熱狂的声楽愛好のススメ XXIV Met「遥かなる愛」

Metのライブビューイング、カイヤ・サーリアホ作曲の「遥かなる愛」に観て来ました。

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これは私が今まで見てきたオペラの中でもNo.1と思えるほどの飛びぬけた素晴らしさでした。現代オペラではトマス・アデスの「テンペスト」がいままでの白眉でしたが、これを越えましたね。音楽といい、舞台美術、演出全てが一つとなって幻想的な愛の非情と無常の世界を創り出していました。大満足!!

2曲はさすがにサーリアホだけあって非常にハイレベルで、繊細で幻想的、且つダイナミズムにも溢れる大作でした。フラジオなども上手く多用し、多様な表現が随所に感じられました。
そして主役の3人が本当に素晴らしかった。演技指導も十二分に積んでいるのか、歌唱は勿論の事、その演技もハイレベルでした。特に女伯爵クレマンスを演じたスザンナ・フィリップスの演技力は秀逸で、ぐいぐいと引き込まれてしまいました。ライブビューイングがオペラの重要な媒体となってきている現代において、UPで映されることが当たり前になっていることを考えると、オペラ歌手も一歩進んだ演技力が問われるようになるでしょうね。フィリップスはとても可愛らしい顔つきをしながらも、様々な表情を目の動き一つで表現していました。凄い演技力でした。まさに新世代オペラの申し子だと思います。ネトレプコに続く、次世代の新たなスターですね。一気にファンになってしまいました。

そして吟遊詩人ジョフレを演じたエリック・オーウェンズの歌唱がまた良いのです。4声質が実に豊かで伸びやかで、艶のあるバスバリトンは気持ちが良かったですね。その二人の間をつなぐ巡礼の旅人役のタマラ・マムフォードも性別の無い(人間かどうかも判らない)役柄にマッチしていました。
また今回は「シルクドソレイユ」の演出で知られる映像の魔術師ロベール・ルパージュの舞台セットがこの舞台をとびきりの幻想空間に仕立てていました。LEDを多用し、ハイテクを駆使した演出はまさにマジック!物語の世界に浸ってしまいました。
実はアデスの「テンペスト」でもルパージュが演出を手がけているので、「テンペス」トの舞台に心酔した私の感性に引っかからないはずは無いのです。こういう演出はMetならでは。オールドスタイルの好きな方には、「オペラじゃない」と思われた方もいるかもしれませんが、オペラを超えたオペラの新しい形は実に素晴らしい。こういう先進性、柔軟な感性こそが芸術の根幹だと思います。

         

Met解説より
物語は12世紀のフランス。ブライユの領主で吟遊詩人のジョフレは、享楽的な生活に飽き、理想の女性を求めていた。そこへ現れた巡礼の旅人から、トリポリの女伯爵クレマンスこそ自分が求める女性だと知り、憧れをつのらせる。クレマンスもまた巡礼の旅人から受け取ったジョフレの詩を読み、まだ見ぬ彼に恋心を抱いていた。ついにジョフレは、海を渡ってクレマンスに会いに行くことを決意するが、トリポリに近づくにつれて不安がつのり、心身をさいなみ始める。トリポリに上陸した時、ジョフレは病に冒されていた…。

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その美しさによって死神を引き寄せたともいえるクレマンスの腕の中で、純粋な愛を持ち続けた吟遊詩人ジョフレが世を去ってゆくシーンは圧巻で、スザンナ・フィリップス、エリック・オーウェンズの歌唱と演技から目が離せなかったです。

愛と妄想、憧憬と幻想。そして最後にはそれらと現実が折り重なり、それぞれの登場人物の内面を抉り出し、運命の糸が手繰りよせられるように、クレマンスに、ジョフレに降りかかる。愛とは試練か、それとも裁きなのか・・・。

もうどこをとってもぴったりと私の感覚にはまるのです。邦楽でも是非こんな舞台があって欲しいですね。現代の邦楽舞台も様々なアイデアを駆使してがんばっているところもありますが、表面的なエンタテイメントに走りがちだと思うのは私だけではないでしょう。凄い、びっくり、ノリノリ、格好良い・・・こういうところばかりを追いかけないで、是非中身のある内容の高いものを創って欲しいですね。
この舞台の映像と音楽は、当分私の脳裏から離れないでしょう。忘れられない素晴らしい作品でした。

さて、2月5日は尺八の吉岡龍見さんとのコンビ「Eclipse」の旗揚げライブです。私は私のやり方で、充実の舞台をやっていきますよ。

パートナーシップ

もう年明けという気分も抜けましたね。今年も演奏会が始まり、古武術の稽古も始まり、色んなことがいつも通りにスタートしてきました。

日の出富士

私は一人で活動をやってきたので、なんでも一人とやろうとしてしまうところが悪い癖。しかしよくよく周りを見渡してみれば、私には様々な場面で良きパートナーに囲まれているのです。やっと最近は自分がやるべき仕事と、やってもらう仕事の区別がつき、人にものを頼めるようになりました。
音楽の面では、もう20年近く前から笛の大浦さんの助けを頂いて、多くの作品を生み出して来たのですが、会の運営や、個人の活動に関してはどうも自分で何でも抱え込んでしまう傾向が強かったのです。でもまあ年を取ったのか、最近では色々なパートナーの支えがあってこその自分というのを感じるようになりました。

忍野八海の湧き水
10年続けている琵琶樂人倶楽部では、古澤月心さんはじめ、いつも集ってくれる仲間や、ゲストで参加してくれる人たちにも本当に協力してもらってます。昨年から展開している日本橋富沢町樂琵会では場所のオーナーの小堺さんが常にあれこれと気を配ってくれているからこそ開催できるわけです。そういうパートナーが居てこそ今があるのです。プライベートでも良き仲間に本当に囲まれているという実感が、この所強くなりました。

人間が生きてゆくには、複雑ともいえる様々な側面を持っているものです。仕事、家庭、プライベートなど、本当に多くの世界と関わってゆくのが、現代人の人生なのでしょう。特に私のような特殊な仕事をしていると、多くの人と知り合います。そんな様々なお付き合いをバランスをもって、良きパートナーシップを築いて行くのが、人間力というものなのでしょうね。

今年は尺八の吉岡龍見さんと「Eclipse」というユニットを結成しました。このパートナーシップも今後面白くなって行くと思います。その旗揚げ公演が2月5日、練馬豊島園近くの「季楽堂」で開催されます。古民家を大改装して素敵な空間に甦らせた場所に、琵琶と尺八の豊穣な響きが鳴り響きます。是非是非足をお運びください。午後2時開演です。

表s

他にも今年は、これからパートナーシップを築こうとしている方も居て、単に音楽というだけでなく、色んな側面が連動してゆく一年となりそうです。
音楽家といえども、その人の音楽が響くには、その人の人生があって初めて、その人なりの音楽が生まれ鳴り響くのです。音楽の究極は音色だと私は思っています。声が皆それぞれ個性を持っているように、琵琶もそれぞれの音色が奏でられてこそ命を輝かせる。ほんのわずかなタッチを生み出すのは、単なる技術ではありません。そのタッチは感性であり、どんな感性を持って音楽に接しているかで、出てくる音が全く変わるのです。どんな考え方をして、どんな生き方をしているか。そしてどんなパートナーを持って、日々接しているか。そういうことが全て音色に出てきます。

だから演奏家の音色を聞けば、その人の性格から生き方まで見えてくるのです。「自分が一番」と思っている人は、どうしても一本調子で繊細な表現にはならないし、その逆もまたしかり。鶴田錦史のように、豪快にして繊細、または永田錦心のように繊細にして豪快という魅力的な音色を奏でる琵琶人は少ないですね。

2016年12月キッドアイラックアートホールにて

自分の感性は自分で創ったのではなく、周りに育てられた結果です。つまりパートナーに育てられているようなもの。パートナーとの関わりが、「私」を磨き、育て、感性が出来上がっているのです。そしてその感性から音楽が響くのです。お稽古して上手になっただけでは音楽は響きません。音が出ているだけで音楽になっていないのです。古典だろうが新作だろうが、「私」という存在が奏でるからこそ音楽となって響き渡るのです。

パートナーシップは対人間は勿論、環境、時代というところまで広がってくるでしょう。自分を取り囲む全てがパートナー。その中にあって、初めて「私」という自分が成立するのです。仏教では「生かされている」とよく言いますが、こういう部分を忘れた時に、自分も仕事も何も見失う。一人でがんばっているつもりでやっていた若い頃、ここを判っていなかった。今になって、その姿が見えてきます。

良きパートナーこそ宝ですね。

春に想う2017 Ⅱ

この正月は本当にのんびりしました。本を読み、音楽を聴き、なかなか普段出来ない事が出来て良かったです。
正月休みの最後、7日には六本木のストライプハウスギャラリーで舞踏駅伝という企画があって、昨年から色々とやり取りをしている坂本美蘭さんが出るというので、彼女の舞台を観てきました。

舞踏駅伝

彼女の舞台は以前にもちょっとだけ観ていたのですが、舞踏とか身体表現という小さな枠に留まらず、何ともいえず独自な世界があって、それがなかなか魅力的なのです。舞台全体に彼女独特のラインというか、ある種の型のようなもの、いわば美蘭スタイルというものを感じます。またバックの音楽(音響)も、彼女自身が放つ詩(言葉)も全て自分で創っているので、そんなところが私の共感するところです。彼女はジェンダーということが大きなテーマになっていて、今回も「オレンジのジェンダーアイデンティティ」というタイトルの作品で、勿論音響及び作詞も自作で創られていました。いつか共同で何か作品を創ってみたいですね。

                

坂本美蘭 photo by  坂田洋一

ダンスでも音楽でも勉強する事はよいのですが、ともすると習ったがゆえに多少の知識や経験に振り回され、「こうでなければ」という硬直状態に陥ってしまう例が多いですね。色んな舞台を観に行きますが、妙に「上手」が見えてくるようなものに出くわすとがっかりします。アーティストは既成の常識や概念から精神を開放して、上手なんて価値観からはとっくに開放されて、何かを創り出してこそアーティストであり、観ているこちらの感性の枠を破るくらいでなくては。
お稽古したお上手な技をひけらかしたいのであれば、無料のおさらい会でやれば良いのであって、そういう趣味のお稽古事と、アーティストの舞台を一緒にしてはいけないですね。邦楽も今後どれだけ舞台を創る人が出てくるかな~~?尺八でロックバンドの曲をカバーしたり、ポップスやっているのが注目の若手じゃあね・・・・。何とも情けない。

かわさきでアート2016 ダンサー牧瀬茜さん、映像ヒグマ春夫さんと photo by 薄井崇友
現代という時代に向かってどんな内容のものを、どんな気持ちで歌い、演奏するのか、どんな世界を創ってゆくのか、そこが我々舞台人に問われているところだと思います。小さなこだわりや、目先の格好良さに思考が留まって、お仲間にちやほやされて喜んでいるようでは何も創りだせません。それは社会と深く関わる事をしないで、自分が気持ち良くいられるお花畑に安住しているという事です。ぜひともそういうものから抜け出して、現代という時代の中からほとばしる音楽、舞台をやって欲しいですね。

従来の価値観に於いて「お上手」だろうがなんだろうが、そんな事は芸術作品に於いてはどうでもよいこと。言い換えるとそこを気にしているというのはお稽古事のレベルに意識があるということです。例えば琵琶語りだからといって大声張り上げてこぶし回したり、流派の節を上っ面だけ守るなんてことは、芸術という視点でいえば全く意味は無いのです。むしろそういう風に囚われているような心では、新たな時代の新たな音楽は創りだせません。こういう芸術的創造は、琵琶では既に100年前に永田錦心が正にやってみせたことなんですがね・・・・。

どんな分野でもそうですが、偉大な先人の創り上げたものの表面の形だけさらって、「伝統を守る」というような美辞麗句で飾り立て、一番大事な創造的芸術的感性を忘れ、優等生よろしく感性が凝り固まってしまったら、もうそこには音楽や芸術は現れることは無いですね。これは社会全般に於いてもに於いても同じことが言えるではないでしょうか。時代の最先端を切り開いて新たなスタイルを築き上げた先人は、さぞや嘆いている事と思います。

私の周りには高円寺辺りでライブをやっているバンド系の知り合いが沢山居ますが、皆独自のサウンドや世界を創ろうと必死にやっています。中には歌はものすごい音痴だけど、そこもまた魅力の一つになって独自の世界を創り上げ、結構な支持を得ている友人も居ます。何よりも彼の作り出す世界が素晴らしいから人が集ってくるのです。技術ではないのです。

戯曲公演「良寛」より 手前津村禮次郎氏

私は先ず第一に自分の創ったものを聴いてもらいたいのであって、先生に習った事を舞台で弾きたいなどと思ったことは、ギターを手にした小学生の頃から一度も思ったことがないですね。そんなことを舞台でやるようになったらもう終りだ、とさえ思います。自分のやる曲を自分で創るのは当たり前であり、カバーをやるなら「俺がやったらこうなるぜ」というくらいの気持ちで、自分の感性でアレンジでもしてやるのがアーティストなんではないのでしょうか・・・?。宮城道夫も、永田錦心も、鶴田錦史も、水藤錦穣も皆そうではないですか。
文学でも美術でも皆芸術作品はその人独自の創作であるからこそ尊いのではないですか?。古典ものを自分の舞台で取り上げることに関しても、明確な意思と哲学を持って、古典に新たな光を当ててこそ意味があると私は思っています。

美蘭さんの舞台を観ながら、自分の世界を明確に表現してゆく事の大事さをあらためて想いが広がりました。

さて、今日は新春の琵琶樂人倶楽部恒例、薩摩琵琶三流派対決です。今年も琵琶制作者であり演奏家としても活動する石田克佳さんをゲストに迎えて開催します。

1月11日(水)
場所:名曲喫茶ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅徒歩5分)
時間:19時30分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(薩摩五絃)古澤月心(薩摩四絃)
   ゲスト 石田克佳(薩摩正派)
曲 :観音華 屋島の誉 吉野落二段


尚、今年一年間のスケジュールは以下の通りです

1月11日:薩摩琵琶三流派対決 ゲスト 石田克佳
2月8日 : 平家琵琶特集 ゲスト 津田文恵
3月8日:独自の展開をする琵琶人達
    ゲスト 岡崎史絃  尼理愛子
4月12日:樂琵琶と平安文化
5月10日:薩摩琵琶と筑前琵琶聴き比べ ゲスト平野多美恵
6月14日:琵琶と文学シリーズ〔14〕
7月12日:語り物の系譜〔10〕
8月20日:SPレコードコンサート
9月13日:薩摩琵琶の歴史的変遷
10月11日:次代を担う奏者たちⅤ ゲスト未定
11月8日:樂琵琶特集~シルクロードから日本へ
12月13日:年末恒例掛け合い琵琶

本年もよろしくお願い申し上げます。

春に想う2017

今年は関東では穏やかな天気に恵まれたお正月でした。しかしながら世の中はなかなかそうは行かない時期に来ているようですね。こういう時にこそ、琵琶の音を広く響き渡らせたいものです。
今年は静岡に行っていたので、初春の富士もしっかり堪能したのですが、良い写真が撮れなかったので、昨年末に撮った、江ノ島からの富士山の姿を。

今年の活動はやはり先ずは作曲ですね。今年から尺八の吉岡龍見さんと組んで演奏会を始める事もありまして、デュオの作品をもう少し作りたいです。またこれまで独奏曲もいくつも作ったのですが、「風の宴」以降今ひとつ代表曲になってゆくようなものが出来ていませんので、チャレンジしたいと思います。そしてそれをどんどん上演していかないと意味は無いですね。
また声についても少し光が見えてきたので、掘り下げていこうと思います。もし良い形で声が自分の表現の中で使えるようになったら、従来の琵琶歌ではなく、新しい形の声を使った作品を作曲して行きたいですね。

14694801_932241246920671_1089351881_nそして今年も昨年に続き、映像やダンスといった音楽以外のアート系の方面で色々活動したいと思っています。
他の人はどうあれ、私は素直に自分の生まれ育った土地から沸き出でる音楽をやりたいです。それも民族音楽という枠ではなく、洗練された最先端の日本の音楽として外に向けて放って行きたい!。

活動が深まるにつれて、伝統邦楽の世界からはすこしづづ離れてゆく自分を感じます。お正月にTVで邦楽番組を見ましたが、やっぱり伝統邦楽(江戸文化はといった方がよいだろうか)は、基本的にエンタテイメントの世界なのですね。歌舞伎も相変わらず派手で凄いし、日舞などなかなかレベルが高いと思った反面、どう見ても?なものも多かったのが残念でした。何故世阿弥のような深い精神性と大きな世界が忘れ去られ、邦楽器でロックやポップスをなぞって喜んでいるのだろう?。これが今の邦楽の先端??。だとしたらもうここには私の居場所はありませんね。

森有正は「バビロンの流れのほとりにて」の中で「孤独は孤独であるがゆえに貴いのではなく、運命によってそれが与えられたときに貴いのだ」と書いています。芸術に対する彼の想いがつづられたこの本を正月休みに久しぶりに読んで、邦楽のことを思いました。西洋の芸術と邦楽は違うと言う人もあるでしょう。しかし人間が何かを創り出す時、西洋も東洋も無いと私は思います。本当に心底から想うものに身をゆだね、その心が揺るがないのなら、結果的に孤独が運命によってもたらされても、いくらでも受け入れられる。むしろその孤独は何にも代えがたい貴いものとなるでしょう。そしてたとえ人には知られなくとも、そこからは詩が溢れ、音が響き渡る事と思います。

音楽家は仲間内で盛り上がっているようでは何も創り出せない。皆でがんばって「ショウ」は作る事はできても、唯一つの音色、唯一つの響きをこの身に体現するには、孤独の中に身を置いて、たった独りになって音楽と対峙しなければ、その深遠は聞こえてこない。創造とはそういうことだと私は常々思っています。世阿弥や永田錦心や鶴田錦史はきっとその孤独を持っていたのではないでしょうか。今、貴いと呼べるような孤独が邦楽にあるだろうか・・・・?。自分の浅はかな心によって勝手に創り出した孤独はあるかもしれませんが・・。それともまた新しい価値観が生まれ出るのでしょうか・・・・・・。

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年明けは琵琶樂人倶楽部「薩摩琵琶三流派対決」もあるのですが、先ずなんといっても吉岡龍見さんとの尺八・琵琶デュオ「Eclipse」旗揚げ公演です。

今年も是非是非よろしくお願い申し上げます。

2016年 主な年間活動記録

2016年主な活動記録

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