春を待ちわびて2026

梅花がもう盛りを過ぎて、春もすぐそこかな、なんて思っていたらいきなり雪が降り、花粉まで襲来して来ましたね。なかなかのんびり散歩も出来ません。

そんなこの頃ですが、以前からお知らせしていましたニューアルバムがリリース開始となりました。 アルバムタイトルは「REFRACTIONS 屈折」 。メキシコのCERO RECORDS (www.cero-records.com )というレーベルからのリリースです  。

このアルバムはNY大学のエルテル・ラムネックさん(Esther Lamneckと、メキシコ在住のサウンドクリエーター アレハンドロ・コラビータさんと私の3人で創り上げたものです。ハードなアンビエントという感じでしょうか。 Youtubeでも聴けますので、是非お聴きください 。

Refractions – Kussestu – YouTube

エステルさんはクラリネットの原型といわれるタロガドという楽器の演奏家で、昨年7arts cafeのジョセフ・アマトさんに紹介されました。お店でセッションした所からやり取りが始まって、アレハンドロさんも加わって3人とも全てネットを介して音を送りあって創り上げたものです。私としても初めてのスタイルでのアルバム制作でしたが、思った以上なものが出来上がりました。

既にThe New York City Electronic Festivalにエステルさんが音源をバックにアルバム冒頭の「Emergence」を演奏することが決まっています。今後も色々と広が手行きそうで楽しみです。

作曲をしていると、常々感じるのですが、創作というのは何か新しいものを創り出すというより、大地の奥に眠っているものを掘り起こし、それに命を与えるような行為に思えるのです。当然形を成す時にはこの時代のセンスで創るので、今迄に無い形を纏い、新たなものとして誕生するのですが、大地に眠っているものはいつの時代も同じ。それは神話の時代から変わっていないような気がしています。

例えば製鉄などが良い例で、大地の中から鉄を取り出し、それを武器にしたり、農具にしたり、車にしたりする。勿論食料も大地から掘り起こされて命と成って、それを頂く事で人間は生きているのです。大地からものを創り出すのが人間の叡智であり文明なのですが、結局この世の総ては大地の中にある物で出来ていて、それによって人間は生かされているのです常に目の前の利便性を求めて、自分の小さな頭で正義正統を判断する俗欲に駆られている人間は、創り出す事ばかりに執心していますが、現代人はもはや大地は見えていないといっても過言ではないと思います。それが現代社会に生きる人間の姿ではないでしょうか。昨今は各地で戦争も始まり世の中がかなり流動的で不安時代に入って来ましたがこういう時こそ、人間の命の原点に視線を向けて行かないと、人類は滅びてしまいかねないと私は感じています。

音楽も今やショウビジネスに侵され消費されるものになっています。音楽家側は売る事や肩書ぶら下げて誇示する事が優先して、リスナー側も流行を追わされているばかりでは、音楽は大地の響き鳴らすことは出来るのでしょうか。この大地から湧き上がるものを音楽として創造するのが我々の仕事。今一度命の根源に想いを巡らせて、大地から沸き上がるものに向き合いたいものです。

善福寺緑地

この寒さが過ぎると、命が旺盛に輝く季節となります。現代は様々な問題が渦巻いて、理想だけではもうこの世は回りませんが、少なくとも、この世紀を戦争の世紀にしてはいけない。

春の陽射しが世界に降りそそぐ事を期待したいですね。

春の目覚め~二つの教え 

早3月になりましたね。芽吹きの季節です。私もそろそろ動き出してきました。花粉に負けてはいられません。

善福寺緑地

これから桜が盛りを過ぎた辺りからまた演奏会が続いています。5月にはメゾソプラノの保多由子先生のリサイタルが銀座の王子ホールであります。今回も有難い事に、拙作「経正竹生島」(初演)「秋月賦」を取り上げて頂きます。6月には名古屋、山形でも公演が控えていまして準備が始まりました。

保多由子先生と琵琶樂人倶楽部にて

この所、私にしては珍しく歌に縁があって、歌の曲も少し取り組んでいます。またレコーディングしていない歌の曲(弾き語りの琵琶唄ではなく)が7,8曲程溜まっていて、上記の「経正竹生島」なども初演作もありますので、歌の曲をまとめて「SongBook」みたいな体でアルバムにまとめる事も検討しています。従来の大声を張り上げるて弾き語るものではない「歌と琵琶」のスタイルを創って行くたらと思っています。

器楽に関しては新たに琵琶独奏曲も出来上がりましたし、先月Vnと琵琶のデュオ曲も1曲書き上げました。そして今は、笛と琵琶の新作に取り組んでいる所で、器楽の作品もそろいつつありますので、11枚目となるアルバム制作も視野に入れてじっくり歩みを進めてまいります。

若き日 京都清流亭にて

私は何をやるにも人より時間がかかり、何度も失敗して初めて出来上がるという大変効率の悪いタイプでして、加えて真面目に一途に精進するような性格でもありません。何時もぶらぶらと寄り道をして、ほっつき歩いて、「酒を飲むのも仕事の内」などと管を撒きながら何とか仕事するような人間ですので、一滴の湧き水が一筋の川となるが如く、ゆっくりゆっくり途方もない時間がかかるのです。それでもなんだかんだ30年程やって来て、小さな作品が積み重なり、10枚のアルバムになりました。有難い事です。2001年から音源のリリースを始め、翌年に1stアルバム「Oriental Eyes」が出ましたので、世に出始めてまだ20数年という所ですが、小さな雫も30年も溜まれば、それなりの水たまり位には成るものです。

20代の頃、作曲の石井紘美先生には本当に多くの事を教えてもらいました。中でも印象に残っている事が二つあります。一つは「実現可能な曲を作りなさい」という事。これは私にとってとても大きな指針となり、その後の音楽人生が決まったと言っても過言ではありません。私は自分が演奏するという前提で曲を書いていますが、作曲を勉強していれば、大曲も書いてみたいし、書く事で自分の満足ともなります。しかし大人数で演奏する作品は舞台には簡単にはかけられません。私がそうした作曲家のエゴのようなものに囚われずに自分の音楽をずっとやって来れたのは、作曲家と演奏家の両方をやってきた事と、この先生の教えがあったからこそだと思っています。 もう一つは「人生後半が幸せな方がいいでしょ」という事。若い頃は全くピンと来なかったですが、時間が無常なまでに過ぎ去って行くという事が解る年になってくると、先生のこの言葉がじわじわ沁みて来ます。肩書や身分みたいな浮世の幻想を自分の周りにぶら下げても鎧が重くなるだけで、本体は身動きが取れなくなってしまいます。そんなものを背負いながら生きていては人生の後半に幸せは訪れません。年が行けば行く程に身も心も軽く居てこそ自由に動き回る事が出来るのです。誇るのは自分の創って来た音楽だけでいい。私はお陰様で自分なりに少しづつですが歩みを進めて行く事が出来ました

箱根岡田美術館にて

石井先生に琵琶を勧められ、仕切り直しで始まった音楽人生ですが、先生からは音楽を超えて人生を導かれるような教えを沢山頂きました。これ迄、石井先生はじめ多くの先輩方々に恵まれたなと、今頃になってこの有難さを解って来た愚か者ですが、今後もこの歩みをのんびりと自分のペースで先へと繋いで行きたいですね。

虹を超えて

三寒四温ですね。ちょっと極端に下がるので身体が付いて行きません。更に花粉も加わり、毎年この時期になると体調を崩してしまいます。今年は周りで寝込んでいる仲間も何人かいまして、春は要注意の季節なんです。まあそれなりの年齢という事なんでしょうね。

皆さんは虹にどんなメージを持っているでしょうか。最近何故か虹が気になるのです。私は色々な国や民族の神話が好きで時々読むのですが、虹について書かれているものが意外と多いんです。日本にもありますし、アボリジナルの神話なんかにも出て来ます。私は虹というと現世を超えて行く「彼方」というイメージを持っていて、3次元のこの世を超え高次元へと向かう道のような感じでいつも捉えています。最近はどういう訳かその「彼方」が気になるのです。 

この3次元の現世では精神的な関りよりも物理的な関わりが大半を占め、人と人、人と自然、国と国、人種と人種など、何処までも肉体的な範疇の中にあるように感じています。そしてそれらの社会環境の秩序を保つ為には法律を作り、ルールや常識という因習の中で生きているのですが、私はどうも天邪鬼な性格なせいか、そんな枠を飛び超えたくなってしまいます。まあ芸術系の方は程度の差こそあれ、同じような想いを持っているのではないでしょうか。これ迄芸術を創り出して行った方々は、皆さんある種アナーキストでもあるのかもしれませんね。

トンコリを弾く私 於:ルーテル東京教会ホール

私はその風土や地域が創り出した音楽に大変興味があり、そこを土台に自分なりの作品を創っているのですが、この風土に生きる人々の音楽であるだけに、現世での楽しみにあまりに特化してしてしまうと、ちょっと興味が薄れてしまいます。例えばお祭りなどは今や観光イベントになり果て、また各地の民謡もすでにその意味を失って、民謡に家元制度が出来ているような現状を見ると、興味がそがれてしまいます。

以前お逢いした歌謡界の大御所の方は、音楽は常に民衆に寄り添っていなければいけない、現代音楽なんかは認めないという方でしたが、先輩などにもやたらと美空ひばりやビートルズを崇拝して、大衆と共にないものは音楽を解ってないと切り捨てる人を沢山見て来ました。私はそういう面しか認めない狭い視野が現代日本の行き詰ったまった世の中を創り出しているのではないかと感じます。人間の人間らしい欲求、俗的な欲求を肯定し賛美するのは良いと思いますが、現世の喜怒哀楽の部分だけをみて、その先のもっと大きな世界を見ようとしない感性は、ただの人間のおごりとしか思えませんね。

孔子も「国を変えるのなら樂を変えよ」と言ったそうですが、音律が宇宙の物理の成り立ちを表し、音律を収める者が世を支配する必須条件だと言われた古代の中国の音楽はもしかすると3次元を超える力を有していると考えられていたのかもしれません。それはきっと天や神といった、大いなるものへと繋がる道だったのだと思います。19世紀から20世紀のヨーロッパの芸術家も盛んに4次元という事を言って活動していましたが、きっと現世を超えた世界を目指していたのかもしれませんね。 例えばポリフォニーという何重にも重なり合う旋律の美をもっているバッハの音楽や、現代音楽、雅楽などは3次元の中に閉じ込められている現世から飛び出して行く、4次元の世界を思考しているのではないかと感じるのです。ショウビジネスなんかが出て来る前、まだ音楽が祈りや叫びの要素で満たされていた時代、音楽は高次元へと繋がるひとつの手段だったような気がします。現在ではバッハの音楽もグレゴリアンチャントも、声明さえもエンタテイメントとして聞いて楽しんでいますが、そういう現代のショウビジネス的なリスナーの意見は別として、音楽そのものに次元上昇するかのような要素を感じるものには惹かれてしまいます。

俗世間しか見ようとせずそれが音楽だというのは、自分以外のものを認めようとしない狭量の排他主義のように思えます。私は神も仏も判らぬ身ではありますが現世の先に在る大いなるものを感じることなく生きるのは、人間という枠の中に閉じ込められているようで、あまりにつまらないような気がします。私は3次元のこの現世を飛び越えて行くような音楽を創りたいですね。

兵庫県立芸術文化センターホールにて

その次元上昇への道が虹のイメージと重なるのです。私の曲で虹をテーマとしたものは「虹の唄」と「彼方へ」位なのですがこれから増えて行くかもしれないですね

エイジング

何だか急に春の雰囲気になりましたね。先日は東京に雪が降り窓から積もった雪を眺めてのんびりコーヒーを飲んでいたばかりなんですが、一気に春の陽差しを感じて体も動き出して気分も変わり仕事も進みました。新曲の譜面も出来上がり共演者の所に送る事が出来ましたし、確定申告も例年通り初日に済みそうです。それにしても天気ひとつでこんなに気分も変わるというのは、自然の力というものは凄いですね。

善福寺緑地

今日は曲作りについて書いてみます。今迄沢山の曲を書いて来ました。何時も演奏する曲から滅多にやらない曲迄色々ですがそのすべてが軌跡として残っているというのは嬉しい限りです。CDの時代と違って、出すとそのまま世界に発信されるというのも本当に有難いです。時代にかされているなとしみじみ思いますね。

ショウビジネスの音楽ではないので稼ぎにはなりませんが、配信ではアレンジ違いなどを含めるともう7、80曲程配信されています。こうして作品を発表してこれたのも、運命というのか、大いなる何かのはからいなんでしょうね。年を取るにしたがってそんな風に思う事が多くなりました

ただ私はいわゆる天才型ではなく、創り上げるまでにとにかく時間がかかるのです。直感で降りて来たような曲もない事はないですが、ほとんどの曲はああでもないこうでもないと時間を費やさないと出来上がりません。また出来上がってからも何度か舞台にかけて、その後手直しを繰り返さないと完成に至りません。完成したと思っても時が経つと、また気になるところがでてきて、少しづつ細部を変更したりして、なんだが常にメンテナンスをしているような感じです。アルバムでリリースした後に手を入れた曲もいくつもあります。

 昨年リリースした琵琶独奏曲「あゆのかぜ」も何度も何度もライブで失敗して、どうにも上手くいかなかったのですが、大分ゆっくりと寝かせたせいか紆余曲折を経て何とかあの形になりました。更に曲というのは、本当の意味で舞台のレパートリーとして定着して行くには更なる時間が必要です。それが私の言う所のエイジングです。色んな舞台で、色んな人と共演する事で、作曲した自分でも気が付かなかった新たな側面が見えて来て、熟成されてレパートリーと成って行きます。これが面白いのです。私の曲はデュオで演奏するものが多いので、演奏の度に共演者が変わり、それによって違う解釈も出て来て、毎回の変化を楽しんでいるので飽きるという事がありません。。

一番最初に作曲した私の代表作「まろばし」は能管と琵琶のデュオとして書いた作品ですが、能管だけでなく、これ迄尺八、ピアノ、ヴァイオリン、ネイ等の素者と共演して来ました。尺八でも色んな国籍、色んなタイプの演奏家と共演する事で、曲が生きもののように成長して行きました。まろばしに関しては哲学的な面での充実が大きいですね。

タシケントにあるイルホム劇場にて「まろばし演奏中 指揮 アルチョム・キム

私の曲は、演奏家によって自由にその姿が変わって行けるように書かれています。細かい指定を書き込まず、その時々で演奏家がこれしかないという気持ちで自由に音を紡いで、その時々で緊張感あるアンサンブルが成り立つように、その一線を見極めて書いています。リハーサルの時には、音を出すより話をしている事が多いですね。「この曲はどんな情景を土台として、何を表現しようとしているのか」、そんな所を話して、後はその人の芸術的な感性にお任せするようにしています。共演者には、豊かな感性と技術を持って、音楽のその先の世界を描き表現出来、且つハイレベルでアンサンブルをする事が出来る人のみを厳選しています。これはジャズの手法ですね。だから同じ演奏家でもやる度に毎回新鮮な気持ちで演奏が出来るのです。

これが私にとって、そして曲にとっての最高のエイジングなのです。同じ譜面でも演奏する度に魅力が出て来て、その哲学までもが深まって行く。「まろばし」が誕生してから25年あまり。素晴らしいエイジングが進行しています。

静岡県藤枝市蓮生寺演奏会にて「まろばし」演奏中  C0012 – YouTube

音楽は手慣れたお稽古事になってしまったら、もうその生命力は失われてしまいます。常に現在進行形の命として自分の中に響いていなければ演奏する意味はありません。世の中が常に留まる事無く変化をし続けて、自分自身も年齢を重ねて肉体も感性も日々変化しているのに、音楽が固定されて、ただお上手さを披露しているようなものに成り果ててしまったら、その時点でもう自分の音楽ではないという事だと私は思っています。命は常に変化して行くのがその宿命ですので、変化をしないというのは、そこに生命は宿っていないという事です。つまりエンジングは命ある限り死ぬまで続いて行くのです。

人間は執着の塊なので不変を求め続けます変化を受け入れる事が出来ないこれを業というのでしょうか特に自分で勉強し、獲得したものはなかなか手放すことが出来ません。勉強したからこそ視野が固定され、「こうでなくてはいけないのだ」、「これはこういうものだ」と執着し、次第にその自分の固定観念に自ら振り回されて行きます。世の中がどんどんと変化していって、センスも価値観も次々と移り変わっても、自分が努力して得たものは、努力したという記憶があるが故に変化することをためらい、怖がり、結局は取り残されて行ってしまいます。

伝統といわれるものでも、必死に言葉で守ろうとしている時点でもう、社会の中で孤立しているという事です。暮らしも風俗も文化も、世代を渡って伝えられて行くものは、形がどんどんと変化して行くのは歴史を見れば明らかです。変化して行く事こそが人間が生きているという証であり、変化出来るからこそ、その命の核心が受け継がれて行くのです。それはお店でも会社でもライフスタイルでも全て同じ事。私はそれこそがエイジングだと思っています。エイジングを経ることで洗練され、深まって、豊かな文化と成って行くのです。現代では和服で生活している人はほとんど居ませんが、日本の感性はずっと受け継がれています。ものの形式や表面の形に固執するあまり、その核心を見失ってしまうという事は、これまで先人が培ってきた叡智を何も受け取っていないと自ら口上を挙げているようなものではないでしょうか 私は琵琶を手にした最初から、この魅力ある音色を通して、現代日本の感性を表現して行きたいと最初から思っていました。その為には従来の忠君愛国のような弾き語りスタイルを脱しない限り実現しないと感じ、器楽を中心に書いて行ったのです。2002年にリリースした1stアルバム「Orientaleyes」はその初心表明というものでした。勢いだけでしかなかったかもしれませんが、あの頃は「どんなもんだい」という感じでしたね。

鶴田錦史 ノヴェンバーステップス演奏時

時代と共に変化し姿を変え、エイジングされて新たな姿になってこそ、その時代時代に輝いて行くのですこれは明治~大正に永田錦心が、昭和に水藤錦穰、鶴田錦史がやってきた事です。永田、水藤、鶴田の先輩方々も自分達の轍の上をなぞる事ではなく、乗り越えて行く事を願っていると思います。私も及ばずながらそうありたいですね。

ルーツⅡ~境界を生きる

私の音楽はジャズがルーツだと自覚していますが、その前段階の体験も大きいのですジャズは音楽を創って行く為のスキル古典文学や和歌などは感性土台として自分の中にあるのですが、ジャズに行くまでの段階が結構大きな影響をもたらしていると、今になってよくいます。

小学生の頃、地元のデパートにギター売り場があって、そこのクラシックギター教室に通っていました。先生はとても気さくな竹内京子先生という方で、まだ20代だったと思います。レッスンではクラシック一辺倒ではなく、PPM(ピーター・ポール&マリー)の曲などをクラシックギターで弾けるようにアレンジした譜面なども持ってきて教えてくれました。洋楽への視野は竹内先生のお陰で開いて行ったのです。ちなみにそのPPMの曲は「Early Mornin’ Rain」。邦題は「朝の雨(あしたのあめ)」。Peter Paul & Mary – Early Morning Rain (1966) – YouTube

先日袋井のメロープラザで演奏した平家物語の千手と重衡の曲は、その題名をそのまま頂き「朝の雨」としました。私の音楽原体験としての意味も込めて使わせてもらっています。

そして6年生の頃だったと記憶していますが、ツェッペリンの二枚組LP「Physical Graffiti 」を聴いて「こんな音楽があるんだ」と衝撃を受けました。小学生には「in my Time of Dying」や「Kashmirはかなりの刺激で、全く理解は出来ませんでしたが、独特の雰囲気が耳について離れませんでした。今でも20世紀の名曲だと思っています。そして多分これが私の今の作品の原点のような気もしています。私のメインの作品「Voices」や「二つの月」「凍れる月」一具などは、手法としてはジャズの影響が強いですが曲の雰囲気は明らかにツェッペリンやキングクリムゾンの曲が原点でしょう。そしてツェッペリンにはこうしたハードな曲の他、もう一面にトラディショナルフォークに根ざしたアコースティックな作品もあります。私も薩摩琵琶の器楽曲だけでなく、樂琵琶による作品群を発表していますが、それは正にツェッペリンのこの二面性を追いかけているのではないか、と今頃思ったりしますGoing to California」「The Battle of Evermoreなんか聞くとワクワクすると同時に、拙作の「塔里木旋回舞曲」や「Sirocco」がそのまま私のGoing to Californiaではないかと秘かに感じてしまうのです。ファンやショウビジネスに媚びないで、こうしたアコースティックな作品を打ち出し、自分のやりたい事を貫く彼らの姿勢にも共感しますね。懐の深さと矜持の高さが違う!!。

中学ではブラスバンドでコルネットを担当した事をきっかけにジャズにはまり、私のジャズ度はどんどん上昇して行くのですが、中学高校の頃はマイルスやコルトレーンを聴きながら、一方でツェッペリンやジミヘン、特にライブ盤「In The West」を大音量で狂ったように聴いていましたね。なかなかこの辺の話が出来る人はいませんが、20世紀の偉大なる音楽として是非若者にも聴いて欲しいものです。琵琶を始めた頃、私の中では、永田錦心はロバート・ジョンソン、鶴田錦史はジミヘンという位置付けで琵琶を聴いていました。

そういう音楽体験をしているので、私は常に「境界を生きる」という気持ちをずっと持っています。私の人間としての感性は、前回も書いたように両親を通して沁み込んでいた古典文学や和歌でありシルクロードの文化です。しかし自覚している音楽の原体験は洋楽なのです。その両面を持っているせいか、どちらか一方だと自分の中にギャップが生じてしまうのです。両輪が回ってはじめてバランスが取れるのです。例えるのはおこがましいですが、バルトークがコダーイと民族音楽の収集を熱心にして、その体験と知識を持ってクラシックの分野で作曲をしたような感じですね。シェーンベルクがやった、バッハ以降の西側ヨーロッパ音楽を突き詰め、その延長に辿り着いた、いわば正統クラシックの最前線の手法ではなく、風土に根付く民族の音楽と当時の最先端のアカデミックな理論の両輪を持って、それまであったクラシックの発展形ではなく、また民族音楽の延長でもなく、全く新たなオリエンタリズムを打ち立てて行った所がぐっと来ますね。

今私が琵琶でやっているのも同じで、日本の伝統文化・音楽を土台にしながらも、決してその延長線上ではなく、洋楽と出逢う事で、全く新しい日本音楽のジャンルを創り出そうという訳です。その最初が約30年前に作曲した「まろばし」であり、最新が昨年リリースした「AYUNOKAZE」に収録した「Voices」なのです。

メゾソプラノの保多由子先生と Photo 新藤義久

人の評価は別として、私自身は自分のやっている事が最初から実に明瞭明確なので、ためらいや迷いというものが最初からありませんでした。そこには私が子供の頃から周りに溢れていた和歌も古典文学も雅楽も能も、PPMもツェッペリンもジミヘンも、マイルスもコルトレーンも皆現在進行形で存在しているのです。10thアルバム「AYUNOKAZE」はそう云う意味で、私のこれ迄の軌跡がそのまま形になったことが嬉しいのです。

30年の時を経て、私の感性も肉体も随分と変化したように思いますが、土台となる日本と西洋の両方の文化体験は、年齢を重ねに従って益々面白く、また他にはない独自の感性だと感じています。巷には洋邦の表面的なエッセンスをくっつけたような安易安直なものも蔓延っていますが、そういうものは結局、自分の中に土台として存在していないから、表面に見える技や形をくっつけて、ただ表面をお着換えしたくなってしまうのでしょう。そこからは目の前の賑やかし以上のものは生まれません。奇をてらって稼ごうとするショウビジネスの醜さの最たるものだと思っています。ブルースやジャズのように異なる文化が出逢い、そこから生まれ出る新たな世界、新たなジャンルになって行くような音楽を創りたいですね。

箱根岡田美術館にて

異なるものが出逢うぎりぎりの境界を生きるのは私の運命であり、今生で与えられた使命だと感じています。それが私にとって一番自然で無理がない。これからも境界を生き、洋楽でもなく邦楽でもない、新たなジャンルとなるような音楽を創って行きたいですね。永田錦心や鶴田錦史のように次世代の琵琶樂と感じさせるような音楽を。

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