初心ということ

先日、ヴァイオリニストの濱田協子さんのリサイタルに行ってきました。濱田さんとは11月に荻窪音楽祭にて、拙作「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為に」を演奏していただくので、このところお付き合いを頂いています。既に一度琵琶樂人倶楽部では演奏してもらったのですが、とても良い感じに仕上がって行きそうで期待が持てます。
今回のリサイタルは、50歳の節目ということで開いたそうで、定番のバッハのシャコンヌから、ピアノの伊藤理恵さんと共に演奏したフランクのソナタまでたっぷり楽しませていただきました。音楽に真摯に取り組む姿勢に、大変好感が持てる演奏会でした。最期の挨拶では「初心を忘れずに」という事をおっしゃっていましたが、気取らず自分のペースで歩んでいる濱田さんの演奏には、言葉通りの初々しさを感じました。
この間の芝先生の演奏会でも、芝先生が吹く笛独奏を聴きながら、多くのものを通り越して、音楽に向かい続ける先生の姿を見て、少年のようにワクワクとして雅楽を演奏している姿が印象的でした。やはり何か初々しいものを感じましたね。

初心を忘れていけないとよく言われますが、初心とは自分の中の港のようなものなのでしょう。自分の中で節目を感じる時、上手くいかない時、絶好調の時・・いずれも帰る港があるからこそがんばれるし、行くべき先も見えてくる。故郷のようなものかもしれません。先日とある方がこんなことを言ってくれました。

「道が拓けた時こそ、足元を~初心時に輝いた玉を磨き直すと、新たな選択肢が増え、また多過ぎる選択肢を減らせる」

今私は、いつもこのブログに書いてあるように、器楽としての琵琶楽に確実に進んでいるのを感じています。8thCDには「壇の浦」の弾き語りを入れましたが、これが私の弾き語りの最後になるでしょう。琵琶唄はどんどんやらなくなって、そのうち「壇の浦」もやらなくなるでしょう。
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  左:1stCD「 Orientaleyes」    若き日      右:石井紘美作品集「Wind way」

弾き語りをやることで仕事も増えたし、見えてきたものも多々あります。しかし元々私の音楽に「うたう」という発想はありませんでしたし、やっと自分の本来の位置に戻りつつあるという実感がしています。私の足元にあった輝く玉は、まさに「器楽としての琵琶楽」。今その玉を磨き直そうという訳です。私はオペラや声楽が好きでこのブログにも色々と書いていますが、私がうたうという発想はやはりちょっと湧きあがって来ないですね・・・。よき時に、ピンポイントで良いアドバイスを頂きました。

琵琶を最初に手にした初心の頃創った1stアルバム「Orientaleyes」は、未熟な面も多々あれど、余計な衣が一切無く、正に自分をそのまま出した(出すことが出来た)作品集です。勿論「うた」は入っていません。
2ndアルバム「MAROBASHI」には、ロンドンシティー大学で演奏した石井紘美先生作曲の「HIMOROGIⅠ」をLive 録音の形で入れましたが、これも私には大きな大きな出来事でした。コンピューターと琵琶によるこの作品は、「Wind way」というタイトルの石井先生の作曲作品集にも収録され、ドイツのWergoレーベルから発売されましたが、まだネット配信も無い時代に、世界発売となって世に出た時には、自分の活動に確実なる実感を感じたものです(その後Naxosからも出ました)。

そして今年、1thアルバム「Orientaleyes」でチェロと琵琶のために創った「二つの月」を、8thアルバムでヴァイオリンと琵琶の為に改訂した事は、私にとって大きな転機となりました。この曲に新たな意味が生まれ、CDで共演しているヴァイオリニストの田澤明子さんと何度とく舞台にかけてみて、器楽という自分の原点を確認することができました。1stアルバムからずっと心にある「器楽としての琵琶楽」が色んな変遷を経て、今揺るぎないものとして自分の中に確立してきたのです。8thCDには「まろばし~尺八と琵琶の為に」も、若手の吉岡龍之介君とのデュオで入れましたが、この曲を30代の初ライブ以来ずっと演奏してきて、今確実に自分の音楽となっていること実感しました。

京都東山清流亭にて
そして樂琵琶の作品も、このところ笛以外の楽器とやる機会が多く、自分の中で新しい認識をしている所です。本当に樂琵琶に取り組んで、今までに無い分野を開拓することが出来、器楽の琵琶という事に於いて、薩摩とは別の面をここまで斬り拓くことが出来たことは大変嬉しく思っています。大浦典子さんという音楽のパートナーに出逢ったのも大きかったですね。

もっともっと自分らしく在り続けたいと思っていますので、音楽も自分らしい形に突き進みたいと思います。

枯木鳴鵙図
また最近、上記の方とは別の方から「貴方にとって精神の師となる人は誰ですか」と問いかけらましたが、すっと浮かんでくるのは、このブログでもよく登場する、道元禅師が先ず一番でしょうか。良いもの、良い言葉は沢山あると思うし、気になっ言葉はすぐにメモしておく方なのですが、「修行している姿こそが仏である」なんて言葉は常に肝に銘じています。
また多少武道をかじっている身としては、武道家の遺した言葉も結構好きですね。宮本武蔵の「観の目強く、見の目弱く」なんて実に現代社会において大切な姿勢だと思いますし、「枯木鳴鵙図」などの作品からも結構刺激を受けました。また北大路魯山人の著作や伝記、作品などからも多くのインパクトを受けています。

音楽的にはもう文句無くマイルス・デイビス。勿論コルトレーンやドルフィーなども良いですね。そしてレッドツェペリン、キングクリムゾン、ジミ・ヘンドリックス、パコデ・ルシア・・。更にドビュッシー、ラベル、バルトーク・・・・ときりなく続きます。何しろ時代を切り開くようなプログレッシブでモダンなものが性に合うようです。スタンダードなものは落ち着く反面、どうも湧き上がるような躍動や煌く生命感が薄いものが多いので・・・。古きものに対し寄りかかることをせず、本当に真摯に取り組み、挑戦をしているようなものが少ないですからね・・。
マイルス2
そして誰よりも一番影響を受けたのは作曲の師である石井紘美先生かもしれません。20代の頃、石井先生に出逢っていなければ、わたしは琵琶弾きには成っていなかったでしょう。当時音楽的に燻っていた私を見て、私の元々持っている質(玉)を見抜いて、この道を先生が勧めてくれたからこそ、今があるのです。これだけは確実です。

これからは、思うことを思うようにやって行きます。これまでもそうしてきましたが、更に純度を高めて思うことを思うようにやって行きます。あまり経済は伴わないので、派手な活動は出来ないかもしれませんが、どこまでも自分らしい形でやるのが、やはり一番しっくり来ます。そのためにも初心という港に今一度帰る事が必要ですね。

初心の頃輝いていた玉を、今こそ磨く時が来ているようです。
PS:もう一人、気になる人が居ます。それは平経正。何故かいつも気になるのです。

雅道

先日松渓中学校創立70周年記念雅楽演奏会に行ってきました。この中学校は我家の近くなのですが、地元のイベントなどでよくお世話になっているH木さんがここの卒業生で、今回世話人役をやっているとのことで声をかけていただきました。

このチラシの通り、芝祐靖先生はこの中学校の第一期生で、今回は自身が音楽監督を務める伶楽舎を率いての公演をやってくれました。第一部は越天楽や陪臚など古典雅楽の演奏と舞楽陵王。そして第二部。これがなんといってもじ~~んと来ました。
芝先生は現在83歳。7,8年前に見た時よりも随分とお年を召されて、杖をついてよろよろ歩くような状態で舞台に出てお話をされたのですが、もう声も絶え絶えであまり聞き取れませんでした。しかし龍笛の独奏をやると言って、先生の龍笛独奏による代表曲「一行の賦」を吹き出したら、ぱっと軽やかに音が響いて、朗々とメロディーが流れ出したのです。

この笛には惹き付けられました。上手いとか下手とかそう云う事でなく、人生を雅楽の発展と研究創作に賭けてきた芝祐靖という一人の人間の軌跡を見るような想いで、引き寄せられるように聴いていました。多分先生が舞台で笛の独奏をやるのは、これがもう最後ではないかと思います。地元の記念行事だけに、外からのお客様はほとんどおらず、いわゆる雅楽ファンも見当たりませんでした。この演奏のことを雅楽ファンに言ったらさぞ羨ましがる事でしょう。とても貴重な時間を体験したという気持ちで一杯です。

芝先生が居なかったら雅楽はどうなっていたんだろう・・?。想像もつきません。先生は笛の名手としては勿論のことですが、作曲家としても200曲以上の作品を書いておられます。オーケストラ作品から、敦煌琵琶譜の復元曲、邦楽器を使った現代曲、などなどそれはもう日本の芸術音楽史に残る作品を数多く残してきました。楽部に居ながら、任期途中で「もっと雅楽の研究創作をしたい」といって退官され、そこから怒涛の如くともいえるようなスピードとウルトラハイレベルで雅楽を芸術音楽として世界に広めました。武満さんの「秋庭歌一具」を世界の名曲にしたのも芝先生です。源博雅、藤原師長に続く日本音楽史に燦然と輝く天才として、現代そして未来の日本音楽を描き出して見せてくれたのは芝先生であり、唯一の偉大なる存在と言っても、誰しも頷くことでしょう

私は先生のCDを何度も聞いて、樂琵琶の作曲に取り組みました。敦煌琵琶譜、天平琵琶譜などの復元曲には特に影響を受けて自分の作曲の参考にしましたし、樂琵琶の1stCDは芝先生に送らせていただき、紀尾井ホールでお会いした際に挨拶もさせて頂きました。

この日は後半で「迦樓羅」を吹いてくれたのですが、これは伎楽を復元創作したもので「天竺からの音楽」というCDに入っているものです。これを独奏で吹いてくれたのです。私はこのCDにも大変に影響を受け、何度も何度も聴いて来たのです。これらの影響があったからこそ、私と笛の大浦典子さんとのコンビReflectionsの3枚のCDが出来上がったのです。その曲を先生が生でそれも目の前で独奏で吹いてくれるとは・・・。感激を通り越して、こみ上げてくるものがありました。

一人の人間が、人生を賭けてやり通してきたその軌跡が、目の前に見えたようなひと時でした。日本のアジアの文化を背負い、それを次世代へと渡し、研究創作してきたその道のりは壮絶としか言いようがありません。
国家とはその文化を持って現されるもの。政治も経済も全ては文化の基盤があってこ成立するのです。芝先生は正に日本の文化を継承し、創造し80数年を駆け抜けてきたのです。その志と軌跡を受け継ぐ若者を育て、更なる未来を視野に入れて、今また子供の為の雅楽を創作し続けておられるその姿は、正に私が目指す姿そのもの。

本当に何にも替えがたい素晴らしい時間を頂きました。私は分野もちょっと違いますが、及ばずながらもその轍を見据え、自分の道を歩んで行きたい。あらためてそんな想いがこみ上げる公演でした。

無垢な魂

愛知~静岡のツアーから帰って来ました。

小栗3今回は小栗家住宅という、半田市にある古民家の座敷で尺八と琵琶のデュオによる公演、そして豊田市にある地元の農村舞台での公演、ホールでの公演、最期はこのところ定番となっている沼津の牛山精肉店でのイベントと、様々な形での演奏をしてきました。

そして今回はインド舞踊のエミ・マユーリさんの舞踊団、落語の古今亭文菊さんとも御一緒し、ラストの牛山精肉店ライブでは、笛の相棒 大浦典子さんも駆けつけてくれて、賑々しくやってきました。

愛知での写真が来てないのですが、沼津では義経の兄 阿野全成(今若)のお墓のある大泉寺や、これまた沼津の定番 柿田川にも寄ってきました。
阿野全成1柿田川3
左が阿野全成のお墓 右は柿田川、第一展望台からの眺め

旅をすると色々な出会いがあります。初めて会う方も多いですし、久しぶりに会う方も結構います。とにかく沢山の人と出会うのです。私はこれが実に楽しみなのです。音楽の現場というものは非日常ですので、そこで出会う人も、日常とは違う新鮮な気持ちで接してくれる事が多いですね。今回も10代の若者から80代の方まで実に多くの人と出会いました。
非日常の場に居ると、常識や因習から解き放たれるのか、皆さんのはつらつとした無垢な心を感じる事が多いです。小栗家住宅で共演した尺八の矢野司空さん(現役のお坊さん)が、法話の中で言っていましたが、「人は皆無垢な魂で生まれてくるけれども、生きていく中でそれが捻じ曲がってしまう」と・・・。私もご他聞に洩れず、随分と捻じ曲がって歪みの中で今生を生きていることと思いますが、この歪みを開放し、無垢な状態に戻してくれるものが音楽・芸術なのかもしれません。
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岡田美術館にて
感動という言葉は安易に使われている感もありますが、感動を覚える時、人は自分を取り巻く常識や因習、しがらみなどから開放されているのではないでしょうか。関心するという程度では、この開放は味わえない。全てを放り投げて心を奪われるからこそ、日常から開放されるのだと思います。音楽だけでなく、自然の風景に触れた時にも心が開放され、無垢な魂が甦りますね。
そして人が無垢な心の状態で居る時、何かそこには大きな、そして静かなエネルギーが満ちているような気がします。そういうエネルギーを感じる時はいつもさわやかな感触があり、こちらの心のこわばりも、いつしか消えてゆきます。今回も行く先々でそのエネルギーを感じました。
柿田川6柿田川第二展望台からの眺め
音楽や芸術が自然ととても近い存在であるのは、夫々が持っている無垢なエネルギーが共通しているからなのでしょう。表面の形ではなく、内側の心の問題です。いくら伝統の形のものを演奏しても、演奏者に捻じ曲がった心が満ちていたら、やはりそこにはエネルギーも無垢な心も見えてきません。むしろ少しばかり上手なために、自分の存在を誇示するような低俗な精神が、かえって浮き彫りになってしまいます。音楽家は常に音楽に対して、真摯且つ無垢な心で接しないと何も響かせる事は出来ないのです。
この柿田川の滔々と湧き出る富士山からの湧水を眺めていると、輝くばかりの生命を感じます。またその生命を見つめていると、自分の中のひずみや余計な衣が剥がれ落ちて行くようで、自然と無垢な状態へと誘ってくれるのです。
社会と共に生きざるを得ない人間は、どうしても社会の常識やルールを無視しては生きられない。他者とのコミュニケーションから愛が育まれると共に、大いなるストレスも生まれるのは世の常です。そういう中でいつしか無垢な魂がゆがみ、様々なものに囚われ日々を過ごしています。
そこをもう一度この湧水のようにまっさらで無垢な生命に戻すには、音楽が必要なのかもしれません。世界中どの民族にも独自の音楽があることを思うと、音楽を創り出すという事は、人間に与えられた、生きてゆく為のとても大切な特殊能力なのかもしれませんね。
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笛の大浦典子さん,俳優の伊藤哲哉さんと
今年は夏から秋にかけて地方公演が続き、多くの場所で、沢山の出会いを件検する事が出来ました。私はこうして色々な場所に連れて行かれ、その旅の中で多くの事を学び、考え手行くのが、与えられた人生なのでしょう。
この度はまだまだ終わりません。来月は頭に京都、そしてまた愛知、静岡、鎌倉、秩父と続きます。この人生を全うしたいですね。

時間というものⅡ

なんとも言えない生暖かい風が吹いていますね。大荒れの気象に留まらず、社会全体に渡って日本が変わって行く時期に当たっているのかもしれないですね。何やら大きな時の流れを感じます。

小栗3

今週末は、あの小栗判官にも繋がる愛知県半田市の小栗家住宅、そして豊田ストーリーテリングフェスティバルで演奏してきます。小栗判官といえば、正に死と再生の物語なのですが、生命の死や復活という物語の背景には、今我々が感じている、前に進むだけの時間とは違うものが昔はあったのかもしれない・・そんな想いが出てきますね。

人間にとって、時間の流れほど抗えないものはないのかもしれません。時間とは生命であり、過ぎ去った時間は、生命と同じく取り返すことが出来ないのです。どんなに文明が発展しても、時間だけには逆らえない。人間は物理的な観点から言えば、時間からは逃れられないといえるでしょう。

時間の神クロノス

ネイティブインデアンのホピ族には過去・現在・未来に相当する言葉が無いそうです。我々は、常に過去や未来というものを考え、時間に囚われ「生きる」という事の本来の姿を見失っているのかもしれません。ホピ族では、世界にこれから起こることや心の中で起こることは「開示されるもの」。過去に起こったものや今起こっていることは「開示されたもの」と表現されるそうです。
我々のように刻一刻と時間を感じ、時間は前にしか進まないと思っているのとは違い、既に書かれている本の読んでしまったページと、これから読まれるページという具合に感じているのでしょう。本そのものはもう既にあるので、何かの大いなるものに生かされているという感覚なのでしょうね。日本人も元々「はからい」や「定め」など、ホピ族の人たちと同じく、大いなる存在を心に感じてきたはず。しかし現代の日本人は、欲望のままに生きているが故に、これから先に何が起きるか判らず、右往左往しているのでしょうね。24時間スマホいじっている現代人の姿は、時間の神クロノスにはどう映っているのでしょうか。

2016ヒグマ春夫パラダイムシフト キッドアイラックアートギャラリーにて
私は最近、時計の刻む時間が時間の全てとは言えないのではないかと、感じることが多くなりました。私は哲学者ではないので、理論は無いのですが、物理的法則としての時間を乗り越えるのが、そもそも芸術というものではないかと思っています。現実の時間とは別の空間時間を作り出し、暫し観客を異次元へと誘ってくれるのが「舞台」というもの。また古典をやれば古の人と語り合い、過去の人々とも交信するのが我々音楽家ではないでしょうか。つまり時間を越えて行く事こそが私達の仕事。音楽はいわばタイムマシーンのようなものなのかもしれません。

日本人の生活は太陽や月の運行に合わせて日々の生活が営まれ、地震や台風などの自然災害も含め、豊かな風土と共に生きてきました。そういう暮らしの中から「はからい」や「大いなるもの」の存在を感じてきたのだと思います。また世界一長い歴史を誇る日本だからこそ、遠い古代の人物にも自然とつながりを感じ、想いを馳せる事ができるのでしょう。そんな日本が、明治に入って、時計が刻む時間を生活の中に取り入れだした時、日本人の感性は小さくなってしまったのかもしれません。

京都清流亭にて

これは音楽のドレミと同じです。先月の琵琶樂人倶楽部SPレコードコンサートで、大正時代(または昭和の初め)の宮内庁楽部の演奏をSPで聴いてもらったのですが、現代日本人の耳にはとても音痴に聞こえてしまうのです。つまりもう我々はドレミに洗脳されてしまったという事です。昔は音程一つとってもとても大らかでドレミではなかったいう事であり、音楽そのものも何かの規格にはめられたものでなく、もっともっと自由な存在だったのだと思います。雅楽自体がドレミ化している現在の状況を考えると、これは決して良いことだとは思われません。日本は明治維新以降、ドレミという西洋の規格を取り入れたために、本来の日本の音程や歌を失ってしまったのかもしれません。
同じように時計の刻む時間に合わせ、全ての物事が動いてしまっている現代は、自然の流れと共に在った人間本来の時間と生活を見失っているのではないでしょうか。

日本橋富沢町樂琵会にて、能の津村禮次郎先生と

一個人の中の時間は様々であり、個々の記憶、想い出は自分の中では一瞬の出来事ともいえます。人間は大いなる「はからい」の元、暮らし生きて来て、ゆったりとした季節の流れの中で人生を歩んできた事でしょう。そこには老いもあれば生も死もあり、それは全く自然のこととして捉えて暮らしてきたのではないでしょうか。現代ではそれを物理的時間で規定して、仕
事も暮らしも合理性優先で成り立たせ、時間の概念を、時計の刻む物理的時間のみに限定してしまっている。時計を基準にしかものも見ない現代のあり方こそが、人間を「時間」という牢獄に閉じ込めているのではないかと思うのです。実はその時計の時間の方が、まともな人間から見ればゆがんでいるのかもしれません。

せめて音楽だけは自由でありたいですね。

メインテナンス~駒

先日の京都の公演で中型1号機を使ったのですが、ほんのちょっと音程が合わないなと感じていたので、早速駒をはずして高さと位置の調節をしました。

先ずはこれまでついていたところに印をつけて、駒を叩いてはずします。簡単に外れるのですが、下手をすると、駒の下の木部が割れて、竿に少し駒の木部を残してはずれてしまうので要注意です。上の写真の左側の駒は、ちょっと木部を残してはがれてしまいましたのでその分「下駄」は厚めにしました。以前は駒そのものを自分で削りだして作っていたのですが、さすがに今は、そこ迄手をかける時間が無いので調整のみにしています。
ちなみに、接着剤は100円ショップの木工用アロンアルファです。これは刷毛がついているので使い易いのと、あまり接着力が強くないので、木部を痛めないのがいいですね。

もう一つ。くれぐれも駒を取り付ける時には、目の方向を左から右へ流れるように取り付けて下さい。木には目というものがあり、目の方向を間違えるとノミが入って行きません。

そして駒の高さは大変に重要で、これが均等になっていないと弦振動が次の駒に当たって、音がつぶれてしまいます。そうすると音は汚くなるは、伸びないは、もう全く使い物になりません。演奏家生命に関わる一大事です。サワリはその都度調整が効きますが、駒は一度取り付けたら演奏の前に付け直すわけには行きませんので、駒の位置や高さはとても気を使うのです。私は1mmの厚さのヒノキ(または杉)板を一枚づつ貼り付けながら慎重に調節するようにしています。高さ、音程、そしてサワリの調整まですると結構な時間がかかりますね。今回はやり直しもしましたので、二日にかけて修理しました。

塩高モデル大中小
筝でも笛でも楽器として完成されたものと対等に音楽を奏でるには、先ず琵琶自体がそれにふさわしいものでなければ、とても音楽は創ることが出来ません。当たり前のことですが・・・。
琵琶楽が、いつまでもこぶしまわして忠義の心なんぞうたっているような所で留まり、器楽分野に進もうとしなかったら、本当に琵琶は無くなってしまうかもしれない。平曲から続く弾き語りの伝統を次世代に繋げる為にも器楽分野の発展が不可欠だと私は思っています。
 
私は独奏曲、笛やヴァイオリンとのデュエット曲など、色々と器楽曲を創っているので、最近では演奏会でもうたうのは「祇園精舎」とアンコールの「開経偈」くらいという機会も増えてきました。「壇ノ浦」や「敦盛」のような長いものは年に数回程度しかやりません。中世から声と共に発展してきた琵琶楽ではありますが、平安時代には弾き語りという形そのものが無く、全くの器楽で「啄木」のような素晴らしい器楽曲が演奏されていました。私はあくまで琵琶の妙なる音色を聞かせたいのです。樂琵琶を演奏してみて更にその想いは強くなっています。
私は歌手ではありません。あくまで琵琶奏者として第一級の演奏家でありたいと思っています。そのためにも琵琶のメインテナンスは完璧にしておかないと、聴衆を納得させることは出来ないのです。ヴァイオリンでもギターでも、プロの演奏家は皆さん楽器に関しては、常に完璧な調整をしています。琵琶楽では、声に意識が言ってしまっているせいか、この楽器に関する意識があまりに低く過ぎると常々感じています。この音色をぜひリスナーに届けて欲しい。その為にも、楽器の調整は「最上」を常とする意識を持っていて欲しいものです。歌に寄りかかっては、この妙なる音色は何時まで経ってもリスナーの耳に届きません。琵琶の魅惑的な音色をたっぷりと聴いて頂くのが私の仕事。琵琶が一番魅力的に響く曲をこれからもどんどん創って、演奏してゆきたいのです。
京都天性寺にてヴィオリンの佐渡さんと新作上演中
サワリの調整は、体で言えば喉の調子を整えるようなもの。駒の調整は体の骨格や筋肉などのバランスを整えるのに似ています。武術でも同じなのですが、どこか変に拘っていたり、ウィークポイントを抱えていると、本来の動きが出来ません。勿論プロは武道家でも音楽家でも、どんな事態に陥っても、それなりに対応するのですが、普段から心身ともに整えておくに越したことはありませんね。
サワリや駒のメンテのやり方を教えて欲しい、と時々言われるのですが、相当の根気と時間がないとなかなか教え切れません。中途半端だと、かえって壊してしまうこともありますので、なかなかメンテを教えるのは難しいです。私はT師匠からメンテに関して教わりましたが、本当にありがたい授業だったと思っています。自分独自のセッティングにしたいと思う人は、是非お師匠様に教えてもらって下さい。

福田屋
今はもうなくなってしまった紀尾井町福田屋さんにて
以前とあるお坊さんから、琵琶に声をかけるようにして労わることを教わりましたが、
今では琵琶に話しかけながらメンテするのが普通になっています。
琵琶は私のパートナー。どこへ行っても琵琶と二人きりということが多いので、相方の調子が悪いとこっちもおかしくなります。何時も最高・最上の状態にしておいてあげたいですね。

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