創るということ2019-Ⅱ

もう新年度ですね。元号も変り、日本という国が変わり目に来ているという事をひしひしと感じます。しばらく花粉の影響もありここ一月ほどは演奏会も週一程度と少な目でしたが、少しづつ復活してまいりました。ここ一週間では、六本木のストライプハウスにて、パフォーマーの坂本美蘭さん、山田裕子さんとセッションがあり、すぐその後はNHKeテレの「100分de名著」という番組の収録。今回は平家物語の特集で、能楽師の安田登さんと御一緒でした。

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左:ストライプハウスにて。右:日本易道学院でのレクチャーの模様、

そして昨日は日本易道学校にて、スタジオMの仲間達と春のイベントでの演奏をやってきました。いや~~東洋の哲学や学問は深いですね。現代の先端理論を、もうはるか昔に確立していたとも思えるその内容にはびっくりしました。やっぱりこれからはアジアの時代ですね。
私はいわゆるエンタメには程遠いタイプではありますが、とにかく色んな形でお声が掛かるのは嬉しいです。琵琶もステレオタイプの演奏ばかりでなく、もっとアーティスティックに、個性的なスタイルで音楽を発信して行って欲しいものです。

私は普段からかなり色んなジャンルの演奏を聴いていますが、正直な所、面白いのはジャズよりロックですね。ジャズはもう中学の頃から全身浸りっぱなしなので、言うなれば私にとって御飯や味噌汁のような定番。確かに一番心地良く、いつもで私を癒してくれるます。しかし現代のジャズシーンでは、名人的な凄いプレイヤーは次々に出て来るものの、芸術的刺激は正直なところ薄いのです。ジャズを受け入れる時代は過ぎたのでしょうか・・・。

高校生の時から憧れているジャズギタリスト パット・マルティーノ

もうジャズは次の形へシフトして行く段階に来ているのでしょうね。このままあの形やスタイルに拘りなぞるようだったら、もうジャズはそのスピリットすら失って新たなものに吸収され、ただのメソッドのようなものになり、姿も精神も消滅してしまうかもしれません・・。面白い活動をしている人たちも多々居るのですが・・・・。

その点ロックは元々何でもありの所から出て来ているので、何の制約も無く、どの時代も魅力と個性が溢れていますね。ショウビジネスと背中合わせの音楽ですので、確かに一発屋は多いですが、無尽蔵に溢れ出るその感性には、とどまることの無いエネルギーがありますね。私はどうひっくり返ってもロックを演奏出来るようなタイプではないので、自分のスタイルで自分の音楽を只管どこまでもやるのみですが、現代のアートはロックシーンから出発しているとも思います。

ただこれはと思うアーティストは、2000年代辺りまで残念ながら海外のバンドばかりでした。60年代のヴェルヴェットアンダーグランドのサイケデリックムーブメント辺りやジミヘン、70年代のクリムゾン、ツェッペリンなどのレジェンド、その後の70年代中後半から80年代のピストルズ、クラッシュ、ラウンジリザーズやノイバウンテン、デヴィッド・シルヴィアン、ブライアンイーノ、リヴィングカラー、90年代からはプロディジーやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン等々、どの時代も刺激がいっぱいでした。とにかく皆エネルギーがはんぱなく凄かったですし、ショウビジネスとの付き合い方も巧妙に変ってきて、売れ線ポップに成り下がるような俗物とは一線を画する姿勢が皆格好良かったですね。

 
それがここ10年程、日本のバンドでも凄い連中が出ていますね。海外のバンドのコピーみたいなものではなく、ショウビジネスにおもねる事もなく、独自の魅力を持っていて、且つ実力もかなり高いバンドが活躍しています。今一番のお気に入りは「八十八ヶ所巡礼」というバンド。興味のある方はYouTubeを是非御覧になってみてください。琵琶や邦楽好きの方にはちょっと刺激が強いかもしれませんが・・・。

もちろん以前も、面白い個性とセンスを持ったバンドはいくつもあったのですが、「想いはあれど言葉足りず」だったり、パフォーマンスに寄りかかり過ぎて、音楽が今一つだったりするのが多かったように思います。そういうバンドを聴くにつけ、残念な気持ちを以前はずっと持っていました。またデビュー時はいい感じのエネルギーを持っていても、メジャーが見え始め、骨抜きになってしまった例も多いですね。ここで根性入れられるかどうかが、ロックの(ロックに限らず)一番の勝負なのです。
邦楽でも「演歌歌手のバックでTVに出た」なんて喜んでいる輩も相変わらず多いですが、私はそういう人の音楽は聞きたくないし、その類はもう結構です。

島根グラントワにて、志人さんと

何かを創り上げるには、先ずは徹底的に自分に成りきること、何にも捕らわれない自分の目と耳で世界を見るて感じること。更には自分にしっかり向き合う事。自分のやっている事は本当に自分のものか、そしてそれは美しいかを常に問う事。私は何時もこんな風に考えています。
そういう姿勢を持っていないと、己以外のものを軸にして自らを測るようになってしまう。賞をもらおうが偉くなろうが、そんなものは己の軸とはならないし、先生の演奏をフルコピーしても、参考にこそなれ、そんな所からは何も創り出せないのは当たり前でしょう。芸術の前には組織も形式も身分も階
級も無く、また憧れの只中に居るようではまだまだなのです。

ジャンルはどうあれ、ロックだろうが邦楽だろうが、地球上の全ての音楽も人も皆、何かしらのDNAを過去から受け継いでいると思います。しかし受け継ぐべきものは形でしょうか、組織でしょうか。残念ながら受け継ぐことが出来るのは精神のみなのです。そしてそれを人は伝統と呼ぶのです。世界一長い歴史を誇るこの日本でも、受け継がれているのは日本人としての感性(それも核の部分の)であって、生活様式も社会のあり方も、形はことごとく変化しています。お寺や神社、皇室など、特殊な権威権力のあるものは形も残るでしょう。しかしそれとても時代と共に変化して行っているのはご承知の通り。

芸術に関して言えば、社会や時代と共に在ってこそ、その存在意義があるもの。したがって目に見えるものや形を勉強する事は良いものの、そこにすがってなぞっているのは芸術としては如何でしょう。それは過去にすがるも同然であり、創造性をその命としている芸術とは対極にある行為・心です。極端な物言いではありますが、お上手にお師匠さんの形の通りに出来るようになるのは伝統でもないし、芸術でもない。お稽古事です。こんな事は芸術家よりもビジネスマンの方がよく判っていることと思います。事実、創造性を無くしたものは音楽であれ、企業であれ、どんなものでも衰退して行くのは世の習いというもの、ではないでしょうか。

私がこのブログでよく取り上げる永田錦心は、自分で自分の音楽を創り上げ、それを世に問い、認めさせ、時代を作って行った人です。だから私は、何時も尊敬の念を持って見ているのです。名人だとか流祖だとかという事は、私にとってどうでもよいのです。独自のセンスとスタンスで時代を生き抜き、次世代へ想いを伝えた事に興味があるのです。そしてこういう人をこそ芸術家というのだと私は思っています。このセンスを受け継げるかどうか、薩摩琵琶の今後はその一点に掛かっていると私は思っています。

どんなジャンルでも名人は居るし、その演奏は素晴らしい。でも私を惹きつけるものは、そんなお見事なものではなく、時代を切り開く閃光なのです。創るとは正に光を放つこと。その光がどれだけのエネルギーを持っているか、それに尽きます。
私はこのブログでもクラシックやジャズ、ロック、フラメンコ、オペラ、バレエ、邦楽、文学、美術、演劇etc.・・・多くのジャンルの音楽家・芸術家のことを書いていますが、彼らの放った光は今でもそのエネルギーが褪せることなく、現代にも、そして次世代にも輝き渡っています。その場でぱっと消えて行く光ではないのです。

私がそれを出来るかどうか、それは判りません。しかし芸術を志した者として、追求せずには行かないのです。現代ではアートとエンタテイメントはとても密接な関係にあるし、ショウビジネスとの関わりも無視はできません。プロとして、どのようなものが現代社会に受け入れられて、その存在価値を示して行くかという事を知る為にも、あらゆるジャンルのものを聴きますし、琵琶の可能性に挑戦するためにも、クオリティーさえあればジャンルもタイプも問わず、どんどんと共演もしますが、どんな場にあっても創造性を持って立ち合いたいですね。静かなものだろうが、迫力系だろうが、そういう表面の形ではなく、内面にエネルギーの燃え盛るアーティストと、この時代を駆け抜けて行きたいものです。

今年も面白くなりそうです。

テクニック

私は琵琶で活動を開始した時から、本当に人に恵まれました。本格的な邦楽の初舞台は、まだ若手と言われた30代。四谷の紀尾井ホールで行われた長唄福原流の寶山左衛門先生の会でした。その後大分能楽堂では寶先生本人と共演をさせてもらいまして、本当貴重な経験をさせて頂きました。その後もバレエの雑賀淑子先生、日舞の花柳面先生、そして能の津村禮次郎先生など、今思えば、音楽活動の始めに錚々たる大先輩と共演できた事は、大きな財産だと思っています。

1寶先生 大分能楽堂公演
左より、津村先生と打ち上げにて、右:寶先生を囲んで大分能楽堂公演の打ち上げにて、

まああの頃は恐れを知らないといいますか、もうやりたい放題という感じでしたね。各先輩達は皆さん古典邦楽の突出した名人でもありましたが、創作を旺盛にするタイプの方々で、そういう点が私の性質にぴったり合いました。私はその創作舞台で数多くの共演をさせて頂いたのです。まだ勢いだけだった頃にこういう機会を頂いたというのは、感謝という言葉以外出て来ないですね。

そんなお仕事をさせていただく中で私が感じたのは、皆さんの桁外れのテクニックと、引き出しの豊かさですね。創作舞台ですので色々と新たな試みをする訳ですが、私は作曲・演奏込みで仕事をさせてもらいますので、古典を土台としながらも古典の形ではないものを創って行くのです。そういうものでリハを重ねて行くと、先生方の並外れたテクニックや経験が色んな形で炸裂してくるのです。新たなものを生み出して行く様は、今想い返してみても、実に実に面白かったですね。

表現活動をするにはテクニックはとても大事なのです。想いさえあれば何とかなる、と思っているのはアマチュアの発想。それでは何事も成就しません。ましてや舞台とういう場で表現を具現化するには、それはそれは深いテクニックが必要なのです。テクニックというと普通は正確に弾くとか音程やリズム感が良い、という風に思うことが多いでしょう。しかしそうした「上手」はテクニックのほんの表面の一部に過ぎません。そういうお上手さは、習った事を間違いなくやっているだけで、テクニックと言うより手馴れていると言う方に近いと思います。テクニックと言うからには、新たな世界を生み出し、それをハイレベルで具現化する位までやってこそ。その為のテクニックであり、そこまでやって初めてその人独自のテクニックが物を言うのです。
IMGP0015ルーテル市ヶ谷ホールにて花柳面先生と
深いテクニックというものは、一見外側からは見えないものです。
以前花柳面先生との舞台リハで、一見なんてことない扇を捌く所作に釘付けになったことがありますが、手を動かすその一つの動作の中にありとあらゆる術があるのでしょう。またその背景には経験や知識、歴史や哲学等々、見えないものが山のようになければああいう捌きは出来ませんね。単に身体の使い方が上手などというレベルではないのです。逆に単なる技(早弾きや、コブシ回しなど)が目立ってしまう人は、まだまだ舞台全体、つまり独自の世界が出来てないから、部分が目立つのです。
シンプルなものほど、こうした豊穣な背景を持っていないと、舞台として成り立ちません。邦楽には一音成仏という言葉がありますが、一音を出すには、その背景に溢れんばかりの豊かな世界があってこそなのです。そこを是非次世代を担う方に判って欲しいのです。習った事を上手になぞっているようでは、いつまで経ってもお稽古事から抜け出せません。また、心の問題も大きいですね。精神の部分を別にしてテクニックは在り得ません。

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座高円寺にて 津村先生と 

現代社会の中で成り立ってこそ芸術というもの。この現代の中で、音楽家として舞台で生きるという事とは何か、自分は何者で、どういう生き方をして何処を歩いているのか。その中で自分は何をやり、何を表現したいのか、何故それをやるのか・・・・。それらの事を自覚していなければ、多少の技術を使って仕事をこなしているだけで終わってしまいます。
若さの勢いだけでやっている内はまだ良いとして、年を重ねて少しばかり手馴れて来ると、底の浅さがそのまま音に、姿に、目つきに出て、少しばかり手馴れているが故に、小手先の技が空回りして「けれん」に落ちてしまいます。身体を使う術も、豊富な知識に裏付けられた知性も、豊かな経験も、精神を兼ね備えてこそテクニックとして成立するのです。その豊かなテクニックを使い、芸術家として、その人独自の世界と作品を表現して欲しいものですね。私自身も常に気を付けているところです。

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日本橋富沢町樂琵会にて ヴァイオリニストの田澤明子先生と

先日、昨年リリースしたCD「沙羅双樹Ⅲ」で共演したヴァイオリニストの田澤明子先生の演奏を聴いてきました。ヴァイオリンをやっている人なら、彼女のその実力はもう周知のことではありますが、先日の演奏も惹きつけられる様な素晴らしい演奏でした。あらためて彼女の音楽家としての深さを感じましたね。曲はフォーレのヴァイオリンとピアノの為のソナタOP.13。その演奏には、現実を超えた世界へと連れて行かれてしまうような風を感じました。現実を越えた何処かへと、自分の身が吸い込まれるようなエネルギーに満ち、またそこにはちょっとある種の狂気(といったら言い過ぎでしょうか)すら感じられるようなものでした。その風が私の身体を吹き抜けて行ったのです。彼女の中にある大きな世界を感じました。

2日本橋富沢町樂琵会にて ヴァイオリニストの田澤明子先生と
数年前にも、彼女の演奏会で同じような風を感じて、8thCDの目玉曲である「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」の録音は彼女しかいないと確信し、以来ご一緒させてもらっている訳です。あらためて先日彼女の演奏を聴いて、本当のテクニックというものを感じましたね。きっと邦楽の大先輩たちと同じように、心と体が備わり、整い、確固たるものとして出来上がっているのでしょうね。ここまで至るにはきっと色んなご苦労があったことと思います。しなやかで且つブレの無い演奏は実に魅力的で、本当に素晴らしかったです。
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京都 清流亭にて

今思うのは、経験や知性・知識、技、そして精神が調うことの大事さですね。そしてもっと体全体の使い方が重要ということです。古武術を少しばかり教わってきて、身体の可能性にもまだまだ奥があると感じています。体幹や重心をどう使うかということは、物理的に声にも大きく関わりますし、精神面でも大きな変化をもたらし、音楽全体を捉える視野の広さにも繋がると感じています。よく言われる「知・情・意」は結局身体に集約されて行く、と思うようにもなりました。あらためてテクニックというものの深さと大切さを感じています。
薩摩琵琶には、永田錦心、鶴田錦史など個人の魅力ある演奏家は居ましたが、大正昭和に成立した音楽なのでまだ歴史も浅く、能や長唄のような洗練熟成された古典作品というものがありません。しかしながら世阿弥も「古典を典拠にしろ」と言っているように、琵琶奏者として、寄って立つ所が何処かというのは大きな問題です。だから私は琵琶楽のルーツを辿って、樂琵琶に行き着いたのです。樂琵琶に出逢ってから、またその奥にあるアジア大陸の音楽が見え、そこからまた琵琶楽の長い歴史と流れが見え、現代琵琶楽の薩摩琵琶があらためて見えてきて、自分の想いも世界観もだんだんと出来上がって行きました。これら全てが私のテクニックです。

素敵な音楽を創ってゆきたいですね。

移りゆく時代(とき)2019春

暖かくなりましたね。しかし今年は花粉がかなりの猛威を振るっているようで、私もこのところ毎日のようにグシュグシュやってます。こういう時期は家に引きこもって、琵琶を弾き倒し、譜面を書き直ししているのですが、今年はちょっと今までにないものを創っています。「四季を寿ぐ歌」という~まあ組曲とでも言えばよいでしょうか~作品です。

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津村禮次郎先生と 日本橋富沢町樂琵会にて

実は昨年、津村先生と東洋大学にて「方丈記」を上演したのですが、そのとき、脚本からコーディネートまでを原田香織教授に担当していただきました。原田先生は中世文学の専門なので、能はもちろん、和歌や平家物語など、色々と話も盛り上がり、以来何かとお世話になっています。方丈記公演の後、近代の薩摩琵琶唄についても話が弾みまして、その時私が「切った張ったの戦の話でなく、もっと四季の風情を歌ったり、ラブソングだったり、今に生きる人達がそのまま共感できるような曲が創りたい」となどと、何時も思っていることを話したところ、原田先生が「そういうことなら私が歌詞を書きましょう」と言ってくれまして、昨年末より少しづつ書いていただいています。

今のところ、2曲ほど完成しました。楽器構成は、樂琵琶・笛(龍笛・能管・篠笛)、笙、歌(メゾソプラノ・語り)。雅楽をベースにしていますが、雅楽に囚われずに創っています。かなり時間はかかるかと思いますが、こういう作品に取り組んでいることもあり、気分も今までとは随分と変って来ています。何か新たな活動が展開して行きそうでわくわくしますね。

10sヴァイオリンの田澤明子先生と、日本橋富沢町樂琵会にて
昨年8thCD「沙羅双樹Ⅲ」をリリースしてから、だんだんと自分の中に区切りがついてきて、特にここ一年はかなり器楽に特化する事が出来ました。独奏は勿論の事、樂琵琶も以前にも増して活発に演奏するようになりましたし、ヴァイオリンやフルートなどの洋楽器との共演も重ね、これまでの作品に新らたな命が灯ったような充実感を得て、手ごたえを実感しています。
私は琵琶を手にした最初から「器楽としての琵琶楽」がテーマで、1stCDも全曲私が作曲したインストルメンタル作品でした。それ以来ベスト盤を入れると10枚のアルバムを発表していますが、その全てが私の作曲作品ですので、いわゆる弾き語りの琵琶奏者とは随分違うアプローチをしていると思います。

舞や演劇、その他どんな仕事でも、作曲家の初演でない限り、全ての曲は私が作曲した作品を弾いているので、琵琶奏者としてはかなり特殊な例だと思いますが、これ迄こうしてやって来れたことに、やればやるほど感謝の気持ちが増して行きますね。そしてこれが自分のやり方なのだ、という思いも強くなってきます。私は基本的にプレイヤーという感じではないのでしょうね。まあビートルズでもマイルスでも、ロックやジャズのミュージシャンは皆さん自分達で曲を創っていますので、そういうものを聴いて育った私としては当たり前のやり方なんですが・・・。

150918-s_塩高氏ソロ
岡田美術館 尾形光琳菊図屏風の前にて

勿論弾き語りでもずっとお仕事をさせて頂いて来て、これ迄声に関しても、それなりに自分なりに研究をしてきましたが、「沙羅双樹Ⅲ」に「壇の浦」を収録したことで、弾き語りに関してはもう一区切りついて、本来自分が追求すべき「器楽としての琵琶楽」にやっと足も身体も心も向いてきたという訳です。

これまで琵琶語りをやってきた事は決して無駄ではないし、ある意味私に大きな自信をもたらしてくれました。しかし私は器楽としての琵琶の作品を創る為に琵琶を手にしたのですから、帰るべき所に帰るのが良いのです。自分に一番素直な状態で居るのがやはり正解です。以前は妙な意地を張っていて、自分の気持ちに、自分でも知らない内に振り回されていたといえるでしょう。そんな余計な所がここ数年ですっかり取れました。
これ迄随分と沢山の作品を創って来ましたが、やっとこれまでの「器楽としての琵琶楽」の作品群がしっかり自分のレパートリーになってきたと実感しています。

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photo 新藤義久
今は作曲作品だけでなく、活動の内容ややり方も大きく変って行く時期に来ているのかもしれません。琵琶でプロの演奏家として活動を始めてもう20年ですから、そろそろ自分独自のスタイルがしっかりと出来上がって当然ですね。外側から見た私はどうか判りませんが、自分の中ではようやく、浮ついたものがすとんと落ちて落ち着いて来ました。
自分では判らずに活動は少しづつ少しづつ変化して行きます。まるで何かに手繰り寄せられるように、その方向を変え、視野が広がり世界が充実して行きます。基本的な筋や軸のようなものは変らないのですが、活動を展開していると、自分でも思ってもみない世界に触れる事が多く、それらの経験が自分の次に歩む道をはっきりと照らしてくれます。
社会と共にあるのが芸術ということを考えれば、一見関係無いようなものでも、この世に同じく存在する事は、何かの繋がりが見出せるものです。
こうして移り行くのも「はからい」というものでしょうか。
これからも充実の作品を創り、活動を展開して行きたいですね。

8年

今週は、月曜日に3,11追悼集会「響き合う、詩と音楽の夕べ」をやってきました。今年の3,11は福島には行かず、以前からやっていた和久内明先生主催の、ルーテルむさしの教会の方に参加しました。

左より、ヴァイオリンの濱田協子さんとのデュオ、今回出演の久保順さん、山口亮志、仙若さんと控え室にて
毎年、追悼集会で演奏しているのですが、8年経ってみて、追悼とは別に自分にとって色々な意味が出てきました。震災直後から、音楽とは何か、その存在意義はなんなのか・・等々、嫌が応にでも多くのことを想い、考えさせられ、音楽家として生きて行く我が身について、改めて見つめ直さざるを得ませんでした。震災がなかったら、私は今とは少し違う方向を向いていたかもしれません。
先ず8年前との違いは、視野の広がりでしょうか。音楽と社会の繋がりは以前からずっと考えてきましたが、もっと具体的に自分の中で音楽の存在が見え、色んな分野に視野が渡るようになったのは確かなことです。年齢的なこともあるかと思いますが、色んな分野の知人や仲間も増えましたし、ネット配信で自分の作品が世界に流れるようになってきたのも、自分の感覚を広げてくれている一因かと思います。また8年を経た今になってみると、それらの想いが自分の中に一つの落ち着きを持って定着してきたのを実感します。これから少しづつ音にして、そして言葉にもして行きたいと思っていますが、この感覚の変化を、今感じます。
こんな風に、この3,11という日は、8年を経て、追悼の日でもありながら、自らの姿を振り返る日にもなってきたのです。こうやって自分は生きてきたんだな、という気持ちと共に、こうして生きて来られたという、ある種感謝の気持ちも湧き上がってきます。
語りの小原正人さんとのデュオ
丁度私は今、スタイルを創り上げる時期に来ているのでしょう。これまでやってきた事が、一つになって行くような気がしています。外側から見たら「何でも弾けちゃう=器用貧乏」という風に見ている人も多いと思いますが、樂琵琶を弾いても、薩摩琵琶を弾いても私の音楽はさほど変わらない。多面性ともいえますが、この肉体から出てくることに変りは無いのです。
樂琵琶・薩摩琵琶で発表してきた私の作品が、一つのスタイルを持った音楽として受け入れられ、楽器を使い分けながら塩高の世界を表現しているという風に、リスナーに伝わって行ったら良いですね。
毎度の事ですが、もう少し、もう少し先に行きたいのです。まだ自分の音楽は出来上がっていません。その時々での自分の姿はそれなりに表現していますが、もう一歩先が見えるのです。その見えるところを具現化して行きたい。自分の中に更なる充実を求めているということでしょうが、単なる自己満足ではなく、その想いを作品として現し、世に出して行きたいのです。
私自身色々なものに興味があるし、日々多くの刺激を受けているので、表現は様々な形となって出てきます。しかし作曲しただけではまだ途中なのです。作曲したものを舞台にかけ、演奏し、舞台全体が塩高の音楽=世界となるところまでやって、初めて私の音楽は完成するのです。
ゲストのお二人と
水曜日には琵琶樂人倶楽部「次代を担う奏者達」もやってきました。琵琶樂人倶楽部の方もこれだけ長きに渡って毎月やっていると、様々な人と関わり、輪も広がります。生きていれば世の波騒は常のこと。収入的にも不安定で、仕事もあるかどうか判らないような中、琵琶奏者という存在で在り続けられて来れたというのは、本当にありがたいことです。
今回の琵琶樂人倶楽部では、今独自の活動を展開している「ふぅ」こと岡崎史紘君と、琵琶の製作も勉強している伊藤年江さんにやってもらいましたが、二人はお稽古事として上手にやろうとしていない。あくまで自分の世界を表現しようとしている。確かにまだ至らぬところも多いし、技術も足りないのかもしれませんが、そういうところを充実させ練習するより、自分の世界をどこまでも求めて走って行って欲しいものです。
私も彼らと同じく、自分の世界をどこまでも求めて行きたい。この道はまだまだ続きますね。

溢れ出るもの

確定申告も終わり、のんびりしようと思っていたのですが、今年は作曲をする仕事が幾つかあって、それに掛かりきりだったので、ちょっと御無沙汰になってしまいました。加えて、今年も花粉症がやってきまして、目鼻だけでなく体調も今一つで、どうにも盛り上がりません。

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越生梅林 数年前

そんな訳で、このところは家に居る事が多いので、息抜きも兼ねてYoutubeなど良く観ています。あらゆるジャンルが観れて、色々な音楽を聴き、多くの発見と刺激を頂けるのは嬉しいですね。良い時代になったもんだ、と何時も思うのですが、何だかエネルギーをあまり感じない音楽が増えている気がしますね。何と言うか、ものすごく演奏技術は上がっていると思うものの、生演奏なのに打ち込みっぽいとでも言いましょうか・・・。

まあ何時の時代にも色んなスタイルが出てくるし、センスも変わって行きますので、有象無象、様々なものが出て来て、自然と淘汰されてその時代に合ったものが残り、且つ時代を超えても魅力を放つものが受け継がれて行くでしょう。時代はこうして移り変わって行くものなんでしょうね。

私は何時の頃からか、音楽や芸術作品はもちろんのこと、人も物も一つのエネルギーとして観るようになってきました。技やスペックはまあどんな洋服を着ているのかな?、という位で、あまり表面の形は気にしないのです。まあ形やスタイルにも時代のセンスがあるので、その辺も大事なのですが、中身のエネルギーがどんな状態なのか一番感じますね。

zenntai 3全ての琵琶が塩高仕様になっています。私の精鋭部隊という感じですね。
だから楽器でも身につけるものでも、私がエネルギーを感じるものだけを愛用しています。自ずと世間とはちょっと変わったものが集ってきますね。私専用のオリジナルな仕様の琵琶を使っているのもそういうことです。他の人にとっては弾きにくい楽器かもしれませんが、皆私が求めるエネルギーを持った楽器であり、彼らなくして私の音楽は成立しません。
やはり音楽は魅力あるエネルギーを放っていて欲しいもの。私はいつもそんなところを聴いています。それは演者のエネルギーだったり、曲そのものが持っているそれであったり様々なのですが、スタイルがどうあれ、迫力系でも、か細いほどの独唱などでも、そこにエネルギーを感じると、ぐっと惹き付けられます。楽器などは有機的な生命とはまた意味が違うのでしょうが、エネルギーを感じる楽器と感じない楽器というのは確かにありますね。

一般のリスナーもきっと音楽からエネルギーを聴いているのではないでしょうか。技を聞いたり見たりしているのは音楽をやっている方でしょう。ギタリストだったらギターの腕前は確かに気になりますからね。
しかしながら上手は結構だけれど、その先が見えないような演奏や音楽は、結局エネルギーが弱いのです。ジャズはもう結構前から「何でも弾けます」みたいな方が色々出て来て、残念ながらそんな傾向にどんどん突き進んでいるようですが、今やロックやフラメンコのような魂優先といっても過言ではない音楽でも、お稽古事の延長みたいに、お上手を披露するようなものも多くなっているように思います。多分そんな風に感じているのは私だけではないでしょう・・。
12Photo 新藤義久
私自身はよく周りから「塩高さんはエネルギーが強い」と、言われる事が多いのですが、勢いがあるのはまあ良いとしても、普段からエネルギーが外に出てしまうのは、如何なもんなのでしょう・・。エネルギーも、音楽として成して行って初めて意味があるので、外にダダ洩れということはまだまだということです。武道の達人はそんな気配は普段出しませんからね。
私自身はあまり自覚がなくて、どちらかと言うとまだエネルギーが足りないと思っている位で、普段は大人しくしているつもりなのですが、どうも自分で思っている姿と他の方が見る姿が違うようです。。

エネルギーをパワーと履き違えると、ろくな事は起きません。「想い」が根底にあってこそはじめて、単なるパワーではなく、エネルギーとして、生命として出てくるのであって、「想い」の無い、単なる技術や知識にはエネルギーを感じないし、それらが悪用されれば原爆にも毒薬にもなってしまう怖さがあります。パワーが漲っているというのはかえって危ないだけなのです。
「想い」は人によって色々な言い方があるかと思いますが、これだけものが溢れ、科学技術も進み、一方地球上では常に紛争が絶えない現代社会にあっては、もうテクノロジーやパワーよりも「想い」がこれからのキーワードになって行くような気がします。

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さて来週の第135回琵琶樂人倶楽部は「次代を担う奏者達」シリーズの第7回目です。今回は筑前の岡崎史紘君、そして琵琶製作の勉強もしている薩摩琵琶の伊藤年江さんの登場です。お二人はお稽古事的に上手かどうかということではなく、独自の世界を持って琵琶を弾いていて、これからの活躍が楽しみな奏者です。
琵琶や邦楽など伝統を背負っている(という気になっている)ものは、どうしても先ず先に体裁を作ってしまいがちです。何度も書いていますが、薩摩琵琶は他の邦楽と違って古典ではありません。更に流派として形作られたのが、大正・昭和初期という軍国の時代ですので、ともすると変な方向に行ってしまいます。しっかりと中身を見極め、視線を次の時代に向けて行かないと、音楽として成立してゆかなくなってしまいます。目に見える体裁ほど危ういものはないのです。なんとなく考え無しにやっていては、リスナーに何も届きません。

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福島 安洞院にて 津村禮次郎師と共に

千年以上の歴史を持つ琵琶楽には、本来とんでもないエネルギーがあるはず。だからこそ今まで伝えられてきたのです。「想い」を持ってぜひとも琵琶を弾いていただきたいし、溢れるエネルギーを感じて欲しいのです。私の次の世代にあたる、このお二人のような方を、これからもどんどん紹介して行きたいですね。

3月13日夜7時30分開演です。私も前座で一曲弾きます。曲目などの詳細は
塩高和之オフィシャルサイト  Office Orientaleyes http://biwa-shiotaka.com/ のスケジュール欄を御覧ください。今後の予定などは「琵琶樂人倶楽部」のコーナーをご参照ください。

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