昨日の荻窪かんげい館での笛と琵琶による演奏会は、ささやかな会ではありましたが、満席のお客様にお越しいただきまして、とても和やかに良い雰囲気で演奏が出来ました。こういうのを本当のサロンコンサートというのでしょうね。久しぶりにこの雰囲気を味わいました。以前はよくこういう会をやっていたので、また少しづつ再開して行こうかと思います。
2月3月は、毎年私にとっては演奏会も少なく静かな時です。まあ現実には稼ぎも大切なので、ただぶらぶらしてはいられないのですが、シーズンになると週に3本4本と演奏会が入り、のんびり珈琲も飲んでいられなくなりますので、せいぜい週に一本あるか無いかのこの時期は、英気を養うのに貴重なのです。勤め先がある訳でなし、世間の方々には申し分けないですが、ゆっくりさせてもらってます。そろそろ梅の花も気になる頃ですな。
私は季節の風情を楽しむというのがとても好きで、春夏秋冬どんな天気でも、その時々の季節に身を任せていると、とても穏やかに成れるのです。中でもこの時期、暮れ行く陽射しの中に居ると、いろんな発想が浮かんできます。静かな夜の時間ももちろん好きなんですが、昼過ぎから日が影って行く夕暮れ時は何といっても、心が豊かになる時間です。晴れていれば散歩に出て、古本屋なんぞ巡って喫茶店でまったりしたり、雨の日は家の中でゆっくり音楽を聴いたり本を読んだり、・・ありがたいですね。時にちょっと「これからどうなるんだろうね~~」なんて思ったりすることもありますが、何かを生み出すには、この位でないと何も出てきませんね。
私は作曲が8割、演奏が2割くらいの感じでやっていますので、演奏一本でやっている方は、もっと日々練習にいそしんでいることと思いますが、私はどんな演奏会でも仕事でも、全て自分で創った曲を演奏しているので、いわゆる練習というものがあまり必要では無いのです。譜面が出来上がった時点でもう完成形が頭にあるので、練習よりも曲を見直したり、どんな演奏会で演奏するか、あれこれ考える事の方が需要なのです。つまり日々何か考えていることが、私の仕事の大半を占めますね。
発想やアイデアはふとした時に突然出てくるものです。きっかけは何でもない言葉だったり、場面や音や、ありとあらゆるものがありますが、その瞬間を迎えた時に自分がどういう状態にあるか、そこが大事ですね。普段からどんな方向でもの観て、どんな志向を持っているか。自分のヴィジョンがはっきりしていないと、そのきっかけもただ通り過ぎて行ってしまいます。
ただ音楽活動をして行くには、創っているだけでは成就しません。音楽は聴いていただいてナンボのものなので、聴いて頂くための演奏活動の展開が大切であり、またこれが一番大変でもあります。現代のエンタテイメント&ショウビジネスの世の中にあっては、この部分が正直なところ、私にとっての一番のストレスであり、大きな問題です。
この演奏活動の方に振り回されていると、音楽そのものが充実してきませんので、創作と活動のバランスをとるのは音楽家にとってとても大事です。どちらかに偏ってしまうと良いものは創れませんし、誰の耳にも届きません。このバランスが取れる人だけが音楽家としてやっていけるというのは、よく判っているのですが、悩ましい限りですね・・・。
若き日 厳島神社にて
実は少しづつ、本当に少しづつですが、活動のやり方が変わってきています。自分で変えている訳ではなく、なんとなく自然と流れが変わるのです。5年前とはやり方が違いますし、10年前とは随分と方向が変わっています。自分の中の志向や音楽的な深まりの部分も大きいのですが、何か導かれるように、少しづつ状況が変化し、その変化につられ、音楽も演奏方法も思考も変わって行きます。
季節が移ろうように、時代も移ろいます。自分は俺流のやり方で生き抜いているつもりでも、実は、時の流れの中で生かされているのだなと、振り返った時にいつも思いますね。
季楽堂にて photo Mayu
これから自分がやって行きたい音楽や、創って行きたいものは、常に頭の中にあるのですが、活動に関してはあまりガツガツしないようにしています。カーネギーホールに出てやる!!なんて思っていると、音楽がおろそかになって、自己顕示欲だけが増長してしまいます。
今はネット配信で自分の作品を無理なく発表できる時代でもあるので、活動も大切ですが、確実に納得の行く作品を残して行く事が私の課題ですね。
少しのんびりさせていただきます。