エイジング

何だか急に春の雰囲気になりましたね。先日は東京に雪が降り窓から積もった雪を眺めてのんびりコーヒーを飲んでいたばかりなんですが、一気に春の陽差しを感じて体も動き出して気分も変わり仕事も進みました。新曲の譜面も出来上がり共演者の所に送る事が出来ましたし、確定申告も例年通り初日に済みそうです。それにしても天気ひとつでこんなに気分も変わるというのは、自然の力というものは凄いですね。

善福寺緑地

今日は曲作りについて書いてみます。今迄沢山の曲を書いて来ました。何時も演奏する曲から滅多にやらない曲迄色々ですがそのすべてが軌跡として残っているというのは嬉しい限りです。CDの時代と違って、出すとそのまま世界に発信されるというのも本当に有難いです。時代にかされているなとしみじみ思いますね。

ショウビジネスの音楽ではないので稼ぎにはなりませんが、配信ではアレンジ違いなどを含めるともう7、80曲程配信されています。こうして作品を発表してこれたのも、運命というのか、大いなる何かのはからいなんでしょうね。年を取るにしたがってそんな風に思う事が多くなりました

ただ私はいわゆる天才型ではなく、創り上げるまでにとにかく時間がかかるのです。直感で降りて来たような曲もない事はないですが、ほとんどの曲はああでもないこうでもないと時間を費やさないと出来上がりません。また出来上がってからも何度か舞台にかけて、その後手直しを繰り返さないと完成に至りません。完成したと思っても時が経つと、また気になるところがでてきて、少しづつ細部を変更したりして、なんだが常にメンテナンスをしているような感じです。アルバムでリリースした後に手を入れた曲もいくつもあります。

 昨年リリースした琵琶独奏曲「あゆのかぜ」も何度も何度もライブで失敗して、どうにも上手くいかなかったのですが、大分ゆっくりと寝かせたせいか紆余曲折を経て何とかあの形になりました。更に曲というのは、本当の意味で舞台のレパートリーとして定着して行くには更なる時間が必要です。それが私の言う所のエイジングです。色んな舞台で、色んな人と共演する事で、作曲した自分でも気が付かなかった新たな側面が見えて来て、熟成されてレパートリーと成って行きます。これが面白いのです。私の曲はデュオで演奏するものが多いので、演奏の度に共演者が変わり、それによって違う解釈も出て来て、毎回の変化を楽しんでいるので飽きるという事がありません。。

一番最初に作曲した私の代表作「まろばし」は能管と琵琶のデュオとして書いた作品ですが、能管だけでなく、これ迄尺八、ピアノ、ヴァイオリン、ネイ等の素者と共演して来ました。尺八でも色んな国籍、色んなタイプの演奏家と共演する事で、曲が生きもののように成長して行きました。まろばしに関しては哲学的な面での充実が大きいですね。

タシケントにあるイルホム劇場にて「まろばし演奏中 指揮 アルチョム・キム

私の曲は、演奏家によって自由にその姿が変わって行けるように書かれています。細かい指定を書き込まず、その時々で演奏家がこれしかないという気持ちで自由に音を紡いで、その時々で緊張感あるアンサンブルが成り立つように、その一線を見極めて書いています。リハーサルの時には、音を出すより話をしている事が多いですね。「この曲はどんな情景を土台として、何を表現しようとしているのか」、そんな所を話して、後はその人の芸術的な感性にお任せするようにしています。共演者には、豊かな感性と技術を持って、音楽のその先の世界を描き表現出来、且つハイレベルでアンサンブルをする事が出来る人のみを厳選しています。これはジャズの手法ですね。だから同じ演奏家でもやる度に毎回新鮮な気持ちで演奏が出来るのです。

これが私にとって、そして曲にとっての最高のエイジングなのです。同じ譜面でも演奏する度に魅力が出て来て、その哲学までもが深まって行く。「まろばし」が誕生してから25年あまり。素晴らしいエイジングが進行しています。

静岡県藤枝市蓮生寺演奏会にて「まろばし」演奏中  C0012 – YouTube

音楽は手慣れたお稽古事になってしまったら、もうその生命力は失われてしまいます。常に現在進行形の命として自分の中に響いていなければ演奏する意味はありません。世の中が常に留まる事無く変化をし続けて、自分自身も年齢を重ねて肉体も感性も日々変化しているのに、音楽が固定されて、ただお上手さを披露しているようなものに成り果ててしまったら、その時点でもう自分の音楽ではないという事だと私は思っています。命は常に変化して行くのがその宿命ですので、変化をしないというのは、そこに生命は宿っていないという事です。つまりエンジングは命ある限り死ぬまで続いて行くのです。

人間は執着の塊なので不変を求め続けます変化を受け入れる事が出来ないこれを業というのでしょうか特に自分で勉強し、獲得したものはなかなか手放すことが出来ません。勉強したからこそ視野が固定され、「こうでなくてはいけないのだ」、「これはこういうものだ」と執着し、次第にその自分の固定観念に自ら振り回されて行きます。世の中がどんどんと変化していって、センスも価値観も次々と移り変わっても、自分が努力して得たものは、努力したという記憶があるが故に変化することをためらい、怖がり、結局は取り残されて行ってしまいます。

伝統といわれるものでも、必死に言葉で守ろうとしている時点でもう、社会の中で孤立しているという事です。暮らしも風俗も文化も、世代を渡って伝えられて行くものは、形がどんどんと変化して行くのは歴史を見れば明らかです。変化して行く事こそが人間が生きているという証であり、変化出来るからこそ、その命の核心が受け継がれて行くのです。それはお店でも会社でもライフスタイルでも全て同じ事。私はそれこそがエイジングだと思っています。エイジングを経ることで洗練され、深まって、豊かな文化と成って行くのです。現代では和服で生活している人はほとんど居ませんが、日本の感性はずっと受け継がれています。ものの形式や表面の形に固執するあまり、その核心を見失ってしまうという事は、これまで先人が培ってきた叡智を何も受け取っていないと自ら口上を挙げているようなものではないでしょうか 私は琵琶を手にした最初から、この魅力ある音色を通して、現代日本の感性を表現して行きたいと最初から思っていました。その為には従来の忠君愛国のような弾き語りスタイルを脱しない限り実現しないと感じ、器楽を中心に書いて行ったのです。2002年にリリースした1stアルバム「Orientaleyes」はその初心表明というものでした。勢いだけでしかなかったかもしれませんが、あの頃は「どんなもんだい」という感じでしたね。

鶴田錦史 ノヴェンバーステップス演奏時

時代と共に変化し姿を変え、エイジングされて新たな姿になってこそ、その時代時代に輝いて行くのですこれは明治~大正に永田錦心が、昭和に水藤錦穰、鶴田錦史がやってきた事です。永田、水藤、鶴田の先輩方々も自分達の轍の上をなぞる事ではなく、乗り越えて行く事を願っていると思います。私も及ばずながらそうありたいですね。

ルーツⅡ~境界を生きる

私の音楽はジャズがルーツだと自覚していますが、その前段階の体験も大きいのですジャズは音楽を創って行く為のスキル古典文学や和歌などは感性土台として自分の中にあるのですが、ジャズに行くまでの段階が結構大きな影響をもたらしていると、今になってよくいます。

小学生の頃、地元のデパートにギター売り場があって、そこのクラシックギター教室に通っていました。先生はとても気さくな竹内京子先生という方で、まだ20代だったと思います。レッスンではクラシック一辺倒ではなく、PPM(ピーター・ポール&マリー)の曲などをクラシックギターで弾けるようにアレンジした譜面なども持ってきて教えてくれました。洋楽への視野は竹内先生のお陰で開いて行ったのです。ちなみにそのPPMの曲は「Early Mornin’ Rain」。邦題は「朝の雨(あしたのあめ)」。Peter Paul & Mary – Early Morning Rain (1966) – YouTube

先日袋井のメロープラザで演奏した平家物語の千手と重衡の曲は、その題名をそのまま頂き「朝の雨」としました。私の音楽原体験としての意味も込めて使わせてもらっています。

そして6年生の頃だったと記憶していますが、ツェッペリンの二枚組LP「Physical Graffiti 」を聴いて「こんな音楽があるんだ」と衝撃を受けました。小学生には「in my Time of Dying」や「Kashmirはかなりの刺激で、全く理解は出来ませんでしたが、独特の雰囲気が耳について離れませんでした。今でも20世紀の名曲だと思っています。そして多分これが私の今の作品の原点のような気もしています。私のメインの作品「Voices」や「二つの月」「凍れる月」一具などは、手法としてはジャズの影響が強いですが曲の雰囲気は明らかにツェッペリンやキングクリムゾンの曲が原点でしょう。そしてツェッペリンにはこうしたハードな曲の他、もう一面にトラディショナルフォークに根ざしたアコースティックな作品もあります。私も薩摩琵琶の器楽曲だけでなく、樂琵琶による作品群を発表していますが、それは正にツェッペリンのこの二面性を追いかけているのではないか、と今頃思ったりしますGoing to California」「The Battle of Evermoreなんか聞くとワクワクすると同時に、拙作の「塔里木旋回舞曲」や「Sirocco」がそのまま私のGoing to Californiaではないかと秘かに感じてしまうのです。ファンやショウビジネスに媚びないで、こうしたアコースティックな作品を打ち出し、自分のやりたい事を貫く彼らの姿勢にも共感しますね。懐の深さと矜持の高さが違う!!。

中学ではブラスバンドでコルネットを担当した事をきっかけにジャズにはまり、私のジャズ度はどんどん上昇して行くのですが、中学高校の頃はマイルスやコルトレーンを聴きながら、一方でツェッペリンやジミヘン、特にライブ盤「In The West」を大音量で狂ったように聴いていましたね。なかなかこの辺の話が出来る人はいませんが、20世紀の偉大なる音楽として是非若者にも聴いて欲しいものです。琵琶を始めた頃、私の中では、永田錦心はロバート・ジョンソン、鶴田錦史はジミヘンという位置付けで琵琶を聴いていました。

そういう音楽体験をしているので、私は常に「境界を生きる」という気持ちをずっと持っています。私の人間としての感性は、前回も書いたように両親を通して沁み込んでいた古典文学や和歌でありシルクロードの文化です。しかし自覚している音楽の原体験は洋楽なのです。その両面を持っているせいか、どちらか一方だと自分の中にギャップが生じてしまうのです。両輪が回ってはじめてバランスが取れるのです。例えるのはおこがましいですが、バルトークがコダーイと民族音楽の収集を熱心にして、その体験と知識を持ってクラシックの分野で作曲をしたような感じですね。シェーンベルクがやった、バッハ以降の西側ヨーロッパ音楽を突き詰め、その延長に辿り着いた、いわば正統クラシックの最前線の手法ではなく、風土に根付く民族の音楽と当時の最先端のアカデミックな理論の両輪を持って、それまであったクラシックの発展形ではなく、また民族音楽の延長でもなく、全く新たなオリエンタリズムを打ち立てて行った所がぐっと来ますね。

今私が琵琶でやっているのも同じで、日本の伝統文化・音楽を土台にしながらも、決してその延長線上ではなく、洋楽と出逢う事で、全く新しい日本音楽のジャンルを創り出そうという訳です。その最初が約30年前に作曲した「まろばし」であり、最新が昨年リリースした「AYUNOKAZE」に収録した「Voices」なのです。

メゾソプラノの保多由子先生と Photo 新藤義久

人の評価は別として、私自身は自分のやっている事が最初から実に明瞭明確なので、ためらいや迷いというものが最初からありませんでした。そこには私が子供の頃から周りに溢れていた和歌も古典文学も雅楽も能も、PPMもツェッペリンもジミヘンも、マイルスもコルトレーンも皆現在進行形で存在しているのです。10thアルバム「AYUNOKAZE」はそう云う意味で、私のこれ迄の軌跡がそのまま形になったことが嬉しいのです。

30年の時を経て、私の感性も肉体も随分と変化したように思いますが、土台となる日本と西洋の両方の文化体験は、年齢を重ねに従って益々面白く、また他にはない独自の感性だと感じています。巷には洋邦の表面的なエッセンスをくっつけたような安易安直なものも蔓延っていますが、そういうものは結局、自分の中に土台として存在していないから、表面に見える技や形をくっつけて、ただ表面をお着換えしたくなってしまうのでしょう。そこからは目の前の賑やかし以上のものは生まれません。奇をてらって稼ごうとするショウビジネスの醜さの最たるものだと思っています。ブルースやジャズのように異なる文化が出逢い、そこから生まれ出る新たな世界、新たなジャンルになって行くような音楽を創りたいですね。

箱根岡田美術館にて

異なるものが出逢うぎりぎりの境界を生きるのは私の運命であり、今生で与えられた使命だと感じています。それが私にとって一番自然で無理がない。これからも境界を生き、洋楽でもなく邦楽でもない、新たなジャンルとなるような音楽を創って行きたいですね。永田錦心や鶴田錦史のように次世代の琵琶樂と感じさせるような音楽を。

ルーツ

先日は袋井市のメロープラザにて公演をしてきました響きの良いこじんまりとしたホールでとても良い所でしたスタッフも皆さん細やかに気遣いをしてくれて良い演奏が出来ました。またいつか伺いたいと思っています

袋井メロープラザ公演

こんな風に琵琶を弾いて回っている人生ですが、私は若き日にはジャズギタリストに成ろうと思って上京し、その後、紆余曲折の果てに琵琶を手にしたので、自分の音楽体験のルーツは邦楽ではなくジャズです。作曲の手法や考え方にも色濃くジャズスタイルの影響があり、音大でクラシックの作曲を勉強してきた人とは随分違う発想と手法を持っています。10代20代の頃はポップスなどのショウビジネス系の音楽を排除する姿勢が硬派だとばかりに格好を付けて、コルトレーンやマイルスを至上として崇めてジャズをやっている自分は凄いんだと思い込んでいましたね。まあそういう時代があっての今だと思うと、それも通るべき時代だったのだなと今は思っています。

何故ジャズを止めたのかと言えば、その音楽体験のルーツのもっと奥、自分の人間としてのルーツ、つまり日本的な感覚とジャズとの距離感を感じたからです。私は勉強した訳ではないのですが、親の影響もあって、子供の頃から古典文学や和歌が身近にありました。これは琵琶をやっていく上で大変ありがたい環境だったと思っています

東京に出て来て、沢田俊吾先生、潮先郁男先生という素晴らしい先生に恵まれ、まあちょっとはギターで仕事が出来る位にはなったのですが、自分のやりたい音楽の姿は一向に見えませんでした。バブル時代でしたので収入的には困らなかったのですが、仕事である程度のものはこなせても、「これじゃないんだよな」という想いがずっと付きまとっていました。そこで20代の半ばからは、アコースティックの10絃ギターでオリジナル曲を創ってみたり、フラメンコをやってみたりしていたのですが、どれも表面の技術だけが上手になって行くばかりで、一向に自分のやる「音楽」は見つけられませんでした。特にフラメンコをやったことで民族性、風土性の強いものを、生活も風土も歴史も違うよそ者が上っ面を物真似する事に強い違和感を覚えていました。そんな頃、作曲家の石井紘美先生と出逢い、先生から「あなたは琵琶よ」と言われ、そうかな??と思いながらも始めてみたら、それがそのまま人生になって行ったという訳です。

若き日 

琵琶に転向してからは今まで聴いてきたジャズやロック、プログレ、現代音楽なんかのエッセンスがそのまま琵琶を通して姿となって立ち現れ、正に「水を得た魚」状態で曲がどんどんと溢れ出て来ました。1stアルバム「Orientaleyes」ではその時の自分が爆発してますね。今聴くと結構めちゃくちゃなんですが、それでもあの時の自分のエネルギーは今でも好きですし、その勢いは止まることなくどんどんと続いて行きました。時代が良かったのか、すぐ琵琶でもお仕事をさせてもらうようになって毎月あちこち飛び回っていました。五線譜は普通に読めたし演目に合わせアレンジも作曲もやるので重宝がられたこともあってとにかく請われるままに長唄や日舞、能、手妻など、色んな邦楽のジャンルの舞台で声をかけてもらってやらせてもらいました。今思えが半人前の私をよくぞ使ってくれたと、本当に感謝しかありません。あの頃の経験が今確実に生きています。

琵琶樂人倶楽部にて ジャズフルートの吉田一夫さんと

コロナ禍の数年の間は、マイルスの「Bitches Brew」や「Agharta」「Pangaea」等1970年前後の傑作アルバムを聴いていました。当時の時代の流れと共にマイルスの音楽的な変遷に想いを馳せると、改めて何か腑に落ちるものを感じました。今になって初めて聴こえてきたものが沢山ありますね。マイルスを生で聴きに行ったのは、1980年の新宿の野外特設ステージでのライブ(「We Want Miles」としてリリースされています)です。あの感激は未だに生々しく覚えていて、今でもすぐに蘇って来ます。あのライブの後、まだ10代だった私の頭の中は長い間あの時の音楽とマイク・スターンのギターで24時間埋め尽くされていましたね。凄い衝撃でした。マルス・デイビスの音楽の創り方には随分影響を受けていると感じます。

琵琶関係者でジャズの話が出来る人はほとんど居なかったのですが、唯一、田中之雄先生だけが解ってくれて、マイルスの素晴らしさについてよく話をしてくれました。門下の飲み会で、私と先生がジャズの話で盛り上がってしまうと話が止まらず、周りの後輩たちが帰るに帰れなくなってしまい、後輩の一人が「そろそろ止めてください」と耳打ちしてきた事もありました。ジャズに興味のない若者には困った先輩だったのでしょうね。田中先生は若い頃、ジャズギタリストに成ろうと思っていたという方なので、実に話が合い、琵琶の稽古の後に先生のギター(ヴィンテージのジョニースミスモデル)を弾かせてもらったりしてました。ああいう自由な姿勢の先生が居たからこそ、琵琶を生業として続けられたんでしょうね。私は天邪鬼故、流派門下からは抜けてしまいましたが、今でも、思うように琵琶に関わらせてくれた田中先生には感謝しています。

若き日 邦楽ジャーナルクラブ和音にて

琵琶で活動をはじめて早30年。アルバムを出しはじめて25年も経ってしまいましたが、ジャズを音楽として捉え、その良さを本当に実感したのは琵琶に転向して、客観的に距離感を持ってジャズを聴くようになってからかもしれません。私はジャズを通り越したからこそ、今があると思っています。私の琵琶のスタイルは日本文化の土台にジャズが加わり、その両方から学んだハイブリッドと言っても過言であありません。別に売れた訳でも何でもありませんが、今は自分の世界が明確になった事で、無理なく良い形で音楽に接することが出来ています。 そしてこれまでの紆余曲折の変遷が今生で私に与えられた運命であり、また使命だとも感じています。これからもまだまだ続きますよ。楽しみで仕方ないですね。

 

風の行方

私は風がいつも気になります。何とも形容しがたいのですが風を身に受けると、様々な感覚が湧き上がってくるのです。時々「あの時の風だ」と、過去のある瞬間がデジャブのように蘇って、時間を超えてそこに行ってしまうような感覚を覚えます。私は日ごろから陽の光や雨、雪、曇り空等、その時々の天気気象によって本当に色んなものを感じてしまう方なのですが、なかでも風は一瞬で私の感覚をどこかに連れ去って行きます。不思議ですね。私の曲名に風が多いのも風に敏感なせいです。風という存在には、国境は勿論、常識やルール、更には時間、時代も越えて行くようなイメージがあり、何物にも囚われない自由の象徴でもありますので、私にとって音楽を創り出す時のイメージの源泉なのです。

風を感じたライブ ダンス:牧瀬茜 ASax SOON ・Kim各氏と キッドアイラックアートホールにて

今年は、少し視点を変えつつ色んな活動をして行こうと思っています。昨年より時々書いている声と琵琶の作品をもう少し膨らまして私のソングブックのようにまとめてアルバム化したいと思っています。声楽家は10thアルバム「AYUNOKAZE」で素晴らしい声を聴かせててくれた保多由子先生に加え、30年近く前に作曲した琵琶二面と声の作品「太陽と戦慄~二面の琵琶と女声の為の」(初演:両国国技館ホール)を歌ってくれた南田真由美さんにも参加してもらってと思っています。もう一人くらい語りの人も入れたいですね。 他には私の本筋である現代邦楽の作品集も考えています。すでにViとのデュオは新たに1曲出来ていて、他にも構想がいくつか出て来ました。

それともうすぐリリースされる「REFRACTIONS for BIWA, TÁROGATÓ and ELECTRONICS」のようなちょっと前衛的なライブもやっていきたい。という訳であれこれとまだまだやりたい事は次々と湧いて出てくるのです。

私の場合、大体いつでも物事は並行して進行して行くので、今年もとにかく旺盛に作曲をして行く事になるでしょうね。年齢を重ねて来たからかもしれませんが、ライブであちこち飛び回るよりも、作曲して作品を遺して行く事にかなり意識が向いてきました。ライブは毎月の琵琶樂人倶楽部の他、月にもう一つか二つ納得できる内容の演奏会を続けていきたいですね。ライブハウスみたいな所は今の私には向かないので、小さくとも静かな落ち着いた場所での演奏が増やして行きたいです。とにかく色んな曲が誕生するのは実に嬉しいのです。

こんな風にワサワサやっていると、それが形になって表れれて来ると同時に、自分の行くべき道もどんどんと明確になって行くのです。アルバムを出し始めた25年程前にもう道は見えていたのですが、現代作品だけでなく、樂琵琶を使った創作アルバムや薩摩琵琶弾き語りのアルバムを出したことで私の中で幅が出来て来て、それが昨年リリースした10thアルバム「AYUNOKAZE」に繋がって行ったのです。

私の作品は伝統邦楽とは随分違いますが、前衛ともまた違うと思います。西洋の前衛は私には、どんどん無機質な方向に走って行くように思えて、人間ばかりが強調されてなかなか風土や大地が見えて来ない私は海でも山でもジャングルでも皆それらは生命体であり、人間と共に呼吸し、人間はその中で共に生きているというような感覚でいるので、いわゆる現代音楽からは大分離れてしまいました。アルボ・ぺルトが出てからまた面白くなって聴き出していますが、人間と人間ならざるものという区別をもって相対するものには捉えたくないのです。現代文明は自然に対し容赦なく破壊し、人間に都合良いように変えてきました。かつての日本にあった里山のように人間と動植物が共存できる空間はなくなり、人間第一主義で何でも物事を考え、便利の名の下に、自分以外のものの破壊と排除を推し進めて来た結果が今のこの現代の地球の姿ではないでしょうか。その感性ではもう間もなく生命としての地球は死んでしまう。風も自由に吹き渡ることが出来ませんいつまで経っても覇権争いをするような感性では次の時代は望めませんだから忠君愛国や軍国的な歌詞などは全くもってナンセンスだと思っています。私に何が出来るという訳ではないですが、どこまでもこの風土と共に生きる感性を次世代へと繋げて行きたいですね。繋げるためには形を変えて行く勇気と創造力が必要なのです。

2011年相模湖交流ホールにて 6thCD「風の軌跡」録音時 笛の大浦典子さんと

さて、週末は静岡県袋井市メロープラザにて、笛の大浦典子さんと共に演奏します。戦の歌ではない琵琶の音楽を是非とも聴きに来てください

夢のお告げ2026

年が明けて早もう月末に近づいていますね。月末は静岡の袋井市メロープラザホールで演奏会があります。お近くの方是非お越しくださいませ。 何だか慌ただしく日々をすごしていますが、私は相変わらず毎日夢を見ます。必ずストーリーがあり、内容やその展開は全く予想がつきません。身近な知り合いから、ずっと会っていない人、知ってはいるけど会った事はない人、まるで知らない人等々、登場人物も実に様々。毎日ストーリーも違っていて実に面白いです。 最近特に面白いのは、夢で自分の隠れている感情を気づかせてくれる内容が時々あるという事です。後味の悪い夢などは全くないのですが、自分で妙に納得してしまう夢を見るのです。自分自身を客観的に見る事が出来、何か教えを授けられているような感じもありますし、潜在意識が表に出て来たのかとも思いますが、とにかく夢は私の栄養ですね。有難い限りです。

かの南方熊楠も夢の記録を詳細に付けていたそうです。熊楠は長い事海外で活躍し多くの論文を発表して、帰国後那智の山に籠って新たな粘菌や苔類を探していたそうですが、なかなか見つけられなかった時期が続いたそうです。そんな時、夢の中にその場所が現れ、実際に行ってみると新種の蘭を発見したというエピソードが有名です。 私は南方熊楠がとても気になっていて、難しい学問の事は理解が及ばないのですが、色々読んでいると日本の風土に宿っている霊性とでもいうのか、そういうものと肉体の繋がりを身体の中に感じる事が出来るのです。人間界を見るのではなく、大地そのものを見て、そこにかされ、共に生きて来た人間を見るというような大きな視野が感じられます。それは現代日本にとって大事な事を遺してくれているのではないでしょうか。

にとって夢は、何か自分に語り掛けて来るものと感じているのですが、実は気付きも探し物も、もう自分の中には答があるのかもしれないですね。現実の生活の中では、その答を持っている事に気が付かず、様々な社会の生活のバイアスに遮られているのかもしれません。

若き日

私自身は若い頃から自分の音楽をやりたいという事が長い時間を経て実現してきました。いわゆる成功したとか大きな収入を得たという事ではありません。ただ自分が直感的に感じた事は、自然とその方向に自分が動いて行くし、振り返ってみると自分がやりたいと思っていた音楽が確実に自分の人生になっています。確かに音楽の外側の俗世間的表面的なもの、例えば経済的な事やその他諸々の事はなかなか一筋縄ではいきません。色んな問題はあれど、自分の思う音楽が自分の人生になって来たという事です。 現世での成功などという人間の作りだした俗世界に意識が留まって、その中で試行錯誤しているようでは単に振り回されているだけで、いつまで経っても自分が望む道筋は見えて来ないでしょう。熊楠を見ていると、そんな俗世間は常にすっ飛ばして、風土と共に生きて来た人間の本来の姿に直結しているように思えるのです。

人はなかなか社会から離れられません。これ位の年になったら社会人として音楽家として立派でなくてはいけない。一門を作り上げ肩書やキャリアを並べ、何かしらいっぱしの体裁を成さなくてはいけない。そんな所が程度の差こそあれ、俗世間に生きる人間には誰しも心のどこかにあるものです。そういう自分の本質本体の外側にあるものに寄りかかって社会の中で自分を保とうとする姿、寄りかからないと生きて行けない弱さが夢によって暴かれ、気づかされ、そして解放されて行くのです。

それら無意識の中に入り込んでいるバイアスを飛び越えて行くのが芸術ではないでしょうか。既成の概念やルールなどに囚われる事無く自由に精神を飛翔させることが出来るのが芸術の世界ではないでしょうか。リスナーは風土に生まれ育ったこの肉体の奥底に脈々と流れているだろう感性や直感や野生を呼び覚ましてくれるような魅力を求めているのではないでしょうか。中学に入ったばかりの頃、ジミヘンのライブ盤を聞いた時の衝撃は未だに記憶の中に残っています。それまでの自分の知っている世界ではありえない、とんでもないものを感じたのです。それはそのまま自分の感情や肉体の中に直結した何かでした。最近はジャズでさえ、お稽古の延長のような技術や知識をひけらかすように聞かせようとするものが出て来ましたが、魂が抜けて行くという事はこういう事なのかもしれませんね。

私は薩摩琵琶の音色に大いに魅力を感じています。また永田錦心や鶴田錦史の志は大いに感じる所がありますが、残念ながら自分の中に眠っている野性を呼び覚ますような演奏や音楽は聴いたことがありません。だからその志を受け継ぎつつも自分で創るんです。自分の意識の奥底にあるもの、大地と直結した激しく躍動する生命をもった野生の思考、それが薩摩琵琶のあの音色からきっと紡ぎ出されるだろうと思っています。 生まれ出て来る作品は極静かな作品かもしれないし、激しく爆発するような作品かもしれない。表面の形ではないのです。中に秘められた野生のエネルギーを感じられるかどうかの問題です。現世に囚われている人間の頭で作った予定調和の世界を飛び越え、聴く者に風土と共に生きていた野生の時代へと誘ってしまうもの、そんな音楽を私は聴きたいですね。

私にんな根源的な気付きを与えてくれるのが夢なのです。でも何故このストーリーなんだろうといつも思います。荒唐無稽だったり、何気ない日常の風景だったり、もう全くルールも傾向も無いのです。そして見たい夢が見れるという訳でもありません。けっして願望がそのままストーリーになることは無く、全く違う設定、ストーリーが展開し、その中で何かが残りそして気付くという具合です。面白いですね。毎日の夢を全部覚えている訳ではないのですが、印象的な夢は本当に色々な事を教えてくれます。

に制約はない夢こそが魂の在り所なのかもしれません

良い夢を

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