四季を寿ぐ歌

来週の木曜日17日、日本橋富沢町楽琵会にて「四季を寿ぐ歌」を上演します。この作品は、昨年より東洋大学の原田香織先生と構想を練って創り上げた全6曲の組曲です。

原田先生と昨年より琵琶の曲について話をしていて、「私は戦の歌や、人が死んでゆく歌じゃなくて、もっと愛を語り、次世代のリスナーと共感して行けるようなものをやりたいんです。琵琶樂、特に薩摩琵琶には恋愛の歌はおろか、寿ぐような曲も無いですからね」と、そんな話をしていたところ、原田先生が「では私が歌詞を書きましょう。ちょうど元号も変わることだし、新しい時代を寿ぐような作品を創りましょう」という事で始まったプロジェクトです。結局今回は雅楽ベースのアンサンブルとなりましたが、雅楽器を使っているものもの、雅楽ではなく、新しい日本歌曲集という感じに仕上がっています。

京都 清流亭にて 龍笛の大浦さんと
私は薩摩琵琶と樂琵琶の両面で琵琶樂を捉えて、作品を発表してきたのですが、どちらにおいても、現代も古代でも人間が殺し合うもの、戦争を描いたもの、近代軍国のイデオロギーを感じるもの、男尊女卑的な旧価値観を押し付けるもの、そういった音楽は一切やらない、という姿勢はずっと一貫しています。雅楽にはそういうものはほぼありませんが、薩摩琵琶はいつも書いているように著しくこういった作品が存在します。
私はいくら流派の曲だからと言って、戦争の歌など歌うつもりは毛頭ありませんし(習ってもいませんが)、ましてや自分の舞台でそういうものは絶対にやらないと決めています。だから薩摩琵琶で演奏活動を始めた時から、薩摩琵琶の音色の魅力を伝えることに特化して、すべてオリジナルでやってきたのです。ギターでもピアノでも色々な音楽があるように、楽器に罪はありません。リスナーが軍国時代の曲を聴いて「薩摩琵琶はだめだ」と楽器とジャンルを同じに思われては困ります。琵琶が悪いのではなく、やっている人間に問題があるのです。しかしながら「壇ノ浦」や「敦盛」を聴きたいというリスナーの求めもあり、それならばという事で、そうした曲も全て歌詞を入れ替え、視点を変えて新たに曲を作り、やってきた訳です。合戦ものとしてやることはありません。

日本橋富沢町楽琵会にて
最近では「壇ノ浦」もやることも少なくなり、平家物でしたら音楽への思いを語るような「経正」などに絞られてきました。多分もう弾き語りにおいては、戦ものはやらなくなるでしょう。
樂琵琶においては、本当に自由に作品を発表して演奏しているのですが、すべて器楽で、歌の入った作品はありませんでした。私は歌手ではないし、歌の曲を創るというのは、なかなか発想が浮かばなかったこともあります。今回はベテランメゾソプラノの保多由子さんが歌ってくれることもありますし、私にとって初めての歌曲という事もあり、昨年秋より1年かけて推敲に推敲を重ねてきました。
本来音楽芸術は、世の常識や因習を乗り超えてゆく存在であり、どの国においても、古からそういうものが作られ、芸術家は越境して活動してきました。アンティゴネーのように、その時々での「善」ではなく「美」に従って行動するのが芸術家の芸術家たる矜持です。勿論その精神は日本においても同様であり、ジェンダーすら超えてゆくのはもう歴史が証明しています。そういう音楽の歴史の中で、薩摩琵琶はまだ100年ほどの歴史しかないとはいえ、非常に特殊なジャンルを成しているのです。
常々言ってきたことですが、愛を語れない音楽はありえない。そして精神が自由に羽ばたくことが出来ない音楽もあり得ない。私は小さな存在であるかもしれませんが、何物にも囚われない自由な精神で琵琶に携わっていきたいのです。
若き日

10月17日(木)第21回 日本橋富沢町楽琵会
日本橋富沢町11-7 小堺化学工業KCIビル 地下1階MPホール 03-3662-4701
開演19時00分 料金1500円
演目:「四季を寿ぐ歌」全6曲
    賀の歌
    春~めざめ
    夏~浄め
    秋~実り
    冬~ゆき つき はな
    付祝言

出演:作詞:原田香織 樂琵琶・作曲:塩高和之

   龍笛:大浦典子  笙:熊谷裕子  メゾソプラノ:保多由子  

ぜひお越しください

あわいを生きる

先日NHK文化センター青山にて「役に立つ古典」と題する安田登先生の講座で演奏してきました。ラジオの収録も兼ねた公開ライブでしたが、安田先生、浪曲師の玉川奈々福さん、そして私で「耳なし芳一」を演奏してきました。

このトリオで「耳なし芳一」を初演した演奏会 ルームカットカラー荏原中延にて
Photo 新藤義久

毎年夏になると「耳なし芳一」をやって欲しいと言われますが、今年は安田先生に誘われて結構な数をやっています。先生は英語版を翻訳するところからやっていて、更にこの物語の意味するところや、実際の内容を深く掘り起こしてやってくれるので、色々と見えないところが見えてきました。ただエンタテイメントでやるだけでなく、そこに色んな背景を見出して、新たな視点を当てて行くというのは、さすが!。安田先生の真骨頂ですね。私も目から鱗でした。
若き日 宮島の厳島神社にて 霊を呼ぶことはできていたのだろうか?

改めて「耳なし芳一」に取り組んでみて色々なことを感じ、思いました。そもそも霊を呼ぶことが出来る程の卓越した技量と資質を持つ芳一が、耳を切られることで霊と縁が切れた。言い換えれば、霊を呼ぶ力が無くなった。つまり芳一は耳を失う事で、確実に音感が落ち、演奏レベルも落ち、レベルが落ちたことで、現世に生きる人々にやっと芳一の芸は理解できるようになった。もう霊は呼べなくなった代わりに(下手になったが故に)、巷では人々に知れ渡り売れて行く(お金持ちになる)。これは芸能者にとっては怖い話であり、また多くのことを示唆しているのではないでしょうか。
何事も天才というのは、常人が見えない異世界が見えているのです。そして現世と異界の「あわい」に佇んでいる存在でもあるのだと思います。だから現世に生きる人々にはなかなか理解されず、見向きもされないことが多いのです、画家でも詩人でも死んでから名が知れ渡る人が多いのはその為です。
和尚さんの思惑や、芳一と和尚さんの関係も気になる所ですが、この「あわいに生きる」という事が今、邦楽の世界には無くなってしまったと思うのは私だけではないでしょう。高橋竹山や小林ハル、鶴田錦史など皆「あわい」に生きていたのかもしれないですね。
お稽古を楽しむ人が増えるのは良いことです。邦楽の底辺が広まったから、以前書いた落語船弁慶のような作品も成り立つ訳です。しかし「あわい」に生きるものがほんの何人かでも居たからこそ、邦楽はある種麻薬のような魅力を放ち、また日本の音として受け継がれて行ったのではないでしょうか。また「あわい」に生きるものが居なくなったからこそ、今邦楽が衰退の極みに瀕しているのではないか・・・。そんな風にも思えるのです。

立派な肩書や受賞歴に身を固め、まじめで人望も厚く、正しい人物として生きている人は、境界を越えようとするでしょうか。異界を見ることが出来るでしょうか。現世において立派を目指すような人間は絶対に「あわい」に生きることは無理だと私は思います。小さな世界で自分の位置や地位を求め、なにがしかの存在であることを誇示して安心しているようなメンタリティーでは、常識も法律も社会も全て超えた所に身を置くことは出来ません。立場や肩書に縛られていることで満足しているような人間には到底無理な話です。もともと芸術に携わる人間は、程度の差こそあれ、皆こうした「あわい」に生きる資質を持ち合わせているはずで、逆に言えば、そういう部分を失った人が芸術に携わって行くのは難しいともいえます。
天才ぶって「あわい」に生きるようなことを演じている人間も、そう思っているその時点でもう無理でしょう。「あわい」に生きる人間は、無意識にそういう生き方になってしまう、自分で思わなくても導かれてしまう、そんな人間だけが「あわい」に生きることが出来るのでしょう。つまり選ばれた人という事だと思います。

版画 作:竹村健
世の中に物があふれ、便利になり、闇が消えてゆきました。何かを得れば何かを失うのは不変の論理です。メールやスマホですぐ連絡が取れる時代と、手紙をやり取りしながら約束を交わしていた時代、どちらに心の交流があり、きずながあったかは皆さんがよくご存じのはず。私の作品を世界中の方々が聴いてくれているのは嬉しい限りですが、これだけ音楽が簡単に手に入る現代と、動画はおろか、レコードすら手に入らず、聴きたくて、演奏しているところを見たくてうずうずしながら過ごしていた頃とでは、聞こえてくる音楽の密度が違うのは当然ですね。

現代は、生活という面では確かに便利で有難いですが、異界の入り口はなかなか見えなくなりましたね。
人類の目指す未来は、果たして本当に人間にとって魅力ある世界なのでしょうか。街からも、普段の生活からも闇が消え、体を動かさずとも、スイッチ一つでなんでもやってくれるような時代を、人間は求めたのでしょうか。音楽で心を震わせ、調和と共感を感じて、自然と共生していた頃と、山も水源も破壊してリニアモーターカーを作ろうとしている現代ではどちらが豊かなのでしょうか。

「耳なし芳一」から想いが募りました。

風の記憶

早10月に入りましたね。時間というものは人の想いなどとは関係なく、ただ過ぎ去って行きます。無常とはこのことなのでしょうか・・・。
物はほころび、社会も環境も絶え間なく変化し、肉体はどんどんと衰え続けて行く中で、人間は永遠と不変を願い、ロマンの中に心を遊ばせている。やはり業とは人間の為にある事ななんですね。

江の島
この時期は6年前に旅立ったH氏の事をどうしても想い出します。もう悲しいなどという感情は無いですが、何か不思議な感じがしますね。むしろ不思議な記憶だけが残っているのです。

6年もすると生活も変わるし、まあ年も取るし、自分を取り巻くあらゆるものが以前とはだいぶ変わっています。時々こんな風にして自分の軌跡を振り返るのも良いかもしれませんが、私にはこの6年間がただ過ぎ去ったのではなく、熟成の6年だったと思えるのです。ラフロイグの好きなH氏的に言えば、モルトが樽の中で熟成して味わいを増して行くように、想いが集約され、昇華し、浄化し、えも言われぬ上質な深みと軽みが調和してくるような6年ということになります。氏と知り合ってから約10年。貴重な10年でしたね。それも氏が旅立ってからのこの6年は、格別の熟成の時期だったと感じています。これからもこの熟成は続くことでしょう。

今月はまだまだ演奏会が続きます。香川、京都、愛知、神奈川と週末はすべてどこかに行っていますが、今月は今年に入って取り組んでいる「四季を寿ぐ歌」の初演を日本橋富沢町楽琵会でやります。笙・龍笛・樂琵琶、そしてメゾソプラノという編成で、雅楽はベースにしていますが、雅楽ではなく、ポップスのようなものでもなく、あくまで新しい日本の歌の姿という視点で書き上げた全6曲の組曲です。

作詞:原田香織 メゾソプラノ:保多由子 龍笛:大浦典子 笙:熊谷裕子 そして作曲・樂琵琶が私です。

滋賀 常慶寺にて龍笛の大浦典子さんと
私は薩摩でも樂琵琶でも、とにかく歌ではなく、琵琶の音を響かせることをずっと考え実践してきました。だからその音色の中に、古から続く何か~~「美」といえばよいのでしょうか~~をずっと求めてきたのです。
音楽が息づくとは、その「美」が躍動している事と思っています。古の真似をして形を整えたところで、それは躍動してくれません。

古典は何故今に残って伝えられているのか。政治体制が変わろうが、時代の感性が変わろうが、どんな時代にあっても、その時々の感性が、その曲に物語に「美」を見出したからではないでしょうか。今我々が狩衣ではなく洋服を着て暮らしているように、音楽も表面の形は時代によって変わって行きます。しかし音楽も表現の形は変わっても、「美」が感じられれば受け継がれてゆく。言い方を変えれば、新たな時代には新たな形の音楽があるべきと私は思っています。ただそこに受け継がれてきた美があるかどうか・・・。その一点にかかっているような気がします。

季楽堂にて吉岡龍見・龍之介親子と photo MAYU

古より芸術家は、皆自分の生きている時代の感性で美を具現化することに生涯をかけてきたのです。時代とコミットすることなく楽しむだけなら、その形をそっくりにまねて平安貴族と同じ衣装でも着て、コスプレ源氏物語ごっこをしていれば満足でしょう。その場のエンタメとしては面白いですね。しかし美を追求する人はそんなことでは満足しない。物まねはどこまで行っても物まねであり、「美」が躍動しないのです。「美」が息づき、躍動し、命が燃えるには、時代や社会に即した形が必要なのです。そのためには作家本人自身が時代と共に生き、その時々の感性で美を追求しなければ、ただ過去に憧れるだけで物まねの域を出ることが出来ない。だから社会の変遷とともに芸術の形は変わって行くのです。変わらなければ嘘になるのです。生々しい命を宿す作品に嘘は付けないのです。

「美」というとちょっと小難しそうですが、この土壌・風土の記憶とでも言ったら判りやすいでしょうか。自然に溢れ、四季折々の風情が変化する、この土地に生きる人々の記憶。更には季節の花を見て歌を詠み、心を通わせてきた記憶が、きっと現代の我々にも受け継がれて、「美」という感覚を育んできたことでしょう。現代でも形は変われど「美」だけは受け継がれている。私はこの「美」の感覚を古から吹き渡る「風の記憶」と呼んでいます。
2011年「風の軌跡」レコーディング時

日本橋富沢町楽琵会での初演もそうですが、この秋を実り多いものにして、記憶に加えてゆきたいですね。

南国の夜

ちょっとご無沙汰してしまいました。今年は地方公演も多く、どうにもスケジュールがいっぱいで、PCに向かっている時間が取れませんでした。ありがたいことですな。
先週末から熊本~鹿児島を回っていました。北九州では台風がひどかったようですが、熊本は風もあまりなく、鹿児島は暑いほどに晴れて天気に恵まれ、両方とも良い演奏会になりました。
3外3
安田先生、俳優の佐藤蕗子さんと。 なぜかギターを抱えている?

熊本では、益城郡の阿弥陀寺にて安田登先生の寺子屋をやってきたのですが、今回は俳優の佐藤蕗子さんも来てくれて、先ずは3人で「耳なし芳一」を上演。その後打ち上げに入ったら、ギターやアンプ、ベース、キーボードなどが準備され、蕗子さんが「ボンボヤージュ」を披露。更に高校生サックス奏者たくみ君も参加して、安田先生がキーボードとベースを担当。私はエピフォンのジョーパスモデルを弾いて、セッション大会に突入。スタッフの中にはジャズマニアのMさんも居て、大盛り上がりの打ち上げとなりました。

やっぱり場は人が作るんですね。気持ちのさわやかな人が沢山居れば、場もさわやかになる。阿弥陀寺寺子屋は気持ちの良い会となりました。

鹿児島イパネマ

次の日は鹿児島に渡り、ライブハウスでの演奏。会場となった「IPANEMA」はフォークやロックの大物がこぞってライブをやりに来る箱だそうで、メジャーで活躍した大物のチラシがいくつも張ってありました。今回のライブはアフリカンパーカッションのグループ「群青Bamakoセッションズ」の肥後君の仕切りによるライブで、彼らと尺八の室屋朋子さんと私で、「民族音楽祭」と銘打ってのライブとなりました。
肥後君はもう20年以上前に、私がジャズの和音など、洋楽の理論を教えていた生徒でして、一昨年久しぶりに会って、一緒に演奏する機会に恵まれ、それが契機となって今回のライブに繋がりました。また彼のグループのメンバーとは不思議な縁で繋がっていたりしてこちらも盛り上がりました。

3私は尺八の朋さんと演奏したのですが、朋さんも一昨年鹿児島で肥後君と共にセッションした時に聴いて、素晴らしい逸材だと思っていましたので、今回は私の方から声をかけて共演させていただきました。彼女は古典本曲をじっくりと腰を据えて学んでいて、一昨年の演奏と比べて音色も演奏も深まり気合も十分。今回も大活躍してくれました。独奏では着物姿に天蓋をかぶり、本曲を披露してくれまして、会場のお客様から大きな拍手をもらっていました。格好良かったですよ。私とは拙作「まろばし」「西風」の二曲をやっていただきました。

私は、普段ベテランと組むことが多く、お客様もいわば通の方々が多いのですが、このところ組む相手もお客様も、若い世代が増えてきました。自分がそれだけ年を取ったという事ですが、日々良い刺激を頂いております。俳優の蕗子さんも尺八の朋さんもまだ30そこそこの若さですし、肥後君も脂の乗り切った40代。皆実にエネルギッシュであり、さわやかであり、柔軟な感性を持っていました。

塩3s
photo 新藤義久

これまでなるべく常識や習慣に囚われずに、自分独自の世界を形創ることに専念してきましたが、今この年になって少しづつ音楽への接し方が変わってきたのを感じています。
ここ数年思う事ですが、音楽は自分を取り巻く世界とコミュニケーションするもの、という想いが強くなりました。相手の呼吸と調和し、一緒に世界を創ることがとても重要なことなのだとよく思うのです。忖度することではなく、調和し共生して行くのです。だからけっして自分の個性も失われないし、また支配もされない。そして調和してくると自分の周りに異質なものが無くなるので、かえって自由に羽ばたくことが出来るのです。自分の世界に閉じこもっていると、自分の周りが異質なものに見えてくるので、結構いつも何かと戦っているような状態で、自分自身が自由にならないのです。
また人だけでなく、社会や時代などとも調和共生して行ければもっと自由になるのではないかとも思います。それは独奏においても、とても大切で、己の世界しか見えない人と、常にリスナーや社会、世界と繋がりをを持ち、感じながら独奏をやる人とでは、その音楽は天と地の差が出てきます。
私の演奏はどれだけ皆さんと調和しているのでしょう??。もっともっと精進したいと思います。

九州の夜は色々なことを教えてくれました。

East meets West-s

さて、今度の日曜日29日はフルートの神谷和泉さんとの初共演によるサロンコンサートがあります。
神谷さんは子供の頃から父親の影響で古典文学に親しんで、特に平家物語をよく覚えているという方なので、とにかく呼吸がぴったり合うんです。こういう調和の取れる方は邦楽器の方でもなかなかいないので、私にとっては願ったり叶ったりの方です!!。今回は邦楽とクラシックをシルクロードでつなげようという、他にはない企画ですので、是非是非お越しください。荻窪の衎芸館にて14時開演です。

新たな時代に、新たな音楽を!!。永田錦心の志、鶴田錦史のパッションを、私なりに追いかけ、私なりのやり方で、新たな琵琶樂のヴィジョンを表現したいと思います。

月下の街

先日、島根県益田市にある芸術文化センターグラントワでの公演をやってきました。

この公演は「よみがえる戦国の宴」というシリーズのものの一つで、一昨年にも私は出演したのですが、今年は尺八の田中黎山君と二人で演奏してきました。グラントワのスタッフの方々は大変親身になってやってくれるので、各種手配から、終わってからのフォローまで決め細かい仕事ぶりで、今回も気持ちよく演奏することが出来ました。また行きたいですね。

そして前回行った時にも思ったのですが、益田の町は何ともノスタルジックな雰囲気があって、いい感じなのです。人口の割に飲み屋が多いというのも面白いし、今回はゆっくりと益田の町も堪能させていただきました。

前日から入ってリハーサルをしたのですが、今回は天候に大変恵まれ、清々しい月を見ることが出来、気分も上々。ちょうどリハーサルの日が中秋の名月、本番の日が満月で、この満月は今年一番小さく見える日とのことでした。月あかりに誘われるように前日、当日と益田の繁華街に繰り出したのですが、繁華街といってもレトロな飲み屋さん通りという風情で、街が月に照らされて良い雰囲気でした。お店に入ればグラントワのスタッフと知り合いの地元の皆さんが声をかけてきて、何ともアットホームな感じが気持ち良かったですね。街のサイズ感がジャストフィットという感じなのです。

東京は先日の台風の後などもそうでしたが、ラッシュアワーの過密ぶりが凄まじく、皆が殺気立って、ぶつぶつ文句を言う人や、イライラして感情を抑えきれない人が集団でひしめき合っている状態で、何か戦場のような様子です。かつてはこのラッシュアワーは繁栄の象徴だったことと思いますが、今ではこの様子が日本の民度と国家の凋落ぶりを示しているかのようです。
確かにこれだけ人が集中していると、アートに関して言えば発表の機会も増え、何かが始まるきっかけも多々有り、活動するにはやはり東京という事になるのですが、これからはどうでしょうか・・・?。
混沌とした都会から生まれる作品もあるかと思いますが、もうこの時代、東京でなくとも多くのものを発信出来るし、アーティストの在り方も変化して、私自身も少しづつ活動のやり方を考えてゆく時期に来ているような気がしています。この過密ぶりをストレスに感じることが多くなりました。

そんな風に思っている時期に益田に行ったので、広い空間と穏やかな人々の風情が沁みましたね。中でも今回ぐっと来たのは、70代のバーテンダーが一人でやっているバー「谷間」というお店。もう50年も営業しているのだそうです。
看板もかなりレトロな感じなのですが、しっかりとしたレベルを持ったバテンダーぶりで、皆さん色々なカクテルを飲まれていました。私は飲み慣れているシングルモルトを頂きましたが、良い仕事ぶりでしたね。是非ともまた行きたいものです。

一昨年のグラントワ公演より、語り部志人さんと

都会というのはいつの時代でも、どの国にでもあるのですが、ショウビジネスという枠を外して考えると、必ずしも都会から文化が発信されるとは言えないし、また都会を拠点にしないとやっていけないという事も無いと思います。ネット上は勿論の事、もうすでにどんどんと国境を乗り越えて、自由に行き来している時代です。特にアートの現場においては、ジェンダーですら既に超えている。アーティスト本人が広く世界を見渡していれば、もう東京の時代ではなくなって来ているのかもしれません。

今週末は熊本そして鹿児島。来月は高松、京都、愛知と旅は続きます。大体私は汎アジアという視点で琵琶を弾いているので、どんどんと足を延ばして越境するのが、私には相応しいのかもしれません。琵琶法師は放浪の民だったのですから・・・。

今回は移動が飛行機だったので、乗り慣れない私としては、2時間程度で東京=益田を行き来するのは、何とも体が追いつかない不思議な経験でしたが、とても良い旅となりました。また今回は久しぶりの飲み会の後、駅前の屋台ラーメン(塩味が最高!)でしめてきました。たまにはこういうのいいですね。

  名月や 益田の夜の 道しるべ
いつかまた益田で演奏してみたいと思います。

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