。平曲も雅楽も勉強せず演奏できない人が「琵琶樂千年の歴史」と軽々しく口にして宣伝するのは、さすがに詐欺でしかありません。そして薩摩琵琶の古典といわれるものが軍国物や軍国時代になってしまうのも実に残念です。むしろこれから古典となるような作品を将来に向けて創って歴史を紡いで行くようであって欲しい。

鶴田錦史

よくよく歴史を振り返ってみると、新たな時代を創った人は皆「らしく」ない人達なのです。ピアソラ、チャーリー・パーカー、ジミ・ヘンドリックス、ラベル、ドビュッシー、永田錦心、鶴田錦史、もう切りが無いですが、今スタンダードを思われているものを作った人は当時、皆当時一番のアバンギャルドであり、皆「らしくない」と言われ、お決まりのように「これは○○ではない」と批判されました。その批判されたものが今やスタンダードとなり、古典となって行ったのです。古典とはそうしたアバンギャルドの中に在るエネルギーがあってこそ、古典となって歴史を創って行くのかもしれません。

「らしい」という事は現在のレールの上に立っているという事です。優等生的で、トラディショナルで安定感はありますが、ワクワクとした次の時代は見せてくれない。そして琵琶樂の問題はそのレールが軍国時代であり、忠義の心や男尊女卑だという事です。だから私は琵琶を手にした時、そのレールを外すところから琵琶での音楽活動を始めたという事です。とてもじゃないけどそんな軍国時代のレールには乗れません。

私は薩摩琵琶の音色に惹かれて手にしたので、この音色こそ次世代に伝えたいのです。土台となるレールは日本感性であり、近代の軍国のそれではありません。それは永田錦心や鶴田錦史がやってきた事と同じです。私は彼らのような力量は無いかもしれませんが、だからといって軍国だの忠義だの、そんなものを一音楽家として舞台でやる訳には行きません。そこに自分の主張がないどころか、音楽家としての質を問われてしまいます。本当は先輩たちに次世代の琵琶樂の在り方を示す活動をして欲しかった。残念ながらそういう方は居ませんでしたね。形は真似出来ても、志や精神を受け継ぐのは本当に難しい。

福島県安洞院にて 能楽氏:津村禮次郎師 詩人:和合亮一氏と

「和して同ぜず」という言葉がありますが、「和」するとは、皆が同じ形になる事ではありません。字の語源を辿ると、違う調子の笛が束になっている形なのですが、異なる様々なものが一緒になっている状態が「和」です。「同」とは一緒に居るものが皆同じ質になるという事。つまり「和して同ぜず」とは、異なるものは異なるままに、同じ社会の中に生きている、多様性のある社会といい変えても良いと思います。「和を持って尊しとなす」は皆が同じになるという事ではなく、色々な人が協調し合って生きるという事ではないのでしょうか。
琵琶をやっている人が、旧来の価値観に囚われて「らしい」という一つの形から抜け出せず、その思考迄もが一つの方向に、それも軍国時代の感性に向いてしまうというのは、とてもいびつな形だと思います。そこからは次世代の琵琶樂は到底生まれて来ない。私はそう思えて仕方がないのです。
自分と同じ形、同じ視点、同じ感性でないと仲間ではない、という村社会の心情は、コロナの頃のマスク警察やワクチン強要と同じで、形も思考も行動も同じでないものは異常なものとして排除するという感性と全く同じなのです。つまりは全体主義へと簡単に流れてしまうという実例だと思っています。

若き日 厳島神社本殿にて
少なくとも音楽・芸術は、そんな狭量な所から発して欲しくないですね。琵琶樂が、過去に寄りかかって同じ事を繰り替えず骨董品ではなく、常識も習慣も乗り越えて次の時代を感じさせてくれるような魅力のある音楽であって欲しいのです。

午睡の戯言

毎日凄い暑さですね。相変わらず引き籠り状態で、普段から買いためている本を片っ端から攻めているんですが、こういう時間は自分の土台の部分を豊かにしてくれるので、人生にこういう引き籠りの時期も必要かもしれません。自分の中の想いでしかなかったものに、言葉を与えられたようで、しっかりとした輪郭を持って見えて来ますし、またその先へと思考も深くなります。

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最近のお気に入り

 

あとはとにかく作曲ですね。私は常に何か曲を考えていて、思いついたらすぐ譜面に書き留めています。実はこれまで一度舞台にかけたけど結局やらなくなった曲は山のようにあり、CDにしたものでも今はやらないものもあります。中には別の曲に作り替えたらいい感じになって、よくやるようになった曲もあります。一応出来上がると笛の大浦さんや尺八の晄聖君なんかに見せて、音出ししてもらいながら推敲を繰り返して、日々作曲をしているのです。こんな訳で我が家には創りかけの曲や、没になって部分だけを保存してるような譜面が山のようにあります。これはもうギターを弾いていた時代からずっとそうなので、私にとって音楽活動とは、舞台を飛び回る事よりも常に創り続ける事ですね。

 

能楽師の津村禮次郎先生と ルーテルむさしの教会にて

 

まあ実験や挑戦も含め色々な仕事をやって来ましたが、最近は演奏活動も一段落ついて、自分がやりたいと思う創作と活動に集中して行けるようになりつつあります。舞台も勿論大好きなのですが、大体私はエンターティナーの真逆を行く性格と姿なので、イベントの賑やかしなどもとてもやれません。まあやっと自分らしい形が見えて来て、枝葉に寄り道する事も少なくなり、自分らしくなってきたという事です。
そしてやはり曲を創るには膨大な時間が必要という事を改めて思いますね。心に大きな余裕がないと語るべき世界が明確に見えて来ないのです。中にはツアーの休憩時間に書き上げてしまった「Voices 」(10thアルバム AYU NO KAZEに収録)みたいな曲もありますが、創るには時間が必要なのです。効率を求めて動く現代の世の中にあっては、無駄のように思われるかもしれませんが、創造とはハンナ・アーレントも言うように人間の一番人間らしい行為です。現代社会は目の前で消費される労働に終始して、創造という事を忘れている。現代社会がどんどんと風土から離れ、社会に歪みを増して行くのは、効率や合理性を重視して人がものを創り出すリズムをないがしろにして世の中が動いているからだと、私は思いますね。
人間の営みには無駄は無いのです。昼間からビール飲んでひっくり返っているような時間もあってこそ、何かが生まれ、世界が動き出すのです。という訳でビール飲むのも仕事の内という事で納得している次第であります。今3曲程同時進行で進めていますが、どうなる事やら。

お陰様で琵琶樂人倶楽部の方は毎月順調にやっています。もう18年も毎月琵琶に関する様々な企画を立ててやっていますが、毎回違うので飽きが来ません。毎月違うゲストと共にリハーサルをしたり、企画の為の編曲をしたりして、とても充実しています。今週7月9日(水)第209回は、Msの保多由子先生と笛の玉置ひかりさんに来ていただいて、新たな琵琶唄を聴いて頂きます。是非お越しください。

玉置ひかりさん、保多由子先生と

 

演目は、「朝の雨」(平家物語 千手より)  「経正竹生島詣」(平家物語 竹生島詣より)  四季を寿ぐ歌「春」・「夏」他

割と伝統的なスタイルから、前衛的な曲、雅楽的なアレンジの曲等々演奏いたします。

今回は琵琶と歌の組み合わせでも色んなバリエーションが創り出せる、という所を是非聴いて頂きたいです。琵琶樂はとにかく型にはまり過ぎ。私は琵琶を手にした最初からずっとそう思っています。私が弾き語りをほとんどやらないのは、琵琶唄の造りがどれも同じで、その歌い方も張り上げるばかりで、表現に乏しいと思えてならないからです。他のジャンルの歌は実に多種多様な表現があり、曲があり、一つのジャンルでも静かなバラードあり、アップテンポのノリの良いものあり、精神の奥深さを感じさせるものありと多様な魅力に溢れているというのに、琵琶唄は実に幅が狭い。明治大正の父権的パワー主義で貫かれているような曲も未だに多くあり、残念でなりません。だから私はこの世界にもまれな妙なる琵琶の音をもっと聴いてもらおうと思って、自分で創るのです。軍国時代を琵琶の伝統にはしたくないのです。日本の育んだ長く深い歴史と感性をもって、新たな琵琶樂を創って行きたいのです。

芸術家、といより人間は常に創り出すのがその精神の根本。どんな感性を土台に持って、魅力ある音楽を創って行くのかという所を問われるのです。外国かぶれの物真似や、旧来の型をなぞっただけの生半可なものは、いただけません。
歌に関しては、弾き語りではなく、歌い手と琵琶演奏を切り離して、これからも色々とチャレンジして行きたいと思っています。先日聴いた深草アキさんの演奏も大いに参考にしたいと思っています。

今はもう少し自分の感性の土台を見つめ、考えを明
確にしたいと思っています。色々と本を読むのも、他のジャンルの方と語りあうのも、とても貴重な事ですし、最近は少しづつ色んなライブや公演にも足を運んでいます。中にはただ遊んでいるとしか思えないようなものもあり、がっかりする事もありますが、やはり目の前で観て感じるのは良い刺激ですね。
https://biwa-shiotaka.com/創るということ2025/

以前の記事にも載せたパット・メセニーのインタビューで、尊敬するウエス・モンゴメリーに対し「彼は彼を見つけ、彼のサウンドを見つけ、彼らしくある方法を見つけたのです。それは私にとって大きな教訓でした」という言葉は本当に響いてきます。私も自分の音色・音楽・スタイルを実践して行きたいのです。

さて、今日もゆっくり本を読み、譜面に向かいますよ。

変わらざるもの

今は正に動乱の世の中ですね。やはり人類は永遠に平和という手の届かない幻想を追いかけているのでしょうか。

私はウクライナにもロシアにも知り合いは居るし、イスラエルの若者に琵琶を教えた事もあります。彼は現在30代になったばかり。琵琶を持って帰国しましたが、今どうしているんでしょうね。私如きが何を思っても世は変わりませんが、世界の情報が入ってくるようになった今、「関係無いね」という体で過ごすのは難しいですね。

演奏会2高野山常喜院演奏会にて 2006年
私が音楽活動を始めた80年代は日本の経済が強く、バイトしながら音楽家を目指す連中が何とかやって行けるような時代の弾力というものがありました。ネットもないので余計な情報も入って来ず、自分の見えている所だけを見ているだけでも何も問題無く自分の夢を追いかける事が出来た時代でした。琵琶に転向してからも数々の機会を沢山頂きこれ迄やって来ましたが、それは単に時代が良かったという事なんでしょうね。
これからを音楽家として生きて行こうとする若者は、また違う時代を生きなくてはならないのですが、どんな時代であれ、今自分が置かれている社会の中で生きて行くのが芸術家の定めとしか言いようがありません。だからまた新たな音楽が生まれてくるのです。是非志を持って頑張って欲しいものです。

しかし残念な事に邦楽人の意識は変わりませんね。邦楽はプロでやっている人がほとんど居ないせいか、経済的心配も切実感も無く、自分の満足優先で、世の中に身を置いて活動をしている人が本当に少ないのです。ここが邦楽の一番脆弱な点でしょう。時代と共にやり方もノウハウも、センスも変わって行くのが人間ですから、そこから逃げていてはどんな仕事でも淘汰されて行くだけです。何を受け継ぎ、何を変えて行くべきなのか。音楽家にとって一番の問題点も、邦楽人にとってはあまり関係ないのかもしれません。
私自身は琵琶の先輩達から活動のやり方や、プロの琵琶弾きとしてのノウハウは一切教えてもらった事がありませんでした。だから自分で考え、自分の音楽を創って行ったのです。私の音楽が評価されるかどうかは別として、自分で切り開くしかなかったのです。私の知識が役立つのなら生徒達には色々教えてあげたいですが、それも結局は自分の中に落とし込んで、自分で考え、自分のやり方を見出して行かない限り、自分の歩む道は見えて来ません。

以前は大枚のお金をはたいてクラシック演奏会で使われるような一流のホールを借りて、中身はお稽古の発表会のようなものを繰り返している人が結構いました(今も相変わらず)。正直腹立たしかったですね。立派なホールでリサイタルをやっている自分をアピールしているばかりで、音楽家としての気概も主張も全く感じられなかったです。現代曲も未だにノヴェンバーステップスやエクリプスばかりで、それらをやっている自分を凄いとばかりにアピールし、あとはお稽古した流派の曲というパターンが未だに変わりません。10代20代のこれから活動をして行こうという若者なら、今後への期待を含め大いに応援しますが、40代50代の自分の音楽を存分に表現できる(すべき)中堅やベテランが、お稽古事に終始して過去をなぞっているようでは情けない。私は琵琶に転向したのが遅かったですが、それでもT流の初めての稽古で、「ノヴェンバーステップスが霞むような曲を僕が書きます」なんて宣言したもんですがね。まあごまめの歯ぎしりという事でしょうか。

鶴田錦史ノヴェンバーステップス初演時

私が聴いて来た音楽家は皆、自分でスタイルを築き上げ、自ら行くべき道を切り開き、進んで行きました。琵琶なら永田錦心・鶴田錦史・水藤錦穰、皆そうです。勿論マイルスもコルトレーンも、ジミヘンもツェッペリンもクリムゾンも、ドビュッシーもラベルも同様、皆先人を尊敬し勉強も沢山したでしょうが、誰も過去の真似はしなかったし、過去に寄りかかったりもしなかった。全責任を自分で負い、自分の音楽とスタイルを創り上げて行った。弾かれたレールの上に乗っかって優等生面しているようでは、自分の進む道は見えて来るでしょうか。
ノヴェンバーステップスやエクリプスが誕生した頃の、あの熱狂は琵琶樂の次世代を強烈にそして鮮烈に示してくれました。受け継ぐべきはあの精神と志と熱狂です。それをなぞり、寄りかかり権威にしたてあげる事ではない。むしろノヴェンバーステップスは、「これを乗り越えろ」というのが次世代へのメッセージだったのではないでしょうか。そして世の移り変わりと共に琵琶樂も変わって行くべきだという勇気を鶴田錦史は示してくれたのではないでしょうか。私にはそう聴こえます。

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宮城道雄&ルネ・シュメー

 

画家や作家が作品を創るように、音楽家も創り出してこそ音楽家。お上手を披露しているのはただの技芸であり、音楽ではないと私は思っています。自分の創ったものが例え評価されなくとも、そういう活動こそが音楽活動だと私は信じています。やり方は様々あるでしょう。作曲家と組んで、次世代の琵琶樂を奏でるのも良いと思いますし、そのスタイルもオリジナルであるのが当たり前だと思います。過去に出来上がって権威とあがめたてられものに寄りかからないで、それらをぶっ壊す位の勢いが欲しいものです。永田錦心や鶴田錦史は、当時最先端で且つ最強の反逆児ではなかったですか。永田、鶴田のような気概や精神を持った反逆児をこそ今時代は求めているのではないかと思います。まあ政治家も同じかもしれませんね。

これからを担う若者には、あの鶴田や永田の熱狂と志を持って、これからの時代を生き抜いていって欲しいですね。やはり「媚びない、群れない、寄りかからない」これを忘れてはいけませんね。

大地の音色

私は有り難い事に良い仲間に恵まれていて、いつも書いているお茶の会(時々酒の会)なんかも時々やって仲間と顔を突き合わせて話し込みます。皆さん本当に話題が豊富で楽しい方ばかりで、ついつい長引いてしまいますね。先日もASax奏者のSoon・Kimさんと「自分の原点は何だろう」なんて話で盛り上がりました。

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Soon・Kimさんと 琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

 

キムさんは20代の頃からNYに渡り、あのOrnette Colmanに内弟子のような形でついて研鑽を積み、その後は主にヨーロッパで活躍していた方なので、私には無い経験が豊富で、とにかく話をしているだけでも面白いんです。キムさんと私の共通項はジャズ。今回もジャズ話で楽しい時間でした。

私が今やっている音楽の土台は父からの影響です。シルクロードも古典文学も父の影響で、琵琶に転向してから何の違和感もなくすんなりと入って行けたのは父親譲りだと思っています。また父がギターを弾く人だったので、私も小学生の時からずっと弾いてます。父が最初にギターを買ってきてくれた日の事は今でも覚えていますね。その後、中学でブラスバンド部に入り、コルネットを吹いたことでジャズ界隈に沼って行きました。

シルクロード・古典文学・ギター・ジャズこれらは琵琶を手にすることによって、私の音楽として新たな形となって表れて来たのです。特に年明けにリリースした10thアルバム「AYU NO KAZE」はそんな私の音楽を充分に表現出来たと自画自賛しています。

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キムさんと会った日は、ひとつのメルヘン2025 001六本木のストライプハウスでTpの金子雄生さん、ナオミミリアンさんらのパフォーマンスがあり、それををキムさんと観に行ったのですが、彼らも原点にジャズがあるので、何とも繋がりを感じる事が出来て面白かったです。金子さん、ナオミさんとは、今年の3月、内幸町ホールで行われた舞踊公演で御一緒させてもらって以来のお付き合いで、特にダンサーのナオミさんは、今大変に活躍している若手なので、是非一緒にライブをやってみたいと話をしているところです。来年は是非琵琶樂人倶楽部でも、ダンスを入れてやろうかと思っているのですが、あの狭さで何がやれるか、ちょっと思案中です。

私は、自分の育った風土大地とは違う音楽の視点を一時期持った事で、より自分が生まれ育った風土を認識させる貴重な体験をしたと感じています。かのゲーテも「ひとつの外国語を知らざる者は、母国語を知らず」と言っていますが、私は深く共感納得出来ますね。今邦楽・琵琶樂全体が衰退に向かっていますが、それは正に別の視点や経験からの眼差しがほとんど無い所がその要因ではないでしょか。これは日本全体にも言えるかもしれないですね。
ただ海外のものを勉強するのは良い事ですが、憧れるばかりで、欧米文化の一員になる事で満足していて、ジャズやクラシックかぶれになり自分の足元を見失っていては何も創り出せません。まだまだ日本には欧米文化が世界だと思い込んでいる人が多いですが、残念でなりませんね。また伝統邦楽の中にも欧米コンプレックスがまだまだ強く残っています。情けないですね。

世の中にはセミナーや動画で良い話をしてくれる先生方も多いのですが、聴いている方が良く解らないカタカナ語満載で得意になって知識を羅列するばかりな方も多いですね。まともに美しい母国語をしゃべることが出来ないのによく自分から発信出来るなといつも感じます。それは単にコンプレックスなのか、誇りの欠如なのか、はたまた知性の低さなのか・・。音楽だろうが何だろうが、母国語で次世代へのヴィジョンを語れないようでは、その知識が邪魔をして自分が立っているこの大地が見えないのと同じではないでしょうか。
何処まで行っても母国語は大地であり、誰にとっても原点です。是非美しい母国語を話して欲しいものです。音楽も同じで、洋楽が溢れているこの現代社会の中で、様々な知識や技術を使いながらも、創る音楽は次世代の日本音楽でありたいのです。私の創る音楽は、ジャズでもクラシックでも何でもなく、次の琵琶樂でありたいのです。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

キムさんとの話では、もう一つ関連する話題として「最近音色が無くなった」という話が印象に残りました。60年代位迄のジャズマンは皆その人の音色を持っていました。それぞれの声のように音色が皆違っていました。現代は技術も理論も進み、どんどん上手になっているのに、そこに個人の音色が感じられません。コルトレーンにはコルトレーンの音色がありましたし、マイルスも、オーネットも皆独自の音色がありました。鶴田錦史もそうでしたね。でも今、上手で器用な人は増えたのに、そういう個性あふれる音色を感じる演奏家は本当に見当たりません。誰が弾いているのか区別がつかないのです。これも時代のセンスだと言ってしまう事は簡単ですが、何か音楽の根本とする部分がズレてしまっているように思えてならないのです。これはつまり大地を忘れているという事ではないでしょうか。上述のカタカナ知識を羅列している先生方と同じ状態だと思います。

今、現代人は大地を忘れてしまったかのような暮らしをしています。これが文明だとすると、この生活は果たして本当に進化なのか。疑問ですね。人間は大地・風土と深く交わる事で「交差の構造」を築いて生きて来たのに、今は物が人間と大地の関りという関係を飛び越えて勝手に流通し、故郷の大地でさえ観光資源になってしまい、資本主義や貨幣経済が発達するにしたがって、その「交差の構造」が消えしまいました。本来土地との一番強いつながりを持っていた食料さえも、貨幣を対価としてやり取りをする商品になり、社会の急激な変化が人間同士の在り方そのものを、大きく変化させてしまいました。

2010年大分能楽堂 寶山左衛門追悼演奏会にて 福原道子氏、福原百桂氏と

音楽も作曲演奏する人間自体が大地との「交差の構造」を失い、生活は文明という名の虚実の中に取り込まれ、そのまま音色を失ってきたのでしょう。大地と縁を結ばないこの文明に踊らされていたら、自ら時代に餌になるようなものです。こんな時代にもう一度、大地の音色を感じさせるのが音楽の役割なのかなと私は思っています。現代は世界中の情報が行き交い、人間もどこへでも行ける時代ですから、音色も様々なものが溢れて重なって来るでしょう。しかし自分の立っている大地の音色を忘れ、文明の名の元、ビックデータの一部情報に成り下がってしまったら、そこに自分の音色は出てくるでしょうか。自分はただ一人しかいないのです。今こそ人間が生まれ育つ大地が、人間にとって一番大事なものとして見直される時代になって来たのではないかと思います。
自分の大地を今一度見直して、取り戻し、自分の音色を奏でたいですね。

 

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