求めよさらば与えられん

師走になりましたね。何だか1年が早く感じます。
先日、10thアルバム「AYU NO KAZE」のレコーディングが終わり、あとはミックス(編集)とジャケット画の選定という所迄来ました。前衛的な作品からロックテイストを感じられる作品、静かでノスタルジックな作品と等々、私がこれまでやりたいと想い描いていたイメージを具現化した作品群です。

オリエンタルアイズ1stアルバム 「Orientaleyes」が20年の時を経て蘇ったような内容と言っても良いかと思います。全編インストアルバムですが、1stにトリオ作品として入れた「太陽と戦慄第二章」に私が声を入れたように、今回は「Voices」という曲が琵琶・VnにMsの保多由子先生が入りトリオ作品として収録されています。いわゆる歌でない所も似ています。こんな所もあって1stが蘇ったように感じるのです。他独奏曲「遺走」は今回タイトル曲の「AYU NO KAZE」に、尺八とのデュオ「まろばし」は笛とのデュオ「凍れる月~第三章」に、チェロとの静かなデュエット「時の揺曳」はVnとのデュオ「凍る月~第二章」という具合に、まるで対応するかの如く曲が並んでいます。この20年で様々な仕事をさせてもらって、やはり自分の世界はこれだと言えるものを収録しました。1stのリリース時にも同じ事を言いましたが、もはや弾き語りの琵琶や古典雅楽等の音楽とは全く違う世界に来ているので、渋い古の琵琶が聴きたい人には、まるで聴きどころのないものかもしれません。

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若き日 高野山常喜院での独演会にて


私はずっと自分の中に湧き上がる世界を形にしたいと思い求めてきました。これ迄ずっとその具現化を琵琶を通してやってきたのです。琵琶を手にした最初の頃はまだ漠然としてイメージだけで形が見えていませんでしたが、1stアルバムでその探し求めていたものが初めて具現化したのです。粗削りで未熟で勢いだけの部分も多分にあるのですが、あの時、確かに探し求めていた世界が見えたのです。それ以来琵琶を生業とし、人生とし、琵琶の歴史や日本の古典文化・芸能等、自分が学びたいものを学び吸収し、時に迷いながらも、一つ一つ自分の中に在る世界を音楽にして来ましたが、結局最初に求めた世界にまた戻ってきました。弾き語りも樂琵琶の作品群も、皆私の世界ですが、1stアルバムの世界はやはり自分の追い続けて来た音楽の基本形だと思い至りました。ここまで20年かかりましたが、充実した20年でしたね。今は自分のスタイルというものを自分ではっきりと認識出来て、自信をもって自分の音楽を演奏出来ます。琵琶の愛好家には評価されないかもしれません。またショウビジネスの世界とも遠く離れた所に居るので売れるものでもありませんし、有名になる事もありません。しかし誰に何を言われようと、自分の生き方が確立し、それを実践して生きているというのは嬉しいものです。

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若き日 京都清流亭にて


人生の全てにおいて、探し求めているものはなかなか得られません。何を求めるかは人それぞれですが、肉体はどんどんと衰えて行くし、出来なくなってくることも多いです。いずれにしろ物欲などの表面的な欲望ではなく、本質的なものを求めない限り、求めるものは遠ざかって行くだけだと思います。
私がずっと探し求めてきたものは、音楽以外だとやっぱり、その音楽を具現化するためのパートナーですね。逆に大きなチームは求めていません。大きなチームは個人の存在よりチームのルールや常識が優先してしまい、個人の自由な創作活動が制限されてしまいますので、集団には近づかないようにしています。友人はとても大切ですが、常につるんでべたべたと付き合っていたら、どうしてもどこかに慣れ合いが始まって、思考が膠着して本来持っている感性は羽ばたきませんし、出逢いも減ってしまいます。先ずはお互いが個として独立している事が大事です。「媚びない 群れない 寄りかからない」は常に意識していないと、森有正の言うような運命によって与えられた「尊い孤独」は感じる事は出来ないでしょう。芸術家同志はグループがあっても、常にそれぞれが独自の存在であり、それぞれが尊い孤独の中に在るのが望ましいと私は思っています。
しかし一人で自分の頭の中だけでこねくり回しているだけでは大したものは出て来ません。だからパートナーが必要なのです。勿論パートナーとも良い距離を保って、お互いが芸術家として独立していなければ、パートナーには成れ得ません。

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今回のレコーディングにも参加してくれた笛の大浦典子さんとVnの田澤明子さん。本当にいつもお世話になっています。

若き日にはどんどん曲を書いて、何でも相手に要求するばかりで、相手をよく見ておらず、相手の魅力も全く引き出せていませんでした。当然演奏会に作品をかけても良い演奏にはならず、音楽としても響きませんでした。そんな経験を経て、今パートナーが如何に大事かを身にしみて感じています。良きパートナーと組んでいると、特別な境地に至る瞬間をよく感じます。そこには国境もルールも無いのです。ただただ音楽が在るばかり。当然相手が変われば見えて来る世界も、辿り着く境地も違ってきます。それには相手へのリスペクトが先ずある事。そしてお互いが共振し合えるポイントがある事。それがお互いに感じられる人だけがパートナーとなり得るのです。だから国境を越えて行く事が出来るのです。売れたい、有名になりたいなんて現世での俗欲に囚われて自己顕示欲や承認欲求でがんじがらめの人では、とてもじゃないけどパートナーには成れません。
この20年で素晴らしい仲間達に出逢え、納得できる作品を具現化することが出来、本当に嬉しく思っています。

音楽でも人生そのものでも、一緒に共振し合えて、ボーダーラインを超えて境地に行くような、そんな人に出逢う事は人生の幸せですね。総てが思い通りになるなんてことはありませんが、私がずっと追い求めてきた世界を実現出来るパートナーが居るというのは嬉しいものです。後はこれらの作品を、是非次世代にも伝え、また新たな作品を生み出していって欲しいと思います。

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さて今年最後の琵琶樂人倶楽部は毎年年末恒例の「お楽しみ企画」。テーマは決めず、毎回その時点で面白そうな人に声を掛けてやってもらいます。今年は久しぶりの登場 尼理愛子さん。近年は演劇の舞台に乗って演奏する機会が多いようで、今年も独自の音楽を披露してくれそうです。そして今回琵琶樂人倶楽部初登場の笛奏者 玉置ひかりさん。彼女とは5月の舞踊公演で御一緒してから、9月には人形町楽琵会でも共演させてもらいました。正に今旬の勢いを持った若手です。

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2024年12月11日(水)
場所:名曲喫茶ヴィオロン(阿佐ヶ谷駅北口徒歩3分)
時間:18時30分開場 19時00分開演
出演:塩高和之(琵琶)ゲスト 尼理愛子(琵琶語り) 玉置ひかり(笛)

今回はもう大分席も埋まってきてしまっているので、聴いてみたいという方は是非ご一報くださいませ。来年も色々と計画を練っています。また楽しい一年になりそうです。

純粋であるという事

急に寒くなりましたね。この所やっと俺の季節が来たという感じがしています。久し振りに革ジャンの手入れもしました。

先日、東洋大学の原田先生がやっているインターネットラジオ番組「室町のコバコ」の収録をしてきました。

室町のコバコ

原田先生は能の研究者なので、この番組も基本的に能の関係者しか出ないのですが、一応能楽師の津村禮次郎先生や安田登先生と何度も共演しているという事で参加させていただきました。原田先生と津村先生は古い付き合いだそうで、私が津村先生を迎え開催した人形町楽琵会に原田先生がお越しになって以来の御縁です。

津村禮次郎能の新たな挑戦津村禮次郎・原田香織ストラスブール大学公演

6年ほど前、フランスストラスブール大学で原田先生作の「方丈記夢幻」という新作能を津村先生が上演したのですが、その時に私の楽曲を原田先生が選んで使って頂いた事がきっかけで、色々とお付き合いを頂いています。この公演の後、東洋大学井上円了ホールにて「津村禮次郎・能の新たな挑戦 古典芸能と現代」という公演をやり、その時には私が演奏して津村先生に舞って頂きました。
また原田先生が作詞して、私が作曲した、六曲からなる組曲「四季を寿ぐ歌」を創った時には、何度も打ち合わせをさせてもらって上演に漕ぎつけました。その他、毎年東洋大での特別講座を担当させてもらったりして、もうお世話になりっぱなしです。先月樂部の演奏会で久しぶりにお逢いして、今回の収録に誘って頂いた次第です。

放送日は来月の

12月1.2週目(1日.8日)6:00〜6:30
12月3.4週目(15日.22日) 同

朝早いのですが、是非お聴きになってみてください。こちらから聴く事が出来ます。室町のコバコ

世阿弥世阿弥像
今回は琵琶のお話も勿論したのですが、僭越ながら世阿弥の言葉なども少し自分の体験を照らし合わせて話をさせてもらいました。近世のエンタメ文化に移行する前に、これだけ哲学的に志向する芸能者が居た事に本当に驚くばかりです。原田先生も言っていましたが、中世と近世は大きく文化の根幹が変化したと思います。世の中が安定し、庶民が力を得たことも大きいし、武家や貴族の保護のもとにあった雅楽や能と違い、自分達で工夫して木戸銭が取れるような演目を創っていった歌舞伎とは、その背景も大きく変わって行った事は明らかであり、日本人の感性は大きく変化したと思います。

改めて先人の遺した言葉に向かいながら、とにかくその深遠な哲学には驚くばかり。現代の芸能者でこれだけの哲学を語り遺せる人が居るでしょうか。今一度こうした先人の言葉を読み直し、考えてみようと思いました。そして同時に注目したのはその純粋な姿勢です。芸能関係をやっていると、どうしても、受けが良いかどうかが気になりますし、売れる有名になるというとこも常に視野の中に在ります。特にエンターテイメントが基本となっている現代の音楽・演劇は、稼げるものが凄いものという思考で固まっていますが、私はそこに大きな違和感をずっと抱えていました。

ちょっと極端かもしれませんが、私は現代のエンタテイメント志向がまるで宗教のように思えるのです。何でも売れた方が勝ちという思考は生活全てに渡り、一時でも売れれば良いという低質の賑やかしが常に跋扈している。まるで今迄の芸術の価値を別のものへと変質させるかのように、演奏家も上手さや格好良さを披露し、売る事有名になる事に邁進して行く。
それに対し、いつも書いている永田錦心や鶴田錦史、宮城道雄らは、売れる云々という事よりも、常に次世代を見据え、新たな日本音楽を創ったのです。この社会の中で有名になる、偉くなるという思考とは根本的に違うと思います。今琵琶樂や邦楽・ジャズでも売れる事、有名になる事が最優先になって、更に皆がお上手を目指しているように思えます。もっと音楽を創る人が出てきて欲しいですね。これも時代と言えばそれまでですが、多分アーティストの自己肯定感が著しく低くなっているのでしょう。だから音楽の周りにばかり気が行って、身分の保証を求めるが如く肩書や売り上げを追い求めるのだと思います。ジャズプレイヤーなどは本当に皆さん表面上は上手になったと思うのですが、全く質が変わりましたね。
及ばずながらも、先人たちの目指した世界に近づこうとして次の時代を切り開くような音楽を創るアーティストは、残念ながら見かけなくなりました。

We are together againよくこのブログに登場するジャズギタリストのパット・マルティーノは、ジャズファンでも知っている人が少ない程名前は知られていません。しかし彼の遺したものは確実に世界の誰かが何かしらを継承している。ショウビジネスで大ヒットを飛ばす事とは全く無縁な方ですが、確実に彼の音楽に魅了された人が世界中に居るのです。彼の遺したものはこれからもずっと世の中に渡り、彼を追いかけようという人が絶えず世界中に出てくるでしょう。病気を克服しながらも最後迄自分らしく、自分の音楽を追求した彼のようなミュージシャンはもう出て来ないのかもしれませんね。

音楽には皆エンタテイメント性があり、それは音楽の素晴らしい所ですが、エンタテイメントの面ばかりが肥大して、現代はそこにしか価値を見出そうとしない。ショウビジネスが全てにおいて優先している現代では、音楽に内在するエンタテイメント性が、音楽・芸術の総てを覆い尽くし、洗脳し、本来の創り上げるというその純粋さを吸い取り、奪い取っているように私は思います。

時代は刻々と変化し続けるので、我々もまた変化して行かなければ存在出来ません。世阿弥に「住する所なきを、先ず花と知るべし」と常に変化し続ける事こそが芸の本質という言葉がありますが、社会も世の人々の感性もどんどん変わる現実の中に在って、芸能者は常に世の中と共に歩まなければただの珍しいもの以上には成れません。しかし一方で世に迎合しようとすると、現代のエンタメ文化の中では商品として消費されて行くだけで終わってしまう。この現代の中でどう音楽を創って行くのか、そこを問われていると思います。
音楽に対する純粋さをただのオタク趣味ではなく、現代、次世代を見据え創り遺して行くような視野が必要ですね。どんな時代にあってもその純粋さを失わないというのは大変な事です。

三島由紀夫三島由紀夫のインタビュー動画に、愛について語るものが残っているのですが、「愛のカタチというものが公認されてしまうと純粋なものでなくなってしまう」と言い残しています。周りに認めてもらえないからこそ、当事者はそれを貫くために純粋でいようとする。逆に巷で公認され安易に扱われるようになった「愛」はスーパーマーケットで並んでいるようなものになってしまった、と言っていますが、音楽も全く同じだと思いました。時代に迎合するだけでは、スーパーに並んだ商品です。いつも書いているように、永田錦心もパコ・デ・ルシアもピアソラも、ドビュッシーもラベルもジミヘンも最初は異端であり、鶴田錦史もその生き方により同世代の女性達には大層嫌われたそうですが、異端が故にそれを貫く為には純粋な心を持っていなければ貫く事が出来なかったと思いますし、まただからこそそこには強靭なパワーが宿っていた事と思います。異端だからこそ純粋状態だったのでしょう。

上記の世阿弥の言葉のように、形は常に変化する。真の芸能者でありたいのであれば、常に変化し続ける事を厭わない位でよいと思います。予定調和の形を求めるようになり、お見事な芸を披露するようになったら、もう芸能者としては終りだと私は思っています。常に創り続け常に変化して行く姿こそ芸能者、芸術家だと考えています。世阿弥の域に辿り着ける事はないと思いますが、せめて我々は先人の創った形ではなく、先人の追求した世界を求め続けたい。それが芸に携わる者の在り方であり、また継承というものではないでしょうか。ある一つの形に寄りかかり、異端であることを止め、お墨付きや肩書をもらって時代に迎合し、正統という名の温かい安全な場所に安住してしまったら、もうそこには純粋な心と創造のエネルギーはどれだけ残っているのでしょう?。

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若き日


私は普段から「媚びない・群れない・寄りかからない」を合言葉にして常に自分の軸を確認し、余計なものは身に着けないように心がけていますが、そうしていなければ、どうしてもどこか流されてしまう所があるから、合言葉を常に自分に言い聞かせているのです。それだけ時代と共に在る事は難しい。魯山人の「芸術家は位階勲等から遠ざかるべきだ」というのは、まさにその通りで、どんな人でもそういうったものを身に纏うと、純粋な目が曇ってしまうものです。俗悪になるとは言いませんが、どこかで自分と他を比べてしまい、自分はこんなに凄いんだとどこかで誇示したくなる。人間は本当に弱いのです。純粋に音楽をやっていればよいのに、ベテランという名の元に音楽以外の衣をどんどんと纏うようになって、心が音楽から離れて行ってしまうのは残念で仕方がありません。ベテランになればなる程、今まで創り上げた技や作品、経験に寄りかかることなく、余計なものは捨て、身軽で居たいものですね。

今は巷にあらゆる情報が溢れ、国内も海外も激動しています。コロナの時期にも増して大きな変化の真っ只中に来ていると感じます。今こそ自分の軸で精神をしっかりと保つことが求められているのではないでしょうか。そしてそれを体現するのがアーティストではないか。そんな気がしています。

青春時代

鶴山旭祥さんと


琵琶樂人倶楽部17周年記念回は無事終える事が出来ました。私のやっているのはショウビジネスとは随分とかけ離れた地味な活動そして音楽ではあるのですが、今回は懐かしい友人も駆けつけてくれて、本当に良い会となりました。毎年秋のこの弾き語りの聴き比べの会は、年に一度フルで弾き語りをやる唯一ともいえる機会です。今回は経正をやったのですが、気持ち良く声が出ました。
こうしてずっと長い事続けて来られたのは、周りから生かされて来た証だと思っています。琵琶樂人倶楽部も私個人も、これから一年また淡々とやってまいりたいと思います。早、来年一年間のスケジュールも決まり、楽しみはどんどん続いているという訳です。今後共宜しくお願い申し上げます。

「ひらく古典のトビラ」本番舞台
前回も書きましたが、先日まつもと市民芸術館であった「ひらく古典のトビラ」も素晴らしい舞台になりました。また公演前日の食事会での芸術談義がとても豊かなひと時でした。その時、80代になる加賀美幸子さんが「60代は青春よ」という事をおっしゃっていて、とても納得し、印象に残りました。

考えてみれば60代は身体もまだ丈夫だし、これまでやって来た経験を基に充実した活動も展開できる。自分に合うものと合わないものもはっきりしてくるし、自分と違う感性が世の中には沢山あるという事も知る。情報も経験もそこから導き出される知性も、そして肉体も一番充実しているのが60代かもしれません。私は琵琶で活動し出したのが30代半ばでして、1stアルバムのリリースも40歳になってからです。少々世の皆さまより遅めだったことを考えると、私の青春時代はもっと70代になっても続いているかもしれないなと秘かに思っている位です。それまで身体に気を付けないといけませんな。

私はとにかく曲を創る事が自分の音楽活動の基本中の基本で、その上に演奏する事が乗っているのですが、ここ5年位で作曲の部分では充実したものを感じていて、また様々にやらせて頂いた仕事を経て、やっと自分らしい活動になってきたように感じています。40代はやみくもにやっている感じで、力技的な部分が多々ありましたが、40代も過ぎる頃には、自分に何が出来て何が出来ないかが見えて来ましたし、似合うもの似合わないものも判ってきました。まあ何事も理解するのが人より10年も20年も遅いのですが、それが私という人間なんでしょう。何度も失敗を重ねないと辿り着けない不器用極まりない人生ですが、その分時間をかけて自分のやる事をしっかりと見極めて嚙みしめてやるのが今生での私に与えられた使命なのでしょうね。

琵琶での活動の最初に創った曲もしつこく今でもやっていますが、演奏技術や経験が伴ってきたことで、なかなか良い形になって来ているように思います。

一昨年静岡の藤枝市にある熊谷寺にて、「まろばし」を演奏したのですが、それはとても充実したものでした。「まろばし」は私が琵琶で活動を始めた一番最初に作曲した曲で、今でもレパートリーとして必ず演奏している曲です。それもこの演奏会では、初演した時と同じ大浦典子さんと組んでの演奏でした。彼女自身も長い時間を経て、大いに充実して来ていて、演奏していて何か曲が成長したなという実感がありました。またこうして長い時間を一緒に演奏して来れた事にも感謝を感じました。

時間をかけるというものは良いものです。さらに言えば時間がどんどんと先へと続くのもまた面白いものです。ストックホルム大学やロンドンシティー大学での演奏会に行ったのももう21年前、シルクロードの国々にコンサートツアーに行ったのも15年前。物理的時間としては長いですが、どうも私は世に流れる時間の概念の中には生きていないのかもしれません。まあこれらの経験を経て今があると思うと、ワクワクして生きて来れたなと思います。

琵琶樂人倶楽部開催200回記念回にて 尺八の藤田晄聖君と

人間は今現在を把握することがなかなか難しい。後から振り返ってやっと見えて来るのが一般的な感覚でしょう。だからこそ人生の先輩の意見は是非聴くべきですね。私は琵琶を始めてから色んな先輩に話を聞いて、60歳を一つの大きなポイントとしようとずっと思って来ました。作品群も演奏活動も60歳をめどに一つの完成を感じられるようにしたいと常々考えていましたが、まあまあ納得の行く作品も少し出来上がって来て、地味ながらも活動も少しづつ展開して来て、目標には届かずとも近づいてきたかも

と感じています。これからも自分のペースで青春時代を謳歌したいですね。

祝~其の弐  琵琶樂人倶楽部17周年記念 と「ひらく古典のトビラ」

先週末はまつもと市民芸術館にて「古典を開く扉」という公演をやって来ました。

 

今回の舞台は、木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一さんの企画で、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さん、舞台俳優の成河さんと私とで、竹取物語から平家物語迄、様々な古典を抜粋して、おしゃべりを交えながら古典の魅力を紹介して行くという企画でした。さすがに木ノ下さんの采配は今回も冴えていて、とても良い感じで公演出来ました。こういうエンタテイメントはとても気持ち良く、やっていて嬉しいですね。

公演前日のリハーサルの後は木ノ下さん、加賀美さん、成河さんと食事会に行ったのですが、皆さんから「表現する事」についてお話も聴かせて頂き、大変貴重な時間を過ごさせてもらいました。自分の表現・作品を披露するのではなく、音楽作品や文学作品の世界そのものがリスナーに満ちて行き、リスナーの創造性を刺激し大きく広がり共感して行く、そんな演じ手でありたいという部分で意見が一致して、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。皆さん一流の舞台人だけあって経験も豊富なので、聴いているだけでも良い勉強をさせてもらいました。
木ノ下さんとはまだ5年程のお付き合いですが、東京・新潟・熊本そして松本と御一緒させてもらいました。彼の古典についての知識と考察はもう皆さんが知っているように本当にすごいものがあります。毎度、私にとっては勉強という感じでやらせてもらってますが、今回は正にベストメンバーを選んでくれて、企画内容も素晴らしいものでした。以前、木ノ下歌舞伎の公演「摂州合邦辻」を観て涙が止まらなくなる程に感動をした事がありましたが、本当に古典の深い所迄光を当てる事の出来る木ノ下さんならでは企画だったと思います。良い仕事をさせて頂きました。またやりたいですね。

 

そして先月の200回記念に続き、今月は琵琶樂人倶楽部の17周年記念となります。もう17年もやっているんだと思うと何だか信じられない感じですが、とにかくストレスも何もないので、毎月が楽しみという感じでやって来ました。
私は色々考えてSNSをやっていないし、毎月琵琶樂人倶楽部のお知らせブログに情報を書いて、こちらのブログでたまに宣伝する程度の事しかしていません。つまり集客という事をほとんどしていないのです。会場がキャパの小さな所という事もありますが、こんなやり方でも毎回それなりにお客様が来てくれるのは本当に有難い事です。ここで毎月やっている事で、音楽家は勿論の事、芸術を愛好する多くの方と繋がり、それが様々な所に派生して新たな発想にもつながるし、ひいては仕事にも繋がって行くような流れになっていると感じます。この倶楽部は音楽・芸術好きな人が集まるアートサロンという位置付けで、毎月私が様々な企画をして、毎回のテーマに興味のある人が自由に集まる事が出来る、そんな場を毎月私が細々とのんびり提供しているという訳です。1回1回はまあ赤字のようなものですが、今回で17年、201回目、これ迄やって来て音楽的にも、仕事の面でもとても大きなプラスになっています。

今月は、薩摩琵琶と筑前琵琶の聴き比べ。ゲストは筑前琵琶の現代の代表格 鶴山旭祥さんです。鶴山さんは、まだ私が駆け出しの頃からお付き合いを頂いている先輩で、色々とお世話になっています。竹を割ったようなスキっとしたきっぷの良い個性で、いつも周りを楽しませてくれる素敵な方で、演奏も実に丁寧に、且つ思いきりよく、上品で、私に無いものをたくさん持っていらっしゃる方なのです。こういう先輩と毎年のように共演できるのは本当に嬉しいですね。

先月は200回記念という事で、拙作の器楽アンサンブル曲をやらせていただきましたが、今回は同じ記念会でもぐっと趣を変えまして、薩摩筑前の伝統スタイル、弾き語りによる聴き比べとしました。先ず双方のスタイルによる「祇園精舎」を聴いて頂いて、その後鶴山さんが「名鎗日本號(黒田武士)」。私は「経正」を演奏します。

私はいつも書いているように、弾き語りでフルサイズの演奏をするのは、この琵琶樂人倶楽部の聴き比べの時くらいで、外の演奏会では弾き語りはもうめったな事ではやりません。ただ新たなスタイルの琵琶樂という事で、声もぜひ使ってみようとは思っています。9月の人形町楽琵会で、日舞・能管・琵琶語りでやった「秋月賦」がなかなか面白く出来た事もありますし、来年からは琵琶唄の新しい形も少し考えてみようと思っています。私が歌うかどうかは別として、器楽的な部分もたっぷり聴かせ、歌も聴かせる、ジミヘンの「Red House」やアラン・ホールズワースの「Road Games」みたいな感じで、琵琶にも新たなスタイルの歌曲が出来たらいいなと思っています。

2019年10月「四季を寿ぐ歌」初演時、人形町楽琵会にて

 

先日、お世話になっている東洋大の原田香織先生(能楽研究)と久しぶりに逢いまして、先生が作詞して私が曲を付けた「四季を寿ぐ歌」の再演及び録音も検討しようという気分になりました。カルテット編成なのでリハーサル一つとってもスケジュールがなかなか合わず実現が難しいのですが、今創っているアルバムで器楽面は一つの区切りがつくと思いますので、来年は少し歌に関しても何かしらのアプローチをやって行こうと思っています。

原田先生はインターネットラジオ「ゆめのたね」にて「室町のコバコ」という番組を持っています。能楽関係の番組で、能楽師の津村禮次郎先生なども出演されています。私は能楽師ではありませんが、今月収録があって、年明けに放送予定です。

薩摩・筑前の近代に誕生した琵琶樂が、軍国時代の音楽のままで終わって欲しくないのです。古代から続く日本の琵琶樂の中で、一番新しい琵琶樂がこのまま一時代の流行ものとして朽ちて行くのは、あまりにも残念でなりません。器楽曲の発展もさることながら、歌に関しても、まだまだ大きな可能性があると思っていますので、もっと自由に多様なスタイルが今後生まれてきて欲しい。いつまで経っても大声を出してコブシ回して満足しているような父権的パワー主義の感性のままでいたら、もう後がありません。また耳なし芳一のような、さすらいの琵琶法師を気取って、そのイメージを売りにしているのはただのタレント活動でしかない。どちらにしても、そんなようでは音楽としての深まりも発展も望めないと私は考えています。

かつて岡本太郎は「上手に綺麗に絵を描こうなんていうのは卑しい事だ」と言っていましたが、今、琵琶樂も邦楽全体も上手にやろう、立派になりたいという所に囚われ過ぎて、創造するという音楽の基本を忘れているのではないでしょうか。明治以降、永田錦心や水藤錦穰、鶴田錦史といった先達が旺盛に発揮していた創造性を我々もどんどん発揮していかないと、次世代の琵琶樂が本当に滅んでしまいます。三味線は江戸時代に誕生してからどんどん新しいジャンルが生まれてきて、現代でも津軽三味線が発展しました。これだけ時代が激変しているのに、琵琶樂がいつまで経っても一時代に固執して時代と共に変わろうとしないのは、私には歯がゆくてしょうがないのです。

時代を超えて、次の時代をリードして行くような琵琶樂をどんどん創って行きたいですね。

 

第201回琵琶樂人倶楽部「薩摩琵琶・筑前琵琶聴き比べ」 11月13日(水)
場所:ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:19時00分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(薩摩琵琶) ゲスト 鶴山旭祥(筑前琵琶)
演目:祇園精舎 経正 名鎗日本號(黒田武士)
お問い合わせ 琵琶樂人倶楽部 biwasou@ymail.com

時は巡り、そして進む

やっと秋らしくなってまいりました。体も楽になりますね。世の中は相変わらず激動していますが、この所書いているように、私個人としても、この秋は一つの時代の区切りのような気分があり、年明けから次の時代が始まるような転機の時期を感じています。

オリエンタルアイズ1stアルバム「Orientaleyes」2002年リリース
先日は次の10thアルバムのレコーディングを一部やりました。今回は1stアルバム「Orientaleyes」に先祖帰りしたみたいな雰囲気で、タイトルは「AYUNOKAZE」になる予定です。タイトル曲「東風(あゆのかぜ)」は薩摩琵琶の独奏曲で、これから「風の宴」と共に重要なレパートリーになって行くだろうと思っている曲です。全体はほぼインストアルバムになりますが、1曲だけ、Msの保多由子先生に歌ってもらっている「Voices」という曲があります。勿論バリバリの現代曲で琵琶唄のようなものとは全く違い、何だか1stアルバムの「太陽と戦慄~第二章」に対応するかのような楽曲です。後、2006年リリースの4thアルバム「流沙の琵琶」に収録されている「凍れる月」という曲を時々能の津村禮次郎先生の舞も入れたりしてやっていましたが、そのモチーフと雰囲気を様々な形にして、第二章、第三章、第四章と組曲のように創りましたので、今回はそれら収録することが出来ました。

この「凍れる月」の元となったのは、マイルス・デイビスのアルバム「Kind Of Blue」に収録されている「Blue in Green」という曲です(Blueは憂鬱、Green は嫉妬、または空と海という解釈もあるようです)。私はこの曲を聴くといつも都会の静寂や孤独を感じます。大自然の中でのそれではなく、東京そしてNYという都会に深く広く漂っている、温かみの無い無機質な静けさや、人も物も溢れた中での阻害されたような孤独で、あくまで都会の中で感じる感情です。私はこの曲を高校生の時に聴いて以来、この雰囲気と感性に何か惹きつけられるものがあり、東京に出て来る前からこういう曲を創りたいとずっと思っていました。それを琵琶を手にしてから自分なりに実現して行きました。初期では「まろばし」「in a sailent way」「太陽と戦慄~第二章」「二つの月」「鎮める月」辺りが、このキーワードを元に作曲したものです。また私の作品ではないですが、作曲の師である石井紘美先生の「HIMOROGI Ⅰ」も同じ感性を少し感じます。そして今回同根から発生し,自分なりに少し幻想的な雰囲気や抽象性も加味した「凍れる月」を第四章まで書き足し、それらを収録出来たことは、とても嬉しく、こんな所が20年前の1stアルバムが甦る要因となっています。
とにかく今の私の音楽として一つの形に出来たことを嬉しく思いますね。そして20年前に「Orientaleyes」で表した私独自の世界観が20年を経て洗練されて(多少かもしれませんが)新たな形で、再び姿を成したという気分もしています。ただ琵琶=弾き語りと考えている人にはもう付いて来れない所迄来てしまったのかもしれないですね。

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photo 新藤義久 


これ迄の活動を振り返ると、確かにターニングポイントというのがあって、今またその時が来ていると思えるのです。琵琶で演奏活動を始めた頃、アルバムを出し始めた頃、活動内容がしっかりと定着してきた頃。樂琵琶も弾き出した頃、それぞれがターニングポイントでした。大体5年から10年の間にターニングポイントが来ますね。色んな事もありましたが、そんな過程を経て、本来自分がやろうとしていた音楽の姿に少しづつ近づいて来た事が、本当に嬉しく感じています。活動内容もだんだん整理されてきて、自分が本来やりたい事が実現して来た事もここ1、2年程よく感じます。この流れは6,7年程前から少しづつ手ごたえのようなものを感じていて、8thアルバムでVnと琵琶による「二つの月」が完成収録出来た事で、先ずは最初の手ごたえがあり、ここ1年位でそれが確信に変わってきました。

それともう一つ、ここ10年位で私の曲を台湾の音楽家が演奏会で取り上げてくれてくれるようになったのも手ごたえの一つです。以前も劉芛華さんのリサイタルの動画などを載せましたが、先週もジュリアード音楽院の卒業生たちによる台湾でのサロンコンサートで演奏されました。
https://www.facebook.com/share/v/JA9AkZxFPD7ToCDU/

自分の作品が色々な方に演奏してもらえるようになったことは本当に嬉しいし、配信でも海外の方に沢山聴いてもらっています。琵琶を手にした時から、日本という小さな枠の中に納まりたくないという想いがあったので、20年かけて自分自身だけでなく作曲作品も飛び出て行くようになって、一つの段階に達した感じがしています。

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photo 新藤義久


後は歌に関してですね。色々やって来ましたが、やはり私は歌う人ではないのです。8thアルバムで「壇ノ浦」の弾き語りを入れ、それを弾き語りの最期にしようと思っていましたが、あれからもう7年ほど経って、もう弾き語りをやるのは毎月の琵琶樂人倶楽部で年に一・二度やる程度で、外の演奏会でやるのも、本当に年に一度がいい所ですね。私はどこまでも演奏で聴かせたいのです。
歌や語りに関しては、琵琶を手にしてから、弾き語りをしなければならないという強迫観念と、その部分で負けたくないという気持ちでやってきたというのが正直なところで、好きでやっていた訳ではないので、もうそんな所も卒業して、歌の曲はなるべく歌手にお任せしたいと思っています。

5私はジャンル関係なく歌自体はとても好きで、このブログでも色々と取り上げていますが、弾き語りという形はどうにも馴染めないのです。ボブ・ディランやジョン・レノンは、私の中では詩を音楽に乗せて表現するアーティストであり、決して歌手でもギタリストでもないという認識なんです。歌うのなら徹底して歌って欲しいし、弾くのなら歌に逃げたりせずに弾く事で最後迄演奏でしっかり自分の言いたい事を表現して欲しいのです。私の好きな音楽家で歌もうたうという方はほとんど居ません。例外はジミヘンくらいでしょうか。だから弾き語りの琵琶演奏は私の音楽にはほとんどありません。琵琶が歌や語りの伴奏ではなく、琵琶と歌が対等に音楽を創って行く形を創って行ったらよいと思います。先月、能管と日舞と私でやった「秋月賦」はそれがとても良いバンランスで出来ましたので、来年はそんなスタイルの楽曲に挑戦する機会もあるかもしれません。それと以前創って初演だけして終わっている「四季を寿ぐ歌~Ms・龍笛・笙・樂琵琶による」もぜひ再演収録してみたいとも思っています。

人間年を重ねて行けば、自分に無理のある事はだんだん出来なくなるし、やらなくなるものです。だから年を経るごとに色んな枝葉が取れて、自分の音楽が明確になってくる。私は今やっとそんな感じになってきました。私は今、自分の音楽をどんどん創り遺して行きたいという気持ちが強くなりました。演奏家活動では、最初から一貫して自分の作曲したものをどこでも演奏して来ましたが、更に自分が本来やるべきものをやれるように、仕事も選択整理して、更に作品を創り、自分の歩みたい道を歩んで行きたいですね。

これからもまた楽しみますよ。

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