午後の日差しの中で

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昨日の荻窪かんげい館での笛と琵琶による演奏会は、ささやかな会ではありましたが、満席のお客様にお越しいただきまして、とても和やかに良い雰囲気で演奏が出来ました。こういうのを本当のサロンコンサートというのでしょうね。久しぶりにこの雰囲気を味わいました。以前はよくこういう会をやっていたので、また少しづつ再開して行こうかと思います。

yoshino-ume5今は無き吉野梅郷の梅
2月3月は、毎年私にとっては演奏会も少なく静かな時です。まあ現実には稼ぎも大切なので、ただぶらぶらしてはいられないのですが、シーズンになると週に3本4本と演奏会が入り、のんびり珈琲も飲んでいられなくなりますので、せいぜい週に一本あるか無いかのこの時期は、英気を養うのに貴重なのです。勤め先がある訳でなし、世間の方々には申し分けないですが、ゆっくりさせてもらってます。そろそろ梅の花も気になる頃ですな。

私は季節の風情を楽しむというのがとても好きで、春夏秋冬どんな天気でも、その時々の季節に身を任せていると、とても穏やかに成れるのです。中でもこの時期、暮れ行く陽射しの中に居ると、いろんな発想が浮かんできます。静かな夜の時間ももちろん好きなんですが、昼過ぎから日が影って行く夕暮れ時は何といっても、心が豊かになる時間です。晴れていれば散歩に出て、古本屋なんぞ巡って喫茶店でまったりしたり、雨の日は家の中でゆっくり音楽を聴いたり本を読んだり、・・ありがたいですね。時にちょっと「これからどうなるんだろうね~~」なんて思ったりすることもありますが、何かを生み出すには、この位でないと何も出てきませんね。
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2018年京都天性寺にて

私は作曲が8割、演奏が2割くらいの感じでやっていますので、演奏一本でやっている方は、もっと日々練習にいそしんでいることと思いますが、私はどんな演奏会でも仕事でも、全て自分で創った曲を演奏しているので、いわゆる練習というものがあまり必要では無いのです。譜面が出来上がった時点でもう完成形が頭にあるので、練習よりも曲を見直したり、どんな演奏会で演奏するか、あれこれ考える事の方が需要なのです。つまり日々何か考えていることが、私の仕事の大半を占めますね。

発想やアイデアはふとした時に突然出てくるものです。きっかけは何でもない言葉だったり、場面や音や、ありとあらゆるものがありますが、その瞬間を迎えた時に自分がどういう状態にあるか、そこが大事ですね。普段からどんな方向でもの観て、どんな志向を持っているか。自分のヴィジョンがはっきりしていないと、そのきっかけもただ通り過ぎて行ってしまいます。

DSC_84412018年福島安洞院3,11法要にて、詩人の和合亮一さんと
ただ音楽活動をして行くには、創っているだけでは成就しません。音楽は聴いていただいてナンボのものなので、聴いて頂くための演奏活動の展開が大切であり、またこれが一番大変でもあります。現代のエンタテイメント&ショウビジネスの世の中にあっては、この部分が正直なところ、私にとっての一番のストレスであり、大きな問題です。

この演奏活動の方に振り回されていると、音楽そのものが充実してきませんので、創作と活動のバランスをとるのは音楽家にとってとても大事です。どちらかに偏ってしまうと良いものは創れませんし、誰の耳にも届きません。このバランスが取れる人だけが音楽家としてやっていけるというのは、よく判っているのですが、悩ましい限りですね・・・。

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若き日 厳島神社にて

実は少しづつ、本当に少しづつですが、活動のやり方が変わってきています。自分で変えている訳ではなく、なんとなく自然と流れが変わるのです。5年前とはやり方が違いますし、10年前とは随分と方向が変わっています。自分の中の志向や音楽的な深まりの部分も大きいのですが、何か導かれるように、少しづつ状況が変化し、その変化につられ、音楽も演奏方法も思考も変わって行きます。

季節が移ろうように、時代も移ろいます。自分は俺流のやり方で生き抜いているつもりでも、実は、時の流れの中で生かされているのだなと、振り返った時にいつも思いますね。

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季楽堂にて photo Mayu
これから自分がやって行きたい音楽や、創って行きたいものは、常に頭の中にあるのですが、活動に関してはあまりガツガツしないようにしています。カーネギーホールに出てやる!!なんて思っていると、音楽がおろそかになって、自己顕示欲だけが増長してしまいます。
今はネット配信で自分の作品を無理なく発表できる時代でもあるので、活動も大切ですが、確実に納得の行く作品を残して行く事が私の課題ですね。

少しのんびりさせていただきます。

美しさと支配

先日、佐渡の文弥人形「猿八座」との共演でで「ちぎりあらば~残された者たち」を上演してきました。素敵な公演になったと共に、人形の魅力をあらためて感じました。
昨年愛知県豊田市にある「てぃだかんかん」にて、初共演したのですが(右写真)、この時の公演がとても印象深く、物言わぬ人形がこれほどに語るのか、と感激してしまいました。それで是非東京でもやってみたいということで、今回の公演の運びとなりました。会場には津村禮次郎先生もお越しになってくれまして、打ち上げ共々楽しい時間となりました。
佐渡と東京ですので、稽古があまり積めず、細かな所が少しあいまいになってしまったのが残念でしたが、これもまた次回への課題ということで、更にこの先をやって行きたいですね。

今回は平家物語「重衡斬られ」の部分をやったのですが、こうした古典を題材としたものをやる度に思うことがあります。それは今日本人が美しいと感じる、その感性の土台はどこにあるのか・・・?ということなんです。「あはれ」「わび」「さび」など独特の美的感覚を持った我々のこの感性は、長い歴史の中で育まれれてきた世界でも稀なものだと思いますが、それらを形創り、根付かせたのは、いわゆる美の巨人達であり、現在の我々は、彼らの感性の中に生きていると言ってよいのではないでしょうか。

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利休・世阿弥・西行

それは西行であり、世阿弥、利休、芭蕉・・・。もちろん利休から古田織部、小掘遠州とどんどん新たな感性と形式が生まれて行きましたが、それも利休という存在があったからこそ。もっと辿れば、西行の和歌の世界があったからこそ、ではないでしょうか。

我々は美の巨人達に支配されている。

支配というと抑圧されているように思いますが、さにあらず。魅惑的なまでの美の支配者の世界の中で、我々は嬉々として生きているのです。この美の中に居ると心地良く、この美を持っているからこそ、日本人としてのアイデンティティーを持ち、大いなる幸福を感じ、世界に日本の美を発信しようと思うのです。

また日本人の感性が崩れ、形骸化し、危うくなってくる時には、美の僕~例えば魯山人のような人~が現れ、もう一度日本の感性を日本人に再確認させてくれます。そうしてこの類稀な美の世界は延々と受け継がれてきたのです。この継承は是非今後も途絶えさせないようにして行きたいと思っていますが、私もしっかり美の支配者に取り込まれているということでしょうね・・・。

私は全ての仕事で、ほぼ私の創った曲を演奏します。人の作った曲はほとんど演奏しないし、他の人が創った曲は自分なりに編曲を施して演奏しています。しかしそれだけオリジナルでやっていても、そのオリジナルを生み出す感性の源は、美の巨人達によってこの日本に現され、形創られたもの。どうしたって天才達=美の支配者達が創り上げたこの日本的感性という世界からは逃れられないですね。それは日本の共同幻想とも言えるかも知れません。

私は僕にすらなれないと思いますが、世界が繋がり、日本の美が形を変えて行くこの時代に、これ迄育まれてきた日本の感性を持って創作に挑みたいです。

今度の日曜日は荻窪のかんげい館にて、笛の長谷川美鈴さんと小さな会をやります。「春の風~その様々な姿」と題しまして、春の風にまつわる色々な曲を演奏します。気軽な会ですので、是非お越しください。14時15分開演です。
日本の感性を感じていただけたら嬉しいです。

伝えるという事

先日群馬県の榛東村耳飾り館というところで演奏してきました。館からは「耳繋がり」ということで声をかけて頂きました。なかなか粋ですね。今回は当初、私一人の独演会だったのですが、フリーアナウンサーの久林純子さんが全体のコーディネートをしてくれましたので、せっかくだからちょっと共演してみようと、私から声をかけて、地元の民話の語りと琵琶による短い作品「六月一日の氷もち」もやってきました。
榛東村は縄文時代の耳飾が多く出土している所で、その他遺跡なども多く、旧い時代には文化の中心地だったと推測されるようなロマン溢れる興味深い土地です。また雄大とも言えるような景色が素晴らしく、赤城山の裾野が夕日に照らされる様などは感動的でした。館内も響きの良い所でしたし、地元の方々の暖かい視線も感じられて、演奏も上々。暖かい時間を頂きました。

音楽は聴かせるだけではなく、伝えるという所までやりたいと、何時も思います。私のような地味且つ珍しい音楽をやっていますと、ともすると「やっている」という自分の中の小さな自己満足で完結してしまいがちです。音楽はリスナーあっての音楽ですから、何かしらリスナーとの共感というところまで出来るように、演奏して行きたいものですね。

  

最近話題の「ボヘミアン・ラプソディー」も先日観ましたが、バンドの演奏と観客との一体感は半端ないですね。ライブエイドでの映像では、何万人という人たちが一つになって、歌い共感し、熱狂し、特別な空間と時間が出現する様は、観ていてぞくぞくしました。クィーンはリアルタイムで聴いていたので、ぐっと来るものがありましたね。

邦楽と比べるのは勿論筋違いではありますが、演奏家とリスナーが心を一つにするような状況は、現在の邦楽では考えられないですね。もちろん邦楽なりのやり方があってよいのですが、邦楽にも邦楽なりの熱狂と一体感が欲しいものです。かつての永田錦心の活躍や、鶴田錦史が「ノヴェンバー・ステップス」を初演した時は、そんな熱狂がきっとあったのだと思います。

以前「良寛」の舞台公演のラストシーンでは、能の津村禮次郎先生と私の樂琵琶のデュオで、奇跡ような8分間を味わった事があります。その時は客席が早朝の湖面のように清浄静謐な雰囲気に包まれ、確かに会場の方々と我々二人は、何かを共有したという想いが満ちて来ました。
その時の津村先生は、良寛ではなく、良寛を取り巻く人々の総体と言えばよいでしょうか、能でいうとことの翁のような存在として舞台に存在していました。そこに言葉は無く、淡々と弾く私の「春陽」という作品で、抽象を超えた姿が舞台に現れたのです。

伝えるということは、こちらの想いを吐き出す事ではありません。力を込めて声を張り上げたところで、まあ関心はしてもらえても、そこに共感も感動もないのです。技術の問題ではないので、声が出ていようが、上手に弾こうが、一方向で押し付けても何も伝わらないのです。舞台は常にインタラクティブでなければ成立しません。邦楽はここの部分を忘れているように思えて仕方がないのです。

日本橋富沢町樂琵会にて photo Mayu

今、音楽は世界に配信出来るようになりました。私の作品も既に40曲以上発信しています。勿論世界から反応が来ますし、交流も広がっています。しかしただ配信するだけでは、大声張り上げているのと同じ。伝わらければ・・・・。国境を越え、世代を超え、時代を超えて行く音楽を日本から発信したいものです。

創るということ2019

今年は年明けから舞台が続いています。先週、日舞の花柳面先生とシアターXにて「時の記憶」という新作を上演して、昨日は琵琶樂人倶楽部で「薩摩琵琶三流派対決」をやってきました。

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年明け早々に新作の上演というのも気持ちが引き締まって良いですね。面先生とは久しぶりの共演でしたが、さすがの存在感で私自身も充実した演奏をすることが出来、とても良い舞台となりました。多分この作品はもっと練り上げ、また大きくして、あらためて舞台にかけることになると思います。ご期待ください。
琵琶樂人倶楽部は毎年年明けに石田克佳さんを迎えて、薩摩琵琶三流派聴き比べをやるのですが、終わってからの新年会が楽しみなんです。今回も月心さん、愛子姐さんなどおなじみの琵琶人が集り新年の幕を空けることが出来ました。皆さん熱い心を持っていらっしゃるので、琵琶談義もなかなかに盛り上がりました。

今年も幸先の良いスタートを切る事が出来て嬉しい限りです。そして今年は例年になく創作の年になりそうです。色々と構想がありますし、発表の場も考えておりますので、自分の思う琵琶楽のスタイルがより明確になる一年になると思います。

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キッドアイラックホールギャラリーにて
よく「どうすれば曲が創れますか」という質問を頂くのですが、何時もどう答えればよいか迷います。知識や技術の面は勉強すればよいと思いますが、それだけではなかなか自分の想いを表現する作品は創れませんね。先ずは何をやりたいのか、どうしてそれをやりたいのか、そんな問いかけを自分自身に向かって深めていかないと、その時々で格好いいと思う表面の形だけを作って終わってしまいます。またお勉強の成果を見せ付けるような作品もいただけません。人それぞれにやり方はあるかと思いますが、この辺は何か物を作るときの根本かと思います。まあ自分の中にどれだけ強い衝動を持っているか、そこに全てはかかっているんじゃないでしょうか。

また何かを創るには、膨大なまでの無駄な時間が必要です。世間的には遊んでいるように見えるかもしれませんが、朝からごろごろしたり、Youtube観てボーっとしたり、散歩に行ったり、旅行に行ったり、お酒を飲んだり・・・衝動が湧き上がるまで、のんびりしていられるようでなくては、発想も浮かびません。私が梅だ桜だと追いかけては歩いて廻っているのは、そういうことなのです。そんな風に無駄ともいえる時間を平気で過ごす事が出来ない人は、創作よりも別の方向に向かう方が良いかと思います。

1吉野梅郷
今年の梅はどうかな・・・?

日本人はとにかくきちんとしているのが好きで、枠外のものを認めようとしないし、自分が枠外に行ってしまうと気持ちが落ち着かず、何も出来なくなってしまいます。もちろんそれには良い面もあるのですが、芸術的には、体裁ばかりつけているようでは何も創り出すことは出来ません。グローバルな視点から見ると、日本人は一人で何事も決定して、自分で責任を持って行動する事が大変苦手な民族と言われているようですが、音楽の世界を見てもなるほどと思います。ものを創り出すには、先ずは自分自身が精神的に自立している事が大事ですね。どこかに所属して、自分の位置が見えていないと自分が保てないようでは、世の常識を軽々と飛び越えて行くことは出来ない。自由で大らかな、そしてぶれない心が是非欲しいものです。それが何より作品創りのベースだと思います。

柿田川6ぶらぶらしているように見えても、常に次の構想は頭にあるし、アイデアも頭の中にしっかりあります。ただそれが動き出さない時にはのんびりしているしかないという訳です。しかし一旦動き出すと、泉が沸きあがるようにアイデアが形になり一気に譜面を書き上げます。出来上がってしまえばそれを、どんどんと推敲して行くことが出来ますので、その時が来るまで待っているのです。日々稼ぐ事も必要ですが、「その時」が待てないようでは、物は創れません。何事も目先のものを追いかけ、毎日きちんと仕事をこなして満足しているようでは、何かを生み出す事は難しいですし、かえって心は貧相になるものです。

また一方で、音楽活動をするということ自体が自己顕示欲があってこそですから、上手に弾いたり、有名になったり、お金を稼いだり、限りなくそういう欲に振り回されてしまうと、本当に自分の表現を忘れてしまいがちです。私の小さな目で見渡しても、自分の音楽を心底やっているな、と思える音楽家はごくごく僅か・・・。ちょっと活躍して喜んでいる程度。私はそんな風に見えます。

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カリブ海、船上より

琵琶楽には新作がほとんどありませんし、特に芸術音楽として発表されるものは皆無といってもよいかと思います。是非囚われの無い自由な感性で、次世代の琵琶楽が生まれて行って欲しいものです。創作心が湧かず、ぶらぶらしたい時には声をかけてくださいまし。同じような仲間とつるむのも時には良いものです。

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灰野敬二・田中黎山各氏とサウンドシティーアネックスT1スタジオにて

年を重ねるごとに自分の歩むべき道が明確になってくるのは嬉しい事です。私はどうひっくり返ってもエンタメ系の感性は持っていないし、もう若い頃からそういう芸能系の音楽は嫌いでしたので、その手の仕事はお断りしています。これ迄ルールもしきたりも関係なく、自分が思うようにやって来たからこそ今があると思っています。もっとわがままに自分らしく今年も駆け抜けたいですね。

新年快楽2019

明けましておめでとうございます。昨年は8thCDをリリースしたこともあって、沢山の素晴らしい仕事をさせて頂きました。今年もよろしくお願い申し上げます。

先ず年明けに、台湾の友人から素晴らしい映像が届きました。その中にこんなのがありましたので御覧下さいませ。

 
少し前ですが、中国琵琶奏者の劉芛華さんと、二胡奏者の林正欣によるリサイタルにて、私の「塔里木旋回舞曲」が演奏されたのです。彼女たちは以前から日本に来る度に我家に寄ってくれて、私の曲を演奏したい、と言ってくれていたので、幾つか託していたのですが、こんな形で盛大な舞台でやってくれるとは、嬉しい限り!!。自分の曲が海外に広がって演奏されて行くのは嬉しいですね。
さて今年も色々と挑戦しますよ。薩摩琵琶による器楽曲だけでなく、樂琵琶によるアンサンブル作品も考えています。今回は声も使って書いてみようと思っています。勿論従来の琵琶唄のようなものではなく、自然に発声出来る歌を琵琶や笛に乗せて行きたいと思っています。
器楽としての琵琶樂の確立が私の第一のテーマですが、声を排除したわけではありません。声と琵琶は中世以降ずっと共にあったのですから重要なパートナーです。しかし近代に入って薩摩琵琶が登場してから、声と琵琶の在り様が一方向に偏り、形骸化してしまったことが、琵琶樂の一番の問題だと私は考えています。もっと他ジャンルの様に多様な声のスタイルがあれば、琵琶樂はもっと発展していたでしょう。だから私は一度薩摩琵琶から声を切り離し、先ず琵琶の楽器としての確立をした上で、新ためてまた声を出会ってゆくのがベストだと思っています。
その他樂琵琶による現代曲も構想中です。樂琵琶もシルクロードを飛び出して、グローバルに羽ばたけるよう、楽器の魅力が生かされた現代作品を創りたいですね。今年も忙しくなりそうです。
先ずは5日のシアターXでの「舞踊鍋~折田克子追善の会」に於いて、花柳面先生との「時の記憶」という新作の上演からスタートです(チラシにヨネヤマママコさんのお名前がありますが、体調不良のため休演だそうです)。
久しぶりに面先生と二人で創り上げた作品です。一から創り上げて行く作業は楽しいですね。こういう作品をいろんな人とどんどん創ってゆきたいのです。
そして来週からは琵琶樂人倶楽部も始まります。年明けは毎年恒例「薩摩琵琶三流派対決」。今年も私の琵琶を作ってくれている石田克佳さんを正派の演奏家として迎え、古澤月心さん、私の三人でやります。
演目は石田さんが「小敦盛二段」古澤さんが自作の「西海慕情~追憶の歌人 建礼門院右京大夫」、私が「経正」を演奏します。是非起こし下さい。
今年一年間のスケジュールも以下の通りに決まりました。何とか早目に掲載したいと思っています。HPの琵琶樂人倶楽部コーナーも御覧になってみてください。


19日   Live薩摩琵琶三流派対決 

      ゲスト 石田克佳(正派) 古澤月心(錦心流)

213日   Live    現代の琵琶楽

      ゲスト 保多由子(メゾソプラノ)濱田協子(Vi

313日  若手の会 次代を担う奏者達Ⅶ

      ゲスト 岡崎史紘(筑前) 伊藤年江(薩摩)

410日  レクチャー&live 平家琵琶の魅力 

      ゲスト 古澤月心(平家琵琶)

58日   レクチャー&live 筑前琵琶、その歴史と変遷

                      ゲスト 平野多美恵(筑前・レクチャー)

612日  live 語り物の系譜12 

            

710日  レクチャー&live 樂琵琶と平安文化

818日(日) SPレコードコンサート(8月のみ第三日曜開催)

911日  live 「方丈記」を聴く

      ゲスト 櫛部妙有(朗読)

109日  若手の会 独自の活動を展開する琵琶人達Ⅲ

      ゲスト 尼理愛子 ナカムラユウコ

1113日  レクチャー&live 四季を寿ぐ歌

1211日  live 年末恒例掛け合い琵琶

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年明けもいい調子でスタートしました。色んな展開を考えておりますので、今年も一年面白くなりそうです。

今年もよろしくお願い申し上げます。ぜひぜひ御贔屓に。

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