今月頭の演奏会で、演奏会が大体一段落着いたので、ここ2週間ほどはのんびりしていました。ちょっと暑さにバテ気味でもあったので、家の中で前回ブログで書いた大工哲弘さんのCDを聴いたり、昼間からビール片手に映画を観たりして、プチ夏休みを満喫してました。
しかしながらあまりのんびりとしてもいられません。今週の土日はまた演奏会があるので、週明け辺りから少し身体と心を整えています。やっぱり年齢的にも、あまりのんびりしていると退化してしまうので、のんびりしながらもアンテナはしっかり張っていないといけませんな。弾くのは全然大丈夫ですが、やはり身体は普段から整えておかないと姿が崩れます。
土曜日は東洋大学にて「道元研究国際シンポジウム」があり、私は初日の懇親会の時に拙作「沙門」を演奏する事になりました。道元研究者の世界のトップレベルの先生方が集るので、おのずと気合が入ります。
日曜日は六本木のストライプハウスにて、美術や身体表現、音楽などの前衛アーティストが揃ってパフォーマンスを繰り広げる「ストライプセッション2018」があり、私はパフォーマーの坂本美蘭さんとトリを務めます。
これまで色んなことをやってきたのですが、それらをやってこれたのは、休息の時間があったからです。ツアーであちこち廻って毎日のように演奏したり、色んな仕事であらゆる種類の演奏をやったりしていると、ありがたいとは思うものの、いつしか技の切り売りとなって、活動しているという充実感だけで満足してしまいがちです。何かを創りだしてゆくには、のんびりと昼寝をする位の時間も必要なのです。本と読み、様々な芸術に触れ、自分の内面を見つめ、自分の音楽について深く想いを巡らして、哲学や芸術性の部分を洗練させていかないと、良い作品は生まれ出ません。
曲を一つ創るにしても書いては消し、試しに弾いてみてはやり直しと、そんなことを延々と繰り返さなければ出来上がりません。まあ言い訳半分で、昼間からのんびりしているのも大切なのです。何かを創り出そうとしている心を自らに持っていれば、休息はきっと何かをもたらすと思います。
邦楽では、「己の芸を磨く」という発想の方がやたら多いのですが、私はそういう邦楽の芸は、ほとんど眼中には無いのです。勿論高い技術や深みのある芸は良いのですが、得てして個人の技芸を聞かせるという所で終わってしまう。芸術家として何を表現したいのか、という所がすっぽりと抜けて、こなれた技や芸を見せたがる。これでは芸人としてはともかく、表現者や芸術家とは私は思えません。これは今のジャズにもいえる様な気がします。
私が少年時代から感激したアーティストは皆、独特の世界がありました。今でもよく聴くラルフタウナーの1979年の作品「SOLO CONCERT」などは、一瞬でその世界に取り込まれ、最終的には演者の技も姿も消えて、世界だけが立ち上がるような、そんなところまで持っていかれます。
今、邦楽もジャズもかなり衰退の極みにありますが、その原因はやはり舞台に立つ人の意識ではないでしょうか。己の世界を極めるのは結構だと思いますが、己の世界が本当に次世代に、そして世界に向いていますか・・・?。自分という小さな牢獄に留まっていませんか・・?。そこに夢はありますか・・?。
何時もこのブログでは永田錦心や鶴田錦史の事を書いていますが、私はお二人の技や芸に感激した訳でもなんでもないのです。お二人のスタイルをやろうとも思わないし、特に好きでもありません。しかしお二人が見せてくれた琵琶楽の新たな境地、つまり「夢」を、その演奏と活動の中に感じたのです。だから彼らが独自のやり方でやったように、私なりのやり方で、その夢を受け継ぎたいと思ったのです。
今迄でいろんなジャンルのアーティストを聴いて来ましたが、皆そこには心を震わせるような、独自のほかでは味わえない世界があり、夢がありました。技芸が上手いかどうかなんて、感じたことも考えたこともなかった・・・・。独自の世界、魅惑的な世界に誘ってくれるような音楽家が少なくなりましたね・・・。
ウズベキスタン イルホム劇場にて拙作「まろばし」演奏中 指揮編曲はアルチョム・キム
時々こういう夏休みがあると、リセットが効いて思考も深まります。たまにはこうして我が身と、我が身を取り巻く世界を振り返り、見つめ、軌道修正するところはして、自分の歩むべき所を確認するのは良いことです。舞台に立つ事が目的になってしまっては、何も生み出せません。創り出すことが芸術家・音楽家の使命であり、私の使命でもあります。
20代の頃は作曲家の石井紘美先生から色んな話を聞きました。「アートとエンタテイメントの違いは何?」と問いかけられ、ろくに答えられす、ただ「格好いい」位にしか返せませんでした。感覚で観ることと、論理で観ることの両方がないと芸術は作り出せない。そんなことも教わりました。ジャズギターの潮先郁男先生からは「自分自身の持ち味を大切にしなさい」といわれましたね。今になってようやく判ることが本当に沢山あります。
結局今の私は、私を導いてくれた先生方の言葉を自分の中で昇華することで成り立っているように思えて仕方ないのです。自分でガツガツとやってきたようで、実は導かれていたというのが、今の私の心境です。多くの教えをもう一度想い出し、今の自分の姿に問い聞かせ、また明日の力にしてゆく、そんな時間が私をより私らしくさせて、次のステップに持ち上げてくれるのです。
そして願わくば、こんな私の音楽や活動が、風となって次世代に少しでも吹き渡るといいですね。
昼間のビールもなかなか良いものですね。