
先日、ヴァイオリニストの濱田協子さんのリサイタルに行ってきました。濱田さんとは11月に荻窪音楽祭にて、拙作「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為に」を演奏していただくので、このところお付き合いを頂いています。既に一度琵琶樂人倶楽部では演奏してもらったのですが、とても良い感じに仕上がって行きそうで期待が持てます。
今回のリサイタルは、50歳の節目ということで開いたそうで、定番のバッハのシャコンヌから、ピアノの伊藤理恵さんと共に演奏したフランクのソナタまでたっぷり楽しませていただきました。音楽に真摯に取り組む姿勢に、大変好感が持てる演奏会でした。最期の挨拶では「初心を忘れずに」という事をおっしゃっていましたが、気取らず自分のペースで歩んでいる濱田さんの演奏には、言葉通りの初々しさを感じました。
この間の芝先生の演奏会でも、芝先生が吹く笛独奏を聴きながら、多くのものを通り越して、音楽に向かい続ける先生の姿を見て、少年のようにワクワクとして雅楽を演奏している姿が印象的でした。やはり何か初々しいものを感じましたね。
初心を忘れていけないとよく言われますが、初心とは自分の中の港のようなものなのでしょう。自分の中で節目を感じる時、上手くいかない時、絶好調の時・・いずれも帰る港があるからこそがんばれるし、行くべき先も見えてくる。故郷のようなものかもしれません。先日とある方がこんなことを言ってくれました。
「道が拓けた時こそ、足元を~初心時に輝いた玉を磨き直すと、新たな選択肢が増え、また多過ぎる選択肢を減らせる」
今私は、いつもこのブログに書いてあるように、器楽としての琵琶楽に確実に進んでいるのを感じています。8thCDには「壇の浦」の弾き語りを入れましたが、これが私の弾き語りの最後になるでしょう。琵琶唄はどんどんやらなくなって、そのうち「壇の浦」もやらなくなるでしょう。



左:1stCD「 Orientaleyes」 若き日 右:石井紘美作品集「Wind way」
弾き語りをやることで仕事も増えたし、見えてきたものも多々あります。しかし元々私の音楽に「うたう」という発想はありませんでしたし、やっと自分の本来の位置に戻りつつあるという実感がしています。私の足元にあった輝く玉は、まさに「器楽としての琵琶楽」。今その玉を磨き直そうという訳です。私はオペラや声楽が好きでこのブログにも色々と書いていますが、私がうたうという発想はやはりちょっと湧きあがって来ないですね・・・。よき時に、ピンポイントで良いアドバイスを頂きました。
琵琶を最初に手にした初心の頃創った1stアルバム「Orientaleyes」は、未熟な面も多々あれど、余計な衣が一切無く、正に自分をそのまま出した(出すことが出来た)作品集です。勿論「うた」は入っていません。
2ndアルバム「MAROBASHI」には、ロンドンシティー大学で演奏した石井紘美先生作曲の「HIMOROGIⅠ」をLive 録音の形で入れましたが、これも私には大きな大きな出来事でした。コンピューターと琵琶によるこの作品は、「Wind way」というタイトルの石井先生の作曲作品集にも収録され、ドイツのWergoレーベルから発売されましたが、まだネット配信も無い時代に、世界発売となって世に出た時には、自分の活動に確実なる実感を感じたものです(その後Naxosからも出ました)。

そして今年、1thアルバム「Orientaleyes」でチェロと琵琶のために創った「二つの月」を、8thアルバムでヴァイオリンと琵琶の為に改訂した事は、私にとって大きな転機となりました。この曲に新たな意味が生まれ、CDで共演しているヴァイオリニストの田澤明子さんと何度となく舞台にかけてみて、器楽という自分の原点を確認することができました。1stアルバムからずっと心にある「器楽としての琵琶楽」が色んな変遷を経て、今揺るぎないものとして自分の中に確立してきたのです。8thCDには「まろばし~尺八と琵琶の為に」も、若手の吉岡龍之介君とのデュオで入れましたが、この曲を30代の初ライブ以来ずっと演奏してきて、今確実に自分の音楽となっていること実感しました。

そして樂琵琶の作品も、このところ笛以外の楽器とやる機会が多く、自分の中で新しい認識をしている所です。本当に樂琵琶に取り組んで、今までに無い分野を開拓することが出来、器楽の琵琶という事に於いて、薩摩とは別の面をここまで斬り拓くことが出来たことは大変嬉しく思っています。大浦典子さんという音楽のパートナーに出逢ったのも大きかったですね。
もっともっと自分らしく在り続けたいと思っていますので、音楽も自分らしい形に突き進みたいと思います。

また最近、上記の方とは別の方から「貴方にとって精神の師となる人は誰ですか」と問いかけらましたが、すっと浮かんでくるのは、このブログでもよく登場する、道元禅師が先ず一番でしょうか。良いもの、良い言葉は沢山あると思うし、気になっ言葉はすぐにメモしておく方なのですが、「修行している姿こそが仏である」なんて言葉は常に肝に銘じています。
また多少武道をかじっている身としては、武道家の遺した言葉も結構好きですね。宮本武蔵の「観の目強く、見の目弱く」なんて実に現代社会において大切な姿勢だと思いますし、「枯木鳴鵙図」などの作品からも結構刺激を受けました。また北大路魯山人の著作や伝記、作品などからも多くのインパクトを受けています。
音楽的にはもう文句無くマイルス・デイビス。勿論コルトレーンやドルフィーなども良いですね。そしてレッドツェペリン、キングクリムゾン、ジミ・ヘンドリックス、パコデ・ルシア・・。更にドビュッシー、ラベル、バルトーク・・・・ときりなく続きます。何しろ時代を切り開くようなプログレッシブでモダンなものが性に合うようです。スタンダードなものは落ち着く反面、どうも湧き上がるような躍動や煌く生命感が薄いものが多いので・・・。古きものに対し寄りかかることをせず、本当に真摯に取り組み、挑戦をしているようなものが少ないですからね・・。


そして誰よりも一番影響を受けたのは作曲の師である石井紘美先生かもしれません。20代の頃、石井先生に出逢っていなければ、わたしは琵琶弾きには成っていなかったでしょう。当時音楽的に燻っていた私を見て、私の元々持っている質(玉)を見抜いて、この道を先生が勧めてくれたからこそ、今があるのです。これだけは確実です。
これからは、思うことを思うようにやって行きます。これまでもそうしてきましたが、更に純度を高めて思うことを思うようにやって行きます。あまり経済は伴わないので、派手な活動は出来ないかもしれませんが、どこまでも自分らしい形でやるのが、やはり一番しっくり来ます。そのためにも初心という港に今一度帰る事が必要ですね。
初心の頃輝いていた玉を、今こそ磨く時が来ているようです。
PS:もう一人、気になる人が居ます。それは平経正。何故かいつも気になるのです。