連日の猛暑ですね。皆様お変わりないでしょうか。

13年前に発表した「沙羅双樹」のCD。「沙門」収録
先日は東洋大学での「道元研究国際シンポジウム」、ストライプハウスでの「ストライプセッション2018」共に良い形で務めることが出来ました。道元シンポジウムでは拙作「沙門」を演奏したのですが、何かしっかりとした手ごたえを感じました。「沙門」の詞は「修証義」「正法眼蔵」から抜粋したもので、個人の感情などを表したお涙頂戴的な名調子が全く無いのです。自分が「うたう」ことの一つの形として、こういうものは良いなと思いました。ストーリーテリングをやるから感情が入り込んで、目の前を表現しようとするので、時間軸が前に進まない「詩」ポエムをやれば、問題なく素直に語れるのです。琵琶唄の歌詞に強い違和感を持っていた身としては、納得できる内容のものをやれば迷いも無いということをあらためて確認しました。どんなものであれ、自分がやりたいと思うものをやって行きたいですね。

話題が変わりますが、先日は映画を一人で観に行きました。私の地元には映画館(と言えないほどの小さな小さな劇場)がいくつかあり、たまににふらりと立ち寄り観ることがありますが、先日はちょうど珈琲豆がなくなり、仕方なくこの暑さの中、のろのろと買い物に出たついでに、かねてから勧められていた「人生フルーツ」というドキュメンタリー映画を観てきました。
じわりと来る良い映画でしたね。この映画は結構話題ですので、内容はご存知の方も多いかもしれませんが、観終わって、悲しいものでもないのにす~と涙がこぼれ、ゆったりとした暖かいものが自分の中に満ちてきました。席を立つのが惜しいくらいでしたね。
観ながら「自分の人生を自分なりに生きる」ということを特に感じました。これはなかなか出来るようで出来ないもの。それも無理せずにこつこつと・・・。ここに登場する御夫婦は私とは随分違う人生を生きてきた人物ではありますが、形は夫々違えど自分の人生を全うできるかどうか・・・、家に帰り着いて、自分のこれまでをゆっくりと珈琲を飲みながら反芻しました。

日本橋富沢町樂琵会にて photo MAYU
”風が吹けば枯れ葉が落ちる 枯れ葉が落ちれば土が肥える 土が肥えれば果実が実る こつこつ、ゆっくり”
この言葉が映画の中で何度も繰り返されますが、私もそろそろ、この言葉のようにじっくりと生きる時期に来ているんじゃないかと思いました。今まで自分なりにやってきたつもりですし、僅かながら作品も創ってきました。他の価値観を軸とせず、なんでも俺流でやってきました。しかしちょっとこれからはガツガツと突進するだけでなく、良い意味で速度を落としてみるのも良いんじゃないか・・・・・。そこから見えてくる音楽があるんじゃないか・・・。とそんな風に思いました。
こうして我が身を振り返っていたら、ふと以前TVで見たとあるベテラン民謡歌手を思い出しました。その筋では有名な方のようでしたが、ロック(とはいえないような)バンドをバックに、若作りしてパワフルに歌い踊る姿には、還暦をとうに過ぎた男の脂ぎった自己顕示欲と、パワーを押し付けるだけの、深みを全く感じられない音がありました。私はそれを見た時、強烈な違和感を感じ、その姿を未だに良く覚えています。

photo 川瀬美香
もしかすると私はあの民謡歌手のような勘違いと傲慢さが、この身にのどこかにあるんじゃないかな・・・?。と自分の姿を思いました。私は自分なりに生きることに拘ってきましたが、少なくとも世の中と共に、自分のペースで、何かに抗うこともなく自然に生きることは、まだまだ私には出来ていない。つまりペースがまだ出来上がっていないんだな、と感じました。


北鎌倉の月
最近は夜、月を見上げることが多くなりました。地球の自転と共に日々姿を変えながらも、月はいつもそこに存在します。雲があれば朧月になり、晴れれば煌々たる満月となります。この間は剣のように細く鋭利な三日月も見ることが出来ました。
私もその時々で対応しながら、この世の中と共に「こつこつ、ゆっくり」自分の生き方がまっとう出来たらいいですね。