リブロホールでの「シルクロードの風に吹かれて」は無事終了しました。フラメンコギターの師匠でもある日野先生とのカップリングは、これまでも私一人ではやっていたものの、笛の大浦さんとのコンビReflectionsとのコラボは初めて。また今までは日野先生と一緒のときは薩摩琵琶をメインに使っていたのですが、今回は全編樂琵琶でやりました。雅楽の古典曲や、敦煌莫高窟で発見された複曲ものなど地味ではあるのですが、久しぶりに演奏で来、また新たな課題も見えてきました。
リブロホール アンコール演奏後
私にとって樂琵琶は、琵琶のルーツ、シルクロードへと繋がる楽器であり、ココを押さえない訳にはどうにも落ちつきません。他の方はいざ知らず、私は近現代に成立した薩摩琵琶だけに視線を送るというのは、考えられないですね。どうしてもルーツを知りたくなってしまう。そこを知らないと最先端もありえないと思ってしまうのです。
自分が表現しようとする音楽は確かに琵琶楽の前衛なのですが、もっと豊かな琵琶楽をこの身で体現してこその前衛だと信じています。なんたって日本の中だけでも千数百年の歴史があるんですから、流派が出来て100年程度の薩摩琵琶だけやる、そこしか見ないというのは、どうにも考えられない。
今回の演奏会は前半が我々Reflectionsの演奏。後半が日野先生のソロ。そして最後に拙作「塔里木旋回舞曲」を3人で合奏という形でした。日野先生はアンダルシアのジプシーの中に入って何年も一緒に生活していたような方ですので、「モデルノ」といわれるモダンなフラメンコではなく、かなり土着的なスタイルなのですが、常にアジア全体の繋がりを感じている方なので、話も合うのです。
以前はウードの常味さん、日野先生と私の3人で何度か演奏したこともありますがアンダルシア~アフリカ北部~アラブ~インド~東アジアという大きな流れを感じることが出来ました。
Reflectionsの方は、雅楽を土台としているので少々地味なのですが、もう少しリズミックなシルクロードのダンス音楽なども積極的に取り入れて、シルクロードから日本の雅楽へと繋がる形を表現して行きたいと思っています。
この日の衣装は、呉服の砧やさんが作ってくれた、モンゴル風のもの。最近は何かとモンゴルが話題ですが、私は以前からモンゴルに行ってみたいと思っていて、30代の頃にはモンゴルへ渡る計画もしていました。残念ながら実現はしませんでしたが、今でもモンゴルの文化や歴史には興味があります。出来ることなら、アラブ、アジアなどゆっくりと回ってみたいですね。シルクロードの魅力は尽きないのです。
私はいつも風を感じています。シルクロードの文化は勿論のこと、いつも書いている永田錦心・鶴田錦史両先生がが巻き起こした新しい風や、マイルス・デイビスや、ジョンコ・ルトレーンなどが世界を席巻した風、他にバルトークやドビュッシー・・・もう尽きることのない無数の風が、今私に降り注いでいる。私はそんな風に感じています。私の力ではその風に乗ることは出来ないかもしれませんが、微風であっても、それらの風にまた新たな風を足して、次世代へと届けたいですね。
12月に入り、来年1月発売の「沙羅双樹Ⅲ」の編集作業も大詰めに来ています。やればやるほどにその先が見えてくる。まだまだ私には休息というものはなさそうです。
先週、私の大好きなバリトン歌手ディミトリー・ホロストフスキーさんが亡くなりました。彼は私と同い年なのです。数年前に脳腫瘍であることを発表し、舞台から離れていましたが、2015年に見事に復活して、私もライブビューイングで堪能していました。これからはオペラとは別分野でまたあの声が聞けると思っていたのですが・・・。
復活の舞台「イル・トロヴァトーレ」での姿
このところは大分体調も思わしくなかったようです。それにしても早過ぎる。あまりにも・・・・。
復活の舞台「イル・トロヴァトーレ」を観た時の記事
https://biwa-shiotaka.com/blog/51378161-2/
俳優ばりの絵になる姿と圧倒的な声の力は、他の追随を許さないという言葉が一番似合うような、唯一無二の存在でした。
この歌声がもう虹の彼方へと旅立ってしまったと思うと、何ともいえない気持ちです。
考えてみれば私は彼の一番良い時の舞台を観ていたともいえます。若い頃から有名で、その二枚目っぷりも合わせて本当にファンを魅了してくれましたが、晩年のあの絶頂ともいえる、心身ともに充実した舞台を観ることが出来、本当に幸せだったと思います。
また個人的に、あの声を聴いて「自分はやはり歌う人ではない」という認識をあらためて持つようになりました。彼や彼の仲間達の世界超一流の舞台を何度も観ていて、「歌う」ということの深さと厳しさを心底感じました。歌うということは、人生をかけるということです。生半可なことでは舞台に立って歌えない。自分も声を使う音楽家として、大いに思うところがありました。私はもともと器楽志向なのですが、より器楽へとシフトして行ったのは、こうした世界最高の舞台を観て、彼らの歌う姿、舞台に立つ姿に大きな感動をしてきたからです。
以前某先輩から「琵琶で呼ばれているうちはだめだ。塩高で呼ばれるようになれ」と叱咤激励されましたが、音楽を生業としてゆくには、中途半端なものでは成り立ちません。私は琵琶を手にした時から、とにもかくにも器楽としての新たな琵琶楽を確立しようと思っていました。今もそれが私の使命だと思っています。琵琶楽は弾き語りが中世以来のスタイルですので、その部分も自分なりに継承しますが、あくまで器楽としての琵琶楽を確立するのが私の音楽でありスタイルです。
勝手な思い込みでしかありませんが、ホロストフスキーさんの訃報を聞いて、あらためて彼の舞台を動画でみていたら「お前は今やるべきことをやり、行くべき道を行け」と背中を押されたような気がしました。
年明けに8枚目のCD「沙羅双樹Ⅲ」を出しますが、このCDは器楽としての琵琶楽を改めて宣言し、私のこれからの道筋を示す内容になっています。ホロストフスキーさんの死は何か私の中で大きなきっかけになっていくような気がしました。
キッドアイラックアートホールにて 灰野敬二 田中黎山各氏と
人生は思う通りにはいかないもの。重々判っていながらも、思い通りに行かない現実は寂しいものです。逢いたい人と逢えないのも、自分の気持ちが伝わらないのも、やりたいことが出来ないのも・・・・。人間はどこまでも欲望からは逃れられないものなのでしょうね。また言い方を変えれば、欲望こそがこの世を作っている、といえるのかもしれません。
思い通りに行かないのも、縁ということなのでしょう。もの事のその原因が自分であれ、他であれ、それら全てが、縁によって導かれているのだとよく感じます。ホロストフスキーさんの歌をいつか目の前で聴いてみたいと思っていましたが、とうとう果たせませんでした。これも一つの縁であり運命ですね。
人は思い通りに行かないからこそ、明日を夢見るのかもしれません。
秋を通り越して、冬が来てしまいましたね。私は暑いより寒い方が好きなんですが、ついつい夜になると熱燗に手が出てしまいます・・・・。
鶴見神社でのレクチャー演奏会は無事終わりました。とてもよい雰囲気で務める事ができて嬉しかったです。今回のレクチャーは、古事記を勉強する会の招きだったので樂琵琶中心のレクチャーでしたが、分解型の薩摩琵琶も事前に送って、両方の琵琶を聴いていただくことが出来、好評を頂きました。せっかくなら琵琶楽の多様な魅力を聞かせたいですからね。このスタイルは今後のレクチャーでも定番になって行きそうです。
さて今度の日曜日はフラメンコギターの日野先生と、Reflectionsコンビのジョイント演奏会がリブロホールであります。笛の大浦さんとのReflectionsコンビでは久しぶりの演奏です(チラシの写真は薩摩琵琶を持っておますが、この日は樂琵琶での演奏です)。このところお互い忙しく、他の公演ではご一緒することもあったのですが、このコンビでの公演はここ数年張れていませんでした。
今年は薩摩琵琶のCDを録音することもあり、薩摩琵琶での演奏が結構多かったのですが、これからはよいバランスで両方とも演奏して行きたいと思っています。
薩摩琵琶はまだ歴史が浅く、古典といえるような帰ってゆく所が無いのです。最先端を行くには良い楽器だと思うのですが、千年以上の歴史がり、豊かな魅力と多様な音楽に溢れている大きな琵琶楽の中で、まだ薩摩琵琶として流派というものが出来て100年ほどの歴史しかなく、その上原点となる物語が軍国ものや忠義の心ではどうにもならない。その点樂琵琶には雅楽という帰るべき港があり、琵琶楽全体の原点としてのシルクロードにも行くことが出来ます。やはり長い歴史を誇る琵琶楽に携わるには、最古典から現代までを網羅する為にも、樂琵琶と薩摩琵琶の両輪が私には必要です。どちらか一方ではとても私の幅には合わないのです。
11月26日 場所:参宮橋リブロホール 19時開演です。是非是非お越し下さい。最後にはフラメンコギターと樂琵琶・笛によるコラボもやります。
ウズベキスタンタシュケントのイルホム劇場にて アルチョム・キム指揮のOMNIBUS ENSENBLEと「まろばし」演奏中
私は様々な形で演奏するのですが、これは他のジャンルの演奏家なら、よくやっていること。私自身は特に、自分の活動にヴァリエーションがあるとも思っていません。どんな形であっても基本的に自分が納得できているか、そしてそこに喜びがあるか。いつもその部分にこだわってやっています。
そして舞台には品格が欲しいです。偉そうという事でなく、演者である私の姿と音楽に品格が備わっているかどうかという事。随分昔先輩から「音の品格」という言葉を聞いて、それ以来ずっと私の中に「品格」ということが一つのテーマとなっていました。
京都清流亭にて
私は若手などと呼ばれた頃から、とにかく所作をしっかりと身につけなさい!と散々言われ続けてきましたが、やっと今頃になってその意味が判ってきたのです。歩き方、撥さばき、視線などなど、そういう所作にこそ日本の文化が宿るということを感じ始めてから、文化そのものを体得してゆかないと、音に品格は出て来ないという気持ちが強くなりました。本来の意味での美しい所作は、そのまま品格のある音楽となって表れると思えて仕方がありません。
一流といわれる人の舞台は何よりも品格がありますね。別に大先生のように構えているということであありません。どんなスタイルであれ、質の高いレベルをもち、且つその人独自の個性が素直に出ていれば、その佇まいには落ちついた風情が表れます。そこに日本の文化が感じられるようでしたら、日本音楽をやる者としては最高ですね。
時々ご一緒させてもらっている能の津村禮次郎先生には、第一級の品格を感じますね。先生は経験や知性に裏打ちされた余裕の中に、揺るぎない自信と共に柔軟な感性がありますね。自然体でぶれない筋を感じます。ああいう姿になりたいものです。
戯曲公演「良寛」福島安洞院にて
我が琵琶樂人倶楽部ではその口上に「文化としての琵琶楽」とうたっていますが、音楽を上手に演奏するのではなく、文化として捉えているかどうか。私の目指しているものは正にそこなのです。和服を着て表面だけ古風を気取ることではなく、洋服だろうが、最先端の前衛音楽だろうが、何をやってもそこに日本の風情と文化を持っているかどうかということです。逆に和楽器を持って、和服を着ていても、やっていることはポップスなんてのも多いですね。私にはそういうものが新しいとも思えないし、ショウビジネスに寄りかかった姿しか見えてこない。
活動を続ければ続けるほどに問われるのは、器であり、質の高さです。上手さではない。お見事が見える内はお稽古事でしかないのです。
品格のある舞台には、その人でしか実現できない世界が満ち、他では成立し得ない独自の音楽が響いています。全てがその人そのものであるから、姿にも音楽にも無理が無く、自然体なのです。
お陰様で年を追うごとに、自分らしい活動が展開出来てきていると実感していますが、今後も更に私ならではの仕事をして行こうと思います。
音の品格を高めて行きたいですね。
随分と気温も下がり、秋も深まってきましたね。都内ではまだ紅葉は楽しめませんが、冬に向かうこの感じ、結構好きなんです。
奥多摩の紅葉
今日はすっきり秋晴れ。しかし天邪鬼な私は、秋晴れのさわやかさも大好きながら、どんよりとした雨や雪の日の風情も好きで、そんな日は何とも詩情が掻き立てられます。加えて夜の闇は私にとってとても大切な友であり、大好きな時間なのです。夜の闇中に身を置いていると創造力が掻き立てられ、本当に様々なものが思い浮かび、妄想も想像も含め自分の感性が沸き立つのです。なんといっても夜の闇こそは、孤独に浸れるひと時なのです。孤独は芸術の源。それは人間の存在が本来は孤独だからではないでしょうか・・・。
現代の世の中は楽しくて、気分を紛らわせてくれるものがいっぱいありますが、そこに遊んでいるだけでは、個としての存在の孤独は見えてこない。その孤独に対峙するからこそ、詩が生まれ、芸術が生まれるのです。闇あればこそ光があるというもの。闇こそは創造の神なのかもしれません。闇の無いところに光は差さないのです。
室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの~」という詩は有名ですが、犀星の生きた人生を思うと、彼も孤独に対峙し、且つ孤独に負けなかったからこそ、あの詩が出てきたのだろうと、いつも思います。私の本当に好きな詩なんです。興味のある方は犀星の生い立ちなど調べてみると良いですよ。
燦々と照り輝く太陽の下には、笑顔や楽しさが溢れていますが、ただ楽しい、綺麗なだけのものは、あまりに弱々しい。楽しいのも綺麗なものも人生にとって大切なことですし、素晴らしいですが、美しさと醜さは一体であり、どんなものであれ、いつか朽ち果てるからこそ輝いているのです。闇があるからこそ、個としての孤独を実感しているからこそ、楽しさも喜びも際立ち、混沌の中に身を置いてこそ洗練が生まれるのです。私があまり現在の邦楽に魅力を感じないのは、はっきり言って闇を感じないからです。
闇や孤独というと何かネガティブで、精神的疾患のように思う方もいるかもしれませんが、孤独とはただ寂しいことではなく、自分自身を見つめることです。そして社会の中における自分の存在も認識し、自分はどうあるべきか確信することです。寂しさに負けて酒をあおることではありません。
「人の心は調和よりも傷と傷によって深く結びついている。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ」と某作家は言っていますが、傷や脆さを経験するということは、我が身の孤独を知ることでもあります。何事もままならぬ現実の中で、自らの孤独を自覚している人は、人間は一人では生きることが出来ないということを心底感じていることでしょう。また他に寄りかかることの怖さも感じているでしょう。だからこそより多くの友を得て、且つ必要以上に寄りかかることをせず、己の力で素晴らしい仕事も成し遂げるのではないでしょうか。私はいつもそう感じています。
かのゲーテも「涙と共にパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」と言っています。涙の意味は色々だと思いますが、孤独と対峙することは、人生においてとても大切なことなのではないでしょうか。
人間の懐の深さは、常に闇を見据え、孤独と対峙しているかどうか・・・。私はそんな風に感じています。
同じ傷は共感できても、違う痛みは受け入れられない。自分と同じ価値観のものしか判らない、近寄らない、常にお仲間とつるんでいるような、そんな小さな心が増えて欲しくないですね。
我々舞台人は常に、我が身を晒け出すことで生きています。己の傷を抱え、脆さを悟り、孤独である自分を認識し、そんな自分の身を晒さない限り舞台には立てないのです。肩書きをまとい脆さも傷も隠し、己を飾り、スポットライトだけを浴びたい人は、お稽古で楽しんでいる方が幸せです。自分の居心地の良い所だけに安住せず、あえて波騒の中に身を置き、闇を心に持ってこそ舞台に立てるのです。そんな隠す所も無い生身の心と姿で居るからこそ、同じ生身の人間同士、色んなジャンルの人とコミュニケーションが取れ、あらゆる価値観の共存共生が出来ると、私は思っています。
福島安洞院にて津村禮次郎氏と
少なくとも音楽は人間の小さな心を開放し、目を開かせ、感性を無限に羽ばたかせて、感動を分かち合えるものであって欲しいです。
今は無きキッドアイラックホールにて。SOON・KIM、牧瀬茜、ヒグマ春夫各氏と
人間の弱さ、いやらしさ、小賢しさがあぶりだされるのも、また芸術の持つ闇なのかもしれません。
今宵の闇は私にどんな世界に誘ってくれるのでしょう・・・・?
秋全開になりましたね。先日は紅葉も綺麗で、早速友人からこんな写真が送られてきました。
先週から続いていた「沙羅双樹Ⅲ」のレコーディングは何とか終わりました。これから一番苦手な編集作業があるのですが、まあとにかく一息つけそうです。ゆっくり紅葉も観に行きたいですね。
プロデューサーの千野さんと打ち合わせ中
今回は初のスタジオ録音ですので、今までとは随分やり方も違っていて、プロデューサーも付いていてくれるし、色々な面で新しい展開になって行くことと思います。琵琶の場合、チューニングがどうしても下がってしまいますので、長い曲では部分に分けて録音しないといけないのですが、今回はわりと一発録りに近い感じで録音することが出来ました。
時代と共にやり方も変えてゆかないと、リスナーは付いてきてくれません。音楽そのものは、どんな時代であれ自分の音楽をあくまでやるのですが、録音の仕方や、発表の方法など時代のやり方に乗ることも必要です。私は琵琶奏者の中ではいち早くHPを作ったり、CDを製作したり、ネット配信をしたりして来ましたが、考えてみれば永田錦心もSPレコードという当時の最先端メディアに乗って世に登場したのですから、私も旧い頭をどんどんを柔らかくして行かなければ、今後はやっていけませんね。幸いプロデューサーやエンジニア、デザイナー等、素晴らしい仲間が周りにいるので、これからも世の移り変わりの中でどんどん自分の音楽を響かせていこうと思います。
周りから見ると、私は樂琵琶も薩摩も弾くし、作曲もするし、あらゆるジャンルの人とも共演するので、器用な人間のように思われているようですが、さにあらず。物事をこなすのに時間がかかる、どいちらかというと不器用なタイプなのです。こればかりはしょうがないのですが、その不器用さを抱えながらも色々なもの、人に出会ってゆくのが私の運命なのでしょうね。20年ほどの琵琶奏者としての時間が、様々な出会いをもたらしてくれたと思っています。もう少し切り替えを早くして取り組んで行きたいのですが、とにかく何事にも時間がかかるのです・・・・。これは変わりようがないですね。
まだデザイン途中ですが、こんな感じになります
今回のCDの内容は先のブログにも書きましたが、1stアルバム「Orientaleyes」の中の代表曲を今の形に再現していることもあって、1stから今回の「沙羅双樹Ⅲ」までの16年という年月を感じる機会がこのところ多くなりました。琵琶のプロ演奏家として活動を始めて20年程ですので、まだキャリアとしてはそんなに長い訳ではありませんが、自分も気がつけば50代。人生はもう後半戦に入っているのです。
今まで色々と自分なりにやってきましたが、人より時間がかかる反面、そのすっきりとしない、うだうだとした時間が多くの思考を生み、その分自分の指針はじっくりと熟成され、この不器用な性質のお陰で益々先端が尖って来ました。時間というものは、自分を育ててくれて、また自分というもののあり様を見せてくれます。自分はどこを見て生きているのか、何をしようとしているのか、何故そうしたいのか。キリがありませんが、時間がかかったからこそ、かえってクリアになったともいえます。
「20歳の顔は自然の贈り物、50歳の顔は貴方の人生」という有名なデザイナーの言葉がありますが、私も50代となり、いつ見ても写真写りの悪いこの顔が私の人生であり、現実なのだとよく思います。何を思い、どこを目指しているか、その心ひとつで、眼差しも体型も所作もファッションも髪形も変わるのです。結局50歳にもなれば、姿そのものにもうその人自身が曝け出されるということでしょうね。
自分以上には成れない。だから自分らしく、ありのままで居ようということです。50年という年月を経たものがこの姿な訳ですから、もうこの姿に責任を持って生きてゆくしかないですね。私という存在は私以外にはいないのですから、人の真似をしたり、何かの権威に寄りかかって自分を大きく見せようとしたり、逆に卑下しようとしたりしては本来の生命は輝きません。
そして年齢を重ねてゆけば精神は落ちついて、充実して行くものの、今度は肉体が衰えて行くものです。私も30代の頃のように何も考えずがむしゃらにやることは出来なくなってきました。お陰様で体型はさほど変わりませんが、体力は相応になってきました。ちょっと残念ではあるのですが、こうやって肉体も精神も成熟して行くんでしょうね。
時間は色々なものを育み、また変化させます。時間が癒してくれることもあるでしょう。時が重なって行くということは、多くの出会いをもたらし、また次ぎへの橋渡しもしてくれます。琵琶弾きとしての20年間が、また次ぎのステージへと歩みを進めるそんな時期に今来ているのだなと、このレコーディングを通して感じました。
哲学者のセネカは「運命は志のあるものを導き、志のないものはひきずってゆく」といっています。私も善き運命に導かれるように、生きたいものです。