眼差しの先に未来はあるのか・・・

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青梅釜の淵公園

やっと穏やかな天気になってきましたね。新緑もすがすがしく、緑に囲まれていると本当に身も心も浄化されるようです。これからは演奏会も目白押しですので、体調を整えてがんばりたいと思います。
この穏やかな天気とは裏腹に世界は目まぐるしく動いていますね。この激動の中にあっては、日本人の感性そのものも変わって行くのは必然ですね・・・。政治や経済に疎い私でも、もう日本の中だけを見て生きては行けない世の中になっているのは、感じない訳にいかないですね。

ジャケット表日本は世界一の長い歴史を誇る国ですが、常に外国との接点を持ちながら、これ迄歴史を歩んで来たといえると思います。鎖国もありましたが、古代から(もしかすると原史の頃から)ずっと外交をしてきたのです。そして今、個人で世界と自由に繋がる時代になって、新たな外交時代に入ったのではないでしょうか。私の今迄出した8枚のCDや、作曲家の石井紘美先生の作品に入っている私の演奏が世界に広がり、世界中の人が私の作品・演奏を聴いてくれる。こんな凄い時代に今生きているのです。当然眼差しは世界中に向けられますね。

私はこれだけ長い歴史を持つ国に生まれたことにとても縁を感じますし、誇らしく思います。これは右とか左とかということでなく、自分が生まれながらにこれだけの歴史を背負って、今ここに在るということに、深く感じるものがあるということです。だからこそ今、「世界の中の日本」という意識が強く湧きあがります。その時に日本の核心となるものは何だろう?、アイデンティティーとは何だろう?。何をもって世界へ音楽を響かせるのか・・・。嫌がおうにでも考えます。

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日本橋富沢町樂琵会にて 筑前の平野多美恵さんと

現代では琵琶といえば耳なし芳一であり、薩摩・筑前が一般的のように思われますが、それは琵琶楽の千数百年の歴史からすると、一番最後のほんの100年程でしかないということは、今まで散々書いてきました。樂琵琶から平家琵琶、放浪の琵琶法師、薩摩・筑前などなど、弾き方やスタイルは時代によって様々に変化してきました。
日本の芸能は古より皆声を伴い、声は日本音楽において大変重要な存在であるのは確かなことですが、音楽において、少なくとも歌は歌、楽器は楽器であり、弾き語りというものはひとつのスタイルでしかありません。長唄や義太夫など他のジャンルでは皆声と演奏が分離して発展している。それは、音楽として深まり、レベルが上がって行けば、専門的になって行かなければレベルが上がらないからです。
琵琶は室町時代に平家琵琶が成立し隆盛しましたが、江戸時代にはほとんど途絶える寸前まで衰退しました。もし平家琵琶が三味線音楽のように隆盛を続けていたら、色々なスタイルが出来上がっていったことでしょうね。

薩摩・筑前琵琶はまだ歴史も浅く100年程度。これから歴史を刻んで行くという段階です。正直な所、声に関しては義太夫や謡曲などのレベルにはまだ追いついていない、と私は感じます。鶴田錦史が声に於いて義太夫の技法を取り入れたのは、そういう中で必然であり、一つの発展だったと思いますが、今後薩摩・筑前に於いて声の部分が発展するとしたら、どの方向に向かうのでしょう。弾き語り自体は結構だと思いますが、このままではなかなか他のジャンルに対抗できるほどのレベルに行くのは難しいと、私は思っています。

78thCDレコーディング時 ヴァイオリンの田澤明子さんと
明治から薩摩・筑前琵琶が隆盛し、永田錦心によって新しいセンスをもった弾き語りが出来上がり、1960年代からは鶴田錦史によって器楽の分野も出てきました。しかしその後、鶴田の後を発展させる者は居なかった。残念ですね。鶴田錦史の示してくれた道がせっかくあるのですから、そこからまた世界に向かって新たなる道を切り開き、この妙なる音色を響かせたいものです。鶴田錦史によって琵琶の音色は世界に響き渡ったのです。今こそ琵琶の音色の魅力を世界に向かって発信すべき時ではないでしょうか。今後あらゆるスタイルが出てきて、魅力的な作品も創られ、当然それを演奏できるレベルを持った奏者が現れ、レベルが上がり、音楽としての魅力や深さが深まって行くだろうと私は確信しています。琵琶にはそれだけの楽器としてのポテンシャルがあるのです!!。

音楽が発展・展開して行けば、あらゆる楽曲・スタイルが出てきて、そして洗練を経て、必ず楽器の音色を聞かせる器楽が誕生します。それはどの国においても、勿論日本に於いても尺八・篠笛・三味線・筝等々皆同じです。もともと平安時代の樂琵琶においては器楽でした。「啄木」のような素晴らしい独奏曲もあるというのに、琵琶イコール弾き語りと思ってしまうことは、単なる思い込みであり、そこに音楽的・芸術的志向は感じられません。
弾き語りというスタイルに固執していたら、この魅力的な音色を生かすことはいつまで経っても出来ないないと思っています。鶴田錦史が世界に向けてその魅力的な音色を発信したように、今後は私たちも世界に向けて、様々なスタイル、魅力を世界の人に届けたいものですね。

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戯曲公演「良寛」にて、笛の大浦紀子さんと

日本の文化は、形は色々と時代によって変わて行きました。しかし表面の形は変わっても、根底にある核のような部分は早々変わらない。形にこだわって、核を見失うようでは本末転倒です。どれを核と見るか、意見の分かれるところではありますが、その部分は日本の風土に生まれ育った人間として受け継ぎ、日本音楽の最先端をやって行きたいですね。そしてそれを次代に受け継いで行ってもらいたい。

眼差しがどこに向けられているか、今一番問われている時代なのではないでしょうか。

古きを慕い、新しきを求むⅡ

京都清流亭にて

この間「古きを慕い、新しきを求む」という記事を書いたら早速色んなところから反応がありました。
確かに皆が定家や鶴田錦史のようだったら、世の中上手く回らないでしょうね。なかなか俺流を貫いて生き、活動することは難しいですが、かといって人と同じでは面白くない。たとえ何も出来なくとも、何も遺せなくとも、「心は新たなものを求め、高き姿を願う」ようでなくては!!。その姿勢こそアーティストなのです。

江ノ島から富士を望む

邦楽では先生の声色までそっくりなんていう人も結構多いですね。そっくりなだけにその質と中身が先生とは全く違うことが、かえってよく聞こえてくるものです。
いくら優等生でも、信者でも、先生の生きてきた時代に生きることは出来ませんし、先生の人生を自分がそのまま生きることも出来ないのですから、同じ人間には成れないのです。したがって上っ面のフレーズや音色など真似したところで、音楽が同じになるはずがないのです。つまり表面上先生と同じフレーズを弾いたり唄ったりしているというのは、音楽的芸術的には、まだ稽古のほんの初期段階であり、極端に言えば自分に嘘を付いている状態といえます。一人ひとり顔も人生も違うのに、出てくるものが同じというのは、まだまだ音楽家としては発展途上にあると言ってよいでしょう。明らかに自分が見えていないし、どこかで「これが俺の音楽だ、俺はここまでがんばった」と、自分を騙し無理やり納得しているだけのこと。

jimi Hendrix2世界を見渡しても、音楽、絵画、文学などどんなジャンルに於いてもコピーが評価される例はありません。ジミヘンやプレスリーのそっくりさんは物まね芸人の域を出ないし、マイルスそっくりにTpを吹いても酷評されるだけです。音楽は我が身から溢れ出てきてこそ音楽であって、これだけがんばりましたという発表会のようなものは、意識がお稽古事ということです。
初心者の内なら、まあこつを掴むまでに真似をするのは結構なことだと思いますし、誰しも影響はいろいろなものから受けるでしょう。しかし音楽家として舞台で人に聞かせたいのなら自分の音を追求しなくてはいけない。勿論音楽そのものもオリジナルであることが、舞台人としての前提条件です。小さな邦楽の世界だけだったら、先生の物まねが出来るだけで周りに褒められのでしょうが、それはあくまでアマチュアの世界。師匠の教えを受け継ぐということはそんな程度の低いことではないのではないでしょうか。

津村禮次郎氏 昨年12月の日本橋富沢町樂琵会にて photo Mayu
薩摩琵琶のようなまだ歴史の浅いものは別として、残念ながら邦楽では、能でも歌舞伎でも筝曲でも、自由に動いているのは、皆家元やその家族だけですね。本当に残念ですが、まだまだ組織の倫理優先で、誰しもが自由に活動を展開できる状況ではない、というのが現実です。津村禮次郎先生のような人は例外中の例外と言えますね。

時代は刻一刻と変わります。演じ手も聞き手も人々のセンスもどんどん変わってゆきます。流行を追うことはないですが、時代にコミットしないのは音楽とは言えません。だから時代を引っ張るのはむしろ異端の方。異端と言われる人は、次の時代のセンスを身につけているから旧社会では異端に写るのです。今古典となっているものは皆その時点で異端と言われた方々です。だからこれからの邦楽を想うのであれば、自分に無い発想と行動力を持っている若手、そして異端こそ応援するようでなくては・・・!。
邦楽は今後、その感性の本質を次代に受け継がせることが出来るでしょうか?。それとも保存会のように曲だけが残されて行くのでしょうか・・・・・?。

人はなかなか自分の感覚を中心にしてしかものを見ません。かく言う私も、新しいものを何でも受け入れることは出来ません。しかしたとえ理解できなくとも、ラベルの「水の戯れ」を酷評したサン・サーンスや、武満さんの音楽を「音楽以前だ」と酷評した山根銀二のようにはなりたくないですね。自分の感性感覚が全てだなどとは思わないし、多様なものが共存してこその社会だと思えば、彼らのような評論は書けないと、私は思います。自分が権威だと思っている人間、自分がジャッジすると思い込んでいる人間。自分の宗教しか認めようとしない人間。いつの世もこうした人間の姿こそが戦争の原因です。
少なくとも芸術家には、世がどのようであっても定家の言葉を胸に抱いて欲しいものです。

「詞(ことば)は古きを慕い、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿を願ってうたう」

パートナーシップⅡ

もうすっかり新緑の季節になりましたね。若葉というのはやはり気持ち良いもので、新しい命の萌える緑の中を歩くと本当に元気をもらったような気分になります。日本人は自然と共生して生きるのが基本。これからの人生は豊かな自然の中で暮らしてゆきたいものです。

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練馬季楽堂にて

私は「一匹狼」とよく言われます。まあ私は組織というものに属していないので、旧態然としている邦楽の世界から見ると、自ら作曲して、CDを発売して、自分で演奏会を張って活動するやり方が、一匹狼的に見えるようです~ジャズやロックでは当たり前なのですがね~~。

そもそも音楽家・芸術家というのは独創性や創造性こそが命であって、群れの中に安住しているようでは、ろくなものは出来ないもので、古今東西、芸術集団などは常に作っては分裂、消滅を繰り返しています。集団は少し続くと、芸術性よりも集団を維持しようという方向になることが多く、自由な活動が制限されてしまう。そのような所に到底芸術家は居ることが出来ないのです。芸術家も音楽家も基本は孤高の存在です。集団の肩書きや名前を掲げているような人は、少なくとも芸術家ではありえません。

幸い薩摩琵琶は他の邦楽ジャンルとは事情が異なり、まだ流派というものが出来て100年程度なので、血統やら何筋というものも無いし、基本的に個人芸ということもあって組織としての縛りもありません。また市場そのものが無いので、自分で開拓出来る実力さえあれば、自由に活躍出来るのが私にとって好都合でした。

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左 龍笛:大浦紀子さん、右 能管:阿部慶子さん 

そんな私も、50代になって常々思うのは、パートナーの大事さです。以前は演奏のパートナーに何でもかんでも「あれを演奏してくれ、これも演奏してくれ」と次々に曲を書いては頼んでいましたが、それは単に相手に依存していただけなんですね。やはり相手を生かすような曲を書かないと良い音楽に成りません。私自身がもっとパートナーの個性を尊重していれば、そんな要求はしなかったでしょう。
遅ればせながらやっと私も余裕が出てきたのか、「この曲は○○さんに、あの曲は○○さんに」という具合に相手の持ち味を考えて作曲するようになりました。パートナーは一人ではなく、色んな場面・分野に夫々パートナーが居ていいし、相手と良きパートナーシップを築けてこそ、演奏環境も良くなり、楽曲も舞台もクオリティーが上がるのです。
皆一人一人得意分野もあるし、独自の音楽性もある。結局は相手をどれだけ理解し付き合えるか、もっと言えば愛を持って接することが出来るか、そういうことだと思うようになりました。これは人間だけでなく物事全般にわたると思いますし、楽器にも夫々の特徴を生かすような使い方をしてあげないと、良い音は奏でてくれません。

IMGP0012ルーテル市ヶ谷教会にて 花柳面先生と
考えてみれば、私は良き師匠にも恵まれました。これも一つのパートナーシップ。20代に作曲の石井紘美先生や、ジャズギター潮先郁男先生などに世話になったことが、今の自分の活動の源になったような気がしています。小学生の時にはクラシックギターを習っていたのですが、その先生がとても柔軟な方で、それまで聞いたこともなかったフォークやカントリーを教えてくれたのが、今考えてみると、外に目を開かせる良い体験になったと思います。その他、邦楽舞台のデビューは、長唄の寶山左衛門先生の舞台でしたし、何時もお世話になっている音楽学の石田一志先生、能の津村禮次郎先生、日舞の花柳面先生、哲学の和久内明先生から教えられたこともとても大きいですね。振り返ってみれば良き先輩達に恵まれていたんだな、と今更ながらに思えてきます。
私には学歴も受賞暦も何にも無いですが、良き先輩方々恵まれ、演奏活動でも全国を回らせていただき、海外ではヨーロッパやシルクロードでコンサートツアーもやらせていただいたりして、本当に多くの貴重な機会にことに恵まれたと思っています。多くの先輩、先生そしてこれらの体験が出来たことは何ものにも代え難いですね。これも夫々のパートナーシップがあったからこそ、だと思っています。

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ジョージアの首都トビリのルスタベリ劇場演奏会にて

普段の音楽活動に於いても、私は本当に色々な演奏のパートナーにも恵まれていると最近良く感じます。色んなことを話し合うことが出来、アドヴァイスをくれる仲間も居るし、様々な分野の仲間が色々と教えてくれたりもします。皆財産としか言いようがないですね。

音楽をやっている最中、例えば作曲したり、琵琶を弾いている時は一人なので、孤独な作業を延々とやっていますが、これをネガティブな意味での孤独とするのか、それとも森有正が「バビロンの流れのほとりにて」で書いているように、尊いものとして捉えるのかで大分違いますね

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箱根岡田美術館 尾形光琳作「菊図屏風」前にて

芸術家は基本的に孤独な存在であるのが第一条件だと、私は思っています。勿論尊い孤独でなくてはいけません。その上で多くのパートナーシップを持つのが理想的だと思います。我が身の「真の孤独」を実感せずに徒党を組むと、必ず馴れ合いが生じ、組織の論理が優先します。それでは個としての感性が薄れ、自分の表現活動が出来ない。先ずは個としての孤独の自覚が何よりです。

個として自立した存在であるからこそ、他者とパートナーシップが築けるのです。これからも素敵なパートナーと良い関係を築いてゆきたいものです。

古きを慕い、新しきを求む

4月に入り、桜もあっという間に散って、何か一区切りついて新しい年へと切り替わったような気分になりました。今月から演奏会も始まり、まだぐずぐずとしている鼻と相談しながら声も出すようにしています。

先日、古典文学に詳しい知人から藤原定家のことを聞きました。定家といえば、和歌の名人というレベルではなく、日本の根底となる感性や文化を作り上げた人。定家はその人物像もなかなか個性的だったようで、興味深い話を沢山聞きました。
定家は「詞(ことば)は古きを慕い、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿を願ってうたう」と本歌どりの極意について語っているそうです。これは今、伝統文化といわれる分野の人にはよくよく心して欲しい言葉だなと、しみじみ感じました。この姿勢こそ、文化の基本です。世界一長い歴史を誇る日本の文化は、正にこの言葉に沿って紡いできたからこそ、今があるような気がします。

定家という人は随分と烈しい性格で、19歳の時「紅旗征戎吾事非」なんて言って、我が道を行くと言い放つような人物だったようです。(意味:大義名分をもった戦争であろうと、所詮野蛮なことであり、芸術を職業とする身の自分には関係のないことである)
宮仕えの身で、このようなことを言い放つとはなかなかの人物。傍若無人とも評されているこの人物が日本の文化を代表する歌人となり、日本の感性を形作った訳ですが、私には何だかよく判る気がするのです。もし彼が「保守本流」などとのたまって優等生面をするようだったら、ろくな歌は作れないだろうし、日本文化も変わってしまったかもしれません。

時代を創る人とは常に最先端を走る人のことです。世の中の雰囲気に流されず、権威権力に媚びず、しかも時代とがっぷり四つに組み合って、時代の中で生きて、次の世を見据えるように我が道を行く人が時代を創り、その人の残したものが古典となって行くのです。

日本橋富沢町樂琵会にて 津村禮次郎先生と
つまり古典とは、出来上がった時点で前衛であるという事。能や歌舞伎などなんでもそうなのですが、みな出来上がった時点では前衛です。そこにあらゆる感性や知性が集り、旺盛に洗練を繰り返し、さらに挑戦する姿勢を貫いてきたからこそ、今まで伝えられたのです。その姿勢が無かったら邦楽といわれるものは現代に伝えられなかったでしょう。

かつて能は、戦後一気に新作から実験作まで、凄い勢いを持って創り続けられました。時代が能に注目し、その芸術性は更に深まり、洗練されて行ったのです。勿論そういう時期には、新しい時代に見合った器を持った人材も現れました。歌舞伎もご存知のように、時代の流れを取り入れた新作をどんどんと創って行くからこそ、古い演目が洗練され、現代的なセンスも加わって、大衆に愛されているのです。時代のセンスも存分に嗅ぎ取って、古典にまた新しい視点を向け、新しい魅力を引き出し、更に更に洗練されて行くのです。

言い方を変えると、古典に対し常に新たな視点を向け、その魅力を現代に向けて発信していかないと、滅んでしまうということです。雅楽のように権威に守られているものは別として、能も歌舞伎も、形を守ることに終始したらもうお終い。さて琵琶楽はこれからどうなるのでしょうか・・・・?。

時代を作った人物をみると皆個性的です。琵琶では鶴田錦史がその筆頭でしょう。一見あちらの世界の方のような雰囲気で、サングラスにスーツ、髪はオールバックという男装の出で立ちで、同性愛を公言し、愛人を連れ歩いて豪快に琵琶界を練り歩いた様子は、色んな方からよく聞かされました。まだ男女同権なんて無いような保守的な時代、その中でも更に保守的な邦楽界で暴れまわった姿を想像すると痛快ですね。私はお逢いした事はありませんが、あの鶴田錦史だからこそ、閉塞した琵琶の世界をぶち破って、新たな弾き語りスタイルや器楽としての琵琶の分野を切り開いて行くことが出来たのだと思います。

鶴田錦史が、錦心流で習った曲を上手に弾いているだけだったら、まあ名人だ何だと言われ終わっていたでしょう。薩摩琵琶の歴史は先に進むこともなく、大正から昭和初期に流行った流行音楽として、細々愛好家が弾いている程度になったかもしれません。名人などというものは所詮過去に作られた技術やセンスなどの、既に引かれたレールの上に居るのであって、新たなレールは創っていない。染織家の志村ふくみさんも「我々は常に前衛なのです」と言っていましたが、現状を次の世代へと受け継がせて行くには、自分自身が前衛であるという認識を持つ位でないと、とても成就出来ません。

定家が正に言っている通り。古きものを慕いながらも、心は次の新しきものを求め、たとえ過去にあった偉大な作品には及ばずとも、その崇高な姿を求めて、自分自身がその高みに行くつもりで創り続ける。芸術に携わるものは、その姿勢が必須なのです。老舗のお店しかり、会社しかり、芸能しかり、どんなものでも長い歴史のあるものは、過去に敬意を払いながらも、常に創り続け、時代に挑戦し続けているからこそ、今でも輝き守られているのです。時代に媚びず、権力におもねることもない。むしろそういうものに挑戦し、楯を突くくらいでちょうど良いのです。ただ時代に背を向けるのではなく、時代と共にあることを忘れずにその時代にしっかりと根を張っていなくては意味がありません。そこまで出来て始めてその存在に意味も意義も出てくるのです。

鎌倉其中窯サロンにて photo
川瀬美香

随分前に、とある伝統音楽の家から「薩摩琵琶はもう滅ぶものだと思っていたよ」と言われたことがあります。確かにあの頃の状況はそうだったかも知れません(今もあまり変わっていませんが)。その先輩は続けて「でも君のような人が居たんだ」と言ってくれて、以来CDを出す度に聴いてもらっています。

私は少なくとも名人を目指すような人間ではないし、レールの上を歩くような優等生にもなりたくはありません(なれません)。鶴田錦史のようには生きる事は出来ませんが、自分でレールを引き、「紅旗征戎吾事非」を標榜して歩みを進めるようでありたいですね。小さな枠の中で競っていてもしょうがない。今は世界がマーケットという時代ですから・・・。

日本の文化の出発点に、定家のような人が居たというのは実に興味深いですね。私も私の行くべき所を行きます。
定家を巡ってじっくりと宴を楽しみました。

糸の話

桜も早散り始め、花見を計画する暇もなく桜の季節が過ぎ去ってしまいましたね。しかし春の花はこれからがまた面白いのです。次々と湧き出でる命を見てると、希望が溢れてきます。

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善福寺緑地今年最後の桜

さて今日は糸の話。和楽器では皆「弦」と言わず「糸」と言いますね。私は一般の方が判り図らいだろうと思うので「絃」と書くことにしていますが、普段から絹糸を使っていると確かに「弦」よりも「糸」と言う方がしっくりきます。ちなみに私はテトロン絃は薩摩琵琶においては使いません。樂琵琶や筝のようにきつく絃を張るものは、テトロン絃でもまだ大丈夫なのですが、薩摩琵琶では駒と駒の間を締めこむことで音程を作るために、絃をゆるく張っています。張りが緩いとテトロン絃では倍音の少なさが目立ち、情けない音しかしないのです。また太い方はテトロン糸ですと、強く張ってもゆるく張っても鳴りが今一つなので、薩摩琵琶は全て絹糸、樂琵琶には3,4がテトロン、1と2は絹糸を張っています。
テトロンは最初に張ったときには結構伸びてしまうのですが、ある程度伸びると後は耐久性があり切れないので、野外公演など湿気の影響を受けやすい時には、細い糸だけテトロンにしている薩摩琵琶の方も居るようです。

IMGP0647最新型の糸口。象牙ではなく白蝶貝を使っています
私は他の演奏家に比べかなり太い絃を張っています。大型琵琶は太い方から45番、35番、2の太目、19番(現在は20番に)。中型は45番、1の太目、2の太目、19番という具合。ギターで言えばウルトラヘビーゲージというところでしょう(琵琶界のパット・マルティーノ???)。

太くすると音量は出るけれど、サスティーン(伸び)が減るということを、初心の頃に言われましたが、それは全く関係ないですね。ちゃんとサワリの調整をすれば、太い絃でもしっかり音は伸びてくれます。思い込みは何ごとにおいても禁物です。私の薩摩琵琶は誰よりもサワリ音が長く伸びるようにセッティングされています。
勿論太ければ太いほどテンションはきつくなるので、締め込みが大変になります。とはいえ私の琵琶はすべて1本調子(DDGDまたはDDAEまたはDDAD)にチューニングしますので、さほど締め込みに苦労はしません。男性では3本調子くらいが基本だと思いますが、3本だともう私の絃のセットでは太すぎて締め込みが難しくなると思います。

長唄三味線の方は頻繁に絃を取り替えますが、薩摩・筑前琵琶の方は、長唄さんに比べるとあまり糸の交換はしませんね。薩摩・筑前の場合、駒(フレット)と駒の間を締め込んで音程を作りますので、駒の端のところに圧力がかかり、細い絃はそこがすぐ傷んで白くなってしまいます。先ず駒の端を綺麗に丸くしておかないとすぐに痛んで、切れやすくなってしまいます。駒の手入れは基本中の基本です。是非気を使って欲しいものです。私は駒の仕上げには結構気を使っています。おかげで本番で絃が切れた経験がありません。

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樂琵琶は締め込みがないので、比較的長く張っていますが、それでも大きな演奏会の度に全て張り替えます。久しぶりに張り替えた時など、その響きの素晴らしさに何時も感激します。やっぱり新品の絃のあの新鮮さは、いつ聴いても惚れ惚れしますね。エッジが効いていて、サスティーンがあって、きらきらとした倍音が豊富で、楽器全体が響いてきて、まるで楽器が喜んでいるよう。実に気持ち良いのです。勿論その前提として、どんな琵琶でも絃高の調整、各駒の高さ調整、薩摩だったら各サワリの調整が出来てないと、幾ら新品の絃でも鳴ってはくれません。琵琶は細やかな面倒を診る絶え間ない努力と試行を繰り返さない限り、答えてはくれないのです。とにかく世界一手のかかる楽器です。
私は薩摩琵琶の細い絃に関しては、一公演が終わったら取り替えてしまいますが、切れるまで張り替えないなどという「つわもの」も多いですね。絃は切れるまで全く張り替えない、サワリの調整もしないという琵琶人がかなり多いですが、本当に嘆かわしい限りです。駒に糸筋がつきっぱなしだったり、駒が高すぎて音がつぶれている例もよく目にします。本当に悲しくなりますね・・・。自分の楽器や音楽に愛情が無いんだね~~~。私には考えられません。

IMGP0652最近象牙レス加工を施した大型1号機
以前、邦楽器の絃を作っている丸三ハシモトの若社長と石田琵琶店で会った時に、ギターのように色んなタイプの絃があると嬉しいと言ったのですが、残念ながら琵琶絃の需要自体が無いのでどうにもならないようです。秦琴奏者の深草アキさんは、丸三ハシモトまで出向いて、絃の撚り加減まで指定してオリジナルのセットを作ってもらい、まとめて大量に購入するそうです。最低100本以上と聞きました。その情熱は本当に素晴らしい。ちなみに彼は時々声をかけてくれる良き先輩でもあります。
私が使っていた長目の絃は、どうやら私しか使っていなかったようで、もう無くなってしまいました。これまで石田琵琶店さんが無理をして仕入れてくれていたようです。長いことありがとうございました。何とか普通の尺でも張れるのですが、何だか琵琶の世界もどんどん縮小してゆくような気分になりましたね。私に深草さんのような財力があれば何とかするのですが・・・。

是非琵琶に携わっている方は、楽器にもっともっと愛情を傾けて欲しいですね。ギターやヴァイオリンには楽器愛とでもいう程に、自分の楽器を愛してやまない方が沢山いますが、琵琶人でそういう方はほとんど見たことが無いのです。何故皆さん手入れをしないのか。私は毎日サワリの調整をちょこちょことやってから弾き始めます。でないと弾いていても気持ち悪くて弾いていられません。

絃は琵琶の命。命の糸に気を配れないような人は、当たり前ですが上達もしないし、自分の音楽はいつまで経っても姿が見えないでしょう。琵琶に、音楽に愛を持っていないと、絶対に答えてはくれません。ギターでもベースでもヴァイオリンでも皆演奏家は究極の一音を目指して、あれこれ絃を試したり、絃高を変えたり、タッチを見直したりして常に研究しているのです。一流はもちろんの事、高円寺で路上ライブやっているおにいちゃんでも、「今度この絃に替えてみたよ」「絃高のセッティングいじってみた」「ピックアップ交換してみた」なんて会話をいつも皆しているのです。皆さん楽器に大きな愛情を持って接している。楽器の話で朝まで盛り上がれるのはギター小僧でしたら当たり前のことなんです。残念ながら琵琶人で楽器について語り合うような人には出会ったことがありません。私が流派や協会から離れたのもここにその一因があります。

150918-s_塩高氏

細かなサワリや駒の調整は、経験や技術が必要なので、すぐに出来るようになりませんが、絃は色々試せる。いろんな太さの絃を試して、自分の一番好きな音色になるように研究してみては如何でしょう。使い古しで、駒にあたる部分が白くなっているような絃ではいくらやっても良い音はしないし、楽器本来の響きも引き出せません。
琵琶は凄いポテンシャルがあるのです。楽器の実力を最大限に生かしてあげるためには、先ず絃のチョイスからやってみて下さい。サワリの調整がものすごい比重を占めていることは確かですが、絃選びも大変重要です。ただしタイプを間違えてはいけません。自分のやりたい方向と違う絃を選んでも鳴らしきれません。軽のワゴン車にスリックタイヤ履かせても意味がないどころか走れないとの同じで、太ければ良いというものではありません。是非自分だけのオリジナルなサウンドが出る素晴らしい楽器を何時も弾いていただきたいものです。

2018年チラシs

今月は日本橋富沢町樂琵会が11日にあります。樂琵琶の音色を体験してみたい方は是非お越し下さい。
笛はいつもの相方 大浦紀子さん。古典雅楽曲から新作まで色々演奏します。

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