雨にむかひて月を恋ひ

この所は温度差が大きく、着るものも何を着てよいのやら判断がつきません。体もついてゆきませんね。月初めは花見にかこつけて、ふらふらと出歩いていたんですが、先週は琵琶樂人倶楽部、そして横浜イギリス館での演奏会をやってきました。花粉の時期も過ぎたので、久しぶりに弾き語りでの演奏でしたが、声が充分に出るというのはやはり気持ちの良いものですね。

新宿御苑

徒然草に「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ~」という一節が出てきます。まあ群雲の掛かる月なんてのは、それ自体風情があって良いのですが、見えないからこそ、心の中に月の美しさを感じるのでしょう。花の盛りも目の前にすると実に気持ち良いものですが、本当の美は目ではなく、心で感じるもの。葉桜を目にするからこそ、その盛りを心に描き、また次の年を待ち焦がれるのでしょうね。
何事も形や装飾をそぎ落としきった所にこそ、本来の美が表れるという感性は日本文化の底流として、ずっとありますね。それがなかったら、平安時代の和歌も、中世の茶道、華道、能なども生まれなかっただろうし、日本人の心は別のものになっていたことでしょう。

人はとかく目で見る情報に囚われてしまいます。いつもよく書いている、宮本武蔵の「観の目強く,見の目弱く」という言葉は、なかなか現代人にこそ必要な教訓だと思います。音楽でも食べ物でも情報でも、あらゆるものが溢れるようにある現代の世の中で、何でも選択でき、何処にでも自由に行け、便利で、楽で、考えることを必要としない・・・・。そんな現代に生きる我々は、観の目がどんどんと弱くなっていくばかりです。

音楽の世界も、目で見るような音楽ばかり。感性が震えるようなものは本当に少なくなりました 。レコードを食い入るように聴いて、アドリブの一つ一つを全て記憶するように育った私としては、今の音楽はビジュアル先行で、音楽が聞こえて来ないですね。邦楽でも、派手な衣装に身を包んで、歌あり、踊りありで演出を懲りに凝って舞台をやるのが「凄い」「さすがプロだ」ともてはやされますが、それはショウのステージとしてはプロでも、音楽としてはどうなんでしょうかね・・・・?。私には邪魔なものが多すぎて、そこからは音楽はほとんど聞こえてきません。正に食って行くための芸に成り下がった、末期の姿という風に私には見えます。

さて、今月18日木曜日には第19回の日本橋富沢町樂琵会があります。今回は尺八の大ベテラン、矢野司空さんがゲストに来てくれます。司空さんは山本空外師に師事した僧侶でもあるので、色々なお話もしてくれます。これが実に面白いのです。
「一音成仏」とは尺八の世界でよく言われる言葉ですが、あらゆる装飾を取り払い、美をも取り去った後に、溢れ出る日本感性の真髄が聞こえてくるのが尺八古典本曲です。この風土が長い年月を経て育んだ、日本独自の感性は、時代を超えて必ず届くと思います。もちろんそれだけ演者のレベルがもっとも問われる音楽でもあります。今回は矢野さんは「松巌軒霊慕」という本曲を演奏してくれます。必聴ですよ。

是非「観の目」で聴いて、心の中に豊かな世界を感じて下さい。

花の姿 人の姿2019

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左:善福寺緑地、花見の宴、右:新宿御苑

今週は桜満開ですね。今年もいつもの花見仲間と近くの善福寺緑地で盛り上がってきました。こうして花の姿を見ていると、本当に多くのことを想い、感じますね。
今度の元号も、梅花の歌から取ったそうですが、私が何時も歌っている「嘉辰令月」にも通じていて、何だか嬉しいです。色んなことを言う人もいますが、私はこれからの世を寿ぐような感じがして気に入りました。

善福寺緑地

毎年こうして花見が出来るというのは実に幸せな事だとつくづく思います。散り行く桜なんか、何ともいえない風情があって、何だか浸ってしまいますね。ただ近頃は美しいだけでなく、その姿に生死というものもかなり感じるようになりました。年を取ったということなんでしょうかね・・・。

存在するものは皆、死を内在しているのは世の習い。古から諸行無常やパンタレイと言われるように、すべてのものは常に移り行くものであり、永遠に変らないものは何一つありえないのです。死のない生はありえないし、生のない死もまたありえない。だからこそ、限りある命だからこそ、その生の輝きが美しく感じられるのかもしれません。

蕾が脹らみ花を咲かせ散り、新しい葉が出て来て、紅葉し、枯れて、また蕾が脹らんでくる花の姿を一年を通し見つめていると、その姿に命の営みを感じずに入られません。そしてその生き様や使命、その場に咲く運命等々、色々な想いが湧き上がって来ます。私のように人生折り返し地点に来ると、何に接しても、そんなことを思ってしまいます。人でも花でも全ての命には生死が定めとしてあり、また何かしらの使命がある。そこに生きる何かしらの理由もある。最近はそんなことをよく想います。
岡田美術館にて
私自身は平凡な人間ではありますが、私という人は世界に一人だけですし、他の誰にも成り得ない。言い方を変えれば、他の人には出来ない特別任務を背負っているとも言えます。きっとこうして琵琶を弾いて回っているのも、与えられた使命なのかもしれません。私は好きでやっているだけなのですが、考えてみれば、今ここに導かれたと思うことが本当に多々有り、これ迄こうして、どうにかこうにか琵琶弾きとして生かされてきた事を思えば、琵琶を弾くということがそのまま私の存在理由でもあると思います。

私の音楽はどんな風に聴かれているのか、私には判りませんが、薩摩琵琶はとかくそのパワフルな弾きようや、大声を放つ様が目に耳につきやすいものです。しかしそんな表面的な強さや、多少のお上手さを見せているようでは、まだまだですね。常にそういう所に寄りかからないように自重しています。
表面の体裁を繕い、立派な名前や肩書きに飾られていても、小器用なテクニックでうたい上げても、表側をなぞっている音楽は低俗の極み。ましてや平家物語をやるのであれば、言うまでもないでしょう。消え入るようなかすかな音にも、その中に滔々と流れる命の営みが満ち、力強い音にも、その裏側に滅び行く姿が内在して初めて何かが語れるのと思うのは私だけではないでしょう。こぶしまわして哀れだの何だのと大声上げているような演奏がいかに薄っぺらいものか、聴く人はすぐに判るものです。そんな心で平家物語を舞台で演奏する事は、私には出来ません。
photo 新藤義久

今年は私個人にとっても色々と変化して行く年になりそうです。先日書きました「四季を寿ぐ歌」も今年中には完成すると思いますので、樂琵琶・薩摩琵琶共に充実のプログラムを組んで行けると思います。自分の世界がより明確になるだろうし、それに伴って活動のやり方も少しづつ変化して行くことでしょう。環境も変わって行くかもしれません。今はそんな時期だと思っています。

毎年楽しませてくれる梅や桜も、毎年その姿は変ります。長い間通って眺めていると、満開の豪勢な姿を魅せてくれるものばかりでなく、勢いが無くなってしまったもの、その寿命を終えたもの等、様々な姿に出会います。私もいつかはこの命が尽きる時が来るでしょう。それも私に与えられた運命、使命なのだと思います。私が残した音楽が誰かに、何かを感じさせ、そこからまた新たな音楽が生まれていったらいいな~~、なんてことを想いつつ、今年も花に酔い、酒に酔い、この一瞬の輝きを楽しませてもらいました。

たとえ密やかであっても、自分らしく自分の花を咲かせたいものですね。

創るということ2019-Ⅱ

もう新年度ですね。元号も変り、日本という国が変わり目に来ているという事をひしひしと感じます。しばらく花粉の影響もありここ一月ほどは演奏会も週一程度と少な目でしたが、少しづつ復活してまいりました。ここ一週間では、六本木のストライプハウスにて、パフォーマーの坂本美蘭さん、山田裕子さんとセッションがあり、すぐその後はNHKeテレの「100分de名著」という番組の収録。今回は平家物語の特集で、能楽師の安田登さんと御一緒でした。

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左:ストライプハウスにて。右:日本易道学院でのレクチャーの模様、

そして昨日は日本易道学校にて、スタジオMの仲間達と春のイベントでの演奏をやってきました。いや~~東洋の哲学や学問は深いですね。現代の先端理論を、もうはるか昔に確立していたとも思えるその内容にはびっくりしました。やっぱりこれからはアジアの時代ですね。
私はいわゆるエンタメには程遠いタイプではありますが、とにかく色んな形でお声が掛かるのは嬉しいです。琵琶もステレオタイプの演奏ばかりでなく、もっとアーティスティックに、個性的なスタイルで音楽を発信して行って欲しいものです。

私は普段からかなり色んなジャンルの演奏を聴いていますが、正直な所、面白いのはジャズよりロックですね。ジャズはもう中学の頃から全身浸りっぱなしなので、言うなれば私にとって御飯や味噌汁のような定番。確かに一番心地良く、いつもで私を癒してくれるます。しかし現代のジャズシーンでは、名人的な凄いプレイヤーは次々に出て来るものの、芸術的刺激は正直なところ薄いのです。ジャズを受け入れる時代は過ぎたのでしょうか・・・。

高校生の時から憧れているジャズギタリスト パット・マルティーノ

もうジャズは次の形へシフトして行く段階に来ているのでしょうね。このままあの形やスタイルに拘りなぞるようだったら、もうジャズはそのスピリットすら失って新たなものに吸収され、ただのメソッドのようなものになり、姿も精神も消滅してしまうかもしれません・・。面白い活動をしている人たちも多々居るのですが・・・・。

その点ロックは元々何でもありの所から出て来ているので、何の制約も無く、どの時代も魅力と個性が溢れていますね。ショウビジネスと背中合わせの音楽ですので、確かに一発屋は多いですが、無尽蔵に溢れ出るその感性には、とどまることの無いエネルギーがありますね。私はどうひっくり返ってもロックを演奏出来るようなタイプではないので、自分のスタイルで自分の音楽を只管どこまでもやるのみですが、現代のアートはロックシーンから出発しているとも思います。

ただこれはと思うアーティストは、2000年代辺りまで残念ながら海外のバンドばかりでした。60年代のヴェルヴェットアンダーグランドのサイケデリックムーブメント辺りやジミヘン、70年代のクリムゾン、ツェッペリンなどのレジェンド、その後の70年代中後半から80年代のピストルズ、クラッシュ、ラウンジリザーズやノイバウンテン、デヴィッド・シルヴィアン、ブライアンイーノ、リヴィングカラー、90年代からはプロディジーやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン等々、どの時代も刺激がいっぱいでした。とにかく皆エネルギーがはんぱなく凄かったですし、ショウビジネスとの付き合い方も巧妙に変ってきて、売れ線ポップに成り下がるような俗物とは一線を画する姿勢が皆格好良かったですね。

 
それがここ10年程、日本のバンドでも凄い連中が出ていますね。海外のバンドのコピーみたいなものではなく、ショウビジネスにおもねる事もなく、独自の魅力を持っていて、且つ実力もかなり高いバンドが活躍しています。今一番のお気に入りは「八十八ヶ所巡礼」というバンド。興味のある方はYouTubeを是非御覧になってみてください。琵琶や邦楽好きの方にはちょっと刺激が強いかもしれませんが・・・。

もちろん以前も、面白い個性とセンスを持ったバンドはいくつもあったのですが、「想いはあれど言葉足りず」だったり、パフォーマンスに寄りかかり過ぎて、音楽が今一つだったりするのが多かったように思います。そういうバンドを聴くにつけ、残念な気持ちを以前はずっと持っていました。またデビュー時はいい感じのエネルギーを持っていても、メジャーが見え始め、骨抜きになってしまった例も多いですね。ここで根性入れられるかどうかが、ロックの(ロックに限らず)一番の勝負なのです。
邦楽でも「演歌歌手のバックでTVに出た」なんて喜んでいる輩も相変わらず多いですが、私はそういう人の音楽は聞きたくないし、その類はもう結構です。

島根グラントワにて、志人さんと

何かを創り上げるには、先ずは徹底的に自分に成りきること、何にも捕らわれない自分の目と耳で世界を見るて感じること。更には自分にしっかり向き合う事。自分のやっている事は本当に自分のものか、そしてそれは美しいかを常に問う事。私は何時もこんな風に考えています。
そういう姿勢を持っていないと、己以外のものを軸にして自らを測るようになってしまう。賞をもらおうが偉くなろうが、そんなものは己の軸とはならないし、先生の演奏をフルコピーしても、参考にこそなれ、そんな所からは何も創り出せないのは当たり前でしょう。芸術の前には組織も形式も身分も階
級も無く、また憧れの只中に居るようではまだまだなのです。

ジャンルはどうあれ、ロックだろうが邦楽だろうが、地球上の全ての音楽も人も皆、何かしらのDNAを過去から受け継いでいると思います。しかし受け継ぐべきものは形でしょうか、組織でしょうか。残念ながら受け継ぐことが出来るのは精神のみなのです。そしてそれを人は伝統と呼ぶのです。世界一長い歴史を誇るこの日本でも、受け継がれているのは日本人としての感性(それも核の部分の)であって、生活様式も社会のあり方も、形はことごとく変化しています。お寺や神社、皇室など、特殊な権威権力のあるものは形も残るでしょう。しかしそれとても時代と共に変化して行っているのはご承知の通り。

芸術に関して言えば、社会や時代と共に在ってこそ、その存在意義があるもの。したがって目に見えるものや形を勉強する事は良いものの、そこにすがってなぞっているのは芸術としては如何でしょう。それは過去にすがるも同然であり、創造性をその命としている芸術とは対極にある行為・心です。極端な物言いではありますが、お上手にお師匠さんの形の通りに出来るようになるのは伝統でもないし、芸術でもない。お稽古事です。こんな事は芸術家よりもビジネスマンの方がよく判っていることと思います。事実、創造性を無くしたものは音楽であれ、企業であれ、どんなものでも衰退して行くのは世の習いというもの、ではないでしょうか。

私がこのブログでよく取り上げる永田錦心は、自分で自分の音楽を創り上げ、それを世に問い、認めさせ、時代を作って行った人です。だから私は、何時も尊敬の念を持って見ているのです。名人だとか流祖だとかという事は、私にとってどうでもよいのです。独自のセンスとスタンスで時代を生き抜き、次世代へ想いを伝えた事に興味があるのです。そしてこういう人をこそ芸術家というのだと私は思っています。このセンスを受け継げるかどうか、薩摩琵琶の今後はその一点に掛かっていると私は思っています。

どんなジャンルでも名人は居るし、その演奏は素晴らしい。でも私を惹きつけるものは、そんなお見事なものではなく、時代を切り開く閃光なのです。創るとは正に光を放つこと。その光がどれだけのエネルギーを持っているか、それに尽きます。
私はこのブログでもクラシックやジャズ、ロック、フラメンコ、オペラ、バレエ、邦楽、文学、美術、演劇etc.・・・多くのジャンルの音楽家・芸術家のことを書いていますが、彼らの放った光は今でもそのエネルギーが褪せることなく、現代にも、そして次世代にも輝き渡っています。その場でぱっと消えて行く光ではないのです。

私がそれを出来るかどうか、それは判りません。しかし芸術を志した者として、追求せずには行かないのです。現代ではアートとエンタテイメントはとても密接な関係にあるし、ショウビジネスとの関わりも無視はできません。プロとして、どのようなものが現代社会に受け入れられて、その存在価値を示して行くかという事を知る為にも、あらゆるジャンルのものを聴きますし、琵琶の可能性に挑戦するためにも、クオリティーさえあればジャンルもタイプも問わず、どんどんと共演もしますが、どんな場にあっても創造性を持って立ち合いたいですね。静かなものだろうが、迫力系だろうが、そういう表面の形ではなく、内面にエネルギーの燃え盛るアーティストと、この時代を駆け抜けて行きたいものです。

今年も面白くなりそうです。

テクニック

私は琵琶で活動を開始した時から、本当に人に恵まれました。本格的な邦楽の初舞台は、まだ若手と言われた30代。四谷の紀尾井ホールで行われた長唄福原流の寶山左衛門先生の会でした。その後大分能楽堂では寶先生本人と共演をさせてもらいまして、本当貴重な経験をさせて頂きました。その後もバレエの雑賀淑子先生、日舞の花柳面先生、そして能の津村禮次郎先生など、今思えば、音楽活動の始めに錚々たる大先輩と共演できた事は、大きな財産だと思っています。

1寶先生 大分能楽堂公演
左より、津村先生と打ち上げにて、右:寶先生を囲んで大分能楽堂公演の打ち上げにて、

まああの頃は恐れを知らないといいますか、もうやりたい放題という感じでしたね。各先輩達は皆さん古典邦楽の突出した名人でもありましたが、創作を旺盛にするタイプの方々で、そういう点が私の性質にぴったり合いました。私はその創作舞台で数多くの共演をさせて頂いたのです。まだ勢いだけだった頃にこういう機会を頂いたというのは、感謝という言葉以外出て来ないですね。

そんなお仕事をさせていただく中で私が感じたのは、皆さんの桁外れのテクニックと、引き出しの豊かさですね。創作舞台ですので色々と新たな試みをする訳ですが、私は作曲・演奏込みで仕事をさせてもらいますので、古典を土台としながらも古典の形ではないものを創って行くのです。そういうものでリハを重ねて行くと、先生方の並外れたテクニックや経験が色んな形で炸裂してくるのです。新たなものを生み出して行く様は、今想い返してみても、実に実に面白かったですね。

表現活動をするにはテクニックはとても大事なのです。想いさえあれば何とかなる、と思っているのはアマチュアの発想。それでは何事も成就しません。ましてや舞台とういう場で表現を具現化するには、それはそれは深いテクニックが必要なのです。テクニックというと普通は正確に弾くとか音程やリズム感が良い、という風に思うことが多いでしょう。しかしそうした「上手」はテクニックのほんの表面の一部に過ぎません。そういうお上手さは、習った事を間違いなくやっているだけで、テクニックと言うより手馴れていると言う方に近いと思います。テクニックと言うからには、新たな世界を生み出し、それをハイレベルで具現化する位までやってこそ。その為のテクニックであり、そこまでやって初めてその人独自のテクニックが物を言うのです。
IMGP0015ルーテル市ヶ谷ホールにて花柳面先生と
深いテクニックというものは、一見外側からは見えないものです。
以前花柳面先生との舞台リハで、一見なんてことない扇を捌く所作に釘付けになったことがありますが、手を動かすその一つの動作の中にありとあらゆる術があるのでしょう。またその背景には経験や知識、歴史や哲学等々、見えないものが山のようになければああいう捌きは出来ませんね。単に身体の使い方が上手などというレベルではないのです。逆に単なる技(早弾きや、コブシ回しなど)が目立ってしまう人は、まだまだ舞台全体、つまり独自の世界が出来てないから、部分が目立つのです。
シンプルなものほど、こうした豊穣な背景を持っていないと、舞台として成り立ちません。邦楽には一音成仏という言葉がありますが、一音を出すには、その背景に溢れんばかりの豊かな世界があってこそなのです。そこを是非次世代を担う方に判って欲しいのです。習った事を上手になぞっているようでは、いつまで経ってもお稽古事から抜け出せません。また、心の問題も大きいですね。精神の部分を別にしてテクニックは在り得ません。

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座高円寺にて 津村先生と 

現代社会の中で成り立ってこそ芸術というもの。この現代の中で、音楽家として舞台で生きるという事とは何か、自分は何者で、どういう生き方をして何処を歩いているのか。その中で自分は何をやり、何を表現したいのか、何故それをやるのか・・・・。それらの事を自覚していなければ、多少の技術を使って仕事をこなしているだけで終わってしまいます。
若さの勢いだけでやっている内はまだ良いとして、年を重ねて少しばかり手馴れて来ると、底の浅さがそのまま音に、姿に、目つきに出て、少しばかり手馴れているが故に、小手先の技が空回りして「けれん」に落ちてしまいます。身体を使う術も、豊富な知識に裏付けられた知性も、豊かな経験も、精神を兼ね備えてこそテクニックとして成立するのです。その豊かなテクニックを使い、芸術家として、その人独自の世界と作品を表現して欲しいものですね。私自身も常に気を付けているところです。

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日本橋富沢町樂琵会にて ヴァイオリニストの田澤明子先生と

先日、昨年リリースしたCD「沙羅双樹Ⅲ」で共演したヴァイオリニストの田澤明子先生の演奏を聴いてきました。ヴァイオリンをやっている人なら、彼女のその実力はもう周知のことではありますが、先日の演奏も惹きつけられる様な素晴らしい演奏でした。あらためて彼女の音楽家としての深さを感じましたね。曲はフォーレのヴァイオリンとピアノの為のソナタOP.13。その演奏には、現実を超えた世界へと連れて行かれてしまうような風を感じました。現実を越えた何処かへと、自分の身が吸い込まれるようなエネルギーに満ち、またそこにはちょっとある種の狂気(といったら言い過ぎでしょうか)すら感じられるようなものでした。その風が私の身体を吹き抜けて行ったのです。彼女の中にある大きな世界を感じました。

2日本橋富沢町樂琵会にて ヴァイオリニストの田澤明子先生と
数年前にも、彼女の演奏会で同じような風を感じて、8thCDの目玉曲である「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」の録音は彼女しかいないと確信し、以来ご一緒させてもらっている訳です。あらためて先日彼女の演奏を聴いて、本当のテクニックというものを感じましたね。きっと邦楽の大先輩たちと同じように、心と体が備わり、整い、確固たるものとして出来上がっているのでしょうね。ここまで至るにはきっと色んなご苦労があったことと思います。しなやかで且つブレの無い演奏は実に魅力的で、本当に素晴らしかったです。
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京都 清流亭にて

今思うのは、経験や知性・知識、技、そして精神が調うことの大事さですね。そしてもっと体全体の使い方が重要ということです。古武術を少しばかり教わってきて、身体の可能性にもまだまだ奥があると感じています。体幹や重心をどう使うかということは、物理的に声にも大きく関わりますし、精神面でも大きな変化をもたらし、音楽全体を捉える視野の広さにも繋がると感じています。よく言われる「知・情・意」は結局身体に集約されて行く、と思うようにもなりました。あらためてテクニックというものの深さと大切さを感じています。
薩摩琵琶には、永田錦心、鶴田錦史など個人の魅力ある演奏家は居ましたが、大正昭和に成立した音楽なのでまだ歴史も浅く、能や長唄のような洗練熟成された古典作品というものがありません。しかしながら世阿弥も「古典を典拠にしろ」と言っているように、琵琶奏者として、寄って立つ所が何処かというのは大きな問題です。だから私は琵琶楽のルーツを辿って、樂琵琶に行き着いたのです。樂琵琶に出逢ってから、またその奥にあるアジア大陸の音楽が見え、そこからまた琵琶楽の長い歴史と流れが見え、現代琵琶楽の薩摩琵琶があらためて見えてきて、自分の想いも世界観もだんだんと出来上がって行きました。これら全てが私のテクニックです。

素敵な音楽を創ってゆきたいですね。

移りゆく時代(とき)2019春

暖かくなりましたね。しかし今年は花粉がかなりの猛威を振るっているようで、私もこのところ毎日のようにグシュグシュやってます。こういう時期は家に引きこもって、琵琶を弾き倒し、譜面を書き直ししているのですが、今年はちょっと今までにないものを創っています。「四季を寿ぐ歌」という~まあ組曲とでも言えばよいでしょうか~作品です。

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津村禮次郎先生と 日本橋富沢町樂琵会にて

実は昨年、津村先生と東洋大学にて「方丈記」を上演したのですが、そのとき、脚本からコーディネートまでを原田香織教授に担当していただきました。原田先生は中世文学の専門なので、能はもちろん、和歌や平家物語など、色々と話も盛り上がり、以来何かとお世話になっています。方丈記公演の後、近代の薩摩琵琶唄についても話が弾みまして、その時私が「切った張ったの戦の話でなく、もっと四季の風情を歌ったり、ラブソングだったり、今に生きる人達がそのまま共感できるような曲が創りたい」となどと、何時も思っていることを話したところ、原田先生が「そういうことなら私が歌詞を書きましょう」と言ってくれまして、昨年末より少しづつ書いていただいています。

今のところ、2曲ほど完成しました。楽器構成は、樂琵琶・笛(龍笛・能管・篠笛)、笙、歌(メゾソプラノ・語り)。雅楽をベースにしていますが、雅楽に囚われずに創っています。かなり時間はかかるかと思いますが、こういう作品に取り組んでいることもあり、気分も今までとは随分と変って来ています。何か新たな活動が展開して行きそうでわくわくしますね。

10sヴァイオリンの田澤明子先生と、日本橋富沢町樂琵会にて
昨年8thCD「沙羅双樹Ⅲ」をリリースしてから、だんだんと自分の中に区切りがついてきて、特にここ一年はかなり器楽に特化する事が出来ました。独奏は勿論の事、樂琵琶も以前にも増して活発に演奏するようになりましたし、ヴァイオリンやフルートなどの洋楽器との共演も重ね、これまでの作品に新らたな命が灯ったような充実感を得て、手ごたえを実感しています。
私は琵琶を手にした最初から「器楽としての琵琶楽」がテーマで、1stCDも全曲私が作曲したインストルメンタル作品でした。それ以来ベスト盤を入れると10枚のアルバムを発表していますが、その全てが私の作曲作品ですので、いわゆる弾き語りの琵琶奏者とは随分違うアプローチをしていると思います。

舞や演劇、その他どんな仕事でも、作曲家の初演でない限り、全ての曲は私が作曲した作品を弾いているので、琵琶奏者としてはかなり特殊な例だと思いますが、これ迄こうしてやって来れたことに、やればやるほど感謝の気持ちが増して行きますね。そしてこれが自分のやり方なのだ、という思いも強くなってきます。私は基本的にプレイヤーという感じではないのでしょうね。まあビートルズでもマイルスでも、ロックやジャズのミュージシャンは皆さん自分達で曲を創っていますので、そういうものを聴いて育った私としては当たり前のやり方なんですが・・・。

150918-s_塩高氏ソロ
岡田美術館 尾形光琳菊図屏風の前にて

勿論弾き語りでもずっとお仕事をさせて頂いて来て、これ迄声に関しても、それなりに自分なりに研究をしてきましたが、「沙羅双樹Ⅲ」に「壇の浦」を収録したことで、弾き語りに関してはもう一区切りついて、本来自分が追求すべき「器楽としての琵琶楽」にやっと足も身体も心も向いてきたという訳です。

これまで琵琶語りをやってきた事は決して無駄ではないし、ある意味私に大きな自信をもたらしてくれました。しかし私は器楽としての琵琶の作品を創る為に琵琶を手にしたのですから、帰るべき所に帰るのが良いのです。自分に一番素直な状態で居るのがやはり正解です。以前は妙な意地を張っていて、自分の気持ちに、自分でも知らない内に振り回されていたといえるでしょう。そんな余計な所がここ数年ですっかり取れました。
これ迄随分と沢山の作品を創って来ましたが、やっとこれまでの「器楽としての琵琶楽」の作品群がしっかり自分のレパートリーになってきたと実感しています。

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photo 新藤義久
今は作曲作品だけでなく、活動の内容ややり方も大きく変って行く時期に来ているのかもしれません。琵琶でプロの演奏家として活動を始めてもう20年ですから、そろそろ自分独自のスタイルがしっかりと出来上がって当然ですね。外側から見た私はどうか判りませんが、自分の中ではようやく、浮ついたものがすとんと落ちて落ち着いて来ました。
自分では判らずに活動は少しづつ少しづつ変化して行きます。まるで何かに手繰り寄せられるように、その方向を変え、視野が広がり世界が充実して行きます。基本的な筋や軸のようなものは変らないのですが、活動を展開していると、自分でも思ってもみない世界に触れる事が多く、それらの経験が自分の次に歩む道をはっきりと照らしてくれます。
社会と共にあるのが芸術ということを考えれば、一見関係無いようなものでも、この世に同じく存在する事は、何かの繋がりが見出せるものです。
こうして移り行くのも「はからい」というものでしょうか。
これからも充実の作品を創り、活動を展開して行きたいですね。

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