祝~其の弐  琵琶樂人倶楽部17周年記念 と「ひらく古典のトビラ」

先週末はまつもと市民芸術館にて「古典を開く扉」という公演をやって来ました。

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今回の舞台は、木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一さんの企画で、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さん、舞台俳優の成河さんと私とで、竹取物語から平家物語迄、様々な古典を抜粋して、おしゃべりを交えながら古典の魅力を紹介して行くという企画でした。さすがに木ノ下さんの采配は今回も冴えていて、とても良い感じで公演出来ました。こういうエンタテイメントはとても気持ち良く、やっていて嬉しいですね。

公演前日のリハーサルの後は木ノ下さん、加賀美さん、成河さんと食事会に行ったのですが、皆さんから「表現する事」についてお話も聴かせて頂き、大変貴重な時間を過ごさせてもらいました。自分の表現・作品を披露するのではなく、音楽作品や文学作品の世界そのものがリスナーに満ちて行き、リスナーの創造性を刺激し大きく広がり共感して行く、そんな演じ手でありたいという部分で意見が一致して、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。皆さん一流の舞台人だけあって経験も豊富なので、聴いているだけでも良い勉強をさせてもらいました。
木ノ下さんとはまだ5年程のお付き合いですが、東京・新潟・熊本そして松本と御一緒させてもらいました。彼の古典についての知識と考察はもう皆さんが知っているように本当にすごいものがあります。毎度、私にとっては勉強という感じでやらせてもらってますが、今回は正にベストメンバーを選んでくれて、企画内容も素晴らしいものでした。以前、木ノ下歌舞伎の公演「摂州合邦辻」を観て涙が止まらなくなる程に感動をした事がありましたが、本当に古典の深い所迄光を当てる事の出来る木ノ下さんならでは企画だったと思います。良い仕事をさせて頂きました。またやりたいですね。

そして先月の200回記念に続き、今月は琵琶樂人倶楽部の17周年記念となります。もう17年もやっているんだと思うと何だか信じられない感じですが、とにかくストレスも何もないので、毎月が楽しみという感じでやって来ました。
私は色々考えてSNSをやっていないし、毎月琵琶樂人倶楽部のお知らせブログに情報を書いて、こちらのブログでたまに宣伝する程度の事しかしていません。つまり集客という事をほとんどしていないのです。会場がキャパの小さな所という事もありますが、こんなやり方でも毎回それなりにお客様が来てくれるのは本当に有難い事です。ここで毎月やっている事で、音楽家は勿論の事、芸術を愛好する多くの方と繋がり、それが様々な所に派生して新たな発想にもつながるし、ひいては仕事にも繋がって行くような流れになっていると感じます。この倶楽部は音楽・芸術好きな人が集まるアートサロンという位置付けで、毎月私が様々な企画をして、毎回のテーマに興味のある人が自由に集まる事が出来る、そんな場を毎月私が細々とのんびり提供しているという訳です。1回1回はまあ赤字のようなものですが、今回で17年、201回目、これ迄やって来て音楽的にも、仕事の面でもとても大きなプラスになっています。

今月は、薩摩琵琶と筑前琵琶の聴き比べ。ゲストは筑前琵琶の現代の代表格 鶴山旭祥さんです。

鶴山さんは、まだ私が駆け出しの頃からお付き合いを頂いている先輩で、色々とお世話になっています。竹を割ったようなスキっとしたきっぷの良い個性で、いつも周りを楽しませてくれる素敵な方で、演奏も実に丁寧に、且つ思いきりよく、上品で、私に無いものをたくさん持っていらっしゃる方なのです。こういう先輩と毎年のように共演できるのは本当に嬉しいですね。

先月は200回記念という事で、拙作の器楽アンサンブル曲をやらせていただきましたが、今回は同じ記念会でもぐっと趣を変えまして、薩摩筑前の伝統スタイル、弾き語りによる聴き比べとしました。先ず双方のスタイルによる「祇園精舎」を聴いて頂いて、その後鶴山さんが「名鎗日本號(黒田武士)」。私は「経正」を演奏します。

私はいつも書いているように、弾き語りでフルサイズの演奏をするのは、この琵琶樂人倶楽部の聴き比べの時くらいで、外の演奏会では弾き語りはもうめったな事ではやりません。ただ新たなスタイルの琵琶樂という事で、声もぜひ使ってみようとは思っています。9月の人形町楽琵会で、日舞・能管・琵琶語りでやった「秋月賦」がなかなか面白く出来た事もありますし、来年からは琵琶唄の新しい形も少し考えてみようと思っています。私が歌うかどうかは別として、器楽的な部分もたっぷり聴かせ、歌も聴かせる、ジミヘンの「Red House」やアラン・ホールズワースの「Road Games」みたいな感じで、琵琶にも新たなスタイルの歌曲が出来たらいいなと思っています。

先日、お世話になっている東洋大の原田香織先生(能楽研究)と久しぶりに逢いまして、先生が作詞して私が曲を付けた「四季を寿ぐ歌」の再演及び録音も検討しようという気分になりました。カルテット編成なのでリハーサル一つとってもスケジュールがなかなか合わず実現が難しいのですが、今創っているアルバムで器楽面は一つの区切りがつくと思いますので、来年は少し歌に関しても何かしらのアプローチをやって行こうと思っています。

原田先生はインターネットラジオ「ゆめのたね」にて「室町のコバコ」という番組を持っています。能楽関係の番組で、能楽師の津村禮次郎先生なども出演されています。私は能楽師ではありませんが、今月収録があって、年明けに放送予定です。



薩摩・筑前の近代に誕生した琵琶樂が、軍国時代の音楽のままで終わって欲しくないのです。古代から続く日本の琵琶樂の中で、一番新しい琵琶樂がこのまま一時代の流行ものとして朽ちて行くのは、あまりにも残念でなりません。器楽曲の発展もさることながら、歌に関しても、まだまだ大きな可能性があると思っていますので、もっと自由に多様なスタイルが今後生まれてきて欲しい。いつまで経っても大声を出してコブシ回して満足しているような父権的パワー主義の感性のままでいたら、もう後がありません。また耳なし芳一のような、さすらいの琵琶法師を気取って、そのイメージを売りにしているのはただのタレント活動でしかない。どちらにしても、そんなようでは音楽としての深まりも発展も望めないと私は考えています。

かつて岡本太郎は「上手に綺麗に絵を描こうなんていうのは卑しい事だ」と言っていましたが、今、琵琶樂も邦楽全体も上手にやろう、立派になりたいという所に囚われ過ぎて、創造するという音楽の基本を忘れているのではないでしょうか。明治以降、永田錦心や水藤錦穰、鶴田錦史といった先達が旺盛に発揮していた創造性を我々もどんどん発揮していかないと、次世代の琵琶樂が本当に滅んでしまいます。三味線は江戸時代に誕生してからどんどん新しいジャンルが生まれてきて、現代でも津軽三味線が発展しました。これだけ時代が激変しているのに、琵琶樂がいつまで経っても一時代に固執して時代と共に変わろうとしないのは、私には歯がゆくてしょうがないのです。

時代を超えて、次の時代をリードして行くような琵琶樂をどんどん創って行きたいですね。

第201回琵琶樂人倶楽部「薩摩琵琶・筑前琵琶聴き比べ」 11月13日(水)
場所:ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:19時00分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(薩摩琵琶) ゲスト 鶴山旭祥(筑前琵琶)
演目:祇園精舎 経正 名鎗日本號(黒田武士)
お問い合わせ 琵琶樂人倶楽部 biwasou@ymail.com

時は巡り、そして進む

やっと秋らしくなってまいりました。体も楽になりますね。世の中は相変わらず激動していますが、この所書いているように、私個人としても、この秋は一つの時代の区切りのような気分があり、年明けから次の時代が始まるような転機の時期を感じています。

オリエンタルアイズ1stアルバム「Orientaleyes」2002年リリース
先日は次の10thアルバムのレコーディングを一部やりました。今回は1stアルバム「Orientaleyes」に先祖帰りしたみたいな雰囲気で、タイトルは「AYUNOKAZE」になる予定です。タイトル曲「東風(あゆのかぜ)」は薩摩琵琶の独奏曲で、これから「風の宴」と共に重要なレパートリーになって行くだろうと思っている曲です。全体はほぼインストアルバムになりますが、1曲だけ、Msの保多由子先生に歌ってもらっている「Voices」という曲があります。勿論バリバリの現代曲で琵琶唄のようなものとは全く違い、何だか1stアルバムの「太陽と戦慄~第二章」に対応するかのような楽曲です。後、2006年リリースの4thアルバム「流沙の琵琶」に収録されている「凍れる月」という曲を時々能の津村禮次郎先生の舞も入れたりしてやっていましたが、そのモチーフと雰囲気を様々な形にして、第二章、第三章、第四章と組曲のように創りましたので、今回はそれら収録することが出来ました。

この「凍れる月」の元となったのは、マイルス・デイビスのアルバム「Kind Of Blue」に収録されている「Blue in Green」という曲です(Blueは憂鬱、Green は嫉妬、または空と海という解釈もあるようです)。私はこの曲を聴くといつも都会の静寂や孤独を感じます。大自然の中でのそれではなく、東京そしてNYという都会に深く広く漂っている、温かみの無い無機質な静けさや、人も物も溢れた中での阻害されたような孤独で、あくまで都会の中で感じる感情です。私はこの曲を高校生の時に聴いて以来、この雰囲気と感性に何か惹きつけられるものがあり、東京に出て来る前からこういう曲を創りたいとずっと思っていました。それを琵琶を手にしてから自分なりに実現して行きました。初期では「まろばし」「in a sailent way」「太陽と戦慄~第二章」「二つの月」「鎮める月」辺りが、このキーワードを元に作曲したものです。また私の作品ではないですが、作曲の師である石井紘美先生の「HIMOROGI Ⅰ」も同じ感性を少し感じます。そして今回同根から発生し,自分なりに少し幻想的な雰囲気や抽象性も加味した「凍れる月」を第四章まで書き足し、それらを収録出来たことは、とても嬉しく、こんな所が20年前の1stアルバムが甦る要因となっています。
とにかく今の私の音楽として一つの形に出来たことを嬉しく思いますね。そして20年前に「Orientaleyes」で表した私独自の世界観が20年を経て洗練されて(多少かもしれませんが)新たな形で、再び姿を成したという気分もしています。ただ琵琶=弾き語りと考えている人にはもう付いて来れない所迄来てしまったのかもしれないですね。

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photo 新藤義久 


これ迄の活動を振り返ると、確かにターニングポイントというのがあって、今またその時が来ていると思えるのです。琵琶で演奏活動を始めた頃、アルバムを出し始めた頃、活動内容がしっかりと定着してきた頃。樂琵琶も弾き出した頃、それぞれがターニングポイントでした。大体5年から10年の間にターニングポイントが来ますね。色んな事もありましたが、そんな過程を経て、本来自分がやろうとしていた音楽の姿に少しづつ近づいて来た事が、本当に嬉しく感じています。活動内容もだんだん整理されてきて、自分が本来やりたい事が実現して来た事もここ1、2年程よく感じます。この流れは6,7年程前から少しづつ手ごたえのようなものを感じていて、8thアルバムでVnと琵琶による「二つの月」が完成収録出来た事で、先ずは最初の手ごたえがあり、ここ1年位でそれが確信に変わってきました。

それともう一つ、ここ10年位で私の曲を台湾の音楽家が演奏会で取り上げてくれてくれるようになったのも手ごたえの一つです。以前も劉芛華さんのリサイタルの動画などを載せましたが、先週もジュリアード音楽院の卒業生たちによる台湾でのサロンコンサートで演奏されました。
https://www.facebook.com/share/v/JA9AkZxFPD7ToCDU/

自分の作品が色々な方に演奏してもらえるようになったことは本当に嬉しいし、配信でも海外の方に沢山聴いてもらっています。琵琶を手にした時から、日本という小さな枠の中に納まりたくないという想いがあったので、20年かけて自分自身だけでなく作曲作品も飛び出て行くようになって、一つの段階に達した感じがしています。

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photo 新藤義久


後は歌に関してですね。色々やって来ましたが、やはり私は歌う人ではないのです。8thアルバムで「壇ノ浦」の弾き語りを入れ、それを弾き語りの最期にしようと思っていましたが、あれからもう7年ほど経って、もう弾き語りをやるのは毎月の琵琶樂人倶楽部で年に一・二度やる程度で、外の演奏会でやるのも、本当に年に一度がいい所ですね。私はどこまでも演奏で聴かせたいのです。
歌や語りに関しては、琵琶を手にしてから、弾き語りをしなければならないという強迫観念と、その部分で負けたくないという気持ちでやってきたというのが正直なところで、好きでやっていた訳ではないので、もうそんな所も卒業して、歌の曲はなるべく歌手にお任せしたいと思っています。

5私はジャンル関係なく歌自体はとても好きで、このブログでも色々と取り上げていますが、弾き語りという形はどうにも馴染めないのです。ボブ・ディランやジョン・レノンは、私の中では詩を音楽に乗せて表現するアーティストであり、決して歌手でもギタリストでもないという認識なんです。歌うのなら徹底して歌って欲しいし、弾くのなら歌に逃げたりせずに弾く事で最後迄演奏でしっかり自分の言いたい事を表現して欲しいのです。私の好きな音楽家で歌もうたうという方はほとんど居ません。例外はジミヘンくらいでしょうか。だから弾き語りの琵琶演奏は私の音楽にはほとんどありません。琵琶が歌や語りの伴奏ではなく、琵琶と歌が対等に音楽を創って行く形を創って行ったらよいと思います。先月、能管と日舞と私でやった「秋月賦」はそれがとても良いバンランスで出来ましたので、来年はそんなスタイルの楽曲に挑戦する機会もあるかもしれません。それと以前創って初演だけして終わっている「四季を寿ぐ歌~Ms・龍笛・笙・樂琵琶による」もぜひ再演収録してみたいとも思っています。

人間年を重ねて行けば、自分に無理のある事はだんだん出来なくなるし、やらなくなるものです。だから年を経るごとに色んな枝葉が取れて、自分の音楽が明確になってくる。私は今やっとそんな感じになってきました。私は今、自分の音楽をどんどん創り遺して行きたいという気持ちが強くなりました。演奏家活動では、最初から一貫して自分の作曲したものをどこでも演奏して来ましたが、更に自分が本来やるべきものをやれるように、仕事も選択整理して、更に作品を創り、自分の歩みたい道を歩んで行きたいですね。

これからもまた楽しみますよ。

名演奏あって名曲なし

先日の第200回琵琶樂人倶楽部は盛況のうちに終えることが出来ました。豆粒のように小さな会ではありますが、これ迄17年間毎月毎月好きなようにのんびりとやらせてもらって、本当に有難い限りです。御来場の皆様ありがとうございました。来年も是非よろしくお願いいたします。

私は基本的に音楽は作曲家のものではなく演奏家のもの、という意識で何時も作曲し、演奏しています。どんな現場でも私が作曲した曲を演奏しているのですが、一緒に演奏する仲間には「あなたがやるからにはあなたの作品にしてください」といつも言っています。ジャズの好きな人なら、タイトルの「名演奏あって名曲無し」という言葉がおなじみかもしれませんが、これは私の音楽そして演奏に対する基本姿勢です。

そんな訳で私の曲は演奏家が自由に解釈できるように作ってあり、アドリブパートのある曲も沢山あります。私の一番最初の作品で一番の代表作「まろばし」は正にこの概念で出来ていて、相方によってまるで生きもののように違う音楽になります。でも「まろばし」には変わらない。共演者には、ただ譜面を読むのではなく、どんな世界を描きたいのか、その根底にはどんな世界観やどんな哲学を持っているのか、そういう事を問います。尚且つ相手の呼吸を感じながら演奏しないとどうにも演奏出来ないように巧妙に曲が創られています。その人が表現したい世界の実現の為の場を作るのが私の仕事。ちょっとプロデューサー的な感覚とも言えるかもしれませんが、私が一番影響を受けた音楽家マイルス・デイビスの音楽を聴いて辿り着いたスタイルです。とにかく共演者には、どんなタッチどんな音色で音楽を創って行くか、じっくりと考えてもらいます。リハーサルでも音を出す事よりも話をしている方が断然長いですね。そうしてその人自身の「まろばし」を創り上げてもらうようにしています。


今回出演してくれた、Msの保多由子先生、Vnの田澤明子先生、尺八の藤田晄聖君は、3人共とにかく色々考えて、一緒に音楽を創っていってくれる頼もしい仲間達です。きっちりと上手にやる事よりも、場に応じて毎回変化して行く現場に柔軟に対峙して、正に一期一会の音楽を奏でてくれるのです。作曲したのは私ですが、私の小さな器をはるかに超えた世界を描き出してくれました。本当に感謝してます。

このアルバムジャケットはジャズ史上の中でも屈指の名盤「Somethin’ Else」というレコードのもので、曲はその冒頭に入っている「枯葉」です。皆さんご存じだと思いますが、これはジョセフ・コズマ作曲のシャンソンの名曲です。しかしこの演奏はもうシャンソンの曲だとか誰の作曲という事でなく、マイルスのTpでないと成立しない、そしてこのメンバーでないとありえない「音楽」に成っています。私はこういうのを中学生の頃から聞いていたせいか、音楽はライブでリアルに音を出して初めて命が吹き込まれると思っているので、音楽は作曲家のものでなく、演奏家のものであり、誰が演奏するのかが重要なのだ、という事を頭に於いてずっとやって来ました。
クラシックのように決められた譜面での演奏でも、そこには様々な解釈があり音色があり、演奏家それぞれの音楽が在ると思いますが、私はもっと譜面を超えて演奏家が自由に羽ばたいて行ける音楽を目指しています。だからあえて譜面には指定を少なくして、どうすればよいか演奏家に考えて頂くようにしているのです。作曲者が何を意図しているのか読み解くのではなく、演奏者がこの譜面から何を発想しどんな世界を創り上げるか、そこを期待しているのです。演奏者側に表現するだけの想いや哲学、知識、経験、そしてお互いに対するリスペクトと共感がないと、何も出て来ませんので、演奏家にとってはある意味、酷な譜面かもしれません。

 

photo 新藤義久

私はあくまで「創る人」でありたいのです。私も若き日には、ギターでスタジオの仕事や歌謡曲の歌手のバックバンドなどのお仕事も少しやってみましたが、私の表現も創造性も出しようがありませんでした。多少の工夫などはあるにしても、技術の切り売りで稼いで行くような仕事は私には出来ないですね。それに売ることが最優先で、売る為に「売れる音楽」を創るというのも、私にはあり得ません。私はあくまで自分が考えて創り出した音楽を演奏しリリースして行きたい。
何だかショウビジネスを見ていると、目先の楽しさや利益にしか目が行かず、そこに囚われて流されて大事な所を見失ってしまっているようで、正にそこが今の日本(世界)の衰退の根本原因のような気もします。
私はそういうショウビジネスの世界に居たくはなかったので、琵琶に転向したのです。しかしまあどこに行っても、売れる事や、立派な御身分の方が大事な先生方々が溢れていて、そこに魅力ある音楽はあまりありませんでした。結局自分でやるしかないという所に辿り着いたという訳です。

 

SOON KIM(A Sax) 牧瀬茜(ダンス) ヒグマ春夫(映像)各氏とキッドアイラックアートホールにて

 

これからも演奏家がその魅力を最大限に発揮できる曲を創りたいですね。先ずは来週のレコーディングに集中します。
もっともっと柔軟に自由に音楽と関わりたいですね。

祝~其の壱 琵琶樂人倶楽部開催200回記念演奏会

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先日の人形町楽琵会は、今一番活躍している若手二人を迎え、気持ち良く演奏出来ました。若者の感性は素晴らしいですね。柔軟だし技もしっかりしているし、身体能力も高い。若さゆえな部分もあると思いますが、この勢いが今の日本には必要だと感じました。これからは有能な若手ともどんどん組んでやって行きたいです。御来場の皆様ありがとうございました。

そして10月9日には琵琶樂人倶楽部の開催200回目となる記念回を迎えます。

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丸々17年、長いことやっていますが、私には毎月の恒例行事みたいなものなので、あまりに日常過ぎて長いことやっているという感じがほとんどしません。年齢も17歳年をとっているはずですが、あまり鏡を見ないせいか、見て見ないふりをしているのか(?)気分だけは、始めた頃と全く変わりません。

100回目の時は少し広い所を借りてやったのですが、今回はいつものヴィオロンでやる事にしました。
節目の会なので、私が一番メインとしている器楽曲、それも一番前衛的なものを集めてやります。ゲストは器楽曲をやるには最高の相方達、尺八の藤田晄聖君、MSの保多由子先生、Vnの田澤明子先生の3人です。

藤田晄聖3s田澤1s保多由子(Yasuda Yoshiko)

今月、保多・田澤両先生と私のトリオで「Voices」をレコーディングするのですが、是非この記念回にもこのメンバーでお願いしたいと思っていました。そして私の一番の代表曲「まろばし」の相方は、最近よく一緒に演奏している藤田晄聖君にやはり演奏してもらいたいと思いまして、このようなメンバーになりました。

毎年秋には周年記念がありますので、ゆっくりと振り返るのですが、とにかく総てが私の糧になっていると感じます。そしてこの琵琶樂人倶楽部には多くのゲストの方に来ていただいていて、特に100回目を越した時から毎回様々なジャンルのゲストを迎えています。100回目までは薩摩・筑前の流派の方もよく声を掛けさせていただいたんですが、薩摩・筑前の弾き語り曲は歴史もまだ100年程で、そのほとんどが大正~昭和の戦前にかけて作られたもので、それ以降はほとんど新作が作られていないので、今は年に一度の薩摩と筑前の聴き比べの時だけですね。ちなみに来月は17周年の記念回という事もあり、その聴き比べをします。筑前琵琶の鶴山旭祥さんを迎えて開催しますので、近代琵琶樂にご興味の方は来月是非お越しください。近代ものは各流派にお任せして、琵琶樂人倶楽部では近代以外の、古代、中世、現代の琵琶樂を紹介する事に努めて、樂琵琶、平家琵琶、そして現代作品という具合に、なるべく琵琶樂の豊かな広がりを感じて頂きたいと思って企画しています。

これ迄御出演くださったの皆様

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私は器楽としての琵琶樂を最初から強力に押し出してやって来ました。弾き語りのCDもリリースしたりしてきましたが、やはりメインの活動は器楽曲です。

平家琵琶誕生以降、琵琶語りというスタイルが続いている歴史も踏まえ、琵琶弾き語りも一つの形だとは思っていますが、それは私の音楽の極々極々極々一部でしかありません。先日の人形町楽琵会では「秋月賦~平家物語 月見より」という、私が作詞作曲した曲を日舞と能管、そして私の弾き語りでやりましたが、器楽部分が三分の二以上を占める内容で、とても豊かなドラマが展開し、素晴らしい出来栄えでした。
活動を始めた一番最初に先ず能管と琵琶による「まろばし」が完成し、私の所信表明声となりました。もう25年以上前の事ですが、あの時に「まろばし」を創ったからこそ今までやって来れたと思っています。歌ではなく琵琶の音で作品を創り続け、そのお陰で多くのジャンルのアーティストと共演出来、多くの場所にも導かれました。当倶楽部にも多彩なゲストを迎え、これまで続けて来れたのはヴァリエーションのある作品群の賜物だと思っています。
またここ5年程でまたその器楽志向・前衛志向に更に拍車がかかってきました。今回のゲスト、Vnの田澤先生、Msの保多先生など、洋楽のハイレベルな音楽家との邂逅があったおかげです。自分の中にずっとくすぶっていた世界が一気に、お二人との出逢いで形となって噴き出してきて、納得のいく器楽曲が出来上がってきて、やっと自分の音楽の一つの完成が目の前に来ている感じがしています。

「Voices」(Ms・Vn・琵琶)を始め、「二つの月」(Vn・琵琶)、「君の瞳」(Vn・琵琶)、「東風(あゆのかぜ)」(琵琶独奏)等、ここ数年で自信をもって自分の作品だと言えるものが出来上がってきたことは本当に嬉しいです。この秋のレコーディングでは活動初期に収録した龍笛と樂琵琶による「凍れる月」の続編、第二章(Vn・樂琵琶)、第三章(篠笛・薩摩琵琶)、第四章(樂琵琶独奏)の3曲も収録します。これらも今後の重要なレパートリーになって行くだろうと思っています。また初期の作品「in a silent way」「太陽と戦慄第二章」も今後再アレンジして再演して行く事になると思います。今回の200回記念回では、「凍れる月」第二章の演奏をします。

私は琵琶と出逢って、自分の音楽を具現化することが出来ました。ギターは子供の頃から弾いて来たので、器用には弾けますが、ギターではどうにも私の音楽は姿を現してはくれませんでした。琵琶に導かれ辿り着いたのは運命なんでしょうね。これからは更に琵琶の作品を作り続け、遺して行きたいです。演奏会もどんどんとやって器楽としての琵琶樂を広めて行きたいと思っています。

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第200回琵琶樂人倶楽部「現代の琵琶樂Ⅱ」

2024年10月9日(水)
時間:19時00分開演
料金:1000円
出演:塩高和之(琵琶)
   ゲスト 保多由子(Ms)田澤明子(Vn)藤田晄聖(尺八)
演目:「東風(あゆのかぜ)」~琵琶独奏 「Voices」~Ms・Vn・琵琶 
   「君の瞳」~Vn・琵琶 「まろばし」~尺八・琵琶 
   「凍れる月」~Vn・樂琵琶 他

今回ばかりは込み合うと思いますので、お越しいただける方はご一報を。あと数席空きがござます。

是非聴きに来てくださいませ。

共に歩む

やっと秋の風を感じるようになりましたね。この秋は、琵琶樂人倶楽部が来月で開催200回目を迎え、11月には17周年も迎え、10枚目となるアルバムのレコーディングもあり、何かと私にとっては節目の秋になっています。この秋をターニングポイントとして、更に新たな展開をして行きたいですね。まあこれからが楽しみという訳です。

六本木ストライプハウスにて  photo 新藤義久


私が時々説教を聴いている大阪ルーテル教会の大柴牧師が紹介していたアフリカの諺に、「速く行きたいのなら独りで歩きなさい、遠くまで行きたいのなら誰かと一緒に歩きなさい」というものがあります。私はこの言葉がとっても好きなのです。何かを創り出し、豊かな感性を育んで行くには、相方と一緒に歩まないと、見えるものも見えなくなってしまいます。ただ突っ走っているだけでは何も達成できません。私はともすると一人でやろうとしてしまうので、この言葉は私に多くの示唆を与えてくれました。そして共に歩む人が居てこそ実現することが多いという事を実感してきました。これまで様々な場面で多くの方と共に歩んで行けた事は、導かれた運命だと思っています。そしてそれは実に幸せな事だったなと、この年になってしみじみと感じ入りますね。

私は何事に於いても皆と一緒にやろうというタイプではありません。しかし良き仲間の存在があったからこそ、私はこれまでやって来れたと思っています。仲間と一緒に演奏している事で大きな気づきを得る事もあったし、新作を仕上げている時には、自分の頭の中だけでは見えなかった事が、一緒に演奏する仲間のお陰で具体化して新たな扉が開いて、作品がどんどん充実して行く瞬間を何度も味わいました。それは常に対等で、相手に対する信頼や尊敬を持っている事に加え、皆同じく自立した音楽家芸術家として接してきたからだと思います。お互いに自立した一音楽家だったからこそ、自分の歩む道も見据える事が出来たのだろうと思っています。

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日本では「皆でやろう」というのが美徳として考えられていますが、ともすると参加する事に満足してしまって、意思決定は結局監督や代表が決めて、皆はそれに従うのみという例が多いですね。これは音楽家でも同じなのですが、自分の音楽は何かという問いかけをせず、明確な意思や芸術性が無いままに、活動して飛び回っている自分に満足してしまう。これではただの駒に過ぎない。皆で意見も出し合い、議論を交わし、時には反対意見にも耳を傾けて、皆で創って行くような形が出てきて欲しいですね。同じ方向を向いて、何も反対意見を言わないで従う人だけが集まっている集団は、海外と対等に関わって行くこれからの時代にあっては、多様性には程遠いだろうし、もう時代には合わないと思います。個人の意見よりも集団のルールを優先させ個人に対してストレスをかけ続け「余計な事は言わない」「我慢する」最後には「忍耐は美徳」という常識を有作り出し、結果的に周りに忖度するような昭和の日本社会のようなあり方では何も生み出せません。日本人の村社会的「普通」は世界では通用しないのです。個人もどこかに所属して肩書などの自分が寄りかかるものを求めるような、ひ弱なメンタルを脱し、個人として自立するような生き方にシフトしないと、失われた30年が50年にも100年にもなりかねません。

私はとにかくお互いの自立が前提だと思っているので、知り合う仲間もそういう人と自然に繋がって行きます。そんな仲間達と一緒に活動する中で、何でも自分の力で何とかするのではなく、仲間の存在が如何に大きいかを実感してきたのです。良きパートナーと一緒に演奏すると、自分の作曲した作品が自分でも思ってもみなかったような生命力を持って輝き出すのです。そんな瞬間を何度も味わいました。誤解しないで欲しいのは、「仲間と歩む」という事は、決して自分の至らない所をカバーしてもらう事ではありません。無限の広がりを創り出す事なのです。そこを履き違えている人が多過ぎるように思います。

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これまでやって来れたのは良き仲間に恵まれ、共に歩んで来れたからとしか言いようがありません。活動をしていれば波騒は常の事ですし、時に自分の視野がつまらない方向に向いてしまう事もあります。特に新たな事をやるには新たな知識も技術も必要になるので、そちらに凝り出すことも多々あるのですが、理論や技芸に陥って音楽が自分を誇示するようなものになってしまったら、もうそこに創造性は求めようがないです。魯山人も「位階勲等から遠ざかるべき」と言っていますが、芸術家は自分の身一つだけで、何も持っていない方が良いのです。沢山勉強するのは結構ですが、余計な知識思考は余計な肩書と同じで、鎧のようなものです。私がいつも音楽に対しては純粋な姿勢を持って歩めたのも、同じ志を持った仲間と一緒に舞台をやって来れたから、自分の内側、外側のつまらない事に振り回される事無く、自分本来の姿でいられたのだと思っています。

相方に恵まれた事によって遠くまで歩いて来たこの道ですが、これからもも
っと先へと歩いて行く事になるでしょう。この旅に終わりを感じません。一人で走っていたら、どこかで自分を確認しようとしてつまらぬことをしていたでしょう。しかしそんなことに不安を持たなくても、嬉々として歩んで行けるのは良き仲間が居てくれるからです。

ウズベキスタン タシュケントのイルホム劇場にてアルチョム・キム氏率いるオムニバスアンサンブルと「まろばし」演奏中

お陰様で、10枚目のアルバムが年内にも出来上がり、年明けにはリリース出来そうです。これから私に出来る事は作品を創り遺す事ですね。幸い今は配信で世界中に届ける事が出来ますし、台湾ではもう何度も私の作品が現地の音楽家によって上演もされています。10年前に出した教則DVDの模範演奏として収録した独奏曲「風の宴」も、当時は難しいとか参考にならないとか言われましたが、今や若手が何人もこの曲を演奏するようになりました。もう少し経てば、私の創った独奏曲やデュオ・トリオの作品を土台にして新たな作品を創るやつが出て来るんじゃないかとも思っています。

パートナーの存在は発想を広げ、視野を広げ、結果的に遠く迄歩いて行く事につながります。お互いに自立し、明確な音楽性を持って自分で責任を負って生きてい居るからこそのパートナーです。良きパートナーシップを築きたいですね。


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