2018年 主な年間活動記録

2018年、主な活動記録

今年もお世話になりました2018

今年ももう終わりですね。今年も一年間色々とやらせていただきました。
年初めに8枚めのCD「沙羅双樹Ⅲ」をリリースし、昨年秋からの勢いのまま駆け出した一年でしたが、今年も多くの演奏会に恵まれ、ご縁に感謝する機会の多い一年でした。

何事もすべてにおいて大満足などありえませんが、この「沙羅双樹Ⅲ」は私にとってターニングポイントととなりました。「壇の浦」を収録した事で、従来の弾き語りのスタイルに一つの区切りをつけることが出来ましたし、2曲の独奏曲も、独奏スタイルの新たな一歩を踏み出すこととなりました。まあ独奏の方はまだ充実には程遠く、これから始まるという感じですが、このCDが自分独自のスタイルを創り上げる起点に成ったように思います。

「沙羅双樹Ⅲ」レコーディング時のワンショット
そしてヴァイオリンと琵琶の為の「二つの月」を収録した事は実に大きな出来事でした。ヴァイオリンと琵琶のデュオの形はこれからの私のスタンダードになって行くでしょう。ヴァイオリニストの田澤明子さんには本当に感謝しかないですね。田澤さんには今年色んな場所で演奏してもらいましたが、どれも得がたいライブでした。田澤さんの他にも同じくヴァイオリニストの濱田協子さん、フルートの久保順さん、同じく神谷和泉さんと、洋楽器の方々と共演させて頂き、あらためて和と洋の楽器の共演の可能性を感じた一年でもありました。

また今年は櫛部妙有さん、馬場精子さんと、夫々違った個性と手法、魅力を持った語り手の方々と共演が出来たのは良い勉強になりました。来年も早々から久林純子さんという、これまた素敵な語り手との共演が入っていますが、語り手との御縁はしばらく続きそうです。声と琵琶という点について、この一年で色々と想いが巡りましたね。自分の声に関しても多くを考え、やり方を模索して、また一歩歩みを進める事が出来たと思っています。


人生は少しづつ刻々と変化して行きます。がんばる事は出来ても、自分で流れをコントロールするのは難しい。想い通りに行く部分もあれば、行かない部分もあるのが当たり前であり、それをまたお導きなどと言うのだと思います。また何か新しいものに向かう時には、これまでのものとの別れもつきものです。今迄やってきたものをあえて手放したり、いったん別れを告げることで、新たな世界に踏み出して行ける・・・。芸術に携わる人というは、自分が創り上げたもの、築き上げたものに寄りかかり、固執するようになったらもうお終いです。そんな活動をずっと展開しているからこそ今があるのです。

人付き合いも変わって行きますし、世の中も変わって行きます。自分自身でさえ意識もしない内に日々変わって行きます。そんな日々の中でも、私は今、大きく変わるべきところに来ているのでしょう。ここ数年をかけて自分を取り巻く環境や、自分の想う音楽の形が変わて来ているのを感じています。その変化を自分で分析してみると、どうやら元々の形=原点に戻って行くような、邦楽やらジャズやらの形が自分の中でどんどん消えて行く
ような・・・、そんな感じなのです。

この流れに素直に身を任せてみようと思っています。まあ伎芸天の微笑みに導かれているのだと思ってまた来年を楽しみにしています。
今年も本当に多くの仕事をさせてもらいました。いろんなご縁の中で、こういう人生を歩んでいることに感謝をしています。

また来年も是非よろしくお願い申し上げます。

聖夜に集う2018

毎年恒例になっている、地元のルーテルむさしの協会でのクリスマスイヴ音楽礼拝に行ってきました。

今年も東京バッハアンサンブルの演奏で楽しませていただきました。私はクリスチャンではないですが、時々こういうところに集うのは気持ちのよいものです。前任の大柴牧師には何かと気をかけてもらって、この教会での演奏も何度となくやっていたこともあって、ちょくちょくと足を運ぶようになったのですが、普段俗にまみれているせいか、時々こういう所に来て、ありがたいお説教と弦楽合奏など聴いていると、心身共に世俗の垢や穢れが落ちてすっきりします。しかしながら今年は私の体調が絶不調で、先週末から寝込んでいる始末。今年は礼拝後のキャロリングは残念ながらパスしてしまいました。いやはや・・・。
毎年のこのルーテルむさしの協会の音楽礼拝は、一年を振り返るのにとても良い機会です。毎年色んなことを想いますね。

若き日 尺八の杉沼左千夫さんとDsの大沼志朗さんとのライブにて

このところ昔の仲間達(20年来~40年来の)と会う事が多いのですが、先日もそんな仲間と一緒に話していたら、琵琶奏者として活動しだしたこの20年という年月があまりにも短く感じられ、また自分の意識もさほど変わっていないんだなと、つくづく思いました。別の言い方をすると20年して、また振り出しに戻ってきた感じとでもいいましょうか・・・。
毎年多くの出会いや別れがあり、色々とお仕事もさせてもらって、様々な想いが自分の中に湧き上がってくるのですが、ここ2年程で自分にとって一番素直な所にまた立ち返ってきたような気がしています。

私は元々自分のやりたい事をやりたいようにやる人間ですが、この一年で更に好きな事を好きなようにどんどんとやるようになりました。もちろんそれを実践するには、相応に責任を負い、自立している事が前提ではありますが、このスタイルがまたまた進化した一年といえるでしょう。
また楽器が良い感じに揃ってきたのもそれを手伝っていますね。上の写真の分解型もなかなか鳴るようになってきましたし、あと一面、象牙レス加工を施せば、私の相棒達はほぼ完璧。自分に合う楽器が揃ってくるのは音楽家として気持ちが充実しますね。ギタリストでもヴァイオリニストでも、先ずは何より自分の弾く楽器に満足がいかないと演奏家としては良い音楽は創れません。何も高級品をそろえるというのではなく、あくまで自分の求める音の出るものであれば、それで充分。私の琵琶は全部片桑ですが、誰にも負けない素晴らしい音色を奏でます。絃はもちろんのこと、サワリや絃高、全体のバランス等のセッティングも日々徹底的に詰めて調整を施していますので、音色に関しては絶対の自信を持って常に舞台に立っています。

左:2001年グンナル・リンデルさん、カーティス・パターソンさんとのCDジャケット、
右:今年京都の琵琶サークル音霊杓子の面々と
一年の節目に振り返ってみると、琵琶奏者として活動を始めたこの約20年はあっという間でしたね。時間は過ぎ行くものでもあるし、積み重なるものでもあるのですが、これまで生きて来て感じるのは、過ぎ行く、積み重なるというよりも、時間が時を刻んできたのではなく、20年という時間の中を、自分が勝手に漂っていたような気がします。時間と共に生きるのがまあ一般的な人間なのでしょうが、私の場合は時間の経過とはあまり関係なく、勝手気ままに時間という枠の中を泳いで来たというのが、正直なところなのかもしれません。漂うように、移ろうように、何かに導かれこれまで来たような気がしてなりません。

日本橋富沢町樂琵会にて、Viの田澤明子さんと
そもそも音楽家芸術家は物理的時間の中に生きて居ては作品は生み出せないのです。物理的時間を軽々越えてしまうのが我々の存在であり芸術というもの。世の中と共に在りながらも流される事は無く、漂うように、縦に横に上下左右、過去にも未来にも自由自在に動いてこそ芸術は生み出されるのです。感性だけでなく生活も同じ事、生き方そのものが時間を超越しているようでなくては、芸術は創造できません。
今後、生活がどうなるか判りませんが、行けば行くほどに自分らしくなるしか生きようがないですね。

毎年こんな風にゆったりと時間を過ごし、一年を振り返ることが出来るのは本当に幸せだなと思います。世の波騒は常にありますし、上手く行かないことも、想い通りに行かないことも多々ありますが、それでも少しづつ自分の想うところへと歩みを進めて行けるこの人生に感謝し
てます。

皆様の一年は如何でしたか?。

師走の風2018

10月日本橋富沢町樂琵会にて
世の中は年が押し詰まると共に盛り上がってきますね。私も毎年早めに仕事納めになるので、忘年会に日々いそしんでおります。

今は、ゆっくりとこの一年を反芻しているのですが、器楽としての琵琶楽という点は、今までになく充実してきた感がありますね。牛歩の如くではありますが、少しづつ薩摩琵琶における現代曲のレパートリーも増えてきて嬉しい限りです。また今後は樂琵琶においても、現代曲をどんどんとやって行こうと思っています。

実は先日の日本橋富沢町樂琵会では、樂琵琶で一番最初にリリースしたCD「流沙の琵琶」に入っている拙作「凍れる月」を演奏し、津村禮次郎先生に舞ってもらったのですが、この「凍れる月」は私の樂琵琶の作品でも唯一といえる現代作品なのです。
先日は津村先生の絶妙な舞いが入った事によって、今迄この曲に抱いていたイメージが更に明確になって、樂琵琶に新たな一つの道筋を感じました。雅楽~シルクロードという部分ではなく、樂琵琶の現代曲という分野に踏み出したい、と言う気持ちが湧いてきたのです。考えてみれば薩摩琵琶ではどんどんやっているのですから、楽器が変わろうと、自分の行くべき道は同じはず。この「凍れる月」は樂琵琶を手にした最初の頃のとても素直な私の感性が創り出したもの。今こそもう一度その原点に戻り、もっと自由に樂琵琶に於いても現代という視点で関わってゆきたいのです。雅楽~シルクロードというのは勿論私の一貫した一つのテーマなのですが、これからは樂琵琶に於いてまた新たな分野も切り開こうと思っています。樂琵琶の音色と存在感でなければ成し得ない、独自の世界を創り上げたいですね。

年を追うごとに、音楽以外のところから学ぶ事が多くなりました。他の芸術ジャンルはもちろん、武道からも、ビジネスマンの話からも深く感じ入るものは多々ありますね。つまり世の中にある事柄は、皆つながっているということです。日々色んな人に逢い、様々な話を聴くにつけ、そう思えて仕方が無いのです。自分の周りには無数のヒントがあり、音楽を創り出すチャンスが常に存在している。そんなことを感じた一年でもありました。

来年の後半にはまたアルバムを創りたいと思っています。まあ資金やら何やら実現まで漕ぎ着けるかどうかわかりませんが、じっくり進めてゆきます。ヴァリエーション豊かなものにしたいですね。現代における琵琶楽の姿を表現したいと思います。そして次回からはCDというものは作らず、アルバムとしてネット配信のみの形になると思います。これも時代ですね。

津村禮次郎先生と日本橋富沢町樂琵会にて

今年のまとめはまた改めて書きますが、とにもかくにも次に歩むべき道が見え、具体的な構想が既にあるというのは実に良い状態です。課題は山のようにありますが、まだまだ先に進んで行ける。そんな実感を持っています。また来年が楽しみになってきました。

極めるということ

先週はずっと演奏会続きでしたので、ちょっとご無沙汰になってしまいました。年末はやはり何かと盛り上がりますね。日本橋富沢町樂琵会では今年も津村禮次郎先生をお招きして、拙作「凍れる月」で舞っていただきましたが、さすがの存在感で、素晴らしい空間が出現しました。また今回はフルートの久保順さん、筑前琵琶の平野多美恵さんにも助演をお願いしましたので、華やかな会となりました。

21s

上:津村先生の舞(右手には花柳面先生のお顔も photo 新藤義久)
下:左より平野多美恵さん、音楽プロデューサーの小浦瞭子さん、久保順さん、私

今年は本当に多くの仕事をさせてもらいました。年を重ねるごとに色々と仕事が増えて行くのは喜ばしい事ですし、充実した仕事が出来るというのは音楽家としても自信がつきます。是非来年も更なる飛躍を期待したい所ですが、やればやるほど気をつけているのはクオリティーです。
作品としてのクオリティーと、演奏としてのクオリティー、共に高くないと音楽として結実しないのです。クオリティーをどう上げて行くか。そこにその人の器が発揮されます。エンタテイメントにするのか、アートにするのか、舞台全体の質をどう高めるのか、・・・。色々な方向性がある中でどこを向いて自分の世界として結実させて行くか、正に器やセンスなど、音楽家としての質が問われているのです。
薩摩琵琶はいわゆる古典では無いので、少なくとも大正昭和の軍国の時代に出来上がった流派の曲をお見事に弾くことだけは、私にとってありえない方向ですね。

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琵琶樂人倶楽部にて、古澤月心さんと掛け合い琵琶
11月半ばからは比較的時間がありましたので、これまでのレパートリーの見直しを徹底的にやっていました。中には大きく弾法や節を変えた曲もあるし、器楽曲も何度も何度も譜面を書き直し、タッチを考え、表現を変えたものもあります。足したり削ったり、こつこつと極めて行く姿勢を常に持っていないと、クオリティーは上がって行きませんね。

特に習ったものというのは「こうでなければならない」という気持ちが自然と出来てしまい、何故その節なのか、何故そう弾くのかという問いかけをしないままに、盲目的に「こうだ」と思い込んでしまいがちです。時代と共に感性は変わっているのに、思考を停止して習った通りにやるのが良いと思い込んでしまう。また自分で作ったものでも、とりあえず形になると、それなりに満足してしまって、そういった根本的な問いかけを自らしなくなり、出来上がった曲を上手に弾くことばかりに気を取られてしまいます。
こういう姿勢では音楽は深まって行かない。音楽は常に時代と共にあってこそ音楽として成立するものですし、たとえ何百年立った古典曲であれ、今この時代に演奏する意味を演奏者自身が持っていないとただのお稽古事になってしまいます。だから作品としても、演奏としても、常に何年もかけて色んな視点で自分の演奏や曲を見直し、手直ししてこそ深まるのです。

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日本橋富沢町樂琵会にて
先ずは現世に背を向けて、オタクのように閉じこもらない事。そして世に溢れる様々な芸術に触れ、考えて、感じて、勉強して自分で自分のスタイルを見つけ出して、それを創り壊し直し・・・。それを死ぬまで続けて行くのが音楽家。それをしない限り、技芸としての精度は高まっても、音楽としては深まって行きません。
私は自分のやるものをもっともっと深めて、自分の世界を明確に表現したいのです。音楽をやっている人は、同じ音楽家同士で、どっちが上手いとうような比較をどうしてもしたがるものです。その気持ちはよく判るのですが、リスナーはそんなところを聴いてはいない。そんな小さな世界から抜け出して、音楽家として舞台人としての意識を持った人だけが、音楽を生業として生きて行けるのです。

塩高トリオ
昨年末、日野先生と笛の大浦さんと、リブロホールにて
先週はフラメンコギターの日野道夫先生との小さなジョイントライブもやったのですが、良いお話を聞きました。日野先生曰く「プロとして活動している以上、確かに売れる売れないということは大事だけれども、それよりもギター(琵琶)を弾いて生きて行くんだという決心が持てるかどうかが大事だね」さすがアンダルシアでジプシーと生活を共にしてきた先生ならではの言葉だと思いました。琵琶ではなかなかこういう人は居ませんね。

先ずはこういう精神を持てない限り、クオリティーを高めるも何もありえません。人生どうなってゆくか判りませんが、どうなったとしても、自分はこの道で生きて行く。その気持ちがあれば、音楽も極まって行くことでしょう。

まだまだ私は自分の音楽を極めて生きたい。もっと洗練したものにして行きたいし、創造もして行きたい。キリが無いですが、こうした活動を止める時は、音楽家として生きるのを止めるという時だと思っています。
来年も楽しみです。

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