新年快楽2018

今年も無事に年が明けました。世の中何かと不安なことが多いこの頃ですが、是非今年も豊かな心を忘れないような一年としたいと思っております。

年明けはなんといっても私の8枚目のCD「沙羅双樹Ⅲ」!!。CDの発売は1月11日。ネット配信は2月14日から世界に向けて発信を開始します。新年の幕開けとしては幸先良いスタートです。
何事にも完璧というものはないですが、今回のCDは今の私の等身大の姿がそのまま入ったと言える内容となりました。最初に琵琶でCDを出してから16年が経ちましたが、ようやく何とかなったという感じです。樂琵琶では既に一つの世界を創ることが出来たという実感があるので、これは自分の軌跡として一つの充実感を持っていますが、薩摩琵琶は今一つその充実感が持てなかったのです。それは私が目指している薩摩琵琶の器楽という分野での作品がまだちょっと少なかったことによると思います。更にこれまでの作品は、音楽が結構前衛的ということもあり、実演のためにメンバーを集められなかったり、集客などの問題で演奏会を開催することが難しかったりしたことが大きいです。舞台で実演しなくては作曲しても世には響きません。私は自分で作曲して、自分で演奏会を企画して、自分で演奏するということをずっと最初からやってきていますので、舞台で実現しないかぎり音楽は完結しないのです。

私の作曲の師 石井紘美先生は当時20代の私に「実現可能な曲を作曲しなさい」とよく言ってくれていましたが、活動を展開すればする程この言葉は身に沁みて、今またこの言葉が大きなメッセージとして私の中で響き渡っています。

これはWergoから出た石井先生の作品集。もう10年以上前ですが、ロンドンシティー大学での演奏会で、先生書下ろしの新作 コンピューターと琵琶の為の「HIMOROGI」という作品を私が初演し、そのライブ録音が入っています。
演奏会当日、会場の客席の周りを取り巻くようにいくつものスピーカーが置かれ、音響関係のセッティングだけでもかなり大掛かりなものでした。これだけの作品をロンドンシティー大学で企画して、現代音楽界のトップレーベルWergoで作品集まで出すということは並ではないです。日本人でも数人いるかどうかというオリンピックのメダリストレベルですが、ここまでやってやって音楽は世に出て評価されるのです。

石井先生からはこういう音楽家としての姿勢を目の前で見せて教えてもらったので、私も演奏会で実演の所まで持っていけない限り、どうにも消化不良状態なのです。だからとりあえず順調にお仕事として数多くの舞台の機会は頂いていても、「本当に自分の音楽をやれているのか」という自問自答がずっとありました。

自分の音楽を自信を持って舞台に立って演奏したい。そんな想いは常に自分の中にあり、それが年々強くなって来ていました。勿論年を重ねるごとに充実して来てはいたのですが、薩摩琵琶に関してはもう一歩という感じが拭えなかったので、50代の今、この「沙羅双樹Ⅲ」を出すことは自分にとって大きな意味があったのです。
今回はベテランヴァイオリニスト 田澤明子さんを迎えて納得の行く演奏が収録できました。田澤さんには、これからの私の演奏会でも色々とお願いしようと思っています。他に尺八の若手 吉岡龍之介君にも私の代表作「まろばし」を吹いてもらいました。

今回収録したヴァイオリンと琵琶の為の「二つの月」は田澤さん以外では考えられない作品です。ハイレベルな技術、感性、経験、どれもが田澤さんでなければ成り立たない。譜面から紡ぎ出される独自の世界は、彼女だけのものだと思います。別の人が演奏したら、良くも悪くもまた別の作品となって行くだろうと思えるような曲に仕上がりました。

また今回のCDで、私は旧来の薩摩琵琶のスタイルでもある「弾き語り」に関してもきっぱりと区切りをつけました。今回、私なりの「壇ノ浦」を収録しましたが、私は基本的に演奏家であって歌手でも語り部でもありません。声はこれからも使ってゆきますが、それは私の音楽の中のほんの一部でしかありません。少なくとも旧来の弾き語りに関しては、この「壇ノ浦」を境としてどんどんやらなくなるだろうし、やるにしても、もっともっと私らしい形に変わってゆくことでしょう。
明治後期から大正昭和という軍国時代に大衆芸能として人気を博した薩摩琵琶はどうしても多分に右寄りで、私には父権的パワー主義が強過ぎると感じてなりません。私が尊敬する永田錦心先生は、そんな軍国の時代にあって、新しい芸術音楽の創造を目指し、洋楽を取り入れた新しい琵琶楽を創造する天才が現れるのを熱望する」

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と強く願い、常に発言を繰り返していました。私はその言葉を自分なりに受け止め、新たな琵琶楽を創って行きたいのです。

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高野山常喜院演奏会にて

これまで20年ほどの活動の中で、私が思う薩摩琵琶の音楽はだいぶ形となって舞台で響かせることが出来るようになってきました。これからはもっと自分らしい音楽をやって行きたい。今この「沙羅双樹Ⅲ」を出すことは、喜びであり新たな挑戦なのです。今後はこのCDをきっかけにもっと充実してくると思います。今年をその新たなスタートとして一歩を出そうと思います。

今年も宜しくお願い申し上げます。

2017年 主な年間活動記録

2017年、主な活動記録

今年もお世話になりました2017

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8thCD「沙羅双樹Ⅲ」レコーディング時 FEIスタジオにて

今年も本当に沢山の仕事をさせて頂きました。年明けすぐに8枚目のCD(1月11日発売)も出来上がりますので、来年は更に自分の思う形で、充実した活動を展開したいと思っております。
今度のCDが琵琶奏者としての初心の頃に立ち返るような作品になったこともありまして、どこか活動が一回りして戻ってきた感じなのです。来年は薩摩琵琶・樂琵琶がより良い形で両立して行くような気がしています。

笛の大浦紀子さん 大阪でのライブにて
思えば、弾き語りには全く興味が無かった20年前。只管琵琶の器楽曲(インスト)ものばかり作曲してはライブにかけていたのですが、元々中学高校から古文や歴史は大好きだったこともあって、とりあえず弾き語りもやってみるかという具合で始めて「経正」を舞台で唄いはじめました。実は「経正」を勧めてくれたのは、いつもの相方 笛の大浦典子さん。はじめは敦盛をオリジナルの形にしようと思っていたのですが「貴方には経正が似合う」とアドヴァイスを頂き、単純な性格ゆえにしっかりその気になってしまい、文学者の森田亨先生に歌詞を書いてもらって、自分で曲を付け、それが「沙羅双樹」の一枚目となった訳です。まあ今聴くと「よくもまあ」という感じで封印したいくらいなのですが、それも私の軌跡。こういう軌跡をちゃんと残せたのも今となっては嬉しいことです。

そして樂琵琶を手にしてから、古典雅楽曲や秘曲、敦煌琵琶譜など琵琶の原初の姿に触れ、琵琶を通してシルクロードから現代日本へと視線を向けることが出来ました。元々シルクロードには子供の頃から大変興味があったので、すんなりと入って行けたのですが、実は樂琵琶を弾くことを勧めてくれたのも大浦さんなのです。(右写真は近江楽堂の演奏会にて

正直最初に樂琵琶に触れた時「これは使い物にならない」と思ったものです。しかしながら、樂琵琶が目の前に現れたことが私の音楽と人生をものすごく豊かにしてくれた。まるで今迄で見失っていた片腕を取り戻したように、曲が次々に出来上がり、感性が日本から東アジア・中央アジア・アラブそして世界へと広がり、視野が本当に大きくなりました。

私は琵琶奏者としては一番早くHPを立ち上げ、Youtube そしてネット配信と、時代のツールを友人たちの助けでいち早く使ってきましたが、ありがたいことに私の楽曲も世界の方々が聴いてくれるようになり、更には台湾の演奏家が私の作品を何度もリサイタルで取り上げてくれました。樂琵琶を始めたことは私の音楽家としてのキャリアの中で本当に大きなことでしたね。樂琵琶による3枚のCDも素晴らしい軌跡となったと思っています。

また私はこれまでやってきて、どのような舞台に於いてもほぼ100%自分の作曲作品で仕事をさせてもらって、自分の音楽とその世界観を聴いていただいてきました。これを最初からずっと貫けていけたことが本当に嬉しく思います。
そしてそれを生業とするということが私の一番の趣旨ですので、伴奏の仕事というものをほとんどやったことがないのです。多くアーティストと共演はしてきましたが、それも伴奏の形ではなく共演の形だからこそ出来たのだと思っています。
邦楽の演奏家の中には演歌歌手のバックをやって喜んでいる人もいますが、単発の「お仕事」ならまだしも、私には全くもって理解が出来ないですね。ましてやそれを大得意に宣伝しまくっているようでは・・・・・?。有名人と一緒だったら音楽はなんでも良いのかな・・?。人のやり方は様々だと思いますし、否定もしませんが、少なくとも私とは全く違う所で音楽をやっているのでしょうね・・・・。

私はどこまで行っても、自分が憧れてきた音楽家が皆そうだったように、自分の音楽を迷い無くやって行くしかないと思っています。私にとっては、私の音楽を認めてもらってこそ音楽家として生きている意味があるというもの。お上手な技術ではなく、創りだしたものをこそ評価の対象として欲しい。それ以外はありえない!!!。
まあ私が演歌歌手のバックバンドで琵琶を弾くような仕事をやりだしたら、もう塩高はお終いだと思ってくださいな。

今年2月季楽堂演奏会にて

琵琶で演奏活動を始めて約20年、琵琶奏者としてリーダーアルバムを初めて出してから約16年、こんな感じでやってこれたのも多くの芸術家仲間に恵まれたお陰です。津村禮次郎先生も花柳面先生も、先輩だろうが後輩だろうが、古典を土台に持ちながら常に創造性を持って舞台を創り活動を続けている方々にご縁を頂き、且つ共演の形で声をかけてもらえたのが実にありがたいのです。
そして未熟な私にエールを送ってくれたリスナーの方々にも、本当に感謝しています。よく記事に登場するH氏も私の樂琵琶の演奏を最初に力強く応援してくれた方でした。そういう方々が居なければ、私は今までやって来れなかったでしょう。いつも自分でガツガツとやってきていますが、自分ひとりではどうにもならない。こうした先輩やリスナーの方々に育てられた、というのが今の私の正直な気持ちです。

日の出富士

世の波騒の中を生きていれば、当然上手くいかない事もありますし、何事も思い通りにはなりませんが、それでもなんやかんやと自分が思い描く方向に歩みが進んでいることは、実にありがたいことです。来年はCDも出来上がることですし、更に充実した活動をして行きたいです。

年明け7日には「新春邦楽セッション」

笛の長谷川美鈴さんのお声係りで、杉沼左千雄(尺八) 長谷川美鈴(篠笛) 塩高和之(琵琶)
早川由紀子(ピアノ) 落合康介(ベース、馬頭琴)という個性的なメンバーが集います。

10日は恒例の琵琶樂人倶楽部 薩摩琵琶三流派対決 
出演:塩高和之(薩摩五絃) 古澤月心(薩摩四絃) 石田克佳(薩摩正派)

12日は ピアノの早川由紀子さん企画のノージャンルセッション 
出演:早川由紀子(ピアノ) カイドーユタカ(コントラバス)小森慶子(クラリネット、バスクラリネット、ソプラノサックス) 塩高和之(琵琶)箕輪一広(Per)

28日は独自の世界を表現するパフォーマー坂本美蘭さんと、六本木ストライプハウスにて共演。
出演:坂本美蘭 (ダンスパフォーマンス+自作オブジェ/インスタレーション+自作録楽+演唱構成作詞)

    塩高和之 (琵琶)  米本実 (生体音響ポスト医療的自作機械、動体センサー音響 

30日は 小二田茂幸さん企画の「祈りの音 冬の音」を恒例の大久保のルーテル曲会礼拝堂で。
出演:小二田茂幸(ギター) 内藤眞代(筝) 松尾慧(笛) 塩高和之(琵琶)

   宇佐照代(アイヌの語り部)  高村BUN太(Per)

詳しくはHPのスケジュール蘭をご覧ください。年明けから色んな企画が目白押し。嬉しいですね。

麻布善福寺にて

今年も本当にお世話になりました。来年も是非是非御贔屓に。
良いお年をお迎え下さい。

師走の風2017

先日、今年最後の本橋富沢町樂琵会をやってきました。

両性具有の姿を持った津村先生の舞姿(photo MAYU)

今回は私のソロ、筑前の平野多美恵さんと私のデュオ、そして津村禮次郎先生と私とのデュオコラボという構成でしたが、ヴァリエーションがあって華やかなプログラムになりました。津村先生との曲は「良寛」の舞台のラストシーンで弾いている「春陽」でしたが、津村先生は今回、女面(多分増女だと思います)を付け、左側が女性、右側が男性という両性具有の姿となり、性を越え、過去から現在までの時間軸も越えて、新年に向けた祈りをテーマに舞ってくれました。「良寛」の舞台のときも単に良寛としてでなく、良寛を取り巻く多くの命の象徴として舞ってくれましたが、今回は更に哲学性を増して新年への寿ぎを表してくれました。

(photo MAYU)

昨年に続き、今年も津村先生を迎えて、素晴らしい舞と琵琶の演奏で締めくくることが出来、実に華やかな会となって本当に嬉しい限りです。多くの縁に囲まれて生きていることを感じずにはいられませんね。一年の締めとして嬉しい会となりました。

私は活動の最初からずっと自分の作曲作品で仕事をやらせてもらってます。邦楽では稀な例だと思いますが、今ではそのやり方が本当に良かったと思っています。そうでなかったら、邦楽の多くのしがらみに囚われ、こうして色々なジャンルの芸術家と関わることは出来無かったことでしょう。芸術は、創作でも活動でも、先ず第一に「自由」であることが第一条件です。その「自由」な精神は広い視野を生みます。自分を取り巻くものにしか目が行かないようでは舞台は成立しません。世に溢れるすばらしい人間の作り出した芸術を見聞きし、体現することが、結局我が身の豊かさと成ってゆくのです。私は約20年程の琵琶奏者としての活動の中で先輩方々から教わったことは、この「自由」の精神です。

(photo MAYU)
「一区切り」。このところ何かにつけてそんな感じが自分の中に満ちています。年明けに出るCD「沙羅双樹Ⅲ」を創ったことが大きいのですが、その内容が8枚目にして、1stCDの後を受け継ぐような内容になったこともあり、自分の活動してきたこの20年が一つの段階を越え、次ぎの場所に行くような気分がしてならないのです。
樂琵琶も薩摩琵琶も、ようやく自分の手の内に入った、とでも云えば良いでしょうか。樂琵琶はレパートリーが充実しましたし、薩摩でも「弾き語りをやらなければいけない」という因習から解き放たれ、自分の演奏すべき音楽がやっと充実してきたと思います。勿論、これからもこんな曲を創りたい、こんな活動をしたい、という想いはこれまで以上にあるのですが、今まで何かガツガツしていた感じが無くなり、しっかりとレパートリーもそろって、演奏のスタイルが本当の意味で定まったといってよいかと思います。

ここ数年声に関して色々なアプローチをしてきましたが、今年はきっぱりと「声はメインにしない」決心がついたと思っています。どこまで行っても私は琵琶の音を聞かせることが仕事。歌手でも語り手でもないのです。声に気をとられて、琵琶を鳴らせないようではお話にならない。琵琶奏者というからには、最高の琵琶の音を響かせてナンボだと、遠慮なく言えるようになりました。
永田錦心先生も「琵琶村」という言葉で、その当時の小さな意識に囚われている現状を大変に嘆いていましたが、それは今でも全く同じです。何を置いても琵琶の音を第一に考えられないようでは、演奏家とはいえません。私はこれからも、誰に何を言われようとあの妙なる音を追求して行きますよ!。

塩高モデル

来年は余計なことをなるべくそぎ落として行くつもりです。元々誰よりもやりたい事をやりたいようにやってきましたが、来年は更に加速して行こうと思います。
来年が楽しみになってきました。

新宿

先日、ベテランの役者さんのお宅に伺って、7世松本幸四郎が弁慶をやった勧進帳のDVDを見てきました。昨年から勧進帳の掛け合いを度々やっていて、私が弁慶役をやっているので、ぜひ名人の舞台を観てみたいと思っていまして、今回一番の名演といわれるDVDを観させていただいた訳です。さすが歴史に残る舞台と言われるだけあって惹き付けられるものがありますね。これだけの芸が出来上がるには、どれだけの努力と感性が必要だったのでしょう・・・。そしてその下地となったものはどんなものなんだろう・・・。色々と勉強をさせてもらいました。

現代でもきっと素晴らしい作品は生まれていると思うのですが、あまりにエンタテイメント優先になってしまって、こうした作品は埋もれているのでしょうね。観終わってからは、お酒や食事も出していただき、演劇の話を色々と伺って、たっぷりと芸術談義に酔った夜でした。
一流の作品はいつ観ても色褪せないですね。こうした芸術作品を是非次世代に残して行きたいものです。

伺ったのは新宿駅のすぐ近くでしたので、新南口で待ち合わせをしたのですが、改札の前はいかにも人工的な色のイルミネーションで飾られ、何だか私の中の新宿のイメージのとはまるで違う世界でした。
私は、青春時代それも10代の頃から新宿によく通っていました。住んでいたのは高円寺でしたので、中央線界隈が私のテリトリーだったという訳です。今思うと、酒の飲み方も知らない、本当の子供だったのですが、日々刺激がいっぱいで楽しかったですね。それに1980年の前後の音楽界はとても刺激的でした。ジャズの大物マイルス・デイビスが復活して、私はレコードでしか知らないあのマイルスが見れる聴けるとあって、かなり興奮して新宿西口での野外コンサートに駆けつけたのを覚えています。私が実際現場で聴いていた時の映像がこちらです。Youtubeに出ていました。

この時聴いたギタリスト マイク・スターンの演奏が飛びぬけていて、当時の私の魂を貫きました。テクニックはロック、中身はジャズという彼独自のスタイルに感激してしまって、「自分の行く道はこれしかない」なんて具合に叫びながら帰ったものです。完全に脳がやられてしまいましたね。10代の小僧には強烈過ぎる刺激でした。こうした新しいジャズに日々心酔し、ジャズ以外のことは目にも耳にも頭にも入らないような日々でした。どうやって日々生活していたのか、さっぱり覚えていません。

この写真はもう20代半ば近くの頃。パンクジャズみたいなサウンドのバンドでした
世はバブルに向かう直前でしたので、熱気というより、妙なうねりとでもいうようなものがありました。自分の生活と世の中の進む方向に、いつもずれを感じずにはいられなかったのを覚えています。
あの頃はジャズの先輩に連れられて、お決まりのゴールデン街や二丁目などによく行ってました。お勤めの方とはちょうど6時間くらい時間がずれて動き回っていたので、私の新宿のイメージは常に夜であり、正に世の中の影の部分や闇を背負った街でした。

しかし今やゴールデン街も観光地化して、二丁目ですらメジャーになって、綺麗に治まり体裁が良くなって、昔の猥雑でちょっと危険な感じは無くなりつつありますね。新宿に限らず世の中全体から闇が消え、全てに渡って濃密なものから、おしゃれでお手軽なものへと移行する現代は一体何を生み出し、残して行くのでしょう・・・?。
芸術はいつの時代もその時々の感性で作品を生み出してゆきます。過去に憧れて現実の中の自分を直視しないことは既にオタク状態であり、芸術の精神と姿勢からは離れているといえます。しかしながら新たな感性で新たなものが生まれてゆくのだと思いながらも、品行方正で体裁ばかりが整った姿には、リアルな人間の営みはあまり感じられないのです。時代が変わっても「愛」は人間から無くならないように、闇もまた無くならない。スマホが当たり前になっている現代でも、人間の営みは古代からそう大して変わらないと私は思っています。闇の消えた街はもう人間が行き交う街ではない。そこに人間の営みは無く、またそんな所からあの勧進帳の名演は生まれてこないでしょう。私にはそうとしか思えないのですが・・・。

ウエス1音楽や芸術は本来、人の営みの中から紡がれ出されたものであり、上手下手というところでは判断できないはず。お稽古事とは全く質の違うものなのです。だから生々しいほどにこちら側の心に飛び込んでくるのです。それが時を経て洗練され、濃密なものになって行くのです。
「わび」を通り越して「さび」に至る、中世に完成された日本の感性と哲学は、闇を内包した上でこそ、その美しさを感じ取るものではないでしょうか・・・?。ものが艶めくのは、闇が内包されているからであり、美の裏側に醜があり、朽ち果てて行く死をもその内に秘めているからこそ美なのであり、それをこそ美というのであり、私たちはその美を求めてきたのではないでしょうか・・・・?。安手の人工的なイルミネーションで表面を飾られたものではなく、むら雲に隠れる月の淡い光にこそ、美を感じ、そこに創造性を育み、文化を芸術を生んできたのではないでしょうか。

勧進帳の名演と真逆の新宿のイルミネーションが、私の中に想いをめぐらせました。そして30年前の自分の姿も思い出させてくれました。

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