移りゆく時代(とき)2019夏

先日は、松陰神社前の「みずとひ」(スナックニューショーイン)にて演奏してきました。どちらも朗読と語りに安田登先生、演劇創作ユニットmizhen https://www.mizhen.info/の佐藤蕗子さん、それに私の三人で、「耳なし芳一」「夢十夜第三話」「謡曲 海士より抜粋」などやってまいりました。

「みずとひ」は日替わりでオーナーがかわるお店で、個性的なオーナーが各曜日を担当しています。https://twitter.com/snacknewshoin

木曜日はmizhenのメンバーが担当し、面白いイベントを毎回開催している芸術発信基地なのです。実は秋にセルリアン能楽堂で、このmizhenと安田先生、狂言の奥津健太郎先生、浪曲師の玉川奈々福さんなどと、能の「卒塔婆小町」を上演する事になっていまして、そんな縁で今回の共演となりました。

最近は、今回共演の佐藤さんはじめ、若手の方々とのお付き合いが多くなりました。まあそれだけ私が年をとったという事でもあるのですが、色々な世代、ジャンルがもっと芸術の場で交流してくると面白いと思います。邦楽は実際の所、高齢化に成り過ぎて、大先輩に合わせざるを得ないという現実もあり、世代云々というよりも多様性そのものが大変乏しい。また若手がすぐにポップスやエンタテイメントに走ってしまうのもとても残念なのです。もっと枠を飛び出して芸術表現に目を向ける若手が出て来て欲しいですね。
芸術家こそが、あらゆる規制、ジャンル、人々、常識、国境の垣根を自由自在に越えて行く存在です。今は世界が繋がってゆく時代。旧態のなかに留まらず、現代のセンスを感じ取り、多様性を受け入れ、新たな日本音楽を創り出して欲しい。そしてそれが次世代に大きな流れとなっていって欲しいものです。永田錦心や鶴田錦史がやってきたように。

先日、W杯凱旋での米国女子サッカーチームのキャプテン ミーガン・ラピノーさんのスピーチを見た人も多いかと思いますが、私はスピーチを見て、彼女がこれからの社会を代表してゆくリーダーのように思えました。見ていない人は是非!!お勧めですよ。
今、世界的に民族主義、排他主義、そして閉鎖的な思考が蔓延し、問題を複雑にしています。こんな時代だからこそ壁を作るより橋をかけるのが、これからの時代のキーワード。多様性を受け入れない限り、世界はもう社会として成り立ちません。そしてそれをいち早く実践するのが芸術家ではないでしょうか。
かつて平安から鎌倉に時代が変わる時も、荘園制度の中で労働を基本としない貴族と、恩義奉公で働きの内容によって褒美をもらえる武士とでは、その価値観に大きな変化がありました。自由恋愛ともいえる多妻制が常識の貴族と、「一夫一婦制」が武士という部分だけをとっても様々混乱があったそうですが、こういう価値観の急激な転換はいつの時代にもあります。この変化と向き合わない限り、混乱と衝突しか生まないのです。明治の頃も、昭和の戦後も同じだったと私は思います。だから永田錦心、鶴田錦史という強力なリーダーが出現し、時代を牽引していったのです。村社会でなんとなくのんびり生きていられる時代は、もう完全に終わったのです。

左:1st「Orientaleyes」 右8th「沙羅双樹Ⅲ」

私は1stアルバムをリリースした時から、作品を通じて「多様なものが共存してこそ世界」をスローガンにして表現してきました。チェロと琵琶の作品「二つの月」は9,11のテロを土台とした作品ですが、異なるものがお互いの違いを認め合い、最後は共存して行く道を歩む、というストーリーを設定して作曲しました。昨年8thアルバムでは、この曲をヴァイオリンと琵琶に編曲し直し、新たな時代へ向けた作品としてで再録しました。これは私なりの現代への想いです。この想いはこれからもどんどんと表現して行きたいと思います。

人間も社会も、なかなか自分と違うものを素直に受け入れはしません。自分と違う考え方も受け入れない。しかし時代は常にどんどん移り変わり、常識もセンスも刻一刻と変化しているのです。現代はその変化のスピードがとてつもなく速い。上に上げたラピノーさんが言っているように、現代は人種もセクシャリティーも関係なく、共存してゆく時代なのです。
武蔵野スウィングホールにて 琵琶:私 ダンス:かじかわまりこ

音楽に於いても、自分と違うものを受け入れ、あらゆるものと共生してゆく時代に入ったことを認識して欲しい。変われない人達は、自分達の方がまともだと硬く思っている。かつて永田錦心や鶴田錦史を迫害した人達と同じように、自分の思考が正しく、他は間違っている固くと信じている。時代を先取りし、次世代スタンダードを世に示した二人の轍の先に自分が存在していることを、既に忘れてしまっているのです。先人の残したものの形だけを真似ても意味はありません。受け継ぐのはその意思であり、次の時代を切り開いていった精神ではないでしょうか。私はむしろ永田、鶴田両先生のやって来たように、表面の形はどんどんと変えてゆくべきなのだと思っています。我々が響かせるものは、お見事な技ではありません。お上手というのは旧価値観のレールの上に未だあるという事。そんな優等生のような演奏は両先生は微塵も
望んでいないでしょう。むしろ次世代スタンダードを示すような新たな価値観の創造こそ望んでいたことでしょう。リスナーはお上手な技を聴いているのではなく、そこから発せられるとてつもないエネルギーこそ感じているのではないですか!!。

長い歴史を持つものほど、その時々で旺盛に創造的変化を繰り返し、だからこそ長い歴史を刻み続ける事が出来るのです。宮廷という権威と共に在った雅楽は別として、能でも歌舞伎でも、伝統として受け継がれてきているものは、壮絶な創造と確信を繰り返しているからこそ今残っているのです。逆に変わる事が出来なかったものは滅んでゆくのが世の習い。それは誰もが判っている事と思います。
自分がこれ迄やってきたもの、積み上げてきたものは、おいそれと捨てられないし、変えられないものですが、ここが出来るかどうかがその人の器というものだと私は思っています。

演奏会2

高野山常喜院にて

今月に入り、雅楽の芝祐靖先生が亡くなられました。雅楽をこれだけ現代社会の中で響かせ、研究、複曲、創作で牽引した功績は日本音楽史上、他に例を無い存在だと思います。元号も新たになったこともあり、先生が亡くなった事は、一つの時代が終わって、次の時代へと移り変わった象徴のようにも感じました。昨年二度に渡り、先生の龍笛の独奏と指揮をまじかに聴く事が出来、本当に嬉しかったです。古典音楽を現代にあれだけ響かせた人は他にいません。是非先生の精神を受け継ぐ方が出て来て欲しいものです。

音楽は常に時代と共にあります。共にあり続けなければ音楽に命が宿りません。永田錦心、鶴田錦史、芝祐靖、各先生方は創造と継承の両輪を大いに回して、その音楽と精神を我々に残し、時代を渡してくれました。次は私たちがやる番ではないですか。多様性の時代を迎え、今度は我々が新たな日本音楽を創り上げる時です。芸術に関わる我々こそが、今、古い衣を脱ぎ捨てて、多様な世界と手を取り合わなくて、何をするのでしょう?。これがまた歴史となって日本の文化は伝えられてゆくのです。過去に依存し、肩書にしがみついているだけでは時代は移り変わりません。壁に張った賞状を眺めてご満悦の「先生」に、あなたは成りたいですか。

音楽家こそは、時代の先を行って、対岸に手を差し伸べ、橋をかけ、新たなセンスを世に示す存在でありたいですね。

アドリブやろうぜ!

私の曲は「共演者泣かせ」とよく言われます。それは必ずアドリブパートがあるからなのです。私はいつも書いているように、ジャズ屋上がりですので、曲がその場で変化して行く様こそが音楽だと思っています。練習した事をそのままかっちりやるのは、どうもお稽古事っぽい感じがして馴染みません。

日本橋富沢町樂琵会にて Viの田澤明子さんと笙のジョウシュウ・ジポーリン君と「凍れる月」演奏中

私は琵琶を手にした最初から「日本音楽の最先端」がモットーですので、共演の相手は尺八や笛などの和楽器は勿論、フルートやヴァイオリンなど洋楽器も多いのです。そんな皆さんは私の選んだ方々だけあって、大変才能も感性も個性も技術も豊かな方々ですので、あえて追い込んでみると、それはそれは他では聴けないほどのアドリブを連発します。逆にジャズを知っている人よりも、豊かなものになりますね。

荻窪音楽祭にて Viの濱田協子さん、Piの高橋なつみさんと
昨年はヴァイオリンとピアノと樂琵琶で、拙作「塔里木旋回舞曲」を演奏しましたが、最初は「アドリブはちょっと~~」と言っていたお二方も本番では驚くようなはじけっぷりを見せてくれました。
残念ながらアドリブの本家であるジャズは、もう完全に形骸化してしまいましたね。先日聴いた新人ギタリストのCDも、教則版かと思うようなオーソドックスなスタイルのお上手な優等生ぶり。私が聴いてきたジャズは創造性こそ命であり、予定調和はジャズの精神から一番遠いものだったはずなのに、悪い意味での伝統芸能と化しているとしか思えませんでした。このレベルでCDを出させてしまうプロデューサーは罪作りですよ。お上手な優等生を世に出せば出すほどジャズはつまらなくなる。音楽家を育てなくちゃ!!。ジャズは大変残念な想いで聴く事が多くなりました。

アドリブとは、スケールや和音に乗っ取ってフレーズを弾くことではありません。どんな場所でも時でも、自由自在に自分の世界を語り聞かせる事こそがアドリブです。私はずっと、それが出来るのが音楽家だと思っていたのですが、そんな音楽家は気がついたらめっきり少なくなってしまいましたね。つまりはその時々で、その場に於いてリスナーとアドリブを交わしているという事です。自分と曲、自分とメンバー、自分とリスナー、自分と場所、自分と社会、自分と時代・・etc.と常にコミュニケーションを取って生きているという事です。

   

よくこのブログに登場す尼理愛子さんは、何処でも自分の世界を聴かせてくれます。評価は人それぞれでしょうが、とにもかくにも自分の世界を何処でも表現するという音楽家の根本を全うしてます。先ず舞台に立つとはそういうことではないでしょうか。ライブでのパフォーマンスに接すれば、彼女にファンが多いのも頷けます。
自分の語るべき世界無くして、何故舞台に立てるのか、逆に私には不思議でなりません。自分のスタイルがあり、自分の世界があって、尚且つそれが自分を取り巻くものと共鳴しあってこその、自分の存在であり、音楽ではないでしょうか。
どうだとばかりに自分の意見を言うだけなら誰でも出来る。言い換えれば一番低レベルの表現です。言いたいことをわめくだけでなく、自分の言うべきと事は言いながらも、リスナーとコミュニケーションを取り、共感をもたらすのが音楽家。その場その場でフレキシブルなアドリブが出来ないようでは、いつまで経っても舞台人には成れません。

タシュケントのイルホム劇場にて、ネイの奏者と私と、指揮者アルチョム・キム氏の組織する
オムニバスアンサンブルというミニオケで「まろばし」演奏中。

ジョンレノンの「イマジン」が素晴らしいといっても、違う意見をもっている人もいれば、批判する人もいますし、ジミヘンが凄いといっても騒音にしか聞こえない人も多いことでしょう。人の感性は夫々なのです。実際舞台に立ってみれば、凄くやりにくい設定の舞台も結構あるし、むしろ自分の世界を理解してくれない人の方が多いのが現実です。つまり万人と等しく共感できるなんて事はないのです。これがこの世の現実です。しかしそれでも表現して行くのが我々の生き方なのです。確かに万人には届かない(逆に万人向けに自分の世界を甘口に見せかけるような輩は音楽家とは言えないですね・・・)。
それでもどんな障害があろうと、常に語り続けるのが音楽家です。そしてどんな時にでも、自分の世界を根底に持ちながらリスナーとコミュニケーションを取り続けるのが、舞台に立つ音楽家というものではないでしょうか。

兵庫芸術文化センターホールにて

コミュニケーションする姿勢を忘れ、常にアドリブする能力がなくなったら音楽家はお終い。とたんにお稽古事の発表会に陥ってしまいます。
先日、とあるリハーサルをしていた時、語りを担当する若い役者さんが、最初なかなかこちらと調和がが取れず、上手く行かなかったのですが、「語りだろうが、音楽だろうが、同じ輪の中(円運動と言いましたが)の中に入ったら、自由に間が取れて
呼応も出来るよ」なんて話しをしていたら、さすがに感の鋭い方で、すぐに感性を広げて我々邦楽人と世界を共有し、自在にアドリブが出来るようになりました。するとお互いのコミュニケーションが取れて、どんどん作品が面白くなりました。それがリスナーを巻き込むようにして大きくなっていったら、きっと素晴らしい舞台になるのでしょうね。芸術に関わる人には、こんな柔軟さと純粋さを常に持っていて欲しいものです。

過去の歴史を見ても、人間の営みは様々に変化し、とてもある一定のルールの中だけに存在する事が出来ません。我々舞台人は、その多様な人間の営みの中で生まれてきた音楽や芸術をやっているのですから、どこかのお教室でお勉強してきた事だけをお上手にやっていても、観客と共有出来る訳はないのです。音楽は常にLiveであり、生々しいものなのです。
現代は、世界中の人が、小さな小さな私の作品でも気軽に聴いてくれるようになりました。こんなに世界とつながることが出来る現代において、こちらが何かの価値観に固まっていたら、その他の価値観の人とはコミュニケーションが取れません。権威や名誉などは、実に危うく、一瞬にして間逆に変ってしまう人間の作り出した幻想でしかないのです。そういう目の前の幻想を取り払い、物事の本質を感じさせて、目を、感性を開かせてくれるのが芸術家音楽家というものではないでしょうか。

フラメンコギターの日野道夫さん、ウードの常味祐司さんと、音や金時にて

この世に生きる人々に向けてやっているのなら、自分が先ずは自由になって、どんな場所へ行っても、どんどんアドリブかますくらいでないと!!!!。

アドリブやろうぜ!!

山月記を弾く

先日、広尾の東江寺にて、能楽師の安田登先生と狂言師の奥津健太郎先生、そして私とで「山月記」を上演してきました。能のスタイルではなく、いわゆる朗読による公演だったのですが、そこは並みの語り手ではないお二人ですから、なかなかどっしりとした作品となりました。

東江寺にて

この演目は、きっとこれからも再演があると思いますが、私はあらためて「山月記」を読み返して我が身を振り返り、今「山月記」を上演する機会を得たことに、何かの縁を感じるような想いがしました。

この「山月記」には有名な「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉が出てきますが、芸事に携わる身としては、ビビッと来るものがありましたね。
私は20代の頃はジャズギターでお仕事をさせていただいていました。20歳頃からちょくちょくと仕事をもらい、ジャズギタリストになる夢が少し現実になるような気がして、それなりにがんばっていたのですが、今思えば世の中がバブルに向かって景気が良くなっていた頃なので、おこぼれで仕事をいただいていたようなもの。自分の実力で取ってきた仕事でも無いし、自分の音楽で勝負していた訳でもありません。少しばかりの技術と知識でやっていただけなのです。
24歳、ジャズにロックテイストを入れて最先端のようなつもりでいた頃
妙な自信だけが空回りして、小さな世界で「上手」やら「凄い」やらとちょっとおだてられていた自分は、本当に小さな器の勘違い野郎でした。だから山月記の主人公 李徴の独白を聞いていて、言葉の一つ一つに惹き付けられました。
結局ギタリストとしては才能も無く、技量もなく、大した仕事も出来ず、勿論レコードも出せず挫折したのですが、だからこそ今があるのだなと終演後、両先生方と食事をしながら、そんな話しがつい口から出てしまいました。
もし李徴のように虎になってしまうほどの強い心があれば、それがたとえ臆病な自尊心あっても、何かしら残せたかも、などとも思いました。私は当時、そんなに振り切れる所まで物事を出来る人間ではなかったのです。

琵琶に転向してから、お陰様でそれなりにやらせていただいてきました。今思えば、やっと自分に合う世界にたどり着いたと思いますし、まさに水を得た魚という感じだったと思います。ただ残念ながら琵琶の世界には、私の上の世代の方でプロ活動をしている人がほとんどおらず、そのノウハウを持っている先輩が周りに誰も居なかったのです。だから自分で曲を作って、自分でマーケットを開拓して、何でも自分でやってきたのです。自分を取り巻く不自由な状況が、かえって自分の中にあった能力を発揮させたと感じています。

琵琶弾きになって、独自の活動をするようになってみると、ジャズの経験と知識が大いに役に立って、他には無いスタイルのものが出来た事は嬉しかったですね。あらためてジャズを通り越してきたことに意味を感じました。また今から20年ほど前には、今ほどではないにしろ、割と手軽にCDを出せる時代になっていて、インディーズでもそれなりに評価も頂けるようになってきた頃なので、どんどんと自分の創った曲をレコーディングして、オリジナルな世界を表現する事を世に出して行く事が出来、やっと自分の思う音楽活動が展開して行ったのです。

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若き日 今はもう無い静岡の実家にて

1stCDの「Orientaleyes」をリリースした時には、本当に嬉しかったのを覚えています。現代邦楽がアカデミックなクラシックの作曲家の作品に陥って、妙に権威付けられ、形骸化していたのを残念に思っていたので、私が琵琶で活動を始めるにあたって、従来のスタイルには微塵も寄りかからない、邦楽とジャズ(特にフリージャズ)を接近させた独自の世界を創り出しました。これは、権威に対するアンチテーゼでもありますし、私にとっては実に自由に表現出来るスタイルであり、現在でもアドリブを必ず入れる私の作品の端緒となりました。一番最初に作った「まろばし」は今でも、私のスタイルを代表する最重要な作品です。

しかし同時に、弾き語りなど流派の曲をやっている人をみて「やつらとは違う」というような狭量な想いも募っていました。

そんな風にやっていると、ちょっと面白いことをやっただけで話題になるし、雑誌などにも取り上げてもらう事も何度かありました。李徴ではないですが、他の琵琶人と交わる事をせず、自分に好意的な所とだけ付き合い、孤高を気取り格好つけていましたね。私はとにかく、右寄りで軍国的な旧価値観で出来上がっている薩摩琵琶唄が心底嫌いでしたので(今でも勿論!!)、従来の弾き語りはやりませんでした。そういう弾き語りをやらないことこそ私の矜持であり、自分のスタイルだと言い放っていました。しかし内心では「やらない=出来ない」というところを批判されたくないから他の琵琶人と付き合わなかったのかもしれません。嫌いな従来の琵琶楽に何かしらの圧力を感じていたのでしょう。臆病な自尊心というやつでしょうか。今でも弾き語りは公演の中で一曲やればいい方ですが、あの頃は流派の曲を弾き語りでやること自体に、強烈な対抗と嫌悪がありました。今でも自分の創った曲以外、一切弾き語りはやりませんが、つまらない意地を張って、それに振り回されていた頃でした。

そしてそういう時には相応の躓きがあるるもので、色々と失敗もしました。また年齢的にも力業で何でもやれるような20代とは違うので、身体が悲鳴を上げたりして、己の狭い視野と小さな器、そして技量の無さを思い知らされて来たのです。これを世間では「経験」というのでしょうかね・・・。

東江寺にて

紆余曲折を経て今が在るわけですが、結局自分で「思い知る」という体験を通り越さない限り、世界は広がらない。李徴が虎になってはじめて己を知るように、「思い知る」事で自分の心が変わって、初めて気がつくのです。多少上手になったり、仕事を頂いても、いつまで経っても見えている世界は小さいままなのだということを「思い知り」ました。
先日の公演で李徴の独白を安田先生の生声で聴いていたら、何か自分のこれまでの事が想い出され、今こそ身を振り返り、自分にとって本来あるべき姿に、歩みを正して行くべき時なのではないかとも思えてきました。自分が一番自分らしい姿で居られる事が、自分の音楽を生み出して行くベースであるという事を、あらためて感じたのです。
田原順子先生と、日本橋富沢町樂琵会にて

昨年、日本橋富沢町楽琵会に田原順子先生をお招きして会をやりました。田原先生は正に20年前、ギラギラした目付きで琵琶を弾いていた私に「面白いわね」と声をかけてくれた唯一の先輩であり、その後もつかず離れずエールを送ってくれた方です。昨年先生を自分の会に招くことが出来、この道でやって来て本当に良かったと思いましたが、同時に紆余曲折を経ながらも琵琶界のスタンダードに迎合することなく、あくまでもどこまでも自分のやり方でやってきたことは、自分の運命だったとも思いました。勿論その軌跡には何の後悔も無く、今も大変充実していますが、李徴の言葉は鏡のようなリアルさで、今の私に迫ってきました。

こういう出会いこそ縁なのかも知れません。良い機会を頂きました。

学ぶという事Ⅱ

梅雨に入り、じめじめとしてきましたね。絹糸にとっては困った季節になりましたが、こういう時にこそ失敗を経験し、学ばなければ!。まあ失敗ばかりというのも何なのですが・・・。

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先日の広尾東江寺演奏会にて 

私はこれまで習ってきた先生は、皆タイプがどこか似ているんです。私自身がどんな先生についても同じ学び方をしてきたともいえますが、先生方は皆一様に「自分で何がやりたいのか考える」という課題を与えてくれました。しかしながら一般的には、どうしても一番先に「これが弾き方です。歌い方です。基本です」と教えて、自由に楽器に触らせるという事をしないですね。日本的な教え方とも言えますが、「教える」が「仕込む」と同じ意味になってしまっていて、個性を伸ばすよりも、矯正するように何かの方に押し込めようとするやり方は未だに根強いと思います。以前何度か呼ばれていたインターナショナルスクールでは、生徒に筝でブルースなんか弾かせて楽しんでましたよ。

禅の修行のように「頭で考えずに先ず坐れ」というやり方にも大いに共感する部分があるのですが、こと芸術に関しては、やはり考えながら学ぶという姿勢がないと、型をなぞる事で終わってしまいがちです。これは武道などにも言える事かと思います。
先生と生徒では、年齢、性別、体格、筋力、そして何よりも感性が随分違うと思いますので、先生の思う「正しい」形は必ずしも生徒に合っているとはいえません。これは音楽でも武道でも同じ事で、「これが良い音です」と教えるよりも、自分で「良い音」を見つけるようにさせる位でないと、本当の意味で身については行きません。
先生は「良い音」の価値基準を教えているつもりだと思いますが、それこそ相手が何も知らないと決め付けている上から目線の態度だと思います。それは洗脳でしかないのです。大人なら何かしら自分の価値基準を持っているでしょう。しかし子供にだって、新しい時代の子供の感性があります。その感性を十二分に羽ばたかせてあげるようでなければ、芸術的感性は開きません。それが教育というものではないでしょうか。先生の色に染めるのは洗脳以外の何物でもありません。

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キッドアイラックアートホールにて Per:灰野敬二、尺八:田中黎山各氏と

教育が洗脳になってしまったら、それはもはや教育ではありません。そこに芸術は無いのです。型を教えるにも、表面の形だけでなく、必ず「何故こうなのか」という中身をしっかりと教えないと、生徒は何の疑問をもたず、型をしっかりとやることで満足し、その中身を考えなくなってしまいます。芸術的思考なしに、得意なものをやって喜んで、どや顔しているだけになってしまいます。そこにはもう音楽はないし、リスナーも聴いてはくれません。学ぶ者は、常に自分で考えながら学ぶ事が何よりも大切なのです。過去だけでなく現代に溢れる多くの音楽・芸術に触れ、自分の感性を磨くことも同時にしていかないと、社会とコミットする事はできません。音楽は社会と共に在ってこそ音楽。だからこそ音に命が宿るのです。社会と関係無いものはただの骨董品でしかありません。
人間は自分の経験を積み重ねて、身を取り巻く多くのものとの関わりを感じ取りながら勉強し、技を習得して行くの至極当たり前です。誰かに「正しい事」を教わったのではありません。

皆さん自転車に初めて乗った時を覚えていますでしょうか。転んだり、補助輪をつけたりしながら自分でバランス感覚を身に付けていった事と思います。最初はお父さんに後ろを持ってもらったりしたことでしょうが、お父さんはその後、自転車の乗り方にあれこれ注文をつけたでしょうか?。楽器だったら、ギターをやっている人は皆判ると思いますが、最初は本をちょっと見たり、弾けるやつの手を見たりしながら、「これがCのコードか」なんて具合に自分で覚えて行ったことでしょう。自然の中で生き延びてきた人間にとって、ものを習得するというのは、自分で考え、経験し、見つけて行くというのが基本です。アドバイスはもらっても、それをどう活用するかを考えなければ、習得は出来ません。あれこれ考えながらやっているその過程こそ経験であり、後々創造性を育む大事な大きな土台となるのです。

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神戸芸術文化センターホールにて、語り:伊藤哲哉、コントラバス:水野俊介各氏と

何かの規範の中にのみ居ると、いつしか視野も感性も閉じこもってしまい、勘違いしたプライドさえ生まれてきます。しかも本人は自分がその小さな枠の中に居ることに気づかない。しかし芸術に携わるには、その全く反対の精神を持たなくては創造は出来ません。あらゆる規制、習慣、因習、常識から開放され、自由な精神で生きて、表現してゆこうとするのが芸術家。琵琶でしたら永田錦心、鶴田錦史、両先生のような方こそが芸術家です。この先生達の創った「型」を習うのか、それともその「型」を創り上げた土台となった「精神」を受け継ぐのか、よく考えてみて欲しいですね。どんなジャンルでもそっくりさんは表面が似ているだけで、物まね芸人の域を出ないのです。その類のものを「受け継いでいる」とは誰も評価してはくれません。現代でジミヘンそっくりに弾いたところで評価されるどころか、ただの物真似以上にはならないし音楽家とは評価してくれません。今の琵琶樂の現状を永田先生はどう思うのでしょう・・・・?。

先生に寄りかかり、ティーチャーズペットよろしく先生に気に入られて、優等生ぶっているようでは、芸術から遠く離れた小島に篭っているも同然です。何かを創り出したいのなら、その精神はどんな段階にあっても、どんな状況にあっても、何ものにも囚われない自由な心で、常に多くのことから学ぶ姿勢を持って居なくては!!。「守・破・離」の精神を持って自立して欲しいものです。邦楽・琵琶楽の今後はその精神に掛かっていると言っても過言ではないでしょう。
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福島安洞院にて、津村禮次郎先生と「良寛」を上演中

一方、流派という組織には、計り知れないものがあると私は感じています。勿論まともな流派という事ですが・・。以前邦楽の先輩から「流派とは知性である」と教えられました。確かに流派には、長い年月を経て蓄積され洗練されてきた哲学や、時代の変化に翻弄されながらも生き延びてきた経験があり、所作の一つ一つに意味があります。つまり流派とは大学のような所、と私は考えています。全ての流派がそうだとは思いませんが、古典に対する知識・知性も、旺盛な創作の果てに残されたものの中には、型一つ取ってもそこには深い経験が詰まっているはずです。
だから能のような長い歴史の中で洗練と核心を繰り返して、今尚生きているものを学ぶという事自体はとても重要であり、現代に於いてもしっかりと機能している組織であるならば、その中に教育に関しても充分なシステムが備わっていることと思います。残念ながら薩摩琵琶は個人芸であり、しかも流派というものが出来てまだ100年程度。流派の体を成していません。更には軍国時代の流行音楽という側面もありますので、洗練された型や知性というものは、まだこれから数百年は経たないと現れて来ないでしょう。今の流派に、樂琵琶から始まる千数百年の琵琶樂の歴史を教えられる先生がいるとは、私は思えません。
歴史があり、尚且つ現代にも旺盛な躍動のある「流派」という組織は、学ぶものにとってとても大切な学びの場。薩摩琵琶にも、今後こういう場が成立して行ったら良いですね。

学ぶ身として大事な事は、表面上の型を追わない事。教師もそれを生徒に追わせない事。型を上手にやろうとする浅い心では、その本質はいつまで経っても見えて来ません。型の中に秘められた世界を紐解くのが稽古であり、勉強だと私は思っています。

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季楽堂にて、尺八の吉岡龍見さんと   Photo Mayu

学ぶとは考える事。私はそう思って実践しています。先ずは先生の事を真似ろ、とばかりに強制して行く教え方・学び方は、芸術に於いては全く的を得て居ないと思います。常に考え、感じ、頭も体もフル回転してこそ学ぶ事が出来ると思っています。
世界一の歴史の長さを誇る日本には、音楽だけをとっても限りないほどに素晴らしいものが沢山ありますし、文学・芸能・歴史・宗教など勉強すべき事は山のようにあるはずです。一生かかっても学びは終わらないでしょう。上手に琵琶が弾けた歌えた、お名前もらったなんて事は、やっと義務教育、いや幼稚園を卒業したという程度。芸術に、音楽に人生を賭けるということは、常に現在進行形で学び、創造して行く人生を選択するという事。お教室で習った事を上手にやって喜んでいるのは、ただのオタク趣味に過ぎないのです。世の中の人はそういう風に見ているのですよ。そんな輩が多いから、いつまで経っても稽古事や河原乞食という目でしか見てもらえないのです。芸術・音楽がもっと社会とコミットし、誇りを持って自国の文化として認識されるには、上手に弾くこと歌うことではなく、次世代に向けて創造してこそではないでしょうか。

150918_塩高氏ソロ菊図屏風前
岡田美術館 尾形光琳作 菊図屏風前にて

私が習ってきた先生方は皆、「貴方は何がやりたいのか」、「それが本当に貴方の音楽なのか」、「やりたい音楽のためには何をやるべきなのか」・・・そういうことを常に問いかけてくれました。また自由にやらせてくれました。だから私は常に、自分で考え、創り、実践した来たのです。そのために学ばなければ行けないことを自分で探し、社会とのかかわりの中で学んできたのです。
若者には、是非多くのことを学んで、新たな日本音楽を創って行って欲しいものです。

伝えるという事Ⅱ

先日の第20回日本橋富沢町樂琵会は盛況の内に終える事が出来ました。ゲストには私の琵琶を作ってくれている石田克佳さんを迎えまして、彼の正派薩摩琵琶と私のモダンスタイルの聴き比べの他、二人でマニアックな琵琶トークも展開して、なかなか面白い会となりました。

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日本橋富沢町樂琵会にて石田さんと

やはりお客様としては、スタイルの違う琵琶を聴けるというのは面白いことだと思います。琵琶樂人倶楽部でもレクチャーの回でない時には、複数人の演奏家を呼んで聴き比べをやっているのですが、とても喜ばれています。以前組んでいたアンサンブルグループ「まろばし」でも、琴古流と都山流の尺八二重奏の曲を作曲して上演したり、日舞の五條流と花柳流をカップリングしたりしてプロデュースをしましたが、お客様には大変喜ばれました。お陰様で、幸い私の周りには「俺様一番」みたいな勘違い系の人は居ないので、多様な琵琶の魅力を良い形で発信出来て嬉しいです。
これは 琴古流 故 香川一朝さんと、若手の都山流 田中黎山君のデュオです。この曲は元々9,11のテロの後に作曲したもので、異文化の共生をテーマにした作品でした。それを尺八二重奏に編曲したもので、現在は昨年リリースした8thCD「沙羅双樹Ⅲ」にも収録した、ヴァイオリンと琵琶とのデュオのバージョンも出来上がっています。
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違う流派とのカップリング 左:古澤月心さんと、中:平野多美恵さんと、右:鶴山旭翔さんと

人間というのはどんな偉い人でも、自分と異質なものを拒否する性質があります。人種だったり、派閥だったり、果ては南口と北口なんてつまらない事を言い出して枠を作って競い合い、しまいには戦争を始めてまで異質なものを排除しようとする生き物です。まあ性というものなんでしょうか。

その垣根を乗り越えて共生して行こうとするのが芸術であり、またその使命なのだと私は考えています。また芸術家にはその幅と器が求められているとも思っています。しかし偏狭な心で、主義主張を振りかざすだけの方も残念ながら居ます。本当に残念ですが、これも現実です。今は世界がクリック一つで繋がる時代。私の作品もアジアだけでなく、ヨーロッパ・アメリカでも聴かれています。こうして繋がって行くのは世の流れであり、それに伴って人間の感性が変わって行くのもまた必然。

邦楽の世界を見ていると、リスナーの方がどんどんと新たな世界に歩みだしているのに、演奏する側が踏みとどまっている状態です。音楽は常に命あるものとして時代に中で生き続けてこそ音楽。現状のままでは、千年以上に渡り豊穣な魅力に溢れる音楽として伝えられてきた琵琶楽も、ただの過去資料や骨董品になってしまう。多様なものが共生してこそ社会であり、共生以外に平和はありえないのは、誰もが判っていること。社会の通年、常識、因習などは50年もすれば、真逆といっていいほどに変ってしまうことを、世界大戦などを通じて皆知っているはずです。そんな一時期の感性など軽々と乗り越え、自分と違うものを率先して受け入れ、実現するのが芸術家ではないでしょうか。その芸術に携わる人は時代を先取りする位で丁度良い。人種やジェンダー、国籍など、そんな壁は芸術には無い。地域的民族的な感性は確かにありますが、そこを土台にしながらも、壁を超えてゆくのが芸術家です。各国のこれまでの革命の歴史を見ても、皆芸術家がその感性や思想を支え、民衆をリードして行ったではないですか。
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昨年の荻窪音楽祭にて。Vi 濱田協子 Pi 高橋なつみ
現代日本で、着物を着て生活している人はほとんど居ません。しかし日本人としてのアイデンティティーは皆持っている。つまり表面の形などに拘る事は意味が無いのです。やり方は夫々違うかもしれませんが、そんなものに拘っているようでは一番の核心は何も伝わりません。意味のある所作と単なるお作法は全く違うのです。そこが判らなければ、いつまで経っても「村」から出る事は出来ないし、衰退は免れないのです。

音楽を受け入れるのはいつの時代でもリスナーなのです。芸術だろうが、エンタメだろうが、社会の中で社会の流れと共に生きる市井の人々が聴いてこそ音楽。やる側が何か訳の判らないものに拘っても、聴く人々の心を打たない限り、音楽として存在する事は出来ません。社会の流れと共に生活も音楽も変わって行くのが世の習い。変る事が出来ないものは必然的に滅んで行きます。どこを変えて、どこを守るのか、そのセンスを今、琵琶楽は強烈に、切実に問われているといってよいでしょう。

薩摩琵琶はいつも書いているように永田錦心、鶴田錦史というパイオニアが居たからこそ、細々ではありますが今に続いています。平家琵琶は江戸時代に盲人伝承から正眼者へと受け継がれ、譜面を開発したからこそ後に続きました。盲人の平曲家から見れば、譜面を作るなんて事はナンセンス以外の何ものでもなかったでしょう。しかしその変化が江戸時代にあったからこそ、今伝えられているのです。永田錦心も鶴田錦史も当時は批判されました。どんな分野でも最先端を行く者は、なかなか理解されません。しかし今衰退の極みに在る琵琶楽に於いて、さび付いたレールの上をただのろのろ歩いているだけで良いのでしょうか?。今こそ、古い衣を脱ぎ捨てて踏み出さなければ、本当に滅んでしまいます。世の中はしっかり永田・鶴田に付いて行きました。能も長唄も筝曲もどんどん新作を作り、新しい感性を入れながら今まで発展してきたのです。琵琶楽だけとどまっている訳には行かないのです。是非挑戦する心を燃やして欲しい。

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広尾東江寺にて 笛の大浦典子さんと

新しいものに挑戦し、創り出すこの創造性こそが芸術の命です。こうした旺盛な創作があるからこそ、古典の研究も進み更に更に洗練されて、世界が豊かに、そして魅力的になって、人々を魅了するのです。創造性無きところに明日はありえません。伝えて行くとは、創る事と言い換えてもよいと思います。

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永田錦心は生前、「西洋音楽を取り入れた、新しい琵琶楽を創造する天才が現れるのを熱望する」と琵琶新聞紙上に書いています。今では特別に西洋音楽を取り入れなくても良いと思いますが、私も明日に向かって新たな一歩を踏み出せる琵琶人が出てくることを大いに期待しています。

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