共に歩む

やっと秋の風を感じるようになりましたね。この秋は、琵琶樂人倶楽部が来月で開催200回目を迎え、11月には17周年も迎え、10枚目となるアルバムのレコーディングもあり、何かと私にとっては節目の秋になっています。この秋をターニングポイントとして、更に新たな展開をして行きたいですね。まあこれからが楽しみという訳です。

六本木ストライプハウスにて  photo 新藤義久


私が時々説教を聴いている大阪ルーテル教会の大柴牧師が紹介していたアフリカの諺に、「速く行きたいのなら独りで歩きなさい、遠くまで行きたいのなら誰かと一緒に歩きなさい」というものがあります。私はこの言葉がとっても好きなのです。何かを創り出し、豊かな感性を育んで行くには、相方と一緒に歩まないと、見えるものも見えなくなってしまいます。ただ突っ走っているだけでは何も達成できません。私はともすると一人でやろうとしてしまうので、この言葉は私に多くの示唆を与えてくれました。そして共に歩む人が居てこそ実現することが多いという事を実感してきました。これまで様々な場面で多くの方と共に歩んで行けた事は、導かれた運命だと思っています。そしてそれは実に幸せな事だったなと、この年になってしみじみと感じ入りますね。

私は何事に於いても皆と一緒にやろうというタイプではありません。しかし良き仲間の存在があったからこそ、私はこれまでやって来れたと思っています。仲間と一緒に演奏している事で大きな気づきを得る事もあったし、新作を仕上げている時には、自分の頭の中だけでは見えなかった事が、一緒に演奏する仲間のお陰で具体化して新たな扉が開いて、作品がどんどん充実して行く瞬間を何度も味わいました。それは常に対等で、相手に対する信頼や尊敬を持っている事に加え、皆同じく自立した音楽家芸術家として接してきたからだと思います。お互いに自立した一音楽家だったからこそ、自分の歩む道も見据える事が出来たのだろうと思っています。

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日本では「皆でやろう」というのが美徳として考えられていますが、ともすると参加する事に満足してしまって、意思決定は結局監督や代表が決めて、皆はそれに従うのみという例が多いですね。これは音楽家でも同じなのですが、自分の音楽は何かという問いかけをせず、明確な意思や芸術性が無いままに、活動して飛び回っている自分に満足してしまう。これではただの駒に過ぎない。皆で意見も出し合い、議論を交わし、時には反対意見にも耳を傾けて、皆で創って行くような形が出てきて欲しいですね。同じ方向を向いて、何も反対意見を言わないで従う人だけが集まっている集団は、海外と対等に関わって行くこれからの時代にあっては、多様性には程遠いだろうし、もう時代には合わないと思います。個人の意見よりも集団のルールを優先させ個人に対してストレスをかけ続け「余計な事は言わない」「我慢する」最後には「忍耐は美徳」という常識を有作り出し、結果的に周りに忖度するような昭和の日本社会のようなあり方では何も生み出せません。日本人の村社会的「普通」は世界では通用しないのです。個人もどこかに所属して肩書などの自分が寄りかかるものを求めるような、ひ弱なメンタルを脱し、個人として自立するような生き方にシフトしないと、失われた30年が50年にも100年にもなりかねません。

私はとにかくお互いの自立が前提だと思っているので、知り合う仲間もそういう人と自然に繋がって行きます。そんな仲間達と一緒に活動する中で、何でも自分の力で何とかするのではなく、仲間の存在が如何に大きいかを実感してきたのです。良きパートナーと一緒に演奏すると、自分の作曲した作品が自分でも思ってもみなかったような生命力を持って輝き出すのです。そんな瞬間を何度も味わいました。誤解しないで欲しいのは、「仲間と歩む」という事は、決して自分の至らない所をカバーしてもらう事ではありません。無限の広がりを創り出す事なのです。そこを履き違えている人が多過ぎるように思います。

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これまでやって来れたのは良き仲間に恵まれ、共に歩んで来れたからとしか言いようがありません。活動をしていれば波騒は常の事ですし、時に自分の視野がつまらない方向に向いてしまう事もあります。特に新たな事をやるには新たな知識も技術も必要になるので、そちらに凝り出すことも多々あるのですが、理論や技芸に陥って音楽が自分を誇示するようなものになってしまったら、もうそこに創造性は求めようがないです。魯山人も「位階勲等から遠ざかるべき」と言っていますが、芸術家は自分の身一つだけで、何も持っていない方が良いのです。沢山勉強するのは結構ですが、余計な知識思考は余計な肩書と同じで、鎧のようなものです。私がいつも音楽に対しては純粋な姿勢を持って歩めたのも、同じ志を持った仲間と一緒に舞台をやって来れたから、自分の内側、外側のつまらない事に振り回される事無く、自分本来の姿でいられたのだと思っています。

相方に恵まれた事によって遠くまで歩いて来たこの道ですが、これからもも
っと先へと歩いて行く事になるでしょう。この旅に終わりを感じません。一人で走っていたら、どこかで自分を確認しようとしてつまらぬことをしていたでしょう。しかしそんなことに不安を持たなくても、嬉々として歩んで行けるのは良き仲間が居てくれるからです。

ウズベキスタン タシュケントのイルホム劇場にてアルチョム・キム氏率いるオムニバスアンサンブルと「まろばし」演奏中

お陰様で、10枚目のアルバムが年内にも出来上がり、年明けにはリリース出来そうです。これから私に出来る事は作品を創り遺す事ですね。幸い今は配信で世界中に届ける事が出来ますし、台湾ではもう何度も私の作品が現地の音楽家によって上演もされています。10年前に出した教則DVDの模範演奏として収録した独奏曲「風の宴」も、当時は難しいとか参考にならないとか言われましたが、今や若手が何人もこの曲を演奏するようになりました。もう少し経てば、私の創った独奏曲やデュオ・トリオの作品を土台にして新たな作品を創るやつが出て来るんじゃないかとも思っています。

パートナーの存在は発想を広げ、視野を広げ、結果的に遠く迄歩いて行く事につながります。お互いに自立し、明確な音楽性を持って自分で責任を負って生きてい居るからこそのパートナーです。良きパートナーシップを築きたいですね。


思考する音Ⅱ

秋の気配がしませんね。これじゃあ詩情も湧きませんな。
先日「思考する音」という記事を書いたらすぐに色々感想を頂きました。皆さん色々考えているんですね。頼もしい限りです。色々質問も受けましたので、少し長くなると思いますが、もう少し書き足したいと思います。

前回は感じるという事の根拠を探るという内容だったのですが、感じる事のその奥にあるものを見つめる事は、自分自身を見つめて行く事でもあり、豊かな感性を育んで行く大切な行為だと思っています。
人間にとって知恵や経験は諸刃の刃でもあります。しっかり認識しないとかえって目がくもる。特に情報に溢れた現代では根拠を探って思考することはとても大事な事ではないでしょうか。人間は知識でも経験でも自分で得たものは必ず使おうとします。そこから文明は発達するのだと思いますが、こと音楽に関して言えば、そういう知識や経験で音楽を創ろうとすると、ひけらかすだけの個人的な小さなものになりがちです。「俺は○○のパガニーニだ」みたいに自分で言い放っている連中を見ると本当に情けない想いしか感じません。特にまじめに一生懸命やっていれば必ず何とかなると思っているような人は、頑張っているという自分に満足してしまって、その上自分の得た知識や技に囚われやすい。

練習も大事だし古典を勉強して行く姿勢もとても大事なのですが、ただ言われた通りにやみくもに頑張っても表層意識でうろうろしているだけです。知識や小手先の技術からは音楽は生まれて来ません。音楽はその人の知識ではなく感性・知性から生まれてくるのであって、そこを忘れると自動演奏のピアノと同じになってしまいます。歴史や古い文化を勉強しても、そこにどんな文化や営みがあり、それを今自分はどのように受け継いでいるのか、そこを感得して至らなければ、ただの知識・雑学でしかありません。そしてそこから音色を紡ぎ出して初めて音楽に成るのです。評論家が音楽家になれないのは、生み出す創り出すという行為をしないからです。

石井先生の所に通い出した頃 今見るとおぞましい恰好をしていますな
そもそも20代半ばの頃、作曲家の石井先生が何故私に琵琶を勧めたかと言えば、先生から「あなたと話していると和歌とか古文とか普通に出て来るでしょ。私の人生の中でそういう話が普段の会話の中に自然に出てくる人はあなたただけだったから、何か日本の楽器やったらいいんじゃないの」と言われたことがきっかけです。それは裏を返すと「ギターではもう目が無いね」という事を言われたと思っています。私が強烈な言葉を記憶の中から強制的に消し去っていたような気もします。私もギタリストとしては多少ナイトクラブでお仕事した位で、日銭を稼ぐことは出来ていましたが、音楽家としてはどうにもならなくなっていたので、先生の助言は素直に入ってきました。ただ私は古典を勉強したという記憶は全くありませんでした。しかし考えてみると父が短歌や俳句が好きだったし、私も歴史やシルクロードが大好きだったので、普通の本を読むのと同じ感じで古典にも接していた、それだけです。それに自分が和楽器を弾くなどという事は全く発想すらしていませんでした。先生は更に「あなたの場合、三味線を弾くと多分ギターの代わりになるだけだと思う。違う弦楽器がいいわね。あなたは琵琶よ」という事で私は訳も判らず琵琶を手にし、たまたま近くに錦心流琵琶の高田栄水先生がいたので、御宅に伺って稽古を始めたのです。石井先生もその時どれだけ琵琶のことが判っていたかは疑わしいですが、とにかく私は先生のその助言に乗っかってみたのです。

こんな具合で石井先生に琵琶を勧められ、更に深く思考することを教わってから、琵琶の歴史を調べたりしながら、この風土に生まれた自分の存在という所を意識し始めました。すると自分が如何に様々なものに囚われていたのかが良く解りましたし、文化や歴史、古典を改めて知る事で、自分が今受け継いでいるものは何かという事にも意識が行きました。大体高校生の頃は「NYに行かないと俺の人生は始まらない」なんて事あるごとに言っていたんです。そんな私が少しづつではありますが色んなものから解放されて行ったのです。

知識は囚われる為にあるのでなく、自らを知り開放させるためのものであり、自分の音色を見つけだす為のツールであり、「自分とは何か」という事を自覚するためのもの又は行為だと私は思っています。私は、私が出来る範囲でしかありませんが、こうやって自分の音色をずっと追いかけて来ました。
すべては誰かに教えてもらってやるのではなく、師匠の助言から自分で辿り着いて、更にその先へと向う姿勢が必要です。お稽古事のように与えられたノウハウを知ったところで型通り以上にしかならないのです。知識を溜め込んでも、一所懸命教わった曲を言われた通りに練習しても、自分の音色も音楽も出て来ません。そういう勉強をしながらも、常に考え思考し、自分の音色と音楽を求め続けない限り、お稽古事から脱する事は出来ません。

自然と調和し自分を解放させてくれる隠れ家

人間には色んなバイアスやフィルターが知らない内にかかっているものです。自分がいいなと思う感情も、何かの記憶に寄りかかってそう思うのかもしれないし、有名な方の曲や演奏だから素晴らしいだろうと思うような所もどこかに残っているかもしれません。そういう余計な思い込みを取り払って、なるべく純粋に感じる事をしないと何も見えて来ません。しかし皆さんも純粋に感じるという事が如何に難しいか、やればやるほどに感じているのではないでしょうか。
ブルース・リーの「Do’nt Think .Feel」という言葉は有名ですが、全部取っ払って、その時その人がただ感じる事、究極にはそれが全てだと私は思います。その感じる事が問題です。上っ面でしかなかったり、余計な知識の為に頭でつまらない事をこねくり回してしまうと、かえって自分が「感覚」だと思っている事に振り回されてしまいます。武道なら即座にやられてしまいます。既に命はありません。だから感じるその根源はどこにあるのか、とことん掘り下げて、自分が受け継いでいるものが何で、自分とは何者か、素のままの今の自分を再認識しようというのが石井先生から教わった事です。

現代日本人は子供の頃から刷り込まれてきたことが山のようにあります。私の世代ですと、アメリカは世界の最先端であり、アメリカが世界であり、クラシックはヨーロッパが世界最高級、ジャズはニューヨークだと刷り込まれ、皆が欧米に憧れ、欧米世界の一員になる事が「夢の実現」であり、一流であり、ステイタスだとずっと刷り込まれてきました。私も若い頃はその渦中に居て、必死でコピーして「有名ジャズメンのリズム感には届かない」なんて高校生から二十歳前後の頃は毎日そんなことを嘯きながらギターを弾いていました。ジャズは今でも大好きですが、あの頃は自分の音楽をやりたいと表層意識では思いつつも、コンプレックスの只中にあったという事です。

画家 山内若菜さんが、新横浜スペースオルタ公演にて書いてくれたもの


同世代の人の中には、二言目には「英語では〇〇と言う」などと口癖のようになっている人が居ますが、ああいう姿をみると、骨の髄まで染められて拭いきれないんだなと感じます。それだけ人間は大人になるまでに色んな事を刷り込まれ、自分では色々と勉強して経験して、自分はそれなりだと感じているつもりでも、外側から見れば、そこには何重にもフィルターがかけられ鎧を背負わされている姿が見えてしまいます。それが大人になるということかもしれませんが、学歴を看板にして蘊蓄を垂れている坊さんなどみると、知識の檻の中でコンプレックスの波の底に沈殿している俗物のようにしか見えません。そんな人間の幻想や鎧を外して純粋なものを身体で感じさせてくれるのが芸術・音楽ではないでしょうか。

深く考える事は自分自身になって行く大切なプロセスです。そして余計なものを取り去ったら、今度は自分の意思という所も超えて身体が感じるという所まで是非行きたいとも思っています。
自分の意志で座る・立つ、姿勢を正すのではなく、意思も身体も解放し、ただ何も囚われずに座れば、自分で何とかしなくても自然と地球の重力とバランスをとることが出来、呼吸も無理がなくなります。これがなかなか簡単そうで難しいのですが、少しづつでもやっていれば、自我という自分の中に住み着いている意識から解放され、自分の周りの自然や社会やあらゆるものと、自然な状態で繋がるでしょう。音楽や芸術はそういう状態に誘ってくれるものではないでしょうか。それは大地や地球と繋がる事ともいえるのではないかと私は感じてます。そしてその状態になって自分の身体に響き渡って来る音、それが私自身の音色だと確信しています。

実は最近の脳科学の研究では、どんな小さな動きでも、身体が先で、その後に脳が意味付けをするという事が言われています。例えばお茶を飲みたいと思って手を伸ばすというだけでも、脳がお茶が飲みたいと思って、手に指令を出すのではなく、先に身体が動き、あとから脳が意味を付ける。無意識の反応という位に体が先に動く。感じるとは脳ではなく身体なのかもしれません。
私の歩みは亀の如くではあるのですが、それでも少しづつ思考を巡らせて色んなものから解放されて、更にその先の、脳より前に身体が感じる所まで感覚を研ぎ澄ましていたいですね。その時初めて「Do’nt Think .Feel」の状態になると思っています。

自分の音色と音楽を求めるづけるという事は、それぞれの人がぞれぞれの形で気づき、自分で向かって行く事であり、やり方やお作法を教わるものではないと私は考えます。お作法や形があると入りやすいという人も多いかと思いますが、人は形があると形をなぞる事でやった気になってしまう。2.3日座禅体験などと称して道場で座禅していると世俗の垢が取れて何かを教えを得たような気持になりますが、そういう思い込みこそが一番邪魔なのです。それはただの日常のリフレッシュでしかなく、エンタテイメントの一つでしかないのです。そんなんで良いという人はそれで充分なのでしょうが、私には座禅体験と称して大枚取られて、商売の餌にされているようにしか見えません。

photo 新藤義久 


掘り下げて思考を巡らし、自分自身を見つめ、自分の感性と成って行った歴史や文化を我が身に感じ、色んなものから解放されて感覚を研ぎ澄ませて、最後には身体が喜ぶ。そんな感じでやって行きたいですね。やればやるほどに自分の音色というものに関心が出てきますし、その音色で音楽を創るのが自分の生き方だと実感します。ショウビジネスには昔からあまり興味が無いので、売れなきゃ意味は無いと思っている人とは随分と考え方もやり方も違うと思いますが、私は私の道を歩くしかないですね。その道へと進む気づきをくれた石井先生にはとても感謝してます。
そしてこれからもずっとこの旅は淡々と続くのです。

思考する音

普段ぶらぶらしている私も、秋はさすがに何かと飛び回っています。前回お知らせしたように人形町楽琵会も久しぶりに再開するし、次のアルバムのレコーディングもあるし、大学の講義もあるし、何だか久しぶりに追われている感じです。

人形町楽琵会2024 m

私はいつも普段から時空を飛び越えるような荒唐無稽な夢ばかり見ているのですが、こういう追われている時期には更に変な夢をよく見ます。怖い夢ではないのですが、ちょっと自分の心の闇が暴かれるような、何とも言えない変な夢が出て来ます。ちょっと頭の回路が変わっているんでしょうね。私は演奏だけでもソロ、デュオから舞踊や語り等、かなりのヴァリエーションでやってますし、その上レクチャ―等も入れると結構な数になります。且つ演奏曲は全部自分で作曲しますので、やっつけ仕事は出来ないのです。総ての仕事が塩高の作品という気持ちでやらせてもらってます。

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AsaxのSOON・Kimさんと photo 新藤義久

人間は、知識、情報、技術に本当に弱いんだなと年を経るごとに感じます。そういうものを身につけていると必ずそれを使いたがり、使って見せている事で満足し、本来やりたい事を忘れてしまう。上手な人ほど、それらを使い飛び回っている事で満足してしまう。だから技術や知識を勉強すると共に、精神の成長もして行かないと、かえって視野を狭め、得た知識や技術が妨げになってしまいます。音楽家も上手くなればなる程問われるのは技術ではなくて音楽です。歴史を振り返ればヴィジョン無き技術は原爆を生み、現代では太陽光発電等、後先考えないものが悲劇を生んで絶え間なく溢れています。

習った曲が上手に弾けるとそれを披露したくなるのはお稽古事としての楽しみでしょう。しかし自分のやりたい事よりも上手に出来る事を見せようとする心ではその先の世界へは行けません。上手を見せるのが自分の音楽だと勘違いして、果てにはおだてられてお墨付きをもらって、自分はそれなりだと思い込み、そこで思考を止めてしまう。本来見えるはずの世界を見ようとせずに自分で閉ざしている。そんな人を見ていると残念ですね。そこにその人の音楽が在るでしょうか。

私がいつも取り上げている永田錦心や宮城道雄は、邦楽の世界で自分のやりたい事を貫いて、その当時の最先端の日本音楽の姿を現しました。確かに演奏する全てが完全なオリジナルではなかっただろうし、二人とも若くして亡くなり志半ばであったと思いますが、あの明治という新時代に自分の考える独自のセンスと形を世に示したことは、日本の音楽や芸術にとって称賛すべき事だと私は思っています。お稽古事をやっている人と音楽家の違いはこういう所ではないでしょうか。

練習も勿論ですが、それと同じ位考える事も大事だと私は思います。初歩の段階で、感じる事、考える事を習慣づけてあげるのは先生の役目だと思っています。私も少しばかり生徒に教ていますが、常にどうやりたいかを問います。その根拠も問うし、自分の責任で演奏する事も合わせて言います。初心だろうがベテランだろうが、自らが考えて音を出す事、出す音に責任を持つ事が先ずは一番だと思って生徒に接しています。曲にも先生にも寄りかかっている状態ではは舞台に立って生きて行く事は出来ません。
私がするのは、生徒がやりたい事に対し、少しの技やアイデアを教え後押しする事。そして常に考える事を勧めているだけです。生徒が迷いの中に居る時に手取り足取り教えてしまうと、考える事を止めてしまう。大いに迷い、悩めばよいのです。その時の生徒にとって必要だと思えるアドバイスを少ししてあげる程度にしてあげるのが一番良いと、自分の経験上思いますね。とにかく好きなようにやらせますが、その「好き」というのを自分で探って、何故好きなのか、何故その音なのか、その「好き」が発生する根拠はどこにあるのか、そんな事を掘り起こす作業が重要だと考えています。その為に自国の文化を勉強し、歴史を紐解き、自分の感性の土台が何処にあるのかを自分で見つけて行かなければ、いつまで経っても表層意識の領域でうろうろしているだけです。共演者にも、自分で考え演奏して欲しいので、譜面もあえて細かく書き込まないようにしています。演奏家は出だしの音から、どうやれば一番ふさわしいかじっくり考えて頂き、その音に責任を持たなければ音が出せないように書いています。そうやってお互いで創り上げて行く作業が創造だと私は考えています。

Wind way

ドイツのWergoレーベルでリリースされた石井紘美作品集「Wind Way」 私がロンドンシティー大学で初演したライブの演奏が収録されています


これらの思考は作曲の石井紘美先生の影響です。石井先生ははっきり言って作曲のお勉強的な事は教えてくれませんでした。私は10代からジャズをやっていたので、一通りの音楽理論は解っていましたが、一応やって来ました感を出そうと思ってバス課題やソプラノ課題などやって譜面を書いて持って行っても「そんなものはあなたには本を読めばすぐ判るでしょ」なんて具合で、ろくに見てもくれませんでした。いつもアートとは何か、曲の背景には何があるのか等々ずっと話を聴くのがレッスンでした。シェーンベルクの「浄められた夜」なんかをかけて、その感想や分析を話してくれたり、時にはバルトークの「弦チェレ」という曲の音価やリズムを先生がグラフに表した図形楽譜のようなものを見せてくれて(ちんぷんかんぷんでしたが)、もうほとんど哲学の講義を何時間もお茶を飲みながら聴くというのが常でした。私が「格好良いですね」なんて適当な事を言おうもんなら、「そういう表面しか感じようとしない感性ではだめ。あなたはアートとエンタテイメントの違いが判ってないわね」等と冷~たく言い放たれる。今でもよく想い出しますね。とにかく深く考える、感じるという事を教えてもらった素晴らしいレッスンでした。あの20代の頃の体験が私の原点です。

振り返ってみると私が先生と呼ぶ人は皆そういうタイプの人でしたね。小学生の時に習ったクラシックギターの竹内京子先生も「好きなように弾きなさい」という人でしたし、ジャズギターの潮先郁男先生も、沢山の技術や知識を教えてくれた後に「自分のスタイルで弾きなさい」と言ってくれました。最初に琵琶を習った高田栄水先生も「芸術音楽として琵琶を弾くんだ」とよく言っていました。誰一人として上手に弾きなさいという方はいませんでしたね。本当に良い師匠達に巡り合ってきました。

オリエンタルアイズ1stアルバム「Orientaleyes」
私はギターで仕事をしていた20歳の頃、色んな仕事をやって、結局駒のように使われている自分に納得がいきませんでした。つまり技術の切り売りをしているだけで、上手な人がやれば私でなくともよいという事です。
それで20代の中頃になって、多分にラルフ・タウナーの影響もあり、アコースティックギターの独奏曲を創って、オリジナル性を打ち出し、小さなライブを細々やっていました。その後琵琶に転向してからは最初から一貫して、私でなければ成り立たない100%完全オリジナルな曲を創って演奏する事を第一の指針としてやって来ました。それで1stアルバムから今回リリース予定の10枚目のアルバム迄全て自分で作曲して演奏して来たのです。石井先生の作品が唯一例外ですが、その「HIMOROGI Ⅰ」も石井先生と何度も打ち合わせを重ね創り上げたので、私でなければ弾けないという自負を持っています。

音楽はその人がどんな思考をしているかで、奏でる音楽は随分と変わります。同じ曲でも全く違う曲のようになります。何故その曲を演奏するのか、どのように演奏したいのか、その発想の源はどこにあるのか、そういうものが自分の中に確固としておらず、視野もこり固まって様々なアプローチを想像する事が出来ないようでは、そこに自分の想いを載せる事は出来ません。
音楽をやるには歴史や宗教、文化・芸術・社会等々、音楽以外の様々な事にアンテナを張って、目を向けていないと、個人の小さな器の中でただ「格好いい」「いい感じ」みたいな浅い所でしか音楽を捉えることが出来ず、お上手以上のものは出て来ません。修行と称して自分を閉ざしていては音楽は響かないのです。世の流れはとてつもなく早いもので、有能は若手もどんどんと出てくるものです。すぐに追い抜かれてしまいます。小さく狭い意識では活動は続けて行けないのです。

日本人は「いいものはいいんだ」とすぐに論理的思考をやめて、自分の殻に閉じこもってしまいますが、それはこだわりでも何でもないですね。この世界がつながっている時代に小さな思考に囚われて、目の前に溢れる流行や自分を取り巻く小さな世界としか調和出来ないようでは、今どういうものが世界に流れていて、何が起きているのかが見えていないという事です。結局世のプロパガンダに流され最期には駆逐されてしまいます。コロナの数年間でそれは如実に可視化されました。「世界の中の私」という感覚はもう各自が持っていないと、生きて行け無い時代に入っていると私は思います。

グローバル意識は欧米標準という事ではないのです。むしろもう欧米の時代が終わったことを認識する事がグローバルでしょう。アメリカやヨーロッパに憧れ、アメカジやヨーロッパブランドの服を着て英語交じりでしゃべって喜んでいるような人がまだ沢山うようよいるのが現代日本です。これだけ文化の豊かな国に生まれ育ちながら、ろくに自国の歴史も知らず、日々垂れ流されるエンタメを見て喜んでいるばかり。それこそ世界標準の目でみたら、自分の生まれた国に誇りを持てない人間など、どの国に行っても最低レベルの人間と思われても仕方ありません。自国の文化も解らない人間が、どうして相手の国の事を理解できる??。そんなそんなことも解らないようになっているのが日本の衰退の一番の原因だと私は思います。
以前とある大学で講義をした時に英文科の講師だか先生が同時通訳で海外の学生向けにやりたいというので、お任せしたんですが、始めてすぐに「室町時代と鎌倉時代はどっちが先でしたっけ」なんて言って質問してきたことがあります。結局通訳は出来ず、その先生は早々に撤退して行きましたが、私はその時、もうこの国は終わるかもしれないと思いましたね。大学の英語の先生がまるで自国の事も知らずに英語を教えている現実。失われた30年なんて言葉がありますが、そうなるのは当たり前ですね。

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photo 新藤義久


現代人は精神よりも肉体に興味があって、精神の方が貧弱な人が多いように感じます。人間は肉体的な存在でしょうか。私は精神的な存在だと思います。いくら着飾ったところで、その人の中身は目つき、手つき、姿勢、動き、言葉に全部出てしまうので、中身が伴っていないとかえって表面を繕っているのが見すかされてしまいます。精神があって、そこに肉体が伴ってはじめて文化が生まれ、音楽が鳴り響くのではないでしょうか。
楽しく音楽をやるのは素晴らしい事です。しかし音楽を通して色んな事を考え、時代の中で生きて、深い想いを持って音を紡ぎ出す人も是非いて欲しい。特に琵琶のような旧く長い歴史を持ち、日本だけに留まらずオリエント全体に渡る深い歴史を持つ楽器なのですから、是非そんな方が居て欲しい。何を考え、どこを見て、どうやって生きて次の世代に渡したいのか。それがそのまま音楽になると私は思っています。この日本の風土や歴史に根差して音楽を創っている人と、一緒に音楽をやりたいですね。

The Summer Knows 2024

台風は大丈夫だったでしょうか。今年は猛暑・地震・台風と大変な夏でしたね。

清里高原


厳しい夏ではありましたが、個人的にはいつもながら淡々としたものでした。しかしまあ振り返ってみれば久しぶりの出来事や嬉しい事なども色々ありました。ちょっと高原に涼みに行ったり、久しぶりに海外の友人が来日して盛り上がったり、新たな音楽仲間との出逢いがあったりと、極々些細な事が多いのですが、以前よりゆっくりと生きるようにしているせいか、小さなことでも面白がって楽しめます。不穏な世の中に在って、こういう日々の悦びがあるというのは有り難いですね。

今年はビル・エバンスとエディー・ゴメスの演奏で

夏を過ぎると演奏会も増えてきて、リハーサルやら打ち合わせ等、動き回ることが一気に増えて来ます。11月の頭には、まつもと市民芸術館での公演もありますし、この所書いているように今は次のアルバムの制作に入っていて、10月に第一回目のレコーディングも決まりました。
琵琶樂人倶楽部の方も毎年9月には来年のスケジュールを出すのですが、既にほとんどが決まりました。そして10月の会で200回目を迎え、11月には18年目に突入という、何だか慌ただしい秋となりそうです。

琵琶樂人俱楽部にて田澤先生と
先日ヴァイオリンの田澤明子先生の演奏会が大久保のヴェルトゥオージで開催されました。正に秋の始まりを感じさせてくれるようなさわやかで、且つ充実した内容でした。相変わらず、あちらの世界に行ってしまったかのような驚くべき技術と高い音楽性。独自の表現を考え抜いた超ハイレベルの演奏でした。この田澤先生と時々ご一緒させてもらっていると思うと身が引き締まります。本当に嬉しいです。10月のレコーディングでも2曲演奏してもらうのですが、楽しみで仕方ありません。笛の大浦典子さんやメゾソプラノの保多由子先生等、私は素晴らしい音楽家に囲まれているな、とつくづく思います。こういう仲間たちが私の一番の財産だなと実感しますね。作曲をしても、それを実現してくれる人が居なければ音楽には成りません。また譜面通りに演奏してもらっただけでは、そこには命は宿りません。譜面に書かれた音符から独自の世界を紡ぎ出し、更に一緒になって創り上げる事で、私の小さな頭で考えたことが何倍にも大きくなって、新たな世界の創造へと繋がって行くのです。

夏の終わりは年間末と共に一つの区切りという感じがします。そのせいかこの時期には上半期の様々な事が甦りますね。私も随分長く生きて来ましたが、こうして年を経ても先を見て歩んで行けるというのは幸せな事。私は琵琶の曲を創り演奏するのが仕事ですので、これからもどんどん良い仕事をして行きたいです。そしてまた来年もこんな夏の終わりを迎えたいですね。

さて、今月は演奏会も始まります。久しぶりに人形町楽琵会が再開という事で張り切っています。これ迄はベテラン演奏家・舞踊家にゲスト出演を願いましたが、今回は心機一転、今を時めく若手二人を迎え、新鮮な内容でお届けします。是非お越しくださいませ。


9月28日(土)  開演:14:00
場所:小堺化学本社ビル 地下MPホール 馬喰横山駅A3出口より直進徒歩3分
アクセスマップ アクセスマップ | 小堺化学工業株式会社 (kosakai.co.jp)
出演:塩高(琵琶)玉置ひかり(笛) 西川箕乃三郎(舞踊)
料金:2000円
お問い合わせ Office Orientaleyes  biwa-shiotaka.com 
       小堺化学工業 
03-3662-4701 kosakai_h@kosakai.co.jp 

もっと日本に、世界に豊かな文化が溢れて欲しいですね。国家=文化だと私は考えています。政治も経済も軍事も皆国家にとっては必要な物ですが、それは文化という土台があって、初めて独自の経済や政治になって行くのではないでしょうか。今こそ文化を大事にして行く時代ではないかと!。

歩いて行こう

先日のSPレコードコンサートは盛況のうちに終えることが出来ました。やはり水藤錦穰先生は圧倒的ですね。あれだけの技は今では聴く事が出来ません。粒のそろった一音一音は、実にスピード感があって且つ艶やかで、正にトップレベルの技術ですね。目指す音楽は私とは違いますが、一つの技術的目標としてずっと畏敬の念を持っています。

水藤錦穣6

錦琵琶を創った水藤錦穰師

毎年SPコンサートが終わると夏も盛りを過ぎたという感じがします。もう17年もやっていると、私には年中行事みたいなものです。もうそろそろ歩き回ることが出来る季節になるので、お散歩三昧が始まります。秋は演奏会も多いのですが、地方公演に行った先で、空き時間に周辺を歩き回るのが実に楽しいのです。

フンドーキン旧社屋1フンドーキン旧社屋
随分前ですが大分の臼杵にあるお寺で演奏会があって、演奏会の合間に臼杵の街を散々歩きました。そこで食べたフンドーキン味噌がとっても美味しくて、以来ずっと我が家はフンドーキンです。ここ数年では新潟や松江の街をくまなく歩きました。もうほとんどビョーキみたいなもんです。でも歩き回っていると色んな音が聞こえ、季節の移ろいが見えて、沢山の人に出逢います。そしてそこでの多くの体験が私の音楽を創ったのだと思っています。

石仏13

臼杵の石仏

私にとって、「歩く」という行為はとても自分らしいと感じています。私は車の運転をしないので、どこに行ってもひたすら歩くのですが、歩く事で得たものは実に多いですね。インターネットに関しても世の中の色んなことに関しても、私は現代のスピードに対応出来ていません。しかしこの時代遅れの「のろさ」で歩いていると、普段見落としてしまがちなものも様々見えて来ます。先日のSPレコードコンサートでも、来場の皆さんが一様に「SPでないと聴こえない音がある」と言っていました。この日はAsax奏者のSOON・Kimさんも来てくれて、チャーリー・パーカーの「Embraceable You」を聴いて「SPでなければ聴こえて来ないね。パーカー最高」と言っていましたが、SPからLPになった時に何かを失い、LPからCDになった時もノイズの無い綺麗な音に隠れて何かが失われ、またネット配信になった今、私たちはまたも何かを失ってしまったような気がします。そしてその失ったものは実はとても大切な部分だったのかもしれません。

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私は古代から中世辺りの時代にとてもロマンを感じる方で、その時代のものが残っている街にはとても惹かれます。現代は人間の本来持っている生きるスピードを超えてしまったと感じているので、スマートシティーみたいな所には魅力を感じません。現代のハイスピード文明のお陰で海外にも行けるし、全国を回ることが出来るのですが、自分の足で歩く事を忘れた現代人は、あまりに多くのものを失ったとも同時に思っています。だから旧い歴史のある街を歩く事で、その失ってしまった何かを感じ取ろうとしているのかもしれません。
色んな所に行くのですが、なかでも奈良はもう何度歩き回ったか忘れる位行っています。奈良の旧い土地を巡っていると、何ともノスタルジックな気分になりますね。もう20年以上前ですが大宇陀の古い町並みの一角で小さな演奏会もやったことがありました。あの辺りは今も素朴な雰囲気がいい感じの所ですが、万葉の時代は狩場だったそうです。人麻呂の「東の野に炎の経つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」の歌も、ここで詠んだのかと思うとぐっと来ますね。ああいう場所に行くと、自分の中の時間が大きく広がるような不思議な感覚になります。

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笠置寺  柳生街道  


他には葛城古道や山の辺の道、柳生街道など何度か歩きましたが、ゆっくり歩いていると色んな出逢いがあって実に楽しいのです。車で動き回っていては体験できません。歩く事で初めて見える、聴こえるものがありますね。
山の辺の道を歩いたのは12月。木津での演奏会の後でしたが、天理からのんびり歩いていって、途中でミカンの収穫をしている農家の方に出逢って、その場でもぎたてのミカンを頂き、そのあまりのみずみずしさに感激したり、寒さに震えて三輪に辿り着き、そこで食べた温かいにゅうめんとむかご御飯にほっとしたりと、こんな素朴で小さな思い出が沢山あります。柳生の里から笠置寺まで歩いて、そこから笠置の山を下りてふもと温泉で休んだのも気持ち良かった。奈良駅からバスに乗って、わざわざ浄瑠璃寺の随分手前で降りて、何時間もかけててくてく地元のおじいちゃんとお喋りしながら、周りの景色を見ながら浄瑠璃寺に辿り着き、そのまま岩舟寺まで山の中を歩いたこともありました。ああいう所に行くと本当に落ち着きます。こういうのは時間をかけてゆっくり歩かないと体験できないですね。私はやっぱり沢山の人が蠢き、何でも手に入る便利な都会で生きるのには向いていないのかもしれません。

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photo 新藤義久


今世界中が不穏な空気に覆われて、至るところで紛争・戦争があり、日本国内でもままならない状態になっています。しかしそれは今を生きる人間たちの心が造り出している現実だと私は思います。SNSなど見ていると、おしゃれで綺麗な格好の内側にある現代人の闇が容赦なく飛び掛かってくるのです。10年程前にはミクシィやfacebookをやっていましたが、あまりに人間の想念・欲望・情念が見えて来て耐えられず退会してしまいました。まあそれはそのまま自分自身の心の闇を見せられているという事でもあるのかもしれませんが、とにかくああいうものが身の回りにあると、どんどん自分もその渦に巻き込まれ同化してしまいそうで、とてもあの中には居られませんでした。
今でもたまに知人が面白い記事を見せてくれる事がありますが、現代人はもう内に持っている狂気を隠さなくなり、常に吐き出し続ける事に慣れてしまったのでしょう。業火の只中にあるとはこういう事なのかもしれません。私はこうして好き勝手に一方通行でブログを書いている位がちょうど良いです。

琵琶湖の朝日s

朝陽の昇る琵琶湖

自分の作品が配信によって世界に流れているこの現実の中で生きながら、私は「歩く」事でその文明の陰で失った何かを探しているのかもしれません。もうこの文明を拒否して生きる事はかなわないのだと思いますが、ゆっくり「歩く」事も忘れたくないですね。

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