うたうということⅡ

今週は前にもお知らせしたように、土曜日が東洋大学井上円了ホールにて、津村先生との「方丈記」の公演。明けて7月1日日曜日には朗読の櫛部妙有さんとの共演による演奏会があります。また1日の場所は、私が時々お世話になっている練馬の季楽堂。ここは古民家を再生した、とても素晴らしい雰囲気の場所で、もう何度も演奏させてもらっているのですが、櫛部さんは季楽堂を立ち上げる前からオーナーさんと関わりがあって、私も季楽堂立ち上げ前に櫛部さんに連れていってもらいました。櫛部さんとの初共演が季楽堂というのは、なんとも嬉しいですね。

実は櫛部さんの公演にはこれ迄何度も聴きに行って、一緒にやったこともあるのですが、二人だけでの公演はまだやった事がなく、今回はそんな意味で初のジョイント公演なのです。今回の為にリハーサルを重ねてきましたが、しっとりとした落ち着いた感じながらもしっかりと世界をお届けできると思います。櫛部さんの朗読は、声を使った芸術表現の一つの境地がありますね。ご期待下さい。

私は声を使うアーティストとの共演が多く、皆さん夫々独自のやり方や理論を持っていて,とても面白いのです。そして皆さんとても個性的です。中でも櫛部さんの朗読は、とても静かに月の光が満ちるように声を使います。目の前で聴いていると、気が付かないうちにその世界に誘なわれてしまうのです。この静かなるアプローチは魅力的ですね。
石川真奈美さんのリーダーアルバム「The way of Life」のジャケット
声と言えばもう一つ、先日ジャズヴォーカルの石川真奈美さんのライブに行ってきました。石川さんは神田音楽学校の講師で、先週のスコットホールでの40周年記念の時も、素敵な歌を聞かせてくれたのですが、それが結構いい感じだったので、是非ライブで聴いてみたいと思っていたところ、たまたま近くでライブがあるのを発見して、友人と一緒に行ってきました。

石川真奈美HP:http://manami-voice.com/

石川さんの歌は語尾の最後まで想いが行き渡っていて、とても気持ちが良いのです。テクニックが確立していて、音楽自体の勉強もしっかりしていますが、そういう技術面が歌からかあまり感じない。むしろ惚れ惚れするような細やかな情感が滲み出てきます。上手いというのは後から気づくのです。正にリスナーを酔わせる歌なんですよ。またアドリブも自在且つダイナミックにこなすので、とても聴き応えがあります。お勧めですよ!。

日本橋富沢町樂琵会にて

語りやうたなど、こうした声の専門家の舞台に接すると、自分の声に対する姿勢が見えてきます。このところデミトリ・ホロストフスキーや森田童子など、強烈な声の世界をもった人が亡くなったこともあって、自分の「うた」を見つめ直さない訳にはいかなくなったのです。自分で発する声が、何を表現し、何を伝えているのか。多くの声のアーティストを聞くにつけ、自分の音楽に声は必要なのか・・・・。声の必然性は何処にあるのか・・?。などなどきりがなく多くの問いかけが湧きあがってきます。以前、日舞の花柳面先生から「歌っているけど歌っていない、踊っているけど踊っていない」というアドヴァイスを頂いたことがありますが、「うた」がうたを越えてその人そのものになっていかない限り、お上手以上には聴こえてきません。

つまり、うたでも絃でも、それに人生をかけるようでないととてもじゃないけど極めて行くことは出来ないということです。適当にそこそこの感じでやっていたら、やっぱりそれなりにしか聞こえない。自分の生き様になってはじめて何かが伝えられる。私が作品に声を使うのなら、自分で発するよりも声のアーティストと組むのがベストですね。

30代始めの頃、メゾソプラノの波多野睦美やアルトのナタリー・シュトゥッツマンの歌を聴いて、ぞくぞくするような感動を覚えました。その頃から歌にはとても興味を持って色んなジャンルを聴きに行っていましたが、フラメンコもギターだけでなく、歌の素晴らしさに気づいたのが、やはり30代。私が感激した歌手は皆、歌が人生そのものという風情をしていました。うたは勿論のこと、彼らの姿にも感激していたのだと思います。
しかし残念なことに琵琶は音色にはぐっと来たのだけど、琵琶唄の方はどうにもピンとこなかったのです。まあよく書いているように歌詞の内容に先ずは大問題があった訳ですが、その頃は琵琶の世界にプロがほとんど居なかったので、ピンと来ないのも無理もなかったのかもしれません。これからはその道に人生をかけて生きているプロが、是非琵琶の世界にも出て来て欲しいものです。

私は、絃に関しては「私の人生だ」とずっと前から揺るぎない確信を持っているので、自由自在にやらせてもらっているし、何の迷いも無いですが、声に関しては、ここに来て、やっと自分の中での声の在り方が見えてきた感じです。何年も前から演奏会での弾き語りは一曲位にして、どんどんと器楽中心にしているのですが、これからはもっと自由に弾いて、声は更に減らしていこうと思います。私は「うた」や「語り」に人生をかける人じゃない。絃にかけるのが私の人生。「うた」はやはり歌手や語り手にお任せしよう。他に振り回されること無く、何処までも自分らしい一番素直な形で音楽をやりたいものです。

魅力ある音楽を創
って行きたいですね。

Various facets2018

梅雨のじめじめとした日々ですね。蒸し暑かったり、妙に寒かったりして、体調には厳しい時期です。
そんな中ですが、相変わらず演奏会の日々を送っています。定例の琵琶樂人倶楽部、広尾の東光寺「能を語る 狂言を語る」、日本橋富沢町樂琵会「薩摩琵琶古典から現代へ~石田克佳さんを迎えて」、早稲田スコットホール「神田音楽学校創立40周年記念演奏会」をここ2週間ほどでやってきました。

スコットホール神田音楽学校40周年神田音楽学校40周年公演m
スコットホールでの演奏と手作りのチラシ。この学校の気さくな校風がそのまま出てますね

特に神田音楽学校の記念演奏会では、いつになく盛り上がりました。この学校はとにかく講師陣がハンパなく面白い。各講師のレベルも高いし、指導も大変熱心にがんばっていて頭が下がります。今回も華のある素敵な演奏をしてくれました。さすがに現役バリバリで活躍しているプロは違う!!。琵琶のお師匠さん達もこれくらい元気ないと。

私はこういう異ジャンルの人から学ぶ事がとても多いのです。普段のお付き合いも、邦楽以外の人との交流ばかりです。逆に琵琶人とのお付き合いがあまりありません。学ぶというと硬いですが、一緒に話をしていて、多くの事に気づかされるという感じでしょうか。勿論音楽家だけでなく、美術家や文学系の人。芸術家以外にも武道家やお店をやっている人や、お勤めの方等々、自分とは違う形で生きている人と会って、話しをしたり呑んだりするのが、実に面白いですね。
IMG_0105日本橋富沢町樂琵会にて photo Mayu
私は常にモダンということを指針にしていて、そこはずっと変わりません。何をやっても現代の中での琵琶という視点を持ってやっています。そういう点では先日の国立劇場の新作初演も、古代の楽器で最先端の音楽をするという趣旨でしたから、まさしく私が弾くべき曲だったんでしょうね。
あくまでこの現代に生きる音楽を演奏するのが私の仕事。現代人はこの混沌とした世の中で、あらゆるものと関わりながら生きています。だから音楽も多くのものとの関わりの中で演奏され、聴かれるのが現代の琵琶楽の姿だと思っています。世の中とさして関わりなく、自分の好みの世界だけでやっているものは単なる個人的趣味であり、音楽が現実逃避の場にしかならない。そこに本当の夢や創造があるでしょうか・・?。刹那的個人的な快楽があるだけでしょう。

音楽が現実の社会と常にコミットしているからこそ、リスナーと共に分かち合うことが出来る、と私は何時も思っています。時代と共にあるからこそ、そこに夢があり、喜びがあり、そのほか様々な現代に生きる人の想いが、共感を持って次の時代へと受け継がれてゆくのではないでしょうか。
当然世代が変われば形も時代と共に変わって行きます。逆に変わらないものは、激動するこの世の中に背を向けているとも云えるかもしれません。過去の形をなぞっているようなものは、既に分かち合える音楽ではない・・・・そんな風にも思うのです。
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若き日、日暮里の和楽器ライブハウス和音にて

私は琵琶奏者の中では誰よりも様々なタイプの形で演奏をしていますが、樂琵琶も薩摩琵琶も演奏する曲はほとんどが自分で作曲したものだし、即興演奏も譜面でのアンサンブルも弾き語りも、どれも私の中では同一線上に在るので、エンタテイメント系を除き、常に塩高節状態。表面の形が変わっても、中身はさほど変わらないのです。壇の浦を弾き語っても、ダンサーと即興演奏していても弾く内容はほとんど同じです。
20年程前、琵琶で演奏活動を始めた頃、日暮里の和楽器ライブハウス和音で演奏した時、旧い友人が来て「楽器がギターから琵琶に変わっても相変わらず塩高君だね」といってくれましたが、自分の音楽をより確実に表現しようと思って琵琶に転向したのだから、琵琶に持ち替えたら、より明確に私の音楽が出て来て当然なのです。モダン、現代という視点が基本的に変わっていない以上、表面の形が変わりこそすれ、皆同一線上に繋がっているのです。様々な経験を経て、試行錯誤もしてきましたが、私は私以外にありえない・・・。

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キッドアイラックアートホールにて Per:灰野敬、尺八二:田中黎山各氏と即興によるライブ

日本人はこの道一筋というのが大好きですが、この道一筋という方ほど、幅がありますね。実は色んなことをやっていて、その様々な営みの中で確実に作品を発表している。よくよく見て居ると、時代と共に表現のやり方も形も変えている。古典芸能の達人たちは皆そうですね。
そんな方々とは、話をしているだけでも多方面に話が渡って本当に面白い。きっと自分の専門分野を極めていくと、色々なものがそこから見えてくるのでしょうね。自分の知らないことに常に興味津々としているし、知識一つだけをとっても、自分の持っているものに安住しない。求めている。

残念ながらオタク状態の音楽家はとても多いのが現状ですが、私は、様々な音楽に触れて生きてきた自分の人生の中から湧き上がる音楽をやっていくのが、一番ピュアな姿だと思います。誰の真似でもなく、流派などのこだわりも無い。琵琶に於いては永田錦心や鶴田錦史の志を自分なりに受け継ぎたいと思うものの、あくまでオリジナルな作品を作って行く。それがどう評されようが、それしか出来ないですね。
東洋大学講座L季楽堂2018

今週も色々な演奏会をやります。土曜日は井上円了ホールにて津村先生と「方丈記」の公演。明けて7月1日には朗読の櫛部妙有さんと練馬季楽堂にて公演と続いていますので、なかなかのんびりという気分にはなりませんね。そろそろ創作のための時間を取りたいと思います。

是非演奏会に起こし下さい。

「サワリ」の話Ⅵ~オリジナルモデル

今週の日本橋富沢町樂琵会は、琵琶制作者の石田克佳さんをゲストに招いて、琵琶の楽器のお話を色々と聞かせてもらいます。彼は正派の薩摩琵琶も弾くので、勿論演奏もしてもらうのですが、流派によるサワリの違い、琵琶の構造・材質による音色の違いなどなど、作り手側からの滅多に聞けないお話が聞けますので、薩摩琵琶に興味のある方にはまたとない機会です。

ケース内部

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塩高モデル中型1号機(これは改良前の写真。現在は糸口を除き貝素材を使っています)

さて本題のサワリですが、サワリの音色というものは演奏家によって実に様々です。勿論しっかり調整が出来ているということが前提ですが、私の先輩は、とても渋い音色に調整してあり、音伸びもそんなに長くなく、独特の響きをしています。これは彼の声質に関係していて、その声に合わせて行くと自然とそうなったようです。基本的に弾き語りの伴奏楽器として成り立ってきた琵琶は、夫々の声や歌い方に合わせて調整します。つまりサワリの音色は一人一人違うのです。名人と言われた吉村岳城氏のように、速いテンポでうたうスタイルだったら、あまり長い鳴り過ぎるサワリは邪魔でしょうし、鶴田錦史氏のようにゆっくり間を取ってうたい、弾法も充分に聞かせるスタイルの人は長目のサワリが必要です。そして私のように琵琶を「うた」から切り離して器楽として演奏する人では、更にサワリの音色や長さに対するセンスが変わっています。
私がサワリの調整を教えてもらったT師匠と私では当然、サワリの音色も伸びも違いますし、女性演奏家の、チューニング自体が高いサワリとも随分と違います。サワリ=個性そのものなのです。琵琶人にはもっと自在に自分の個性を発揮してもらいたいですね。それが多様な琵琶の魅力になり、琵琶楽全体の活性化にも繋がると思います。

私はT師匠にメンテナンスの事は教わりましたが、それ以上に琵琶を手にした時から石田さんとかなり色々なやり取りをしてきたことが、今の活動を支える上で、とても大きかったと思います。そのやり取りの中でとても多くの情報を得て、私の楽器はどんどん進化していったといってよいでしょう。

バック2

分解型琵琶の裏側

私はサワリを出来るだけ長く響くようにセッティングしてあります。糸口のサワリについては、かなり拘ります。高域がきつすぎても、渋すぎても私の音楽には合わない。ギラつく一歩手前に留め、エッジを効かせ、且つうねりが出るように調整されています。うねりを出すには、先ずサワリの音色や伸びの調整をしてから、糸口の中より上の方にほんの一削りノミを入れます。すると低音にフェイザーがかかったようなサワリのうねりが出てくるのです。ヴァン・へイレンのデビューの頃の音は、低音にうねりがかかって、且つエッジの効いたディストーションでした。最初にイメージしたのはあの音です。少し前のブログでジョー・サトリアーニの事を書きましたが、最近は正にあのギターの音のイメージが、私の琵琶の音色や音伸びのイメージです。ちなみにサトリアーニはワウペダルを多用していますね。

 

各駒の音伸びも重要です。各駒が均等に鳴らないと、琵琶で歌い上げる時に大変支障をきたすので、音色、伸びに統一感が出るようにしています。楽器に引きずられて演奏が思うように出来ないのでは、お話になりません。私は琵琶をジェフ・ベックのように自由自在に歌わせたいのです。
「ブロウ・バイ・ブロウ」を高校生の時に聴いて、エレギターでこんなにも自在に細やかに表現が出来るのかと、びっくりしましたが、演奏技術もさることながら、エレキギターの持つ潜在的な表現力の高さに驚いたのです。ヴァイオリンやチェロのように何処までも自在に、声と同じように楽器を歌わせることに憧れを持っていた身としては、ギターでここまで表現できることが驚きだったのです。しかしジャズギターやクラシックギターではフレーズは豊かですが、音が伸びないのでロングトーンの音量も音質もコントロールできない。でも琵琶なら音が伸びるしベンドも出来るので、かなりの表現が可能なのです。ジャズギターをやっていた頃のフラストレーションが琵琶を手にしたことで一気に吹っ飛びました。

大小
標準サイズと塩高モデル
しかし従来の薩摩琵琶は伴奏のみに使われていて、音量も小さく低域も足りない。これだけの魅力的な音色がありながらとても残念に思いました。そこで楽器の改造改良に踏み切ったのです。そんな時期に、すぐそばに石田さんという人物が居たということは、正に運命ですね。

約20年前に1号機を作った時から、ボディーのサイズ、絃、チューニング、演奏法等々、自分が求める音を実現する為の様々な要素を石田さんに伝え、彼がそれを次々に具現化して行くということをずっとやってきました。今私のところには、石田さんの作品が五面あります。そのどれもが私専用の特殊仕様になっています。毎回今迄に例の無い注文をするので、石田さんにとっても実験だったことと思いますが、これらの琵琶があったからこそ、8枚のCDとして結晶し、数々の作品が生まれたのです。

彼は時々私の演奏会に現れては、私がどんな演奏をするのかをしっかりチェックしていてくれて、塩高モデルの角が付いたネックのIMGP0412形状(左写真)などは、彼の方からのアイデアで出来上がりました。とにもかくにも石田さんがいなければ今の私は無いということです。楽器職人と演奏家がタッグを組んでこそ、新たな音楽が生まれる。私はそう実感しています。

次世代にも響いて行くような音楽を創り出す為にも、自分の琵琶は常に最高レベルにスタンバイしておきたいですね。
サワリは本当に微妙で、その調整が自分で出来るようになるには、IMGP0647何度も糸口や駒をつぶして、サワリの構造を知り、音色を聞き分け、失敗を重ねながら経験を積まないと出来るようにはなりません。私はその都度石田さんにアドバイスをもらったり、修理してもらったりしながら、長い時間をかけて自分なりのサワリの調整が出来るようになりました。
昨年から新しく使っている貝プレートの糸口(右写真 大型1号機と上記の中型分解型)も、もう既に何枚も削りつぶして、やっと最近使えるような仕上がりになりました。
そして一度調整したからといっても、弾いているうちにどんどんと変わってきてしまうので、私はほぼ毎日琵琶を手にして、駒をノミで削ったり、駒をはずして、高さの調整をしたりしています。以前映像に収めようとしたのですが、上手くいきませんでした。やはりじかに目の前でやらないと伝わりませんが、良き師に教わって、是非自分で出来るように挑戦してみてください。
2018年チラシs

6月21日(木)第15回日本橋富沢町樂琵会「薩摩琵琶古典から現代へ」
場所:MPホール(日本橋富沢町11-7 KCIビル地下1階)

時間:19時開演

料金:1500円

出演:塩高和之(琵琶) ゲスト 石田克佳(琵琶 お話)

演目:祇園精舎 城山 風の宴  他

問い合わせ  03-3662-4701 (小堺化学工業)

orientaleyes40@ yahoo.co.jp オフィスオリエンタルアイズ

他では聞けない話を聞くことが出来ると思います。是非是非お見逃しなく!。

うたうということ

森田童子さんが亡くなりましたね。私は熱狂的なファンというわけでもなかったのですが、あの歌声と独自の世界はしっかりと耳に焼き付いています。久しぶりに聴いてみたら、直球で若き日のあの頃に飛んでしまいました。

 
琵琶をやっている人にとっては、何だこれはと思うでしょう。普段から声を張り上げ、名文句でコブシを回しにまわして、お見事!なんて声がかかるような琵琶唄とは真逆な「うた」です。まだ尾崎豊のほうが歌手としては随分上手いので判ってくれるかもしれませんが、森田童子の「うた」は、琵琶人には耐え難いようなものかもしれません。
しかし私にはこの歌声が、そのまま響いてくるのです。歌詞もしっかり入ってきて、その世界がそのまま感じ取れる。もっと言えば言葉が聞き取れなくても、もうその世界に連れ去られるように自分の心が持っていかれるので、言葉を超えた世界が、そのまま聴いている自分の心の中に満ちてくるのです。
演奏会9

琵琶唄と比べること自体がナンセンスという方も多いでしょう。でも私は森田童子も尾崎豊も、BB・キングもロバート・プラントもジョン・レノンもボブ・ディランも、多感な少年時代から今迄ずっと聴いて生きてきたのです。30歳の頃には波多野睦美さんの声に触れて声楽が好きになり、今はオペラのLive veiwingもよく観に行って、つたない観劇記も書いています。それぞれ違うジャンルというのは簡単ですが、声を使ってうたっている以上、自分の中で琵琶唄とこれらを区別するわけにはいかないのです。

何時もこうした「うた」に触れると凄い勢いで心が震えてきます。そして同時に「琵琶唄は何も伝わらない、伝えられない」という想いも溢れ出てきます。現在の琵琶唄の内容はあまりに男尊女卑的だったり軍国主義的だったりして、今を生きる自分の感性がその内容を拒否してしまうのです。今時、忠義の心といわれてもね・・・。。
大体恋の歌が無いジャンルは、世界中探してもありえないと思えませんか?。それだけ明治から大正~昭和初期に成立した琵琶唄は軍国のイデオロギーに歪められ、日本人の心から生まれた「うた」になっていないのだと、私は思っています。
このブログではオペラの事をよく書きますが、オペラは観ていてとても楽しい。ただ森田童子の「うた」と違って、声という楽器の器楽演奏を聴いているといった方が近いですね。あの声に感激しているのであって、チェロやヴァイオリンの演奏を聴いているように聴いています。だから歌詞の内容にいちいち共感するというよりも、ざっくりと「うた」に描かれる人生の悲しみや喜びという普遍的な感性を、素晴らしい魅力的な声で身に迫ってうたってくれる、そんなところに感激するのです。

もうオペラを引退したナタリー・デセイと、私が大好きだった故ディミトリー・ホロフトフスキー
この二人の舞台は本当にわくわくして観たものです

その点、森田童子や尾崎豊は、声もさることながら歌詞がそのまま自分の体験とリンクして来ます。二人共に魅力のある声をしているのですが、いつしか声すらも忘れてその世界に浸ってしまう。オペラもこちらも魅力的なのですが、この違いはとても大きいですね。尾崎などたまに聞くと、そのまま自分の中学高校時代の景色や空気まで思い出します。自分があの頃抱えていた想いを、この人はそのまま歌ってくれていると感じるのです。
これは一つの、時代の共同幻想とも言えるかもしれませんが、ただそこに留まっていたら何てことない懐メロです。後の時代の人には全然伝わらない。軍国の琵琶唄と同じです。しかし語り継がれて行く「うた」は時代が変わっても共感を持って受け入れられるのです。
尾崎の「卒業」に歌われているように、未だに学校を卒業する時、窓ガラスを割って行くやつがいるというのですから、現代でも共感を持って聴かれているといううことでしょう。そこが時代の流行歌とは明らかに違うところ。森田童子も尾崎もジョンレノンもボブディランも皆、詩人であり、時代を超えて現代の人に明確な世界を今でも届けている。ジョンレノンの「Love&Peace」は世界の人が共感し語り継がれているのは皆様ご存知の通り。
これこそがジャンル関係なく「うた」というものの大きなポイントだと思っています。結局「うた」というものは、自分にとって共感できる内容のものかどうかということがとても重要な要素なのだと思います。その声質も大きいですし、うたわれる中身に対する共感があってこそ、時代も国も越えてゆくのです。共感があれば、歌の技術などあまり関係ないと思うのは私だけではないでしょう。
上手くても眼差しの先が「お上手」にある人と、自分が「うたうべき世界」に向いている人では天と地の差が出てしまう。音楽全般そうですが、特に「うた」は人の内面を隠せない。心の中がしっかりと出てきてしまう。肩書きを基準に物事を判断している人はそういう「うた」になる。お上手な歌手が得意になって歌い上げる「イマジン」や「ヘイジュード」など、もうどうあっても聴いていられないと思いませんか?。私には耐え難いものがあります。つまり見ている世界が違い過ぎるという事です。

ウズベキスタンのイルホム劇場にて、「まろばし」演奏中。指揮アルチョム・キム
私はあくまで琵琶のあの音色に感激して演奏家になったので、はじめから琵琶楽に於いて唄にはほとんど興味がありませんでした。残念ながら琵琶唄にはその張り上げてコブシを回すうたい方も歌詞の内容も、どこにも共感が感じられなかったのです。今でも永田錦心や鶴田錦史の「うた」や演奏を聴いても、私は別に感激はしません。ただ二人の活動からは「新らしい時代へ向かって走れ」という力強いメッセージだけが私に響いてきます。もし私が二人の「うた」に共感したのなら、私はうたっていたでしょう。
私はもう随分前から切った張ったの曲はやらないようにしています。そんなものを自分がやりたくないのです。一応琵琶樂のスタンダードとしてCDでは「壇ノ浦」等や「敦盛」等収録していますが、歌詞は随分と変えて、従来の琵琶歌とは違う形に曲自体を創り直しています。それにそれらの曲ももう、ほとんど演奏会でやらなくなっています。長い弾き語り自体、人前でやるのは年に数回あれば良い方です。歌詞の内容に大いに共感が出来、普遍の哲学を感じられる曲ならうたえますが、「鉢の木」や「乃木将軍」などは、たとえお仕事であっても、とてもうたえないですね。心が拒否してしまいます。何故ああいうものを舞台で出来るのか、私には音楽家として理解が及びません。
この動画の「僕たちの失敗」をきいて、私はつくづくうたう人ではないなと思いました。人それぞれ役割があるのです。やはり私は琵琶の音色の魅力をもっともっと聴いてもらいたいので、琵琶の音色が一番生きるような曲を、これからもどんどん創ってゆきます。ジェフ・ベックが「Blow by Blow」や「Wired」でうたを入れずギターの音色だけで音楽を確立し、それがのちのギターミュージックのスタンダードになったように、また武満さんの「エクリプス」や「ノヴェンバー・ステップス」が琵琶の器楽曲としてスタンダードになって行ったように、私もこの深い魅力に溢れた琵琶の音色で音楽を創りたい。声やうたを拒否している訳ではないですが、限られた人生「うた」にまで時間を使えるかどうか・・?。私の奏でる琵琶曲や琵琶の音色が「うた」のように次世代に語り継がれていったら嬉しいですね。でもきっとこれからは心の中から湧きあがる「うた」を創る琵琶人が出てくることでしょう。期待していますよ!!。

むしろこれから薩摩筑前の琵琶唄は出来上がって行くのではないでしょうか。逆に今を生きる日本人、そして次世代の人々に共感される「うた」を琵琶楽が創って行くことが出来なければ、琵琶楽は「うた」のジャンルとしては滅ぶしかないだろうとも思っています。
新たに出来上がった琵琶唄が何十年も経って、今私が森田童子や尾崎豊に涙するように、後の時代の人がそのうたわれている世界の事を、熱く語って共感してくれたら素敵ですね。今を生きる人の心の中から出てきた歌詞を、世界を、琵琶を弾きながらうたう人が出てきて欲しいです。
くしくも尾崎豊が4月25日、森田童子が4月24日に旅立っていきました。
語りつがれる「うた」は素晴らしい。

平野多美恵(旭鶴)さん
「森の中の琵琶の会~薫風」は和やかな雰囲気で演奏してきました。いつも琵琶樂人倶楽部などでお世話になっている平野多美恵さん初主催による会でしたが、彼女のフランクな人柄を慕う仲間達が集い、とても良い雰囲気でした。私も応援団長としての役割を果たすことが出来、嬉しく思っています。
終演後は会場にて打ち上げ。出演者、スタッフ、お客さんと隔てなく話していて、「芸」について話が盛り上がりました。

演奏家は皆、舞台に立って活動を始めると、けっして「上手」が通用しないということが判ってきます。流派の会に出ている程度だったら、上手や下手などと言い合ってお仲間と楽しんでいれば良いですが、世の中に向けて活動を始めると、上手なんてところに留まってはいられないのです。今回の出演者もそんなところに差し掛かっているようで、色んな話を聞くことが出来ました。
舞台人は、舞台をやればやるほど、その人独自の「世界」を表現出来ない限り、お客様は聴きに来てくれないということを肌身で感じるのです。これがプロとアマの大きな分岐点といえるでしょうね。

小さなライブハウスでの演奏がジャズギター屈指の名盤となったCD
JESSE VAN RULLER「 Live at Murphy’s Law」、JIM HALL「Live」

プロの演奏家はいろんな現場で演奏しなくてはいけません。なかなか自分の思うように出来ることは少ないものです。しかし自分にとっての負のことを色々と経験するからこそ、自分にとって最適なものも見えて、どんな環境にあっても自分の世界を表現出来るのです。つまり磨きがかかるということです。自分の好きなものだけ聴いて、それだけをやっている温室育ちでは、結局レベルが上がらないのです。

いつの時代も音楽は社会と共にあります。国が違えばもちろんの事、日本人でも世代が違えばセンスも違います。多くの価値観の中で、様々な音楽が存在しているということを判る人だけが、舞台で生きて行ける。私はそう思いますね。
私は自分のやる曲には必然がなくては演奏できません。やりようが無いのです。今自分がこの社会の中で発信するということを、とても大切にしたいのです。好きだ嫌いだという自分の小さな世界の中だけで完結して、世の中に対する眼差しがなかったら、それはただのオタクのわめきでしかない。あらゆるものが溢れかえり、音楽だけでもこれだけ溢れている、この現代の世の中に向けて自分の音楽を発信する、その意味を考えざるを得ませんね。
箱根岡田美術館にて
自分が修練し、得た技の先にどんな世界が見え、それをどのように表現して行くか。ここに音楽家の魅力と価値が在ると私は思います。そしてその見えている世界の大きさがそのままその人の器といえます。自分の好きなものしか追いかけないような人は当然小さいでしょう。逆に自分の好みというところを越えて、様々な音楽に目を向けることの出来る人は、どんどん新しいものに触れ、磨かれ、深まり、当然多くの人にアピールできる器が育って行くでしょう。

音楽家は技を売っている訳ではなく、独自の世界やセンスを聴いてもらって報酬を得ているわけですから、そのセンスに魅力が無い限り、聴いてはもらえません。バッハだろうがなんだろうが、自分はこう解釈していますという意思表示がない限りは、ただの技の切り売りでしかありません。そんな程度でよいのであれば、それはそのうちAIがやるようになるでしょう。

クリエイターやアーティスト達は、皆表現したいものがあるから活動をしているのです。邦楽人はどうでしょうか?。何故自分はこの曲をやっているのか、そこにどんな意味があって、何を表現したいのか・・・・?。お稽古して得意だからやっている・・・本当に自分のやりたい音楽をやっている・・・?。
どのレベルを目指したいかは人それぞれだと思いますが、琵琶の演奏家を目指すのだったら、及ばずとも永田錦心や鶴田錦史のように、古典の世界を土台に持ちながら時代の最先端を走るような、その志だけは持っていて欲しいですね。上手な技を聴いてもらうのではなく、自分だけの独自の音楽を聴いてもらえるようになって欲しいものです。一人一人顔も身体も声も性格も違うように、音楽もその人なりになるのが当たり前のこと。そしてその人なりの音楽に魅力が宿っている。それが日本でいう所の「芸」というものではないでしょうか。

戯曲公演「良寛」にて。津村禮次郎先生と

きっとやればやるほどに尽きない世界があるのでしょう。「芸」「芸術」・・考えればきりが無いですが、音楽が深まれば深まるほどに自分らしく生きられる。そういう音楽家で在りたいですね。

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