時は巡り、そして進む

やっと秋らしくなってまいりました。体も楽になりますね。世の中は相変わらず激動していますが、この所書いているように、私個人としても、この秋は一つの時代の区切りのような気分があり、年明けから次の時代が始まるような転機の時期を感じています。

オリエンタルアイズ1stアルバム「Orientaleyes」2002年リリース
先日は次の10thアルバムのレコーディングを一部やりました。今回は1stアルバム「Orientaleyes」に先祖帰りしたみたいな雰囲気で、タイトルは「AYUNOKAZE」になる予定です。タイトル曲「東風(あゆのかぜ)」は薩摩琵琶の独奏曲で、これから「風の宴」と共に重要なレパートリーになって行くだろうと思っている曲です。全体はほぼインストアルバムになりますが、1曲だけ、Msの保多由子先生に歌ってもらっている「Voices」という曲があります。勿論バリバリの現代曲で琵琶唄のようなものとは全く違い、何だか1stアルバムの「太陽と戦慄~第二章」に対応するかのような楽曲です。後、2006年リリースの4thアルバム「流沙の琵琶」に収録されている「凍れる月」という曲を時々能の津村禮次郎先生の舞も入れたりしてやっていましたが、そのモチーフと雰囲気を様々な形にして、第二章、第三章、第四章と組曲のように創りましたので、今回はそれら収録することが出来ました。

この「凍れる月」の元となったのは、マイルス・デイビスのアルバム「Kind Of Blue」に収録されている「Blue in Green」という曲です(Blueは憂鬱、Green は嫉妬、または空と海という解釈もあるようです)。私はこの曲を聴くといつも都会の静寂や孤独を感じます。大自然の中でのそれではなく、東京そしてNYという都会に深く広く漂っている、温かみの無い無機質な静けさや、人も物も溢れた中での阻害されたような孤独で、あくまで都会の中で感じる感情です。私はこの曲を高校生の時に聴いて以来、この雰囲気と感性に何か惹きつけられるものがあり、東京に出て来る前からこういう曲を創りたいとずっと思っていました。それを琵琶を手にしてから自分なりに実現して行きました。初期では「まろばし」「in a sailent way」「太陽と戦慄~第二章」「二つの月」「鎮める月」辺りが、このキーワードを元に作曲したものです。また私の作品ではないですが、作曲の師である石井紘美先生の「HIMOROGI Ⅰ」も同じ感性を少し感じます。そして今回同根から発生し,自分なりに少し幻想的な雰囲気や抽象性も加味した「凍れる月」を第四章まで書き足し、それらを収録出来たことは、とても嬉しく、こんな所が20年前の1stアルバムが甦る要因となっています。
とにかく今の私の音楽として一つの形に出来たことを嬉しく思いますね。そして20年前に「Orientaleyes」で表した私独自の世界観が20年を経て洗練されて(多少かもしれませんが)新たな形で、再び姿を成したという気分もしています。ただ琵琶=弾き語りと考えている人にはもう付いて来れない所迄来てしまったのかもしれないですね。

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photo 新藤義久 


これ迄の活動を振り返ると、確かにターニングポイントというのがあって、今またその時が来ていると思えるのです。琵琶で演奏活動を始めた頃、アルバムを出し始めた頃、活動内容がしっかりと定着してきた頃。樂琵琶も弾き出した頃、それぞれがターニングポイントでした。大体5年から10年の間にターニングポイントが来ますね。色んな事もありましたが、そんな過程を経て、本来自分がやろうとしていた音楽の姿に少しづつ近づいて来た事が、本当に嬉しく感じています。活動内容もだんだん整理されてきて、自分が本来やりたい事が実現して来た事もここ1、2年程よく感じます。この流れは6,7年程前から少しづつ手ごたえのようなものを感じていて、8thアルバムでVnと琵琶による「二つの月」が完成収録出来た事で、先ずは最初の手ごたえがあり、ここ1年位でそれが確信に変わってきました。

それともう一つ、ここ10年位で私の曲を台湾の音楽家が演奏会で取り上げてくれてくれるようになったのも手ごたえの一つです。以前も劉芛華さんのリサイタルの動画などを載せましたが、先週もジュリアード音楽院の卒業生たちによる台湾でのサロンコンサートで演奏されました。
https://www.facebook.com/share/v/JA9AkZxFPD7ToCDU/

自分の作品が色々な方に演奏してもらえるようになったことは本当に嬉しいし、配信でも海外の方に沢山聴いてもらっています。琵琶を手にした時から、日本という小さな枠の中に納まりたくないという想いがあったので、20年かけて自分自身だけでなく作曲作品も飛び出て行くようになって、一つの段階に達した感じがしています。

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photo 新藤義久


後は歌に関してですね。色々やって来ましたが、やはり私は歌う人ではないのです。8thアルバムで「壇ノ浦」の弾き語りを入れ、それを弾き語りの最期にしようと思っていましたが、あれからもう7年ほど経って、もう弾き語りをやるのは毎月の琵琶樂人倶楽部で年に一・二度やる程度で、外の演奏会でやるのも、本当に年に一度がいい所ですね。私はどこまでも演奏で聴かせたいのです。
歌や語りに関しては、琵琶を手にしてから、弾き語りをしなければならないという強迫観念と、その部分で負けたくないという気持ちでやってきたというのが正直なところで、好きでやっていた訳ではないので、もうそんな所も卒業して、歌の曲はなるべく歌手にお任せしたいと思っています。

5私はジャンル関係なく歌自体はとても好きで、このブログでも色々と取り上げていますが、弾き語りという形はどうにも馴染めないのです。ボブ・ディランやジョン・レノンは、私の中では詩を音楽に乗せて表現するアーティストであり、決して歌手でもギタリストでもないという認識なんです。歌うのなら徹底して歌って欲しいし、弾くのなら歌に逃げたりせずに弾く事で最後迄演奏でしっかり自分の言いたい事を表現して欲しいのです。私の好きな音楽家で歌もうたうという方はほとんど居ません。例外はジミヘンくらいでしょうか。だから弾き語りの琵琶演奏は私の音楽にはほとんどありません。琵琶が歌や語りの伴奏ではなく、琵琶と歌が対等に音楽を創って行く形を創って行ったらよいと思います。先月、能管と日舞と私でやった「秋月賦」はそれがとても良いバンランスで出来ましたので、来年はそんなスタイルの楽曲に挑戦する機会もあるかもしれません。それと以前創って初演だけして終わっている「四季を寿ぐ歌~Ms・龍笛・笙・樂琵琶による」もぜひ再演収録してみたいとも思っています。

人間年を重ねて行けば、自分に無理のある事はだんだん出来なくなるし、やらなくなるものです。だから年を経るごとに色んな枝葉が取れて、自分の音楽が明確になってくる。私は今やっとそんな感じになってきました。私は今、自分の音楽をどんどん創り遺して行きたいという気持ちが強くなりました。演奏家活動では、最初から一貫して自分の作曲したものをどこでも演奏して来ましたが、更に自分が本来やるべきものをやれるように、仕事も選択整理して、更に作品を創り、自分の歩みたい道を歩んで行きたいですね。

これからもまた楽しみますよ。

名演奏あって名曲なし

先日の第200回琵琶樂人倶楽部は盛況のうちに終えることが出来ました。豆粒のように小さな会ではありますが、これ迄17年間毎月毎月好きなようにのんびりとやらせてもらって、本当に有難い限りです。御来場の皆様ありがとうございました。来年も是非よろしくお願いいたします。

私は基本的に音楽は作曲家のものではなく演奏家のもの、という意識で何時も作曲し、演奏しています。どんな現場でも私が作曲した曲を演奏しているのですが、一緒に演奏する仲間には「あなたがやるからにはあなたの作品にしてください」といつも言っています。ジャズの好きな人なら、タイトルの「名演奏あって名曲無し」という言葉がおなじみかもしれませんが、これは私の音楽そして演奏に対する基本姿勢です。

そんな訳で私の曲は演奏家が自由に解釈できるように作ってあり、アドリブパートのある曲も沢山あります。私の一番最初の作品で一番の代表作「まろばし」は正にこの概念で出来ていて、相方によってまるで生きもののように違う音楽になります。でも「まろばし」には変わらない。共演者には、ただ譜面を読むのではなく、どんな世界を描きたいのか、その根底にはどんな世界観やどんな哲学を持っているのか、そういう事を問います。尚且つ相手の呼吸を感じながら演奏しないとどうにも演奏出来ないように巧妙に曲が創られています。その人が表現したい世界の実現の為の場を作るのが私の仕事。ちょっとプロデューサー的な感覚とも言えるかもしれませんが、私が一番影響を受けた音楽家マイルス・デイビスの音楽を聴いて辿り着いたスタイルです。とにかく共演者には、どんなタッチどんな音色で音楽を創って行くか、じっくりと考えてもらいます。リハーサルでも音を出す事よりも話をしている方が断然長いですね。そうしてその人自身の「まろばし」を創り上げてもらうようにしています。


今回出演してくれた、Msの保多由子先生、Vnの田澤明子先生、尺八の藤田晄聖君は、3人共とにかく色々考えて、一緒に音楽を創っていってくれる頼もしい仲間達です。きっちりと上手にやる事よりも、場に応じて毎回変化して行く現場に柔軟に対峙して、正に一期一会の音楽を奏でてくれるのです。作曲したのは私ですが、私の小さな器をはるかに超えた世界を描き出してくれました。本当に感謝してます。

このアルバムジャケットはジャズ史上の中でも屈指の名盤「Somethin’ Else」というレコードのもので、曲はその冒頭に入っている「枯葉」です。皆さんご存じだと思いますが、これはジョセフ・コズマ作曲のシャンソンの名曲です。しかしこの演奏はもうシャンソンの曲だとか誰の作曲という事でなく、マイルスのTpでないと成立しない、そしてこのメンバーでないとありえない「音楽」に成っています。私はこういうのを中学生の頃から聞いていたせいか、音楽はライブでリアルに音を出して初めて命が吹き込まれると思っているので、音楽は作曲家のものでなく、演奏家のものであり、誰が演奏するのかが重要なのだ、という事を頭に於いてずっとやって来ました。
クラシックのように決められた譜面での演奏でも、そこには様々な解釈があり音色があり、演奏家それぞれの音楽が在ると思いますが、私はもっと譜面を超えて演奏家が自由に羽ばたいて行ける音楽を目指しています。だからあえて譜面には指定を少なくして、どうすればよいか演奏家に考えて頂くようにしているのです。作曲者が何を意図しているのか読み解くのではなく、演奏者がこの譜面から何を発想しどんな世界を創り上げるか、そこを期待しているのです。演奏者側に表現するだけの想いや哲学、知識、経験、そしてお互いに対するリスペクトと共感がないと、何も出て来ませんので、演奏家にとってはある意味、酷な譜面かもしれません。

 

photo 新藤義久

私はあくまで「創る人」でありたいのです。私も若き日には、ギターでスタジオの仕事や歌謡曲の歌手のバックバンドなどのお仕事も少しやってみましたが、私の表現も創造性も出しようがありませんでした。多少の工夫などはあるにしても、技術の切り売りで稼いで行くような仕事は私には出来ないですね。それに売ることが最優先で、売る為に「売れる音楽」を創るというのも、私にはあり得ません。私はあくまで自分が考えて創り出した音楽を演奏しリリースして行きたい。
何だかショウビジネスを見ていると、目先の楽しさや利益にしか目が行かず、そこに囚われて流されて大事な所を見失ってしまっているようで、正にそこが今の日本(世界)の衰退の根本原因のような気もします。
私はそういうショウビジネスの世界に居たくはなかったので、琵琶に転向したのです。しかしまあどこに行っても、売れる事や、立派な御身分の方が大事な先生方々が溢れていて、そこに魅力ある音楽はあまりありませんでした。結局自分でやるしかないという所に辿り着いたという訳です。

 

SOON KIM(A Sax) 牧瀬茜(ダンス) ヒグマ春夫(映像)各氏とキッドアイラックアートホールにて

 

これからも演奏家がその魅力を最大限に発揮できる曲を創りたいですね。先ずは来週のレコーディングに集中します。
もっともっと柔軟に自由に音楽と関わりたいですね。

祝~其の壱 琵琶樂人倶楽部開催200回記念演奏会

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先日の人形町楽琵会は、今一番活躍している若手二人を迎え、気持ち良く演奏出来ました。若者の感性は素晴らしいですね。柔軟だし技もしっかりしているし、身体能力も高い。若さゆえな部分もあると思いますが、この勢いが今の日本には必要だと感じました。これからは有能な若手ともどんどん組んでやって行きたいです。御来場の皆様ありがとうございました。

そして10月9日には琵琶樂人倶楽部の開催200回目となる記念回を迎えます。

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丸々17年、長いことやっていますが、私には毎月の恒例行事みたいなものなので、あまりに日常過ぎて長いことやっているという感じがほとんどしません。年齢も17歳年をとっているはずですが、あまり鏡を見ないせいか、見て見ないふりをしているのか(?)気分だけは、始めた頃と全く変わりません。

100回目の時は少し広い所を借りてやったのですが、今回はいつものヴィオロンでやる事にしました。
節目の会なので、私が一番メインとしている器楽曲、それも一番前衛的なものを集めてやります。ゲストは器楽曲をやるには最高の相方達、尺八の藤田晄聖君、MSの保多由子先生、Vnの田澤明子先生の3人です。

藤田晄聖3s田澤1s保多由子(Yasuda Yoshiko)

今月、保多・田澤両先生と私のトリオで「Voices」をレコーディングするのですが、是非この記念回にもこのメンバーでお願いしたいと思っていました。そして私の一番の代表曲「まろばし」の相方は、最近よく一緒に演奏している藤田晄聖君にやはり演奏してもらいたいと思いまして、このようなメンバーになりました。

毎年秋には周年記念がありますので、ゆっくりと振り返るのですが、とにかく総てが私の糧になっていると感じます。そしてこの琵琶樂人倶楽部には多くのゲストの方に来ていただいていて、特に100回目を越した時から毎回様々なジャンルのゲストを迎えています。100回目までは薩摩・筑前の流派の方もよく声を掛けさせていただいたんですが、薩摩・筑前の弾き語り曲は歴史もまだ100年程で、そのほとんどが大正~昭和の戦前にかけて作られたもので、それ以降はほとんど新作が作られていないので、今は年に一度の薩摩と筑前の聴き比べの時だけですね。ちなみに来月は17周年の記念回という事もあり、その聴き比べをします。筑前琵琶の鶴山旭祥さんを迎えて開催しますので、近代琵琶樂にご興味の方は来月是非お越しください。近代ものは各流派にお任せして、琵琶樂人倶楽部では近代以外の、古代、中世、現代の琵琶樂を紹介する事に努めて、樂琵琶、平家琵琶、そして現代作品という具合に、なるべく琵琶樂の豊かな広がりを感じて頂きたいと思って企画しています。

これ迄御出演くださったの皆様

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私は器楽としての琵琶樂を最初から強力に押し出してやって来ました。弾き語りのCDもリリースしたりしてきましたが、やはりメインの活動は器楽曲です。

平家琵琶誕生以降、琵琶語りというスタイルが続いている歴史も踏まえ、琵琶弾き語りも一つの形だとは思っていますが、それは私の音楽の極々極々極々一部でしかありません。先日の人形町楽琵会では「秋月賦~平家物語 月見より」という、私が作詞作曲した曲を日舞と能管、そして私の弾き語りでやりましたが、器楽部分が三分の二以上を占める内容で、とても豊かなドラマが展開し、素晴らしい出来栄えでした。
活動を始めた一番最初に先ず能管と琵琶による「まろばし」が完成し、私の所信表明声となりました。もう25年以上前の事ですが、あの時に「まろばし」を創ったからこそ今までやって来れたと思っています。歌ではなく琵琶の音で作品を創り続け、そのお陰で多くのジャンルのアーティストと共演出来、多くの場所にも導かれました。当倶楽部にも多彩なゲストを迎え、これまで続けて来れたのはヴァリエーションのある作品群の賜物だと思っています。
またここ5年程でまたその器楽志向・前衛志向に更に拍車がかかってきました。今回のゲスト、Vnの田澤先生、Msの保多先生など、洋楽のハイレベルな音楽家との邂逅があったおかげです。自分の中にずっとくすぶっていた世界が一気に、お二人との出逢いで形となって噴き出してきて、納得のいく器楽曲が出来上がってきて、やっと自分の音楽の一つの完成が目の前に来ている感じがしています。

「Voices」(Ms・Vn・琵琶)を始め、「二つの月」(Vn・琵琶)、「君の瞳」(Vn・琵琶)、「東風(あゆのかぜ)」(琵琶独奏)等、ここ数年で自信をもって自分の作品だと言えるものが出来上がってきたことは本当に嬉しいです。この秋のレコーディングでは活動初期に収録した龍笛と樂琵琶による「凍れる月」の続編、第二章(Vn・樂琵琶)、第三章(篠笛・薩摩琵琶)、第四章(樂琵琶独奏)の3曲も収録します。これらも今後の重要なレパートリーになって行くだろうと思っています。また初期の作品「in a silent way」「太陽と戦慄第二章」も今後再アレンジして再演して行く事になると思います。今回の200回記念回では、「凍れる月」第二章の演奏をします。

私は琵琶と出逢って、自分の音楽を具現化することが出来ました。ギターは子供の頃から弾いて来たので、器用には弾けますが、ギターではどうにも私の音楽は姿を現してはくれませんでした。琵琶に導かれ辿り着いたのは運命なんでしょうね。これからは更に琵琶の作品を作り続け、遺して行きたいです。演奏会もどんどんとやって器楽としての琵琶樂を広めて行きたいと思っています。

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第200回琵琶樂人倶楽部「現代の琵琶樂Ⅱ」

2024年10月9日(水)
時間:19時00分開演
料金:1000円
出演:塩高和之(琵琶)
   ゲスト 保多由子(Ms)田澤明子(Vn)藤田晄聖(尺八)
演目:「東風(あゆのかぜ)」~琵琶独奏 「Voices」~Ms・Vn・琵琶 
   「君の瞳」~Vn・琵琶 「まろばし」~尺八・琵琶 
   「凍れる月」~Vn・樂琵琶 他

今回ばかりは込み合うと思いますので、お越しいただける方はご一報を。あと数席空きがござます。

是非聴きに来てくださいませ。

共に歩む

やっと秋の風を感じるようになりましたね。この秋は、琵琶樂人倶楽部が来月で開催200回目を迎え、11月には17周年も迎え、10枚目となるアルバムのレコーディングもあり、何かと私にとっては節目の秋になっています。この秋をターニングポイントとして、更に新たな展開をして行きたいですね。まあこれからが楽しみという訳です。

六本木ストライプハウスにて  photo 新藤義久


私が時々説教を聴いている大阪ルーテル教会の大柴牧師が紹介していたアフリカの諺に、「速く行きたいのなら独りで歩きなさい、遠くまで行きたいのなら誰かと一緒に歩きなさい」というものがあります。私はこの言葉がとっても好きなのです。何かを創り出し、豊かな感性を育んで行くには、相方と一緒に歩まないと、見えるものも見えなくなってしまいます。ただ突っ走っているだけでは何も達成できません。私はともすると一人でやろうとしてしまうので、この言葉は私に多くの示唆を与えてくれました。そして共に歩む人が居てこそ実現することが多いという事を実感してきました。これまで様々な場面で多くの方と共に歩んで行けた事は、導かれた運命だと思っています。そしてそれは実に幸せな事だったなと、この年になってしみじみと感じ入りますね。

私は何事に於いても皆と一緒にやろうというタイプではありません。しかし良き仲間の存在があったからこそ、私はこれまでやって来れたと思っています。仲間と一緒に演奏している事で大きな気づきを得る事もあったし、新作を仕上げている時には、自分の頭の中だけでは見えなかった事が、一緒に演奏する仲間のお陰で具体化して新たな扉が開いて、作品がどんどん充実して行く瞬間を何度も味わいました。それは常に対等で、相手に対する信頼や尊敬を持っている事に加え、皆同じく自立した音楽家芸術家として接してきたからだと思います。お互いに自立した一音楽家だったからこそ、自分の歩む道も見据える事が出来たのだろうと思っています。

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日本では「皆でやろう」というのが美徳として考えられていますが、ともすると参加する事に満足してしまって、意思決定は結局監督や代表が決めて、皆はそれに従うのみという例が多いですね。これは音楽家でも同じなのですが、自分の音楽は何かという問いかけをせず、明確な意思や芸術性が無いままに、活動して飛び回っている自分に満足してしまう。これではただの駒に過ぎない。皆で意見も出し合い、議論を交わし、時には反対意見にも耳を傾けて、皆で創って行くような形が出てきて欲しいですね。同じ方向を向いて、何も反対意見を言わないで従う人だけが集まっている集団は、海外と対等に関わって行くこれからの時代にあっては、多様性には程遠いだろうし、もう時代には合わないと思います。個人の意見よりも集団のルールを優先させ個人に対してストレスをかけ続け「余計な事は言わない」「我慢する」最後には「忍耐は美徳」という常識を有作り出し、結果的に周りに忖度するような昭和の日本社会のようなあり方では何も生み出せません。日本人の村社会的「普通」は世界では通用しないのです。個人もどこかに所属して肩書などの自分が寄りかかるものを求めるような、ひ弱なメンタルを脱し、個人として自立するような生き方にシフトしないと、失われた30年が50年にも100年にもなりかねません。

私はとにかくお互いの自立が前提だと思っているので、知り合う仲間もそういう人と自然に繋がって行きます。そんな仲間達と一緒に活動する中で、何でも自分の力で何とかするのではなく、仲間の存在が如何に大きいかを実感してきたのです。良きパートナーと一緒に演奏すると、自分の作曲した作品が自分でも思ってもみなかったような生命力を持って輝き出すのです。そんな瞬間を何度も味わいました。誤解しないで欲しいのは、「仲間と歩む」という事は、決して自分の至らない所をカバーしてもらう事ではありません。無限の広がりを創り出す事なのです。そこを履き違えている人が多過ぎるように思います。

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これまでやって来れたのは良き仲間に恵まれ、共に歩んで来れたからとしか言いようがありません。活動をしていれば波騒は常の事ですし、時に自分の視野がつまらない方向に向いてしまう事もあります。特に新たな事をやるには新たな知識も技術も必要になるので、そちらに凝り出すことも多々あるのですが、理論や技芸に陥って音楽が自分を誇示するようなものになってしまったら、もうそこに創造性は求めようがないです。魯山人も「位階勲等から遠ざかるべき」と言っていますが、芸術家は自分の身一つだけで、何も持っていない方が良いのです。沢山勉強するのは結構ですが、余計な知識思考は余計な肩書と同じで、鎧のようなものです。私がいつも音楽に対しては純粋な姿勢を持って歩めたのも、同じ志を持った仲間と一緒に舞台をやって来れたから、自分の内側、外側のつまらない事に振り回される事無く、自分本来の姿でいられたのだと思っています。

相方に恵まれた事によって遠くまで歩いて来たこの道ですが、これからもも
っと先へと歩いて行く事になるでしょう。この旅に終わりを感じません。一人で走っていたら、どこかで自分を確認しようとしてつまらぬことをしていたでしょう。しかしそんなことに不安を持たなくても、嬉々として歩んで行けるのは良き仲間が居てくれるからです。

ウズベキスタン タシュケントのイルホム劇場にてアルチョム・キム氏率いるオムニバスアンサンブルと「まろばし」演奏中

お陰様で、10枚目のアルバムが年内にも出来上がり、年明けにはリリース出来そうです。これから私に出来る事は作品を創り遺す事ですね。幸い今は配信で世界中に届ける事が出来ますし、台湾ではもう何度も私の作品が現地の音楽家によって上演もされています。10年前に出した教則DVDの模範演奏として収録した独奏曲「風の宴」も、当時は難しいとか参考にならないとか言われましたが、今や若手が何人もこの曲を演奏するようになりました。もう少し経てば、私の創った独奏曲やデュオ・トリオの作品を土台にして新たな作品を創るやつが出て来るんじゃないかとも思っています。

パートナーの存在は発想を広げ、視野を広げ、結果的に遠く迄歩いて行く事につながります。お互いに自立し、明確な音楽性を持って自分で責任を負って生きてい居るからこそのパートナーです。良きパートナーシップを築きたいですね。


思考する音Ⅱ

秋の気配がしませんね。これじゃあ詩情も湧きませんな。
先日「思考する音」という記事を書いたらすぐに色々感想を頂きました。皆さん色々考えているんですね。頼もしい限りです。色々質問も受けましたので、少し長くなると思いますが、もう少し書き足したいと思います。

前回は感じるという事の根拠を探るという内容だったのですが、感じる事のその奥にあるものを見つめる事は、自分自身を見つめて行く事でもあり、豊かな感性を育んで行く大切な行為だと思っています。
人間にとって知恵や経験は諸刃の刃でもあります。しっかり認識しないとかえって目がくもる。特に情報に溢れた現代では根拠を探って思考することはとても大事な事ではないでしょうか。人間は知識でも経験でも自分で得たものは必ず使おうとします。そこから文明は発達するのだと思いますが、こと音楽に関して言えば、そういう知識や経験で音楽を創ろうとすると、ひけらかすだけの個人的な小さなものになりがちです。「俺は○○のパガニーニだ」みたいに自分で言い放っている連中を見ると本当に情けない想いしか感じません。特にまじめに一生懸命やっていれば必ず何とかなると思っているような人は、頑張っているという自分に満足してしまって、その上自分の得た知識や技に囚われやすい。

練習も大事だし古典を勉強して行く姿勢もとても大事なのですが、ただ言われた通りにやみくもに頑張っても表層意識でうろうろしているだけです。知識や小手先の技術からは音楽は生まれて来ません。音楽はその人の知識ではなく感性・知性から生まれてくるのであって、そこを忘れると自動演奏のピアノと同じになってしまいます。歴史や古い文化を勉強しても、そこにどんな文化や営みがあり、それを今自分はどのように受け継いでいるのか、そこを感得して至らなければ、ただの知識・雑学でしかありません。そしてそこから音色を紡ぎ出して初めて音楽に成るのです。評論家が音楽家になれないのは、生み出す創り出すという行為をしないからです。

石井先生の所に通い出した頃 今見るとおぞましい恰好をしていますな
そもそも20代半ばの頃、作曲家の石井先生が何故私に琵琶を勧めたかと言えば、先生から「あなたと話していると和歌とか古文とか普通に出て来るでしょ。私の人生の中でそういう話が普段の会話の中に自然に出てくる人はあなたただけだったから、何か日本の楽器やったらいいんじゃないの」と言われたことがきっかけです。それは裏を返すと「ギターではもう目が無いね」という事を言われたと思っています。私が強烈な言葉を記憶の中から強制的に消し去っていたような気もします。私もギタリストとしては多少ナイトクラブでお仕事した位で、日銭を稼ぐことは出来ていましたが、音楽家としてはどうにもならなくなっていたので、先生の助言は素直に入ってきました。ただ私は古典を勉強したという記憶は全くありませんでした。しかし考えてみると父が短歌や俳句が好きだったし、私も歴史やシルクロードが大好きだったので、普通の本を読むのと同じ感じで古典にも接していた、それだけです。それに自分が和楽器を弾くなどという事は全く発想すらしていませんでした。先生は更に「あなたの場合、三味線を弾くと多分ギターの代わりになるだけだと思う。違う弦楽器がいいわね。あなたは琵琶よ」という事で私は訳も判らず琵琶を手にし、たまたま近くに錦心流琵琶の高田栄水先生がいたので、御宅に伺って稽古を始めたのです。石井先生もその時どれだけ琵琶のことが判っていたかは疑わしいですが、とにかく私は先生のその助言に乗っかってみたのです。

こんな具合で石井先生に琵琶を勧められ、更に深く思考することを教わってから、琵琶の歴史を調べたりしながら、この風土に生まれた自分の存在という所を意識し始めました。すると自分が如何に様々なものに囚われていたのかが良く解りましたし、文化や歴史、古典を改めて知る事で、自分が今受け継いでいるものは何かという事にも意識が行きました。大体高校生の頃は「NYに行かないと俺の人生は始まらない」なんて事あるごとに言っていたんです。そんな私が少しづつではありますが色んなものから解放されて行ったのです。

知識は囚われる為にあるのでなく、自らを知り開放させるためのものであり、自分の音色を見つけだす為のツールであり、「自分とは何か」という事を自覚するためのもの又は行為だと私は思っています。私は、私が出来る範囲でしかありませんが、こうやって自分の音色をずっと追いかけて来ました。
すべては誰かに教えてもらってやるのではなく、師匠の助言から自分で辿り着いて、更にその先へと向う姿勢が必要です。お稽古事のように与えられたノウハウを知ったところで型通り以上にしかならないのです。知識を溜め込んでも、一所懸命教わった曲を言われた通りに練習しても、自分の音色も音楽も出て来ません。そういう勉強をしながらも、常に考え思考し、自分の音色と音楽を求め続けない限り、お稽古事から脱する事は出来ません。

自然と調和し自分を解放させてくれる隠れ家

人間には色んなバイアスやフィルターが知らない内にかかっているものです。自分がいいなと思う感情も、何かの記憶に寄りかかってそう思うのかもしれないし、有名な方の曲や演奏だから素晴らしいだろうと思うような所もどこかに残っているかもしれません。そういう余計な思い込みを取り払って、なるべく純粋に感じる事をしないと何も見えて来ません。しかし皆さんも純粋に感じるという事が如何に難しいか、やればやるほどに感じているのではないでしょうか。
ブルース・リーの「Do’nt Think .Feel」という言葉は有名ですが、全部取っ払って、その時その人がただ感じる事、究極にはそれが全てだと私は思います。その感じる事が問題です。上っ面でしかなかったり、余計な知識の為に頭でつまらない事をこねくり回してしまうと、かえって自分が「感覚」だと思っている事に振り回されてしまいます。武道なら即座にやられてしまいます。既に命はありません。だから感じるその根源はどこにあるのか、とことん掘り下げて、自分が受け継いでいるものが何で、自分とは何者か、素のままの今の自分を再認識しようというのが石井先生から教わった事です。

現代日本人は子供の頃から刷り込まれてきたことが山のようにあります。私の世代ですと、アメリカは世界の最先端であり、アメリカが世界であり、クラシックはヨーロッパが世界最高級、ジャズはニューヨークだと刷り込まれ、皆が欧米に憧れ、欧米世界の一員になる事が「夢の実現」であり、一流であり、ステイタスだとずっと刷り込まれてきました。私も若い頃はその渦中に居て、必死でコピーして「有名ジャズメンのリズム感には届かない」なんて高校生から二十歳前後の頃は毎日そんなことを嘯きながらギターを弾いていました。ジャズは今でも大好きですが、あの頃は自分の音楽をやりたいと表層意識では思いつつも、コンプレックスの只中にあったという事です。

画家 山内若菜さんが、新横浜スペースオルタ公演にて書いてくれたもの


同世代の人の中には、二言目には「英語では〇〇と言う」などと口癖のようになっている人が居ますが、ああいう姿をみると、骨の髄まで染められて拭いきれないんだなと感じます。それだけ人間は大人になるまでに色んな事を刷り込まれ、自分では色々と勉強して経験して、自分はそれなりだと感じているつもりでも、外側から見れば、そこには何重にもフィルターがかけられ鎧を背負わされている姿が見えてしまいます。それが大人になるということかもしれませんが、学歴を看板にして蘊蓄を垂れている坊さんなどみると、知識の檻の中でコンプレックスの波の底に沈殿している俗物のようにしか見えません。そんな人間の幻想や鎧を外して純粋なものを身体で感じさせてくれるのが芸術・音楽ではないでしょうか。

深く考える事は自分自身になって行く大切なプロセスです。そして余計なものを取り去ったら、今度は自分の意思という所も超えて身体が感じるという所まで是非行きたいとも思っています。
自分の意志で座る・立つ、姿勢を正すのではなく、意思も身体も解放し、ただ何も囚われずに座れば、自分で何とかしなくても自然と地球の重力とバランスをとることが出来、呼吸も無理がなくなります。これがなかなか簡単そうで難しいのですが、少しづつでもやっていれば、自我という自分の中に住み着いている意識から解放され、自分の周りの自然や社会やあらゆるものと、自然な状態で繋がるでしょう。音楽や芸術はそういう状態に誘ってくれるものではないでしょうか。それは大地や地球と繋がる事ともいえるのではないかと私は感じてます。そしてその状態になって自分の身体に響き渡って来る音、それが私自身の音色だと確信しています。

実は最近の脳科学の研究では、どんな小さな動きでも、身体が先で、その後に脳が意味付けをするという事が言われています。例えばお茶を飲みたいと思って手を伸ばすというだけでも、脳がお茶が飲みたいと思って、手に指令を出すのではなく、先に身体が動き、あとから脳が意味を付ける。無意識の反応という位に体が先に動く。感じるとは脳ではなく身体なのかもしれません。
私の歩みは亀の如くではあるのですが、それでも少しづつ思考を巡らせて色んなものから解放されて、更にその先の、脳より前に身体が感じる所まで感覚を研ぎ澄ましていたいですね。その時初めて「Do’nt Think .Feel」の状態になると思っています。

自分の音色と音楽を求めるづけるという事は、それぞれの人がぞれぞれの形で気づき、自分で向かって行く事であり、やり方やお作法を教わるものではないと私は考えます。お作法や形があると入りやすいという人も多いかと思いますが、人は形があると形をなぞる事でやった気になってしまう。2.3日座禅体験などと称して道場で座禅していると世俗の垢が取れて何かを教えを得たような気持になりますが、そういう思い込みこそが一番邪魔なのです。それはただの日常のリフレッシュでしかなく、エンタテイメントの一つでしかないのです。そんなんで良いという人はそれで充分なのでしょうが、私には座禅体験と称して大枚取られて、商売の餌にされているようにしか見えません。

photo 新藤義久 


掘り下げて思考を巡らし、自分自身を見つめ、自分の感性と成って行った歴史や文化を我が身に感じ、色んなものから解放されて感覚を研ぎ澄ませて、最後には身体が喜ぶ。そんな感じでやって行きたいですね。やればやるほどに自分の音色というものに関心が出てきますし、その音色で音楽を創るのが自分の生き方だと実感します。ショウビジネスには昔からあまり興味が無いので、売れなきゃ意味は無いと思っている人とは随分と考え方もやり方も違うと思いますが、私は私の道を歩くしかないですね。その道へと進む気づきをくれた石井先生にはとても感謝してます。
そしてこれからもずっとこの旅は淡々と続くのです。

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