春の彷徨2021

外では梅の花も咲き出しているというのに、何とも味気ない年明けになってしまいましたね。
先日お知らせしたように、プラネタリュウムでの演奏会も延期となり、近々は毎月定例の琵琶樂人倶楽部、そして配信ライブのみになっています。

今はもう無くなってしまった吉野梅郷の梅(8年ほど前)

こういう時間はのんびりとしている訳ですが、実はのんびりとしているようで、無意識の世界では、自分のヴィジョンに向かって着々と仕事が進んでいるそうです。無意識こそはクリエイティブで、have toではなくwant toで普段から考えていることは、きっちりと手助けしてくれるみたいです。私みたいに毎日ぶらぶらしている人間には何とも朗報ですな。
何事も先ずは想う所から始まりますが、自分がどうしたいのかという明確なヴィジョンさえしっかりしていれば、無理に頭をひねらずとも、無意識下で想いが成就するように働いてくれるというから嬉しいじゃないですか。そして無意識下の仕事が整うと、突然ひらめきとして意識上にアイデアが浮かび、具体的な発想が沸いて出てくるそうです。
この所の私は、ぶらぶらしながらも、映画なんか観ていると、ハッと普段から気になっていた部分が頭の中に浮かんで来て、急に譜面を引っ張り出したり、琵琶をいじったりしています。「あの曲のあの部分」なんて具合に閃くんですよ。突然メロディーが流れ出すこともしばしば。無意識最高ですね。
しかし現代人はなかなかゆったりと時間を過ごせない。24時間スマホやPCに振り回されていては、無意識の領域は働いてくれませんね。

以前の記事で論語の「而」について書きました。無意識下にwant toがあれば、きっと何かが現れてくるのではないでしょうか。

この魔術的時間を信じて、漂う時の流れに身をゆだねている位でないと、良いアイデアは出て来ません。一生懸命考えれば何か創り出せるというのは本人の自己満足でしかないと私は思うのです。
実はこの何もしない時間を過ごせるかどうかが、私の中では一つの基準となっています。自分がゆったりと過ごせていれば、必ず何かがひらめいて曲が出来上がる。今迄私はずっとそうやって作品を創って、舞台をやって来ました。しかし毎日演奏会続きで、しかも自分の作品でない新作をやらなくてはならないような時や、何か焦りのようなものが自分の中にある時は、どうにも落ち着かないし、創作も進みません。常に追われていると精神的にも良くありませんね。昼間からビール飲んでいられるくらいがちょうど良いのです。
毎度の呟きですが、今一番の関心はやはり作曲ですね。昨年作った独奏曲ももう少しブラッシュアップしたいのと、洋楽器とのデュオによる現代曲をぜひとももう一曲創りたいです。
来月の頭にはヴァイオリン・尺八・琵琶による配信のライブをやります。2,3年前から、時々この組み合わせでやっているのですが、演目にヴァリエーションが出て、とてもいい感じなのです。樂琵琶を使ったデュオ作品はもう大分そろっていますので、薩摩琵琶を使ったデュオ作品をもうちょっと増やして、独奏曲も完成させると、自分が理想とする演奏会の姿が出来上がりそうです。

それにしても今後どうなって行くのでしょう。時代の流れに乗ることは必要ですが、表面だけ乗っても、意識が変わらなければ結局淘汰されてしまいます。時代と共に在ることは必要ですが、流行に乗る必要はないと思います。
私はネット配信は、これから絶対に必要だと思っていましたので一早く始めましたが、エクセルやパワーポイント、フォトショップなどは今迄使ったことがありません。車の運転も出来ないし、SNSも全くやっていません。それらは私に必要が無いからです。それぞれ少しばかり使ったことはありますが、自分には必要ないと判断しました。何事に於いても皆一緒に横並びが好きな現代日本人は、皆がやっているからやる、それが「普通」だ、それが出来ないのは遅れている等というような同調圧力感覚が異常に強いですが、もうそろそろそういう村意識は捨てないと、これからの時代は、溢れかえるガジェットや、メディア情報に振り回されるだけで、とても自分の人生を生きて行けないのではないかと感じています。

琵琶樂人倶楽部にて photo新藤義久
「風の時代」に入ったとよく言われますね。これからは「個」が重要なポイントだと言われていますが、自分が何をしたいのか、どうやって生きて行きたいのか、自分で感じ、考え、自分に必要なものを自分で選択して行く時だと思いませんか。

個人と世界がネットを介し繋がっている現代では、まず自分自身が個として生きて行く。それを前提として、初めて周りと手をつなぎ、調和し、想いを共有して行く。今迄の様に、他との比較の中で自分を測り、自軸を持たずに生きていては、いつまで経っても「地の時代」から抜け出せないのではないでしょうか。

〇〇会社の私ではなく、○○流の私でもなく、私は唯一無二の存在として、この時代を生きて行くという位でいいのではないかと思いますね。せっかく素晴らしい風土と歴史のある土地に生まれたのですから、大いにその素晴らしさを享受して、自然と共に、世界と繋がって生きたいと思いませんか。それには他人が与えてくれた肩書や権威ではなく、自軸で「個」として生きることが出来るかどうか。そこが一番のポイントだと私は思います。これなくして無意識の世界も動かないのではないか、と思っています。
こういう事が「風の時代」に入って、はっきりと眼に見えるようになって来たのです。流行に乗る事ではありません。時代と共に在りながらも周りに振り回されてはいけない。
自分の時間を大切に生きて、無意識の領域を存分に働かせようじゃありませんか。ぶれない自軸で、大いにゆったりと生きたいものです。
私はのんびりゆったり出来るという事が、一つの大きな才能だと思っています。
素敵な音楽を創って行きたいですね。

古典のススメ

東京では、新年早々に緊急事態宣言が出てしまいました。本当にこれからどうなって行くのでしょうね。

ギャラクシティー2021

biwa-no-e2先ずはお知らせが二つあります。毎月やっている
琵琶樂人倶楽部ですが、開演時間を1時間繰り上げて、
18時30分にしました。20時までには終了するようにいたします。時間のお間違えのないようお願いいたします。

そして、23日のギャラクシティープラネタリュウムでの「銀河鉄道の夜」公演ですが、残念なことに今回は延期となってしまいました。主催側は夏頃にはやりたいとのことでしたが、まだいつになるかは未定の状態です。当日プラネタリュウムとの共演を楽しみにしていてくれた皆さま、是非夏にお逢いしましょう。
今年も昨年と同じく、周りの仲間の公演も中止や変更など、かなりばたばたと事態が動いていますが、目に見えないウイルスというのは、本当にどう対処して良いのやら判りませんね。政府が出したルールを守っていれば安全安心というのなら良いのですが、全くそうではないし・・・。
ヨーロッパに居る友人とメールでやり取りしていると、かの地では「コロナと戦う」「VSコロナ」という感じが強いそうです。それが良いかどうかは別として、日本では「何とかなるだろう」という気分が強いですね。情報も錯綜していて、自分ではなかなか判断が出来ませんが、とにかく早く収まるのを祈るばかりです。

現代は全てに於いて物事のヴィジュアル化が進んで、皆目からの情報を得るようになって来ましたので、コロナウイルスのような目に見えないものは対処が難しいのでしょうね。科学的エビデンスなどといわれていますが、そのエビデンス自体が多方向から、まるで違った内容が流れて来ては、どうにもなりません。ヴィジュアルや情報中心に生きている現代人にとって、厳しい現実だと思います。
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昨年12月の琵琶樂人倶楽部にて、安田登先生と「橋合戦」上演中

私にはコロナウイルスの対処は判りませんが、この「禍の時代」といわれる今、現代のヴィジュアル優先、ネット情報優先の生活を見直して、日々の暮らしの中に想像力を働かせ、一人一人の感性や感覚を敏感にして高めて行くのが重要ではないかと思っています。
では、そうするにはどうすれば良いのでしょう?。突拍子もないと思うかもしれませんが、想像力を高めるために是非古典を読んでみて欲しいのです。何を呑気なこと言っているんだ、なんて言われそうですが、想像力を高めるためにはぴったりなんですよ。

古典文学には、実に音の描写が多いのです。昔は映像媒体が無い分、目よりも音によって物事の存在を感じる感性だったのです。リスナーの心の中に絵が浮んで来るように音で描写するのが一般的だったのでしょうね。映像が無いと現代人は物足りないと思うかもしれませんが映像を出してしまうと、その絵にイメージが限定されて、そこからさらに先に想像力が働かないのです。

たとえば「月の夜に」と書かれていたら、人それぞれ色んな情景を思い浮かべるでしょう。時代が変われば感性も違うので、鎌倉時代に生きていた人と現代の人では、それぞれ違う月が出てくるでしょうね。内容に対する解釈も人によって時代によって変わってきます。しかしそれでも尚魅力が尽きない。あらゆる角度からのアプローチも受け止めることが出来る。それくらい懐が大きく面白い。だからこそ古典は残っているのです。
近世の江戸時代辺りになると、古典に対する姿勢もだんだん変わってきます。能の様に抽象性が強いと、脳内VRが発動して受け手側が自分で情景やら、背景やら色んな事を想像して行く方向に向くのですが、歌舞伎になると、とにかく見て楽しいエンタテイメント色が強くなります。観客の想像力を掻き立てる演出も多いですが、舞台セットなどのヴィジュアルが豊富になりますので情景背景などは目からの情報になり、想像力はは登場人物の心情の方に向かいますね。同じ古典でも、色々な描き方がり、また様々な接し方があるのです。それが古典の魅力です。

実際平家物語も近世以降は、だんだん今でいう大河ドラマのようなものとして受け入れて行ったのではないでしょか。安田登先生とよくやっている平家物語の最初の合戦「橋合戦」などは、「矢切の但馬」「筒井の浄妙明秀」「一来法師」「足利又太郎忠綱」等々、独自のキャラを持ったスターが次々に出てきて実にドラマチックで面白いです。
真逆としては、ラストにある「大原御幸」など景色の描写しかないのに、それを読んでいると建礼門院の心情が、何ともこちらに満ちてくるんですよ。この振れ幅。日本人ならではの感性ですね。こうして、様々な形で古典に接して行くと想像力はどんどんと膨らんできて、且つ楽しめます。是非古典を読んで心を豊かにしてもらいたいものです。
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2020年おおぶこもれびホールにて、安田登先生、玉川奈々福さんと

現実社会を見ていると、目の前にある出来事しか見ない人が多いように思います。古典なんて高齢者の趣味位に思っている人も多いかもしれませんが、合理性ばかりを追求し、目の前を楽しませることばかりに囚われ、直ぐに役に立つことだけをやろうとして行くと、世の中に弾力がどんどんと無くなってしまうと思うのは私だけではないでしょう。何も古典の勉強をするというのではなく、接して楽しめばよいのです。何の役にも立たないと思われていた事が、次世代を創り出す技術のきっかけになることも沢山あります。古典にはそのきっかけが詰まっていると思うのですがね・・・。

薩摩琵琶の明治~大正期に創られた曲に「送別」という曲があります。私も30代の頃は得意になって歌っていました。永田錦心の演奏で知られていますが、その曲中に王維の作ったこんな漢詩が入っています。

渭城の朝雨 軽塵を浥す 
客舎青青 柳色新たなり 
君に勧む更に尽くせ 一杯の酒 
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん

この時代辺りまでは、まだ古典が当時の社会と繋がっていたのでしょうね。今の世の中から、こんな詩は生まれ来るとは思えません。スマホをいじってSNSで「いいね」を押し合って表面だけで繋がっている人に、この漢詩に立ち現れる深い友情があるでしょうか。酒なんか飲んでいるのは、無駄で、現実からの逃避だと切り捨てる事も出来ますが、酒も無い世の中だったら、こんな情感豊かな詩は生まれて来ませんね。

豪華な暮らしをするだとか、金持ちになるだとか、そんなちまちました現世の枠中の幻想に振り回され、「成功」や「勝ち組」等という虚実を追いかけ、自分の目の前の欲を満足させるだけでは、何とも薄い人生の様に私は感じますね。そんな世の流行に振り回されているような生き方ではなく、豊かでダイナミックな世界に生きたいし、そんな俗な価値観を次世代に伝えたくはありません。

科学技術でも経済でも芸術でも、そこには大きな「夢」があり、人間同士の繋がりがあるのです。古典には先人の夢や営み等、物語を通して人の本来あるべき姿が描かれています。またそれは時代を超えて共感出来るものだから残っているものなので、一つの時代だけに通用するものではないのです。考えてみれば、先人が連綿とそれらの日本人の生きる根幹ともいえるものを繋いでくれたからこそ、この現代日本があるのではないですか。
この状況になって、お上に従っているだけでは解決にならないという事は、皆が実感しているのではないでしょうか。誰かに言われたから従うのではなく、自分で考え、何が大事なのか、自分はどうして行きたいのか、何故そうしたいのか。そういう想いがなければ、何の問題の解決にもなりません。古典に接する事で、どんな時代でも変わらない、人の生きる姿勢を確認し、目の前の事象に対して想像力を持って接して欲しい。と私は思うのです。
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ストライプハウスにて

今こそ、古典に目を向けるべきだと私は思います。このとんでもない現実に、おめでたいと思う人もいると思いますが、過去を知らない人間には次の時代を創り出すことは出来ないのです。目の前の現実を何とかするのは大事なのですが、想像力が欠如した対処は、逆作用しかねない。
また自分の見える所しか見ずに、自分の言っていることが正しいと主張している専門家が多いですが、多少の経験があるが故に、自分の見えている部分以外が「虚」になってしまう例もよくあります。
このブログでは宮本武蔵の「観の目強く 見の目弱く」という言葉をよく引用しますが、目の前しか見えない状態に陥ると、とても危ういのです。

「禍」の時代だからこそ、古典を見直し未来への想像力を豊かにして行くことを、是非お勧めしたいですね。

春の日差しの中で

今年も年が明け、東京では清々しい朝を迎えました。雲一つない天気が1日2日と続き、正に春の日差しを感じるような晴天となりました。日本海側では大雪だそうで、大変な事と思います。是非お気を付け下さい。

昨年からの状況もあり、今年は年賀状も失礼して、静かに過ごしています。早々に新年の挨拶を頂いた方には、改めてお返事を書きたいと思っております。

昨年秋の金沢能楽美術館にて、能楽師の安田登先生、俳優の佐藤蕗子さんと

昨年はお仕事は順調だったのですが、作曲があまり進まず、色々と創ったものの、形になった曲が少なかったので、今年は作品創りを第一としたいと思います。そしてそれをレコーディングまで持って行きたいですね。今録音しておきたい曲が約10曲程溜まっていますので、先ずはこれらの曲をもう少し推敲して、夏以降には録音・演奏がやれるように何とかしたいと思っています。そのための準備に早速取り掛かろうと思います。

年末からずっと色んな事を考えて、多くのキーワードやアイデアが湧いてきているのですが、物事は自然な流れに任せるのが一番。今は「風の時代」ですから、とどまるのは時代にそぐわない。そよ風だろうが、突風だろうが、時代と共に沸き起こる自然な流れを大切にして、更に次のステップの事もしっかり考えて行動して行きたいと思います。

今年は先ず、昨年に引き続きギャラクシティープラネタリュウムドームにて、1月23日に「銀河鉄道の夜」を上演いたします。(画像がちょっと小さくてすいません)

ギャラクシティーは、私が琵琶弾きになる前に映写技師として働いていた劇場で、約25年程前この劇場の立ち上げの時のメンバーでした。5,6年程で私はプロの演奏家の道へ進みましたが、20年の時を経て一昨年また縁があって、昨年2月に演奏させていただきました。その時はもう気分はニューシネマパラダイスのトトみたいな感じでしたね。何とも感慨深い演奏会でした。左の写真がその時のものなのですが、今回のチラシにこの写真が使われました。
今年は安田登先生を中心に、こんなメンバーが揃います。

能楽師:安田 登
琵琶奏者:塩高 和之
語り:佐藤 蕗子
チェロ:新井 光子
キーボード:ヲノ サトル
アコーディオン:玉井 夕海

面白くなりそうです。

そして今年も琵琶樂人倶楽部のスケジュールが大体出そろいました。若干の変更はあるかと思いますが、以下のスケジュールでやりますので、是非お越しください。19時30分開演、1000円珈琲付き。8月のSPレコードコンサートのみ18時00分開演です。

1月13日(水) Live 「春を寿ぐ歌」 ゲスト:保多由子(Ms) 長谷川美鈴(笛)
2月10日(水) レクチャー&Live「現代の琵琶樂」 ゲスト:田澤明子(Vn)
3月10日(水) Live「次代を担う奏者達Ⅸ」ゲスト:石橋旭姫(筑前)
4月14日(水) レクチャー&Live「琵琶フロムシルクロード」ゲスト:神谷和泉(フルート)
5月12日(水) Live「薩摩琵琶で聴く平家物語」ゲスト:未定
6月09日(水) レクチャー&Live 「筑前琵琶の世界」ゲスト:平野多美恵(筑前)
7月14日(水) Live「琵琶歌の新しき世界」ゲスト:保多由子(Ms)
8月15日(日) SPレコードコンサート(8月のみ第三日曜 18時00分開演)
9月08日(水) レクチャー&Live「琵琶樂の歴史と変遷」
10月13日(水)  Live 「語り物の系譜Vol.14」ゲスト:櫛部妙有(朗読)
11月10日(水)  Live 内容未定
12月08日(水)  Live「お楽しみ企画」ゲスト:未定
昨年秋のライブ 赤坂見附「ゆううん」にて。メゾソプラノ保多由子先生、尺八藤田晄聖君と

今年がどうなって行くかは私には予想が尽きません。国内だけを見ていても、もうどうにもならない時代ですので、アメリカやアジアの動きがそのまま日本に影響してくるでしょう。しかしどうなろうとも私は琵琶を弾いている事だけは確かです。かつてオリヴィエ・メシアンが、収容所の中で「世の終わりの為の四重奏曲」を書いたように、どんな状況になっても自分の行くべき道を行く、それしかないと思っています。

今年もよろしくお願い申し上げます。

2020年 主な年間活動記録

2020年、主な活動記録

今年もお世話になりました2020

年内の仕事は終わりました。最後の2本は収録の仕事だったので、演奏会をやった後のような高揚感が無く、何だか妙な仕事納めでした。

今年は音楽の在り方が随分と変わりましたね。演奏会という形態自体がほとんどなくなり、配信がやたらと増えました。私も「あうるすぽっと」主催のもの、最近では「金沢能楽美術館」主催のもの、そして先日紹介した新宿区主催のものを配信させてもらっていますが、私の世代ですと、今迄はリアルがあるからこそ、ヴァーチャルである動画というものが成り立っていたと思うのです。下に10代の頃に憧れたミュージシャンたちの写真を張りましたが、子供の頃はリアルに見ることのできない海外のミュージシャンの映像などTVで放送していると、食い入るように見ていました。NHKでYesのライブを流していた時にはびっくりしましたし、ジミヘンのライブなんか、見ているだけで成りきっていましたね。部屋にはLPジャケットを飾り、ポスターを張って、NYのジャズクラブで演奏している自分を想像しながら、毎日朝から晩までLPレコードをずっと聞いていました。今ではyoutubeで何でも観ることが出来ますが、当時の動画は少年の心を直接刺激する、あまりに強力な媒体だったのです。

それに比べ昨今の動画作品は、生演奏の安易な代用品という感じがどうしてもしてしまいますね。しかしもう時代は、リアル・ヴァーチャルという境界も超えて行くのでしょう。既に80年代初頭のMTVなんかが先駆けだったのでしょうね。バグルスの「ラジオスターの悲劇」なんかを見た方も多いでしょう。あの頃から映像でしか表現できない音楽作品も沢山出来ていますし、映像に対する想いも価値観も、今後どんどんと変化して行くのでしょう。私は時代に追いついて行けるのかな・・。

私は今年一年、本当にありがたいことに沢山の仕事を頂きました。全て自分のスタイルで曲を付け、即興をして仕事をさせてもらったので、本当に感謝しかないです。ただこれ迄の様に自分の作品を演奏する演奏会は、ほとんど開けませんでした。定例の琵琶樂人倶楽部はやっていましたが、日本橋富沢町楽琵会の方は2月にやっただけで、来年以降も休止となっています。上半期には自分の作品を演奏する演奏会を色々と予定していたのですが、結局全て中止になってしまい、下半期は世の状況としても予定を立てられず、また仕事の演奏が色々と入っていたこともあって、自分の演奏会は開けませんでした。仕事としては成り立ちましたが、活動としてはどうにも中途半端な形になってしまったのが残念です。来年は地味であっても、もう少し確実に自分の音楽を発表していけるよう頑張りたいですね。
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左:琵琶樂人倶楽部にて、中:日本橋富沢町楽琵会にて、右:六本木ストライプハウスにて いずれもphoto:新藤義久

琵琶樂人倶楽部も内容を更に充実させて、少し今年とは内容も方向も変えて行こうと思っています。今年も色んな曲を創り、数は少ないですがレパートリーとして定着したものも出来上がり嬉しく思っています。やはり私は曲を創って、弾くところまでやってはじめて、自分の音楽活動が成り立ちますので、来年は更なる曲創りとパフォーマンスに徹したいですね。

毎年年末には一年を振り返り、その都度課題が見えてくるのですが、お陰様で悪い方向には行っていません。そして年を経るごとに自分の姿が見えて来ます。音楽に限りませんが、結局やればやるほどに自分自身になって行くという事を感じていまして、人間=音楽という位に成りたいなと思っています。言い換えれば、音楽そのものも活動も、私という人間が豊かでなければ、音楽も大したものは創れないという事だと思っています。だからもっともっと自分自身が豊かになって行きたいのです。
今年は多くの良き機会を頂き、経験も見聞も広がり、多くの人ともつながりが出来ました。本当にありがたく思っています。是非来年もこの勢いを繋げて行きたいですね。

葛城 高鴨神社の池

そして今年は、私の周りの方々の訃報が相次ぎました。コロナ関連ではなかったのですが、私の年齢になれば、自然と旅立つ友人知人も増えて行きます。訃報に接する度に、様々な想いが湧き上がるのですが、悲しさよりも、かえって自分に与えられた運命は何なのか、と感じることが多くなりました。
人間は色んな側面を持っているし、人によってそれぞれに、自分でも捉えきれないほどの様々な想いを持っています。それ故、数えきれない人々の想念が社会に張り巡らされ、そのカオスの中に生きているのが人間だと常々思っています。生かされているとは、そのカオスの中に身を置いているという事であり、そのカオスを身の周りに作り出すのもまた自分自身であると思っています。つまり自分の妄執を自分で生み出しているのが、人間なのかもしれません。

そのカオスの中で、唯一生死こそが、自分だけのものなのです。生きるのも死ぬのも誰かに代ってもらう事は出来ません。現世に生きる我々は、物やお金など目に
見えるもので何事も判断しがちですが、所詮そんなものは自分自身ではないし、名誉や肩書などは一定のルールの中で他人からもらった幻想に過ぎない。場所や時代が変われば、英雄も犯罪者になってしまうのが世の中というもの。そんな幻想に身を置いて振り回されていたら、いつまで経っても迷いの中を彷徨っているだけです。
現世に於いて他人から恨まれようが好かれようが、自分の人生は自分しか生きられない。そして死もまた自分でしか体験することは出来ません。
良寛さんでは無いですが、人は死ぬべき時に死ぬのです。その死に方も生まれ方も運命であり、自分で望んだ形にはなりません。西行の様に死を思うような形にした人もいるのでしょうが、それすら運命といってよいでしょう。だからこのカオスの中で生かされている自分の命と、与えられた運命を感じ、自分の生を生きない限り、自分の人生は全うできないと、私は思っています。。

さて、来年一年の琵琶樂人倶楽部のスケジュールがほぼ決まりました。少し未定な所や、上述したようにもう少し考え内容を変更して行くところも出てくると思いますが、大体この内容でやりますので是非お越しいただきたいと思っています。

琵琶樂人倶楽部 
 
来年も琵琶の音が響き渡りますように。

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