安洞院から市内を望む
先日の3,11祈りの日は、大勢の方にお越しいただきまして、大変よい雰囲気の中務めることが出来ました。今回も手紙を募集して、俳優の紺野美沙子さんがそれを朗読しましたが、単なる地震というだけではなかったこの災害を語り伝えてゆくことには、一つの使命を感じますね。来年も是非参加したいと思っています。
越生梅林
春は3,11を除き、ほとんど演奏会を入れず、毎年家の中にいることが多いので、じっくりと色んなことを考えます。今後の演奏会プログラムを練り直したり、曲の手直しや作編曲など、こういう時間をまとめて取ることで、音楽を洗練し、その年の活動の方向を考えているのです。何時も何時も演奏会に追われていてはクオリティーがあがっていきませんし、新作の作曲にも取り掛かれません。
今年は8枚目のCDを出したことで、ちょっと方向が変わってきました。それも薩摩琵琶のCDとしては10年ぶりの作品集ということもあり、声や曲について今まで感じてきたことがやっと具現化してくるような感じがしています。
歌についてはこのブログでももう何度か書きましたが、今年は何より原点への回帰という点が一番に来ています。自分が琵琶を手にして、初めて琵琶っていいなと感じたその感覚を、もう一度確認しているといったらよいでしょうか。私はやはり琵琶のあの音色をなにより求めたのです。特にここ10年は樂琵琶を追求していたこともあり、器楽としての琵琶により意識が向いてきました。以前にも書きましたが、今回のCDで琵琶唄には区切りをつけました。やはり私は琵琶の器楽曲をもっと旺盛に作り、演奏して行こうと思います。この春はこうした自分の中の志向を再確認しているのです。
この志向は琵琶だけでなく、他の音楽への接し方にも影響しています。不思議なもので、今迄あまり興味の無かったジャンルを聞いたり、大好物のジャズギターも、聴くスタイルの幅が広くなりました。
以前から私の琵琶の演奏を「ロックだね」といってくれる方が多いですが、まあ歴代の薩摩琵琶のジャケット(右から1st,2nd,3rd,5th下は8th)も邦楽という雰囲気ではないですね。自分では特に考えずに好みの感じをデザイナーに伝え作ってもらっていただけなのですが、こうして並べるとロックなフィーリングは昔からたっぷり持っていんだということが、今さらながら良く判ります。そういえば以前、とある先輩に「これは琵琶楽のジャケットらしくない」と叱られたこともありましたね。
敦盛や経正などを作詞してくれている森田亨先生は前から「塩高ロック」説を言ってくれていましたが、今年も年明け早々色んな方に「クィーンの○○みたい」「エアロスミスの曲のようだ」etc.と評されました。
先日の3,11の会では詩人の和合亮一さんと昨年に続きコラボしましたが、和合さんから送られてきた詩の脚注には「塩高さんのロック高まる」なんて書いてありましたね。きっと感性鋭い芸術家の方々は、私の演奏の中にロックな部分を見て取るのでしょう。私のオリジナルモデルの琵琶も「Eruption」という曲を聴き、ああいう低音のうなりが欲しいと思って、あれこれと注文をつけて琵琶職人の石田克佳さんに作ってもらったので、最初から音楽的志向の中に多分にロックな要素が含まれていたのは間違いないですね(歌の付いているロックは今でも好きではないのですが・・・)。やっぱり青春時代の記憶はぬぐえませんね。
ということで今回は、最近またよく聞くようになったこちらを是非。ロックが嫌いな人はスルーしてください。私にとっては麻薬のような魅力があっても、他の人にとっては騒音にしかならない・・?かもしれません。
こういうのを聞くと自分の中のどこかと激しくリンクするものを感じます。この動画は何時見ても私を激しく揺さぶり、気分をハイにしてくれます。是非ヘッドフォンで大音量にして聞いてみて下さい。
以前の私は自分のこうした部分を押さえ込んでいたように思うのです。それがどんどん自由になって、自分の本当にやりたいもの、自分らしいものが表面化してきている、そんな感じがしています。基本的に私の音楽は現代音楽志向なので、普段はジャズや現代音楽等を聴いていて、ロックを聴いているわけではないのですが、心の奥
底には爆発(eruption)するような思いが常に燻っているのだと思います。
そろそろ桜が待ちどう強いこの頃ですが、この春はもっともっと自分の内面を掘り下げて、時代と共にある琵琶の形を自分なりに探って行きたいと思っています。ポップスのようなエンタテイメントではなく、従来の琵琶唄でもなく、芸術音楽として世界に向けて琵琶の器楽曲を広めたいですね。そして何よりも一番自分らしい姿を具現化してゆきたいのです。
春の陽射しの中、のんびりとしながらも、自分の中のEruptionが盛り上がりました。
今年も3月11日がやってきます。今年で七年という歳月が経ちましたが、今どれだけの人があの震災のことを覚えているでしょうか。今東京では、節電という言葉すら聞かれなくなりました。しかし3,11は単なる大地震というだけではない大きなものを現代の日本に突きつけ、残しました。私達はこれからもそれらを深く考えて行かなくてはならないように思います。
この催しは毎年、東京のルーテルむさしの教会でやっていたのですが、昨年からは福島の安洞院というお寺で法要とともに開催しています。昨年は能の津村禮次郎先生と、俳優の夏樹陽子さん、詩人の和合亮一さん、そして私の4人でやったのですが、今年は和合さん、俳優の紺野美沙子さん、私の3人でやることになりました。
震災にまつわる手紙を募集して、それを紺野さんと和合さんが朗読し、私が演奏するというスタイルで、途中私の独奏があったり、和合さん書下ろしの詩と私とのデュオなども交えて行います。
昨年の様子
昨年は「良寛」の舞台と、津村先生、夏樹さん、私で上演したのですが、今回は詩や手紙の朗読が中心の会となります。
私は震災の年の秋に福島に呼ばれて演奏したのがきっかけで、毎年のように福島に行くようになって、多くのことを感じました。相馬や飯舘など原発事故の影響の強くあった地域などに行った時には、現地の方にも色々と話を聞いたのですが、東京で報道だけを見ているのとは随分と違うと感じました。
当時のブログなどを読み返してみると、自分の無力を感じたり、音楽というもののあり方など、多くのことを考えさせられました。それらの想いは今でもずっと心の中に残っています。私はあの震災を経て、音楽に対する姿勢もだんだん変わってきました。
当時私が40代ということもあり、もう力だけで押し切ってしまうやり方では、活動は無理だと感じていて、自分に出来ることと出来ないことを見極めようと、考え始めていた頃にあの震災がありましたので、まだ従来の琵琶の形式を引きずって、そこを越えられなかったものを、震災後に大きく自分なりのやり方や形に変えていったのです。2011年の秋に出した6thCD「風の軌跡」は、そんな私の中の想いの果てに作った作品でした。
日本人はある程度年齢が行くと、どうも丸くなってこじんまりと収まってしまう人が多い。意見はおろか、ものも言わなくなり、軋轢を避け、穏やかさを装い大人を気取るような人が多い。音楽でも大人しいもの、伝統的なものに帰ってゆくことを大人の音楽などという傾向があるけれども、私はそういうあり方は決して良いとは思っていません。
日本人のこうしたあり方は、よく言えば恨みも残さず、争いもせず、穏やかなあり方とも言えますが、逆を言えば、過去を教訓とせず、雰囲気に押し流され、なあなあの体質の中で自分の位置だけを確保して、のんびりと自分という小さな世界に安住してしまうということです。現状を改革して、より良くしようという姿勢は感じられません。もう少し言うと次世代に対する責任放棄ともいえるような気がします。
私の目指し、憧れた音楽家は最後まで戦い続け、追求し、大きなものを我々後輩に残してくれました。マイルスも、パコ・デルシアも、ピアソラも、永田錦心、宮城道雄・・・、皆はっきりとものを言い、戦うべき所ときっちり戦い、周りの雰囲気に迎合せず自分を貫き、次世代に大きな道を残してくれました。その志をどれだけの人が受け継いで行ったのか・・・?。作ってもらった道の上に胡坐をかいて、己の世界に閉じこもり、目を外に向けようともせず、自分を取り巻く小さな村の中で満足して安穏としてはいないか・・・?。
この震災は、現代の日本人に多くのものをもたらしました。しかしそこから目をそらせて、日々楽しく過ごしていることは平和な証拠とばかりに、毎日をネットやTVの快楽に逃げていたら、この経験や教訓を次世代に受け継ぐことは出来ません。もう東京では震災について語る人は少なくなりました。あれだけ震災後は食の安全や放射能のことを報道していたのに、今では大食い選手権など面白がってやっています。私のような無力の人間でさえ、これからの日本はこれで良いのだろうかと思えて仕方ありません。
邦楽や琵琶楽も同じこと。衰退の極みにありながらも、現状維持で何も変わろうとしない姿勢の先に未来がある訳がないのです。
昨年の公演より
私たちは次世代に対し、その志を伝え、良きものを遺してゆくのが、課せられた使命ではないでしょうか・・・。こういう日を今一度想い出し、自分の姿を見つめる良い機会となって欲しいものです。
もう春の陽気ですね。梅花も見頃だけど花粉も心配という何とも悩ましい日々です。どうしてもこの時期は引きこもりがちになりますが、現代はYoutube等で色んな方の演奏が聴けるので、日々素晴らしい音楽を堪能しています。
聴けば聞くほどに、やっぱり世界の第一級のプロの演奏は、ジャンル関係なく素晴らしい音色をしていますね。音楽はやはり何よりも先ず音色だとつくづく感じられずにいられません。一流と二流の差は音色に尽きると言ってもよいかと思います。
それにしてもインターネットというものは、今迄どうしても手に入らないような音源も聴けて本当に便利です。別の言い方をすると、こういう時代に音楽を発信しているということをよく自覚しておかないと、活動もままなりません。時代と共に音楽も活動の仕方も変わってきますね。
現代では皆さんヘッドフォンで聞く方も多いですが、小編成のものならともかくも、オケだけはさすがにしっかりとしたオーディオでないとあのスケールの大きさが聴けませんね。という訳で、私はご自慢のアンプJUDO-J7に灯を入れて、マーラーなんか大きな音で聴きながら「ベニスに死す」のあのシーンに浸ってます。なんとも贅沢な日々ですね。
邦楽をやっている人はこういうのは先ず聴かないかもしれませんが、私は久しぶりにこの「ルーム335」を聞いて本当に心が満たされました。ギターを弾いているのはラリー・カールトンというアメリカ人です。この動画は2017年公開のものですが、演奏している曲は1978年に発売され、もう世界のギター少年が皆彼の演奏に熱狂し、真似し、彼と同じギターが世界中でどんどん売れたという程に、あの時代を代表するギタリストであり、且つこの曲は彼そのものとも言える代表曲なのです。
70~80年代は日本も国自体に勢いがあったし、まだ「アメリカは世界だ」なんて言っていた頃でした。彼の演奏もそんな時代を象徴するように、何処までも飛んで行くような自由さと、希望に溢れ、人生を目一杯楽しんでいるような明るさに満ちていました。興味のある人は是非70年代の音源も聴いてみてください。現代のセンスで聴いても全く色褪せることなく、そのずば抜けた演奏にびっくりすることでしょう。しかし彼はその後プライベートでは暴漢に襲われ大怪我をしたりして、紆余曲折の人生があったそうです。
70年代に世界の最先端を走っていた若者が、40年程の時を経てこれだけ枯れた味わいの演奏に至るとは、私は思ってもみませんでした。1948年の生まれですからもう70歳なんですね。私も70歳の時にはこうありたいですね。彼はつい先ごろも来日して素晴らしい演奏をしていきましたが、どんな演奏をしたんでしょうね。この動画でも、ギターの音が彼の声そのものになっていると感じました。私はこの長い時間を経た洗練に強く惹きつけられたのです。
琵琶は残念ながら、30年40年に渡ってレコーディングをしている人が居ないので、演者が時を経て変わってゆく様は聞くことは出来ません。かの永田錦心も録音期間は十数年というところ。鶴田錦史はもう少し長く、60年代から20年近くありますが、最後は琵琶を弾かずに歌だけになってしまいました。
私は最初の琵琶レコーディング「和~Ginyu」「Orientaleyes」の二枚が2001年ですから、今度の8thアルバム迄まだ17年。せめて30年くらいまでは記録を伸ばしたいですね。30年経ったら自分でどう感じるのでしょう・・・?。それにしてもこのジャケット写真若いな~~~。筝のカーティス・パターソンさんとは誕生日も同じで同じ年。横浜インターナショナルスクールの筝の先生をしています。尺八のグンナル・リンデルさんは今ストックホルム大学の先生になっています。あの頃は皆さん勢いが凄かったですね。
最近8thCDを出したせいか、私のルーツである1stの「Orientaleyes」を聴いてくれる人が結構出て来て、妙に好評を頂いてます。
今回のCDが16年前の1stアルバムの曲を2曲セルフカバーしていることもあり、人によって、以前の少々荒っぽい感じと勢いが良いという人もいれば、16年の洗練は素晴らしいと言ってくれる人もいます。声に関しては2ndCD(2003年発売)から録音したのですが、さすがにその頃の歌は自分で聞いても??ですね。絃楽器は小学生の頃から弾いているので、演奏の方は今聞いても当時の技術と今のそれはさほど変わってはいません。技術よりも内面的な変化が大きいですね。同じ曲でも表現の仕方が随分と変わっています。しかし声に関してだけは琵琶を始めてから歌を始めたので、確かに時間を経た分の違いははっきりと出てますな。
私も30年経ったら、ラリー・カールトンのような洗練成熟した演奏になって、こんな感想を書いてもらえるような作品を残したいですね。
ASaxのSOON・Kimさんとキッドアイラックホールにて
薩摩琵琶は皆さん声ばかりに意識が行っていて、サワリの調整すら自分でやらない人がほとんど。少しライブ活動をしている人でも、自分で調整が出来ない人が多いですね。本当に残念です。何故歌うことばかりに気が行って、唯一無二のこの魅惑的な音色を持つ楽器を
存分に鳴らそうとしないのか、私には全く理解が出来ません。歌手じゃないんだから琵琶奏者と言い張るのなら、先ずは歌より琵琶でしょ!!!!。惚れ込んでしまうような音色を出す琵琶奏者には、今迄お目にかかったことがありません。重ね重ね残念でなりません。
琵琶奏者なら琵琶の音色こそ命。何があっても先ずは琵琶の音が第一のはず。ろくに楽器を鳴らせないような者を「奏者」というのは琵琶に申し訳ない。私も究極の私だけの音色を求めたいものです。だからこそ楽器に関してはどこまでも拘りたいのです。
一流には一流の音があります。そしてその人の声と同じように楽器からその人だけの独自のトーンが聴こえて始めて音楽足りえるのです。二流は何故二流なのか、その音色に現れています。言い方を変えると、音色より先に「お上手」が聞こえてくるのです。つまりお見事さを追いかけているようではまだまだという事です。
これから邦楽は世界にどんどんと出てゆく時代。私のCDですら既にこれまで出した全てのCDが世界にネット配信されて、日本よりも海外の方が買ってくれています。それも今はCD丸ごとでなく、曲単位で購入する時代ですから、アルバムという概念もだんだん無くなっていってます。こういう時代に我々音楽家は生きているのです。小さな村意識でお互いに褒めあっているようでは、もうとても琵琶の響きは世界に届きません。
先日ブログに書いた、Tsaxの佐藤公淳さんやAsaxのSOON・Kimさんなどは本当に素晴らしい独自の音色を持っていました。個性は人それぞれ、姿も人それぞれ。同じ人生を生きている人が居ないように、音色も人それぞれであるはず。その音色を「舞台」という場所で音楽として表現出来てこそ音楽家。私も及ばずながら私独自の琵琶の音色を「舞台」で、世界に向かって響かせたいのです。
春のつれづれに想いが募りました。
都内は寒い寒いと言いながらも、もう春の風が吹き、梅の花があちこちで咲き出しました。街を歩いていて、ふと梅花に出会うと本当に心和むものがありますね。決して派手ではないのだけど、その可憐な姿は、まだマフラーを巻いている身に微笑を投げかけてくれるようで、あの小さな花びらがなんとも愛おしく思えてきます。
CDを先月リリースしてから、あらためて自分の弾き語りによる「壇の浦」を聞いて、もうあの琵琶唄の唄い方を変えようと、このところずっと考えています。録音する前から、琵琶弾き語りに関しては「旧来の弾き語りスタイルの最後の記念にしよう」と思っていましたが、一段落着いて改めて更に思うことが多々ありますね。
私はやはり何処まで行っても「器楽の人」であるという認識が年を重ねるごとに強くなって来ているのですが、それでも薩摩琵琶に弾き語りというスタイルが、その誕生からある以上無視は出来ません。お仕事も色々と頂いてやっていますので、器楽面だけでなく、弾き語りに於いても独自のスタイルを創り上げればよいだけのこと。こうした想いは少しづつですが、盛り上がってきました。
琵琶で弾き語りをやるのなら、大声を張り上げて「誰がどうして、何がどうした」という物語の筋を延々と節を付けて説明するストーリーテリングではなく、「詩」を歌いたい。能でも長唄でもストーリーテリングだけで無く、愛を基本にして様々な情感や心象心情を歌い上げているのに、薩摩琵琶は哀切の心や勇ましい物語ばかりに終始し、物語の筋のみを追いかける。私が琵琶を手にして一番最初に違和感があったのは、あの歌詞です。
薩摩琵琶の音楽は古典音楽と違い、明治~昭和初期の軍国の時代に成立したジャンルですが、とはいえ皆が知らない物語を、同じパターンの構成でイントロからエンディングまで延々と弾き唄い、20分も30分もストーリーの説明に終始する。これはこの多様化したグローバルな現代にとても合っているとは思えないのです。大体軍国ものや忠義の精神などの内容の曲を、現代において演奏する意味はあるのか・・・?。私には皆目検討が付きません。
琵琶唄に関しては、以前より「父権的パワー主義」などと名付けてブログに書いてきましたが、私には演者の大いなる自己顕示欲と自己満足がどうしても聞こえてくるのです。古典の味わい深い佇まいも無く、ある時代の一つの価値観を只管押し付けてくる音楽は、私の想う音楽とは程遠い所に位置していたのです。
しかし私にとって、薩摩琵琶のあの音色は何にも変えがたい魅力があります。だから薩摩琵琶と唄を切り離し、器楽としての琵琶楽の確立を目指したい。この音色を何よりも多くの人に聴いて欲しいのです。けっして唄ではないのです。
琵琶唄のこの辺の問題はまた今後ゆっくりと取り組んで行くつもりです。時間をかけて多くの方に話を聞いてもらったり、実験をしたりしながら、弾き語りに関しても独自のスタイルを創らない限り、声を伴う琵琶の弾き語りは自分の中で難しくなってくるでしょうね・・・。
5年ほど前の吉野梅郷にて①
人間はいつも何かしら考え、何かしら作り、行動し、何かをすることを美徳とし、物や財産、実績等を作り上げようと努力することが素晴らしいことだと考えます。こうした人間の感性と性質が音楽を生み出し創るのです。またこうしたことを自分の中で燃やして行くことが無くなったら、もう芸術家として何かを生み出し、活動して行くことは出来ないですね。
しかし梅花を眺めていると、そんな想念雑念も何時しか消えて、穏やかな時間だけを感じます。私は旺盛な創作意欲を持ちながらも、一方でもっと淡々と与えられた所に根を張って、けれん無く生きてみたい、という願いも強くあります。勿論まだまだ私にはやりたいことが沢山あって、生きることへの欲を断ち切ることは出来ませんし、悠々と大地に立って本当の意味で生を謳歌するにはとても至りません。ただ、前へ前へと歩みを進めることだけが人間の生き方なのか・・?、物を作り出しキャリアを積むことだけが素晴らしいのか・・・・?。そういう問いかけは常に私の中に燻っています。
梅花を見ていると、そんな日々の想いはしばし彼方へと去り、人間の思う概念としての時間さえもいつしか消え、自然の移り変わりの中にぽつんと居る自分を発見します。梅花はただかすかな微笑を湛え、静かに咲いているだけ。しかしその微笑みは、人の心にす~と届いて心を満たしてくれる。その密やかで淡い佇まいが何よりも素敵なのです。そんな力は少なくとも今の薩摩琵琶には全く無いですね・・。
毎年のように行っていた吉野梅郷の梅花は、皆様ご承知のようにもう全て無くなってしまいましたが、私の記憶の中にはあの姿が焼きついています。この時期になると、必ず心の中に甦ってくるのです。私もそんな音楽を作り演奏して行きたいものです。
このところ少しゆっくり過ごしていますが、とはいえ先週は琵琶樂人倶楽部、日本橋富沢町樂琵会があり、確定申告もやり終え、やっぱりばたばたと動き回っているのは変わりませんね。しかしまあ演奏会はそんなに多くはないので、こういう時期こそ普段行けない舞台を観たり、質の高い音楽を聞いたりして人生行豊かにしなくては!。ということで色々な会に出かけてきました。
先ずはちょっと前になりますが、Met Live Viewingトマス・アデスの「皆殺しの天使」を観てきました。さすがにトマス・アデスの新作だけあって最先端を行ってましたね。もうオペラというより前衛演劇という感じで、聴衆の感性の先を行くような出来栄えに唸ってしまいました。また詳細なブログはあらためて書きますが、天才はどの分野でもジャンルなど軽々超えてゆくんだな、とあらためて感じました。ジャンルや旧来のスタイルに固執しているようでは、時代は動きませんね。深く実感しました。
そして次はメゾソプラノの保多由子さんのサロンコンサートにも伺いました。赤坂のドイツワイン専門店「遊雲」という素敵なお店での弾き語りによる演奏でしたが、自然で伸びやかな声、そして気負いのない素直な感性から紡がれた歌曲の数々が実に気持ちが良かったです。加えて私は生意気にもドイツワインが結構好きなものでして、がぶがぶと頂いてきました。美味しゅうございました。
更に今週はNYで活躍していたテナーサックスの佐藤公淳さんのライブにも行ってきました。
メンバーは公淳さんのテナーの他、ピアノにケビン・マシュー、ベースにタイラー・イートンというトリオ編成。NYで一緒にライブをやっていたトリオだそうです。実に素晴らしい図太いサブトーンが鳴り響いてましたよ。以前このブログでも紹介したスーン・キムさんもそうですが、若い頃からジャズの中心地に身を置いて研鑽していると、音がそうなるんでしょうか。日本のライブでは滅多に聴けない「ジャズ」の音が溢れていました。小さなジャズクラブでしたが店内は満杯で、且つ海外の方ばかりでしたので会話もMCも英語。何だかNYにでも居るような雰囲気でしたね。これぞモノホンのジャズ!。久しぶりに「ジャズ」に浸った感じ。大満足!!!
いつもこうした実力のあるプロの演奏を聴くと思うのですが、保多さんも公淳さんも、とにかく風情があるのです。音楽家としての雰囲気といったらよいのでしょうか・・・。絵になっているのです。同じことをスーン・キムさんのライブの時にも書きましたが、
「風情というもの~TOWER OF FUNK Japan Tour」
https://biwa-shiotaka.com/blog/51377818-2/
舞台というものは非日常なのです。我々音楽家は、そこに立って始めて成立する仕事をしているのです。そういう普段と違う世界に身を置き、且つ舞台の上で絵になるというのは、我々音楽家に課せられた必須な条件のようにも思えますね。
日本橋富沢町樂琵会にて~私は絵になっているかな??
演者の「華」とは世阿弥の昔から言われてきたことですが、確かに上手くなってくると、舞台で絵になってくるということも事実です。それは自他共に認める実力が身についてきたということでしょう。しかし自分で勝手にノリノリになって勘違いしているだけの人が多いのが現実です。賞取ったから私は凄いなんて思っている人、小さな世界で褒められて、先生なんて呼んでもらって喜んでいるような人は、見るからに素人臭いものが漂って来ます。
ライブの現場に足を運んでくれる方々は、音楽だけでなく、その華やかさも求めて来るということです。派手な演出だけで、見せ掛けの華やかさに寄りかかったものはつまらないですが、華のない舞台はもっとつまらない。特に日常を引きずっているような舞台は最悪です。衣装やセットではなく、人を惹きつける人間力こそ舞台の魅力かもしれません。
私が30代の頃、所作を身に付けろと散々言われていましたが、それはお作法として格好だけつけろということではなく、凛とした落ちついた風情を身に付け、舞台で人を惹きつける人間力を身につけろということなんだと、今頃になって判ってきました。実際に自分で色々な舞台を見て、そういう風情を持った人を観ると「これか!」とよく判りますね。何度かそういう舞台を拝見してくると、所作の持つ意味も見えてくるし、そこにある深く重厚な日本文化も感じられます。
ルーテル大久保教会にてトンコリを弾くの図 となりはアイヌの語り部宇佐照代さん
音楽家としてもう長い時間を過ごさせてもらいましたが、年が行けば行くほどに一流の舞台人の持つ風情を感じるようになりました。自分でもそんな風情になりたいものです。