記憶の中の音色

yoshino-ume5今は無き吉野梅郷の梅
春は毎年身体に変調をきたす季節でもあり、仕事も少ないこともあって、家の中で琵琶の手入れや楽譜の見直しなどしながら過ごすことが多いのです。そんな感じでのんびりしているせいか、最近やたらと若き日に聞いていた曲が聴きたくなるのです。ジャンルは全く関係なく、その曲を聴いていた空気が無性に懐かしくなってくるのです。過去が甦ってくるような、何とも懐かしいような不思議な感覚に包まれます。

あの頃に瞬間で飛ぶのは、なんといってもジェフ・ベックの「Blow By Blow」と「Wird」。これはもう別格で、私の人生はこれに始まるという位、即効で10代半ばの、あの頃に飛んでしまいます。色んなジャンルを普段から聴いていますが、これだけは変わらないですね。

まあこれはこの二枚のレコードは例外として、最近は何故か懐かしい音楽を聴きたくなるのです。リシェンヌ・ボワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」を聞くと、昔関わった舞台を思い出しますし、マーラーの5番の「アダージェット」は映画「ベニスに死す」の印象が強烈です。初めて「牧神の午後への前奏曲」を聴いた時のあの驚きは未だに忘れられないですね。
ジャズでしたらジョージベンソンの「Affirmation」、ウェス・モンゴメリの「フルハウス」、コルトレーンの「India」やマイルスの一連の作品等々鮮やかなまでに、青春時代(?)が目の前に広がります。まあそれだけ年を取ったということなんでしょうね。

 

8thCD「沙羅双樹Ⅲ」の送付や、ネット配信の手続きも一段落着いたので、この所、日がな一日中これらの曲に浸っています。どこか自分でも原点に戻りたいという気持ちが強くなっているのかもしれません。自分自身では内面があまり変化をしている風には思わないのですが、今回出した「沙羅双樹Ⅲ」も原点回帰のような内容だったし、折り返し地点にいるということなのかもしれませんね。

夢も相変わらず毎晩見ます。何ともシュールな内容なので説明は難しいですね。どれも不思議なストーリーのものばかりで、毎回登場人物が変わります。毎日一本映画を観ているようなものです。加えて現実でも二十歳の頃のジャズ研の仲間達とひょんなことから再会したり、30年も前に組んでいた仲間とまた組みだしたり、ふとあの頃の話が何度も出てきたりと、なんだか「甦り」の日々なのです。

S2人生にはそんな時期もあるのでしょう。たまにはノスタルジーに浸るのも良いものです。思えば、常に前へ前へと突っ走り、最先端であろうとする姿勢は、どこかに無理があるのかもしれません。それが自分の資質という事は重々判っているのですが、今は休息が必要な時期であり、自分の原点を見つめる時間に来ているということだと解釈しています。

それにしても今、何が自分を突き動かしているのか・・・・。どうしようもなく原点に戻りたいという衝動はどこから湧き上がってくるのでしょうか・・・・?。

音楽家というものは、仕事が無いとのんびりしている反面、収入のことが気にかかって落ちつかないし、忙しければ忙しいで「やりたい事が出来ない」と叫んでいる何とも手に負えない人種です。
私はそんな日々をもう30年以上続けてきました。安定収入のある方からすれば「いい年をして何時までやってんだ」と怒られそうですが、そんな人生を生きて早50代になってしまいました。
まあこれからも相変わらず生きてゆくのでしょうが、この原点回帰の機運から、何かが見えてくるのではないかと思っています。

私の原点は邦楽でもなければ、日本文化でもありません。確かに古典文学は中学生の頃からわりと好きでしたが、日本の古典音楽は全く聴いていませんでした。なんといっても私の音楽的原点は70年代のロックです。しかもショウビジネスの匂いのするものは全く興味がありませんでした。今考えれば裏側にショウビジネスの無いもの等ありえないことは判るのですが、純粋だったんですね・・・。その後ジャズに深~く傾倒して行くのですが、やはり甘いジャズヴォーカルなどはショウビジネスが付きまとっているようでどうにも受けつけない。私にとっては、常に挑戦的な姿勢で最先端を走っているマイルスやコルトレーンこそがジャズでした。まあロックとジャズは私の血と肉といえるでしょう。

とにかく私にとって音楽は音色が第一。楽器の音でも声でも良いのですがけっして歌ではないのです。今でも声そのものを聞かせる声楽は別にして、歌を主に聞かせる音楽がジャンル関係なくどうしても好きになれないのは、この頃の体験の為なんでしょうね。

rock20歳の頃、ジャズを弾かせてもらえるというので、ナイトクラブのバンドマンとなったのですが、実際はジャズもやるものの歌謡曲をけっこう弾かされて、心底歌謡曲を弾いて金を稼いでいる我が身を嘆き、仕事を止めてしまいました。まあ遅まきながらやっとこさ世の現実がようやく目の前に立ちはだかり、一つ大人になったともいえますね。それにしても本当に気付くのが人より遅い・・・。しかしまあそのお陰で琵琶へと歩みを進めることが出来たのですから、こういうことも一つの与えられた試練・運命だったのでしょうね。

今私は、いわば日本文化を追体験しているのです。よくよく自分自身を観てみれば、自分の中に日本文化がどれだけ深くしみこんでいたか、今になってみると良く判ります。小学生の頃やっていた剣道や、父がやっていた短歌や俳句も、しっかりと自分の中に根付いたことを感じますし、これまで多くの人に囲まれて生きてきて、自分が日本人というアイデンティティーを持っているということにも気づきました。自分は必然的にここに来たのだとも思いますし、また琵琶奏者として人生を歩んでいることを本当にありがたく思っています。

今回のCDを出したことで、薩摩琵琶、樂琵琶への関わり方が少しづつ変化してきたのを感じています。今年は演奏の形も変化して行くことでしょう。少し休息をしたら、また次のステップに進みます。

是非是非御贔屓に。

春の宴2018

今年はまだ積雪で困っている所があるというのに、もう関東では春の風情になってきました。と同時に春は花粉も飛び始めて、声を使う者にとっては厳しい季節でもあります。春は仕事が少なめではあるのですが、この春はありがたいことに色々とお仕事を頂いています。穏やかな春の風情をのんびりと楽しみたい・・・なんて隠居暮らしみたいな事は、私にとってはまだまだ先の話ですね。

先日は今年初めての日本橋富沢町樂琵会で、8thCD「沙羅双樹Ⅲ」の発売記念演奏会をやってきました。まあ小さな会ですので地味なものではあるのですが、今回はCDにも参加してくれたViの田澤明子さん、尺八の吉岡龍之介君にゲストで来てもらいましたので、内容はなかなか充実して、嬉しい演奏会となりました。

今回はオープニングに「祇園精舎」を弾き語り、続いて「まろばし~尺八と琵琶の為の」「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」「壇の浦」というプログラムでしたが、やはり私は器楽を中心にしたプログラムが一番しっくり来ます。歌が中心のものではどうにも自分自身が発揮できません。ジェフ・ベックやウエス・モンゴメリを聴いて育った少年は、大人になっても根っこの所は変わらないですね。どこ迄いっても、自分は器楽の演奏家だとつくづく思います。とにかく自分の世界をしっかりと琵琶の音」で表現したいですね。

「まろばし~尺八と琵琶の為の」を吹いてくれた吉岡君は、これまで何度か大きな舞台でも共演して来ましたが、彼は若手ながら弱音がなかなかに素晴らしく、今回も弱音を生かした演奏で「まろばし」を吹いてくれました。スーパーテクニックを誇示しようという尺八奏者が多い中、貴重な存在だと思います。
邦楽器はやはり邦楽器らしくあるのが一番。世界がマーケットとなった今、その独自の世界観こそが一番の魅力であり、他に類を見ない芸術的感性に溢れていると思うのは私だけではないでしょう。今だに既存の舶来音楽を邦楽器で表面だけなぞって喜んでいるものが多い現状は、何とも情けない・・。

薩摩琵琶もあの音こそが唯一無二の魅力です。決して歌や声ではないと私は思っています。これからあの音にどれだけの世界が広がり、哲学が深まって行くか、この辺が琵琶が世界に出てく鍵だと思います。声を張り上げていても琵琶の魅力は伝わらないと思うのは私だけでしょうか・・・?。
薩摩琵琶は歴史がない分、思い切って色々とやれるというのが良いですね。「まろばし」はそうした尺八と薩摩琵琶の魅力を十二分に発揮できるように作曲しましたので、吉岡君とのコンビネーションは今後の展開が面白くなって行くと思います。

そして今回はなんといってもヴァイオリンの田澤明子さんとの共演です。私は何かとヴァイオリン奏者と縁があって、これまでにも分不相応にもハイレベルな方々と共演させて頂きました。しかし今回は特別です。あの田澤明子さんと拙作の「二つの月」を演奏するんですから、気合が入らない訳がない!!。昨年レコーディングは終わっているのですが、舞台では今回が初演ですので、久しぶりに身が引き締まる思いがしました。

終演後、お客様と歓談中
「まろばし」にしても「二つの月」にしても、こうして舞台の上で鳴り響いたことに本当に嬉しく思います。まして自分の作品が一流の演奏家によって演奏されるというのは格別ですな!。
田澤さんと対峙するには、私はもっともっとレベルを上げないといけないのですが、先ずはこのコンビネーションでの第一歩が踏み出せて嬉しかったです。アンコールには「塔里木旋回舞曲」も二人で演奏しました。田澤さんのアドリブはなかなかいかしてましたよ。

昨年に録音したものがCDとなり、ネット配信が完了し、更に舞台でこうして実現して行くこの過程は実にスリリングであり、且つ大きな喜びです。
音楽はとにもかくにも舞台で実現するまでやらなくては命が宿りません。練習しただけ、作曲しただけ、録音しただけではリスナーに届かない。何度も何度も舞台にかけてこそ音楽としての生命が輝くのです。

昨年12月の日本橋富沢町樂琵会にて津村先生と

私の作曲の師 石井紘美先生は「実現できる曲を書きなさい」とよく言っていました。オケと琵琶のコンチェルトなど作ったところで実現の可能性はありません。先生は更に「貴方は自分で演奏できるのだから、自分で演奏出来る曲を書いた方が良い」とも言ってくれました。私はその言葉が今になってよく判るのです。世に溢れる現代音楽の新曲も、そのほとんどは再演されることなく埋もれていってしまいます。私は自分の曲をそ
んな運命にしたくない。だから自分で実現出来る曲を書くのです。
ありがたいことに、私は普段の仕事からほぼ100㌫自分で作曲したものを弾いて生業とさせてもらっています。これからも自分の作曲したものに命を与え、何度も演奏することで輝くようになるまでやり遂げようと思っています。創るだけ、演奏するだけ、録音するだけでは仕事は終わらないのです。

昨年12月の日本橋富沢町樂琵会にて

外はもう梅花が膨らみ始めたようです。また今年も色々なものが動き出す季節になってきました。この会の前日14日のヴァレンタインデーの日に「沙羅双樹Ⅲ」もネット配信となり、世界に飛び出てゆきました。今年はちょっと今までとは違う展開をしてゆくような気がしています。もう少し先の世界に足を踏み入れてみたいですね。

日本橋富沢町樂琵会2018

今年も日本橋富沢町樂琵会が始まります。今年で3年目となるのですが、だんだんと良い感じのペースが出来上がってきました。
それと日本橋富沢町樂琵会のHPも、会場となっている小堺化学興行のHPに新たにコーナーを作っていただきました。 日本橋富沢町樂琵会HP:http://150.60.177.171/rakubikai.html
まだ作りかけなのですが、今後のスケジュールなど載せています。是非ご覧になってみてください。

毎月やっている琵琶樂人倶楽部は、レクチャーが半分、演奏が半分というスタンスで、出演も若手の方や、独自に色んな活動を展開している人に絞っているのですが、日本橋富沢町樂琵会の方はレクチャーをやめて、演奏だけに絞っています。またゲストもベテランの演奏家に声をかけていて、能の津村禮次郎先生、尺八の吉岡龍見さん、俳優の伊藤哲哉さんなど、毎回先輩方々をお呼びして、演奏をたっぷりと聴いてもらってます。場所も琵琶樂人倶楽部が阿佐ヶ谷、日本橋富沢町樂琵会が日本橋と離れているので、お客様の雰囲気も違っていて、やるほうとしても面白いのです。

今週15日(木)の会では、私の新しいCDの発売記念も兼ねているので、CDでも共演しているベテランヴァイオリニストの田澤明子さん、尺八の吉岡龍之介君をゲストに迎え、CDに収録されている作品の演奏をします。現代の薩摩琵琶を是非是非聴きに来て下さい。19時開演です。

昨年4月の回 津村禮次郎先生と
日本橋富沢町樂琵会、琵琶樂人倶楽部共に本当に良い形で続けられるのも、聴きに来てくれる皆様のお陰です。ライブは集客がとにかく一番大変なのですが、いつもなんやかんやと色々な方が来てくれるのは、本当にありがたいですね。
こうした定例会は、無理があると続かないのです。経済的にも、気持ちの面でもとにかくもう日常のような感じになってくると、無理なく続けてゆくことが出来ます。琵琶樂人倶楽部はもう11年目で120会を越えていますが、11年やってきたという実感があまりありません。それは自分の音楽活動の中で日常のものとしてやっているからです。

こうした定例会をやるきっかけは、まだ若手といわれた30代の頃、自分自身が色々な琵琶楽に興味を持ちながらも、それらを実際に聞く機会が無かったからです。各流派も定例会をやっていますが、それはあくまでお浚い会であって、お稽古した曲しかやりません。近現代に出来上がった○○流だけ、弾き語りだけという限定されたものしかやってくれないのでは、私には全然物足りなかったのです。私は琵琶楽がお稽古事ではなく、生きた音楽として常に世に響いて欲しいと、ずっと思っていたのですが、私の想いを満たしてくれるような会は、当時どこにも見当たりませんでした。

若かりし頃
そうしたら自分でやるしかないでしょう!!。多様な琵琶楽の魅力をこちらから紹介して行くのはもう私の使命か、と思い立ち上げた次第です。声張り上げているだけで、ほとんど琵琶を弾かない近現代のスタイルは、琵琶の音色を聴きたい現代人には全然ぴんとこない。そうしたものを「これが琵琶だ」とばかり押し付けてもファンは増えません。逆効果です。雅楽や能、長唄、筝曲などの日本音楽の中でも、薩摩筑前の琵琶は新参者なのです。琵琶楽には平安時代から器楽、合奏、創作など等様々なスタイルがあるのですから、それを聴かかせない手はありませんね。
またいつも書くように薩摩・筑前の琵琶は流派というものが出来てまだ100年程しかたっていません。琵琶楽千数百年の歴史がありながら、どうして近現代に成立した薩摩筑前が古典といえるのかが私には理解が出来ませんでした。大体、軍国ものや忠義の心などの曲を古典と言われても、到底受け入れることは出来る訳がありません。更には70年代80年代に成立した流派まで古典だと言い放つ始末。私はこのようないい加減なご都合主義の風潮に、一石を投じる為にももっとまともな琵琶楽の歴史を紹介したかったし、軍国ものなんかを琵琶だと思われては困るとも思いました。琵琶楽は多様で魅力溢れるものとして聴いてもらいたい、その為にもこうした定例会を立ち上げ発信することはとても有効だろうと思ったのです。

今後の予定は

4月21日はいつもの相棒 笛の大浦典子さんとシルクロードをテーマにした樂琵琶の演奏。

6月21日は私の琵琶を作ってくれた石田克佳さんを迎え、正派薩摩琵琶と錦琵琶の聞き比べ、そして琵琶にまつわる様々なお話を聞かせてもらいます。
10月18日はついに夢の実現!。憧れの田原順子先生を迎え、演奏とお話を伺います。

29

12月はまだ企画の段階ですが、能の津村禮次郎先生を迎えNewversionの戯曲「良寛」を上演する予定です。

現代では琵琶は本当にマイノリティーな存在になってしまいましたが、琵琶は平安の昔から、ずっと歴史の中で様々に形を変え、日本の風土に鳴り響いてきました。是非是非古典から薩摩筑前の新しい琵琶楽まで聴いてくださいませ。
日本橋富沢町樂琵会・琵琶樂人倶楽部にてお待ちしております。

彷徨ふ月

先日の月蝕は、神秘的でしたね。
演奏会の帰り際にチラッと見ただけだったのですが、家に帰ってからあらためて眺めてみると、何とも不思議な幻想的な雰囲気を感じ、しばらくその移り変わりを眺めていました。
英語ではlunar Eclipseといいますが、このEclipseという名前は武満徹作曲の琵琶と尺八の二重奏の曲のタイトルでもあり、それまで弾き語りの伴奏でしかなかった薩摩琵琶に器楽という分野を打ち立て、その新たな魅力を初めて世界に知らしめた現代薩摩琵琶の代表曲でもあります。正にここから薩摩琵琶の歴史は変わったといえるでしょう。

今回のCDにも入れましたが、拙作「まろばし~尺八と琵琶の為の」はこの武満徹作曲の「Eclipse」に対抗する曲として作曲しました。
もう20年程前でしょうか、「Eclipse」をやらないかというお話を頂きまして、当時通っていた先生の所に相談すると、気軽に譜面を見せてくれました。しかし既にこの曲は流派の曲になっていて、流派の通りに演奏するように求められました。私の天邪鬼な性質を差し引いても、これはやはり武満さんの意に反すると思いましたし、演奏家・作曲家の端くれというプライドもあって、たとえ大先生の演奏であっても、他人の即興演奏をなぞるなどという事は、ジャズ出身の私にはどうにも納得いかなかったので、先生には丁重にお断りをし、お仕事の方も断りました。そして自分で納得の行く形で琵琶と尺八の二重奏曲を作るべく「まろばし」という曲を作曲し、1stCD「Orientaleyes」の第一曲目に収録したのです。当時は「どうだ!!」という生意気な所が強かったかもしれませんが、この「まろばし」はこの時以来私の一番の代表曲となり、数多くの音楽家と演奏してきました。

この写真は2009年に国際交流基金の主催公演で中央アジアの国々をツアーした時のもの。ウズベキスタンの首都タシュケントにあるイルホム劇場で「まろばし」をミニオケと琵琶&ネイに編曲して頂き演奏しました。編曲と指揮はウズベキを代表する作曲家アルチョム・キムさん。本当に忘れることの出来ない体験でした。
「まろばし」の初演はスウェーデン人のグンナル・リンデルさんでしたので、スウェーデンのストックホルム大学や、同民族博物館ホールなどでも演奏してきましたが、新たなアレンジになってウズベキスタンに鳴り響いた時は感激しましたね。是非いつかこの形で再演をしてみたいと思っています。

終演後アルチョム・キムさんと楽屋にて

「まろばし」作曲にあたっては、一音成仏という尺八などで言われる世界観をアイデアの源泉としました。そもそも「まろばし」とは剣の奥義のこと。新陰流系統でよくいわれるものですが、技だけでなく心の状態をも表します。つまり一音成仏の世界とは大変相通ずるものがあるのです。曲全体が剣の立会いのような気迫で展開するようになっており、途中は「Eclipse」と同じように即興になっています。
最初から武満さんの曲とはその土台となる哲学や精神的背景を異にして、私の独自の世界観で作曲しようと決めていましたので、私らしく武道を土台とした精神世界をこの曲に込めました。

kotou7故 香川一朝さんと
この「まろばし」は曲の趣旨を理解していれば、演奏家の個性が充分に発揮されるように書かれているので、練習という行為自体がほとんど必要がありません。また若手のフルパワー全開のスタイルから、香川一朝さんのように場に満ちてゆくような静かなスタイルまで、自由自在に曲が変化してゆきます。

私は「まろばし」を作ったことで、琵琶奏者として本格的な自分独自の活動を始め、「まろばし」によって多くの方と共演して縁を頂いてきました。「Eclipse」という作品があったからこそ、私の「まろばし」は誕生したといえます。そしてこの「まろばし」が、現在まで私の活動をずっと支える曲となったのです。

月1

先日の月蝕を観ていて、20年前のあの当時のことが甦ってきました。あっという間としか言いようのない20年でした。20年経ったという実感も無いくらいです。しかしながらこうして年を重ね、人間は生きてゆくのでしょうね。
留まることの無い月の永遠の運動と輝きは、人間の有機体としての限られた人生というものを、太古の昔からずっと包むように照らし、見守っているのですね。人間にはどうすることもないこうした自然の力強い姿を見ていると、人の世の出来事の小さな波騒が本当に小さく見えてきます。またそれに振り回されて生きている自分も、その小ささにあきれるばかり・・・。暫しの間でも俗世を離れていたくなります。

私の作品には月をテーマにしたものがかなり沢山あります。それだけ私にとって月のイメージはとても大切で、且つ感性の源となっています。「Eclipse」にはじまる私の月は、私の音楽があり続ける最後まで心の中を彷徨い、掻き立て、これからも多くの作品を生み出す力となってくれることでしょう。

 

共に生きる

今週の水曜日は、大久保のルーテル教会にて昨年からやっているシリーズのコンサート「祈りの音 冬の音」をやります。

2018-1-31s

このシリーズコンサートはプロデュース&作曲の小二田茂幸さんが主催するもので、自然と人間との関わりをテーマに、季節ごとにやっているものです。前回は八丈島に伝わる八丈太鼓を中心に構成しましたが、今回はアイヌの文化を自分の命と引き換えにして紹介した若き女性 知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」という本からインスパイアされたコンサートで、アイヌの語り部 宇佐照代さんをゲストにプログラムを組んでいます。

アイヌ神謡集この「アイヌ神謡集」を書いた知里幸恵さんは、小さな頃から囲炉裏端で祖母よりアイヌの色々な話を聴いて育っており、その話をまとめたのがこの本です。彼女は元々心臓が悪く、北海道から東京へ出てくるのも大変だったのですが、言語学者 金田一京助氏の勧めで、滅び行くアイヌの伝承と言葉を何とか残したいという強い想いを持って上京し、病身をおして書き綴り、全てを書き終わったその夜に19歳という若さで亡くなりました。彼女の書いたものは金田一氏や柳田国男氏によって出版され、アイヌが日本の先住民族であるということをあらためて世間に気づかせ、また現代に生きる人々にも多くのことを投げかけています。明治の近代化によって失われた民族の誇りを、彼女は命を差し出して歌い上げたのです。

現代人は「奢り」の中に居る。「もので栄えて、心で滅ぶ」正にそんな時代に生きている。私は常々そんな風に感じています。知里さんは本の序文に、自然と共に生きるアイヌの人々を「なんと幸福な人たち」と評して書いていますが、私はその序文を読みながら、彼女の純粋な眼差しと感性に、心の目が開くような感動を覚えました。素晴らしい文章です。ご興味のある方は序文だけでも読んでみることをお勧めします。

アイヌ神謡集 http://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html
NHKの「そのとき歴史は動いた」でも紹介されていますので、こちらも必見です。
https://www.dailymotion.com/video/x2mt2p5
http://dai.ly/x2mt2p5

人間はこれだけ凄惨な戦争を繰り返してきて、何故未だにパワー主義を振りかざすことでしか生きてゆくことが出来ないのでしょう。力で敵対する相手の土地も生活も文化も言語も歴史も奪って領土を拡大し、支配し、それに勝利したものを王様と崇め、英雄譚を作り歴史とする・・・。現代の世界も全く同じですね。
現代の文明は確かに素晴らしいものも沢山ありますが、欲望を常に掻き立てられ、それによって消費することで成り立っている経済が本当に豊かなことなのでしょうか。歩きながら、食事をしながら四六時中スマホを見入っている姿は、私には人間の劣化としか写らないのですが・・・・。

知里幸恵
知里幸恵さん

異なるものが共存してこそ地球は存在しえるのです。自然、動植物、皆多種多様な命によって成り立っているのに、人間だけは小賢しいイデオロギーやプライドで自らを苦しめ、自分の視点からしかものを見ようとしない。常に人間第一主義なのです。自然を破壊し他を支配し・・・・。現代は特にそれが顕著ではないでしょうか。日本社会を見ても自分と異なるものをなかなか受け入れませんね。太古の日本人は自然との共生をしていたのではないでしょうか。

虹知里さんの言葉は、アイヌの伝承を通して現代人に大きな問いかけをしているように思います。普通に思っていること、やっていることが如何に人間として異常なのか、人間の本来の生活とは何なのか・・・・。今こそ、現代人は振り返ることが必要だときっと思うことでしょう。でなければ後はどんな時代が続くというのでしょうか・・・。

今回の舞台は皆様に何かのきっかけを感じていただけると思います。また一連のシリーズコンサートを通して、私の音楽も、目の前の常識や習慣などを超えて、人間本来の心にどれだけコミットしているのか、あらためて見つめ直す良き機会となりました。

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