The Summer Knows 2024

台風は大丈夫だったでしょうか。今年は猛暑・地震・台風と大変な夏でしたね。

清里高原


厳しい夏ではありましたが、個人的にはいつもながら淡々としたものでした。しかしまあ振り返ってみれば久しぶりの出来事や嬉しい事なども色々ありました。ちょっと高原に涼みに行ったり、久しぶりに海外の友人が来日して盛り上がったり、新たな音楽仲間との出逢いがあったりと、極々些細な事が多いのですが、以前よりゆっくりと生きるようにしているせいか、小さなことでも面白がって楽しめます。不穏な世の中に在って、こういう日々の悦びがあるというのは有り難いですね。

今年はビル・エバンスとエディー・ゴメスの演奏で

夏を過ぎると演奏会も増えてきて、リハーサルやら打ち合わせ等、動き回ることが一気に増えて来ます。11月の頭には、まつもと市民芸術館での公演もありますし、この所書いているように今は次のアルバムの制作に入っていて、10月に第一回目のレコーディングも決まりました。
琵琶樂人倶楽部の方も毎年9月には来年のスケジュールを出すのですが、既にほとんどが決まりました。そして10月の会で200回目を迎え、11月には18年目に突入という、何だか慌ただしい秋となりそうです。

琵琶樂人俱楽部にて田澤先生と
先日ヴァイオリンの田澤明子先生の演奏会が大久保のヴェルトゥオージで開催されました。正に秋の始まりを感じさせてくれるようなさわやかで、且つ充実した内容でした。相変わらず、あちらの世界に行ってしまったかのような驚くべき技術と高い音楽性。独自の表現を考え抜いた超ハイレベルの演奏でした。この田澤先生と時々ご一緒させてもらっていると思うと身が引き締まります。本当に嬉しいです。10月のレコーディングでも2曲演奏してもらうのですが、楽しみで仕方ありません。笛の大浦典子さんやメゾソプラノの保多由子先生等、私は素晴らしい音楽家に囲まれているな、とつくづく思います。こういう仲間たちが私の一番の財産だなと実感しますね。作曲をしても、それを実現してくれる人が居なければ音楽には成りません。また譜面通りに演奏してもらっただけでは、そこには命は宿りません。譜面に書かれた音符から独自の世界を紡ぎ出し、更に一緒になって創り上げる事で、私の小さな頭で考えたことが何倍にも大きくなって、新たな世界の創造へと繋がって行くのです。

夏の終わりは年間末と共に一つの区切りという感じがします。そのせいかこの時期には上半期の様々な事が甦りますね。私も随分長く生きて来ましたが、こうして年を経ても先を見て歩んで行けるというのは幸せな事。私は琵琶の曲を創り演奏するのが仕事ですので、これからもどんどん良い仕事をして行きたいです。そしてまた来年もこんな夏の終わりを迎えたいですね。

さて、今月は演奏会も始まります。久しぶりに人形町楽琵会が再開という事で張り切っています。これ迄はベテラン演奏家・舞踊家にゲスト出演を願いましたが、今回は心機一転、今を時めく若手二人を迎え、新鮮な内容でお届けします。是非お越しくださいませ。


9月28日(土)  開演:14:00
場所:小堺化学本社ビル 地下MPホール 馬喰横山駅A3出口より直進徒歩3分
アクセスマップ アクセスマップ | 小堺化学工業株式会社 (kosakai.co.jp)
出演:塩高(琵琶)玉置ひかり(笛) 西川箕乃三郎(舞踊)
料金:2000円
お問い合わせ Office Orientaleyes  biwa-shiotaka.com 
       小堺化学工業 
03-3662-4701 kosakai_h@kosakai.co.jp 

もっと日本に、世界に豊かな文化が溢れて欲しいですね。国家=文化だと私は考えています。政治も経済も軍事も皆国家にとっては必要な物ですが、それは文化という土台があって、初めて独自の経済や政治になって行くのではないでしょうか。今こそ文化を大事にして行く時代ではないかと!。

歩いて行こう

先日のSPレコードコンサートは盛況のうちに終えることが出来ました。やはり水藤錦穰先生は圧倒的ですね。あれだけの技は今では聴く事が出来ません。粒のそろった一音一音は、実にスピード感があって且つ艶やかで、正にトップレベルの技術ですね。目指す音楽は私とは違いますが、一つの技術的目標としてずっと畏敬の念を持っています。

水藤錦穣6

錦琵琶を創った水藤錦穰師

毎年SPコンサートが終わると夏も盛りを過ぎたという感じがします。もう17年もやっていると、私には年中行事みたいなものです。もうそろそろ歩き回ることが出来る季節になるので、お散歩三昧が始まります。秋は演奏会も多いのですが、地方公演に行った先で、空き時間に周辺を歩き回るのが実に楽しいのです。

フンドーキン旧社屋1フンドーキン旧社屋
随分前ですが大分の臼杵にあるお寺で演奏会があって、演奏会の合間に臼杵の街を散々歩きました。そこで食べたフンドーキン味噌がとっても美味しくて、以来ずっと我が家はフンドーキンです。ここ数年では新潟や松江の街をくまなく歩きました。もうほとんどビョーキみたいなもんです。でも歩き回っていると色んな音が聞こえ、季節の移ろいが見えて、沢山の人に出逢います。そしてそこでの多くの体験が私の音楽を創ったのだと思っています。

石仏13

臼杵の石仏

私にとって、「歩く」という行為はとても自分らしいと感じています。私は車の運転をしないので、どこに行ってもひたすら歩くのですが、歩く事で得たものは実に多いですね。インターネットに関しても世の中の色んなことに関しても、私は現代のスピードに対応出来ていません。しかしこの時代遅れの「のろさ」で歩いていると、普段見落としてしまがちなものも様々見えて来ます。先日のSPレコードコンサートでも、来場の皆さんが一様に「SPでないと聴こえない音がある」と言っていました。この日はAsax奏者のSOON・Kimさんも来てくれて、チャーリー・パーカーの「Embraceable You」を聴いて「SPでなければ聴こえて来ないね。パーカー最高」と言っていましたが、SPからLPになった時に何かを失い、LPからCDになった時もノイズの無い綺麗な音に隠れて何かが失われ、またネット配信になった今、私たちはまたも何かを失ってしまったような気がします。そしてその失ったものは実はとても大切な部分だったのかもしれません。

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私は古代から中世辺りの時代にとてもロマンを感じる方で、その時代のものが残っている街にはとても惹かれます。現代は人間の本来持っている生きるスピードを超えてしまったと感じているので、スマートシティーみたいな所には魅力を感じません。現代のハイスピード文明のお陰で海外にも行けるし、全国を回ることが出来るのですが、自分の足で歩く事を忘れた現代人は、あまりに多くのものを失ったとも同時に思っています。だから旧い歴史のある街を歩く事で、その失ってしまった何かを感じ取ろうとしているのかもしれません。
色んな所に行くのですが、なかでも奈良はもう何度歩き回ったか忘れる位行っています。奈良の旧い土地を巡っていると、何ともノスタルジックな気分になりますね。もう20年以上前ですが大宇陀の古い町並みの一角で小さな演奏会もやったことがありました。あの辺りは今も素朴な雰囲気がいい感じの所ですが、万葉の時代は狩場だったそうです。人麻呂の「東の野に炎の経つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」の歌も、ここで詠んだのかと思うとぐっと来ますね。ああいう場所に行くと、自分の中の時間が大きく広がるような不思議な感覚になります。

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笠置寺  柳生街道  


他には葛城古道や山の辺の道、柳生街道など何度か歩きましたが、ゆっくり歩いていると色んな出逢いがあって実に楽しいのです。車で動き回っていては体験できません。歩く事で初めて見える、聴こえるものがありますね。
山の辺の道を歩いたのは12月。木津での演奏会の後でしたが、天理からのんびり歩いていって、途中でミカンの収穫をしている農家の方に出逢って、その場でもぎたてのミカンを頂き、そのあまりのみずみずしさに感激したり、寒さに震えて三輪に辿り着き、そこで食べた温かいにゅうめんとむかご御飯にほっとしたりと、こんな素朴で小さな思い出が沢山あります。柳生の里から笠置寺まで歩いて、そこから笠置の山を下りてふもと温泉で休んだのも気持ち良かった。奈良駅からバスに乗って、わざわざ浄瑠璃寺の随分手前で降りて、何時間もかけててくてく地元のおじいちゃんとお喋りしながら、周りの景色を見ながら浄瑠璃寺に辿り着き、そのまま岩舟寺まで山の中を歩いたこともありました。ああいう所に行くと本当に落ち着きます。こういうのは時間をかけてゆっくり歩かないと体験できないですね。私はやっぱり沢山の人が蠢き、何でも手に入る便利な都会で生きるのには向いていないのかもしれません。

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photo 新藤義久


今世界中が不穏な空気に覆われて、至るところで紛争・戦争があり、日本国内でもままならない状態になっています。しかしそれは今を生きる人間たちの心が造り出している現実だと私は思います。SNSなど見ていると、おしゃれで綺麗な格好の内側にある現代人の闇が容赦なく飛び掛かってくるのです。10年程前にはミクシィやfacebookをやっていましたが、あまりに人間の想念・欲望・情念が見えて来て耐えられず退会してしまいました。まあそれはそのまま自分自身の心の闇を見せられているという事でもあるのかもしれませんが、とにかくああいうものが身の回りにあると、どんどん自分もその渦に巻き込まれ同化してしまいそうで、とてもあの中には居られませんでした。
今でもたまに知人が面白い記事を見せてくれる事がありますが、現代人はもう内に持っている狂気を隠さなくなり、常に吐き出し続ける事に慣れてしまったのでしょう。業火の只中にあるとはこういう事なのかもしれません。私はこうして好き勝手に一方通行でブログを書いている位がちょうど良いです。

琵琶湖の朝日s

朝陽の昇る琵琶湖

自分の作品が配信によって世界に流れているこの現実の中で生きながら、私は「歩く」事でその文明の陰で失った何かを探しているのかもしれません。もうこの文明を拒否して生きる事はかなわないのだと思いますが、ゆっくり「歩く」事も忘れたくないですね。

夏恒例 SPレコードコンサート2024

今年もSPレコードコンサートの真夏の夜がやって来ました。琵琶樂人倶楽部も今回でなんと198回目。我ながら凄いな~~と思ってます。さて今回のSPコンサートは、昨年に続き永田錦心、水藤錦穰、田中旭嶺の演奏を聴いて頂きます。色んな演奏家のSPがあるのですが、やはり永田錦心、水藤錦穰は外せませね。毎回レコード選びはヴィオロンのマスターとゆっくりコーヒーを飲みながらやるんですが、特にここ数年はどうしても永田・水藤辺りに落ち着いてしまいます。やはり次のLP時代の鶴田錦史へと続く最重要アーティストとして欠かせませんね。
永田と水藤は師弟であり、水藤と田中は親しい友人で、二人して腕を磨き合ったという間柄。この頃は素晴らしい伝承があったんだなと思います。単に技や曲ではなく、あくまでのその志を継ぐという伝承の基本が守られたのがこの時代でした。いつの時代も肩書を並べて優等生ぶりをアピールする輩は多いですが、そういう人達は基本的に音楽家ではありません。そんな音楽家・芸術家の感性を持っていない人ばかりになったらもう何も生みだす事は出来なくなってしまいます。伝承とは創造であり、そして前衛であるのです。そこがしっかりと在ったのがこの時代だったと、SPを聴きながらいつも感じ入ります。
是非永田錦心の志を受け継いで、永田が願ったように新しい時代の琵琶樂を創る人が出てきて欲しいですね。私も微力ながらその永田錦心の志を胸にこれからもやって行こうと思います。

いつも思いますが、SPレコードはやり直しの効かない一発録音。だからその技術は現代では考えられないようなハイレベルだったのだと思います。また演奏の気迫も、今の何でも加工できる時代の演奏とは全く違います。この機会に是非聴いてみてください。

SPコンサートにて photo 新藤義久

今年も後半はSPでジャズを聴いて頂きます。同時代に発展したジャズは、やはり70年代にはだんだんと形骸化の道を辿りました。ジャズはそれでも形を変えながら80年代半ば位迄は、その勢いもまだまだ健在でした。しかしショウビジネスの発展と共に育ったジャズは、時代の中で次第に需要が無くなり、60年代を牽引していたジョン・コルトレーンやオーネット・コールマン、ジャズの歴史をそのまま生きたルイ・アームストロング、そしてジャズの代名詞とも言えるマイルス・デイビスの死去を境に多様に変化して、ポップス、ロックなどに溶け込むような形でその姿は消えつつあります。
現在ではジャズを教える音楽学校も多々ありますが、技術や知識は受け継がれているものの、その志は琵琶同様あまり見えて来ません。音楽は常に社会と共に在るので、社会の変化に対応できなければ消えて行きます。ジャズも琵琶樂も激動する社会には着いて行けなかった音楽という事なのかもしれません。
ただこれだけの遺産が残されている訳ですから、その何かを受け継ぎ、また新たな音楽として世に打ち出すような人物がきっと出現するのではないかと、私は期待しています。是非先人の遺した遺産を今一度聴いてみてください。そこには多くの発見と感動が溢れている事と思います。

8月18日(日)
場所:名曲喫茶ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:17時30分開場 18時00分開演
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:塩高和之(司会・レクチャー) 
演目:上記フライヤー参照ください

追伸

琵琶樂人倶楽部も10月の会で開催200回を迎え、11月で18年目へと突入します。100回目の時は別の場所を借りて演奏会をやりましたが、今年は開催200回記念をいつものようにヴィオロンで、Msの保多由子先生、Vnの田澤明子先生、尺八の藤田晄聖君を迎えて、私の作曲作品を演奏します。改めてお知らせしますが、こちらは10月9日です。是非是非よろしくお願いいたします。

お待ちしています。

溶け合う音

我が街阿佐ヶ谷は今、七夕祭りで大賑わいです。世の中は常に不安が付きまとうような時代になって来ましたが、たまにはこうしたイベントで憂さ晴らしもしないとやっていられませんね。

5年前の「100分e名著」カット
最近何となく感じるのですが、ここ5年程、つまりコロナ禍少し前辺りから、何とも言えない変化を感じています。5年と言えば肉体的にも随分と変化しますので、肉体的なものからくる感覚かもしれませんが、特に時間の過ぎ行くスピードがあまりに早く感じます。まあこの5年で社会の在り方やセンスも大きく変わって来て、世の中が急激に変わったという事なのでしょう。時代のポイントを通過した、そんな気がしています。

そんな中、自分の活動も作品もかなり変化してきました。2018年にリリースした「沙羅双樹Ⅲ」でかなり自分の世界が形として出来上がって、自分の思う世界が以前よりずっと具体化して来たのが一つのきっかけだと思っていますが、その辺りから自分の中で原点回帰が始まってきたように思います。

私は音楽の好みがプログレッシブロックやフリージャズ、現代音楽辺りにあって、とにかく伝統的なものより前衛的なものが好きなんです。民族芸能なんかにも興味があるのですが、私にとって音楽はあくまで自分の表現として、作曲し演奏するものであって、リスナーを躍らせたり笑わせたりするエンタテイメントとは考えていません。それは最初から変わっていませんね。受けるかどうかなんて事は全く考えず、自分が納得するかどうかが100%です。だからショウビジネス分野でやっている人は、同じ琵琶を弾いている方でも、全く別の分野の方としか思えません。ギターでもジャズを弾いている人とフォークソングの弾き語りをやっている人の違いみたいな感じでしょうか。その距離感はかなりのものです。

かつて演奏していたジャズは今でも好きで良く聴いているのですが、演奏している頃はフラストレーションをいつも感じていました。それはリズム・メロディー・ハーモニーにどこまでも囚われている所ですね。ジャズは聴いていると演奏家が自由に何でも出来そうなんですが、実際はドレミからもビートからも解放されないという所がストレスでした。一方現代音楽の方は随分様々な手法を駆使していると思いますが、どこまで行っても譜面から解放されず、演奏家の音楽ではなく作曲家の音楽という所を強く感じてしまいます。その点、邦楽の持っている自由自在な「間」やハーモニーに囚われない音の並び、微妙にそして大胆に変化して行く音色、そしてどこまでも音楽が、演奏家のものであるというところが私を惹きつける部分です。洋楽はどうも私には束縛が多過ぎるのです。

2002年1stアルバム「Orientaleyes」   2018年8thアルバム「沙羅双樹Ⅲ」


1stアルバムでやっていた世界観は簡単に言うと、「まろばし」等に代表されるように、洋楽の五線譜では表せない日本特有の「間」や、ハーモニーやリズムに囚われない即興性などを土台として、琵琶の音色と技術を用い、そこに少しばかりの洋楽の知識を盛り込んで創り上げた作品が中心でした。まだ粗削りで未消化な部分も多々ありますが、勢いだけは120%でしたね。多分にプログレやフリージャズに近い作品だったと思います。未だにこの1stアルバムを支持してくれる人が結構居ます。

1stアルバム「Oriental eyes」より

琵琶を手にした最初の時点で、自分の好みや方向性がその時点ではっきりと認識できていたというのは大きかったと思います。琵琶という相棒を得たことで、技も手法も音色も自分のやりたい事が実現出来るようになり、リズム・メロディー・ハーモニーから解放され、日本の感性を土台に音楽を創り、演奏者主体の即興性も加味され、とにかく洋楽の束縛から解放され、自由に音楽と関わることが出来るようになりました。その上で、洋楽の知識を利用する事で、やっと自分の音楽が形として現れるようになったという訳です。

一時期、自分でも弾き語りが出来なければいけないんだという囚われもあったのですが、ちょうどその頃、全く違う世界を持つ樂琵琶にも取り組み、こちらでは器楽曲を沢山作曲し、多くの作品をリリースして来ました。それもあって、弾き語りの呪縛に苦しむこともなく、樂琵琶によって自分の作品の幅が広がり、作品ががどんどんと出来上がってきたこともあり、だんだん薩摩琵琶での弾き語りはやらなくなりました。特に2018年の「沙羅双樹Ⅲ」の壇ノ浦をきっかけにもう弾き語りというものから吹っ切れて、今では、弾き語りをやる機会は年に数回という位になりました。やっぱり元々琵琶唄には全く興味がありませんでしたし好きでもなかったので、そういうやりたくない事は自分の音楽が確立して来れば自然とやらなくなるものですね。
樂琵琶は雅楽の楽器ですので、雅楽を基本にしていましたが、雅楽をやらなければというストレスは最初から全く感じる事無く、雅楽は自由に学び、またやりたいように雅楽の知識や技を自分の音楽に取り入れることが出来ました。樂琵琶ではシルクロードをイメージして作曲した作品が多いですが、前衛的な作品もいくつか出来上がって、次のアルバムではVnとのデュで「凍れる月~第二章」同じく樂琵琶独奏の「凍れる月~第四章」を収録予定です。

photo新藤義久

これ迄は樂琵琶と薩摩琵琶はそれぞれ二つの世界という感じでしたが、ここ5年程で薩摩琵琶も樂琵琶も、ただ塩高の音楽という所に集約されて、自分の本来持っていた世界が手法技法を超えて、溶けあうようにして表に出て来たように思っています。それが私の場合、多分に前衛的な作品という形なのです。一見ある意味相反するものが、私という器を通して一つに溶け合って行くようで、二つの琵琶の間に差異はほとんど感じなくなってきたのです。

2stアルバム「MAROBASHI」より


上記に張り付けた「太陽と戦慄第二章」、「in a silent way」、そして定番の「まろばし」等の作風は、2018年リリースの8thアルバム「二つの月~Vnと琵琶の為の」で新たな展開をしました。そして次のアルバムで収録を予定している「Voices ~Ms・Vn・琵琶の為の」へと繋がりましたし、今、また薩摩琵琶と笛による新たな作品も姿を現しつつあります。どんどん先へと進んでいるようで、実はどんどんと自分の奥底へと回帰しているようにも感じます。

私は琵琶を弾けば弾く程に色んなものから解放されてゆく感じがしています。時間はゆっくりですが、この30年程は肉体はそれなりになって来ても、精神は毎年ベールを脱ぐように軽くなり、楽になり、だんだん本来の自分に戻って来ている気がしています。まあ性格的に伝統やら流派やらというものに留まるようなことは最初からなかったですが、それでもどこかに囚われていた部分も様々あったと思います。それが少しづつ解放されて自分の音に成って行ったという事です。ここ5年間ほどでそんな気分が加速してきたので、これ迄とは違う時間が流れているように感じたのかもしれません。きっとどこかで社会の変化と連動しているのでしょうね。

今後も更に音楽は自分らしくなって行くでしょう。とにかく言える事は音楽以外の欲を持って取り組まない事ですね。余計な欲を持っていると躓きが多くなるし、脇道に逸れやすい。またその欲に振り回されて自分のやりたい事が霞んでしまう。音楽家はとかく周りにまとわりつく欲に振り回されやすいので、自分の行くべき道が霞まないようにマイペースで進みたいです。

納得の行く作品を創り演奏をして行きたい。それだけですね。

長い旅路

猛暑というより酷暑ですね。毎年夏はあまり演奏会もなく家でのんびりしていますが、これだけ暑いとビールの消費が増えて困りますな。

この秋~年末にリリースを予定しているアルバムの曲は大体出揃っているのですが、まだ音合わせが出来ていない曲があり、先日やっと通してリハーサルをやることが出来ました。少しづつレコーディング向けてに動き出しています。譜面の書き方の甘さから上手く合わなかった部分も見えてきたので、早速書き直したりしてブラッシュアップ中です。時間はかかりそうですが、年内には録音まで完了すると思います。今回のアルバムでオリジナル作品のアルバムは10枚目となりますので、良いものを遺したいと思っています。

西川箕乃三郎ML玉置ひかりM

舞踊:西川箕乃三郎  横笛:玉置ひかり


また9月に復活する人形町楽琵会の方もプログラムが決まり、動き出してきました。今後定期的にやって行けるかどうかわかりませんが、ともかく復活したのは嬉しいですね。今回は笛が玉置ひかりさん、舞踊が西川箕乃三郎さんという、今を時めく若手と組んでやりますので、今迄にない新鮮な気分で演奏出来そうです。御期待ください。詳細はまた改めてお知らせします。

2人形町楽琵会にて 能楽師の津村禮次郎先生と
こうして新作を創り出して活動して行けるのも、今になって思うと、自分なりのペースとスタイルをこれ迄淡々とやってきたからだと思っています。私は特に自分のスタイルを作ろうとは特に思っておらず、ただ好きな事を好きなように勝手やってきただけなのですが、その軌跡がそのまま自分らしい形を作って来たんでしょうね。そしてこの「自分らしい」という事が、長く続けられてきた秘訣であり、また活動を続けてゆく上でのキーワードだと思っています。

私は自他ともに認める天邪鬼なんですが、人脈も経済力も全く持っておらず、憧れと思い込みだけで東京に出て来ました。当時の自分は何をどうしたら良いかもろくに判っていませんでしたし、自分が向かって行く道筋すらも漠然としたまま、そんな勢いだけが自分を突き動かしている状態でした。

それでも東京に出てきてすぐにギターの師匠 故 潮先郁男先生からハコの仕事(ナイトクラブの専属バンドマン)を紹介してもらって、スタンダードナンバーをギターで弾く仕事をしていたので、ある程度音楽業界の事は知っていましたが、そんな知識は琵琶の活動には何の役にも立ちませんでした。ただ洋楽の音楽理論を若い頃に結構根詰めて勉強したことは、作曲に於いては大変役にたちましたね。

また私が琵琶でやって行こうと思い立った頃、周りを見渡しても琵琶を生業としてやっている人はほとんどいませんでした。お教室が多少にぎわっている先生が数人居る位で、演奏家としてプロで活動していたのは上原まりさんだけでした。つまり活動に於いて、指針や参考になる人が誰も居なかったのです。そんな中で何故琵琶を生業にしようと思ったのか、自分でも不思議ですが、ギター小僧時代の勢いそのままで走りだしたんでしょうね。幸いな事に活動を開始してすぐに色々な方から声を掛けてもらって、小さなライブやサロンコンサートみたいな所から活動を始めました。

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若き日 岡山県 山荘やなはらにて 笛の阿部慶子さんと

私は天才でもなければ、コツコツとやるまじめなタイプでもなく、不器用というか俺流というか、何をやらせても、好きなようにしかやらないので人より何倍も時間がかかり、失敗を繰り返してやっと何かが出来るようになるという誠に効率の悪い人間です。しかしまあそのお陰で、寄り道、枝葉にはかなり通じ、色んなジャンルの様々な人と知り合いになるという副産物を得る事は誰にも負けません。あの頃はジャズ時代とまた違う面白い日常でしたね。
最初は御縁があって関西方面で多くの演奏の機会を頂きましたので、私は調子に乗って曲をどんどん創って、笛の阿部慶子さんに吹いてもらって毎月のようにツアーに出かけていました。琵琶奏者に成って何が楽しいと言えば、日本中を旅してまわるのが何より楽しいのですが、それがあの頃から始まったという訳です。当時は勢いだけの駆け出しの私に、よくぞ多くの機会を与えてくれたと思います。本当にお世話になった皆様にはお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいです。
それにCDのリリース、ネット配信とかなり早い段階からやることが出来たのも人との出会いのお陰です。だからいくら鈍感な私でも、あの頃から「御縁は大切にしよう」とずっとそれだけは思っています。今でも縁を繋ぐ事が音楽活動だと肝に銘じています。

2003年には尺八のグンナル・リンデルさんと作曲の師 石井紘美先生の計らいで、初のヨーロッパへのツアーもさせてもらって、ロンドンやストックホルム、マルメなどで演奏しました。特にロンドンシティー大学で初演した石井先生の作品が現代音楽のトップレーベルWergoからCDで発売されるという、私にはもう快挙と呼べるような出来事もありました。例えて言うなら演歌歌手がキングレコードでデビューするような感じでしょうか。もうこれらが20年前だとは。時の流れはあまりにも早いですね。その後はシルクロードの各国へもコンサートツアーに行かせてもらいましたが、琵琶を手にして約30年程、この30年はもう自分で選んだというよりは、導かれたとしか言いようがないと思っています。本当に感謝の言葉以外出て来ないですね。

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photo 新藤義久

こんな風にして私は琵琶奏者としてスタートを切り、やりたいようにやりながら自然と自分のスタイルが出来上がりました。活動の最初から弾き語りではなく、器楽を基本に曲を書いていたのが自分に合っていましたし、そのお陰でジャンルを超えて多くの音楽家や舞踊家と共演し舞台を務める事が出来、活動が広がって行ったと思っています。今私の所にはこれから琵琶で活動して行こうという若者が何人か来ていますが、自分なりの活動のペースやスタイルという事について色々話をしています。なかなか自分が何者であり、自分が行くべき道がどれなのかを見定める事は難しいですが、少なくとも先生の真似をしても、先生とは個性も身体も時代のセンス等、持っている質そのものが違うので、表面の形をなぞったところで何も身になりません。かえって足かせにしかならない。ジミヘンのフィードバックのやり方を勉強したところでどうにもならないのと同じです。

邦楽では先生が、生徒を自分と同じレールの上に乗せ、同じ色に染めようとする例が多いですが、それでは流派の先生以上になりませんし、一昔前ならまだしも現代では看板をもらい先生になったところで生業にしては行けません。特に琵琶は能や長唄のように実際にプロとして活動して行く協会・団体は無く、どこまでも個人芸ですので、生業にして行くのは自分で自分のやり方を見出し自己プロデュースをして行かない限り、お稽古事を超えられません。是非これからの若者には、自分で生きて行くペースとやり方を築いて欲しいですね。

We are together againパット・マルティーノ氏のCD「We are together again」のジャケットトップ
かくいう私も若い頃は軸足が全く安定せず、ギタリストの山下和仁さんやピアニストの小曽根真さんらの世界での活躍を見て、羨望の眼差しと同時に何とも言えない劣等感が身の内に渦巻いていました。そんな時にギターの潮先郁男先生は「自分が好きなものより、自分らしい、自分に合ったものをやりなさい」と言ってくれました。先生はまた「人と比較してはいけない。それぞれの技法があるのだから。今の自分のスタイルを磨いて行く事を大切にしなさい」と、とある歌手の方に話していましたが、そのまま私には最上のアドヴァイスでした。
結局は自分は自分以上にも以下にも成れないのです。憧れに振り回されて自分を見失っていては、いつまで経っても自分の歩むべき道に進めない。自分自身に成りきって生きて行く事が一番幸せなのだと、年を経るごとに思います。私が尊敬するギタリストPat Martino氏も晩年にこんな言葉を遺しています。

「自分が自分である事を幸せに思う。。。それに勝る成功はない。つまり、自分の人生そのものをもっと楽しもうと私は言いたいね」

と言っています。私はPat Martino氏のレコードやCDを高校生の時からずっと聴いてきて、彼の創り出す音楽とそれに取りむく氏の姿勢をずっと追いかけて来ました。2021年にPat Martino氏が亡くなった時には、私もそれなりの年齢になっていたこともあって、この言葉を改めて心に刻み込みました。そして毎年毎年その言葉は、我身の奥に浸透して行ってます。

演奏会2

2006年 高野山常喜院独演会にて


これ迄長い旅路をのんびりとてくてく歩いて来ましたが、とにかく面白かったの一言です。そしてこの道はまだまだ先へと続いて、色んな展開をして行きそうです。現在の世界と日本の状況は決して良い状態ではないですが、こんな状況の中でも、私は琵琶奏者として生きて行くのが自分らしいと思っています。なかなか一筋縄ではいきませんが、これからを生きる若者にも、是非自分なりなりに生き抜いていって欲しいものです。

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