パートナーシップⅡ

もうすっかり新緑の季節になりましたね。若葉というのはやはり気持ち良いもので、新しい命の萌える緑の中を歩くと本当に元気をもらったような気分になります。日本人は自然と共生して生きるのが基本。これからの人生は豊かな自然の中で暮らしてゆきたいものです。

2017-2-5-1
練馬季楽堂にて

私は「一匹狼」とよく言われます。まあ私は組織というものに属していないので、旧態然としている邦楽の世界から見ると、自ら作曲して、CDを発売して、自分で演奏会を張って活動するやり方が、一匹狼的に見えるようです~ジャズやロックでは当たり前なのですがね~~。

そもそも音楽家・芸術家というのは独創性や創造性こそが命であって、群れの中に安住しているようでは、ろくなものは出来ないもので、古今東西、芸術集団などは常に作っては分裂、消滅を繰り返しています。集団は少し続くと、芸術性よりも集団を維持しようという方向になることが多く、自由な活動が制限されてしまう。そのような所に到底芸術家は居ることが出来ないのです。芸術家も音楽家も基本は孤高の存在です。集団の肩書きや名前を掲げているような人は、少なくとも芸術家ではありえません。

幸い薩摩琵琶は他の邦楽ジャンルとは事情が異なり、まだ流派というものが出来て100年程度なので、血統やら何筋というものも無いし、基本的に個人芸ということもあって組織としての縛りもありません。また市場そのものが無いので、自分で開拓出来る実力さえあれば、自由に活躍出来るのが私にとって好都合でした。

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左 龍笛:大浦紀子さん、右 能管:阿部慶子さん 

そんな私も、50代になって常々思うのは、パートナーの大事さです。以前は演奏のパートナーに何でもかんでも「あれを演奏してくれ、これも演奏してくれ」と次々に曲を書いては頼んでいましたが、それは単に相手に依存していただけなんですね。やはり相手を生かすような曲を書かないと良い音楽に成りません。私自身がもっとパートナーの個性を尊重していれば、そんな要求はしなかったでしょう。
遅ればせながらやっと私も余裕が出てきたのか、「この曲は○○さんに、あの曲は○○さんに」という具合に相手の持ち味を考えて作曲するようになりました。パートナーは一人ではなく、色んな場面・分野に夫々パートナーが居ていいし、相手と良きパートナーシップを築けてこそ、演奏環境も良くなり、楽曲も舞台もクオリティーが上がるのです。
皆一人一人得意分野もあるし、独自の音楽性もある。結局は相手をどれだけ理解し付き合えるか、もっと言えば愛を持って接することが出来るか、そういうことだと思うようになりました。これは人間だけでなく物事全般にわたると思いますし、楽器にも夫々の特徴を生かすような使い方をしてあげないと、良い音は奏でてくれません。

IMGP0012ルーテル市ヶ谷教会にて 花柳面先生と
考えてみれば、私は良き師匠にも恵まれました。これも一つのパートナーシップ。20代に作曲の石井紘美先生や、ジャズギター潮先郁男先生などに世話になったことが、今の自分の活動の源になったような気がしています。小学生の時にはクラシックギターを習っていたのですが、その先生がとても柔軟な方で、それまで聞いたこともなかったフォークやカントリーを教えてくれたのが、今考えてみると、外に目を開かせる良い体験になったと思います。その他、邦楽舞台のデビューは、長唄の寶山左衛門先生の舞台でしたし、何時もお世話になっている音楽学の石田一志先生、能の津村禮次郎先生、日舞の花柳面先生、哲学の和久内明先生から教えられたこともとても大きいですね。振り返ってみれば良き先輩達に恵まれていたんだな、と今更ながらに思えてきます。
私には学歴も受賞暦も何にも無いですが、良き先輩方々恵まれ、演奏活動でも全国を回らせていただき、海外ではヨーロッパやシルクロードでコンサートツアーもやらせていただいたりして、本当に多くの貴重な機会にことに恵まれたと思っています。多くの先輩、先生そしてこれらの体験が出来たことは何ものにも代え難いですね。これも夫々のパートナーシップがあったからこそ、だと思っています。

本番2s
ジョージアの首都トビリのルスタベリ劇場演奏会にて

普段の音楽活動に於いても、私は本当に色々な演奏のパートナーにも恵まれていると最近良く感じます。色んなことを話し合うことが出来、アドヴァイスをくれる仲間も居るし、様々な分野の仲間が色々と教えてくれたりもします。皆財産としか言いようがないですね。

音楽をやっている最中、例えば作曲したり、琵琶を弾いている時は一人なので、孤独な作業を延々とやっていますが、これをネガティブな意味での孤独とするのか、それとも森有正が「バビロンの流れのほとりにて」で書いているように、尊いものとして捉えるのかで大分違いますね

150918-s_塩高氏
箱根岡田美術館 尾形光琳作「菊図屏風」前にて

芸術家は基本的に孤独な存在であるのが第一条件だと、私は思っています。勿論尊い孤独でなくてはいけません。その上で多くのパートナーシップを持つのが理想的だと思います。我が身の「真の孤独」を実感せずに徒党を組むと、必ず馴れ合いが生じ、組織の論理が優先します。それでは個としての感性が薄れ、自分の表現活動が出来ない。先ずは個としての孤独の自覚が何よりです。

個として自立した存在であるからこそ、他者とパートナーシップが築けるのです。これからも素敵なパートナーと良い関係を築いてゆきたいものです。

古きを慕い、新しきを求む

4月に入り、桜もあっという間に散って、何か一区切りついて新しい年へと切り替わったような気分になりました。今月から演奏会も始まり、まだぐずぐずとしている鼻と相談しながら声も出すようにしています。

先日、古典文学に詳しい知人から藤原定家のことを聞きました。定家といえば、和歌の名人というレベルではなく、日本の根底となる感性や文化を作り上げた人。定家はその人物像もなかなか個性的だったようで、興味深い話を沢山聞きました。
定家は「詞(ことば)は古きを慕い、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿を願ってうたう」と本歌どりの極意について語っているそうです。これは今、伝統文化といわれる分野の人にはよくよく心して欲しい言葉だなと、しみじみ感じました。この姿勢こそ、文化の基本です。世界一長い歴史を誇る日本の文化は、正にこの言葉に沿って紡いできたからこそ、今があるような気がします。

定家という人は随分と烈しい性格で、19歳の時「紅旗征戎吾事非」なんて言って、我が道を行くと言い放つような人物だったようです。(意味:大義名分をもった戦争であろうと、所詮野蛮なことであり、芸術を職業とする身の自分には関係のないことである)
宮仕えの身で、このようなことを言い放つとはなかなかの人物。傍若無人とも評されているこの人物が日本の文化を代表する歌人となり、日本の感性を形作った訳ですが、私には何だかよく判る気がするのです。もし彼が「保守本流」などとのたまって優等生面をするようだったら、ろくな歌は作れないだろうし、日本文化も変わってしまったかもしれません。

時代を創る人とは常に最先端を走る人のことです。世の中の雰囲気に流されず、権威権力に媚びず、しかも時代とがっぷり四つに組み合って、時代の中で生きて、次の世を見据えるように我が道を行く人が時代を創り、その人の残したものが古典となって行くのです。

日本橋富沢町樂琵会にて 津村禮次郎先生と
つまり古典とは、出来上がった時点で前衛であるという事。能や歌舞伎などなんでもそうなのですが、みな出来上がった時点では前衛です。そこにあらゆる感性や知性が集り、旺盛に洗練を繰り返し、さらに挑戦する姿勢を貫いてきたからこそ、今まで伝えられたのです。その姿勢が無かったら邦楽といわれるものは現代に伝えられなかったでしょう。

かつて能は、戦後一気に新作から実験作まで、凄い勢いを持って創り続けられました。時代が能に注目し、その芸術性は更に深まり、洗練されて行ったのです。勿論そういう時期には、新しい時代に見合った器を持った人材も現れました。歌舞伎もご存知のように、時代の流れを取り入れた新作をどんどんと創って行くからこそ、古い演目が洗練され、現代的なセンスも加わって、大衆に愛されているのです。時代のセンスも存分に嗅ぎ取って、古典にまた新しい視点を向け、新しい魅力を引き出し、更に更に洗練されて行くのです。

言い方を変えると、古典に対し常に新たな視点を向け、その魅力を現代に向けて発信していかないと、滅んでしまうということです。雅楽のように権威に守られているものは別として、能も歌舞伎も、形を守ることに終始したらもうお終い。さて琵琶楽はこれからどうなるのでしょうか・・・・?。

時代を作った人物をみると皆個性的です。琵琶では鶴田錦史がその筆頭でしょう。一見あちらの世界の方のような雰囲気で、サングラスにスーツ、髪はオールバックという男装の出で立ちで、同性愛を公言し、愛人を連れ歩いて豪快に琵琶界を練り歩いた様子は、色んな方からよく聞かされました。まだ男女同権なんて無いような保守的な時代、その中でも更に保守的な邦楽界で暴れまわった姿を想像すると痛快ですね。私はお逢いした事はありませんが、あの鶴田錦史だからこそ、閉塞した琵琶の世界をぶち破って、新たな弾き語りスタイルや器楽としての琵琶の分野を切り開いて行くことが出来たのだと思います。

鶴田錦史が、錦心流で習った曲を上手に弾いているだけだったら、まあ名人だ何だと言われ終わっていたでしょう。薩摩琵琶の歴史は先に進むこともなく、大正から昭和初期に流行った流行音楽として、細々愛好家が弾いている程度になったかもしれません。名人などというものは所詮過去に作られた技術やセンスなどの、既に引かれたレールの上に居るのであって、新たなレールは創っていない。染織家の志村ふくみさんも「我々は常に前衛なのです」と言っていましたが、現状を次の世代へと受け継がせて行くには、自分自身が前衛であるという認識を持つ位でないと、とても成就出来ません。

定家が正に言っている通り。古きものを慕いながらも、心は次の新しきものを求め、たとえ過去にあった偉大な作品には及ばずとも、その崇高な姿を求めて、自分自身がその高みに行くつもりで創り続ける。芸術に携わるものは、その姿勢が必須なのです。老舗のお店しかり、会社しかり、芸能しかり、どんなものでも長い歴史のあるものは、過去に敬意を払いながらも、常に創り続け、時代に挑戦し続けているからこそ、今でも輝き守られているのです。時代に媚びず、権力におもねることもない。むしろそういうものに挑戦し、楯を突くくらいでちょうど良いのです。ただ時代に背を向けるのではなく、時代と共にあることを忘れずにその時代にしっかりと根を張っていなくては意味がありません。そこまで出来て始めてその存在に意味も意義も出てくるのです。

鎌倉其中窯サロンにて photo
川瀬美香

随分前に、とある伝統音楽の家から「薩摩琵琶はもう滅ぶものだと思っていたよ」と言われたことがあります。確かにあの頃の状況はそうだったかも知れません(今もあまり変わっていませんが)。その先輩は続けて「でも君のような人が居たんだ」と言ってくれて、以来CDを出す度に聴いてもらっています。

私は少なくとも名人を目指すような人間ではないし、レールの上を歩くような優等生にもなりたくはありません(なれません)。鶴田錦史のようには生きる事は出来ませんが、自分でレールを引き、「紅旗征戎吾事非」を標榜して歩みを進めるようでありたいですね。小さな枠の中で競っていてもしょうがない。今は世界がマーケットという時代ですから・・・。

日本の文化の出発点に、定家のような人が居たというのは実に興味深いですね。私も私の行くべき所を行きます。
定家を巡ってじっくりと宴を楽しみました。

糸の話

桜も早散り始め、花見を計画する暇もなく桜の季節が過ぎ去ってしまいましたね。しかし春の花はこれからがまた面白いのです。次々と湧き出でる命を見てると、希望が溢れてきます。

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善福寺緑地今年最後の桜

さて今日は糸の話。和楽器では皆「弦」と言わず「糸」と言いますね。私は一般の方が判り図らいだろうと思うので「絃」と書くことにしていますが、普段から絹糸を使っていると確かに「弦」よりも「糸」と言う方がしっくりきます。ちなみに私はテトロン絃は薩摩琵琶においては使いません。樂琵琶や筝のようにきつく絃を張るものは、テトロン絃でもまだ大丈夫なのですが、薩摩琵琶では駒と駒の間を締めこむことで音程を作るために、絃をゆるく張っています。張りが緩いとテトロン絃では倍音の少なさが目立ち、情けない音しかしないのです。また太い方はテトロン糸ですと、強く張ってもゆるく張っても鳴りが今一つなので、薩摩琵琶は全て絹糸、樂琵琶には3,4がテトロン、1と2は絹糸を張っています。
テトロンは最初に張ったときには結構伸びてしまうのですが、ある程度伸びると後は耐久性があり切れないので、野外公演など湿気の影響を受けやすい時には、細い糸だけテトロンにしている薩摩琵琶の方も居るようです。

IMGP0647最新型の糸口。象牙ではなく白蝶貝を使っています
私は他の演奏家に比べかなり太い絃を張っています。大型琵琶は太い方から45番、35番、2の太目、19番(現在は20番に)。中型は45番、1の太目、2の太目、19番という具合。ギターで言えばウルトラヘビーゲージというところでしょう(琵琶界のパット・マルティーノ???)。

太くすると音量は出るけれど、サスティーン(伸び)が減るということを、初心の頃に言われましたが、それは全く関係ないですね。ちゃんとサワリの調整をすれば、太い絃でもしっかり音は伸びてくれます。思い込みは何ごとにおいても禁物です。私の薩摩琵琶は誰よりもサワリ音が長く伸びるようにセッティングされています。
勿論太ければ太いほどテンションはきつくなるので、締め込みが大変になります。とはいえ私の琵琶はすべて1本調子(DDGDまたはDDAEまたはDDAD)にチューニングしますので、さほど締め込みに苦労はしません。男性では3本調子くらいが基本だと思いますが、3本だともう私の絃のセットでは太すぎて締め込みが難しくなると思います。

長唄三味線の方は頻繁に絃を取り替えますが、薩摩・筑前琵琶の方は、長唄さんに比べるとあまり糸の交換はしませんね。薩摩・筑前の場合、駒(フレット)と駒の間を締め込んで音程を作りますので、駒の端のところに圧力がかかり、細い絃はそこがすぐ傷んで白くなってしまいます。先ず駒の端を綺麗に丸くしておかないとすぐに痛んで、切れやすくなってしまいます。駒の手入れは基本中の基本です。是非気を使って欲しいものです。私は駒の仕上げには結構気を使っています。おかげで本番で絃が切れた経験がありません。

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樂琵琶は締め込みがないので、比較的長く張っていますが、それでも大きな演奏会の度に全て張り替えます。久しぶりに張り替えた時など、その響きの素晴らしさに何時も感激します。やっぱり新品の絃のあの新鮮さは、いつ聴いても惚れ惚れしますね。エッジが効いていて、サスティーンがあって、きらきらとした倍音が豊富で、楽器全体が響いてきて、まるで楽器が喜んでいるよう。実に気持ち良いのです。勿論その前提として、どんな琵琶でも絃高の調整、各駒の高さ調整、薩摩だったら各サワリの調整が出来てないと、幾ら新品の絃でも鳴ってはくれません。琵琶は細やかな面倒を診る絶え間ない努力と試行を繰り返さない限り、答えてはくれないのです。とにかく世界一手のかかる楽器です。
私は薩摩琵琶の細い絃に関しては、一公演が終わったら取り替えてしまいますが、切れるまで張り替えないなどという「つわもの」も多いですね。絃は切れるまで全く張り替えない、サワリの調整もしないという琵琶人がかなり多いですが、本当に嘆かわしい限りです。駒に糸筋がつきっぱなしだったり、駒が高すぎて音がつぶれている例もよく目にします。本当に悲しくなりますね・・・。自分の楽器や音楽に愛情が無いんだね~~~。私には考えられません。

IMGP0652最近象牙レス加工を施した大型1号機
以前、邦楽器の絃を作っている丸三ハシモトの若社長と石田琵琶店で会った時に、ギターのように色んなタイプの絃があると嬉しいと言ったのですが、残念ながら琵琶絃の需要自体が無いのでどうにもならないようです。秦琴奏者の深草アキさんは、丸三ハシモトまで出向いて、絃の撚り加減まで指定してオリジナルのセットを作ってもらい、まとめて大量に購入するそうです。最低100本以上と聞きました。その情熱は本当に素晴らしい。ちなみに彼は時々声をかけてくれる良き先輩でもあります。
私が使っていた長目の絃は、どうやら私しか使っていなかったようで、もう無くなってしまいました。これまで石田琵琶店さんが無理をして仕入れてくれていたようです。長いことありがとうございました。何とか普通の尺でも張れるのですが、何だか琵琶の世界もどんどん縮小してゆくような気分になりましたね。私に深草さんのような財力があれば何とかするのですが・・・。

是非琵琶に携わっている方は、楽器にもっともっと愛情を傾けて欲しいですね。ギターやヴァイオリンには楽器愛とでもいう程に、自分の楽器を愛してやまない方が沢山いますが、琵琶人でそういう方はほとんど見たことが無いのです。何故皆さん手入れをしないのか。私は毎日サワリの調整をちょこちょことやってから弾き始めます。でないと弾いていても気持ち悪くて弾いていられません。

絃は琵琶の命。命の糸に気を配れないような人は、当たり前ですが上達もしないし、自分の音楽はいつまで経っても姿が見えないでしょう。琵琶に、音楽に愛を持っていないと、絶対に答えてはくれません。ギターでもベースでもヴァイオリンでも皆演奏家は究極の一音を目指して、あれこれ絃を試したり、絃高を変えたり、タッチを見直したりして常に研究しているのです。一流はもちろんの事、高円寺で路上ライブやっているおにいちゃんでも、「今度この絃に替えてみたよ」「絃高のセッティングいじってみた」「ピックアップ交換してみた」なんて会話をいつも皆しているのです。皆さん楽器に大きな愛情を持って接している。楽器の話で朝まで盛り上がれるのはギター小僧でしたら当たり前のことなんです。残念ながら琵琶人で楽器について語り合うような人には出会ったことがありません。私が流派や協会から離れたのもここにその一因があります。

150918-s_塩高氏

細かなサワリや駒の調整は、経験や技術が必要なので、すぐに出来るようになりませんが、絃は色々試せる。いろんな太さの絃を試して、自分の一番好きな音色になるように研究してみては如何でしょう。使い古しで、駒にあたる部分が白くなっているような絃ではいくらやっても良い音はしないし、楽器本来の響きも引き出せません。
琵琶は凄いポテンシャルがあるのです。楽器の実力を最大限に生かしてあげるためには、先ず絃のチョイスからやってみて下さい。サワリの調整がものすごい比重を占めていることは確かですが、絃選びも大変重要です。ただしタイプを間違えてはいけません。自分のやりたい方向と違う絃を選んでも鳴らしきれません。軽のワゴン車にスリックタイヤ履かせても意味がないどころか走れないとの同じで、太ければ良いというものではありません。是非自分だけのオリジナルなサウンドが出る素晴らしい楽器を何時も弾いていただきたいものです。

2018年チラシs

今月は日本橋富沢町樂琵会が11日にあります。樂琵琶の音色を体験してみたい方は是非お越し下さい。
笛はいつもの相方 大浦紀子さん。古典雅楽曲から新作まで色々演奏します。

初心忘るべからず2018

先日雪が降ったと思ったら、もう日曜日には満開宣言が出るというなんとも目まぐるしい春ですね。

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今年の善福寺緑地

今年は年明け早々から、塩高モデル大型2号機の側面がバリバリと剥がれ、びっくりしましたが、1月末には1号機の覆手が演奏中に取れ、もう散々でした。2号機は先月直って来たのですが、1号機はやっと昨日直ってきました。私は限界まで楽器を鳴らすタイプですので、大分負担をかけていたのでしょう。どちらもメンテナンスの時期に来ていたということです。

ここ数年は2号機のほうが出番が多く、1号機の方はずっと総合的なメンテナンスをやっていなかったので、今回は全ての駒の作り変えをして、覆手の取り付け角度を上げて絃高を調整し、そのほか糸巻きや面板のひび等々必要なメンテナンスを全体に渡ってやってもらい、更に象牙レス加工を施しました。糸口は貝で、覆手の糸留めの所はプラスティック、その先端は黒檀、海老尾の先端は象牙椰子という木の実にしてもらいました。

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元々月マークはプラスティックでしたので、これで完全象牙レスになりました。糸口の貝は分解型琵琶と同じ仕様になっていて、弦長に差を付けてあります。
やはり時代に対応して、ハードの面もどんどん変えていかないと、世界に受け入れてもらえません。もう象牙や犬猫の皮を使うことは世界標準のセンス、モラルから見ても、別素材に変更すべきだと私は以前から考えていました。当然音質面は以前とは変わるでしょう。でも50年前の三味線と今の三味線では全く音の出方が違うというのも事実です。ピアノの鍵盤も、ドラムのヘッドも、筝の絃も皆こうした時代に合わせた改良を経ても、現代に夫々素晴らしい響きを作って来ているのです。勿論演奏技術も楽器の変化に合わせて変わってきますし、表現の仕方や音楽そのものも変わります。世の人々が良いと思う音のセンスも変わって行きます。音楽は常に世の中と共にあってこそ音楽。変わってゆくことこそが自然なのです。そこを忘れては音楽は成立しません。何事も変われないものは滅んで行くのです。

今邦楽を取り巻く状況は変化の真っ只中にあります。そこを感じ取れるかどうか、今後はそこにかかっているでしょう。多分2020年の東京オリンピックをきっかけに、邦楽器には何らか変化が起きるはずです。起こさなければならない事態になるでしょう。その時にその変化に耐えられるだけの包容力と技術、そして柔軟な感性が邦楽に残っているかどうか。今正にそこを問われているのだと思います。

jackets1stCD 「Orientaleyes」
この大型1号機は私の1stCD「Orientaleyes」で使ったものです。こいつがあらためて命を輝かせて戻ってきたことで、初心のあの頃を思い出しました。まだ30代で突っ走っているだけとも言えるような状態でしたが、あの純粋な心となんでも吸収する姿勢を忘れたくないですね。
私は何時も自分を取り巻く環境や自分自身に変化を感じると、「初心」ということを思います。人は少し色んな勉強をすると、確かに知識も多少の経験もついてきますが、同時にそれに囚われ、つまらないプライドが出てきて、いつしか小さな所に固執して世の中が見えなくなることはよくあることです。
初心者の頃は、とにかく自分の知らないことを吸収する為に貧欲で、あらゆる努力も惜しまなかった。自分と違う感覚のものをどんどんと取り入れ、違うものだからこそ勉強を重ねた。しかし多少弾けるようになると、初心の頃の柔軟なセンスが無くなり「こういうものだ」「こうでなければ」という硬直した頭になって自分の世界に閉じこもって、目の前の事すら見えなくなってしまう。これが一番の落とし穴だと私は常に感じています。

幸い私には色んな分野の友人が居て、しょっちゅう私の知らない世界のことを話してくれますので、そういう話を聞く度に私は「初心」を思い出し、常に多くのものを吸収し勉強する姿勢でいようと思うのです。謙虚ということよりも、まっさらといった方がよいでしょうか。なんでもないただの人で居ないと、入ってくるものも入ってきません。人は偉い先生にお説教はしてくれませんし、至らぬ点も指摘してくれません。だから舞台を下りたら、琵琶奏者の塩高ではなく、ただの一人間としているように心がけています。

IMGP0652ケース内部

今回直ってきた大型一号機と昨年分解型に改造した中型2号機


この大型1号機は今回のメンテナンスで音がシャープになり、通りの良い音になりましたので、これからまた使用頻度が上がってくると思います。少し音色が硬く感じなくもないですが、そこはサワリの付け方を工夫したりすれば全く問題ありませんし、これによって新たな表現が生まれ、私の音楽は更に一歩大きく前進することでしょう。糸口のサワリに関してはメンテナンス性も良くなりましたので、こいつの今後の活躍に期待したいですね。

相棒達もここ1,2年でリフレッシュされて戻ってきましたので、私自身も今一度初心に帰って取り組んでゆきたいと思います。

「初心忘るべからず」

雪景色の記憶2018

桜の花も咲き始めたというのに、なんと今日は雪の一日となりました。ここ杉並ではお昼頃は結構な降りっぷりで、冬に戻ったような寒さでした。桜の花の上に降る雪とは・・・寒の戻りにしては戻りすぎです。来週にはきっと春の陽射しが注ぐのでしょう。それまでしばしの足踏みですね。

今年のお花見も楽しみです。昨年の新宿御苑の桜

演奏会の少ないこの時期は、いろんなものを観て聴いて、そこから感じたものを我が身の糧とするためにある時間と位置付けています。普段から時間さえあれば舞台もライブビューイングも観に行きますが、自分の中に満たしてゆくには、ゆっくり味わい、考える時間が必要です。それらの経験が新たな発想を生み、また作品も生みます。そこまでじっくりと自分の中まで取り込んでゆくのは、この時期ならではといえますね。特にこんな雪の日には思いが深まります。
音楽は専門という事もあり、またちょっと違う刺激なのですが、映画やオペラなど観ると本当に視野が広がり、多様な世界を体験出来て楽しいです。自分の普段触れていなかった世界に触れると本当にワクワクします。先日もアフリカを舞台にした映画を観ましたが、今迄視野の中に入っていなかったアフリカが急に感覚の中に入ってきて、パ-っと視野が開けたような感じがしました。素晴らしい体験でした。
この春も色々映画は観たのですが、中でも「命をつなぐヴァイオリン」には色んな想いが湧き上がりました。

第二次大戦中のウクライナを舞台に、神童と呼ばれた子供たちが、その天才的な音楽の才能をナチスやボリシュビキに翻弄され、戦争の非情を描く内容なのですが、観終って、人間の愚かさに暗澹たる気持ちになりました。何故人間はいつまで経ってもパワー主義を止められないのか・・・。無垢な子供たちは何の問題もなく心をつなぐことが出来るのに、大人はそれが出来ない。古代から何も変わっていないし、何も学習もしていない・・。人類に知性はあるのか・・?。強い憤りが残りました。

もう力で相対する考え方を捨てていかないと、本当に人類は終わってしまいそうな気がします。先ずは小さな個人からそんな気持ちになっていかないと、また同じことを繰り返してしまう。ジョン・レノンが「イマジン」を歌ったのは1971年。あれからもう50年近い年月が経っていますが、その間にも世界中で常に戦争が起きている。止むことはありませんでした。「イマジン」を理想主義のムーブメントではなく、現実として行動していかないと、この世から音楽さえも消えてしまうかもしれません。この映画の中の子供たちの音楽は権力と武力によって抹殺されてしまいました。私たちはそれをしてはいけない。私たちは次世代に素晴らしい音楽を残してあげなくては!。我々はその使命を帯びているのではないでしょうか。そんな想いが募りました。

古来より芸術家は権力・武力などのパワー主義に翻弄されつつも、何処までも自由を表現し、その精神こそが芸術家たる証でした。それは国境も時代も民族も超えてあらゆる所に共感を生み、世界中に種をまいて行きました。世阿弥も利休も永田錦心も、色んな軋轢や困難を乗り越えて新たな世界を次世代に残して行ったのです。それは彼らが背負った運命であり、同時に芸術を志した我々にも少なからずある矜持だと思います。天才達のようには常識やルールを大きく越えることは出来ないかもしれませんが、枠の中にこじんまりと収まり、あぐらをかいて満足して、枠を越えて行けないようでは、ものは創り出せません。既成の枠やスタイルの中で何かをするのではなく、時代の移り変わりと共に、スタイルそのものを創り出し、どんどんと広げ、次世代に新たなものを提示してゆくことが芸術家の使命なのです。

マイルス2

マイルス・デイビス

今、芸術家は本来の姿を思い出して、その役割を果たす時に来ているのではないでしょうか。今くらい芸術が大切な意味を帯びている時代もないのかもしれません。ショウビジネスに振り回され、目の前の競争にかまけていては芸術のもっと奥にあるだろう「根理」を見失ってしまいます。自由な視野こそが芸術家に与えられた特権です。芸術家はもっと自由に旺盛に活動すべきだと思います。

人間は社会の中でしか生きられないし、その社会を選択することもなかなか難しい。そう簡単に多様なものを受け入れることも出来ません。しかし同じ民族でも、いや家族でも、お互い顔も感性も好みも違うのは当たり前であり、その様々な個性が溢れてこそ、世の中が成り立ち、また魅力が満ちているということは皆が判っているはず。
愛を持っていない人間は居ないように、民族や言語が違っても、どんな相手であっても共通項は沢山ある。人間なら美味しいものをしたいし仲間と食べている時には皆笑顔になるでしょう。それが人間というもの。そんな気持ちを分かち合えるようでありたいですね。

とりとめもなく想いの広がる寒い春の日でした。

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