年末はいつも演奏会が少ないのですが、今年は何だか演奏会がないわりにリハーサル等、様々に用事が入っていてせわしないです。加えて先月から各琵琶をメンテナンスに出していて居るのですが、琵琶が良い状態で手元にないとどうにも落ちつかないですね。今は大型二号機の糸口交換をすべくメンテに出しています。本当に手のかかるやつらです。
私はいつも書いているように、人一倍楽器の手入れをする方で、かなりの部分まで修理や調整をする方なのですが、糸口や側面の剥がれなど等、職人技でないと出来ない部分、また全体の総合的なメンテナンスは、やはり石田さんにお任せするのが一番です。論語にも「職人はいい仕事をしようと思うと、先ず自分の道具を磨いて手入れをするものだ」と書いてありますが、自分の楽器に関しては、目いっぱい愛情を注いで手をかけてこそ、初めて音楽として鳴り出してくれるものです。そういう基本を忘れてはいけません。琵琶も家族と同じように日々共に生きる位でちょうど良いのです。
閑谷学校


この所、旧い友人と再会する事がいくつかあって、来年は新たな展開が来そうです。これからは歌と琵琶の音との新たなコンビネーションが出来上がって行くかもしれません。大正・昭和の薩摩筑前による唸るような弾き語りの声ではなく、「歌」と琵琶の組み合わせは可能性がもっとあるとずっと感じていました。微力ながら色々やって来ましたが、これからもっと面白くなると思いますよ。1月の琵琶樂人倶楽部には深草アキさんに出て頂くのですが、深草さんも歌と秦琴との素敵なコンビネーションを創り上げています。
深草さんと最初にあったのは30年近く前。邦楽ジャーナル「和音」の1周年パ-ティーでした。この時は今でもやり取りしている尺八のグンナル・リンデルさんやその他邦楽系の先輩方々と知り合いになりました。私が琵琶で活動を始めた頃です。その時もう深草さんはかなりメジャーな活動を展開していて、凄いな~と思って見ていました。それ以来連絡をし合っていたものの、お逢いする機会も無く時間が経ってしまったのですが、今年のMIMINOIMI主催のアンビエントウィーク2025で久しぶりに再会して、琵琶樂人倶楽部に出てくれる事にあいなりました。こうした再会は実に気分も高まりますね。最近はこういう事がいくつか続いているのです。「よみがえりの季節」に入ったのでしょうか。
清流亭にて
これ迄色んな方とお付き合いしながら音楽ををやってきたのですが、長く良いレベルで音楽をやっている人は、主張が穏やかな方が多いです。皆さん夫々に軸がぶれないで、しっかりとした哲学を持っている野でしょうね。実にマイペースという感じで、夫々の世界を形作っています。ガツガツと闘っている感じの方で長続きしている方はあまり見た事無いですね。音楽はショウビジネスと背中合わせの世界という事もあり、売れるという事もまた一つの形かもしれませんが、売れる事よりも音楽家として、自分のやりたい事がぶれないで、それを貫いて、且つ時代の流れの中でやっている人の方が長く活動できるように感じます。
私はジャズをやっていたせいか、琵琶を手にした最初からショウビジネスには全く興味が無かったですし、売れる方向で動いている人とも縁がありませんでした。先日も雅楽を勉強している若者とリハーサルしていたんですが、色々話していると、私は自分がやりたい事をやりたいようにやって来たら、それがそのまま自分の世界になっていっただけなんだなと改めて思いました。邦楽・雅楽の界隈とは随分離れていますが、そのスタイルがとても私らしいし、だからこそ活動も色々と展開出来たし、作品も創って来れたと思っています。
それにしても、この現代という時代に琵琶を手にしているという事自体が凄い縁だなと思いますね。いったい自分は何をしたいのか、それは何を土台としているのか、琵琶という古い歴史のある楽器を抱きながら、己は何を受け継いでいるのか、そんな事をついつい考えてしまいますね。琵琶の辿って来ただろう長い長い歴史、そこに生まれた文学や芸能、そして日本だけでなく、琵琶が辿って来たペルシャや中央アジアなどの文化も含め、果てしのない大きな世界・背景が自分の後ろにあって、今自分が琵琶を抱えて生きている。考えてみれば奇跡のような凄い事だと年を経るごとにその想いは強くなってきています。
琵琶樂人倶楽部にて SOON・Kim(ASax) 田澤明子さん(Vn)と
ハイレベルの音楽家に接すると良く感じるのですが、この人の演奏には〇〇が宿っているなと思う事があります。よく共演するSOON・Kimさんの演奏には、その中に確かにオーネットが居るし、良いなと思うミュージシャンを聴いていると、そんな風に思える人が少なくありません。そしてそう感じる人は決してコピーではなく、むしろ自分のスタイルを持っている。そして何よりも品格を感じる事が多いです。そっくりさんみたいなレベルの人は、表面は似ていても、そういう品格を感じ無いですね。形を真似ていても決して継承にはなりません。むしろオリジナルのスタイルを持った人の中に、先人の魂のようなものを感じます。
受け継ぐものは、感性であり、志です。むしろ表面の形はその人独自に変化し、時代と共に変遷してこそ、その中にある受け継がれたものが立ち現れて、先人の姿や風土がそこに見えて来るものです。邦楽では流派や弟子などの枠の中で考えがちですが、いくら門下生であっても上手を求めている内は、表面の形しか伝わらない人も多いです。志を継いだ人は、むしろ枠の中には留まっていないでしょう。残念ながら今邦楽全般に衰退の一途をたどっているのが現状ですが、それは表面の形に拘り、立派になろうなんていう俗な精神で肩書を追いかける事に執心して、先人が持っていた品格を忘れているからなのかもしれません。
私も是非品格が感じてもらえるようになりたいですね。これからが面白くなりそうです。






