先日、田原順子先生の門下生の会に行ってきました。門下の会といってもそこは田原先生仕込みですから、いわゆるお稽古事の発表会ではありません。まだ技量は至らなくても、皆創作作品を演奏します。こういう琵琶の会は他には全くありませんね。
田原先生は琵琶の世界で唯一、本当に唯一まともな話が出来る先生なのです。私はもう20年程前からお世話になっていますが、今回は久しぶりにゆっくりと話が出来、とても嬉しく楽しい時間でした。また先生の考え方が私と同じ方向を向いている事もあらためて感じました。
私はこのブログで度々「器楽としての琵琶」と書いていますが、これを生徒に率先して教えているのは田原先生唯一人だけでしょう。どの教室に行っても歌をいやおうなくやらされます。「琵琶を弾きたいのに何故歌をやらされるのだろう、何で独奏曲やアンサンブル曲が無いのだろう?」と、稽古を始めた若かりし頃、私はいつもそう思っていました。私と同じような思いの方もきっと多いかと思います。私ははじめから仕事にすることを目的として琵琶に接したので、弾き語りも琵琶楽の一つの形だと思ってやりましたが、あの音色に興味があって惹かれて来たという人、またはギターなど他の楽器をやっていた人にとっては、楽器が弾きたいのであって、歌いたい訳ではないのですから、歌うことはハードルでしかないのです。
以前ギターの先生に拙作「沙羅双樹Ⅱ」のCDを差し上げた時、「歌は誰が歌っているの?」といわれました。琵琶伴奏の歌のCDです、といえばよかったのですが、琵琶のCDですといって差し上げたので、まさか歌がついてくるとは思わなかったのでしょう。つまり琵琶は弾きながら歌うものだという認識すらないのが現代という時代なのです。琵琶人が当然と思っていることは世間では通用しないのです。
現代人は演歌や時代劇、アニメ、ゲームなどの効果音でしか琵琶に触れる機会がない事を思えば、琵琶の歌には興味がないという人がいる方が当たり前でしょう。あくまで琵琶は、あの音こそが琵琶なのです。そういう生徒が来た時に、どう対処するのか・・・。
時代と共に入り口も、やり方も変わってゆくべきですね。そして琵琶楽も時代と共にどんどん変化していくのが、まっとうな在り方だと思います。しかし教える方がそれを出来ず、旧来の慣習常識から抜け出すことが出来ず、そのやり方を生徒に押し付ける。またそれに従わない人を認めない。これでは衰退するのはやむを得ません。
琵琶樂人倶楽部打ち上げにて、田原先生、私、愛子姐さん
そんな旧来の形ややり方に固執する先生が多い中、田原先生だけは違うのです。生徒に対し自由に琵琶に関わらせて、「自分がやりたいものは何か、出来るものは何か、何故やりたいのか」と常に生徒に問いかけて、自分の道を切り開いてゆくように生徒を導いている。だから生徒は夫々に考え、創造性を磨き高めて、自分のスタイルを創って行く。
これは学校教育でも他の分野でも当たり前のことなのですが、琵琶の世界では、先生の色に生徒を染め、志向や行動までも染まる人だけを集めようとする。創作もさせないし、流派の曲しかやらせようとしない。先生に内緒でライブやっているような人も見かけますが、月謝払って習いに行きながら・・・。おかしな話です。田原先生のように自由な発想を生徒に促すような方がどんどん増えると良いですね。
キッドアイラックホールにて 灰野敬二、田中黎山両氏と
大体人にものを教えるというのは、生半可な事では出来ないのです。型や技の中に在る「根理」を教えなければいつまで経っても表面をなぞっているだけで、表現活動からは程遠く、お稽古事、お浚い会を超えることは出来ません。平家物語一つ、源氏物語一つ語るにも、膨大な知識も教養も必要なのです。教える先生に、和歌をはじめとして古典文学、雅楽、能、茶道、などの伝統文化や歴史の素養がどれだけ備わっているのでしょう・・・?。表面の技や型を教えたところで音楽にはなりません。それは唯の技芸でしかないのです。
琵琶楽が、地方の神社に残るお神楽のような地元の年中行事みたいなものでよければ、今のままでよいでしょう。しかし血沸き肉踊る日本の音楽として、日本の文化を代表する音楽として遺して行きたいのであれば、現状のあり方では難しい。
企業でも、小さなお店でも、衰退の一番の原因は形骸化です。今まで通りやっていれば間違いないと思った時点でもう衰退の始まりです。常に創り出し、攻めて行かなければ、残念ながら社会の中では続きません。世はパンタレイ、万物流転が習いなのです。それを語って歩いたのが、誰あろう琵琶法師であり、今は薩摩琵琶ではないのでしょうか。諸行無常と語りながら、形や慣習に固執することは全くナンセンス以外の何ものでもないですね。
琵琶を教える師匠には、日本文化全般に通じ、且つ世の中の流れを見据え、永田錦心が願っていたように洋楽にも理解があって欲しいですね。今やクリック一つで世界と繋がる時代。先生になる人は、他文化との比較文化論の一つも大学で講義出来るようであって欲しいものです。まともに文化として琵琶を教えることの出来る、広い視野と感性を持ったお師匠様が、これから増えてゆくことを願うばかりです。
GWも終わり、外は新緑に溢れ、もう暑い位の日差しですね。身体もやっと季節に慣れ、色んなものが動きだしてゆくようです。
GW前後は、毎年何故か演奏の仕事が少ないので、色々と雑用をこなし、譜面に向かって、夜は夜で、毎夜面白い連中と出歩いていることが多いのですが、今年はそんな中で、よくお世話になっている舞踊作家協会の公演「奇才?天才?北斎!」を観て来ました。
昨年の3月には同じ作家協会の定期公演で、「ただありて~白道の章」という創作の舞台を、私の樂琵琶と花柳面先生、萩谷京子先生とでやりましたが、近年の舞台の中でも記憶に残る作品となりました。舞踊作家協会では本当にいくつもの舞台をやらせてもらって、良い勉強をさせてもらいました。
さて今回観に行った作品ですが、色々な踊り手が夫々短い作品を持ち寄るオムニバス形式で構成されいて、面先生は鼓の福原百之助さんと一対一で作品を上演しました。
これが本当に凄かった!!。短い作品でしたが、これほどに充実した気迫を感じるレベルの高い舞踊作品は滅多にお目にかかれないと思いました。二人とも近世邦楽の古典が身に沁み渡っているだけに、創作なのに古典を十二分に感じる作品でした。ああいうものはちょっとやそっとじゃ成立しません。徹底して古典を習得してこそ成り立つ創作であり即興でした。長唄や歌舞伎の歴史と底の深さを感じましたね。まさに日本芸術の最先端。終演後には、一緒に観ていた歌舞伎マニアのサウンドクリエーター 清水弾君と「あれは凄すぎた」とひとしきり盃を重ねてしまいました。
鼓の百之助さんの演奏も久しぶりに聞きましたが、「良いキャリアを重ねてきているんだな~」と実感しました。私が琵琶の活動を始めた頃に共演して以来の知人ですので、こうして邦楽の世界で夫々の道を歩んでいるというのは嬉しいですね。久しぶりに話も出来て楽しい夜でもありました。それにしても洗練された古典の力は凄いです。こういうところが薩摩琵琶との大きな違いです。
厳島神社演奏会にて
基本というものは、流派のやり方というものとは違います。能の様に長く深い歴史のある芸能だったら、洗練を経た型の中に精神や感性が満ち、流派の基本、哲学を含め、日本文化の根本が溢れている事でしょう。しかしたとえ能といえども単なる流派のやり方をなぞっているだけでは日本文化の本質は見えてこない。その奥にあるものに目を向けない限り、見えては来ないのです。
薩摩琵琶のように歴史も浅く、先生によって歌い方から弾き方までまちまちで、芸術的な精神や感性、哲学、発声法さえも確立しておらず、更には琵琶を生業としている先生もほとんど居ないという状態では、ただ先生個人のやり方があるだけであって、それは琵琶の基本、日本音楽の基本とはおそよ遠いものでしかありません。流派というものが本当の意味で確立している能などとは、残念ながら程遠い。
基本とは何か。とても難しい問題ですね。現代の日本人はすぐに「感覚、直感」と云い、考える事を止めてしまいますが、その感覚や直感はどこから発せられているのでしょうか?。寄って立つところはどこなのでしょうか?。感じるということとは何かの土台や基準があってこそ感じるのであって、それぞれの哲学の上に立って出てきます。哲学は風土や歴史、伝統の上に成り立っています。そういうものがあるから人間なのであって、そういう根底に目をやらないとしたら、唯の動物でしかない。これだけものが溢れ、情報に振り回される時代だからこそ、我々の基本を再確認することが、今重要なのではないでしょうか。
上述の清水君とも話していたのですが、その人が何を基本としているか結局舞台にすべて現れるのです。自分が何を基本とし、どんな哲学を持って舞台に挑んでいるのか、そういうところを我々舞台人は問われているのです。
自分の基本となるものをしっかりと理解している人は、先ずぶれが無い。その上、広く日本の文化や歴史に目を向けている人は、多くの分野から得るものがあるだろうし、更に世界と繋がる現代という時代を捉えている人は、「世界の音楽・芸術の中での日本の芸術」という意識と大きな視野が生まれるから、面先生のように最先端でありながら深い日本の精神や哲学を表すことが出来る。そしてその眼差しや精神は、世界の人が見たら驚くようなレベルの作品を創り出して、千年以上に渡り古典から続く日本芸術の豊かさを世界へと発信して行くことでしょう。
逆に視野がお仲間や流派などという、小さく狭い、自分を取り巻く極小世界しか観ることができない人は、いつまで経っても仲間内から抜け出せず、お稽古事のお浚い会以上の舞台は張れない。
京都 清流亭にて
私は薩摩琵琶に関しては弾き語りという形を追うつもりはありません。弾き語りも一つのやり方だと思いますが、器楽としての洗練が無ければ、もう終わりだと思っています。そして筝曲が歌から器楽へと変わって行った様に、薩摩琵琶は今後色々な形で発展してゆくことでしょう。そう思う理由はまたあらためて別の機会に書きますが、それよりも今は薩摩琵琶が日本の音楽ジャンルとなりえるかどうかという、ギリギリのところに来ているのではないでしょうか。何を基本にして日本音楽としての精神性を確立するのか。そこにかかっているでしょう。古代中世から続く日本の感性や精神を受け継ぐ音楽となることが出来るだろうか・・・?。少なくとも軍国や忠義の心などの父権的パワー主義は、もういい加減に無くなって欲しいものです。日本の文化として後世に語り継がれるような内容と魅力を持っていたいですね。
世は新緑の季節となりましたね。青葉が目にまぶしく輝いて、外を歩いているだけで生の息吹というものを感じます。今年は3月4月の花粉の時期に思いがけず色んな仕事をやらせて頂き、例年になく結構動き回った春でしたが、そろそろいつものように演奏会が活発になって来ました。季節と共にいろんなものが動き出してゆくのでしょうね。
これからの演奏会でやる演目も色々と抱えているのですが、先ずは独奏曲をブラッシュアップする事が最優先。もう2曲程出来あがって、何度か演奏会にもかけているのですが、まだ今一つしっくり来ないので、この2曲を仕上げて、いつもの「風の宴」とはタイプの違う薩摩琵琶独奏曲を3曲並べる演奏会が出来るようにしたいと思っています。
薩摩琵琶は歴史が浅い事もありますが、器楽としての曲が極端に少なく、せっかくの音色が樂琵琶のように豊かに響き渡らないのです。まあ器楽曲を創るのは、私に与えられた使命だと思って、どんどんと創り出すことに精進します!。
先日は、ナレッジ&カルチャーアカデミー主催のレクチャーで中世以前の樂琵琶のお話と演奏をしてきました。
場所は麻布にある善福寺という歴史のあるお寺だったのですが、ご参加下さった皆様のお陰で気持ちよくやらせていただきました。一緒に写っている方はパイプオルガンの製作者として有名な横田宗隆さん。38年間スウェーデンで活動をされていて、一昨年日本に拠点を移して活動しているそうです。日本の文化をもっと知りたいという事で、今回参加してくれました。豊かな経験を背景にした視点で、色々とお話を聴かせて頂き、貴重なディスカッションが出来ました。
琵琶という千年以上の歴史を持つ楽器に関わらせてもらって、本当にありがたいと思うと同時に、やはり日本の古典や歴史はもっともっと知りたいし、知らなければ豊かな響きは出せないと常々思います。なんたって世界一の歴史なんです。敦煌の遺跡から発見された楽譜が、今こんなちっぽけな私にも大体判るという事は驚異的なことです。この歴史の持つ意味を感じずに入られませんね。
少なくとも日本というこの土壌で育まれた感性を掘り下げていくには、和歌の知識見識は必須ですし、雅楽や能、文学はもっともっと精通するべきだと、レクチャーなどをやる度に思います。勉強は尽きないですね。
今時ですから、「源氏物語も古今和歌集もよう知らんし、大して興味も無い」という琵琶奏者も多いかと思います。それはそれでその人のやり方ですので、私がどうこう言う資格はありません。しかし私はもっともっと古典の世界を知りたい。中学高校から古典文学が好きで親しんできたので単なる趣味ともいえますが、琵琶は歴史がまだ100年程しかないのですから、その前に在った豊かな琵琶楽を知らずして、私はとても琵琶を生業には出来ないのです。アカデミックな勉強でなくとも、万葉集から続く日本の和歌の歴史と感性は肌身で感じていたいですね。文学、芸能等々、他の国にはありえない長い歴史と、深く豊かな文化を、世界で唯一持っているのが日本という国だと私は思っています。
幸い私のお付き合いしている方々は皆さん古典に精通している方ばかりで、和歌は勿論の事、古典文学や芸能に大変詳しいので、いつも良い勉強をさせてもらってます。ありがたいことです。
今回のレクチャーでも話題になりましたが。日本語の持つ母音の響きと魅力は深いものを感じます。母音を生み出すその感性と身体性は、今後の日本の精神文化にとって重要な鍵になると思っています。母音や鼻濁音など、忘れてはならない「声」が日本語にはあるのです。けっしてコブシをまわすことではありません。
同時に所作もこれからの日本の社会に於いて大きな意味を持つと思います。所作は単なるお作法ではないのです。そこには多くの意味があるのです。言い方を変えれば、日本の感性がそのまま形になったのが所作なのではないでしょうか。音楽同様、お作法の表面の形をなぞっているのは、所作とはいえません。
近頃では舞台でまともに歩けない邦楽人が増えました。そういう姿を見ると、少しばかり上手に演奏出来ても、日本の文化を代表してゆくべき舞台人として本当に情けなくなります。
現代では言葉も乱れに乱れていますが、少なくとも伝統音楽に携わる人には、古代から受け継がれた感性と共に、美しい日本語と身体を持っていてもらいたいものです。いくら大声張り上げて熱演しても、歩き姿弾き姿がなってないようでは、日本文化として世界に観せることは出来ませんね。
千年以上の歴史を誇る日本。そしてその中で琵琶楽もまた千年以上に渡り歴史を刻んでいます。大きな視野を持ち、この琵琶楽の豊かさを世の中に発信して行きたいものです。
箱根岡田美術館 尾形光琳 菊図屏風前での演奏会にて
5月はお世話になった方や両親が旅立った季節でもあり、私にとっては別れの季節です。しかし、別れがあるからこそ、また出会いがあるというもの。別れを経験して、初めて見えてくることも沢山あります。花が散るからこそ青葉が芽吹くように、またここから千年を越える歴史のその先へと、新らしい響きを生み出して行きたいですね。
想いは尽きないのです・・・・。
先日、第8回の日本橋富沢町樂琵会をやってきました。今回は尺八の吉岡龍見さんをゲストにやったのですが、吉岡さんと能の津村禮次郎先生とが旧知の仲という事で、なんと急遽津村先生が特別出演して舞ってくれたのです。
3人で拙作「まろばし」を演奏したのですが、これが凄かった。「まろばし」は私が琵琶を始めた時からやっている私の音楽を代表する、一番大切な曲なのです。いつかは、この曲で津村先生に舞っていただきたいと思っていましたが、はからずも日本橋富沢町樂琵会に於いて実現したのです。
「まろばし」は尺八の一音成仏の世界を琵琶と尺八で表現しようと思い立ち、作った曲ですが、「まろばし」とは剣の極意の事です。一音成仏の世界観を表現するには、これ以外のタイトルは無いと思って名付けました。私の琵琶作曲作品に於いてもごく初期の作品ですが、今でも一番の私の代表曲です。邦楽がどんどんと洋楽化する中で、日本音楽の復権を目指した、私の所信表明ともいえる曲なのです。
音楽は常に時代と共に移り行くものだと思っていますが、琵琶弾きである以上、琵琶の音色が生きている音楽をやりたいという想いは、琵琶を手にした時から変わりません。この曲は私が考える琵琶の音色が一番に発揮されている曲だと思っています。
「まろばし」を作った1990年代は、現代邦楽と称して、筝と尺八でピアノとフルートのように演奏する洋楽モドキの作品が溢れ、邦楽ポップスバンドみたいなものが出てきて、日本音楽が全くもってその音色を忘れていた時期でした。時代遅れのエレキギターのような陳腐な三味線やら、音程の悪いソプラノサックスのような篳篥や尺八等々、もうどこまで洋楽コンプレックスがあるのだろう、と首をかしげるようなものばかりが溢れかえり、またそういうものを邦楽人がもてはやしていました。
何をやっても良いと思いますし、従来のレールの上を優等生面して走るくらいなら、まだ良いかとも思いますが、私のように洋楽から来た人間には、そんな洋楽モドキようなものには、ジャズやロックやフラメンコで味わっていた情熱は何も感じませんでしたし、正直な所、とても幼稚で低俗な音楽に聞こえました。私はそんなものをやるために音楽に、琵琶に携わっているのではない、と頑ななまでに思っていましたね。
まあ今から思うと私自身も若かったですが、当時も今も、琵琶で演奏する以上、誰にも出来ない、想像もつかない、琵琶でしか実現し得ないものを世界に向かって聴かせたい!!。こういう部分は今でも全く変わらないですね。
私が憧れてきたものは、ジャズでもクラシックでも最先端の現代音楽でしたので、ショウビジネスの匂いのある、売る為の音楽は、今でも耳を素通りするばかり。自分の日常に流れていて欲しくない。だから大正から昭和にかけて大衆音楽として人気を博した薩摩琵琶唄も最初から興味の対象外でした。ああいうコブシまわして歌い上げるものが伝統だとは全く持って思っていないですし、琵琶楽はあんな底の浅いものじゃないと考えています。
私はあくまで琵琶の音色で自分の思う音楽をやりたいのです。その為に古代の雅楽や、中世の文化、更にはそれ以前の大陸を渡ったシルクロードの音楽を知り、日本の美術・文学などに色々と接し、日本文化をこの身に体現しようとしているのです。たとえ私自身は吹けばと飛ぶ様な存在であっても、自分自身が源博雅や藤原貞敏、藤原師長から続く琵琶楽の流れの最先端に居るという意識だけは持ち続けたいですね。大正辺りから始まった流派や会派などという小さな視野では、とても千年以上に渡る歴史を持っている琵琶楽を捉えることは出来ません。
そんな私が琵琶を手にしたときに最初に作ったのが、この「まろばし」だったのです。
タシュケントのイルホム劇場にて 指揮 アルチョム・キム
「まろばし」は最大限に琵琶と尺八の音色が響き合い、ぶつかり合って、絶対に他の楽器では成立し得ない音楽として、今でも自負を持って演奏をしています。そしてこの曲は本当に多くの人と組んで演奏してきました。
初演はいつもの相棒 大浦典子さんの能管。ファーストアルバムでは尺八のグンナル・リンデルさん。その後は能管の阿部慶子さん、福原百七さん、尺八の若手~ベテラン演奏家達、更にはBBCオケのフルーティスト リチャード・スタッグさんや、タシュケントにあるイルホム劇場でのアルチョム・キム率いるオムニバスアンサンブルとの共演も忘れられない思い出です。その他もう数え切れないほどの人達とやってきましたが、今回は尺八の大ベテラン 吉岡龍見さんとのコンビですから、まさに「まろばし」の真髄が発揮されるだろうと思っていました。そに津村先生が入る事になり、現在考えられる史上最強のコンビネーションが実現したのです。会場は小さかったですが、そこにはもの凄い空間が出現しました。
こういうものをやるために、私は琵琶を弾いているのです。こぶしまわして声張り上げるために琵琶を弾いているのではありません。琵琶を弾くのが私の仕事であって、歌うのはその一部でしかない。私は私の音楽を実現する為に琵琶を弾いている。ただそれだけのことです。
ギターを弾いても皆演奏家個人の音楽があり、色んなジャンルがあるように、琵琶を弾いても、色々なスタイルやジャンルが存在するのが当然でしょう。大正や昭和に流行したものをやりたい人はやればよいし、ポップスをやりたい人も、オリジナルの弾き語りをやりたい人も皆思うようにやればばよい。琵琶=弾き語りというスタイルを押し付ける事自体がおかしい。どんなスタイルでも、その音楽を現代に生きる人が良いと思って聴いてくれるかどうか。そこに感動できる音楽があるかどうか。そこを無視して形式ばかり追いかけたら、もう音楽としてはお終いです。
最近になって少しづつ、やっと自分の思い描いている世界に近づいてきているように思えます。もっともっと私の音楽を聴いてもらいたいのです。
素晴らしい一夜でした。
先日、ドキュメンタリー映画「ヨーヨーマと旅するシルクロード」を観てきました。
周りの友人達からもかなり勧められていて、私自身もヨーヨーマの主催しているシルクロードアンサンブルの音楽は大好きなので、楽しみにしていたのですが、期待以上の内容で、久しぶりに映画を観て興奮する気分を味わいました。何だか勇気をもらったような気分になって、「自分がやってきたことは間違っていない」という確信が心にムクムクと沸きあがりました。
樂琵琶に取り組み始めた頃の私 若い!!
私はこれまで薩摩琵琶と樂琵琶の両輪で活動をしてきました。薩摩琵琶では現代曲を創ったり、アンサンブルもやっていますが、これは先人が既にやっていることを私なりに発展させていると感じています。まあ琵琶の器楽面を私のように強調した人は少ないかもしれませんが、ある意味で、現代邦楽という分野の最先端という意識があります。
Reflections「風の軌跡」録音時風景2011年
一方、笛の大浦さんと私の樂琵琶でコンビを組んでこれまでやってきている活動は、私のような演奏・作曲の形態自体の前例が全く無いのです。このコンビで作ってきた曲はもうかなりの数になり、台湾の演奏家達(ピパ・二胡・笛)が演奏会で何度も取り上げてくれたり、尺八やフルート、ヴァイオリンなど色々な楽器の方々とも共演をしてきました。しかし樂琵琶に於いては、雅楽を土台にしながら、シルクロードを視野に入れて作品を発表するという事自体が、今迄に無いスタイルでしたので、自信を持ってやっているものの、迷いがなかったと言えば嘘になります。つまり今一つ確固たる自信が自分の中に出来ていなかったということです。しかしこの映画を観て、「これでいいんだ」というエールを頂き、強く背中を押された気分になりました!!。
そしてこれまでは見ている範囲が小さかったのだという事も認識しました。何かの枠にはまらないのは相変わらず私流ですが、大きな視野を持っているつもりで、まだまだ意識が出来ていなかった。シルクロードアンサンブルのメンバーの活動振りを見ていて、そこが一番感じたところです。
もっともっと自分なりにやっていこう、自分の思う通りにやっていいんだ、という気分になりましたね。自由にやっているつもりでも、どこかに気負いがあったのでしょう。これからはより純粋に音楽に向かって行けそうです。まあ元々しがらみも肩書きも無いので、やりたいようにしかやって居ませんでしたが・・・・。
ほんと頭がすっきりしました。ここ数年で活動の方も大分いい感じでまとまってきましたし、ショウビジネスとは違うところで動いてゆく自分のやり方も筋道がはっきりしてきました。
さて、今週は20日に第8回日本橋富沢町樂琵会。尺八の吉岡龍見さんをゲストに、そして能の津村禮次郎先生を特別ゲストに迎えてやります。
また月末27日にはナレッジ&カルチャーアカデミー主催の講座&食事会があります。麻布十番の善福寺で、雅楽を中心に樂琵琶と平安貴族の関わりをレクチャーさせていただきます。終わってからは、イタリアンレストラン ファンタジスタドゥエにて食事会というなかなか無い企画ですので、是非是非ご参加下さい。詳しくは私のHPをご覧になってくださいませ。
花粉症もやっと過ぎ去りましたし、これからどんどん我が絃を鳴らし世界を旅したいですね。琵琶の音を広い世界に響かせたいのです!!。