Eruption

エドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなりました。

ヴァンヘイレン1

琵琶人にとっては、どうでも良い話かもしれません。しかし私にとっては大きな大きな時代の節目なのです。このブログでもヴァンヘイレンについては色々と書いてきましたが、やはりジミヘン以降、その爆発的なテクニックとスタイルで、時代を一気に次の段階へと推し進めた、その事実はこれからも語り継がれてゆくでしょう。
私の琵琶は、ヴァンヘイレンの1stアルバムの中に収録されている「Eruption」の音を基に設計されました。あの唸る低音と、他の追随を許さない圧倒的な音の煌めきと存在感。新たな時代を告げる最先端のセンスは、正に私が琵琶に求めたものと一致したのです。ライトハンド奏法や斬新なアーミングという新しいテクニックは、驚く以外に何があるだろう、という位凄いの衝撃で、彼の登場以前と以降では、歴史区分が変わるほどの大きなターニングポイントとなったのです。ギター本体にも大きな変化あり、今では当たり前になっているパーツもヴァンヘイレンから一般的になりました。その変化は、平安から鎌倉に移るくらいのインパクトがありましたね。

イルホムまろばし10sウズベキスタンのイルホム劇場にて、アルチョム・キム率いるオムニバスアンサンブルと、拙作「まろばし」演奏中
もう30年近く前、私は琵琶の音に惹かれて琵琶を始めたのですが、いざ演奏会に行っても、とにかく皆さん琵琶を弾かずに、顔を真っ赤にして歌っているばかり。そしてその音程はかなり調子っぱずれで、歌詞は戦争や人が死んでゆく話ばかり。正直本当にがっかりしました。ギターだろうがピアノだろうが、音楽が良くなければ、誰でも聴きたくはないですよね。ジャズをやっていた人間からすると、これだけ魅力的な音色を持っている楽器を手にしているのに、自分の音楽を創ろうとせず、歌に意識が行ってしまって楽器を弾こうとしない事に、全く持って理解不能でした。更に付け加えるとやたらと〇〇流だの、何とか先生だのという会話もうんざりでしたね。そんな状況を、琵琶を手にした最初に目の当たりにしたので、私は早い段階から流派を離れて活動しているのです。20年以上プロとして活動をしてきて、全ての仕事で自分の作曲した曲を演奏して活動していますが、我が道を貫いて来て、本当に良かったと思っています。

とにかく声と切り離して、琵琶の音を聴かせたかった。これだけ魅力的な音色を持っているのに、何故それを響かせようとしないのか、未だに不思議です。弾き語りというのは、語るべき強い想いのある人には有効なスタイルだと思いますが、歌手や語り手としてみたら半人前以上にしかならないし、楽器の演奏者として見ても、到底高いレベルには至らない。やる側に、ボブディランやジョンレノンの様に語るべき大きな世界があってこそ成り立つスタイルです。お稽古で習った曲を得意になってやっても、誰も聞いてはくれません。私は琵琶の、あの妙なる音を、とにかく大いに響かせたかったのです。

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左:キッドアイラックアートホールにて灰野敬二、田中黎山各氏と。中:季楽堂にて吉岡龍見さんと。
右:みずとひにて安田登先生と

器楽としての琵琶樂を最初から標榜している私としては、先ず器楽演奏に耐えられる楽器を作る所から始めました。ヴァンヘイレンがフロイトローズのアームユニットを取り付けたようなものです。先ず自分で大体の設計をして、琵琶製作者の石田克佳さんに依頼しました。石田さんに細かい所を見直してもらって、色々なやり取りの末、製作してもらったのですが、その時頭に描いていたのが、ヴァンヘイレンの「Eruption」です。多分石田さんにも聴かせたと思います。能管や尺八と一緒にやっても対等に渡り合える音量・音圧、そして一音の存在感。これがどうしても必要でした。従来の薩摩琵琶は弾き語りの伴奏という発想しかなかったので、ここがとにかく音が弱々しかったのです。私は、薩摩琵琶のポテンシャルの高さを感じていたし、この魅惑的な音色を何とか、全面トップに持って行き、これから始まる琵琶の新時代にふさわしい機能と質を持った楽器として薩摩琵琶を再生したかったのです。

IMGP0652この塩高モデルのお陰で私は1stアルバム「Orientaleyes」を作り、第一曲目に今でも私の代表曲である「まろばし」を冠し、世に打って出たのです。かなり遅いデビューではありますが、やっと私の考える音楽が具現化して、それをCDで出す事が出来るという事が本当に嬉しかったですね。
国内では今でも毎月の様に、また海外でも行く度に「まろばし」を演奏してきました。薩摩琵琶の演奏会で「まろばし」を演奏しないという事はまずありえません。残念ながらヴァンヘイレンの様に世界中に広まることは無かったですが、この塩高モデルのお陰で「まろばし」が出来上がり、私は器楽としての琵琶樂をやって行く決心がつき、これまでずっとやって来れました。
これを作った時は私も石田さんもまだ30代。お互い若かったですが、あの頃の勢いがあったからこその今だと思っています。





これまで多くの天才たちが、新たな時代を創り上げ、時代を創って行きました。日本では世阿弥や利休、芭蕉。琵琶でしたら永田錦心。ジャズならマイルスやオーネット・コールマン。タンゴならピアソラ。クラシックならバルトークやドビュッシー・・・・。キリがないですが、エドワード・ヴァン・ヘイレンもその一人。ブリティッシュの色が強く、重く暗かった当時のロックを一気に明るく、リズミックにアメリカンなセンスに塗り替え、アドリブに使うスケールもブルーノート一辺倒から、ダイアトニックなどを意識したメロディーラインに変えていったのがヴァンヘイレンです。今では当たり前のテクニックも楽器のハードな面も皆、彼から始まったのです。私の琵琶人生もエドワード・ヴァン・ヘイレンなくしてあり得ません。彼のあのギターの音があったからこそ、器楽としての琵琶の音楽を創り、これまでやって来れたと思っています。


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左:大型琵琶が出来上がった頃、かつて日暮里にあった邦楽ジャーナル倶楽部 和音にて、
左:現在の私 日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師 津村禮次郎先生と(photo新藤義久)

今夜はCDを聴きながら、ゆっくりと振り返っています。やすらかに。

2020年10月06日(火)品川シルバー大学「琵琶樂の伝統と発展Ⅰ」

<終了しました>

場所:荏原文化センター大ホール
時間:14時00分から16時00分
演目:レクチャー「古代から中世における琵琶樂の姿」
   演奏 秘曲啄木 越天楽 他
出演:塩高和之(樂琵琶・レクチャー)大浦典子(龍笛)

問合せ:品川区文化スポーツ振興部文化観光課 生涯学習係 
    シルバー大学活き活きコース
    03ー5742ー6837 kuratsune@city.shinagawa.tokyo.jp

2020年10月03日(土)プルワリライブ

<終了しました>

場所:プルワリ(狛江駅南口すぐ)
時間:18時00分開演
料金:2500円(ワンドリンク付)
出演:塩高和之(樂琵琶) 神谷和泉(フルート)
演目:塔里木旋回舞曲 Sorocco  ルナリアンダンス 他
問い合わせ:オフィスオリエンタルアイズ  orientaleyes40@yahoo.co.jp

2020年09月27日(日)YUUN Special Live&公開生配信

<終了しました>

場所:赤坂ドイツワインバー ゆううん
時間:12時30分開場 14時00分開演  配信は14時:00分同時スタート 
   ゆううんチャンネル
   https://www.youtube.com/channel/UCpjzAcZ7vm9pu2O8W0N9IpQ

料金:7000円お料理付き 限定10名様
出演:塩高和之(琵琶) 保多由子(メゾソプラノ) 藤田晄聖(尺八)
演目:西風 風の宴 風の記憶 まろばし 花の行方~Ave Maria  朝の雨 他

問合せ:ゆううん(港区赤坂4ー2ー2赤坂鳳月堂本店ビル5F)
    Tel:03-6426-5978 Mail:akasaka@yu-un.com
HP: http://www.facebook.com/akasaka-yuun/

2020年09月09日(水)第153回琵琶樂人倶楽部 語り物の系譜Vol.13

<終了しました>

場所:ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:19時30分開演
料金:1000円(コーヒー付)要予約 
出演:塩高和之(樂琵琶) ゲスト 櫛部妙有(朗読)
演目:たき火(国木田独歩) 他
問い合わせ:琵琶樂人倶楽部 orientaleyes40@ yahoo.co.jp

2020年09月05日(土)プルワリライブ

<終了しました>

場所:プルワリ(狛江駅南口すぐ)
時間:18時00分開演
料金:2500円(ワンドリンク付)
出演:塩高和之(薩摩琵琶) 田澤明子(Vn)
演目:Eaynak~君の瞳  西風 風の記憶 二つの月 他

問い合わせ:オフィスオリエンタルアイズ  orientaleyes40@yahoo.co.jp

弾力

先週、神戸凱風館での演奏をやって来ました。安田登先生と、俳優の榊原有美さんと私とでやったのですが、このトリオも回を重ね、なかなかこなれて来て、今回も大変内容の高い充実したパフォーマンスとなりました。
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ネットに上げてくれた写真を頂きました

凱風館は合気道の道場なのですが、響きや会場の気の流れのようなものがとても心地良く、また神戸という土地もどこか自分と呼応するものがあるのか、舞台に立つ充実感のようなものを感じました。改めて自分は琵琶を背負って、色んな土地を回るのが仕事なんだなと感じましたね。

それにしても、この混乱の時期にこうして毎週舞台の機会を頂けるというのは、ありがたい事。来週も定例となりつつある狛江のプルワリにて、Vnの田澤明子先生とデュオによるライブがあります。今回はデュオの他、Vnの独奏もたっぷりと聴いて頂きます。是非お越しください。

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私の様に枠外のような立場で世間を渡っていますと、世の中の様々な話題を耳にするのですが、その中でも現代日本の「弾力」の無さという事を、この所実感しています。これは私が東京に出て来た頃から少しづつ感じてはいたのですが、このところ特に、世の中、効率の良いものや、役に立つものばかりを追いかけ過ぎるているな、と思う事が多くなりました。
ものごとを無駄と有効に分けてしまう狭い近視眼的な視野は、人間としても国家としても危ない気がしますね。都市というものは、多様性の塊であって、その多様性から異種混交が始まり、多種な芸術や文化、風俗が生まれてくる、正にメルティングポットとなる場所なのです。だからこそ皆都会を目指して上京するのです。常識・非常識、聖・俗、善・悪の境界を越えるからこそ、そこに次の時代が見え始め、アートが生まれてくるのであって、視野が限定されてしまってしまうと、一つの価値観以外の者は皆「落ちこぼれ」となり、いつしか身動きの取れない石の舟と化してしまう。メルティングポットたる都市で、多様な生き方や考え方が出来なくなってくるという事は、国家が良い方向に行っていないと感じても致し方ないですね。きっと戦前の日本などそうだったのではないでしょうか。
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六本木ストライプハウスにて パフォーマンス:坂本美蘭、尺八:藤田晄聖 各氏と
「弾力」は言い換えれば多数のレイヤーです。凶悪犯罪を起こすようなものでない限り、どういう生き方をしても良いし、様々な考え方があっても良い。年齢性別関係なく、多種多様な生き方が可能であるという事。まだわずかな隙間があるから、琵琶を背負って諸国を回るようなやつも、その中で自由に生きて行けるという事です。
専制国家でもあるまいし、ステレオタイプで、皆と同じような価値観と暮らし方をしなくても、良いではないですか。「should」の多い環境では、誰しも窮屈になってしまう。孔子様も言っていますが、「should」ではなく、どんなものも楽しむ位でちょうど良い。のんびりと世のあわいに暮らして行く人が居ても良いでしょう。芭蕉などは身分制度の枠外に身を置いていたからこそ、多くのものを自由に見て、感じることが出来たのではないでしょうか。
今、現代日本はどうでしょう?。メディアに洗脳され続け、国民全員が同じような、目に見える豪華さや、キャリアを追いかけるように先導され、それが無いと不安になってしまうメンタリティーに陥っているのではないでしょうか。「普通」という言葉で、空気を読み忖度をし、皆が同じ感覚を持ち合わせることを強要する。しない奴が居ると目障りで、且つ不安になる。

学歴や肩書、相応のキャリアが無いと、負け組だと判断してしまうような小さな狭い心が世に蔓延していて、逆に枠外に身を置いて自由に生き、感じ、ものを発信して行く人が、今どんどんと減っています。皆同じ方向を向き、単一のレイヤーの中で「落ちこぼれ」ないように常に気を遣って生きなくてはならないような世の中では、社会のストレスは大きくなるばかりでしょう。そこに豊饒な文化が生まれる訳はないのです。

コロナ禍で現代日本の、そんな脆弱な社会と精神が浮き彫りになりましたね。私がSNSをやらないのは、フィルターバブルによって強迫観念にも似た同調意識に支配されたくないからです。

4「良寛」公演の練習時、 緑泉会稽古場にて津村禮次郎先生、中村明日香さんと
琵琶法師は勿論、世阿弥も芭蕉も出雲のお国も、皆、世のあわいに自らを置き、身分制度の枠の外に居たからこそ、新しいものを創造しえたのです。与えられた既存の形を求め、自分の承認欲求に囚われているような者は、見えるものもフィルター越しに見て、五感もしっかり去勢され、ものの本来の姿は見ようと思っても、見えようがない。そんな囚われの状態の者に、どうしてものが創れましょうか。目の前に振り回され、踊らされ、創造する心を失ったものは、どんなものでも滅ぶ運命なのです。
この地球の豊かさは、その多様性こそが象徴であり特徴です。豊饒なまでに様々な生命が溢れ、実る惑星だからこそ、そこから多種多様な文化が生まれ、暮らしが生まれ、それぞれの国が生まれる。色んな物がひしめき合って、連鎖が生まれ、文化が、エネルギーが生まれるのです。全ては響き合っているのです。中には悪もあるでしょう。しかし悪であろうと、負であろうと、すべてが響き合う事で地球は成り立っているのです。自分に都合よいものだけでは成り立たないのです。
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昨年12月の日本橋富沢町楽琵会にて、能舞:津村禮次郎先生、Vn田澤明子先生と
視点を変えると、自分の生まれ育ったこの地から生まれたものは、皆必然があって生まれてくるという事も改めて感じずにはいられません。世の中には清濁あらゆるものがあるけれど、そのあらゆるものは皆根を持っていて、その根から必然に生まれ、縁で繋がり、今に受け継がれている。日本の湿潤な気候、山海に囲まれている土地、そして世界一長い歴史。それらはずっと途切れることなく続いてきたからこそ、今我々はここに居る訳で、その継承から様々な音楽や芸能も生まれてきたのです。それはどの国でも同じことでしょう。文化も暮らしも、それぞれの土地から多くのものが生まれ、派生し、影響し合って、またそこから新たな繋がりを見せ多くのものと響き合って、今に至るのです。

所変われば、感性も違うし、善悪という概念も違う。しかしそれら多様な感性と生活が交流し、共存し響き合ってこそ社会が生まれるのではないでしょうか。自分と合わない異質なものを排除してしまうような薄っぺらく狭い感性では、響き合いが生まれようがありません。流れの止まったものは、本来清らかな水であっても濁ってしまうのです。私達の身体が1秒も止まることなく動き続けているように、響き合って、常に流動してこそ命ではないですか。そこに必要なものは、それらを皆受け入れ、受け止める懐の大きさ、つまり「弾力」です。その土台がないと響き合う事は出来ません。

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ヴィオロンにて photo 新藤義久

これからの日本に、弾力が戻ってくるでしょうか。生き方を強要された中では、明日は無いですね。でも自分の中から感性は変えられます。一つのレイヤーに自分を置かず、別のレイヤーに移動するだけで、見える世界が変わります。これこそが「弾力」!!。きっと琵琶法師みたいな者は細々とでも生き残って行くと思いますよ。私が感じる範囲でしかありませんが、世の中の硬直化の反面、部分的には解放されてきている所も感じています。その流れが大きな懐となり、世の弾力となって行って多様なスタイルを受け入れ、新たな命につながって行く、そんな世の中になって欲しいですね。

2020年08月27日(木)安田登一座公演 神戸凱風館

<終了しました>

場所:凱風館(神戸 住吉)
出演:安田登(能楽師) 榊原有美(俳優 SPAC) 塩高和之(琵琶)
演目:吾輩は猫である~鼠の段  耳なし芳一  夢十夜~第三夜
時間:16時30分開演
料金:2000円 完全予約制

お問い合わせ:オフィスオリエンタルアイズ orientaleyes40@yahoo.co.jp

2020年08月21日(金)戯曲公演「良寛」座高円寺

<終了しました>

場所:座・高円寺2
時間:昼の部14時30分開演  
   夜の部18時30分開演
料金:5000円 学生2000円
出演:津村禮次郎(能楽師) 中村明日香(語り) 塩高和之(琵琶) 脚本:和久内明
主催:JARTS日本アーティスト懇談会
後援:現代知倶楽部  (有)HIAS研究所

お問い合わせ:03ー3339ー3422(JARTS日本アーティスト懇談会)
http://www17.plala.or.jp/jarts/

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