祝 琵琶樂人倶楽部開催18周年記念

今年は事後報告となってしまいましたが、先日、琵琶樂人倶楽部の18周年記念回をやってまいりました。

photo 新藤義久

もう18年も経ったかと思うと、時間の流れの速さと人生の短さを感じずにはいられませんね。今回は10枚目のアルバムに収録した「凍れる月」の第二章、第三章、第四章と、その元となった「凍れる月~第一章」(2004年作曲 4thアルバム「流沙の琵琶」に収録)も加えて「凍れる月」一具(組曲)として演奏いたしました。共演は第一章、第三章で演奏してくれた笛の大浦典子さん、第二章で演奏してくれたVnの田澤明子さん。笛とVnのピッチが違うので、琵琶のチューニングがちょっと不安定でしたが、一具全曲を演奏出来た事をとても嬉しく思います。

「凍れる月」は「Blue in Green」というマイルス・デイビスの作品を聴いて浮かび上がってきたイメージに、私の中の月のイメージを合わせて、自分の中で色彩感を描き、それを発酵熟成させ作曲したのですが、第一章が出来上がってから様々にそのイメージが変容しはじめ、最終的に一具となった次第です。現在第三章は尺八でも試していて、こちらもいい感じで仕上がって来ています。

第一章 龍笛&樂琵琶

第二章 Vn&樂琵琶

第三章 篠笛(または尺八)&薩摩琵琶

第四章 樂琵琶独奏

となっていますが、それぞれこれからの重要なレパートリーになって行くと思います。

6thアルバム「風の秘跡」レコーディング時 相模湖ホールにて

今回お呼びした大浦さん、田澤さんにはこれまで本当に多くの事を学び、彼女達がいなければ私の音楽はこの世に日の目を見る事は無かっただろうと思っています。琵琶での活動の最初に大浦さんと知り合った事で、私の代表作「まろばし」「花の行方」が生まれ、大浦さんの勧めで樂琵琶を弾き出し、多くの曲を作曲し、その樂琵琶での楽曲が私を色んな所へと導いてくれました。雅楽・能、民族芸能等々その豊富な知識と経験を身につけた大浦さんと最初に出逢った事は、私の音楽を創る上で大きな要素となり、そのアドバイスがあったからこそ、様々な楽曲が誕生したと思っています。この夏に佐渡で行った創作能「良寛」は樂琵琶が無ければ成立しません。大浦さんがいなかったら私は樂琵琶を弾いていなかったでしょう。樂琵琶の世界を得た事で私は音楽人生をとても豊かに過ごすことが出来ているのです。

そして2015年頃にVnの田澤明子さんと知り合い、それまで少しお休みしていた現代音楽への扉が再び開きました。元々1stアルバム「Orientaleyes」では全編現代曲で挑戦しました。今聴くと勢いだけで、まだまだ作曲も演奏も中途半端で粗削りもいい所ですが、エネルギーだけは漲っていました。その後、弾き語りなどの伝統スタイルでも負けられないとばかりに3rdアルバム「沙羅双樹」から弾き語りの収録などしていましたが、やはり私は器楽としての琵琶をやりたいという琵琶を手にした時からの想いがずっとあり、2018年1月リリースの「沙羅双樹Ⅲ」で現代曲復活となる記念すべき「二つの月~Vnと琵琶の為の」を収録しました。

8thアルバム「沙羅双樹Ⅲ」レコーディング時 千野スタジオにて

この曲は田澤さんの豊かな感性と飛びぬけた技術が無ければ成立しない曲です。この具現化は私にとってとても大きなターニングポイントとなり、次の9thアルバム「Voices  from the Ancient World」では、これまで邦楽器の為に書いてきた作品をVnと演奏できるように編曲し、「君の瞳」という新たな作風の新作も書いて、ヴァイオリンと琵琶という他にはないデュオとして歩み出しました。そしてそのコンビネーションは、10thアルバム「AYU NO KAZE」にてメゾソプラノの保多由子先生を加えたトリオで「Voices」という作品に結実しました。それと共に今回一具として演奏した「凍れる月」の第二章~四章も収録したのです。田澤さんがいなければ、私の「器楽としての琵琶樂」という初心に抱いた目標は具現化しなかったでしょう。大浦さん田澤さんのお陰で今があると深く感謝しています。

今回はラストに「西風(ならい)」を笛・ヴァイオリン・琵琶のトリオに編曲して三人で演奏しましたが、なかなかいい感じでした。

今また新作に取り掛かっているのですが、その施策の譜面をお二人に見せた所、良い感じで音にしてくれましたので、この線で進めて新たな作品を創りたいと思っています。来年の19周年記念回ではまた新作を聴かせえる事が出来るよう、更に創作をして挑んで行きたいと、気持ちを新たにしました。琵琶樂人倶楽部は小さな小さな会ですので、地味なものなのですが、私の音楽活動には無くてはならないものとして、これからも淡々と続けて行きたいと思っています。是非聴きに来てくださいませ。

 

 

 

 

静かな暮らしⅣ

この所少々体調が崩れ気味だったせいか、家に居る事が多かったのですが、今年は珍しくこの時期に演奏会も無かったのでゆっくりさせてもらいました。いつもの未来ノートにも色々と書いては消して、最近作った独奏曲も良い感じで手直し出来ました。たまにはこういう時間を強制的に頂くのも良いものです。外はお散歩日和ど真ん中なので、来週辺りからは、またうろうろしたいです。

photo 新藤義久

私は現代の情報社会(デジタル社会)には馴染めない方で、TVはもう30年以上前から持っていないし、PCもメールやブログ後はちょっとYoutubeを見る程度でとても活用しているとは言えません。以前MixiやFacebookの出始めの頃はちょっとやったりしたんですが、何か常に情報に追われ振り回されている感じに馴染めないのです。現代では情報を得られない人を情報弱者等と言いますが、ほとんどの人は情報に振り回されているだけではないでしょうか。大体自分の基本となる文化や感性の土台が無くては、どんな情報を得ても毎日驚いて面白がっているばかりで、情報を処理、活用する事は出来ません。もっと言えばヴィジョンも哲学も無い所に何を入れても、核爆弾と同じでろくな事に繋がりません。コロナ時の社会の状態は正にその象徴でした。現代人の精神の弱さが露呈しましたね。情報弱者というのは、こういうネット情報に振り回されて自分で判断が出来なくなってしまっている人の事じゃないかと思って見てました。

現代社会のテクノロジーは便利で、私自身ネット配信のお陰で世界の人に私の作品を聴いてもらっているので、有難いと同時にこのテクノロジーの社会からはもう現世では逃れられないと認識していますが、都会は人間が本来必要としているパーソナルスペースは持たせてもらえず、常に人工的な干渉に身を晒され、少なからずどこかに異常を抱えたまま生きて行くのが常態化しています。それが都会というものなのでしょうが、結構厳しく感じるようになりました音楽活動をしている限り、都会とは何らかのコンタクトを持っていないと活動は難しいですが、出来る事なら年の半分でもいいから自然の中に暮らしたいものです。里山の集落や村でのんびり田舎暮らしをしたい訳ではありません。周りに民家の無い、人間の干渉の無い広々とした自然の中で静かに暮らしてみたいのです。

 

 

この都会の中から生まれた現代の芸術は刺激的で興味深く、確かに現代社会を描き出しているけれど、音楽や芸術最先端のセンスだけでなく、リスナーを人間の根理根本にまで導いて行くものなのではないかと感じていますもう30年以上前ですが初めてアルボ・ぺルトの音楽を聴いた時に、最先端とのセンスと共に人間の根理みたいなもの(漠然としていましたが)を感じました。それ以来、自分が良いと思って好んで聴いていた音楽は皆最先端と、根理の両方を感じていたんだ、だから感激したし、未だに色あせることなく聴き続けているんだと認識しました。それがちょうど琵琶で活動を開始した頃でしたので作曲をする時には最先端であり、且つ自分なりに根理を感じるものを持つ事を念頭に置いています。リスナーが私の作品をどう判断するかは判りませんが、この姿勢はこれからも変わる事はありません。

私もそれなりの年齢になったせいか、現代の都会の中では最先端は突き進めても、根理根源には辿り着けないと感じる事が多くなりました。自分の身を少しでも自然の中に戻すことが必要なようです。

藤枝の楽園

現実はなかなか思い通りにはいきませんが、全て想い通りとはいかなくても、自分の想う所を実現する時も来るのかなと思っています。ただその時に己の肉体が自然の中で生き抜くだけの体力があるのかどうか・・・。現世では難しかもしれませんね。

 

 

 

 

夢の先へ、共に 

何だか急に冬になったような寒さですね。体調は如何でしょうか。 私は相変わらず毎日夢を見ます。私の知り合いには今まで全く夢というものを見た事は無いという人もいます。頭の中というのは不思議なものですね私の夢は毎度荒唐無稽なものが多いのですが、ふと知り合いが出て来たりして毎日実に面白いのです。ストーリーは説明のつかない事が多く登場人物も様々なんですが、年のせいか明け方一度トイレに行くことも増え、眠りも浅くなっているのか、そこから半眠りのような感じで、妄想とも夢ともつかないような夢もよく見ます。こちらはその時々で自分が色々感じている事がそのまま出て来ますね。ネガティブな夢や怖い夢は見ないのですが、こちらもまた自分の潜在的な願望のようなものが感じられて面白いのです

10年程前に行ったカリブ海のキュラソー島 時々夢に出て来ます

現実社会では、たまに夢で見た事がリアルに目の前に現れる事もあります。そして夢で体験した事が自分の想像以上にもっと強力にリアルな現実として展開したりする事があるのです。面白いですね。夢はやはり自分の願望希望も含め深層心理現れなんだろうなと最近は思っています。登場人物も、昔にどこかで会っていた人であることがほとんどですし、荒唐無稽な夢も現実では見えなかった所が夢の中に残っていたのかもしれません。それがまだ整理されていないままに映像になって出てきてしまったんだと考えています。

若き日 グンナル・リンデル(尺八) カーティス・パターソン(筝)、藤舎花帆(鼓)、佐藤紀久子(三味線)各氏とリリースしたアルバム「和」ジャケット

考えてみれば琵琶を始めた頃琵琶を持ってシルクロードを回ったら面白いだろうなという妄想が巡り巡って最終的には現実にコンサートツアーになりました。それも4各国を半月かけて回る大きなツアーとなり、夢をはるかに超えたものとして与えられました。高野山のお寺なんかで何か出来ないかなという想いも、やはり現実になり、5年間に渡って毎年見事な紅葉の時期に開催することが出来ました。アルバムもただ勢いで出してきましたが、1stアルバムを出す時に持っていたイメージが、20数年経って、更にパワーアップしてより10thアルバムとして明確な形で具現化もしました。この他にも色々夢に見ていたものが現実には更に大きくなって実現したことが、私には結構あるのです。日々に於いても、小さな極々個人的願望が、その先を感じさせるようなものとして成就したりする事も時としてあるのですが、それらに共通する事は、その夢の実現は、自分一人ではなく、必ずパートナーが居るという事です。

アゼルヴァイジャン・バクーの国立音楽院 ガラ・ガラエフホールでのレクチャーにて

私の30代40代はあくまで自分だけの願望であり、一人称の想いでした。自分の音楽だけを只管見つめていました。そんな状態の私でしたが、今になって振り返ってみればいつも誰かがいつも傍に居たのです。シルクロードも一人で行ったわけではありませんし、高野山の企画も一緒になってやってくれた仲間が居ました。作曲では共演者の魅力を如何に引き立てるかと考えて来ましたが、やればやる程にパートナーが居るから楽曲が出来上がり、演奏会が成立したのです。誰かが一緒に居たからこそ、その夢の先まで行けるという想いが、年を経るごとに強くなってきました。今は少しばかり琵琶を若者たちに教えるようになって、自分一人だけの音楽世界という硬い殻が少し柔らかくなってきたようにも思います。まあ未だに○○門下○○流等の一定の枠を作らないように教室の看板は挙げていませんが、自分も教えるという事をやる年になったのだなと感じています。

戯曲公演「良寛」にて 笛の大浦典子さん、俳優の伊藤哲哉さんと 於:座高円寺

夢の先に行くには、パートナーが必要なのです。一人が見ている夢ではなく、良きパートナーが傍に居たら、一緒になって夢のその先へと導かれるような気がします。来年はちょと活動も今迄とは違う方向へと向けようと思います。きっとまた新たな世界が開くような気がしています。楽しみです。

舞踊そして音楽

先日ちょっと用事で宇都宮に行ったので、大谷資料館に寄ってきました。ここは大谷石の採掘場跡を資料館として保存してあるのですが、そのスケールはなかなかのもので、何かの神殿のような趣。現在では様々なアートの場としても活用され、かつては津村禮次郎先生もここで演能したそうです。私もこんな場所で是非演奏会をやってみたいものです。こういうスペースに出逢うと、私は色んなインスピレーションが湧いてきます。そして音楽だけでなく舞踊家も入れてみたくなります。優れた舞踊家と組むのは刺激的ですし、舞台が大きく広がって行くのを感じるのです。なかなか音楽の現場では舞台が小さくて舞踊家を招く事の出来るスパースはあまりないのですが、是非優れた舞踊家とやってみたいですね。

能楽師の津村禮次郎先生と人形町楽琵会にて

しかしその一方で音楽と舞踊というのは近くて遠い関係にあるとも感じています。私は琵琶の活動を始めた最初から毎年様々な舞踊家達と舞台をやってきましたので、色々と考える所があります。

現代では録音を流して踊る舞踊の舞台も増えて来て、音楽家と舞踊家がアンサンブルをして行く舞台が減ってきました。ショウビジネスの現場ならそれも良いのでしょうが、私には全然物足りないですね。お見事なダンスは披露できるかもしれませんが、ダンサーの一人称の舞台でしかありません。私はショウを観たい訳ではないし、ましてや発表会を観るつもりはないので、舞台は音楽家と共に創り上げて欲しいのです。舞台では、その場でしか起こり得ない、他にはないリアルな生々しいものを感じたい、ワクワクしたいですね。

横浜ZAIMにて Yangiahさんと
私は芸術でも音楽でも予定調和の世界ではないと考えています。常に予測不可能な世界を出現させるものだと思っています。民族芸能の現場でも、やる度にそのリアルな興奮の中に埋没して行くでしょう。絵画でも対峙する度に受け手が常に味わった事の無い何かを感じられる深い世界を内在させているものではないでしょうか。それは古典であっても、いや古典であるからこそ、毎度観る度に汲めども尽きぬ魅力を気づかせてくれる位でないと!!。だからこそ古典となって伝えられて行くのです。ただのお上手の予定調和では、お稽古事と変わりません。

明大前キッドアイラックアートホールにて:灰野敬二、田中黎山各氏と

私は今迄あらゆるジャンルのアーティストと一緒に活動をしているからこそ、やって来れたと思っています。色んな才能が集まってはじめて舞台は創られるのです。作曲に於いても、共演者の魅力をどうしたら輝かせることが出来るか、という所を第一に考えます。それは一番最初に作曲した「まろばし」から変わっていません。だから相手が変わればその解釈によって音色が変わり、音楽自体も変わります。ダンサーともこれ迄一緒になって作品を創ってきました。日舞の花柳面先生には鍛えられましたね。様々な創造の現場に声をかけて頂いて、本当に感謝しています。こうして創り上げてこそ共演ではないでしょうか。表面的な技では一緒にやれません。何故その音色なのか、その音にはどんな情景があって何を表現したいのか、演者自身にそれがない限り舞台は創れないのです。そんなお互いの感性をぶつけあってこそ舞台は創られると思っているので、録音を流してやる舞踊の会では、物足りないのです。

ティアラこうとうにて:尾上墨雪、花柳面、藤陰静枝、福原百之助の各先生方と

自分を中心に舞台を考え、周りとのアンサンブルを忘れ、小さな小さな自分の世界に閉じこもってしまうようでは大きな世界は創れません。例え独奏の舞台であっても、優れた舞台人は社会や時代、会場や観客、その他自分を取り巻くものの中で自分は存在し舞台に立っているんだという意識を持っているものです。その辺りにその人の器が出ますね。相手に対して俺の思っているようにやってくれ、なんていう発想では「お仕事」以上にはなりません。それはただの発表会に過ぎないのです。何が現れるのか計り知れないものこそ面白いではありませんか。

Photo 新郷義久

今、注目しているダンサーが何人かいますが、彼らと是非面白い舞台を創りたいですね。

広い世界に

ちょっとご無沙汰している間にすっかり秋の風情になってきましたね。嬉しい限りです。早く革ジャンを着れる季節になって欲しいものです。

私は、元々何か一筋何とかバカみたいな人が好きではありません確かに芸術家や一部の学者は常識を超えてしまっている所があって、一般の方から見ると○○バカみたいに見えるかと思いますが、芸術家達とゆっくり話してみると色んな分野に話が及び、一晩かけても話が尽きない程に面白い。私には一般人と思っている人の方が視野が狭く、常識に囚われていると感じます

ただ世に言う「是一筋」みたいな事を自ら売りにしているような人の中には、小さな視野で、自分の世界しかなく一人称で生きているような人間が確かに多く居て、そういう人とは全く話が出来ないですね。言い方を変えると、そういう人は相手の話を聞く余裕がない。他のものに視線を向けるキャパが無いのは、そのままその人の器が無いという事です。だからやっている事もそのレベルでしかないので魅力を感じないのです。天才でも何でもありません。

私は元々あらゆる分野に視野が行き渡る人が好きなんですが、武道の達人も意外な事に精通している人が多いですねまあ周りの事に視線を向けないようではすぐにやられてしまいますし当たり前ではあるのですが結局器の大きさがそのままその人の実力であり魅力だと思えて仕方ありません いつも書いているように宮本武蔵はその代表です。武蔵は実にあらゆるのはこのブログでも都度都度書いていますが、絵を描かせれば「枯木鳴鵙図」なんていう名作も遺していますし、仏像も彫れば五輪書のような深く鋭い文章も書く。剣以外の事でも色々と勉強していたんじゃないでしょうか。多分武蔵は世に言われているような天才タイプとはまた違うタイプだったのではないでしょうか。故に、色々と考え、実践してきた末にあの境地に至ったと私は思っています。佐々木小次郎は逆に当時考えられている剣の天才であったが故、それ迄の常識の上から抜け出せない人だったように思うのですが如何でしょう。

武蔵は遅刻して来たり、小舟の櫂を遣ったり、その当時としては卑怯とも思えるやり方を選択して勝利を得ています。心が常識の中にあると、立派でなくてはいけない、その時思える正統でなくてはいけないというバイアスが支配して、その他の世界が見えないものです。 現世に於いて天才と言われている人は、その時点に於いて天才なのであって、言い方を変えれば、既に引かれているレールの上に居るという事で、そこが弱点のように思います。素早く剣が振れる、素早く音が弾ける等というなものは、確かにずば抜けた上手であるかもしれませんが、そこがあるが為にその先の世界が見えない、考えつかないのではないでしょうか。現世では人より多少色んなものが解って、一般の人からすると優れているように思えるかもしれませんが、その先が見えて、現世の常識やルールとは全く違う発想をしているような本物の天才は、そう沢山は居るものではないと思っています。どんなものでも別の視点からすれば正義は悪になり、格好良いものが陳腐に映ったりするのは世の常です。だから広い視野と周りのものを把握する深い知性がある人が次世代スタンダードを創って行くのです。

これは音楽家もそうで、なかなか常識やルールから離れられる人は居ません。永田錦心や宮城道雄が凄いのは、そういう当時の常識やルールの遥か上を行く次世代の発想をし、それを実現化・具現化した事です。皆ある程度上手になって名も知れるようになってくると、現世の中で立派な自分でありたいと思うのが通常ですが、そんな所に囚われている時点ですでに天才には程遠い。そんな想いに支配されていると、音楽家としての自分は居なくなって肩書やら評価が気になり、そちらに意識が行ってしまう。本来芸術はそういう俗な心を飛び越えてもっと人間の本質に迫るものであると、私は思うのですが、皆様はどうお考えでしょうか。

photo 新藤義久

私のような凡人は、とにかく小さなことに常に囚われます。実に弱い。だから私はなるべく自分を取り巻く環境に、囚われの原因になるようなものを置かないようにしています。流派や団体などの組織は勿論、小さなグループであっても常に自分のスタンスを感じながら付き合っています。

流派のような小さな枠に入って、そこに我が身をゆだねてしまうと、そのコミュニティーが全てになってしまい、そこに漂う価値観に支配され、そこを離れると何も出来なくなると想い込みがちです。自由にやりたいと思いながら、そんな心にがんじがらめになって留まっている人を何人も見ました。一旦固まった心はなかなか崩れません。流派も会社も正解ではないのです。ルールでもないのです。小さな村の優等生になっても、大きな都会に行けば誰も気にもかけてくれませんし見向きもされません。ちょっとばかり上手なものがあったとしても、大きな世界に行けばもっと凄い奴がわんさか居ます。大きな視野を持って、世の中と繋がる感性こそが音楽本来魅力だと私は思います。

私は作曲の師である石井紘美先生から「実現可能な曲を書きなさい」と言われ、それ以来自分で作曲したものを弾くというスタイルでやって来ました。それを実現するためには自分の世界をしっかりと保ちながらも自分を取り巻く社会や時代を感じる感性が無いと、作曲した所で、ただの独りよがりのオタク音楽になってしまいます。自分は世の中は全て繋がりの中で成り立っているという事を解ろうとしないで、がなり立てて主張していてもそれはただの一人称の叫びでしかありません一緒に創り上げるというアンサンブルという概念がない

例えば好きな人にいくら愛してると言っても二人の関係を築いて行こうという気持ちが無かったら、関係は成り立ちません。ただのストーカーです。音楽でも、メンバーに俺の思うようにやってくれという意識しか持てないような人は音楽を創れません。それが解らないままに一人称の世界に閉じこもって満足しているのはオタク以外の何物でもないのです。

琵琶や尺八などは独奏でやることが多いので、周りとのアンサンブルが出来ない人、やろうとしない人をよく見かけますが、今後日本の伝統芸能に試されているのは最後にはどれだけの器があるかという事だと思えてなりません

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