秋月賦2018

今週はいよいよ、あの田原順子先生をお招きして日本橋富沢町樂琵会をやります。田原先生は私が琵琶で活動を始めた最初の時に声をかけてくれた先輩でして、それ以来何かと声をかけていただいています。先生は、オリジナルな活動で琵琶楽の最前線を担ってきた、正にパイオニアとも言うべき存在。

私が今、こうしてオリジナルの楽器を作り、独自の活動が展開できるのも、田原先生のような先駆者が居たからです。私と田原先生とでは、全く演奏スタイルは違いますが、琵琶の最前線という点では、とても共通するものを持っています。まだ活動がどうなるかわからない最初の頃に、こうした先輩にめぐり合えたのは実にラッキーな事でした。心強かったですね。
いつか御一緒したいとずっと思っていましたが、昨年末、田原先生に出演を打診したところ、快く引き受けてくださり、あれからちょうど一年、やっと実現するという訳です。

田原先生と私がジョイントで演奏をするなんて事は、先生と初めてお会いした20年前は考えもつかないことでしたが、今、こうして共演の機会が近づいてくると、何ともいえないものが込み上げて来ますね。
このところ、活動を始めたころの感覚が次々に甦ってきているのですが、今回の共演もその一つなのだと思っています。滅多に聴けないスペシャルな企画。是非是非お越しくださいませ。

18日木曜日19時開演です。

日本橋富沢町樂琵会にて

最近は色んな部分で自分を取り巻く変化を感じています。身近なところでは、先ず食の好みが変わりました。あまりお酒を飲むほうではありませんが(?)、最近は呑むのはもっぱら洋酒(主にウイスキー)。20代30代の頃の好みに戻ってしまいました。食べ物も少しづつ変わってきて野菜中心になり、小麦粉や卵、甲殻類や生魚、鶏肉の摂取もかなり減りました。貝はよく食べます。何故なんでしょう・・?。
音楽面では、より自分らしくなってきて、弾き語りはどんどんとレパートリーから消えて行ってます。今回は「経正」を弾き語る予定ですが、こういう弾き語り曲をやるのも、これからかなり減ってくると思います。

阿佐ヶ谷ジャズストリート2017-2何か一区切りの時期なんでしょうね。まあ自然の流れに身を任せているので、なるようになると思っていますが、私は作品を創り、それを演奏して、私の世界を表現するのが仕事。より自分らしいものが出て来て、自分の表現すべき世界が明確になってきているのは、良いことだと思っています。
また最近は私の音楽的原点でもあるJazzにも自由に接しています。ライブで聴くことも多くなりましたし、楽しみで演奏する事も多くなりました。今年も阿佐ヶ谷ジャズストリートに参加するのですが、その他にもライブハウスで演奏したり、ジャズミュージシャン達と付き合いの場が広がっています。

これからの曲創りについても色々な構想が沸いて来ていますし、これからの活動にこそ、私の本来の姿が素直に出てくるのではないかと思っています。元から肩書きもしがらみも無いので、私自身の心がより開放されれば、どんどん自分らしくなって、自分の表現する音楽が形を現してくるのは当然のこと。
日々多くのものと出会い、また別れもありますが、今、私が自分の向かうべく所に向かっているのだな、という実感があるのです。

写真がなくて残念ですが、先日の鎌倉アナン邸での演奏の夜は、三日月が朧に輝いて、なんともいえない風情を演出してくれました。何のけれんも無く、自在にその姿を変え、与えられた所で存分に輝く月の姿は、自分の一つの指針のように思えます。

これからが楽しみです!!。

風を見る

東洋大学での特別授業、豊田市「てぃいだカンカン」での文弥人形との共演、そして定例の琵琶樂人倶楽部と立て続けにやってまいりました。

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上:左 佐渡の文弥人形「猿八座」の方々と、右 東洋大学での特別授業にて、
下:左 琵琶樂人倶楽部 平曲の津田さん、右 オリジナル筑前琵琶の小二田さんと愛子姐さん
東洋大学はこのところ御縁のあるところなのですが、今回は学生に向けての授業という事で、琵琶の歴史に日本の歴史を搦めて、ざっとですが説明させてもらいました。学生達は皆とてもフレッシュで、中にはジャズ研に入っている生徒もいて、何かと話も盛り上がりました。
豊田の会場は小さなスペースではありましたが、二回公演で二回とも満席。お客様の反応も結構なものがありました。猿八座とは初めての共演でしたが、この形には可能性を感じますね。人形の表情の豊かな事!。人間の役者よりもずっと身に迫るようなリアルさで語りかけてくれます。また是非共演してみたいですね。

先日の京都もそうでしたが、最近何か風のようなものを感じます。それもとても新鮮で新しいさわやかな風を感じるのです。

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1stCD「Orientaleyes」2ndCD「MAROBASHI」

最近は目まぐるしいほどに仕事に追われていますが、ほとんど弾き語りはやっていません。思う形になってきたことで、妙なストレスも無くなり、本来の水を得て、泳ぎ回っているという気がします。琵琶で演奏活動を始め20年、ようやく一巡したのか、1stアルバムの「琵琶に可能性しか見ていなかった」頃と同じような風が自分を取り巻いている、そんな感じがしているのです。やはり私の音楽は器楽に極まるのでしょう。
自分で弾き語ると、どうしたって声に意識が行ってしまうし、声で表現しようとしてしまう。琵琶奏者は琵琶で表現出来てナンボ。声に寄りかかってはいけません。歌で表現したのなら、歌手として歌に専念すべきです。中途半端では魅力ある音楽は創れないので、やはり私は器楽に重きを置いてゆくこのやり方が合っているようです。

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若き日 京都清流亭にて
何しろ琵琶のこの音色をもっと聴かせたいですね。声は素晴らしい歌手や語り手が沢山いるので、私は琵琶に専念して、この妙なる音でリスナーの心を揺さぶる位の演奏家になりたいです。私が20年舞台活動して来て思うことは、リスナーの方も演奏家も、「珍しい楽器」というところで終わってしまっているという事。つまり音楽を聴いていないのです。
琵琶という楽器が珍しい飛び道具のようなものではなく、素晴らしい音色を湛えた素晴らしい楽器であり、且つそこから魅力ある、人を惹き付けてやまない、そんな楽器であって欲しい。それをやるのが私の仕事なのです。その為にはリスナーが最初に琵琶に対して漠然と抱くイメージの数段上を行くような音楽を演奏する事。決して上手やお見事という、旧い価値観で演奏せず、またリスナーのイメージに媚びるような予定調和の演奏をしない事。これに尽きます。先ずはなんと行っても魅力的な曲でなければ人は聴いてくれません。

私はJpopはあまり聞きませんが、スガシカオさんや中村中さんの曲は結構好きなんです。何といっても歌詞が素晴らしい。あの声と、他には無い独特のメロディーで歌われると、もう曲が流れ出したとたんに、彼らの描く世界に誘われて、すっと世界に入ってしまうのです。
私の音楽性とは全く違うのですが、琵琶でもあれくらい人を惹きつける曲が出来ないものかな~~と何時も思います。大声出して、こぶし回して、旧態然とした~今の世の中に到底理解されないような~価値観をうたっている音楽をやっているのは、私には全く理解ができません。

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舞台「良寛」にて

琵琶と声は中世以降密接な関わりがあります。私は器楽を第一に追及しますが、同時に声に関しても、今迄の琵琶歌のあり方を根底から覆して、琵琶と声との新たな関係を創り上げたいと思っています。
実はこれから声を使った四季を寿ぐ作品を、とある方と組んで作曲する予定なのですが、歌をメインにするのではなく、器楽の中に声が入るという形になります。あくまで歌ではなく、楽曲として琵琶の音色が生きるものにしようと思っています。感性も内容も普遍的に幅広い世代に通じるものを専門家にお願いしています。
琵琶の歴史をみれば確かに言葉と共に在ったのですから、言葉を軽んじることはできません。しかし言葉に寄りかかり、魅力的な音色が出せないのでは琵琶を弾く意味がありません。こちらは来年の秋ごろをめどにお披露目をしようと思っています。乞うご期待!。

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この風が私には目に見えるような気がするのです。20年前も風を感じましたが、20年経ってまた吹き来るこの風は、もう少し優しく、且つ揺るぎなく、聴く人を包み込んで豊かさを運んでくれるように感じます。この風は私が待ち望んでいた風であり、また自分自身の身体に元々吹き渡っていた風のような気がします。この色というのか、温度というのか、匂いというのか、表現は難しいですが、この風を身に感じ、今私の視界に見えているという事は、とても素敵な事なんだろうと思うのです。

響く声 渡る音

京都烏丸今出川にある光明寺にて、声明と邦楽の演奏をやってきました。このお寺は御所のすぐとなりにあるのですが、いわゆる観光寺ではないので俗な感じが無く、すっきりと気持ちの良い御本堂でした。ご住職は声明の指導者として全国で活躍されている方なのですが、何度もお世話になっている滋賀の常慶寺さんの関係で、常慶寺演奏会は元より、5月の百万遍知恩寺での演奏会にも駆けつけてくれて、今回の演奏会を企画してくれました。

滋賀 常慶寺での親鸞聖人御遠忌法要記念演奏の時の様子
今回は第一部が声明、第二部で私と笛のいつもの相方 大浦典子さんと邦楽の演奏をするという内容。今回は九州や広島、名古屋そして関東から住職のお弟子さんたちが駆けつけ、彼らの朗々とした声明が響き渡り、堂内はすがすがしい気に溢れた空間となりました。
真宗の声明には雅楽が付くので、今回は笙・篳篥・龍笛の方も来て40分ほどたっぷりと声明を聴かせていただきました。以前滋賀の常慶寺や還相寺でも私と笛の大浦さんとで、声明に合わせて楽をつけ、親鸞聖人御遠忌法要記念の演奏をやったのですが、声明と雅楽はいい感じで合うのですよ。

「真宗大谷派の声明は声が大きく、オペラで言えばイタリアオペラのようです」と御住職が紹介していましたが、今回は若手のお坊さんたちが、目一杯声を上げてやってくれましたので、正に華やかで、且つけれんの無い、清い声々が饗宴していました。倍音がビンビンと聴こえてきましたよ!。

福島 安洞院にて能楽師の津村禮次郎先生と

こういう演奏会は本当に好きなんです。邦楽はともすると「芸」に陥ってしまい、マニア向けの中途半端な形で終わってしまうことが多く、個人的なお楽しみの世界に入っているものが多いのですが、今回の声明には、そんな中途半端な演奏家意識が無く、またレベルも高くとても新鮮でした。あくまで仏道の一環として、精魂込めて歌うという姿勢には、声明を歌うことに対しての喜びが溢れていました。音楽家もそうでありたいですね。
どんなジャンルでも、アーティストは自ら作品を作って、それを披露して評価を頂いているのです。文学も美術も芸術といわれるものは皆、創り出しています。古典をやっても、ただなぞっているだけではなく、研究を重ね、明確な視点と哲学を持って取り組んでいるからこそのアーティストなのです。「お見事」な芸を披露している訳ではないのです。ここが邦楽人の意識と芸術家の意識が一番ずれているところですね。
声明を聴いていて、もっともっと音楽を創ってゆきたいなと思いました。笛の大浦さんとはこれまでも沢山の曲を創ってきましたが、都の秋風に当たりながら、あらためて今後も新作を創り演奏して行こうと話が弾みました。
今年は私が薩摩のCDを出した事もあって、Reflectionsコンビの演奏会がなかなか出来なかったですが、来年はまた新作を引っさげて色んな場所で演奏して廻りたいです。

今回も終わってからは大宴会。二次会にも参加してカラオケを歌ってきましたが、さすが毎日お経と唱えているお坊さんたちは声が良いですね。
京都ラ・ネージュにて

さて、ここ秋はなかなかの大忙しです。明日土曜日は東洋大学での特別授業。続く連休は豊田市にて、文弥人形の猿八座との共演。戻ってすぐには琵琶樂人倶楽部の第130回定例会、静岡の伊東市、鎌倉のアートフェスと立て続き、18日は第16回日本橋富沢町樂琵会。今回はいよいよ満を持して、筑前琵琶の田原順子先生をお呼びして、薩摩筑前の聴き比べの会を開催します。その後も埼玉のお寺での公演・・・とどんどん続きます。またその合間を縫って、久々にジャズのライブハウスや地元阿佐ヶ谷のジャズフェスティバルでも演奏するので、横になっている暇が無いです。ありがたいことですね。
魅力ある音楽を創って行きたいのです。

秋雨の頃2018

すさまじい台風でしたね。今年は台風や地震が相次ぎ、その被害も甚大となっていますが、日本の風土だけでなく、今までの価値観や感性が通用しなくなり、日本社会そのものが変化をしてゆく途上にあるような気がしています。大変な時代となりました。どの分野でも、今後の10年20年を見据えるような視野が必要ですね。

とはいえ日々の暮らしに振り回されている身としては、夏の暑さから解放され、涼しくなってこれから体が自由になる感じがしています。先日、伎芸天の姿に接してから、気分の方もぐっと落ち着いてきました。

2018「二つの風出会いコンサート」s
京都光明寺公演の手作りチラシ

毎年この時期は、面白い仕事が来る時期でもあります。それまでやったことの無いような仕事や、行ったことの無いような場所での公演が必ず毎年入るのです。
今年も月明けには京都烏丸今出川の光明寺さんにて、声明と琵琶&笛という企画の演奏会があります。そのすぐ後には東洋大学での文化講座、そして佐渡の人形浄瑠璃「猿八座」との共演、さらに極楽寺稲村ヶ崎アートフェスティバルでは、アナン邸での演奏もあります。また月末には毎年恒例の地元阿佐ヶ谷のジャズストリートというジャズフェスがあり、今年はひと時琵琶奏者という自分を忘れて、一段とはじける予定です!。
seingakubiwaH氏がいつも弾いていた琵琶
この時期はまた変化の時期でもあります。仕事の内容が変わってくるのもこの時期ですし、人とのお付き合いも変化して行くのがこの時期なんです。不思議なのですが、初秋を境に少しづつ変化して、年明けには別の形で新たな仕事が始まって行くのが常なのです。

ここ10年程の時間は私に大きな変化と充実をもたらしました。自分の中のポジティブな面はより大きく歩みを進めた一方、ネガティブな面も浮き彫りになり、正に学びの10年だったと思っています。その10年という時間を導いてくれたのがH氏です。5年前、氏が突然に虹の彼方へと旅立ったこの時期は、やはり何か一つの終わりと新たな始まりの季節として、私の中に定着しています。

「はからい」とはよくここで書くことですが、大いなる存在を何かしら感じるようになったのも、H氏の影響が大きいですね。自分のこれまでを考えると、この「はからい」を感じずにはいられない、というのが正直な所なのです。
私は仏教の哲学性や、世界観には元々とても興味があったので、仏教に詳しかったH氏の言葉はすんなりと入って来ました。よく原始仏教の話などを聞かせていただきました。ただ私はパワースポットなどといって神社めぐりをするような、その手のマニアの感覚は全く持って無いので、先日の伎芸天を見ても、自分の中であれこれ感じることはあっても、仏像や神社仏閣に対し盲目的にすがってありがたく拝むようなことは一切しません。どれだけ有名なお寺であろうと、権威権力に対してへつらうような姿勢は持ち合わせていません。そんな私のスタイルも、H氏はすんなりと受け入れてくれたのです。
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5年前の私 光が丘美術館演奏会にて

人は、何を考え、どこを見ているかで、まるで変わってしまうものです。同じものを見ても、感性が違えば全く違うものに見えます。また人の姿も、感性によって、服装から目つきから、姿勢体型まで変わってしまう。自分は自分だと思っていても、その「自分」にまた囚われて、振り回され、本来の自分の在り様が見えなくなってしまうものです。
私は、自分が思うように、欲望のままに生きてきたように感じていましたが、H氏に出逢って、自分を取り巻く鎧に気づかされました。憧れやら上昇志向やら、本来そんな鎧は背負わなくてもよいのに、いつしかそうした鎧を自ら着せてしまう。人間は業からはなかなか逃れられない生き物なのでしょうね。年を経るごとに、人間の心とはかくも脆いものかと感じます。

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初秋の秋篠寺と采女祭(猿沢池)

5年前、H氏のお葬式の日は、朝からずっと霧雨のような雨が降り続いていました。それはどうしてもH氏の死を受け入れることができず、現世の想いを断ち切れない自分の心に降り続く雨のようでした。5年が経って、自分のやり方で歩んで行けるようになりましたが、H氏によって気づかされた多くのことは、今でも大切な記憶として私の中に息づいています。こんな経験を通して年を重ねていくんでしょうね。

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H氏に連れて行ってもらった、千葉香取市にあるスリランカの仏教寺院 蘭花寺

この秋はまたきっと何かを私にもたらしてくれることでしょう。それによってまた私は次のステップを踏み出して、新たな曲を生み出して行くと思います。

古仏の微笑みと朧月

今週は、関西にちょっと用事があったので、ついでに奈良にも寄ろうと思って行ってきました。奈良にいる間に、次の東京での用事がキャンセルになったので、そのまま奈良~京都・金沢経由~高岡~富山~長野~松本とぐるりと廻って帰って来ました。

興福寺と朧月

実はこのところ私の周りで「伎芸天」の話題が盛り上がっていて、何だか無性に気になっていたんです。伎芸天といえば秋篠寺ですが、今回の奈良行きはその伎芸天に逢いに行こうということで思いついたものでした。考えてみれば秋篠寺にはもう15,6年行っていないので、今回は何かのお導き??という感じで行ってきました。

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左:秋篠寺の苔むした庭  右:御堂外観

行った日の朝早く雨が降ったせいか、境内はとても静謐な雰囲気で、参拝の方も誰もおらず、しっとりとした静寂が漂っていました。境内の庭はびっしりと苔むしていて、足を踏み入れただけで清浄な空気に包まれるような感じがしました。
奈良はもちろんのこと、どこにも国宝級の有名な神社仏閣はありますが、観光客目当てのお店が並び、みやげ物の売り子が待ち構えているような所が多い中、秋篠寺はそういう俗なものが一切無く、私の思い描く清潔で、静謐で、ゆったりとした気に満ちたお寺の姿そのものなのです。

静寂の中、長いこと伎芸天の前に佇んでいたら、いつも何かと戦ってしまう自分の心の弱さが見えてきました。自分に揺るぎ無いものがあれば、ちょっとしたストレスがあっても、それに囚われイライラしたり、戦おうとしたりする必要は無いのです。つまりは揺るぎないおおらかな心を見失っていたということです。これ迄自分一人で何でもやってきましたが、それ故、心が硬直していたのでしょう。良い気付きを頂きました。

何かすっきりとした気分でホテルに帰ってみると、メールが入っていて、東京での仕事が無くなり、2日ほど丸空きになりました。それじゃあ「乗り鉄」の本領発揮という事で、次の朝早く京都に出てサンダーバード号に乗って、琵琶湖を眺めながら一路金沢へ。金沢はもう何度も歩いているので、食事をしてすぐに在来線に乗り換えて高岡へ直行しました。
高岡は地味な町なのですが、旧い町並みが残っていて、いつかゆっくり歩きたいと思っていた街なのです。JRの大人の休日倶楽部のCMで見た方も多いかと思いますが、派手さは何も無いのですが、静かで良い所なんですよ。

高岡小百合チェアー2

歩き回るのも疲れた頃、アンティークなギャラリー喫茶があったので、珈琲を飲みに入ったところ、そのお店で某大女優がJRのCMを撮影したとのこと。お客さんが誰も居なかったこともあって、私はその大女優が座ったという通称「小百合チェアー」に座らせてもらって、ゆっくりしてきました。

夜は富山に泊まって、次の朝早く長野へ。長野では、故 香川一朝さんと最期の演奏会をやった、かるかや山 西光寺へ参拝。もうあれから8年も経ったかと思うと、感慨深いものがありました。
昼前には松本に向かったのですが、ここから「乗り鉄」心が一気に盛り上がりました。長野から「篠ノ井線」という在来線に乗ったのですが、これがもう最高なのです!!。この線は以前にもレポートした小海線と共に、とても標高の高い所を通るのですが、なんと言ってもハイライトはスイッチバックをする「姨捨」という駅。ここは古今和歌集に始まり、謡曲の題材ともなり、芭蕉にも

俤(おもかげ)や姨(おば)ひとりなく月の友

と詠まれた絶景の場所。姨捨は棚田が有名ですが、「田毎の月」と古来より詠われてきた名月の里でもあります。この駅ではスイッチバックをするために何分か止まることもあって、この眺めを見るために篠ノ井線に乗る人も少なくないと思います。いや~素晴らしい眺めでした。今度は月を眺めに、夜乗ってみたいですね。

松本城
そして最後は松本の街へ行きました。松本も旧い町並みが残っていて、お店も古くからのご商売のお店がまだ健在なので、居心地のよい街なのです。高岡のような地味で静かな所ではありませんが、都会の姿と旧い街が良いバランスで共存している素敵な所だと思います。

また今回の旅では、行った先々で良い感じの店に当たりました。最近お酒の好みがすっかり30代の頃に戻って、もう洋酒一本やりなのですが、どの街でも美味しい料理と旨い酒にありつきました。特に奈良で見つけた三条通にあるCOCK-TAILというお店は、私好みのウイスキーと、ちょうどいい感じのイタリアン系の料理のレベルが高く大満足!!。今度また奈良に行く時には寄らせてもらいます。
旅をすると日常から開放されますね。たった数日間なのに、色々な街を見て、歴史を感じ、人と出会い、普段と違う時間を過ごすことが出来、結果として自分を見つめ直すことができます。東京に戻ってきても、日常が新鮮に感じられます。伎芸天に逢いたいという衝動が、ここまで旅を延長させて、多くの体験を与えてくれたのかもしれません。
そして今回の旅では雨にあうこともなく、毎晩、朧月が見えていました。煌々と輝く月も素晴らしいですが、朧月はまた格別です。月に叢雲がかかるからこそ、その美しさを心に感じられるというもの。自分の人生も紆余曲折があるからこそ、かえって自分本来の心の在り様が実感できるのかもしれません。
古仏の微笑みと、叢雲のかかる朧な月が、私に大きな癒しを与えてくれました。

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