縁は異なもの2025

やっと秋の風情になりましたね。

この秋は嬉しい動きがいくつかあります。先ずはここ何年かお付き合いのある作家の福田玲子さんが「平家物語創世記」という小説を幻冬舎から出しました。福田さんは若い頃、太宰治賞の次点に入るほどの実力だったのですが、事情で筆を置いていて、ここ5,6年前から作品を発表しはじめました。私は、福田さんが前作「新西行物語」を上梓した頃からのお付き合いなのですが、ここ数年は平家物語誕生の頃の話を生仏(平曲を最初に弾き語った人物)を主人公に描いてみたいという、お話をされていて、少しばかり私の知識等も交え、やり取りをさせてもらって来ました。生き生きとした生仏の姿を通して大きな時代の流れを感じる事が出来ます。是非お読みください。

エスター・ラムネックHP

他に、このところ海外の作曲家の方からいくつか連絡を頂いています。現在NYのエルテル・ラムネックさん、メキシコシティーのアレハンドロ・コラビータさんとのトリオで音源を送りあって、即興的なサウンドコラージュのような作品を創っているのですが、いよいよ佳境に入ってきました。近い内に作品として世に出すことが出来ると思います。乞うご期待!。 また先日はハンガリーのナジ・アコーシュさん、アメリカのマイク・ベルナスキーさんからも連絡があり、一緒に作品作りをしたいとの申し出を頂きました。皆さん電子音楽~現代音楽の専門なのですが、私が2002年にリリースした「MAROBASHI」に収録した石井紘美先生作曲の「HIMOROGI 1 」を聴いてくれているようです。この演奏はドイツのWergoレーベルとロンドンのNaxosレーベルから石井紘美作品集「Wind way」としてリリースされているアルバムに収録されていて、そちらで聴いてくれているようです。リリースが2005年位だったと思いますが、当時はネット配信も無かった時代ですので、電子音楽と琵琶という組み合わせは興味を引いた事と思います。

石井紘美「wind way」より 「HOMOROGI 1」

この「HIMOROGI 1」は私にとっては初めての海外公演の時(2003年)に演奏した曲で、ロンドンシティー大学での演奏会のライブ録音をそのまま収録したものです。石井先生は作曲の師であり、音楽や芸術に対する考え方や音楽家としての姿勢を教えてくれた方で、私の音楽家としての基礎は石井先生の教えで出来上がりました。だから先生の作品をロンドンで初演した時は、結構気合を入れてやりましたね。英語もしゃべることが出来ない私が、琵琶を担いでよくぞまあロンドンまで行って演奏して来たと褒めてやりたい位です。もう20年以上前の事ですが、あの体験が私をここまで導いてくれたように思っています。

他にも以前の仲間と、最近また活発にやり取りをはじめ、これから色々始まりそうで面白くなってきました。 先日の台湾文化センターでの講演・演奏もそうでしたが、色んな事が有機的に繋がり広がって、様々に展開して行くのはワクワクしますね。もう何かに「導かれている」としか思えません。この想いは年々強くなって行きます。

人間は社会の中で生きて行く以上、人と人とのつながりの中で営みをするしかないので、縁に導かれるのは当たり前ではあるのですが、それは自分でコントロールしているというよりも何かの「はからい」に導かれていると言えるのではないでしょうか。思えば琵琶奏者として活動をしてこれまでやって来たのは奇跡みたいなものです。正に導かれて今ここに至るのだとつくづく思います。自分で生きてきたつもりではありますが、今振り返ってみると確かにここ迄導かれたと実感します。まあそれだけ私も年を取ったからこそ、そんな事を思うのだと思いますが、自分という小さな器の中で動いているより、自分の器の外のものがどんどん自分に関わって来て自分では考えもつかないような展開になって行く。根アワクワクして面白い事は無いのです。

先月の佐渡相川春日神社能舞台での創作能「良寛」公演 津村禮次郎先生と

頂いたご縁はじっくりと温めて、丁寧に繋げて来ました。長い時間で考えて行かないと何も始まりませんゆっくりと良い形でお付き合いが出来て行くと、必ずと言って良い程、次なる展開が待っていますね。そんな様々な縁によって今ここに導かれてきたのです。だからこれからが楽しみなのです。

こうした縁や出逢いは運命という事なのでしょうね。哲学者のセネカは「運命は志ある者を導き、志の無き者を引きずって行く」と言っていますが、是非導かれる人生でありたいものです。

教えるという事Ⅳ

やっと朝晩少し涼しくなって体が楽になりました。私は本当に夏に弱いので、今年は難儀でしたね。

今年も良い仕事をさせてもらっていますが、小さなレクチャーやライブなどは少な目なので、その分作曲都これ迄の作品の見直しをしています。独奏曲は良い感じのものが出来舞ましたが、デュオの作品はまだこれからという感じです。またいつもより時間があるのでレッスンも良くやるようになりました。ただ私は看板を上げている訳でもなく流派も名乗っていませんので、私の演奏が気に入ってどうしても教えて欲しいという人だけが集まって来ます。中にはもう舞台で活躍している人も何人か居て、レッスンも楽しくなってきました。

近江楽堂にて 笛の大浦典子さんと

私が教室の看板を上げないのは、自分があくまで舞台人として生きていたので、稽古代の収入をあてにしているような形にしたくないからですね門下生を集めて立派な風を気取っているお教室の先生には成りたくないのです。門下や配下を集め、○○流○○会等と体裁繕っていると、自分の音楽を自由にやって行くのが難しいという事を経験的に感じても居ますので私は常に一音楽家として生きて習ってみたい人には私の出来る事を少し教えるというスタンスが市場なっているように思います邦楽限らず他のジャンルでも門下だの系統だのと言っている人で、自由に自分の音楽を発表している人は見た事がありません。

私にとって音楽活動するという事は、創造するという事です。自分で音楽を創り舞台で聴かせるのはロックやジャズでは当たり前ですし、琵琶だったら永田錦心も水藤錦穰も鶴田錦史も皆同じように自分のオリジナル作品を創り、それを舞台をやっていました。画家や文筆家が自分の創作したものを発表するのと同じです。あくまで作品を創り発表する事です。それ以外にはありません。したがって表面の上手さを売ろう聞かせようとして執心している人の気が私には判りません。お教室で習った「敦盛」を舞台でそのままやるなんて事は私には全く持って考えられませんね。

photo 新藤義久
という具合なので、私の周りには、自然と何時ものスローガン「媚びない・群れない・寄りかからない」の精神を是とする人だけが集まって来てます。流派や組織、系統だの肩書をが気になるような人は、最初から私の所には来ないでしょう。私も手取り足取り教える事はしませんので、私の所に来ている人は皆、自分で課題を見つけてやってきますね。

今の時代、先ずYoutubeを観てリサーチするでしょうし、私の作品を聴けば、私がどういうスタイルで演奏し、何を考え志向しているのかそういう所も解るでしょう。私は来る人に、自分がこの30年程で経験したことを基に、音楽的な事の他、サワリの調整の仕方や、色んな場面での舞台の務め方、繊細な絹絃の扱い等、動画では見えない事を教えます。大体皆さん、曲の表面的な部分等は、教えなくとも動画を観て自分でコピーして来ますので、私はその先を教えているという訳です。

私は薩摩琵琶を古典音楽とは捉えていないので、薩摩琵琶の曲の形式等は教えません。私自身は錦心流で稽古を始めましたので、多少の形式やフレージングなどは習いましたが、それらは次に創るものの参考(踏み台)になった程度です。勿論教えて欲しいという事であれば、私の知る限りに於いて、少しレクチャーしていますが、流派のものを知りたい人は流派に行けばよいだけの事。琵琶を弾くのであったら、先ず何よりも日本の文化への理解考察が第一です。私は新たな人が来ると、最初に古今和歌集とその解説書(鈴木宏子先生のものが解り易く且つ中古でも安いので勧めています)を買うように言います。日本の文化を育んできた歴史や文化の変遷等、そういうものに興味の無い人はどうにも稽古は始められません。私が琵琶を始めた頃、琵琶の会などに行って先輩方々と話をしてみて、歴史や文学に詳しい人があまり居ないのにびっくりしました。私は和歌の一つや二つさらさらと出てくる人が集まっていると思っていましたので、以外に思いましたが、今思えば、それがそのま琵琶樂の衰退を表していたという事ですね。

ゲンロンカフェに手能楽師の安田登先生と

とはいえお茶飲みながら2時間位かけてのんびりしゃべりながらやっているので、全く厳しくやる事は無いですが、撥弦楽器は基本的な技術は同じなので、撥のタッチ等の基本技術はしっかりと教えます。琵琶ではタッチ以上に左指の運指もとても大事で、様々な方法を経験して動かせるようにならないと予定調和の稽古した事しか弾けません。定番のものに安住し、旦那芸に陥って、音楽を創造することが出来なくなったら音楽家としては終わりです。

琵琶を学ぶことで自由に自分の世界を羽ばたかせるようになって欲しいものです

 

ルーツへ

今年の残暑はいつになく厳しいですね。毎年夏になるとクーラーの効いた部屋で「文明は素晴らしい」などと口にするのですが、そんな文明のなかでぬくぬくとしていると、更なる快適をもっと欲しがり、いつしかその「文明」に振り回され、野生などすっかり忘れ去って骨抜きになって行く自分の姿が見えて来るようです何だか麻薬みたいなですね。

先日の台北フィル、イーストアジアミュージックサークルシンポジウムにて 於:台湾文化センター

以前の私は洗練という事を常に求めていました。それはそれでよいと思うのですが、最先端でありたいという想いばかりが強く、30代の頃は琵琶樂をぶっ壊す(以前どこかの政治家が言っていたような)位の感じで、「絶対に俺にしか弾けないものを創るぞ」なんていうつっぱり具合でしたね。

しかし長いこと舞台を飛び回って、アルバムもそれなりにリリースしてくると、だんだん見えて来るものもあるものです。2015年辺りからやっと自分の思い描く琵琶樂の形が具体的に作品となって来た事でその頃から琵琶の音色のもっと奥世界へと視点が向いて行きました。私は若い頃から(今でも)自給自足の暮らしに憧れるような部分が多分にあって、出来ればアーミッシュの村みたいな場所で暮らしたい位なのですが、それがここ10年位で音楽に於いても、原点への思考が加速してきたようです。少しづつ心に余裕が出て、本来の想いが表に出て来たのでしょうね。

鎌倉其中窯にて Photo 川瀬美香

ご存じのように薩摩琵琶は、まだ成立してから100年ちょっとの歴史しかありません。平安時代に確立していた樂琵琶に比べれば出来立てほやほやの新ジャンルです。だから古典でも何でもない大正昭和の軍国時代に作られた曲や形式に固執するなんて事は私にはナンセンス以外の何物でもありません。むしろこれから、そんな軍国時代の遺物を乗り越えて、薩摩琵琶本来の魅力を開拓する時代だと思っています。だからこそ新世代の薩摩琵琶を創り上げる為にも其の原点となる根源的な琵琶の音色や琵琶樂の根理というものを求めたいのです。この根理根源を忘れ、目の前のエンタテイメントに走ってしまったからこそ、琵琶楽や邦楽は衰退してしまったのかもしれません

表面の形を追いかけていたのでは流行に流されるだけで、一事の賑やかし以上にはなりません。表面的な憧れで琵琶法師だの放浪芸だのという形を真似して喜んでいるようなものはただの物真似パフォーマンスです過去の形に寄りかかるその精神が情けない 常に移りゆく時代の中で変わる事無く続いている感性。その感性が「いいな」と思う日本音色こそ私の求める所です。ステーキやワインも美味しいですが風土がこの身体にもたらし、育ててくれた味覚や感性は、どんなに時代が変遷してもずっと同じく受け継がれて来ているのです

Viの田澤明子先生と 琵琶樂人倶楽部にて

かつて日本は大陸の仏教や儒教そして雅楽等の文化を受け入れて、そこから日本独自の文化を形創って、独自の文化を打ち立てました。その日本文化発祥の経緯を見れば、現代、様々な問題は在れど、現状の日本に拘るあまり異文化を拒否するのは不自然です。現実の暮らしは洋服を着て珈琲を飲み、ベッドで寝ているのです。受け入れるものは受け入れ、そこからどうやって日本独自のスタイルを形創り、独自の文化を生み出して行くのかが問われていると私は考えています。

アメカジを着て英語をしゃべって喜んでいるようなただの「かぶれ」親父状態で、異文化に飲み込まれるだけなのか、それとも色んなものを取り入れながら独自のものを創り上げて次世代へ新たな日本文化を想像し渡して行くのか。日本はずっと奈良平安の昔から後者をやって来たではないでしょうか。社会生活の暮らしと共に、形は変化して当然なのですでもその根源にある音色に対する感性は、味覚や感性と同様、この大地から沸き上がるり、受け継がれて来たものでありたいのです。過去の模倣に終始し、過去に寄りかかっている近視眼的な心では、次世代にその音色は届けられないと思うのですが、如何でしょうか。

 

 

 

沈む夕陽

先週、佐渡にて公演してきました。今回は創作舞「良寛」、創作能「トキ」のプログラムで、私はもう10年近くやっている「良寛」の方で演奏して来ました。佐渡の公演では地謡も加わりかなり能仕立てになっていて、場所も能楽堂でしたので、いつもと違った感じで良い刺激を頂きました。

新潟日報記事 https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/676066

津村禮次郎先生、中村明日香さん、一噌幸弘さんらと

当日は薪能のスタイルでしたので、いわゆる野外公演状態。また絃が湿気を吸って、恐ろしい程にチューニングが落ちるのが本当に困りましたが、これも良い経験ですね。そして今回はメイン楽器として分解型薩摩琵琶を使いました。分解型もやっとこの所使えるようになってきて、これからどんどんと活躍してくれそうです。

佐渡は世阿弥が流された事によって能が根付いて行ったのですが、今回の舞台、相川地区の春日神社能舞台は佐渡の能楽発祥の地であり、一番最初に作られた能楽堂だそうです。こういう所で演奏出来るというのは本当に有難いですねこの御縁を大切にして行きたいと思います

海がすぐそこという事もあって、前日には夕日の沈む頃に海辺に行って沈みゆく夕陽を眺めていました。1時間もしない内に夕陽が真っ赤になって沈んで行く様は本当に圧巻で、私のような者でも、何か大いなるものを感じずにはいられませんでしたね。

佐渡の夕陽

この地球の生命活動に抱かれている自分を感じられると、小さな日々の出来事などはあまり気にならなくなります。都会に生きていると大地や地球という生命の土台を考える事も無く、その中で命を与えられているという当たり前の事も感じることなく日々が過ぎて行きます。現代社会の一番の問題は、実はこの人間の生に対する感性の衰えではないでしょうか。もしかすると音楽や芸術というものは人間の根本や土台を改めて呼び覚ます生命装置なのかもしれません。世界中に歌や踊りの無い民族は居ないし、神話を持たない民族も存在しない事を思うと、音楽や芸術は人間と大地を結ぶ行為として、必然的に人間が生み出していったのかもしれないですね。神話などを読んでいると、そんな風に思えて仕方がありません

太陽の動きには躍動的なエネルギーに満ち、日々が止まる事無く移り変わるという不変の法則があり、男性的な象徴ともいえる存在一方月の満ち欠けは女性の身体活動そのもので、満月から新月迄の循環に生死の法則があると言われていますが、そういう自然の動きと我々は同期して我々自身が自然の一部として生きているという事を現代人は忘れてしまいます。生と死を切り離し、生のみに執着している現代人は、結果的に生を自分という小さな器に閉じ込めて、死に向かう事だけを見ている。死があるからこそ生があり、その循環運動こそが自然の営みであるという自然法則を見失っているような気がします。また生死だけでなく正邪も善悪も、総てが内包されているこの地球の法則と姿を我々は今一度思い出す時なのかもしれません。佐渡の夕陽を見つめながら、そんな事を思いました。自分の存在の根本を見失しなえばその意識は「生」や「個」という小さな牢獄の中に留まり結果として小さな牢獄の中に発生する俗欲にかられ果てしなく争いを続けるループの中でうごめいてしまう。今大地を感じ、この地球と共に生きる方向に舵を切れるか。それとも個の欲を滾らせ、目の前の満足を突き進むか。その分岐点に来ているのかもしれません。コロナの数年間を経て人間にその選択を迫られているのだと私は感じています。

出雲崎から佐渡を見つめる場所にある良寛堂

来年再来年とこの美しい夕陽を私たちは観る事が出来るでしょうか是非またこの風景に出逢いたいものです。

お知らせ

2019年にほ放送されたNHKeテレ「100分de名著 平家物語」の再放送があります。9月5日(金) 前1:00~2:40(=9/4(木)25:00~26:40)是非ご覧になってみてください

 

 

 

 

学ぶという事Ⅲ

先日佐渡公演のリハーサルで、津村禮次郎先生の稽古場に行ってきました歩き方一つとってもベテランの方から学ぶことは沢山ありますね。勉強になりました。舞台に立つ以上は、舞台を降りる最後迄、学ぶ姿勢を持っていないと務まりません。言葉をしゃべるような生きて行く上で必要に迫られて勉強という感覚の無いままに会得するものはまた違う面もあると思いますが、武術や琵琶の演奏ような生活とは別の所にあるものは、学び方の違いで大きな差となって出て来ます。

生活して行く上で琵琶など弾けなくても問題は無いし、武術が出来なくても普段は困りません。こういった特殊な能力を得る為には師匠に就いたり、教則本を見たりしながら勉強するのですが、学ぶという事全体に一番大切なのは、心の持ち方ではないかと私は思っています。

人形町楽琵会にて 津村禮次郎先生と

武道では「師をみるな、師のみているものをみよ」なんてよく言われますが、これは師に就いて勉強している人にとって、最大の、そして最高の言葉だろうと思います。師を見ている内は、弟子の視点でからしか見ていない。表面の形は見えていても、その先やその奥は弟子にはまだ見えないし、感じる事も出来ないので、常に弟子の持っている基準点からしか解釈することが出来ません。つまり見ている世界が小さいのです。したがってそこに留まっている以上、その質はいつまで経っても深まりません。衰退して行く芸能などは、皆形しか見えなくなって、表面を真似る事に甘んじ、その先の世界を感じる事が出来ず、劣化が進み衰退して行くのです

考えればわかる事ですが、いくら師に就いて習った所で、師と同じになる訳がありません。武道を習っても誰も宮本武蔵のようには成れません。しかし武蔵の「観て」いた世界、武蔵が感じていたその心情を共感を持って共有する事が出来たら、自分なりのやり方を見つけ、自分独自の世界を獲得することが出来るでしょう。武蔵は「観の目強く、見の目弱く」と「五輪書」で書いていますが、見た目を追いかける事よりも、目に見えない事を感じる力が重要です。これは音楽も同じで、技の先、もっと言えば音楽のもっと先の世界を感じられないと、ただの技芸にしかなりません。上手を目指している地は、お稽古事の域に居るという事です。師匠の形を真似る事はその初歩として良い事です。しかしその先に進んで行けるかどうかで大きな差が出て来ます。芸事では「守・破・離」という言葉が有名ですが、離の先を観ることが出来て初めて「創る」事が出来るのです。

武道も音楽も、師匠と自分では人格も体格も性別も年齢も環境も違うのですから、自分が師匠と同じになる事はあり得ません。武蔵はかなり大柄な人で、その腕力も並外れていたそうですが、師匠に出来て自分に出来ない事が何なのか、そこを判らなければ上達はしません邦楽では師匠の声色から歌い癖までそっくりになる迄やることが修行であり、頑張る事だと思っている人が多いですが、師匠と同じになる事を只管目指して、そこで終わってしまう人は、自身の憧れに囚われ、がんばっている自分に酔っているだけで、自分という存在が把握できていないという事です。まあその程度やれば小さな世界では、れなりに名前も知られるようになると思います。伝統・伝承などと理屈を付けて自分を納得させ、肩書の看板挙げて先生になる位を見据えているのならそれもまた人生かと思いますが、そういった事と音楽とは全くの別物。色んなものに囚われていると、音楽でも武術でもその本質も根理も判らなくなってしまうのです。表面の形を脱し、師匠が見ていただろう世界を何らかの形で共感し得て初めて、自分が創って行く境地に至るもの。その創り上げるという行為を本来は修行というのではないでしょうか。

考えてみれば、私が憧れた人たちは皆、誰にも似ていません。夫々に師に就いたり、参考にする先人が居た事でしょう。でもその表面の技を真似る所で終わらず、自分のスタイルを創り上げ、自分のやり方を見つける事が出来たからこそ、他の物真似でない、独自の世界を表現できたのです。ジャズでもロックでも、ジャンル関係なく自分の世界を創り上げた人だけが音楽家として認められて行くのです。

永田錦心や鶴田錦史は誰かに似ていましたか。マイルスやコルトレーンはどうですか。ジミヘンは、ピアソラは、皆誰にも無い独自のものを創り上げたではありませんか。そういう人に憧れて音楽を始めたのに、その志・精神を受け継がず、表面ばかりを追いかけ、師匠そっくりに上手に弾く事を目指してしまう。そんな先人達が今の弟子の姿を見たらどう思うでしょうか。自分を乗り越え新たな世界を創り上げる弟子こそが真の後継者であり、それを望んでいたのではないでしょうか。是非次世代を担う若者には、自分の世界を創り上げる努力を一生続けて行くのが音楽家だという事を自覚して欲しい。

音楽家は華やかな舞台の裏側に、大いなる孤独も感じる事でしょう。経済的な面も結構厳しく、世の常識の基準ではなかなか生きて行けません。でも偉大なる先人、西行は孤独で漂泊者でもありましたが、その心には孤独な人生への感謝と自分が理想とする世界への追求に満たされて、とても豊かだったのではないでしょうか。森有正は「孤独は孤独であるが故に貴いのではなく、運命によってそれが与えられた時に貴いのである」と書きましたが、表面を飾って虚勢を張って体裁を付け、その場を褒められて自分の心をごまかしている限り、自分の世界は捉えることは出来ません。

例え評価されなくとも、自分の世界をどこまでも追及する姿勢を忘れないで欲しいですね。それが「学ぶ」という事だと私は思います。

「見上げる空は一つなれど果て無し」

 

 

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.