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五月の風 2018
新緑の季節はさわやかで良いですね。気候もちょうど良い感じで、一年で一番体調が良いのもこのGW辺りでしょうか。今週はリハーサルばかりで演奏会も無いので、楽器屋さんを回ったりして楽しんでいます。
5月は両親の命日でもあるので、先日は墓参りに行ってきました。あまりゆっくりすることは出来ませんでしたが、静岡の海を見ると「帰ってきたぞ」という気持ちが自然と湧きあがりますね。もう静岡には実家も無いですが、自分が生まれ育った所に時々帰るというのは気持ちの良いものです。
Nadjaがオープンした頃、私はナイトクラブでスタンダードジャズを弾く駆け出しのバンドマンでした。世がバブルの直前でしたので収入は結構ありましたが、技術の切り売りのようにギターを弾いている自分に疑問が出てきて、日々もがいていましたね。自分の行くべき道が見えないまま、毎日「何かが足りない」「自分の音楽は何だ」という焦りにも近い想いだけが自分の中にどんどんと満ちて行くような頃でした。
毎日のように夕方になるとギターを抱えつつNadjaに行って珈琲を飲んで、それからナイトクラブへと向かう日々を繰り返すうちに、Nadjaに置いてある画集や写真集を観たり、オーナーとも色々と話をするようになって、ジャズにしか興味がなかった私の目は自然と芸術全般へと開いて行きました。本当に多くの人とここで出会い、時にウイスキーやジンを飲み語り合いました。私がギターオタクにならなかったのはNadjaのお陰です。美術・文学・映画・写真・様々なジャンルの音楽・・・etc.色んなものが世に溢れていることを、この場所で知ったからこそ、今こうして琵琶弾きになったと思っています。
経験豊富なオーナーからは、芸術はもとより色んな話を聴かせてもらいました。今思うと、そんな会話に結構大きな影響を受けたように思います。多分今の「私」という人間が出来上がるには、生まれ故郷も勿論ですが、その次はこのNadjaの存在が大きく関わっていることは間違いないですね。
実はオーナーさんは、琵琶に縁のある方でしたので、私がジャズギターを止めて琵琶弾きに転向した時も、Nadjaの存在が大きく関わっていたのです。
今年8thCDを出してから、何か自分を取り巻くものが大きく変化して行くのを感じていましたが、Nadjaが無くなるとは思ってもみませんでした。あまりお店に顔出すことも出来ませんでしたし、考えてみればオーナーもそれなりの年齢となり、一つの区切りを付けられたのでしょう。きっとオーナーの心には、私などには到底計り知れない様々な想いが溢れているのでしょうね。私には何も出来ませんが、せめてオーナーのこれからの人生にエールを送りたいです。
Nadjaの閉店は、私の中で時代が次の段階へとシフトして行くような、大きな象徴となりました。
今年に入って、長い付き合いのあった人が遠くに行ってしまったり、何十年も前の古い知り合いとの付き合いがいくつも復活したりと、友人知人関係が大きく変化していて、ちょっと自分でもびっくりする位の出来事が続いています。私自身がそういう時期に来ているのでしょう。琵琶に対する考え方、接し方、やり方も変化して来ました。特に声に関する部分では、もうはっきりと8thCDを出す前と今では違います。多分ここ数年で、私のスタイルが本当の意味で出来上がる、そんな気がしています。
人生は刻一刻と移り行き、時代もまた人間には予想もつかないスピードで変化して行きます。しかし時というものはただ過ぎ行くだけではないと私は思っています。
先日、墓参りのついでに、ちょっと三島に寄って雄大な富士山を間近で見ることが出来ましたが、駿河の海と富士山が私の人生にどっかりと大きな普遍の存在としてあるように、Nadjaの想い出も自分の人生の大切で、かけがのいない一つの時代として刻まれてゆくのでしょう。

何時も書いているヘラクレイトスの「万物流転 panta rhei」の定めの如く、形あるものはいつかは消え去って行きます。しかしただ消えるのではなく、想い出や記憶や体験は、自分の中に積み重なり、それがまた自分の人生となって行くように思えます。想い出に浸り、過去にすがることはないですが、この30年、Nadjaからはあまりに多くのものと、大切な時間を頂きました。
今夜は独りでゆっくりと珈琲を頂こうと思います。ありがとうございました。
メインテナンス~糸巻き
今回はよく質問を頂く、琵琶のメンテナンスについて少々・・・。
琵琶という楽器は本当に手間のかかる楽器で、シリーズで書いている「サワリ」や「糸」はもちろんの事、糸巻き、柱などなど常に気遣って調整してあげないと思うように鳴ってくれません。この手間のかかり過ぎるところが、器楽演奏を遠くしてしまっているのでしょうね。私は小学生の頃からギターを弾き、中学ではブラバンでコルネットを吹いて、今までの人生、ずっと何かしらの楽器に携わってきましたが、琵琶くらい手間のかかる楽器にはお目にかかったことがありません。
私は大体2年に一度、私の琵琶を作ってくれた石田克佳さんに、普段からよく使う琵琶全体のメンテをしてもらうのですが、職人さんに任せるところとは別に、琵琶を良い状態にしておくには日々のメンテがとても大事なのです。日頃常に大型・中型を二面づつ使っているので(プラス樂琵琶も使います)、単純に面倒も4倍となり、結構な頻度で一日中琵琶の調整にかかりっきりなんて事があります。琵琶を弾く前には、一通り音を出してサワリの具合や柱、糸口など点検して、削る所は削って万全にしてから弾き始めます。いわゆる皆さんの思うような「練習」というのは私はやらないのですが、どこか具合の悪い所があると気になって弾いていられないのです。そんな普段のメンテの中でも、案外見落しがちなのは糸巻きなんです。
薩摩琵琶は柱と柱の間を締めこんで(チョーキング)しながら弾くので、チューニングがとても狂いやすい。しかし単に絃をひっぱるからチューニングが狂うというだけでなく、糸巻きの不具合でチューニングが狂う場合も多々あります。実は先日も大型琵琶を定例の琵琶樂人倶楽部で使ったのですが、2の糸がどうも狂う。何とかやり通してしまいましたが、帰って来て診てみると、糸巻きがほんの少しゆるいのです。糸巻きと糸倉が完全に密着していない。見た目にはわからないのですが、糸巻きを回した時、手にぐっと馴染むいつものしまり具合とちょっと感触が違ったのです。私は太い絃を使うので、糸巻きへの負担も大きく、少しでもゆるいと、チューニングが下がってしまいます。何時も気をつけていたのですが、音色の調整に気がとられていて、糸巻きの具合を見落していたという訳です。
音色の調整は万全にやっていても、家では本番さながらに弾くわけではないので、糸巻きのほんのちょっとした緩みは気がつかないことが多いのです。本番となると長い時間弾くわけですし、弾く本気度も違うので、こうした部分が如実に演奏に出るのです。
どんな小さな演奏会でも気は抜けないですね。早速いつも使う薩摩四面、樂琵琶一面のメンテを丸一日かけてやりました。私の稽古場には修理に使う板やら工具が様々揃っていて、駒をはずして高さ調節をしたり、音程を直したり、膠で接着したり・・・、かなりの所まで自分で直します。ボディー側面の剥がれや、木部の割れなどはさすがに専用の道具と特殊な技がないと出来ませんので石田さんに頼みますが、その他はほとんど自分でやります。全て頼んでいたら時間もお金もかかり過ぎてやってられません。


左:ASaxにSOON・Kimさんとアディロンダックカフェにて
分解型背面
今一番手をかけているのは昨年作ってもらった分解型です。こいつは元々一体型で、中型2号機として5thCDのレコーディング等に使っていたのですが、表面に拭き漆をしたところ、どうも音が良くなかったので、昨年石田さんに頼んで漆を全て剥いでもらって、真ん中で胴を切り離し、分解型に改造してもらいました。
しかしながらジョイント部分に大きなブロックを入れてあるので、最初はなかなかボディーが鳴らなかったのと、糸口の角度が決まらず悪戦苦闘していました。ボディーが鳴るにはまだ時間がかかかると思いますが、その分糸口のサワリは厳密に調整しようとがんばっている訳です。こいつも先日福島へ持って行った時に1の糸が妙に下がり、一部演奏に苦労しました。やはり糸巻きがほんの少しですがゆるかったのです。まだまだ修行が足りません。
若き日
糸巻きのメンテのやり方も写真を載せようと思ったのですが、サワリ同様、実際に目の前で見せて、触ってみないと到底判るものではないと思いますので、中途半端なことはしないほうがよいと思い、あえて止めておきました。要は糸巻きと糸倉が何処を回してもしっかりと密着しているということです。その具合を自分の手の感触で判るようにする、としか言いようがありません。この記事で自分の楽器を見つめ直すきっかけになってくれれば嬉しいです。
鶴田錦史氏もメンテに関してはかなり自分でやったそうですが、教室を開いているお師匠様なら、きっと色んなノウハウをお持ちでしょう。具体的な事は、サワリの調整同様、是非お師匠様に教わってみてください。まともなお師匠様なら、しっかりと琵琶全体に渡ってメンテナンスが出来るはずです。ちなみに私のこうしたメンテの技はT師匠から基本を教わりました。その後自分でやりながら自分の琵琶にあったやり方を覚えました。
サワリや柱は勿論ですが、糸巻きは結構盲点です。是非一度チェックしてみて下さい!!。
私は琵琶奏者です。歌手ではありません。だから琵琶で私の音楽を表現出来なければ、琵琶奏者として成り立ちません。声は私の音楽の中のヴァリエーションの一つでしかない。声は使っても、声に寄りかかるようでは楽器の演奏家としてやっていけません。ピアニストはピアノを弾き、ギタリストはギターを弾く。この当たり前のことを私は琵琶でやっているのです。
とにもかくにも琵琶奏者と名乗る以上、琵琶の音色が何をおいても第一であり、命です。千数百年の歴史のある樂琵琶は弾き語りはしませんし、声とは一緒にやりません。「啄木」のような素晴らしい第一級の独奏曲もあります。薩摩琵琶はまだ100年ほどの歴史しかありませんが、声に頼らず、琵琶だけで舞台を張れる、本物の実力を持った琵琶奏者が、是非これからどんどんと出てきて欲しいものですね。
眼差しの先に未来はあるのか・・・
やっと穏やかな天気になってきましたね。新緑もすがすがしく、緑に囲まれていると本当に身も心も浄化されるようです。これからは演奏会も目白押しですので、体調を整えてがんばりたいと思います。
この穏やかな天気とは裏腹に世界は目まぐるしく動いていますね。この激動の中にあっては、日本人の感性そのものも変わって行くのは必然ですね・・・。政治や経済に疎い私でも、もう日本の中だけを見て生きては行けない世の中になっているのは、感じない訳にいかないですね。
日本は世界一の長い歴史を誇る国ですが、常に外国との接点を持ちながら、これ迄歴史を歩んで来たといえると思います。鎖国もありましたが、古代から(もしかすると原史の頃から)ずっと外交をしてきたのです。そして今、個人で世界と自由に繋がる時代になって、新たな外交時代に入ったのではないでしょうか。私の今迄出した8枚のCDや、作曲家の石井紘美先生の作品に入っている私の演奏が世界に広がり、世界中の人が私の作品・演奏を聴いてくれる。こんな凄い時代に今生きているのです。当然眼差しは世界中に向けられますね。
私はこれだけ長い歴史を持つ国に生まれたことにとても縁を感じますし、誇らしく思います。これは右とか左とかということでなく、自分が生まれながらにこれだけの歴史を背負って、今ここに在るということに、深く感じるものがあるということです。だからこそ今、「世界の中の日本」という意識が強く湧きあがります。その時に日本の核心となるものは何だろう?、アイデンティティーとは何だろう?。何をもって世界へ音楽を響かせるのか・・・。嫌がおうにでも考えます。
現代では琵琶といえば耳なし芳一であり、薩摩・筑前が一般的のように思われますが、それは琵琶楽の千数百年の歴史からすると、一番最後のほんの100年程でしかないということは、今まで散々書いてきました。樂琵琶から平家琵琶、放浪の琵琶法師、薩摩・筑前などなど、弾き方やスタイルは時代によって様々に変化してきました。
日本の芸能は古より皆声を伴い、声は日本音楽において大変重要な存在であるのは確かなことですが、音楽において、少なくとも歌は歌、楽器は楽器であり、弾き語りというものはひとつのスタイルでしかありません。長唄や義太夫など他のジャンルでは皆声と演奏が分離して発展している。それは、音楽として深まり、レベルが上がって行けば、専門的になって行かなければレベルが上がらないからです。
琵琶は室町時代に平家琵琶が成立し隆盛しましたが、江戸時代にはほとんど途絶える寸前まで衰退しました。もし平家琵琶が三味線音楽のように隆盛を続けていたら、色々なスタイルが出来上がっていったことでしょうね。
薩摩・筑前琵琶はまだ歴史も浅く100年程度。これから歴史を刻んで行くという段階です。正直な所、声に関しては義太夫や謡曲などのレベルにはまだ追いついていない、と私は感じます。鶴田錦史が声に於いて義太夫の技法を取り入れたのは、そういう中で必然であり、一つの発展だったと思いますが、今後薩摩・筑前に於いて声の部分が発展するとしたら、どの方向に向かうのでしょう。弾き語り自体は結構だと思いますが、このままではなかなか他のジャンルに対抗できるほどのレベルに行くのは難しいと、私は思っています。
8thCDレコーディング時 ヴァイオリンの田澤明子さんと
明治から薩摩・筑前琵琶が隆盛し、永田錦心によって新しいセンスをもった弾き語りが出来上がり、1960年代からは鶴田錦史によって器楽の分野も出てきました。しかしその後、鶴田の後を発展させる者は居なかった。残念ですね。鶴田錦史の示してくれた道がせっかくあるのですから、そこからまた世界に向かって新たなる道を切り開き、この妙なる音色を響かせたいものです。鶴田錦史によって琵琶の音色は世界に響き渡ったのです。今こそ琵琶の音色の魅力を世界に向かって発信すべき時ではないでしょうか。今後あらゆるスタイルが出てきて、魅力的な作品も創られ、当然それを演奏できるレベルを持った奏者が現れ、レベルが上がり、音楽としての魅力や深さが深まって行くだろうと私は確信しています。琵琶にはそれだけの楽器としてのポテンシャルがあるのです!!。
音楽が発展・展開して行けば、あらゆる楽曲・スタイルが出てきて、そして洗練を経て、必ず楽器の音色を聞かせる器楽が誕生します。それはどの国においても、勿論日本に於いても尺八・篠笛・三味線・筝等々皆同じです。もともと平安時代の樂琵琶においては器楽でした。「啄木」のような素晴らしい独奏曲もあるというのに、琵琶イコール弾き語りと思ってしまうことは、単なる思い込みであり、そこに音楽的・芸術的志向は感じられません。
弾き語りというスタイルに固執していたら、この魅力的な音色を生かすことはいつまで経っても出来ないないと思っています。鶴田錦史が世界に向けてその魅力的な音色を発信したように、今後は私たちも世界に向けて、様々なスタイル、魅力を世界の人に届けたいものですね。
日本の文化は、形は色々と時代によって変わて行きました。しかし表面の形は変わっても、根底にある核のような部分は早々変わらない。形にこだわって、核を見失うようでは本末転倒です。どれを核と見るか、意見の分かれるところではありますが、その部分は日本の風土に生まれ育った人間として受け継ぎ、日本音楽の最先端をやって行きたいですね。そしてそれを次代に受け継いで行ってもらいたい。
眼差しがどこに向けられているか、今一番問われている時代なのではないでしょうか。
古きを慕い、新しきを求むⅡ

この間「古きを慕い、新しきを求む」という記事を書いたら早速色んなところから反応がありました。
確かに皆が定家や鶴田錦史のようだったら、世の中上手く回らないでしょうね。なかなか俺流を貫いて生き、活動することは難しいですが、かといって人と同じでは面白くない。たとえ何も出来なくとも、何も遺せなくとも、「心は新たなものを求め、高き姿を願う」ようでなくては!!。その姿勢こそアーティストなのです。

邦楽では先生の声色までそっくりなんていう人も結構多いですね。そっくりなだけにその質と中身が先生とは全く違うことが、かえってよく聞こえてくるものです。
いくら優等生でも、信者でも、先生の生きてきた時代に生きることは出来ませんし、先生の人生を自分がそのまま生きることも出来ないのですから、同じ人間には成れないのです。したがって上っ面のフレーズや音色など真似したところで、音楽が同じになるはずがないのです。つまり表面上先生と同じフレーズを弾いたり唄ったりしているというのは、音楽的芸術的には、まだ稽古のほんの初期段階であり、極端に言えば自分に嘘を付いている状態といえます。一人ひとり顔も人生も違うのに、出てくるものが同じというのは、まだまだ音楽家としては発展途上にあると言ってよいでしょう。明らかに自分が見えていないし、どこかで「これが俺の音楽だ、俺はここまでがんばった」と、自分を騙し無理やり納得しているだけのこと。
世界を見渡しても、音楽、絵画、文学などどんなジャンルに於いてもコピーが評価される例はありません。ジミヘンやプレスリーのそっくりさんは物まね芸人の域を出ないし、マイルスそっくりにTpを吹いても酷評されるだけです。音楽は我が身から溢れ出てきてこそ音楽であって、これだけがんばりましたという発表会のようなものは、意識がお稽古事ということです。
初心者の内なら、まあこつを掴むまでに真似をするのは結構なことだと思いますし、誰しも影響はいろいろなものから受けるでしょう。しかし音楽家として舞台で人に聞かせたいのなら自分の音を追求しなくてはいけない。勿論音楽そのものもオリジナルであることが、舞台人としての前提条件です。小さな邦楽の世界だけだったら、先生の物まねが出来るだけで周りに褒められのでしょうが、それはあくまでアマチュアの世界。師匠の教えを受け継ぐということはそんな程度の低いことではないのではないでしょうか。
津村禮次郎氏 昨年12月の日本橋富沢町樂琵会にて photo Mayu
薩摩琵琶のようなまだ歴史の浅いものは別として、残念ながら邦楽では、能でも歌舞伎でも筝曲でも、自由に動いているのは、皆家元やその家族だけですね。本当に残念ですが、まだまだ組織の倫理優先で、誰しもが自由に活動を展開できる状況ではない、というのが現実です。津村禮次郎先生のような人は例外中の例外と言えますね。
時代は刻一刻と変わります。演じ手も聞き手も人々のセンスもどんどん変わってゆきます。流行を追うことはないですが、時代にコミットしないのは音楽とは言えません。だから時代を引っ張るのはむしろ異端の方。異端と言われる人は、次の時代のセンスを身につけているから旧社会では異端に写るのです。今古典となっているものは皆その時点で異端と言われた方々です。だからこれからの邦楽を想うのであれば、自分に無い発想と行動力を持っている若手、そして異端こそ応援するようでなくては・・・!。
邦楽は今後、その感性の本質を次代に受け継がせることが出来るでしょうか?。それとも保存会のように曲だけが残されて行くのでしょうか・・・・・?。
人はなかなか自分の感覚を中心にしてしかものを見ません。かく言う私も、新しいものを何でも受け入れることは出来ません。しかしたとえ理解できなくとも、ラベルの「水の戯れ」を酷評したサン・サーンスや、武満さんの音楽を「音楽以前だ」と酷評した山根銀二のようにはなりたくないですね。自分の感性感覚が全てだなどとは思わないし、多様なものが共存してこその社会だと思えば、彼らのような評論は書けないと、私は思います。自分が権威だと思っている人間、自分がジャッジすると思い込んでいる人間。自分の宗教しか認めようとしない人間。いつの世もこうした人間の姿こそが戦争の原因です。
少なくとも芸術家には、世がどのようであっても定家の言葉を胸に抱いて欲しいものです。
「詞(ことば)は古きを慕い、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿を願ってうたう」