春に想う2017

今年は関東では穏やかな天気に恵まれたお正月でした。しかしながら世の中はなかなかそうは行かない時期に来ているようですね。こういう時にこそ、琵琶の音を広く響き渡らせたいものです。
今年は静岡に行っていたので、初春の富士もしっかり堪能したのですが、良い写真が撮れなかったので、昨年末に撮った、江ノ島からの富士山の姿を。

今年の活動はやはり先ずは作曲ですね。今年から尺八の吉岡龍見さんと組んで演奏会を始める事もありまして、デュオの作品をもう少し作りたいです。またこれまで独奏曲もいくつも作ったのですが、「風の宴」以降今ひとつ代表曲になってゆくようなものが出来ていませんので、チャレンジしたいと思います。そしてそれをどんどん上演していかないと意味は無いですね。
また声についても少し光が見えてきたので、掘り下げていこうと思います。もし良い形で声が自分の表現の中で使えるようになったら、従来の琵琶歌ではなく、新しい形の声を使った作品を作曲して行きたいですね。

14694801_932241246920671_1089351881_nそして今年も昨年に続き、映像やダンスといった音楽以外のアート系の方面で色々活動したいと思っています。
他の人はどうあれ、私は素直に自分の生まれ育った土地から沸き出でる音楽をやりたいです。それも民族音楽という枠ではなく、洗練された最先端の日本の音楽として外に向けて放って行きたい!。

活動が深まるにつれて、伝統邦楽の世界からはすこしづづ離れてゆく自分を感じます。お正月にTVで邦楽番組を見ましたが、やっぱり伝統邦楽(江戸文化はといった方がよいだろうか)は、基本的にエンタテイメントの世界なのですね。歌舞伎も相変わらず派手で凄いし、日舞などなかなかレベルが高いと思った反面、どう見ても?なものも多かったのが残念でした。何故世阿弥のような深い精神性と大きな世界が忘れ去られ、邦楽器でロックやポップスをなぞって喜んでいるのだろう?。これが今の邦楽の先端??。だとしたらもうここには私の居場所はありませんね。

森有正は「バビロンの流れのほとりにて」の中で「孤独は孤独であるがゆえに貴いのではなく、運命によってそれが与えられたときに貴いのだ」と書いています。芸術に対する彼の想いがつづられたこの本を正月休みに久しぶりに読んで、邦楽のことを思いました。西洋の芸術と邦楽は違うと言う人もあるでしょう。しかし人間が何かを創り出す時、西洋も東洋も無いと私は思います。本当に心底から想うものに身をゆだね、その心が揺るがないのなら、結果的に孤独が運命によってもたらされても、いくらでも受け入れられる。むしろその孤独は何にも代えがたい貴いものとなるでしょう。そしてたとえ人には知られなくとも、そこからは詩が溢れ、音が響き渡る事と思います。

音楽家は仲間内で盛り上がっているようでは何も創り出せない。皆でがんばって「ショウ」は作る事はできても、唯一つの音色、唯一つの響きをこの身に体現するには、孤独の中に身を置いて、たった独りになって音楽と対峙しなければ、その深遠は聞こえてこない。創造とはそういうことだと私は常々思っています。世阿弥や永田錦心や鶴田錦史はきっとその孤独を持っていたのではないでしょうか。今、貴いと呼べるような孤独が邦楽にあるだろうか・・・・?。自分の浅はかな心によって勝手に創り出した孤独はあるかもしれませんが・・。それともまた新しい価値観が生まれ出るのでしょうか・・・・・・。

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年明けは琵琶樂人倶楽部「薩摩琵琶三流派対決」もあるのですが、先ずなんといっても吉岡龍見さんとの尺八・琵琶デュオ「Eclipse」旗揚げ公演です。

今年も是非是非よろしくお願い申し上げます。

2016年 主な年間活動記録

2016年主な活動記録

また新たな幕が上がる

もう今年もあっという間にここまで来てしまいました。今年も本当に多くの方々にお世話になりながら、色々なものに挑戦し、実現し、充実した一年でした。沢山の方々に演奏会に来ていただき、心より感謝しております。琵琶奏者として、数多くの舞台の機会を頂き、作品を発表し、演奏し、生業としてやって行くことが出来るという事は幸せな事だと、年齢を重ねるごとに感じております。今年もまもなく一年が終わると思うと感無量です。

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      方丈記-s100回記念

1今年も多くの記憶が今甦っています。年の初めに船旅でカリブ海の国々に行ったのも面白い体験でしたし、日本橋富沢町樂琵会を発足させたのも大きなチャレンジでした。毎回ゲストを呼んで開催する事を趣旨としてやってきましたが、今月は津村禮次郎先生を迎えることが出来、一年を締めくくるにふさわしい会となりました。琵琶樂人倶楽部の方は100回目を迎え、記念の演奏会もリブロホールで開くことが出来、10年という年月の積み重ねを改めてかみ締めました。

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左上:カリブ海船上から見た夕暮れ  右上:キュラソーの町並み

花柳面先生・萩谷京子先生とのティアラの公演も忘れられないですね。樂琵琶の音があんなに生きて響き渡った舞台は今迄ありませんでした。PAも上手く使うと素晴らしい効果が出ますね。
方丈記の公演では、映像と舞台があれほどリンクして異次元を作り出すとは思いもよりませんでした。その続編のように映像作家のヒグマ春夫さん主催のパラダイムシフトシリーズに毎月のように参加して、Soon・Kimさんや牧瀬茜さん、灰野敬二さんらと即興演奏にこれだけ取り組んだ年も初めてでした。
また語り部の方々ともご一緒して、自ら声を出すという事に関しても自分の中で大きな進展を感じました。本当に勉強になりましたね。戯曲「良寛」の公演など定番となってきているものも充実してきて、音楽活動に関しては実に良い一年だったと実感しています。

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多くの貴重な日々を頂きましたが、去り行くものもありました。物事でも人でも過ぎ去る時は必ず来るものです。今年は母が亡くなったこともありますが、残念ながら自分の力でどうにかなるものではないということも、また一層心に感じ入った一年でした。
今年は毎月演奏させてもらったキッドアイラックアートホールが年内で閉館。そして琵琶で活動を始めた頃からお世話になっていた民族音楽プロデューサーの星川京児さんも亡くなり、何か時代が次のステップに進んだような気がしました。中には人生色々で疎遠になってしまった人もいたりして、今年はいくつかのお別れが続いた年でもありました。

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私が琵琶の活動を始めたばかりの頃、尺八のグンナル・リンデルさんと組んだコンビ名が「Panta Rhei」。これは万物流転というヘラクレイトスの言葉ですが、その名の通り、時の流れとともに、人もものもあらゆるものが変化し続け、今に至っているということです。それらはみな「はからい」というものなのでしょうか・・・・。

しかし今年になって始まった事もあり、また出会いも多々ありました。終りもあれば、ワクワクするような出会いもあって、つくづく縁というものを感じる一年でした。
今また何かが始まる予感が沢山あります。来年は興味深いプロジェクトもいくつか始まりますし、面白く展開しそうなものもありますし、今後コンビネーションが生まれていきそうな知り合いもいます。自分自身の歩いてゆく道筋も更に明確になってきて、自分がやりたい事も具体化してきました。

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其中窯にて。映画監督の川瀬美香さん撮影

とにかく私は日本音楽の最先端に居ようと思います。そのためにも伝統というものをもっと勉強し、古典に親しんで行きたい。ジャンルや流派などの小さな枠に囚われることなく、視野を大きくして日本音楽をやって行きたい。けっしてそれが邦楽器ポップスバンドみたいなものではない事は皆さんよくわかってくれていると思いますが、表面をお着替えしただけのようなものは私にとって意味は無いのです。作品は勿論の事、感性も技も次の時代を示すような最先端でありたいのです。次世代に受け継がれるような作品をどんどんと創って、世界に向けて発信していこうと思います。

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江ノ島から見た富士山

多くの方のご縁に包まれている事を実感した一年でした。

来年もよろしくお願いいたします。

聖夜に集う

今年もクリスマスミサに行ってきました。もう何だか毎年の恒例行事化しつつあります。琵琶奏者はそれでなくても、壇ノ浦やら敦盛やらと、人の死ぬ話ばかりやっているので、世の中のおめでたい時期には仕事が来ないのです。という訳で毎年年末年始はのんびりしているのですよ。以前は忘年会と称して毎晩繰り出していたのですが、地元のルーテルむさしの教会とご縁を頂くようになってからは、心身ともに一年間の溜まりに溜まった罪業を清めるためにクリスマスミサに参加してます。

ルーテルクリスマスミサ2016年

ルーテル教会は「歌う協会」といわれるくらい音楽が盛んで、武蔵野教会では私も何度か演奏しています。和久内明先生主宰の3,11の集会に参加しだしてからのご縁なのですが、当時の牧師 大柴譲治先生との出会いが私を教会に向かわせました。何故か大柴先生の話はいつ聴いても私の体にす~と入ってきました。不思議なものですね。私自身が色んな話を受け入れることが出来る時期で、そのときに大柴先生に出会ったということでしょうか?。
壇上からの説教はいつも素晴らしく、今でもよくその内容を覚えていますが、個別にも色々と声をかけてくれて、どこか解き放つことが出来なかった私の心と体が随分とほぐれて行きました。まあこれも縁ということなのでしょう。またこの教会は散歩にちょうど良い距離にあるということもあり、イースターコンサートやバザーなど暇に任せて通わせてもらってます。

教会はとにかく先ずどんな人でも迎え入れて、みんなで歌おうというあの姿勢が嬉しいですね。中身は勿論、姿勢からして愛情に溢れているということは、この時代にあってとても大切な事ではないかと思えるのです。今年から大柴先生は大阪の教会に転任になり、新たに浅野直樹牧師に代わったのですが、浅野先生もとても爽やかな感じの方で、今日のミサも楽しく、いつもしかめっ面している私も穏やかな顔つきになりました。

11-9ルーテル武蔵野教会ではクリスマスイヴ音楽礼拝といっていて、毎年東京バッハアンサンブルが演奏してくれます。ここは豪華で大きな教会ではなく、小さな街の教会なのですが、弦楽合奏とオルガン・合唱、それにソプラノ独唱が付き、派手ではなくとも、とても豊かな雰囲気になります。今年もソプラノ歌手の歌声が染みましたね。やっぱり声の持っている力は凄いものがありますね。
聖書の中にも「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉のうちに命があった」と書かれていますが、日本の言霊にも通じます。それだけ言葉を声に出すという事はどの国においても重要な事だったのでしょうね。

毎年恒例の、ミサのあとにやる野外でのキャロリングも勿論参加しました。冬空のした、ホットワインを飲みながら皆で歌うというのは、何とも愛に包まれている感じで嬉しいですね。普段知らない内にささくれ立っている心の棘も消えてゆきます。中にはキャロリングに行くといつも会えるという人も居るし、今回は9,11の会に何度か参加してくれている高校生のお母様からも声をかけていただきました。

ルーテル武蔵野教会3

殺伐とした世の中が続く昨今ですが、「橋をかけ」て色々なものを愛を持って迎え入れたいものです。つながってゆく事を忘れてしまっては、社会全体が疲弊してしまいます。競い合う事はレベルを上げることに繋がって行きますが、自分の優位を誇り、他を排斥して争いあっていては何も生まれません。壊れてゆくだけです。

私はいわゆるエンタテイメントの音楽はやりません。ただ何をやっても根底に「分かち合う心」や「迎え入れる心」を忘れないでいたいですね。私のやっている音楽は賛美歌のように誰でも口ずさめるものではないですが、独りよがりの小さな世界にはまり込んで、稽古で習った得意な曲を披露するような、自己満足の演奏だけはやりたくないのです。ただただ音楽、そして私の表現する世界を、その時々の時代の感性で聴いてもらいたいのです。

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時代とともにあってこそ音楽。時代の中で響いてこそ音楽。そしてどの時代にあっても「愛を語り届ける」音楽を奏でたいものです。琵琶の響きも、もっと多くの人に届いてゆくと良いですね。

風が知っている

先日の日本橋富沢町樂琵会は、津村禮次郎先生をお迎えして「勧進帳」聞き比べをやりました。本当に充実した会となり、嬉しい時間を頂きました。

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とにかく津村先生の独吟は圧巻といえるほどに素晴らしく、まさに脱帽。溢れる知性、柔軟且つ鋭敏な感性、圧倒的な実力はやはり尊敬に値すべき人だと思いました。戯曲良寛の主宰及び脚本を書いている和久内先生は、津村先生を「現代の世阿弥」だと評していましたが、あらためて共演させていただいて、実感しました。来年の3.11ではまた津村先生と競演することになりました。加えて詩人の和合亮一さん、女優の夏樹陽子さんともご一緒ささてもらうことになり、今から楽しみです。

今回私は遠く及ばずながらも、謡曲と同じ歌詞の勧進帳を、琵琶語りでやらせて頂きましたが、あらためて声の使い方、表現の仕方、息の持ち方等々大変良い勉強をさせてもらいました。よき先輩たちに囲まれて嬉しい限りです。今回の日本橋富沢町樂琵会は一年の締めくくりとして記憶に残る会となりました。

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毎年色んな活動をやらせてもらっていますが、ありがたいことに、どんどんと充実してゆく感じです。特に最近は、やっと自分が思うような演奏会が実現するようになってきたという実感があります。勿論まだまだ規模も小さいし、これで満足という訳ではないのですが、音楽的芸術的に納得できたと実感する時が増えています。
また今年は、武道のお師匠様から色々なヒントを頂き、発声の仕方を変えて取り組んできたのですが、声について少し光明が見えてきました。基本はあくまで器楽を中心にしながらも、来年は声についても少し掘り下げてみようと思っています。

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勧進帳熱唱中

今年は琵琶樂人倶楽部が開催100回を迎え、記念演奏会をやらせていただき、方丈記の公演でも何度も大きなホールでやらせて頂きました。そのほかヒグマ春夫さんのパラダイムシフトシリーズでは即興演奏にもガッツリ取り組んだし、灰野さんのポリゴノーラとのセッションもなかなかに面白い仕事でした。笛と樂琵琶のリフレクションズの演奏会がちょっと少なかったですが、来年はもっとやって行きたいですね。

表s来年からは尺八の吉岡龍見さんとのユニット「Eclipse」で初の演奏会をやります。このユニットでは薩摩琵琶に特化して、弾き語りと器楽のレパートリーを充実させていこうと思っています。

いつも書いているように薩摩琵琶の器楽曲はもっともっと充実させなくては未来が無い。とにかく現代という時代を見据え、時代にリンクする作品を書かなくてはリスナーは着いてきません。それは永田錦心。鶴田錦史が既に証明してきた事です。誰も知らないような物語をやっても興味は示してくれないし、現行の明治や大正のセンスで作られた曲を弾いても現代の人には受け入れがたい内容のものも少なくない。
永田錦心や鶴田錦史のように、時代を見据えて、次の時代を示してくれるような作品を作り演奏していかなければ、まだ歴史が浅い薩摩琵琶は本当に途絶えてしまうでしょう。

琵琶楽の新作を創ってゆく事は、私の仕事だと思っています。凝り固まった概念や感性を超えて、次世代に琵琶の魅力を伝え、新たな琵琶楽を創ってゆくのは、もはや使命だと感じています(私の性格的な部分も多々ありますが)。今年は声や即興演奏の可能性もあらためて感じました。

キッドアイラックアートホールにて、Soon・kimさん、牧瀬茜さんと

ただ私は自分でこうしよう、ああしようといつも考えながらやっているつもりなのですが、あとから振り返ってみると、何かに導かれているように音楽も活動も変化してきたように感じます。樂琵琶を弾くのも、いまや必然と思うのですが、きっかけは自分からではなく、勧められて始めたのが始まりです。琵琶そのものも、作曲の石井紘美先生の勧めがなったら、手に取ることもなかったでしょう。こうした出会いも皆「はからい」というのでしょうか。だから次はこうだという、自分の意思に囚われすぎないようにする事も大事だと、年齢を重ねるごとに思います。
「はからい」はまさに風ということも出来ます。風はその時々で突風になたり、穏やかな風となってそよぐ時もあるもの。そしてまた方向も変わってゆきます。時々の風に乗って少しづつ私の音楽も変化し、深化してゆくのです。明日の私がどうなっているのか。その答えは風の中にあるのでしょう・・・。

年末年始は毎年仕事をしないので、この年末には作曲したり、本を読んだり、普段出来ない事をじっくりとやろうと思います。今年も充実した仕事を沢山させていただきました。

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