魂の在り処

先日の荻窪音楽祭はとても良い感じで出来ました。アンコールでは、拙作「塔里木旋回舞曲」でViの濱田協子さん、Pの高橋なつみさんと素晴らしいコラボレーションが出来、貴重な一日となりました。こういう会が時々あると新鮮な気分でいられます。私はいろんなジャンルの芸術家と,こうして何かしらやっているのが一番好きですね。創作のヒントもどんどんと広がります。
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終演後の記念撮影
これからも演奏会は続きますが、大分落ち着いてきて少しばかり余裕も出てきたので、日帰りで栃木と足利を回ってきました。先日も北陸の高岡のことなど書きましたが、私は旧い街並みがとにかく好きで、関東では佐倉や佐原、川越など何度も行っています。しかし蔵の街で知られている栃木、そして足利学校のある足利にはまだ行ってませんでした。

栃木の川古い蔵が点在している栃木はちょっと川越にも似ているのですが、道も広く町全体がゆったりとしているのが良いですね。古くからの商売屋が沢山残っているし、大通りの一本脇には、巴波川(うずまがわ)といわれる風情のある川が流れ、これがいい感じなんです。この川沿いはお店が立ち並んでるわけでもなく、とても素朴な風情で、通学路にもなっているというのが素晴らしい!!
巴波川には佐原の街と同じく、小舟に乗って街を満喫することが出来ます。この日は船頭さんが舟を漕ぎながら自慢の喉で民謡を歌ってくれて、なんとものどかな感じでした。先日行った高岡もそうですが、デジタル万能で合理性ばかりがまかり通る世の中にこそ、こういう風景を残してゆきたいですね。

足利学校入学証そして次は日本遺産としても登録されている足利学校のある足利へ。こちらは受付を通ると頂ける入学証。なかなか粋です。
日本最古の学校とも言われる足利学校は一度見てみたいと思っていたのです。

足利学校2足利学校4

足利へも初めて行ったのですが、学校周辺は程よく落ち着いた感じに整備され、なかなか良い街並みでした。こういう場所が街の中にあるというのは良いですね。
またその外れにはなんともレトロな一角があり、そんな所も魅力の内だなと思わせるよい街でした。もう営業していない映画館が何だか絵になるのです。

足利劇場通り足利映画館廃墟

旧い町並みに憧れを持つというのは、発展する現代についてゆけない自分を現しているのかな・・・?。
時代の移り変わりは世の常ですが、現代はそのスピードが速すぎて、人間が振り回されていると感じるのは私だけでしょうか。芸術はこんな世の中に何を発するのでしょう。次の時代を見せてくれるのも芸術なら、現代の闇を暴き出すのも芸術。当然だと思われていることの真実の姿を告発し、本当の美の姿を感じさせてくれるのも芸術の芸術たる所以。世の中に付和雷同し、おしゃれな所を追いかけるのは、芸術のあるべき姿ではないと私は思います。
過去に憧れるのは、あまり良い事ではないかもしれません。しかし過去に学ばないのもまた良くありません。

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古典にどう対峙するのか。芸術家は常にそこを求められていると思います。古典があればこそ前衛があるので、日本音楽の最先端を突き進む為にも、自分なりに古典を勉強しない訳にはいきませんね。
以前は無機質なものや、民族性を廃したものも新たな芸術と思っていたこともありますが、これまでのやってきて思うのは、魂の在り処が無いものは、芸術となりえないというのが今の私の考えです。センスやスタイルがいくら変わっても、魂の行き着く先があれば、世代を超え、また違う魂とも何かしらの共感を得て、つながって行くことが出来るのではないでしょうか・・。世代を越え、国を超えて共感できるものこそが芸術の本来の姿とも思っています。

13世の中が進めば進むほど、世界がどんどんとつながって行けば行くほどに、個々に魂の拠り所が必要ですし、明確に自覚して行くべきだと思います。そしてそれを示すのは芸術家の役割のような気もしています。けっして民族主義を推奨している訳ではありません。ただ揺るぎ無い自分のアイデンティティーがなければ、常に振り回されて生きるのと同じだと私は思うのです。

旧い街並みの中に、私は心の落ち着き先を感じます。この気持ちというもののもっと奥底に魂はあるのではないでしょうか。そしてこの風土に代々生きてきた魂が紡ぎだす音楽は、きっと他の土地に根付いた魂とも共鳴して行くのではないのかな・・・?。互いの違いを知り、互いを尊重し、共生して行く。私はそんな音楽を創って行きたいですね。
さて明後日は12年目初の琵琶樂人倶楽部です。平家物語の解説と共に、朗読の櫛部妙有さんを迎えて、「方丈記」の朗読を聴いていただきます。是非起こし下さい。

biwa-no-e2琵琶樂人倶楽部の看板絵(鈴田郷 作)

11月14日(水)第131回琵琶樂人倶楽部「平家物語と無常観」
開演:19時30分
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(レクチャー 樂琵琶、他)ゲスト 櫛部妙有(朗読)

演目:祇園精舎 方丈記

です。是非お越しくださいませ。

方丈記を聴く

今年は地震に台風と、正に方丈記さながらの世界といってもよい程の年となりましたね。元号も来年には変わり、何だか平安末期の頃が甦るような時期に来ているのでしょうか・・・?。

今月の琵琶樂人倶楽部は「平家物語と無常観」です。お陰様で先月10月で満11年迎え、今月より12年目に突入しました。これ迄毎月毎月こうしてやってこれたのも皆様のお陰です。本当に心より感謝しております。
今月は平家物語に出てくる無常とは何なのか、少しばかりお話しさせてもらって、久しぶりに平家琵琶で平曲の「祇園精舎」のサワリをやりたいと思いますが、元より私は学者でもないので、学問的なお話が出来るはずもなく、なんとなく平安末期の無常観というものを感じていただければ結構だと思っています。そして今回は平家物語だけでなく、同時代の「方丈記」がとても「無常」という感性に溢れ、且つ判り易いので、朗読の櫛部妙有さんをゲストに迎え、「方丈記」を抜粋して読んでいただくことになりました。
櫛部妙有さん
櫛部さんとはもう何度も御一緒していて、今年は練馬の季楽堂にて「耳なし芳一~先帝入水」を二人でやりました。あの日の特に夜の公演は、会場が異様な空気に包まれ、異世界にトリップしたような時間となりました。
櫛部さんは小さな声で、静かに朗読をするのですが、声を張り上げたり、声色を変えたりも特にせず、最後には櫛部さん本人(芸)が消えて物語りの世界の中にこちらが取り込まれてしまうのです。
櫛部さんは普段から実に穏やかで、ゆったりと動く方ですが、7月の季楽堂では、その静かな声がかえって壇の浦のドラマをダイナミックに描き出しました。今回は方丈記ですが、実は方丈記から平家物語の「月見」の部分などを、一つの作品にしてみようという構想があり、来年の秋に櫛部さんと共にそれを発表する予定になっています。

7月の季楽堂公演終了後の2ショット 何だか身体の軸がねじれて、あっちの世界に行ってますね。

私は語りをもうほとんど自分ではやらないのですが、語りと琵琶はやっぱり合いますね。自分一人では到底出来ない事が二人だと出来る。作詞から作曲迄自分で創ったものは一人でやったほうが何かと表現しやすいですが、それでも他の人と組むと自分には無かった世界が現れて、作品はより深くなって行くことが多いです。良き語り手と良き弾き手は一つの形だとしみじみ思います。
拙作「まろばし」も実に多くの方と組んで演奏してきましたが、組むというのは実に面白い。一人一人全く持っている世界が違うのであのシンプルな譜面から驚く程多様な世界が現れるのです。人間の力は無限だなと、やるたびに感じますね。

鴨長明
櫛部さんと話をしていると、色んな視点が見えてきます。鴨長明とは実際どんな人物だったんだろう・・・?。どんな位置に居たんだろう・・・?。
古典文学全般に研究者は男性が多く、そのせいか女性の目線が無いなと常々感じていました。長明も、これ迄どちらかというと迫力がなく、ちょっと情けない感じの人物像を言われることが多かったのですが、櫛部さんと話をしていて、全く違う長明の人物像が見えてきました。これ迄方丈記を語るのは男性が多かったのですが、一つ目が開けました。

平安末期は、職業選択の自由もあまりなく、歴然とした身分制度があり、多様性が受け入れられなかった時代。そんな時代や社会にあっては、社会の枠の中には居られない存在は単に偏屈者という事ではなく、現代の目で見ればずば抜けた天才であったり、個性的な人物であったり、はたまた現在でいうところのLGBTであったのかもしれません。現在人には見えないものが多く隠れていることもあると思います。
これを機会に鴨長明の人物像という事にも迫ってみたいと思っています。
琵琶樂人倶楽部の看板絵(鈴田郷 作)
11月14日(水)第131回琵琶樂人倶楽部「平家物語と無常観」
開演:19時30分
料金:1000円(コーヒー付)

です。是非お越しくださいませ。
方丈記は今こそ読まれるべき作品では無いかと私的に感じています。また鴨長明の感性は、現代社会にも通じると思いますし、また方丈記や平家物語を通して、琵琶と共に日本人が育んでいったもの、遺して行きたいものなど、色んな所に想いが広がってくれたら嬉しいですね。

成就する想い

今年は5月頃からずっと演奏会続きで、様々な場所と形で演奏させてもらいました。こうしてご縁を頂くのは実にありがたいこと。いつもながら生かされているという実感を持ちます。牛の歩みのように少しづつですが、想うことをやってこうして生きているのですから、実に幸せなことだと思っています。逆にこの幸せを感じられなくなったら、ちょっと危ないですね・・・。

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六月、能楽師の津村禮次郎先生、中世文学研究者の原田香織先生、フルートの久保順さんと、井上円了ホールにて

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六月、国立劇場にて、正倉院の復元琵琶を使った新作上演後、メンバーの皆さんと

想いに向かって歩んでいる人は皆素敵なエネルギーを発しているものです。私の周りにもそんな人が沢山います。年齢性別は関係無いですね。まあ中には余計なものに振り回され、空回りして、足踏み状態な人も居ますが、是非成就するまで、そしてその先の展開まで視野に入れて歩んで行って欲しいですね。想いを成就するには、自分から動かなければ、その歩みは始まりません。せっかく頂いた御縁も、待っているだけでは繋がって行きませんので、自分でじっくりと考えながら歩んで行って欲しいものです。
私のこれまでを振り返ると、若き日には、がんばったという充実感だけで何も成し得なかったことも多かったので、今はなるべく本当に自分が求めているものは何なのか、よく考えて視野をを広げ、目の前の波騒に囚われないように心がけています。また多方面から自分の作品や活動を見つめ、冷静な目を持つことも大事ですね。いわゆる離見の見というやつでしょうか・・・。
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伎芸天
成就というと何かを達成したという「形」を想像しがちですが、私は自分がやりたいと思っている道を歩んでいけている状態が、一つの成就だと思っています。勿論成果ということも大事なのですが、何か具体的な目標を持ち、「○○に成る」「○○賞を取る」「○○で演奏会を開く」このように考えてしまうと、そこに囚われて視野が狭くなるような感じがします。
それらは通過点や一つの成果でしかない。それよりもこの道で生きているという事、この道で精進しているという事こそ、想いの成就なのではないでしょうか。

私は自分の音楽を多くの人に聴いてもらいたい、と思っていますが、その想いを成就させる為に、考え勉強すべき所は勉強し、日々作曲したり演奏したりしています。しかしながらあまり具体的な目標を掲げてしまうと、かえって余計なものが目に付くし、時にそうしたものに囚われることも多いので、常に自分が一番自分らしい姿で在り続けるように心がけています。

音楽活動はベンチャービジネスを立ち上げるようなもの、とは私が以前から言っていますが、ビジネス展開をするという事でなく、総合的な視野を持てるかどうかという事だと思っています。簡単に言うとオタクに陥らないと言う事ですね。
曲は作曲しただけでは聴いていただけ無いので、演奏会を開いて聴いてもらう訳ですが、現代では、レコーディング、ネット配信までやって、それらに合わせて舞台活動を展開していかないと、情報過多のこの世の中ではリスナーには届きません。
舞台についても、どういう場所で、どんなプログラムや演出でやるかよく考え、レコーディングと演奏会をどのタイミングでやるか、どんな活動をしてゆけば自分の曲を聴いてもらって、認められてゆくか、様々な方向から考えて演奏、作曲、活動を展開して行くのです。とかく目の前の事に振り回されがちですが、曲作っただけ、演奏会をやっただけで満足していたら活動は広がりませんね。
IMG_0125撮影薄井崇友2
キッドアイラックアートホールにて。左 踊:牧瀬茜、As:SOON・Kim、映像:ヒグマ春夫各氏と。
右 Per:灰野敬二 尺八:田中黎山各氏と

よく作曲はどうするのですか、と聞かれるのですが、技術や知識の部分は別として、私は曲を創っている時には、その曲を演奏しているシチュエーションを想い描くことが多いです。プログラムの中で、何曲目に演奏するか、なんてことを思い浮かべながら作曲することも多いですね。結局私にとって作曲は自分の表現する世界を形作ると共に、そのまま舞台を作り上げることなので、理想の舞台を実現するために曲を書き、構成や演出を考える。演奏している時の自分の姿も思い描きながら、その先の舞台へと更に想いは広がるのです。

その上で、自分の思い描いているものに固執せずに、いつもとは違う舞台にも挑戦すると、更に視野も想いもどんどんと広がるのです。こういう活動はやってみないと判らない。やってみると大きな視野と幅がもたらされる事が往々にしてあります。それが豊かさとなって、自分の音楽や舞台に顕著に現れます。豊かさを感じられないものに人は寄ってこないものです。現代曲であれ、エンタテイメントであれ、そこに豊穣な魅力があれば、必ず注目されてゆきますよ。問題はそれを自分が感じる事が出来るかどうか・・・・・。

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キッドアイラックアートギャラリーにて 踊:杉山佳乃子
もう無くなってしまいましたが、キッドアイラックアートホール&ギャラリーでは、自分の思い描く世界を超えた面白い舞台が何度も実現しました。こうした経験がまた想いを深くさせ、広げて行くのです。良い経験をさせてもらいました。

これからやってみたいこと、作ってみたい曲や世界はいくらでもあります。それをこれからも淡々とやって行きたいですね。その姿こそ、想いの成就に他ならない。私はそう感じるのです。

ジャズストリート

この週末は、地元阿佐ヶ谷の街を上げてジャズのフェスティバルが開催されました。

私も土曜日には参加させてもらったのですが、初日の金曜日は、私が「これぞ!」というミュージシャンに声をかけて、ライブのコーディネートをさせて頂きました。

先ずはヴォーカルの石川真奈美さんとギターの岩谷耕資郎さんのデュオ。そしてTsの佐藤公淳さんのトリオにスペシャルゲストで、AsのSOON・Kimさんに入ってもらうという、いずれも超豪華キャスト!!。真奈美さんのヴォーカルはいつもながらいい気分にさせてくれます。聞き惚れるとはこのことですね。そしてKimさんと公淳さんの2サックスのフロントはもう凄いのなんのって。さすがにNYで腕を磨いただけのことはあります。Kimさんはオーネット・コールマンの愛弟子。公淳さんはルー・タバキンの愛弟子という本場のジャズの薫陶をしっかりと受けてきた二人は、もう音色から何からまるで「モノホン」なのです。

私はKimさんと公淳さんを是非いつか会わせて、この2トップで演奏してもらいたいと思っていたので、この日は自分が聴きたい形を自分でプロデュースしたという訳です。写真はピンボケになってしまいましたが、二人とも180センチをゆうに超える大柄な体格も相まって、とにかく音が大きく、息にスピード感があり、とんでもない迫力なのです。2トップでセロニアスモンクの「I Mean You」「Straight, No Chaser」をやってくれましたが、もう会場は一瞬にしてNYになりました。凄い凄い!。

石川さんは様々なギタリストとのデュオの演奏によるアルバムを幾つかリリースしているので、今回はそのアルバムでも共演している岩谷さんとのデュオでやってもらいました。とても息の合った演奏で、石川さんの歌にも、曲が終わる度にやんやの喝采が飛んでいました。色々なところでライブをやっているので、是非行ってみて下さい。一押しお勧めです。

ジャズは時々聴きに行くのですが、こういう興奮はなかなか味わえないですね。久しぶりにモノホンのジャズに酔った一夜でした。

この楽しさが邦楽にも欲しいのです。どんな場所でも気軽に楽しめ、且つレベルも高く、充実した内容の音楽を聞かせる事が出来るというのは本当に素晴らしいこと。格式ばって、体裁が整わないと出来ないようでは、一般のリスナーが離れてゆくのも仕方がありません。

京都 天性寺にて

私は琵琶樂人倶楽部や日本橋富沢町樂琵会で、もっと身近に琵琶楽を聴いてもらえるように、ここ10数年やってきましたが、邦楽がもっと日本人の身近な音楽となるように、これからもやって行きますよ!!。

邦楽にもっと音楽の快楽を!!。もっとリアルな音色を!!。そして熱き魂を!!。

千代の寿

昨日、第16回日本橋富沢町樂琵会「薩摩琵琶と筑前琵琶聴きくらべ」をやってきました。今回のゲストは田原順子先生。

私が琵琶で演奏活動を始めた30代の頃、日暮里に伝統邦楽専門のライブハウス「和音」というお店がありました。私はそこを活動拠点にして毎月のように演奏していたのですが、その一番最初の出演の時、田原先生がいらしてくれて、「あなた面白いわね。名刺か何かないの」と声をかけてくれたのが、先生との最初の出逢いでした。
その時は笛の相棒大浦典子さんと私の代表曲(当時は出来たてほやほや)の「まろばし」を演奏したと思います。まだ私が勢いだけで中身も何にも考えずに突っ走っていた頃でした。田原先生は、そんな私にその時から着かず離れず、ずっとエールを送ってくれたのです。

私はあの頃も今も、自分で作曲したものだけを演奏して廻っています。流派の曲は今迄舞台では一切演奏したことがありません。楽器もオリジナルモデルですし、流派や協会というものにも属していません。こうした今私がやっているような独自の活動をもう30年40年前から展開してきたのが田原先生なのです。私はいわば先生の背中を見て、これ迄やってきた訳で、紆余曲折、幾多の失敗を重ねながらも、あまり迷うことなくやってこれたのは、田原順子という先達が居たからこそです。私が田原先生の新しい琵琶楽を創造するその姿に憧れて、その轍を乗り越えようと、がんばってきたのです。

声をかけてもらってから20年以上経ち、やっと私の会に先生をお呼びする事ができたことは、実に実に嬉しい事でした。私は滅多に「あがる」なんて事は無いのですが、昨日は妙にそわそわしてしまって、ミスを連発してしまいました。

昨夜は、家に帰ってから、この20年ほどの事を想い出し、やっと何か一区切りついたような、ワンステップ上ったような、一段落着いたような・・・そんな気分に浸りましたね~~。
こんな2ショットが撮れるとは、あの20年前の「和音」のライブの時には思いもよりませんでした。ずっと演奏活動をやってきて良かったな~~~~。

昨日の会で、先生は筑前のご祝儀曲「千代の寿」、そして宮沢賢治の「龍と詩人」を演奏してくれました。「千代の寿」は何か日本橋富沢町樂琵会を寿いでくれているのかな??なんてことを思いながら聴き、「龍と詩人」は私の好きな文学作品でもありますので、その物語の世界にすっかり入ってしまいました。

田原先生はご自分でもよく言っていますが、いわゆるテクニシャンではありません。大声が出るとか、コブシが廻るとか、早弾きできるというものとは対極に居ます。邦楽人はともすると目の前の「お上手」「お見事」を追求してしまって、音楽を忘れてしまう人が多いのですが、いくら技術が見事でも、音楽が聞こえないようでは、ただの素人の手慰みでしかありません。
先生の演奏は、何よりも音楽が聞こえてくる。そして語っている世界に導かれる。お見事な声で宮沢賢治を語るのではなく、先生独自の声と語り口で、その描かれている世界に誘ってくれるのです。

琵琶人の中に田原先生のような方が居て本当に良かった。こういう人が居なかったら、琵琶はただのお稽古事となり、衰退どころか絶滅していたかもしれません。永田錦心~水藤錦穣~鶴田錦史と続く創造の精神が、今、田原先生に受け継がれているのです。
時代と共に在り続けるのが音楽。新しい時代に新しい琵琶楽を創り、琵琶の新時代を築いた永田錦心の精神は、残念ながら組織の中では今や全く忘れ去られしまいました。既に永田錦心存命の時から、門下の中で目の前の技巧に走り、お見事を自慢する風潮が吹き荒れていましたが、永田錦心はそれをたいそう嘆いていました。しかし彼の創造の精神は、水藤・鶴田という女性達によって細々ながらもしっかりと受け継がれ、現在では田原先生に受け継がれています。

昨日私は「風の宴」という曲を弾きました。先人の起こした風を我が身に受け、それを次世代へと届ける、そんなメッセージを込めた曲です。
永田錦心から田原先生まで受け継がれた風を私が受け、そして次世代へとその風を渡す事が、これからの私の仕事です。
昨夜は、この20年を振り返り、そんなことに想いを馳せた一夜となりました。

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