師走の風2018

10月日本橋富沢町樂琵会にて
世の中は年が押し詰まると共に盛り上がってきますね。私も毎年早めに仕事納めになるので、忘年会に日々いそしんでおります。

今は、ゆっくりとこの一年を反芻しているのですが、器楽としての琵琶楽という点は、今までになく充実してきた感がありますね。牛歩の如くではありますが、少しづつ薩摩琵琶における現代曲のレパートリーも増えてきて嬉しい限りです。また今後は樂琵琶においても、現代曲をどんどんとやって行こうと思っています。

実は先日の日本橋富沢町樂琵会では、樂琵琶で一番最初にリリースしたCD「流沙の琵琶」に入っている拙作「凍れる月」を演奏し、津村禮次郎先生に舞ってもらったのですが、この「凍れる月」は私の樂琵琶の作品でも唯一といえる現代作品なのです。
先日は津村先生の絶妙な舞いが入った事によって、今迄この曲に抱いていたイメージが更に明確になって、樂琵琶に新たな一つの道筋を感じました。雅楽~シルクロードという部分ではなく、樂琵琶の現代曲という分野に踏み出したい、と言う気持ちが湧いてきたのです。考えてみれば薩摩琵琶ではどんどんやっているのですから、楽器が変わろうと、自分の行くべき道は同じはず。この「凍れる月」は樂琵琶を手にした最初の頃のとても素直な私の感性が創り出したもの。今こそもう一度その原点に戻り、もっと自由に樂琵琶に於いても現代という視点で関わってゆきたいのです。雅楽~シルクロードというのは勿論私の一貫した一つのテーマなのですが、これからは樂琵琶に於いてまた新たな分野も切り開こうと思っています。樂琵琶の音色と存在感でなければ成し得ない、独自の世界を創り上げたいですね。

年を追うごとに、音楽以外のところから学ぶ事が多くなりました。他の芸術ジャンルはもちろん、武道からも、ビジネスマンの話からも深く感じ入るものは多々ありますね。つまり世の中にある事柄は、皆つながっているということです。日々色んな人に逢い、様々な話を聴くにつけ、そう思えて仕方が無いのです。自分の周りには無数のヒントがあり、音楽を創り出すチャンスが常に存在している。そんなことを感じた一年でもありました。

来年の後半にはまたアルバムを創りたいと思っています。まあ資金やら何やら実現まで漕ぎ着けるかどうかわかりませんが、じっくり進めてゆきます。ヴァリエーション豊かなものにしたいですね。現代における琵琶楽の姿を表現したいと思います。そして次回からはCDというものは作らず、アルバムとしてネット配信のみの形になると思います。これも時代ですね。

津村禮次郎先生と日本橋富沢町樂琵会にて

今年のまとめはまた改めて書きますが、とにもかくにも次に歩むべき道が見え、具体的な構想が既にあるというのは実に良い状態です。課題は山のようにありますが、まだまだ先に進んで行ける。そんな実感を持っています。また来年が楽しみになってきました。

極めるということ

先週はずっと演奏会続きでしたので、ちょっとご無沙汰になってしまいました。年末はやはり何かと盛り上がりますね。日本橋富沢町樂琵会では今年も津村禮次郎先生をお招きして、拙作「凍れる月」で舞っていただきましたが、さすがの存在感で、素晴らしい空間が出現しました。また今回はフルートの久保順さん、筑前琵琶の平野多美恵さんにも助演をお願いしましたので、華やかな会となりました。

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上:津村先生の舞(右手には花柳面先生のお顔も photo 新藤義久)
下:左より平野多美恵さん、音楽プロデューサーの小浦瞭子さん、久保順さん、私

今年は本当に多くの仕事をさせてもらいました。年を重ねるごとに色々と仕事が増えて行くのは喜ばしい事ですし、充実した仕事が出来るというのは音楽家としても自信がつきます。是非来年も更なる飛躍を期待したい所ですが、やればやるほど気をつけているのはクオリティーです。
作品としてのクオリティーと、演奏としてのクオリティー、共に高くないと音楽として結実しないのです。クオリティーをどう上げて行くか。そこにその人の器が発揮されます。エンタテイメントにするのか、アートにするのか、舞台全体の質をどう高めるのか、・・・。色々な方向性がある中でどこを向いて自分の世界として結実させて行くか、正に器やセンスなど、音楽家としての質が問われているのです。
薩摩琵琶はいわゆる古典では無いので、少なくとも大正昭和の軍国の時代に出来上がった流派の曲をお見事に弾くことだけは、私にとってありえない方向ですね。

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琵琶樂人倶楽部にて、古澤月心さんと掛け合い琵琶
11月半ばからは比較的時間がありましたので、これまでのレパートリーの見直しを徹底的にやっていました。中には大きく弾法や節を変えた曲もあるし、器楽曲も何度も何度も譜面を書き直し、タッチを考え、表現を変えたものもあります。足したり削ったり、こつこつと極めて行く姿勢を常に持っていないと、クオリティーは上がって行きませんね。

特に習ったものというのは「こうでなければならない」という気持ちが自然と出来てしまい、何故その節なのか、何故そう弾くのかという問いかけをしないままに、盲目的に「こうだ」と思い込んでしまいがちです。時代と共に感性は変わっているのに、思考を停止して習った通りにやるのが良いと思い込んでしまう。また自分で作ったものでも、とりあえず形になると、それなりに満足してしまって、そういった根本的な問いかけを自らしなくなり、出来上がった曲を上手に弾くことばかりに気を取られてしまいます。
こういう姿勢では音楽は深まって行かない。音楽は常に時代と共にあってこそ音楽として成立するものですし、たとえ何百年立った古典曲であれ、今この時代に演奏する意味を演奏者自身が持っていないとただのお稽古事になってしまいます。だから作品としても、演奏としても、常に何年もかけて色んな視点で自分の演奏や曲を見直し、手直ししてこそ深まるのです。

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日本橋富沢町樂琵会にて
先ずは現世に背を向けて、オタクのように閉じこもらない事。そして世に溢れる様々な芸術に触れ、考えて、感じて、勉強して自分で自分のスタイルを見つけ出して、それを創り壊し直し・・・。それを死ぬまで続けて行くのが音楽家。それをしない限り、技芸としての精度は高まっても、音楽としては深まって行きません。
私は自分のやるものをもっともっと深めて、自分の世界を明確に表現したいのです。音楽をやっている人は、同じ音楽家同士で、どっちが上手いとうような比較をどうしてもしたがるものです。その気持ちはよく判るのですが、リスナーはそんなところを聴いてはいない。そんな小さな世界から抜け出して、音楽家として舞台人としての意識を持った人だけが、音楽を生業として生きて行けるのです。

塩高トリオ
昨年末、日野先生と笛の大浦さんと、リブロホールにて
先週はフラメンコギターの日野道夫先生との小さなジョイントライブもやったのですが、良いお話を聞きました。日野先生曰く「プロとして活動している以上、確かに売れる売れないということは大事だけれども、それよりもギター(琵琶)を弾いて生きて行くんだという決心が持てるかどうかが大事だね」さすがアンダルシアでジプシーと生活を共にしてきた先生ならではの言葉だと思いました。琵琶ではなかなかこういう人は居ませんね。

先ずはこういう精神を持てない限り、クオリティーを高めるも何もありえません。人生どうなってゆくか判りませんが、どうなったとしても、自分はこの道で生きて行く。その気持ちがあれば、音楽も極まって行くことでしょう。

まだまだ私は自分の音楽を極めて生きたい。もっと洗練したものにして行きたいし、創造もして行きたい。キリが無いですが、こうした活動を止める時は、音楽家として生きるのを止めるという時だと思っています。
来年も楽しみです。

年末雑感

12月に入り年末らしくなるかと思ったら、妙な天気が続き、なにやら不穏な感じがしますね。このところの異常な気象はどうも気になりますね。来年が平穏無事であると良いのですが・・・。

昨年12月の日本橋富沢町樂琵会にて、筑前琵琶の平野多美恵さんと

今週末からどどっと演奏会が詰まっていまして、色々と観て廻るのは今しかないという訳で、先週今週は仲間のライブやらベテランの舞台、そして映画といつになく観て歩きました。日本の古い映画はあらためて観るとよく出来ていますね。お金も手間もかかっていて、役者も粒ぞろいで素晴らしいクオリティーでした。これからは日本のものも積極的に観て行こうと思います。
また同世代の仲間や若手の演奏も少し聴きに行きましたが、いずれも好感が持てるまっすぐな演奏でした。こういう仲間達が順調に活動を続けていけると良いですね。多々苦労はあると思いますが、現実に負けずがんばって欲しいものです。かと思えば一番高い値段を取っているベテランの舞台にどうにも不満が残ったりして・・・、色々と勉強をさせてもらっていました。

鎌倉其中釜サロンにて 撮影:川瀬美香
やはり舞台はその大小に関わらず、その人そのままが見えてしまうんだな、とあらためて思いました。レベルが上がればあがるほどクオリティーを求められるし、器も問われるというもの。演目一つ、共演者一つ、衣装一つ、演出一つ、どれをとっても、そこに明確な意思があり、必然がないと妙な作意を感じてしまうし、どこか甘さがあると、レベルの高い人ほど目立ってしまいます。
普段は自分があの舞台の側にいることを思うと、観客の視線の厳しさをひしひしと感じますし、更に身を引き締めていこうとあらためて思いました。

私は琵琶奏者として活動を始めた最初から、ダンス系(日舞~能~クラシックバレエ~モダンダンス~舞踏eytc.)と毎年公演をしていて、自分でも身体表現に関心がどんどん高くなってきました。来年も既に二つ決まっていますが、このところ演劇系の方とのお付き合いがまた一段と増えてきて、今後が楽しみです。
演劇系の方と話をして居ると、皆さん舞台全体を見ている事がよく判ります。音楽家はともすると、1曲を上手に弾こうとする意識に凝り固まって、舞台全体を考えられない人が多いのですが、それではリスナーはもう納得しないでしょう。お上手さを聞かせようとするのは所詮お稽古事でしかありません。

CD「まろろば」ジャケット
先日お亡くなりになった上原まりさんと、もう随分前に御一緒させてもらったことがありましたが、やはり上原さんは舞台全体に目が行き渡っていて、見事な舞台運びでした。私はその頃、まだ自分のレパートリーを格好良く弾くことばかりに気を取られていて、今思えば全くなっていませんでした。その時、上原さんの姿にプロというものの矜持を感じたのを、今でも覚えています。

どんな所でも舞台全体視野に入れてやって行きたいものです。

このところ色々とアイデアが出て来て、曲も出来上がってきています。これ迄作曲してあまりやってこなかった曲もあらためて手を入れて、いい感じになりましたので、来年からの舞台のプログラムもより充実してくる事と思います。

さて、明日はお世話になっている神田音楽学校のクリスマスパーティー&発表会。明後日は古澤月心さんとの年末恒例「蕎麦道心」での年越しライブ、日本橋富沢町樂琵会、琵琶樂人倶楽部の他、フラメンコギターの日野道夫先生とのジョイントライブなど、連日の演奏会で今年最後の大忙しとなります。いずれも大きな演奏会ではありませんが、日本橋富沢町樂琵会では能楽師の津村禮次郎先生をお迎えして、拙作「凍れる月」で津村先生に舞っていただきます。新しいアレンジでの久々の再演となりますので、気合を入れて充実した内容にしたいと思っています。

今年もいい感じでお仕事させてもらいましたが、最後の締めもばっちり決めたいですね。舞台全体を入れた大きな視野と器を持って来年も挑みたいと思います。是非是非御贔屓に。

移り行く季節

181202_155240今年は鎌倉などでは、あまり綺麗な紅葉が見られないと聞いていましたが、先日、九段下の近くに用事で行った時、北の丸公園を通り抜けたら、実に素晴らしい紅葉に出会いました。
深まり行く秋というものは何とも風情がありますね。春も勿論ですが、こうして季節が移り行く様は、本当に詩情を掻き立てられます。やはり日本の音楽はどこまでも自然と共に在り、日本人もまた自然の一部として生きているんだな~~と毎年感じる事が出来ますな。この感性が和歌を生み、平安文化を創り上げ、中世へと引き継がれていったんでしょうね。能や茶道、華道など現代の日本の文化の根幹となっているものは、皆この感性の上に成り立っていると思わずには入られません。古の歌人も紅葉を愛で、和歌を詠み、心を豊かにしたんでしょう。この感性が現代迄受け継がれ続いているということに、ロマンを感じますね。

私は一年を通して、大体毎週どこかで演奏しているのが常なのですが、時々ふと演奏会が一週間~十日無いという時が数ヶ月に一度位あります。こういう時が自分にはとても必要で、この余裕があるからこそ、紅葉や春の花や空や雲など、自然に接して感性が広がるのです。常に追われているばかりでは愛でるどころか、気がつきすらしませんからね・・・。

楽器も同じで、愛でてあげるくらいの時間がないと、こちらの感性には答えてくれません。私の楽器が常にベストコンディションでいられるのは、ゆっくりメンテしてあげる時間があるからです。楽器は演奏家にとって命ですから、たっぷり愛情も手をかけてあげないとね!!!。

IMGP0422これは石田琵琶店の3代目の作品。私の琵琶の製作やメンテナンスをやってくれている石田克佳さんのおじいちゃんの作。大正時代との事です

先週も珍しく演奏会が十日間程無く、時間がありましたので、早速楽器の調整を片っ端からやっていて、サワリはもちろんの事、柱をはずして音程や高さの調整をしたり、糸巻きの密着具合を確かめたりしてたっぷり「愛でて」あげました。今回は特に中型と標準サイズの調整をしましたが、写真左の標準サイズが、結構良い感じに仕上がりましたよ。ビュンビュン鳴るようになりました。

その他はレパートリーの譜面も総点検して、楽譜の書き直しにも時間をかけます。普段やっていていると、「ここのタッチを変えてみようかな」「ここのアレンジ変えてみようかな」という小さなアイデアが結構溜まって行くので、そういう小ネタを片っ端から実践してブラッシュアップしているという訳です。

新作としては、最近は笛と樂琵琶の小品1曲と、短い樂琵琶独奏曲を先月仕上げました。この独奏曲はもう少し発展させて、今までのオリエンタルムードではない、幻想的な現代作品に今後仕上げて行くつもりです。他にも幾つかアイデアがあるので、それらを具体化して、来年末にはまたアルバムを録音したいと思っています。今後はCDの制作をやめて、配信のみになって行くと思いますが、どんどん創って行きたいと思っています。特に薩摩琵琶の独奏や他の楽器とのデュオ曲などをもう少し創りたいのです。

鶴田錦史1来年の活動についても色々と考えています。戦略というほどの大げさなものではないのですが、思う形で活動を進めて行くには、計画を立てるのはとても重要。演奏会ごとに、求められる曲も違えば、共演者も様々。しかしどんな演奏会であっても、全てに於いて私の音楽が鳴り響かなくては、私がやっている意味がありません。
私は日本橋富沢町樂琵会と琵琶樂人倶楽部という二つの定例会を主催しているのですが、両方とも1年間のスケジュールを前年の10月までには決めます(出演者も内容も)。琵琶樂人倶楽部は年に12回、日本橋富沢町樂琵会は年に5回の計17回の演奏会を1年以上前に決定しているのです。もちろんゲストの方にも連絡を取って承諾を頂き、前年の11月には次の年の一年間のスケジュールが入ったチラシを配り始めます。

スケジュールでもコンテンツでも、先ず自分でやれることを把握して、何をどうやれば自分の音楽が伝わるのか、じっくり考える事が必要です。かの鶴田錦史師は、「才能なんて関係無い。自分の全てが武器になる位でないと」と言ったそうです。少しばかり上手だとか、才能があるとかそんなことではなく、その人の顔も姿も下手も上手いも、何でも丸ごとがその人の武器、つまり自分の全てを魅力として輝かせることが出来るかどうかということだそうです。さすが鶴田先生らしい名言だと思います。

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ジョージアの首都トビリシにあるルスタベリ劇場にて

活動を続けていると、どうしても目の前の事に囚われて、ただ一生懸命になるだけで、全体が見えなくなることがあるものです。一所懸命やっている自分に酔っているとも言えるでしょう。日本人は特に「上手」や「お見事」というのが大好きで、誰かのそっくりに歌えるとか、弾けるとか、そんなところを賞賛する傾向がジャンル問わず多いので、おだてられてうっかりそういう所を向いてしまうと、もう自分の音楽は響かない。先日もYoutubeで、往年のポップス歌手そっくりに歌う方が話題でしたが、大変上手だとは思うものの、物真似芸人にしか見えませんでした。それを楽しんでいる分には結構だと思いますが、物まね芸では世界は認めてくれないのです。世界とそのまま繋がっている現代では、視野の狭さは命取りです。プロではやって行けない。
私のような規模の小さい音楽でさえ、ネット配信を通じて海外から問い合わせが来るのが、現代という時代です。自分の発した音楽はそのまま世界を駆け巡るのです。
貴方は誰かのそっくりさんや二代目になりたいですか?。それとも他の誰でもない貴方の音楽を世界に響かせたいですか・・・?。
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北の丸公園

季節が移り変わるように、私の活動も刻一刻と世の中と共に移り変わって行きます。事にここ10年程のSNSの発展やネット配信によって、完全に世界に向かって発表して行くという意識に成らざるをえない状況になってきましたし、Youtube Musicなどの新しいサービスもどんどん始まり、その状況は日々更に発展し続けています。こういう世の中で活動しているという意識を持てるかどうか、そこがポイントですね。
私の琵琶楽に対する基本のスローガンでもある「器楽としての琵琶」という部分も、自分の中で大分徹底してきましたので、自分の作品をどんなプログラムで聴かせ、舞台全体を張って行くのか。そしてどんな形と方向で活動を展開するか、年を追うごとに、その器とセンスを問われているように感じます。

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皇居内の紅葉

今月も色々と演奏会が続いて、13日には前回書いたように、日本橋富沢町樂琵会で津村禮次郎先生との共演もありますので、あまりゆっくりは出来ませんが、年末には毎年演奏会がなくなるので、じっくりと腰を据えて、季節を楽しみながら、これからの自分について考えて行きたいものです。
豊かな音楽を創りたいですね。

古から現在(いま)へ、そして未来へ

今年も早、街にはクリスマスソングが流れ出しましたね。
年内はもう大きな演奏会はないのですが、日本橋富沢町樂琵会にて毎年年末恒例になっている、能楽師の津村禮次郎先生との共演が何といっても今年最後の大仕事です。

今年は拙作「凍れる月」で津村先生に舞ってもらうのですが、今回はいつもの相方 大浦典子さんの龍笛ではなく、あえてフルートの久保順さんに声をかけて、樂琵琶とフルートで演奏します。久保さんとは日本書紀歌謡の会でずっと御一緒していたのですが、今年の6月に東洋大学にて「方丈記」の公演があり、私の楽曲を久保さんと私が組んで演奏し、そこに津村先生の舞が乗るという舞台をやらせていただきました。これがなかなかいい感じで出来ましたので、自分の中の視点を変えるという意味も含めまして、今回はフルートと樂琵琶でやってみる事にしました。
昨年の津村先生の舞姿 Photo MAYU
今年は年明けにリリースしたCDで、Viの田澤明子さんに演奏してもらってから、ヴァイオリニストやフルーティストなど、洋楽器との組み合わせをかなりやりました。樂琵琶とヴァイオリンは、以前にも中島ゆみ子さんと組んでとても気持ちよかったのですが、本当に音色といい、バランスといい、実にしっくり来るのです。もうSiroccoや塔里木旋回舞曲などは、Viと組んで演奏する機会の方が多くなりました。来月の神田音楽学校の年末パーティーでは、フルートの神谷和泉さん(初共演)と組んで演奏します。
洋楽器と邦楽器・雅楽器では確かにその音楽は違うし、文化も違うのですが、実は核の部分では共通するものを抱えているように感じます。シルクロードを西に行くか、東に行くかで分かれて行ったと考えれば、やはりルーツは一つともいえますね。少なくとも私の作品を演奏する時に楽器の違和感を感じたことが無いのです。

これからはもっと積極的に、色んな楽器と組んでゆきたいし、そういう作品も創ってゆきたいと思います。
実は来月、津村先生に舞っていただく「凍れる月」はネット配信で海外、特に米国においてかなりダウンロードされている曲でもあります。ちょっと幻想的な雰囲気の曲なのですが、日本ではどうしても樂琵琶=雅楽というイメージが強いのか、「Sirocco」や「塔里木旋回舞曲」などの派手なアップテンポの曲以外は、なかなか認知されないのです。相方を洋楽器にすることで大分雰囲気も変わり、曲の魅力もアピールできそうですので、これからは邦楽器だけでなく、今迄の作品も洋楽器と組んでやってみようと思っています。
2019年日本橋富沢町樂琵会スケジュール
第18回  2月21日(木)「邦楽・洋楽の垣根を越えて」
            ゲスト 田澤明子(Vi) 久保順(フルート・龍笛)
第19回  4月18日(木)「和の真髄を現代に」
            ゲスト 矢野司空(尺八)
第20回  6月20日(木)「薩摩琵琶 古典から現代へ」
            ゲスト 石田克佳(琵琶製作家 正派薩摩琵琶)
第21回  10月17日(木)「四季を寿ぐ歌」
            ゲスト 大浦典子(笛)原田香織(中世文学研究者)
第22回  12月19日(木)「邦楽の未来へ」
            ゲスト 津村禮次郎(能舞) 
           


日野先生手書きのかわいいチラシ

そして年内は日本橋富沢町樂琵会の他、久しぶりにフラメンコギターの日野道夫先生とのライブもあります。こちらは狛江のインド料理店プルワリでの気軽なライブです。21月14日18時30分開演です。是非!!

戯曲公園「良寛」の楽屋にて、津村先生と
ピアノやギター、そして歌には国境はありません。どんなジャンルにでも合うし、ギターは古賀メロディーなどでもや欠かせないものにもなっています。本来楽器は、自由にどこまでも羽ばたいて行くものなのです、だから琵琶はシルクロードを伝わって日本に辿り着いたのです。しかし日本の琵琶は何時まで経っても、一つの世界に留まろうとする。これだけ多様な魅力と、幅広い対応が出来る構造を持っているのに・・・?。私は琵琶の魅力をもっと多様な世界に広めたいし、自分自身も普段から様々なジャンルの方々とお付き合いしているので、それらのアーティストとどんどん一緒に舞台を創ってゆきたいと思っています。そして日本から世界に向けて、古典から最先端まで琵琶音楽を発信したいのです。

年を追うごとに色々な機会を頂く機会が増えて本当に嬉しいです。もっともっと色々とやってみたいですね。来年も楽しくなりそうです。乞うご期待!!

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