舞台というもの

今、9日間ほどの演劇公演の劇伴に入っています。
私は自分が伴奏タイプの人間ではないので、基本的に「劇伴」といえども共演のつもりで弾いてます。ほとんどの舞台では全ての曲を自分で作っていて、まあ音楽監督のような立場で芝居に参加していますが、今回は尺八の吉岡龍見さんと二人で即興的に音楽をつけて、やらせてもらってます。

今回のものは、このところ毎年恒例となっている戯曲公演「良寛」や、時々お付き合いしている劇団アドックのようなタイプのものとは違い、小劇場という劇空間もあいまって、私には実に新鮮。出演者が一人を除き全て女性というのも面白い。なんたって劇団名が「黒薔薇小女地獄」ですからね。

内容は女性の皇位継承を巡る問題という一見社会派?っぽい感じなのですが、実はそこはテーマとはちょっと違う。脚本が絶妙なのです。鋭いメッセージも確かにあるのだけど、ファンタジーであり、多分に百合っぽいところが散りばめてあり、そして琵琶と尺八が加わるという、この辺のさじ加減が魅力ですね。小難しいアングラ的なイデオロギーに走るものではなく、茶化しているものでもない・・・・なかなかの充実ぶりです。演劇界はツィッターでの情報交換が主流だそうですが、終演後はお客様の感想がすぐに飛び交い、初日から評判も上々のようです。

劇団代表で演出の大田守信さんはなかなかの手腕を持っていて、役者たちの信頼も厚く、出演者のエネルギーを分散させることなく一方向にまとめているので、全体に統一された若さのある勢いがあります。いつも接している和物とは違って、このエネルギーの満ち方が、私には刺激的なのです。

そしてポスターにも日本刀が出ているように、今回は途中で殺陣のシーンがあるのです。実は二日目の昼公演で、殺陣のところには本来台本上では音が無かったのに、私が間違えて琵琶を入れてしまいました。しかしながらそれが役者にとって気持ちが良かったらしく、次ぎからはばっちり太刀筋を見ながら合わせていったら、結構良い感じに仕上がってきました。
演劇は何日もやるので、こういう変化・展開が面白いです。琵琶の手もその日その日で色々と変えていて、効果音的な音からフレージング迄、完全なアドリブでやっているので、私自身にも毎回変化があり、2時間の芝居もあっという間です。

日本橋富沢町樂琵会で吉岡さんと
私は舞台を観るのが元々好きで、このブログでもオペラやらバレエ、芝居など場違いともいえる記事を書き散らかしていますが、琵琶を始めた最初から踊り系の方との共演をやってきました。舞踏のような前衛系の方から、日舞の花柳面先生のような創りこんだ創作舞台にも、何度も声をかけてもらい、バレエの雑賀淑子先生の創作舞台でも随分演奏させてもらいました。最近では、牧瀬茜さんや坂本美蘭さんなど、また一味違った個性と魅力を持った方々とも御一緒することが多くなりました。こうした自分に無い感性と魅力を持った方々との共演は本当に面白いのです。
能の津村禮次郎先生とは、このところ良寛の舞台他で多くの縁を頂いていますが、勉強などという優等生的なものではなく、とにかく毎回面白い体験をさせていただくという感じで、わくわくとするのです。

 今年の「良寛」福島公演 津村先生と

本来舞台というものは、音楽であろうと演劇であろうと、あらゆる要素が積み重なって出来上がるもの。劇場、お客様、季節、時間、スタッフ等々あらゆるものと関わってはじめて成立するものです。
自分が大小様々な舞台に立って、こうして生きてきて思うのは、本当にこういうことなのです。ともすると音楽だけに意識が行ってしまいがちですが、その意識では音楽はどこにも届かない。場所も、人も、あらゆるものが関わって演奏会が始まり、あらゆるものが響き合って音楽が流れ出すのです。

馬場精子さんと、京都ラ・ネージュにて

これは音楽以外の芸術家の方々と関わってきたからこそ見えてきたと、今実感しています。小さな世界に留まっていたら、いつまで経っても音楽のことしか見えなかったでしょう。本当に良い仕事をさせてもらってきました。これからもよい舞台を創って行きたいですね。

まだこの公演は10月1日まで続いています。是非観に来てください。お勧めですよ。

劇団黒薔薇少女地獄第5回公演 「亡国ニ祈ル天ハ、アラセラレルカ」

場所:SPACE雑遊(新宿3丁目C5出口目の前)

     26日    19時30分
      27日   14時    19時30分
      28日    19時30分(この日だけ私はお休み)
      29日    19時30分
      30日    13時    17時
   10月1日   13時   17時

料金:4200円(自由席)

ご予約:http://ticket.corich.jp/apply/85043/bka
問い合わせ:黒薔薇少女地獄HP http://giringi.wixsite.com/blackrose

「サワリ」の話Ⅴ~総合メンテナンス編

天候が不順ですね。台風も来て、気圧の変化に敏感な方はちょっと厳しいこの頃かもしれません。ぜひお気をつけてくださいませ。

江ノ島

さて、「サワリ」の話のシリーズは書くといつも何かしら反応があります。まあサワリの調整だけでも職人の所に持って行くとそれなりの料金もかかりますし、全体のメンテナンスをするとなると結構なお金がかかります。琵琶を弾いている方にとっては、サワリだけでも自分で好みの音色に調整出来たらいいな、と思うのは誰しも同じですね。琵琶は楽器自体に調整のための機能が備わっているわけではありませんので、自分で判断して削ったり、補強したりしてバランスを保たねばなりません。他の楽器に比べて、良い状態に保っておくのがなかなか大変な楽器といえます。
私は若き日にT師匠から木の目の見方、ノミの研ぎ方、膠の溶き方、漆の塗り方等々、本当に色々と教わったことが今の自分の宝になっています。今こうして演奏活動に邁進できるのはそのお陰です。

最近石田さんの総合メンテから帰ってきた中型1号機 象牙レス加工に伴い、月型を燻した銀に交換してあります。

今私がメインで日々舞台で弾いている薩摩琵琶は、塩高モデル大型1号機、塩高モデル大型2号機、同中型1号機、同中型2号機分解型、同樂琵琶の五面です。これに時々標準サイズの琵琶も使いますので、大体六面の琵琶が常にフル活動している状態です。この六面のオリジナルタイプの琵琶を常にベストな状態にしておくのは、なかなか大変です。

塩高モデル大型2号機 まだパーツは象牙のままですが、近く象牙レス加工に出す予定です
絃楽器は先ず何よりも絃が良い状態でなくてはいけないので、絃にはとても気を遣います。サワリの調整も絃が悪ければやりようが無いので、何よりも先ずは絃ですね。それに自分の求める音に合った太さの絃であるかどうかをよく見極めることが必要です。
実は少しづつ自分の求める音や奏法は変わってゆくものです。年齢を重ねれば感性も深まって行くし、自分を取り巻く環境も変わってくる、また肉体(声も含めて)も当然のごとく変わってくることを思えば当たり前なのですが、こうした自分の求める音の変化に敏感でいないと、楽器は答えてくれません。ちなみに私は最近、中型大型共に一番細い4・5の絃を19番に統一しました。(2024年現在は21番にしてあります)
琵琶の調整は、先ずは絃。そして次に柱の高さのバランス。その次がサワリの調整という順番ですね。

私はいつも琵琶を手にする時に、細かいチェックをしてから弾き始めるので、こうしたメンテナンスを毎日のようにやっています。これはもう癖になっているといってもよいかと思います。糸口のサワリや柱のサワリが主ですが、柱が低くなってしまった時には、柱をはずして下に木をかませて高さ調節をします。はじめの頃は柱そのものも削りだして自分で作っていましたが、指も痛めてしまうし、今はそんな時間も無いので、最近は琵琶職人の石田克佳さんにお願い出来る所はどんどんお願いしています。しかしながら自分でやった経験があればこそ、楽器のバランスを判断出来るのです。初めての人には結構な大工事ですが、琵琶人には是非こうしたメンテを自分の手でやってみて欲しいですね。

ちょっと写真がぼけていますが、柱の下に違う木材の板を付けてあるのが判るかと思います。柱と同じホウの木を使うと見た目も判らず良いですが、私は入手と加工が簡単な杉の1ミリ板を使っています。
そのほか柱に関しては色々とやることがあります。柱の右下角を丸く削ったり、上下のエッジの面取りをして且つ丸く仕上げたり、細やかな気遣いをしないと、指や絃をいためたり、切れたりして演奏にすぐ影響が出てしまいます。撥先のメンテも手を抜くと、てきめんに影響が出ます。
今では、胴の剥がれのような大きな修理以外は、ほとんど自分で出来るようになりました。覆手や転珍などが外れても、自分で膠を溶いて直します。

そして私の琵琶には色んな仕掛けがしてあるんです。例えばこのネック。大型中型はこのようにネックにエッジが付けてあります。これは石田さんのアイデアですが、私のネックは大変太く、大型では、手の小さな方にはとても絃に届かないほどの厚みと幅があります。しかし私は普通の琵琶奏者と違って、親指の位置を2ポジションにして弾くので、太いネックでも大丈夫なのです。このエッジが、演奏時には良い目安となるのです。糸を締めこむときには、親指を出して通常の持ち方にして、それ以外ではネック裏に親指を置いておきます。そうすることによって左手の指が大きく広がり、自由な運指が出来、且つ今までに無いフレーズが弾け、発想も広がるのです。

また私の琵琶は柱が多いです。薩摩琵琶は六柱、こちらの右写真の樂琵琶は九柱あります。これらの柱を自由自在に使いこなすにも、2ポジションでの握り方が実に有効なのです。

そのほか、絃と柱の間も思いっきり広く取ってあります。絃をsfzで弾
くと、絃の振幅が当然大きくなるのですが、私は人一倍太い絃を張ってあるので、その振幅の幅も人一倍になり、柱に接触しないように絃と柱の間を広く取って、各柱のバランスも取ってあります。この幅を間違えると絃と柱が接触し、ベチャべチャした伸びの無いつぶれた音になってしまいます。

弦楽器に対するこうした知識や発想は、全てギターの調整と同じなので、そういう点ではギタリスト出身の私は、最初から楽器のことが手に取るように判りました。
ギタリストは皆さん弦高にかなり拘ります。ほんの数ミクロン変えただけでも指先の感覚で判るし、音にも大きな影響が出てきます。勿論琵琶にも言えることなのですが、琵琶人はあまり気にしませんね。私には不思議でなりません。

楽器職人と常に話をしながらメンテナンスが出来ているというのは演奏家にとっては素晴らしい環境です。特に私のようにオリジナルのモデルを使っている人間にとっては、通常のものとは鳴り方そのものが違いますし、セッティングも違いますので、石田さんの的確なアドバイスや、上記のエッジのようなアイデアが大変貴重であり、それが私の世界を実に豊かにしてくれるのです。ギタリストはトッププレイヤーになると、常に専属の楽器職人が付きますが、琵琶もそんな時代が来ると良いですね。

今はなきキッドアイラックホールギャラリーでのパフォーマンス

琵琶が良い状態でスタンバイしていてくれるのがとにかく嬉しいのです。どれか一面でもバランスが崩れていると気になってしょうがないのですよ。練習だろうが本番だろうがとにかく、琵琶を手に取ったら先ずは「サワリ」の調整から入ります。それが出来ていない限りは演奏できませんし、「サワリ」が取れていない状態は言い換えると、喉の調子が悪いのに無理して声を出しているようなものです。薩摩琵琶は何しろ手がかかります。完璧とはいわないまでも、常に活用している五面の琵琶は90点以上の精度をいつも保っていたいですね。でないと演奏も上手く行きません。

琵琶は私のパートナー。私は様々な場面で、多様な表現をしますので、時に楽器にとっては過酷な状況もあります。だからこそメンテナンスは常に最上のことをしてあげたいのです。

いつも私の求める表現に答えてくれてありがとう。これからもよろしく!!

「サワリ」の話Ⅳ

先日、メンテに出していた塩高モデル中型1号機が戻ってきました。大体メインで使っている楽器は2年か3年に一度は必ず全体を診てもらうことにしているのですが、今回は象牙レス加工をしてもらう必要もあったので、結構手を入れてもらいました。

okumura photo9

この中型琵琶は一番使用頻度が高く、胴裏の滑り止めもぼろぼろだったし、半月は欠けて、腹板の横線も半分無くなっている状態で、もう結構なお疲れ気味の体でした。細かい所では糸巻きのしまり具合の調整や、糸(絃)を通す穴も、内側に寄っていたので、これまでの穴を埋めて新たな穴を開けてもらいました。こういうところは職人の目で診てもらわないと、結構使っている本人は気づかないものです。私は日々楽器のメンテナンスに関しては人一倍気を遣っているのですが、やはり定期的に診てもらうことは必要ですね。

継琵琶糸口2ただ11月にレコーディングを控えていて、もしかするとこの楽器を録音に使うかもしれないということもあって、糸口だけはまだ象牙のままにしてもらいました。ちょっとまだ貝の糸口はセッティングに慣れていなくて、先日出来上がった分解型の糸口の(左写真)セッティングが、最近やっと決まってきたという段階ですので、今回は安全策をとりました。レコーディングが終わったら、こいつも貝仕様の糸口もに変えるつもりです。またもう一つのメイン楽器 大型の方も完全象牙レス仕様にしてもらう予定です。

大小大中小色々
3

サワリは薩摩琵琶を弾く者にとっては命。それだけに徹底的にこだわらずにはいられません。サワリの音が出来上がるということは同時に自分の音楽が出来上がるということです。どういう音楽がやりたいのか、何故その表現をしたいのか、自分がやるべきものなのか、そこにどういう意味があるのか・・・・。
先ずは音楽として自分の世界を見極め、その上でその音楽を実現する為にはどんな音色が必要なのか、そうやって自分の心が決定して、自分の音楽の姿が見えない限り、サワリの音も決まりません。心がぶれている人は音色も音楽もぶれている。
他人を軸として、自分以外のものを基準にして、自分と他人を比べているようでは、自分の音色と音楽はいつまで経っても響かないのです。自分という存在は他には無く、世界にただ一人しか居ない。是非自分の音楽を創り、演奏したいですね。そうすればおのずと自分にしか出せない音色も響くでしょう。その時には素晴らしいサワリの音が鳴っていることと思います。

私はこれからも自分の音楽をやっていきます。

過ぎ行く日々2017年初秋

朝晩はすっかり秋の風情ですね。やっと体も楽になりました。

先日は気分転換に犬吠埼へ行ってきました。私は地方の小さな鉄道に乗るのが結構好きで、いわゆる「乗り鉄」というやつです。遠い所の仕事でも、やむをえない場合以外は飛行機はまず使いません。料金が高かろうが時間がかかろうが、とにかく鉄道に乗ってゆくのが楽しいのです(出来たら船旅もやってみたいですな)。
先日も鹿児島の仕事で、行きはどうしても飛行機に乗ってくれと言われ、渋々従ったのですが、「帰りは絶対新幹線で帰る」と言い張って、7,8時間かけて東京に戻ってきました。
先日は、少しスケジュールが空いてきたので、前々から乗ってみたかった銚子電鉄に初乗りした次第です。とにかく電車に乗って、のんびり見たことの無い田舎の景色を見たり、時に居眠りをしたりするのが楽しいのですよ。特に地方を走る、1両か2両編成の小さな電車はたまりませんな!!!。

来月は島根県の益田でこんなお仕事があるのですが、勿論私一人だけ鉄道で行ってきます(他の方は飛行機だそうです)。帰りには来年廃線が決定している三江線に乗ろうかと画策中です。ちなみに先月は詰め込まれたスケジュールの中を強行突破で、「天空に一番近い列車」小海線に乗り、小淵沢から小諸まで行ってきました。

北鎌倉の其中窯サロンにて 映画監督の川瀬美香さん撮影

お楽しみはさておきまして、今は11月に予定している8枚目のCDのレコーディングのリハーサルや、曲の見直しをやっています。次ぎのCDは全編薩摩琵琶によるもので、コンセプトは「創造と継承」。弾き語りなどの従来のスタイルを土台にしながらも、過去には寄りかからない。常に自分らしい中身に仕立てて、次世代スタンダードとなって行くような作品を作るつもりで構想しています。

1stアルバムではとにかく、何が何でも最先端の前衛を突っ走ることの方に比重があったのですが、やはり前衛は過去があってこその前衛。あれから約15年経った今、琵琶に対する姿勢も定まって、スタイルも安定して来ました。
この間に樂琵琶に出会い、演奏の幅を広げ、樂琵琶のみのCDも3枚出したことで、かえって薩摩琵琶に対する自分のスタンスがしっかりと見えてきたともいえますね。今度のCDにはViとのデュオ曲のような前衛的な作品もありますが、弾き語りもあります。現代の世の中にあって、薩摩琵琶の存在はどういうものであるのか。どうありたいのか。奈良平安から続く琵琶楽の歴史を背負いながらも、その最先端としての現在の姿を自分なりに表現をしたいと思います。
という訳今回は、現在の自分尾姿をそのままに表現するような作品集となる予定です。新しく編曲した「壇の浦」や「祇園精舎」、そして新たな相手を迎えての「まろばし」、そして新作の独奏曲、Viとのデュオ曲など、これからの私のレパートリーになって行く曲を揃えました。勿論これらが次世代スタンダードになるといいなと思っております。
勿論今回も、手馴れた曲を披露するようなことはしません。いつものように新鮮味に溢れた曲を収録します。従来の形を土台にしている曲もありますが、あくまで塩高スタイルになっています。CDでお上手を披露しても意味は無いと考えています。それよりも音楽を創り出す気迫や勢い、エネルギーを感じて欲しいから、常にフレッシュな作品を録音するのです。乞うご期待!!。

私は演奏活動に関しては旺盛にやらせてもらっていますが、CDに関しては目の前で売れるようなものはつくっていません。なるだけショウビジネスとは距離をとって、明確に芸術性を示し、ぶれないで行こうと決めています。売れるとか有名になるとそういうことよりも、作品が確実に世に残り、自分の創った作品を演奏して全国を回り、色んな出会いに囲まれて行くのは嬉しいものです。肩書きも芸名も、さしたる大きなキャリアも無いですが、私はこの生き方が好きですね。逆に肩書きやら賞やら名誉を追いかける人生にはしたくありません。今のこのやり方が実に幸せだと思っています。

さて、今日は9.11ですね。今年も和久内明先生、津村禮次郎先生と共に、「9,11メモリアル」を武蔵小金井駅前の宮地楽器ホールでやりますので、是非お越し下さい。18時30分開演です。

舞台こそ人生~根本雅也Playsics♯19

急に涼しくなりましたね。昨日は一人芝居の根本雅也君の復活ライブ「にどめのはたち~Playsics♯19」に行ってきました。

根本君は、イッセー尾形の舞台を見て一人芝居をやりだしたと聞いていますが、その後、音楽を組み合わせたPlaysicsという独自のスタイルを創り上げ、がんばっていた芸人さんでした。私も結構前からその舞台を見てきたのですが、彼は35歳の時に舞台から去り、一般の仕事についてしまったのです。色々と想う所があったのでしょうね・・・。しかし彼の中にはやはり舞台への想いはずっとくすぶり、40歳になったことを機に5年ぶりに古巣の下北沢LOFTに復帰したのです。

これは赤坂で6年前に観た舞台の後に撮った写真。今は亡きセインさんと一緒に行った時のものです。
根本君はとにかく人が良い。しかし当時の彼はその人の良さがどうしても、押しの弱さになってしまっていました。一緒に行ったセインさんはそんな所を感じて、「あのままでは続かないんじゃないかな」とふと口にしたのを覚えています。その後彼は舞台を去り、本当にその通りになってしまって、残念に思っていたのですが、5年の時を経て彼は舞台に戻ってきたのです。
この写真の頃は私自身も、まだどこか自分の想いから開放されない部分を少し抱えていた時期でした。今見ても固い顔をしていますね。セインさんは根本君にも同じような所を見たのかもしれません。

久しぶりに観た根本君は、ちょっと顔つきも老けて大人っぽくなっていました。そして以前とは少し雰囲気が違って、ある種開き直ったような舞台運びで、やっぱり何かを通り越してきたんだな、と思わせるライブでした。まだまだ試行錯誤は続くでしょう。迷いもあるだろうし、苦労も絶えないかと思います。しかしもう彼は「舞台こそ自分の人生」だと身に染みて判ったはず。どんな状態であれ、舞台に立つ事が自分の人生だと思えた人間は、たとえ飯が食えなくても、生活が破綻していても舞台に立つのです。彼はもうそういう人生を送る決心をしたのだと思いました。

戯曲公演「良寛」

舞台人とは、そういう決心が付いた人のことを言うのです。はっきり行って、琵琶が面白くないのは、そういう決心が無いままに、お稽古してちょっとばかりお上手になった人がやっているからつまらないのです。いつまで経ってもお稽古した曲を自慢げに弾くことに終始し、生々しいまでにドライブした血沸き肉踊る音楽が流れて来ないからです。賞だの、名取だの、大学だの、そんなものを看板にして寄りかかっている内は、決心など付かないし、その人にしか出来ない魅力に溢れたオリジナルの音楽は響かないのです。お稽古事のおさらい会には誰もお金は払ってくれない。何故それが判らないのかな~~~?。
根本君はお笑いのコンテストでもそれなりに賞を取っているし、CMなどにも出たりして色々活躍もしていたのですが、それは過去のことでしかありません。我々は常に現在進行形で活躍してこそ、舞台人として生きて行けるのです。
道元禅師も「修行しているその姿こそが仏」と言っていますが、我々はどんな肩書きを頂いても、常にその先に歩みを進めているから舞台に立てるのです。死ぬまで現在進行形なのです。過去を看板にして寄りかかった時点でもう舞台人としてはお終い。
彼はきっとこれからも彼の歩幅で歩み続けることでしょう。
「方丈記」の舞台にて
ちょっと目頭が熱くなるライブでした。そして自らの姿にも想いを馳せた夜でした。

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