平家を聴く

世はクリスマスですね。琵琶の音楽はあまりおめでたいものが無いせいか、クリスマスとお正月はお呼びがかからないので、毎年この時期はのんびり年賀状書きと忘年会に勤しんでいる訳ですが、先日、三鷹の武蔵野芸能劇場にて行われた、今井勉検校の演奏会に行ってきました。

今井検校

2年ほど前、すみだトリフォニーホールにて、「北斎の音楽を聴く」という催しがあり、当時私が関わっていた短大の先生から平家琵琶の演奏を依頼されて、丸コピー状態で平家琵琶の「祇園精舎」をやったことがありました。平家琵琶は、薩摩琵琶とも楽琵琶とも全く違うので、かなり苦労しましたが、それ以来平家琵琶に関心が出て、色々と聞いています。しかしながら私が参考にさせてもらった今井検校の生演奏を聴く機会がこれまでなかったので、今回は期待をして足を運びました。
今井検校のDVDはさんざん観ていたのですが、実際生演奏に接してみると、声の張り具合や、発音、細かな手の弾き方など、思っていたものとは感じが違っていました。検校は少し前に喉を傷めて、今回はセーブしながら唄っていたとの事でしたが、なかなかどうして、その声は結構エモーショナルで、晴眼者の演奏するソフトな平家琵琶の唄とは、声の出し方や唄に対する意識など明らかに違うものを感じました。盲人故の何かがあるのでしょう。

今井検校今井検校

先ずは平家琵琶研究者の薦田治子先生の講演があったのですが、その中で、「平家物語は文学ではなく、音楽なのです」という事を強調されていました。私も大いに納得です。識字率の問題もあったでしょうが、本としての平家物語が一般的になったのは平家物語が鎌倉時代に成立してからずっと後の江戸時代と言われています。
また江戸時代には、武家の嗜みとして、晴眼者が本を使って稽古した仙台系といわれるものと、今井検校のやっている盲人伝承の名古屋系という二つの系統がありました。この二つは表面上は似ているけれど、根本的に違う匂いを感じます。当時でも、嗜みとしてお稽古していたものと、生きるためにプロとして舞台で演奏していた音楽ではかなりの違いがあった事と思います。
また元々平家琵琶は京都弁を基本に出来ていると言われていますが、仙台系の方々は、皆さん普段の生活では標準語でしゃべっているせいか、譜面には忠実ですが、唄に関西系の雰囲気はあまり感じません。今井検校はしゃべる言葉からして関西系の方言が強いせいか、唄のイントネーションに関しても大きな違いを感じました。今後、この二つの系統が良い形で発展するといいですね。

              heikebiwa2私の平家琵琶「無冠」

平家琵琶は、薩摩琵琶などに比べるとかなり多彩な節のヴァリエーションを持っているし、使う音域も広く、ダイナミックな所もあるのですが、現代人の生活のテンポには合わないし、お稽古した人でないと、その魅力を理解するのはなかなか難しいかもしれません。現代人が聴くと眠くなってしまうというのは正直な所です。

歴史資料という側面が強い事もあって、おいそれとは変えられないのでしょうが、音楽は常に聴き手在ってこそですから、時代と共に変化して行くのが当たり前です。演奏家も普段からスマホ片手に生活している人が、昔と同じことを同じようにやっているというのは、表面的には同じ事をしていても、中身にはかなりのねじれが出て来てもおかしくはないと思います。今井検校は「盲人でないと教えない」と言っているそうですが、晴眼の現代人では、生活様式が平家琵琶をやるにはかけ離れ過ぎて難しい、と感じているのかもしれません。私も今井検校の演奏を聴いて、やはり平家琵琶は盲人伝承という所が大きな要素であると感じました。

古典音楽の伝承とは何か。それを定義付けるのは難しいですが、先ずは薦田先生が言うように「音楽」である事。そしてそれが命あるものとして受け継がれているという事だと思います。今井検校もきっと色々な事を考えておられる事でしょう。まだ検校は50代。これからもどんどんと彼なりの挑戦をしていって欲しいと思います。

 ピアソラピアソラ

守・破・離とは昔から芸事で良く言われている事ですが、私が「この人は確かに受け継いでいるな」と思う人は、自分で伝承者などとはけっして言いません。むしろ異端者であり、常に挑戦して、新しいものを生み出しています。ジャズでもクラシックでも、次世代へとバトンをリレーして行った人達は最初は皆型破りでした。亡くなった後に、その人の功績が確かに歴史を繋いで行ったことを皆が知るという例が多いです。ピアソラ、パコ・デ・ルシア、ドビュッシー、ラベル、パーカー、マイルス、コルトレーン、ドルフィー、・・・・etc.皆異端どころか、破壊者でもあったと思います。しかし感性の奥底にはしっかりと先人の心を受け継いでいて、その上での旺盛な創造性が次の時代を切り開き、その世界を豊かにして、歴史を前へと進めたのです。タンゴのような民族性の強い音楽も、ピアソラによって大改革がなされましたが、当然の如く最初は「これはタンゴではない」と改革者への常套句を言われました。皆同じですね。しかし、そのピアソラの魅力に満ちた音楽がクレーメルやヨーヨー・マ、アル・ディ・メオラを熱狂させ、それこそがタンゴの伝統を次世代へと繋げ、世界に広めて行ったです。

そんな人達は皆、音楽的には謙虚過ぎる位謙虚で、且つ挑戦的で、自分の行くべき所を淡々と進みます。その姿に先人の姿が重なるのです。組織の上では守る事が一つの役目ではあるかと思いますが、心を受け継ぎ、新たなものを創り出し、時に型をも破壊する事も厭わず、最先端を走る者こそが本当の伝承者だと、私は思います。永田錦心も鶴田錦史もそうだったではないですか!!

ryokan22

何事も同じところで論じる事は出来ませんが、今井検校の演奏を聴いて、改めてこの魅力的な日本音楽を次の時代に響かせたいと思いました。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.