穏やかな時間

GWは天気も不安定でしたね。雨、地震、雷、GWにこれだけ天気が悪いのも目珍しいような気がします。三度の自粛宣言で、都内はどうにも行き場がない感じでしたが、高円寺辺りは治外法権のように何だか盛り上がっていましたね。
我が家の近くにある善福寺緑地では、緑の勢いが日に日に増していて、どこに問題があるのだろうと思う位の生命力を感じるのですが、目に見えないウイルスの事はどうにもなりません。世の中どうなって行くのでしょうね。

2021楽琵会表mこういう時にこそ、音楽家は覚悟を持って活動をしないと、動きが止まってしまいます。ありがたいことに楽琵会の復活、そして毎月定例の琵琶樂人倶楽部と、自分から発信する会は何とか出来ているので、自分の表現すべきものはキープしていますが、もう少し攻めて行く位でちょうど良いのかもしれません。

私はSNSもあえてやっていないし、ネット記事等もあまり見ないのですが、それでも色々と入ってくる情報を見るにつけ、今、人心が一番危ういような気がしてなりません。そして自分もそうした世の雰囲気に、どこかのまれているような気がします。私はいつもストア派のセネカの言葉などを引用していますが、ストイックなストア派よりは、快楽主義のエピクロス派の思想の方がしっくり来ますので、なるべくゆったりとストレスのないように生きているつもりです。しかし現代社会では、人も物も情報も24時間溢れかえっているストレスフル社会ですから、ふとしたことで振り回されている自分を感じることも多々ありますね。
ストレスを感じ、イラついたり、怒りを感じたりするという事は、自分の思い通りにならないから、そう思うのであって、言い方を変えれば、自分のエゴに振り回されているという事でもあります。
世の波騒という位ですから、外に出れば反りの合わない人も居れば、話すら出来ないという事も多いでしょう。しかし自分の心を乱している原因を自分の外側にあると認識している内は、心に平安は訪れないですね。自分で自分を限定しているから、それに合わないものにストレスを感じるのであって、かくかくしかじかの自分ではなく、何物でもないプレーンな状態にしておけば、周りの色々なものとミュニケーションも広がるし、調和出来るものも多くなります。自分と合わないものでも、身の危険を感じるようなものでない限り、強い拒否を自分から発動することもありません。だからどんな状況でも心に平安が満ちて行くのです。

visions1何時も声を出したとたんに円が出来上がる安田登先生と ギャラリーVisionsにて
音楽をやっているとよく判るのですが、エゴの強い人とは呼吸が合わないのです。逆に素直な人とは呼吸が同調できるのです。間と言っても良いですね。私はこの呼吸を円運動といつも言っているのですが、スピードやテンポという事ではなく、同じ円の中に入いるような感じで調和して行きます。コンビを組むような相性の良い人とは、音を出した、その一瞬で同じ円を共有できます。武道等でも同様なのですが、自分が上手だとか、相手と比べて偉いとかいう意識があるうちは、円の中に入れませんし、自分の事で精一杯な状態の人も、アンサンブルそのものが出来ません。心が平安な人は、初めての時にはなかなか上手く行かなくても、何度か合わせると同じ円を創って行けるようになるものです。

そんなことをいつも感じながら演奏しているので、私は常にプレーンでいようと心がけています。表層的な、喜怒哀楽の感情に振り回されれやすい時は、すぐに立ち止まって、自分を内観して、囚われの原因を探し、そこを開放して行きます。そういう事を教えてくれたのが、よくこのブログにも出てくるH氏ですが、氏に会うまでの私は、勢いだけで突っ走っている状態で、正にエゴの塊でした。若さゆえの勢いも、40代にもなれば認めてはももらえませんし、身体にも歪が出て来ます。私の場合は声が出なくなりました。私は、H氏の導きで一枚づつゆっくりと身にまとわり付いた衣をはがして、やっと何とか余計な鎧で覆われた自分の奥底にあるヴィジョンを確認し、素のままの自分を取り戻し、心の平安とは何かを教えられたように思います。

江の島
江の島の夕陽

そしてやはり私にとって、一番心が平安になるのは、良い音楽に接している時です。見事とか、格好良いとか、凄いとか、そんな表面の感情が消え、音楽そのものの中に自分が入って行けるような時は、幸せでいっぱいになりますね。激しいエネルギーに満ちているものは好きなんですが、それが単なる感情のはけ口になっているようなものは、直ぐそんな俗な欲が見えてしまいます。

孔子様も音楽を第一に大切にしたそうですが、音楽は形が無いだけに、直接心に届きます。軍隊に必ず音楽があるのもそのためだと言われますね。目に見えないからこそ、その音楽が持っている質は、たちどころに判ってしまいます。隠せません。私は琵琶弾きですので、琵琶の音色は、私にはその最たるものです。だからこそ、そこに俗なエゴが乗っていると聴いていられません。

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今は無き明大前のキッドアイラックアートホールにて、
映像作家のヒグマ春夫さん、朗読家の馬場精子さん、尺八の田中黎山君と
今は世の変革の真っただ中にあります。政治も大事ですが、次の社会がどうなって行くかは、人心に全てがかかっているのは明らかでしょう。時代に振り回されて自分を見失っている人が多ければ、世はますます乱れて行くだろうし、心に平安を持つ人が増えれば、世は好転して行く事でしょう。その好転の為に芸術がどれほど大事なものか、そしてそこに人間が今後気が付くかどうか。私は次世代のキーワードはここにあると思っています。目の前を楽しませ、興奮させるショウビジネス音楽ではなく、喜怒哀楽を超え、聴く人の中で育まれて行くような、心を豊かに、平安にしてくれる音楽が、これから世に溢れ出て行ってくれるといいですね。

穏やかな時を迎えたいものです。

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