夏の午睡の戯言にて

バリ舞踊祭り

急な暑さで、体が追いつきませんね。この暑さの中、我が町はただ今七夕祭りの最中でして、更に土日は地元の神社で、恒例のバリ舞踊祭があります。という訳で町が盛り上がっている最中なのです。
この盛り上がりと共に、私の周りでは昼ビールの誘惑が多々ありまして、先輩・友人方々としっかりグラスを重ねている次第です。このところ特に演奏会も控えてないので、気持ちも軽くリラックスして話も弾みます。普段はどうしても週に1,2度は少なくとも演奏がありますので、気分がどこか臨戦態勢のようになっているのでしょう。たまに気分をリセットすると、本人自身だけでなく周りとも良いコミュニケーションが取れるようになりますね。
世の波騒は常の事ではありますが、後に残るようなネガティブなことは、私にはあまりありません。まあ鈍感、厚顔無恥とも言えますが、プレーンな状態で日々居られるというのはありがたいことです。演奏会が続くと、気が付かないうちに顔つきも険しくなってしまいますので、やはり適度なリセットが必要ですね。

五韻会2019

そして先月の終わりには、こちらも夏の恒例 長唄「五韻会」を聴きに行ってきました。もう毎年の夏の楽しみになっています。ちょうど琵琶樂人倶楽部が発足した年(2007年)に、福原百七さんの招きで五韻会演奏会に出演したことがあるのですが、それ以来毎年百七さんから案内を頂いて聴かせてもらてます。良い時間を頂きました。

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トルクメニスタン マフトゥムクリ劇場にて

私は「身一つで生きる」というのが信条でして、なるべく物を持たないようにしています。車も運転しないし、TVもなければ近頃のデジタル系ガジェットともほとんど無縁です。部屋の中もすっきり。私の家に来た人には「ここはお稽古場ですか」としょっちゅう言われます。余計なものがあると落ち着かないのです。このPCが現代とつながっている唯一のものかもしれません。メールも自宅のPCでないと受け取れないという有様ですが、特に不自由もありません。
若い頃は色んなものを、わざわざローンを組んでまで買っていましたが、今思えば、それも良い経験だったとしか思えません。現代人は物を持ちすぎる。私はここ30年程ずっとそう思って来ました。

四六時中スマホにかじりついている現代人の姿は、どう見ても病的な中毒状態でしょう。今はデジタルテクノロジーや物が在ることが生きる基本、基板のようになって、それらがなければ生活が成り立たないように思われがちですが、それは大いなる幻想に過ぎません。きっと心ある人なら誰もが頭では判っている事ではないでしょうか・・。常にものに依存しなければ生きて行けない人生なぞ、私は絶対にお断りです。

山頭火

秘かな憧れ 山頭火

人間はどんな時代でも、テクノロジーと共に生きて来ました。古代には船で外国に行き、鉄を発見し武器を作り戦争を繰り返し、中世には行燈に使う油が普及したおかげで、夜の時間が文化を育みました。確かに車も、電車も郵便も電話もあってこその現代の暮らしですし、そこから文化も生まれて行きますが、今は必要以上に物が世に溢れて、人間が物に振り回されていると感じるのは私だけではないと思います。

人はままならない事を解消するためにあれこれと考えて物を生み出すのですが、対人間は勿論の事、スマホも車も、自分で使いこなしていると思い込んでいるだけで、実はしっかり操られている事が多いのではないでしょうか。
以前鹿児島の熊襲の洞穴に行った時、「もので栄えて、心で滅ぶ」という立看板を見ましたが、昨今起こっている事件を見ていても、まさにそんな時代になったしまっているように思います。
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広尾 東江寺にて

私にとって琵琶は分身のようなものですが、琵琶がないと何も出来ないという音楽家には成りたくないのです。まずは自分の中に湧き上がる音楽があり、それが琵琶によって豊かに響き渡ると思っています。どんなに素晴らしい琵琶でも、それを自分が鳴らさなければ意味はありません。確かに私の琵琶は特別仕様なせいか、弾くだけで何かに導かれるように音楽が沸いて来る事もしばしばありますが、それはまた次元の違う話。たとえパートナーといえども寄りかかって依存していては、何も成就せず、自分の人生は全う出来ないのです。だからこそ、いつも書いているように分身、相方である琵琶に対しては、自分と同じようにリスペクトをして、手入れは常に完璧にしているのです。

時代はどんどんと進んでゆくものですが、音楽の本質は何も変わらないと思っています。きっと人間の営みも、根本のところでは大して変わっていないのだと思いますが、如何でしょうか。しかし人間は表面の形に惑わされ、その時々の出来事や流行に目が行って、いつの時代も右往左往してしまう。
「観の目強く、見の目弱く」とは宮本武蔵の言葉ですが、時代をするどく捉え、射貫く目がなくては、波の上に浮かんで流れに身を任せているようなもの。時代とコミットするのはとても大切なことですし、周りの多くのものと関わりながらも、ただ流されていては、自分の人生は生きられません。

私は自分の思うところを、自分のペースでこれからも生きて行きたいのです。
この夏もゆったりと過ごして、良い作品を創りますよ。

夏恒例 SPレコードコンサート2019

来月の第140回琵琶樂人倶楽部は、毎年恒例のSPレコードコンサートをやります。今年は「永田錦心とその時代Ⅳ」と題しまして、第一部が永田錦心の特集。第二部は色んなジャンルから、ラッパ録音のものと、マイクロフォンが出来てからの電気録音のものを聴き比べていただくように企画しました。

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ご存知のように薩摩琵琶に流派が出来あがり、一般に広まったのは明治の中後期。まだ100年ちょっとしか経っていない若い芸能です。加えて軍国時代とそのまま重なりますので、現代の感性とは相容れないも曲も多々あります。私自身は演奏にあたって、軍国ものや戦の曲などは、定番の「壇ノ浦」「敦盛」以外はずっと避けてきたのですが(それらもかなりオリジナルにしてあります)、今回はあえて軍国時代を象徴するような曲を選び、薩摩琵琶の負の部分とも言える一面をあらためて炙り出して、薩摩琵琶のこれまでの実体を知ってもらおうと思っています。そして今こそ、そういうところから抜け出して、新たなものを次世代に向けた薩摩琵琶のこれからの形を考えてもらいたい、という想いから、こんな企画をしてみました。

永田錦心3田錦心
永田錦心の時代は、言い換えれば、薩摩琵琶がショウビジネスに乗って行った時代でした。SPレコードが発売され、永田自身もそのニューメディアのお陰で全国にその名と演奏が広まったのですが、今で言えばネット配信で広がったのと同じ事です。
こうして音楽が全国へと広がり、ショウビジネス化して行くと、どうしても世の流れや雰囲気に添わない訳にはいかなくなります。それは単純に売れないからで、ショウビジネスに於いては、売れないものは価値がないものと考えられてしまうからです。今回かける軍国的な曲もそういう中で録音された事と思います。

音楽が広まるのは結構な事ですが、売る事を優先させるようになると、演者もすぐにそれに追随する「売れたい」と思う者が出てきます。今でもはもうショウビジネス=エンタテイメント=音楽という図式が普通となっていますが、それは大正時代辺りから既に琵琶の世界にもあったのです。こうしたセンスが良い悪いは別として、少なくとも表現活動としての音楽とはまた違う、エンタテイメントとしての音楽になって行かざるを得ないのは、近世邦楽を見ても明らかです。

永田錦心がかなりの頻度で琵琶新聞誌上に於いて、琵琶楽の現状を嘆き、檄を飛ばし、芸術音楽として次世代の琵琶楽を創造する新たな才能を待ち望んでいることを何度も書き連ねているのは、表現よりも「売れる」ことを目的として動くようになってしまい、技芸を凝らして、技を聞かせるようになってしまった琵琶楽を大いに憂いでいたからです。

永田錦心は明治という時代に、新たな価値観とセンスを示し、新たなスタイルを創り上げました。正に当時の最先端であり、創造こそが永田の根本だったのです。しかし永田の後に続く者たちは、その精神を継がなかった。永田の示した創造するという精神の根本は忘れられ、次世代の琵琶楽を創り上げる者は永田が組織した中からは出てきませんでした。むしろ組織から追い出された、水藤錦穣やその弟子の鶴田錦史が新たなスタイルを創り上げたのです(しかしそれもそこで止まってしまった)。新たな時代に、新たな感性で、新たな音楽を作り上げるという創造の精神は消え、未だ技芸や肩書きを競いあっているこの現状を、永田錦心はどんな想いで見ているのでしょうか。

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キッドアイラックアート」ホールにて、Per:灰野敬二、尺八:田中黎山、琵琶:私

日本は近世邦楽辺りから、いわゆる武家や貴族などのようなスポンサーが居なくなり、自らが稼がなくてはいけない状態となり、近世からは三味線の登場と共に、その担い手も一般庶民になってから、大きな変化が生まれました。
三味線文化圏の音楽や演劇は、それまでの音楽のあり方を根底から覆したのです。名前をころころと変えるのも日本音楽の中では三味線文化圏だけです。この音楽の質そのものの変化は、とてもダイナミックで興味深いところではありますが、とにかく近世以降、現在に至るまで日本型のショウビジネスがずっと続いており、何か主張を持って表現する芸術音楽の方向ではなく、歌舞伎に代表されるように、とにかく売れる、受けるというものがもてはやされ、またそれが実現できる芸人が凄いというエンタテイメントになって行きました。

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若き日 宮島の厳島神社にて

永田錦心は日本画家でもありましたし、東京の人でしたから、明治になって西洋の芸術を目にすることも多かったことと思います。また西洋音楽のことにも言及している文面を読むと、当時のクラシックの最先端である、ドビュッシー、ラベル、シェーンベルク、バルトークなどを聴いていたのだと思います。少なくとも、あれだけ琵琶楽に対し主張を繰り返しているのですから、それまでの近世以降の日本型の三味線文化圏の芸能ではなく、あくまで表現活動としての芸術音楽を目指したのは間違いないと思われます。

現在、新たな時代の新たな音楽の創造を目指し、自分が表現する音楽を求めている人は、琵琶人では見かけませんね。演歌歌手のバックでTVに出て喜んでいるような人は見かけますが、永田錦心の精神を継いでいるような人は、未だお目にかからないです。まあ人それぞれですから、好きにやれば良いと思いますが、私は永田錦心というパイオニアの示してくれた道を、微力ながらも更に開拓して行きたいです。是非志を同じにする仲間が出て来て欲しいですね。
琵琶楽が次世代へ向けて、魅力ある音楽を奏でてくれる事を願ってやみません。

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第140回琵琶樂人倶楽部「SPレコードコンサート~永田錦心とその時代Ⅳ」
8月18日(日曜日) 午後6時開演(何時もより早い開演となります。席数が25ほどしかないので、お早めにどうぞ)
料金:1000円(コーヒー付)

お待ちしています。

梅雨空と琵琶の音と

すっきりとしない雨の日が続きましたね。東京はやっと晴れてきましたが、大雨が降っているところもあるようなので、充分に注意をしてください。

大雨の災害は困りますが、私はどうも雨の日になると感性が開くようで、雨の日には気持ちも身体もぐっと落ち着きます。毎年6月から7月の梅雨時期が、何故かやたらと忙しいのですが、今年はそれも一段落着いて、思索・創作に心が向かっています。読みたい本もいくつもあって、特に森有正の著作はまだ読みきれていないものも結構あるので、こういう時期にじっくりと読みたいです。また以前からどうしても創りたいと思っていた作品もソロ、デュオ共にありますし、その他仕上げないといけない譜面も多々ありますので、ちょうどいい環境になって来たという訳です。

またこの時期は琵琶に気を使います。楽器だけは常にベストな状態にしておかないと、私の気持ちが落ち着きませんので、こればかりは仕事の少ない時期でも怠る事は出来ません。
私の楽器は塗装をしていないので、ボディー・絃共に湿気には敏感に反応します。樂琵琶の方はサワリが無いので手間はほとんどかかりませんが、薩摩琵琶はサワリの調整次第で、全く鳴らなくなってしまいますので、常に手をかけて調整してあげないと、使い物になりません。とにかくその調整があまりに微妙でして、例えれば、言うことを全く聞かない子供を連れて歩いているようなものです。途中で泣き出すわ、ブーたれるは、我儘言うは、もう時々本当に疲れてしまいます。

こんな調子ですので、丸一日琵琶の調整をやっている事がよくあります。私の部屋には頻繁に使う琵琶が約五面、その他あまり使わない標準サイズのものなど全部で10面ほどの琵琶が鎮座していますので、サワリや糸のメンテナンスもそれなりに時間がかかります。昨日も一日、分解型の糸口の調整、他中型のサワリの調整などで終わってしまいました。
「みずとひ」にて能楽師の安田登先生と
私は何事に於いても、常に身の周りのものから「勢い=エネルギー」を感じ取って、それに対処しています。激しい人も、静かな人も、夫々エネルギーに満ちている人は、伝わってくるものがありますね。これは楽器からも、もちろん音楽からも同様に感じる部分です。
最近は若手の方々とも、よく御一緒するのですが、勢いを感じる人が多いですね。邦楽界は別として、他の芸術分野には、粋の良い連中が沢山いますよ。自分の行きたい道を嬉々として歩んでいる若者の姿は見ていて気持ちの良いものです。はじけるように自由に動き回るのは、やっぱり芸術家の基本ですよ!!!。勿論先輩方々でも凄く勢いを感じる方も結構いるのですが、若さ特有の華というものは確かにありますね。それが時分の花というものでしょうか。

楽器も同じで、出来上がったばかりの楽器は若い音がします。それはつまり若いエネルギーを発しているという事です。私の手元にはもう100歳越えの楽器や、70歳程度のものもありますが、メインで使っているのは20歳~15歳位のものですので、今が一番盛りの時期で、パワーが漲っています。私はいろんな所に琵琶を持って行き、様々な環境(時に過酷な状況)で演奏しますし、演奏スタイルも、消え入るような繊細な音から爆発音まで「鳴らしきる」のが私の流儀でもありますので、物理的な楽器の力強さも大切です。

大正時代の琵琶(石田克佳さんのお爺様の作品とのことです)

現在私が所有している楽器は、ベテランから粋の良い若手迄、とても良いラインナップで、演奏家の環境としては良い感じですが、夫々気持ち良く鳴っている時もあれば、静かに沈黙している時もあります。楽器も音というエネルギーを発する以上、生き物と同じですので、その時々で表情が違います。メインの塩高モデル中型二面、大型二面、樂琵琶のレギュラーメンバーは、常にフル稼働していますが、やはり夫々コンディションがあるようなので、調子を見ながら使う楽器を選んでいます。

琵琶は西洋の楽器と違って、メンテナンス性がすこぶる悪いのです。サワリだけでなく、絃高の調整も、柱を全部取りはずすか糸口を削るか、はたまた覆手を取り外し接地面を削って角度を変えるかしないと絃高一つ変えられません。もちろんここまで来ると職人レベルの仕事なのですが(私はほとんど自分でやります)、ギターならネジを回すだけで事足ります。サワリの調整など家で完璧にやって来たつもりでも、演奏会場に行くと何だか一箇所音が曇っていたり、鳴らなかったりする事はしょっちゅうですし、場によってはどうやっても響いてくれない時もあります。まあとにかく手が掛かるのです。
当然ですが、サワリ調整のために柱を削ればどんどん低くなってしまいます。低くなれば音程も合わなくなります。音程を合わせるには一度柱を取りはずして、位置を変えないといけません。上手く外れないことも多いし、高さ調節の為、下部に板を足してやることも必要となります。

塩高モデル中型2号機

特にこの中型琵琶とは、日々格闘していると言っていいですね。本当に手が掛かります。しかし時々とんでもなく素晴らしい音で鳴り響いてくれる事があるんですよ。そういう時は惚れ惚れしてしまいますね。かと思えば、どうやってもチューニングが合わず、サワリの音も伸びず、ご機嫌斜めの時もあるのです。以前お坊さんに、この
中型2号機を診て貰った所、女性の魂を持っている楽器らしいのですが(年上の姐さんとのことです)、なかなかの気分屋さんで樂琵琶とは偉い違いです。

それに引き換え大型琵琶は大変しっかりと安定していまして、家で調整をしていけば何処へ持っていっても確実に響いてくれますし、サワリも安定しています。弦長が長いと安定するのでしょうか。それとも作りがかなりがっちり出来ているからなのでしょうか・・・。いずれにしても、さすが家長の風格です。海外公演には何時もこの大型を担いで行きますね。

塩高モデル大型2号機と標準サイズ(塩高仕様)

メンテナンスはサワリ以外にも細かい所に気を使わないと、鳴ってくれません。私のように器楽としての琵琶を演奏する者にとっては、糸巻きの状態一つとっても大変重要な部分で、どれか一つが欠けると演奏が出来ません。他の楽器では、こういう事はギターでもヴァイオリンでも極当たり前なのですが、琵琶人は楽器に気を使わない人が多すぎますね・・・・。
しっかりと自分に合う形に調整できる琵琶人は、これ迄数人しか見たことがありません。これはお金を出して職人にやってもらえばよいという問題ではなく、自分の音を究極まで追及しようとする心があるかどうかという事。サワリは毎日調整が必要なものですし、音色も一人一人違うのが当たり前であって、やってもらってそれでOK などと言っているのは、まだ音楽家としてアマチュアという証拠です。

これまでも書いてきましたが、糸巻きのしまり具合や糸口のすべり具合、柱のエッジの処理、絃の状態、撥先の状態、各柱の音程、各柱の高さのバランス、絃と柱の開き具合etc.等々もうキリが無いくらいです。しかしながら琵琶屋さんが全国に一件しかない現状では、それ位自分でやる人でないと自分の音色は出てきませんし琵琶奏者には成れません。琵琶奏者というのは琵琶を弾いてナンボ。声を使わなければ舞台が出来ませんと言うのでは、琵琶奏者とは言えないと私は思っています。声で勝負したいのであれば、琵琶を弾きながら歌う「歌手」ですと言えば良い。「奏者」というからには楽器の演奏でリスナーを納得させる事が出来て、初めて言えることではないでしょうか。

京都清流亭にて、左:笛の大浦典子さんと、中:笛の阿部慶子さんと、右:筝の小笠原沙慧さんと

これだけ琵琶があると、子供を何人も抱えているのと同じです。残念ながら放任主義では何も答えてくれません。毎日手塩にかけて面倒見てあげて初めてこちらの気持ちに答えてくれるのです。これが一生続くのが面倒という人は琵琶弾きには向いてないですね。まあ琵琶奏者の運命宿命というやつです。

これからまたしばらく、琵琶を向き合う日々が続きます。夫々の琵琶が充分に鳴り響いて、良い常態でいてくれるのが、何よりの私の喜びなのです。

移りゆく時代(とき)2019夏

先日は、松陰神社前の「みずとひ」(スナックニューショーイン)にて演奏してきました。どちらも朗読と語りに安田登先生、演劇創作ユニットmizhen https://www.mizhen.info/の佐藤蕗子さん、それに私の三人で、「耳なし芳一」「夢十夜第三話」「謡曲 海士より抜粋」などやってまいりました。

「みずとひ」は日替わりでオーナーがかわるお店で、個性的なオーナーが各曜日を担当しています。https://twitter.com/snacknewshoin

木曜日はmizhenのメンバーが担当し、面白いイベントを毎回開催している芸術発信基地なのです。実は秋にセルリアン能楽堂で、このmizhenと安田先生、狂言の奥津健太郎先生、浪曲師の玉川奈々福さんなどと、能の「卒塔婆小町」を上演する事になっていまして、そんな縁で今回の共演となりました。

最近は、今回共演の佐藤さんはじめ、若手の方々とのお付き合いが多くなりました。まあそれだけ私が年をとったという事でもあるのですが、色々な世代、ジャンルがもっと芸術の場で交流してくると面白いと思います。邦楽は実際の所、高齢化に成り過ぎて、大先輩に合わせざるを得ないという現実もあり、世代云々というよりも多様性そのものが大変乏しい。また若手がすぐにポップスやエンタテイメントに走ってしまうのもとても残念なのです。もっと枠を飛び出して芸術表現に目を向ける若手が出て来て欲しいですね。
芸術家こそが、あらゆる規制、ジャンル、人々、常識、国境の垣根を自由自在に越えて行く存在です。今は世界が繋がってゆく時代。旧態のなかに留まらず、現代のセンスを感じ取り、多様性を受け入れ、新たな日本音楽を創り出して欲しい。そしてそれが次世代に大きな流れとなっていって欲しいものです。永田錦心や鶴田錦史がやってきたように。

先日、W杯凱旋での米国女子サッカーチームのキャプテン ミーガン・ラピノーさんのスピーチを見た人も多いかと思いますが、私はスピーチを見て、彼女がこれからの社会を代表してゆくリーダーのように思えました。見ていない人は是非!!お勧めですよ。
今、世界的に民族主義、排他主義、そして閉鎖的な思考が蔓延し、問題を複雑にしています。こんな時代だからこそ壁を作るより橋をかけるのが、これからの時代のキーワード。多様性を受け入れない限り、世界はもう社会として成り立ちません。そしてそれをいち早く実践するのが芸術家ではないでしょうか。
かつて平安から鎌倉に時代が変わる時も、荘園制度の中で労働を基本としない貴族と、恩義奉公で働きの内容によって褒美をもらえる武士とでは、その価値観に大きな変化がありました。自由恋愛ともいえる多妻制が常識の貴族と、「一夫一婦制」が武士という部分だけをとっても様々混乱があったそうですが、こういう価値観の急激な転換はいつの時代にもあります。この変化と向き合わない限り、混乱と衝突しか生まないのです。明治の頃も、昭和の戦後も同じだったと私は思います。だから永田錦心、鶴田錦史という強力なリーダーが出現し、時代を牽引していったのです。村社会でなんとなくのんびり生きていられる時代は、もう完全に終わったのです。

左:1st「Orientaleyes」 右8th「沙羅双樹Ⅲ」

私は1stアルバムをリリースした時から、作品を通じて「多様なものが共存してこそ世界」をスローガンにして表現してきました。チェロと琵琶の作品「二つの月」は9,11のテロを土台とした作品ですが、異なるものがお互いの違いを認め合い、最後は共存して行く道を歩む、というストーリーを設定して作曲しました。昨年8thアルバムでは、この曲をヴァイオリンと琵琶に編曲し直し、新たな時代へ向けた作品としてで再録しました。これは私なりの現代への想いです。この想いはこれからもどんどんと表現して行きたいと思います。

人間も社会も、なかなか自分と違うものを素直に受け入れはしません。自分と違う考え方も受け入れない。しかし時代は常にどんどん移り変わり、常識もセンスも刻一刻と変化しているのです。現代はその変化のスピードがとてつもなく速い。上に上げたラピノーさんが言っているように、現代は人種もセクシャリティーも関係なく、共存してゆく時代なのです。
武蔵野スウィングホールにて 琵琶:私 ダンス:かじかわまりこ

音楽に於いても、自分と違うものを受け入れ、あらゆるものと共生してゆく時代に入ったことを認識して欲しい。変われない人達は、自分達の方がまともだと硬く思っている。かつて永田錦心や鶴田錦史を迫害した人達と同じように、自分の思考が正しく、他は間違っている固くと信じている。時代を先取りし、次世代スタンダードを世に示した二人の轍の先に自分が存在していることを、既に忘れてしまっているのです。先人の残したものの形だけを真似ても意味はありません。受け継ぐのはその意思であり、次の時代を切り開いていった精神ではないでしょうか。私はむしろ永田、鶴田両先生のやって来たように、表面の形はどんどんと変えてゆくべきなのだと思っています。我々が響かせるものは、お見事な技ではありません。お上手というのは旧価値観のレールの上に未だあるという事。そんな優等生のような演奏は両先生は微塵も
望んでいないでしょう。むしろ次世代スタンダードを示すような新たな価値観の創造こそ望んでいたことでしょう。リスナーはお上手な技を聴いているのではなく、そこから発せられるとてつもないエネルギーこそ感じているのではないですか!!。

長い歴史を持つものほど、その時々で旺盛に創造的変化を繰り返し、だからこそ長い歴史を刻み続ける事が出来るのです。宮廷という権威と共に在った雅楽は別として、能でも歌舞伎でも、伝統として受け継がれてきているものは、壮絶な創造と確信を繰り返しているからこそ今残っているのです。逆に変わる事が出来なかったものは滅んでゆくのが世の習い。それは誰もが判っている事と思います。
自分がこれ迄やってきたもの、積み上げてきたものは、おいそれと捨てられないし、変えられないものですが、ここが出来るかどうかがその人の器というものだと私は思っています。

演奏会2

高野山常喜院にて

今月に入り、雅楽の芝祐靖先生が亡くなられました。雅楽をこれだけ現代社会の中で響かせ、研究、複曲、創作で牽引した功績は日本音楽史上、他に例を無い存在だと思います。元号も新たになったこともあり、先生が亡くなった事は、一つの時代が終わって、次の時代へと移り変わった象徴のようにも感じました。昨年二度に渡り、先生の龍笛の独奏と指揮をまじかに聴く事が出来、本当に嬉しかったです。古典音楽を現代にあれだけ響かせた人は他にいません。是非先生の精神を受け継ぐ方が出て来て欲しいものです。

音楽は常に時代と共にあります。共にあり続けなければ音楽に命が宿りません。永田錦心、鶴田錦史、芝祐靖、各先生方は創造と継承の両輪を大いに回して、その音楽と精神を我々に残し、時代を渡してくれました。次は私たちがやる番ではないですか。多様性の時代を迎え、今度は我々が新たな日本音楽を創り上げる時です。芸術に関わる我々こそが、今、古い衣を脱ぎ捨てて、多様な世界と手を取り合わなくて、何をするのでしょう?。これがまた歴史となって日本の文化は伝えられてゆくのです。過去に依存し、肩書にしがみついているだけでは時代は移り変わりません。壁に張った賞状を眺めてご満悦の「先生」に、あなたは成りたいですか。

音楽家こそは、時代の先を行って、対岸に手を差し伸べ、橋をかけ、新たなセンスを世に示す存在でありたいですね。

アドリブやろうぜ!

私の曲は「共演者泣かせ」とよく言われます。それは必ずアドリブパートがあるからなのです。私はいつも書いているように、ジャズ屋上がりですので、曲がその場で変化して行く様こそが音楽だと思っています。練習した事をそのままかっちりやるのは、どうもお稽古事っぽい感じがして馴染みません。

日本橋富沢町樂琵会にて Viの田澤明子さんと笙のジョウシュウ・ジポーリン君と「凍れる月」演奏中

私は琵琶を手にした最初から「日本音楽の最先端」がモットーですので、共演の相手は尺八や笛などの和楽器は勿論、フルートやヴァイオリンなど洋楽器も多いのです。そんな皆さんは私の選んだ方々だけあって、大変才能も感性も個性も技術も豊かな方々ですので、あえて追い込んでみると、それはそれは他では聴けないほどのアドリブを連発します。逆にジャズを知っている人よりも、豊かなものになりますね。

荻窪音楽祭にて Viの濱田協子さん、Piの高橋なつみさんと
昨年はヴァイオリンとピアノと樂琵琶で、拙作「塔里木旋回舞曲」を演奏しましたが、最初は「アドリブはちょっと~~」と言っていたお二方も本番では驚くようなはじけっぷりを見せてくれました。
残念ながらアドリブの本家であるジャズは、もう完全に形骸化してしまいましたね。先日聴いた新人ギタリストのCDも、教則版かと思うようなオーソドックスなスタイルのお上手な優等生ぶり。私が聴いてきたジャズは創造性こそ命であり、予定調和はジャズの精神から一番遠いものだったはずなのに、悪い意味での伝統芸能と化しているとしか思えませんでした。このレベルでCDを出させてしまうプロデューサーは罪作りですよ。お上手な優等生を世に出せば出すほどジャズはつまらなくなる。音楽家を育てなくちゃ!!。ジャズは大変残念な想いで聴く事が多くなりました。

アドリブとは、スケールや和音に乗っ取ってフレーズを弾くことではありません。どんな場所でも時でも、自由自在に自分の世界を語り聞かせる事こそがアドリブです。私はずっと、それが出来るのが音楽家だと思っていたのですが、そんな音楽家は気がついたらめっきり少なくなってしまいましたね。つまりはその時々で、その場に於いてリスナーとアドリブを交わしているという事です。自分と曲、自分とメンバー、自分とリスナー、自分と場所、自分と社会、自分と時代・・etc.と常にコミュニケーションを取って生きているという事です。

   

よくこのブログに登場す尼理愛子さんは、何処でも自分の世界を聴かせてくれます。評価は人それぞれでしょうが、とにもかくにも自分の世界を何処でも表現するという音楽家の根本を全うしてます。先ず舞台に立つとはそういうことではないでしょうか。ライブでのパフォーマンスに接すれば、彼女にファンが多いのも頷けます。
自分の語るべき世界無くして、何故舞台に立てるのか、逆に私には不思議でなりません。自分のスタイルがあり、自分の世界があって、尚且つそれが自分を取り巻くものと共鳴しあってこその、自分の存在であり、音楽ではないでしょうか。
どうだとばかりに自分の意見を言うだけなら誰でも出来る。言い換えれば一番低レベルの表現です。言いたいことをわめくだけでなく、自分の言うべきと事は言いながらも、リスナーとコミュニケーションを取り、共感をもたらすのが音楽家。その場その場でフレキシブルなアドリブが出来ないようでは、いつまで経っても舞台人には成れません。

タシュケントのイルホム劇場にて、ネイの奏者と私と、指揮者アルチョム・キム氏の組織する
オムニバスアンサンブルというミニオケで「まろばし」演奏中。

ジョンレノンの「イマジン」が素晴らしいといっても、違う意見をもっている人もいれば、批判する人もいますし、ジミヘンが凄いといっても騒音にしか聞こえない人も多いことでしょう。人の感性は夫々なのです。実際舞台に立ってみれば、凄くやりにくい設定の舞台も結構あるし、むしろ自分の世界を理解してくれない人の方が多いのが現実です。つまり万人と等しく共感できるなんて事はないのです。これがこの世の現実です。しかしそれでも表現して行くのが我々の生き方なのです。確かに万人には届かない(逆に万人向けに自分の世界を甘口に見せかけるような輩は音楽家とは言えないですね・・・)。
それでもどんな障害があろうと、常に語り続けるのが音楽家です。そしてどんな時にでも、自分の世界を根底に持ちながらリスナーとコミュニケーションを取り続けるのが、舞台に立つ音楽家というものではないでしょうか。

兵庫芸術文化センターホールにて

コミュニケーションする姿勢を忘れ、常にアドリブする能力がなくなったら音楽家はお終い。とたんにお稽古事の発表会に陥ってしまいます。
先日、とあるリハーサルをしていた時、語りを担当する若い役者さんが、最初なかなかこちらと調和がが取れず、上手く行かなかったのですが、「語りだろうが、音楽だろうが、同じ輪の中(円運動と言いましたが)の中に入ったら、自由に間が取れて
呼応も出来るよ」なんて話しをしていたら、さすがに感の鋭い方で、すぐに感性を広げて我々邦楽人と世界を共有し、自在にアドリブが出来るようになりました。するとお互いのコミュニケーションが取れて、どんどん作品が面白くなりました。それがリスナーを巻き込むようにして大きくなっていったら、きっと素晴らしい舞台になるのでしょうね。芸術に関わる人には、こんな柔軟さと純粋さを常に持っていて欲しいものです。

過去の歴史を見ても、人間の営みは様々に変化し、とてもある一定のルールの中だけに存在する事が出来ません。我々舞台人は、その多様な人間の営みの中で生まれてきた音楽や芸術をやっているのですから、どこかのお教室でお勉強してきた事だけをお上手にやっていても、観客と共有出来る訳はないのです。音楽は常にLiveであり、生々しいものなのです。
現代は、世界中の人が、小さな小さな私の作品でも気軽に聴いてくれるようになりました。こんなに世界とつながることが出来る現代において、こちらが何かの価値観に固まっていたら、その他の価値観の人とはコミュニケーションが取れません。権威や名誉などは、実に危うく、一瞬にして間逆に変ってしまう人間の作り出した幻想でしかないのです。そういう目の前の幻想を取り払い、物事の本質を感じさせて、目を、感性を開かせてくれるのが芸術家音楽家というものではないでしょうか。

フラメンコギターの日野道夫さん、ウードの常味祐司さんと、音や金時にて

この世に生きる人々に向けてやっているのなら、自分が先ずは自由になって、どんな場所へ行っても、どんどんアドリブかますくらいでないと!!!!。

アドリブやろうぜ!!

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