流れのままに

10thアルバムのリリースも一段落ついて、確定申告も終わり、日々が落ち着いてきました。琵琶樂人倶楽部も毎月様々なジャンルの方々が沢山集まって来ていて、アートサロンのような感じになって本当に有難い限り。とにかく琵琶オタクの集まりにだけはしたくなかったので、発足当初から狙った通りになって来ているのが嬉しいですね。

2025フルセット1 (1)

2025年現在のフルセット


今回のアルバムで今の自分の音楽は一つの形を成したと実感しているので、そろそろ次の段階へと進む時期に入った感じがしています。私の仕事はやはり琵琶曲の創作ですね。先日、敦盛や経正を作詞してくれた森田亨先生が、新作の詞を持ってきてくれましたので、さっそく取り掛かろうと思います。これからは弾き語りではなく歌手や語り手に声を担当してもらうことを前提に書く予定です。今回のアルバムで「Voices」も発表出来たので、今後は琵琶奏者と歌い手という組み合わせで演奏できる曲をどんどんと創って行こうと思っています。
これ迄の私の活動は、弾き語りという固定概念を一度崩し、本当の琵琶樂の核となるものをもう一度再確認する、いわばダダイズムともいうべきものでした。これからは次の段階へ移行し、作品へと昇華する時代だと思っています。ダダの後にシュールレアリスムが来て、また次の時代へと繋がっていったように、琵琶樂が豊かに発展する方向に持っていけたら嬉しいです。私は最初に就いた師匠 高田栄水先生から「永田錦心は薩摩琵琶を芸術音楽にしたのだ」といつも聞かされてきましたが、私もこれまでやって来て確かにそうだと確信しています。自分が永田錦心のように出来るかどうかは別として、その志だけは自分なりに受け継ごうと思っています。

a9s1

DSC_8461

上左:人形町楽琵会にて、フルートの久保順さん、笙のジョーシュー・ジポーリン君と
上右:キッドアイラックアートホールにて、尺八の田中黎山君、Perの灰野敬二さんと
下中央:福島安洞院にて、詩人の和合亮一さんと


私はとにかく色んな形態で舞台をやります。組むメンバーも様々ですが、どんな舞台でも総ての曲を私が作曲します。普段から作曲するにあたり「こういう舞台の何曲目にやる曲」みたいな感じで、本番を想定して作曲するので、今考えている歌曲も秋頃には演奏会として実現したいと思っています。また時間を見つけてはこれまで創った作品の譜面を見直して、細かな所を何度も書き直したりしてブラッシュアップをしているので、舞台の形も年々自分が想う形になって来ています。これからも充実した形でやって行きたいですね。
作品はヴァージョン違いのものも含めるともう70曲以上の楽曲が出来ていて、今回の10thアルバム「AYU NO KAZE」をリリースした事で、私の作品群はメインの前衛作品から弾き語り迄、とてもバランスが良く整ってきました。特に以下の「凍れる月~第二章 ヴァイオリンと琵琶の為の」は、ずっと構想を練っていたスタイルの作品で、私にとっては次へのきっかけとなるスタイルを持った曲だと思っています。これからは静かな前衛作品にも取り組みたいと思っています。

最近は暇に任せて、今迄読んだ本を読み返し、音楽も色々と聴き返しているのですが、それまで見えなかったものが入ってきますね。音楽はやはり常に私に刺激を与えてくれるものなので、聴く度に色々と感じる所があります。以前は漠然と格好いい位に思っていたものが、今聴くと鮮明なまでにその音の生命感を感じられる事が多いです。コロナ禍の頃はマイルスの後期作品等をよく聴いていて、今頃やっと何か理解が追いついたように感じました。
私は何事にも人の何倍も時間がかかるので、じっくりと時間をかけて、時に寝かせてほったらかしにして、改めてまた取り組んだりしながらやる位がちょうど良いよいのです。本も音楽もじっくりと時間をかけて何度も接する事がとても多いです。だから同じ曲が、その時々で全然違った印象で聴こえて来るなんてのは、子供の頃からしょっちゅうです。そしてそういう感動が積み重なってまた新たな創作へと心が向かって行きます。こんな事をもう何十年も繰り返しているのですが、こうやって自分のペースで新たな作品に取り組んでいると、自分が次の流れに向かって行っているという実感が湧き上がって来て、これが人生の喜びなんだな、といつも思います。そしてこの感動と発見が、私をこれ迄生かしてくれた原動力だと実感するようになりました。

6

photo 新藤義久

私は人から見るといつもぶらぶらしているように見えるのだと思いますが、昼間からごろごろしたり、散歩したり、時に仲間と管巻きながら何かいい感じのアイデアを思いついたり、ふと浮かんできたメロディーなど書き留めたりしているのが、私にとってぶらぶらしている状態で、これが私の基本姿勢ですね。これからの季節は梅や桜を見て回りながら、また何か浮かんでくるものがあるじゃないかと期待しています。
逆に演奏会で飛び回って自分の曲を演奏していても、何も創り出せないでいると、何だか煮詰まってしまいます。常にその時の自分の最新を舞台で表現し、それを聴いてもらいたいので、何をしても何か創っている、湧き上がって来るのが気持ち良いのです。だから技を切り売りしてショウビジネス舞台のバックバンドで弾くなんてのは私には考えられません。そういうお仕事を今まで2.3度やったことはありますが、私にはまったく向かないし、そういう「お仕事」を嬉々としてやっている人とは正反対のタイプです。
人よりかなりのんびりと動くので、他人から見ると何をやっているのか判らないのだと思いますが、自分のペースで何か創っているのが一番しっくり来ます。多分画家や作家の感覚に近いのでしょう。

とにもかくにも流れを感じ、それに身を任せて生きている時が一番調子が良いので、無理をする事も、のんびりする事も、流れの中に居る限り変な不安はないです。若かりし頃には上がったり下がったり本当に色んな時期がありました。それもまたそういう流れや導きだったのでしょう。どんな状況であれ自分の身の周りのものと時間をかけて接し、自分と向き合い、何かを創り出す流れを感じているのが一番安定しています。いつも導かれているという感覚ですね。この性質のお陰で、曲を創り、活動も様々なジャンル方々の舞台で琵琶を弾いてこれたと思っています。琵琶のサワリの調整もこうした中で、自分に一番気持ちの良い音色を求めていたら自分なりに出来るようになって行ったのです。

終演後6s

グルジア(現ジョージア)ルスタベリ大劇場にて ツアーメンバースタッフと 2009年


さて今年もどんな流れが私を導いてくれるのでしょうか。自分で切り開く事もとても大事ですが、自分を導く大いなる力を感じる事の出来ない人は、こじんまりとした独りよがりの自己満足で終わってしまうように思います。そして自分を導く流れに身を任せるには、その姿勢も大事ですが、それに乗る勇気も必要なのです。これが判らないと次の流れも感じられません。
また新作が生まれ出てくるのが楽しみです。

夢のお告げ2025

北国は大変な大雪だそうですが、東京はやっと冬らしくなって来たという感じ。何だか冬のあのきりりとした雰囲気が感じられません。革のコートも出番がないです。
先日の稲生座ライブと第204回琵琶樂人倶楽部は満杯のお客さんで、気持ち良く演奏出来ました。久しぶりのライブハウスも何か昔に戻ったみたいで気分もぐっと上がり、琵琶樂人倶楽部の方も初めてのお客様が多く良い刺激になりました。

8s1

稲生座ライブにて 玉置ひかり(笛)さんと
琵琶樂人倶楽部にて 伊藤哲哉(俳優)と

私は相変わらず夢を毎日見ます。最近では夢の中で会う約束をしていて、待ち合わせしてるような夢をみると、目が覚めてからもその夢が現実の事のように思えて、思はず予定表をチェックしたりして、何だか何処までが夢でどこからが現実なのか境界があいまいになって来ています。
夢には色んな人が出てくるのですが、何年も逢っていない人が夢に出てきたと思ったら、朝起きてみるとその人からメールが来ていたなんて事もあります。もうこうなると荘子ではないですが、寝ている時間と起きている時間、どっちが現実なのか判りません。実は夢も現実もずっと連続しているのかもしれませんね。

夢には自分がその時々で持っている願望や抱えている心理が投影される事が多いとは思うのですが、そう判断できる夢の他に、どうにも判断がつかない荒唐無稽なシュールな夢もかなりの頻度で見ます。きっと自分の中の深層心理の奥に何かその元となるものが何かあるんでしょうね。多分普段の生活で気が付かない内に心の奥底にも様々な感情が眠っていて、また多くの情報を視覚聴覚嗅覚等、各器官が受け取っていて、それらが脳の中に蓄積されているのでしょう。ただ私はそれだけではない何かを感じています。ちょっとスピリチュアルな感じにはなるのですが、自分では自覚せずに受け継いでいるものが何かあり、また何か外部からのスピリチュアルな刺激が夢を創り出しているように思うのです。前世の記憶というような言い方もあると思いますが、何かがあるように思えて仕方がないのです。だから目が覚めている現実世界を基本として生きている自分の感覚で測ると、夢は奇妙な驚くようなものとし感じられるのだと思います。夢は外からの刺激で自分の中に在るものが増幅されているようで、その増幅っぷりがなかなか興味深いです。

5m

俳優の伊藤哲哉さん、コントラバスの故 水野俊介さんと ルーテルむさしの教会にて。方丈記上演中

まあ音楽というのは、多かれ少なかれ夢の時間の中に誘うものです。演奏会などは正に夢の時間への誘いですね。私にとって音楽は現実世界のもっと先の世界を描くものであり、音楽を演奏したり創っている時は、現実社会から飛び越えた所に自分が居ると言っても良いかと思います。そしてまた現実を超えた世界を見せることが音楽家の仕事だとも思っています。譜面の先にどんな世界を描けるのか。演奏家の腕の見せ所です。だから間違えずに上手に演奏する事を念頭にしているようなものや、日常の事をつぶやいているような音楽にはあまり魅力を感じません。
古典と言われる芸能、例えば平曲や能、短歌、俳句、華道も茶道も、人間の世界にありながらも、その先にあるもっと大いなるものにつながって、個人の短い人生ではとても掴みきれないほどの大きな世界を感じさせてくれる。私が聴いて来た音楽は、クラシックであれジャズであれ、どれもこの一点が共通しているのです。

私がこんな風に音楽に接しているせいか、音楽や芸術から受ける多くのものが、夢という形で出て来て、それがまた音楽を創り出し、現実と夢の世界が循環しているような感じがするのです。

1

Photo 新藤義久


10thアルバム「AYU NO KAZE」はお陰様で大変好評です。私としても良い内容になったと思っています。こうした楽曲も全て私にとっては身の内から出たものでありながら、現世を超えた世界であり、それぞれの曲にはその曲特有の色や情景が一つ一つにあります。それは現実の風景でもなく、言葉でも容易には説明できませんが、日々夢の中を彷徨うからこそ発想が湧いてくるのだと思っています。一時期瞑想にも取り組んだことがあるのですが、日々の生活の中で、何かをきっかけに心が広がって行く事も良くありますね。

その何かは「風」です。チベット仏教では「風の瞑想」なんてことが言われますが、私にとって風こそ、現世を超えた世界へと誘ってくれる媒介者なのです。こうした媒介となるものがあると感性が飛翔し易いと思います。風は常にパートナーのように我が身に寄り添って包んでくれます。その風を感じる時には匂いや、情景などが何とも言えないような雰囲気が浮かび上がってきます。感じるとしか言いようがないですが、その風を感じ、抱かれている時には、時間を超え空間を超え、時に古い記憶に辿り着いたりして、超現実(妄想とも言える)が見えて来るのです。私の作品の曲名に「風」や「月」が多いのは、そこから見えて来る情景や色を曲にしているからです。そんなものが夢となって出てきて、またそれが音楽となって形を表して私の中を行き来しているのかもしれません。もう夢遊病者と紙一重状態ですが、もっともっと色んな風を感じ、夢の中を縦横無尽に歩き回りたいですね。

風に誘われ、夢の世界を彷徨い、音楽を創り演奏する。最高の人生だと思っています。さて今夜も管巻いてないで早く寝よう。

音楽が生まれる時

相変わらず世の中は激動していますね。この変化に日本はついて行けるのでしょうか。そして世界はどうなって行くのでしょうか。

セミナーアゼルバイジャン バクー国立音楽院ガラ・ガラエフホールにてレクチャーコンサート2009年
10thアルバムはお陰様で再生数も上がって好評です。毎回アルバムを出すと「どうやって作曲するんですか」と聞かれるんですが、これはなかなか答えが難しいですね。洋楽の和音やスケールを勉強するのも有効ですが、そんなものは日本の音楽でもないし、西洋音楽は世界の音楽の中の一部分でしかなく、ドレミが通用するのは、実はこの地球のごく一部なのです。インドでもアラブでもアフリカでもドレミなんてものはありません。欧米が経済や軍事力を背景に「欧米こそ世界のスタンダードである」とジャイアンみたいに強引に押し付けて回って、日本人は明治の開国以降それに洗脳されているだけですので、洋楽の中で作曲している内はこの風土の音楽は響かないと私は思っています。逆に現代の日本で日本音楽以外を排除するのも、世界がつながっている今のこの時代にあって不自然だと思います。私はこの風土で生まれ育ったので、まず基本は日本文化があって、その土台の上に色んな音楽のエッセンスが乗っかっているという感じですね。世界の音楽は実に多様で魅力的です。ドレミの音楽しか聴かないなんて人生の半分どころか8割9割の楽しみに目をつむっているのと同じだと思いますね。私は中央アジアやアラブ圏の音楽なんか好きで、今でもよく聴きます。要は自分の土台が何なのかを認識している事が一番大事じゃないでしょうか。

1

photo 新藤義久


じゃあ、音楽はどうやって創って、その源泉はどこにあるのかといえば、それは日常を生きる事が作曲と同じ事で、日々の生活中に音楽の源泉が在るとしか言いようがありません。梅や桜をのんびりと眺めたり、誰かとコーヒーを飲んだりご飯食べたり、そんなことが最後には作品に集約されて行くのです。洋楽の作曲理論でもなければ演奏技術でもない。そういう事もツールとしては多少必要ですが、音楽を生み出すのはそこではありません。勉強して練習してできたものは技芸でしかないし、それはもうすでにあるものの焼き直しでしかない。それより桜を見てふと口ずさむ節や、春の野に溢れかえる多様な色彩、香り、風、それらから甦る記憶、そんなものの中に身も心も浸り、湧き上がるドラマを空想して、心も柔らかく豊かに広がって俗世から上昇していくことの方が音楽に直結します。自分の中に在るものがこうした自然とのふれあいで何倍にも大きく膨らみ、新たなものもそこから生まれ出て来るという感じでしょうか。
日本には奈良平安時代から続く和歌があり、それを今でも感じることが出来るのです。古代の日本に想いを馳せ、当時の人がどんなふうにこの桜を見て感じていたか、そんなことを考えるだけでも心は大きく羽ばたいて行きます。そして空想に浸るだけでなく、現代日本の中にまた新たな美しさを見出して、それを歌に音楽にするなんて最高じゃないですか。日本以外の国では出来ない事ですよ。それだけ日本の文化と歴史は深いのです。

4
福島の安洞院にて 能の津村禮次郎先生と

大体音楽にルールはないのです。ドミソの和音にFを入れたら間違いなんて事は、校則で「髪が耳にかかってはいけない」と考えているようなもの。バッハは素晴らしいですが、バッハのルールが世の総てではないし、ましてや日本の風土に生まれ育った音楽家が西洋のルールに従って縛られていること自体変でしょ。日本には竹に穴を開けただけで魅力ある音を出す楽器もあれば、石のくぼみに息を吹きかけるだけで強烈なパワーを発する笛もある。そういうものが今でも現役で活躍出来ているのが日本音楽です。数値的に何でも構築して作ろうとする西洋のものとは真逆を行くのが日本の感性であり、最高の魅力です。尺八でドレミが出ない等と言っているのが馬鹿らしく思えませんか。日本人はブリコラして音楽を創る天才ですよ。
「野生の思考」という本が60年代に出ましたが、西洋第一主義なんてものは今や幻想であり、もうそんな時代は既に終わっているのです。現代日本人は未だにそれに洗脳されて、自らの素晴らしさを見失っているいるのです。自分軸で考えるなんて言いながら安手のアンビエント音楽で瞑想して、しっかりドレミに洗脳されている。竹林を吹き渡る風音にこそ心を浄化する力があり、日本人はそれを感じ取る感性を受け継いでいるはずなのに、そういう身の内にあるパワーには関心を向けない。これだけ豊かな風土と文化を持っている世界でも稀な国に生を受けながら、そこから生まれて来た文化や歴史には目もやらず、舶来文化を信奉し西洋ルールにしがみついて、それが全てだ基本だと思い込む。これを「自由からの逃走」と言わずして何というのでしょうか。

2私は10代の頃から食べるのも忘れる位夢中になってジャズ一色の生活をしていました。20歳の頃からそれでお仕事をやり出してみて、先ずは音楽が消費されて行くショウビジネスの在り方に違和感を感じ、またリズムや和音のルールに縛られている自分を感じ、20代はずっと試行錯誤の毎日でした。作曲の石井紘美先生に琵琶を勧められて琵琶に辿り着きましたが、今思えば、要はギターのテクニックと知識を一度捨てて、常識や偏見などの鎧を脱ぎ捨て、自分自身になりきってみろという事だったと思います。

小学生の頃から毎日弾いて自分の分身と思っていたギターを手放したらどんな音楽が残るのか。見当も付きませんでしたが、とにかく足を踏み出してみました。そうして琵琶弾きとして1stアルバムの「Oriental Eyes」が出来上がりました。今聴くと現代音楽とフリージャズとプログレがミックスしたような世界だと感じます。そして先月リリースした「AYU NO KAZE」も全く同じ。今更ながらに自分の音楽を再確認しました。土台は日本にありながら、そこに現代特有のあらゆるものが入り込んできている現状が、私というフィルターを通して表現できたかなと思っています。

オリエンタルアイズジャケットm

しかし周りを見渡してみたら「これはダメ」「これは違う」等々、まるで校則みたいなルールを押し付ける方々が居る事に気が付きました。ジャイアンの腰巾着のスネ夫みたいなもんだなと思っていましたが、まあ情けないというか、琵琶が絶滅危惧種だと言われる理由が分かった気がしました。人間はつくづく弱い生き物だなと感じましたね。

皆、日々の現実を生きて行くのは大変ではありますが、せめて音楽を聴く時、作曲する時は、自分が囚われている事から解放されていたいですね。芸術に接し携わるという事は俗世間を離れ、自分を何物にも囚われない素直な状態にする最高の時間を持つという事です。そこに規制は要らない。音楽をやっていると皆、立派で、有名で、上手でありたいと思うかもしれませんが、それこそが囚われの最たるものです。そんなものは過去の人間が作り出した幻想でしかないのです。自分が自分で居られる事が出来るのが音楽との時間です。

春の野に出て、まだ肌寒い中ひっそりと咲く梅花に恋をしよう。桜の木の下で酌み交わす酒に酔いしれて歌を歌おう。その時間がそのまま音楽に成るのです。

稲生座2025ー2ー3

74s

さて明日は、尼理愛子さんのライブにお邪魔して、笛の玉置ひかりさんと演奏してきます。

2月3日(月)
場所:高円寺稲生座
時間:19時30分開演  第一部 塩高・玉置   第二部 尼理・吉岡(尺八)
料金:1650円+ワンドリンク

音楽を創ろう!。

自由ということ

お陰様で10thアルバム「AYU NO KAZE」は大変好評を頂いております。自画自賛ではありますが、等身大の今の私の世界を表現出来たように思っています。iTunes、Apple music、レコチョク等々、配信各社でお聴きいただけます。Youtube musicでも聴けますが、Youtubeプレミアムに加入していないと途中で広告が唐突に入ってしまうようですのでご注意ください。

私は20代から自分の想う音楽を創りたいと思ってやって来ましたが、なかなか具現化しませんでした。そんな中でやっと自分の相方となる琵琶に出逢い、30代に入り少しづつ自分の音楽を世に出すことが出来るようになりました。私は何事に於いても人より随分と時間がかかってしまうのですが、自分が想う所をこの年迄、淡々と自分のペースでやって行く事が出来、こうしてまた自分の音楽を世に出すことが出来、本当に嬉しく思っています。
私は自分の世界を表現して行くのが音楽活動だと思っていますので、自分で作曲し、演奏会を企画して演奏し、アルバムを創り、お仕事も色々と頂きながらやってます。いわゆる流派などで琵琶を弾いている方とは随分違う感覚だと思いますし、またショウビジネスの音楽でもないので細々としたものですが、これが私のスタイルであり、音楽に対する姿勢です。

アルバムで共演しているVnの田澤明子さん、笛の大浦典子さんと  photo 新藤義久


こんな風に自由にやっている訳ですが、自由にやる事は同時に孤独でもあるという事です。孤独というと何だか寂しそうですが、そういう事ではなく「一人で創る」という事です。私は、琵琶仲間はあまり居ませんが、友人知人は山のように居ます。創るのは一人ですが活動に於いては、こうした方々のお陰でやって行けるのです。日本人はみんなで一緒にというのがとにかく好きなせいか、じっくり一人で思索したり、創り込んだりという音楽家は少ないですね。特に邦楽の世界は少ないように思います。私は元から人とつるむ性格でもないし、いつも同じ仲間とつるんで飲んで、なんていう事はないですね。親しい友人は居ますが、基本的には「媚びない・群れない・寄りかからない」ようにしていますので、琵琶談義をするのも毎月の琵琶樂人倶楽部の時位ですね。
きっと世阿弥も利休も芭蕉も武蔵も、その人生の中に孤独を持ち、その孤独の中で新たな世界を創り出していったのではないでしょうか。いつも書いている森有正の言葉「孤独は孤独であるが故に貴いのではなく、運命によってそれが与えられた時に貴いのだ」は身に沁みるのです。

photo 新藤義久
人間というものは歴史を見ても、宗教や政治体制から解放され自由になると、アイデンティティーなどと言いだし、自分の所属先を求め身分や肩書が欲しくなるものです。やはり寄ってかかる所がないと不安なのでしょうね。これが人間の性なのか、それとも文明がもたらした弊害なのか判りませんが、枠から解放され自由になったのに自ら枠を求め、身分をもらい、その枠のルールに沿って生きて、保証される事で安心する。これをフロムは「自由からの逃走」という名前を付け、権威主義への従属を人間は常に抱いているからだとしましたが、音楽の世界も同様で、何物にも囚われず自由への意思を貫いている時にはエネルギーに満ち勢いも半端ないけれど、いつしか自分の過去に寄りかかり、肩書という鎧を纏い、お得意なものを羅列し出すと途端にエネルギーが失われてしまいます。かつて自由にやっていた人も、ベテランだの先生だのと言われだす頃がその人の試金石ですね。自分を自分という牢獄の中に放り込んでしまうことのないように、いつも自由な精神のままでありたいものです。

琵琶を手にしてから一番感じたのは、人間とはつくづく弱い生き物だという事です。勿論私自身も弱い。自分で自制して軸を保ち、良い状態を常にキープできるように気にかけていないとどんどん崩れてしまいます。私は良くも悪くも枠からはすぐにはみ出してしまうので、いつも一人で居る事が多いのですが、小さな枠に囚われ、その中からものを見るような事のないように気を付けています。現代は私のような無名の音楽家の作品でも、ネット配信で世界の人が聴いてくれる時代です。何処にでも軽々飛んで行ける風の時代なんですから、重たい鎧は邪魔なだけ。「世界の中の私」という感覚でこれからも淡々と自由にやって行きますよ。

10thアルバム「AYU NO KAZE」配信開始② 曲紹介

1月11日に配信が始まりました10thアルバム(未発表曲を集めたオムニバスを入れると12th)「AYU NO KAZE」の曲紹介です。今回は20年以上前にリリースした1stアルバム「Oriental Eyes」の頃に帰ったような私の原点に直結した作品を集めました。20年以上の時を経て改めて私の音楽が浮かび上がって来た気がしています。琵琶弾き語りは無く私自身は歌っていません。1曲のみメゾソプラノに歌ってもらっていますが、いわゆる歌とはまた違いヴォイスと表現した方が良いと思えるようなもので、全体がインストアルバムと言えます。器楽としての琵琶樂をずっと標榜してきた私の現時点での答えとも言える内容です。

「東風あゆのかぜ AYU NO KAZE」
薩摩琵琶の独奏曲です。「風の宴」に続く曲として、何としても薩摩琵琶での独奏曲を創りたいとずっと思っていたのですが、ようやく出来上がりました。「風の宴」はいわゆる都節音階で出来でいるのですが、こちらは全体がマイナーペンタトニックで創られています。タイトルの「あゆのかぜ」とは万葉集の中で大伴家持が越中時代に読んだ歌「あゆのかぜ いたく吹くらし奈号の海人の 釣りする小舟こぎ隠る見ゆ」という歌から取りました。この歌では東風を「あゆのかぜ」と読ませていますが、これはこの地方(現在の富山県射水市辺り)の呼び方という事です。日本海側の風には日本の風土に渡る風だけでなく大陸からの異国の風も吹き来て、都とはまた違うものを感じさせる風だったことと思います。ここは部分的に転調を入れる事で違う種類の風を表現していて、そこがこの曲の一つのポイントになっています。万葉の頃は異国からの文化が入って来て来て、時代が静かにそしてダイナミックに変化して行く時代。それはそのまま現代にも通じるものを感じます。そんな雰囲気を形にしてみました。この曲は今後の私のスタンダードになると確信しています。

「凍れる月~第二章」
2006年の発表した「流沙の琵琶」というアルバムの中で「凍れる月」という龍笛と樂琵琶の作品を発表しました。その曲の雰囲気は私が琵琶も手にする以前から追いかけて来た一つのイメージを具体化したのですが、今一つ作曲が甘く、何度も舞台で演奏しているにも拘らず、思うような世界が立ちあがるのは本当に稀で、常に平均点を超えられなかったのです。そのイメージをもう少し確実に舞台で表すことが出来るように、あれこれと考えかなり長い間もやもやして、何度も譜面を書いては書き直しライブで試行錯誤を繰り返しようやく形になりました。またそのイメージはジャズの名曲「Blue in Green」にも通じる所があり、この想いをヴァイオリニストの田澤明子先生にぶつけてみた所、田澤先生の類い稀な感性と技術が見事に新たな世界を示してくれました。これらの試行錯誤の中から生まれたのがこの曲です。前作「凍れる月」の先に見えてたイメージがこのよう姿を見せてくれて、本当に嬉しいです。

 

「凍れる月~第三章」
第二章が出来上がった事で、今度は少し別の視点から同じモチーフを捉えようという想いが出てきて具体化した曲です。第三章ではモチーフは同じながらドラマ自体をがらりと変えて一本調子の篠笛と薩摩琵琶という組み合わせで創りました。第二章まではある色彩を念頭に全体の幻想性を前面に出して抽象的な雰囲気に仕上げているのですが、こちらは月が人格化し、月自体が内に秘めた狂気を吐き出して、ルナティックに動き出すようなドラマ構成にしました。ちょっとプログレっぽい感じです。かなり激しくなる部分もありますし、手法としてインテンポとルバートを同時に組み合わせてみたりして、ダイナミックに仕上がっています。途中オーネットへのオマージュも盛り込みました。これからのデュオの定番になりそうな曲です。

「凍れる月~第四章」
こちらは第二章の雰囲気を樂琵琶の独奏に置き換えて、静かな小品としてまとめてみました。こういう樂琵琶の独奏曲もぜひ欲しかったので、割とすらすらと曲が出来上がりました。これからはまた樂琵琶の演奏会もやって行きたいので、そんな時にはぴったりの曲です

「西風(ならい)」
9thアルバム「Voices from the ancient world」で、ヴァイオリンとのデュオで収録した曲です。
「ならい」とは東日本の太平洋側の漁師言葉で、冬に吹く風の事を言います。土地土地によって風の方向が変わるのですが、今でもこの「ならい」は使われています。琵琶は西方から伝わった楽器ですので、私は「西風」と書いて「ならい」と読むようにして、「東風」を「あゆのかぜ」と読む第1曲目との対になる曲として位置付けています。
元々笛や尺八など邦楽器とのデュオの為に創った曲ですので、今回は元々の形である篠笛とのデュオの形で再録してみました。マイナーペンタトニックによる民謡風のテーマメロディーが様々に変化して行く様を描いてみました。チューニングはDDADを使っています。以前はDDAEが定番で「まろばし」や「二つの月」等以前の作品ではこちらを使っていたのですが、ここ何年かの作品「Voices」「凍れる月~第三章」等ではこちらをよく使ってます。絃の張り、全体の鳴りだけでなく柱のポジションも大変使い易く、私の琵琶にはぴったりなチューニングだと感じています。

「遠い風」
樂琵琶と篠笛による静かな作品です。異国の風を感じるメロディーながらどこか懐かしい気持ちになる、そんな所がコンセプトです。このメロディーを聴いているのは日本に帰化した渡来人かな?。

「Voices」
ここ数年演奏している曲ですが、元々は福島応援隊という団体が主催するイベントの為に作曲したものです。初演は新横浜のスペースオルタ。画家 山内若菜さんが製作した福島をテーマにした巨大な作品の前で演奏しました。震災詩人 小島力さんの詩に私が曲を付けたのですが、そのけれんの無いリアルな言葉に音を付けるのは難航しました。一度はお断りもした程でしたが、再度の依頼を受け結果的に素敵な曲となりました。先ず言葉を分解して音声レベルにして音楽を付け、曲の進行と共に言葉がリアルな実態を持って立ち現れるような作りにしてみました。初演はメゾソプラノ・能管・琵琶でしたが、何度か試行を繰り返しまして、最終的にメゾソプラノ・ヴァイオリン・琵琶と
いう形になりました。このヴァージョンは昨年、保多由子メゾソプラノリサイタル(銀座王子ホール)にて演奏しました。

 

 

「Voices」初演時に山内若菜さんがスケッチしてくれたもの

 

以上が今回の内容です。これらの作品はいずれもこれからの私の重要なレパートリーになる作品ばかり。これ迄琵琶語りなどもそれなりにやって来ましたが、やはり私は器楽としての琵琶樂をずっと標榜してきましたし、これからも何を置いても琵琶の音色を届けたいのです。歌ではありません。

私は1st「Oriental Eyes」から、全て自分で作曲をして琵琶のインストをやって来ました。樂琵琶でも古典雅楽ではなく、あくまでオリジナルな世界を表現して来て、あくまで琵琶の音至上主義でやってきたのです。ただ15年~20年位前は薩摩琵琶の流派の常識である「弾き語りでなくては琵琶ではない」という価値観にまだどこかで囚われ、弾き語りでも絶対に負けられないという気持ちが強くありました。自分の中の囚われに振り回されていたという事なのでしょう。今となってはそれもまた経験の一つですが、そんな所も2018年リリースの8thアルバム「沙羅双樹Ⅲ」で「壇ノ浦の弾き語りを収録して、それできっぱり囚われから卒業して、9th「Voices from the Ancient World」ではヴァイオリンとのデュオインストアルバムを創りました。そして今回、何物にも囚われない私独自の世界を実現できたと自負しています。やはり私は琵琶の音色を聴かせるのが自分の使命だと思っています。

囚われは鎧であり、自ら呪いをかけているようなもの。囚われている間は自分の本来の姿が霞んで、時間はどんどん過ぎて、つまらない所に引っかかっていて行くべき道も見えなくなります。囚われの時期は今思えば確かにプラスの経験だったと思いますし、そこを乗り越えたからこそ、本来の道を再確認する事も出来ましたが、それは自分の道に戻って来れた人だけが感じる事で、囚われている内はそれを感じる事も、行くべき道に戻る事も出来ません。頑張っている人程、どうしても自分に呪いをかけるが如く、承認欲求や自己顕示欲という囚われの中でもがいている。若い時ならそれも一つのパワーともなりますが、いつまでもそこに留まっていたらどんどん萎んで行くだけです。そんな人もたまに見かけますが、是非鎧を下ろし本来の自分のあるべき姿を取り戻して、自分の行くべき道を進んで欲しいなと思います。

 

 

私は琵琶で活動を始めたのがもう30代半ばでした。それに加え、何をやっても人より時間がかる性質ですので、随分年を重ねてしまいましたが、年々少しづつでも自分の行く道がはっきりとして来て、今こうして私の音楽として姿を現してくれた事が本当に嬉しいですね。重たい鎧を全部脱ぎ捨て、パット・マルティーノが言うように自分が自分らしく在る事が一番の喜びだと実感しています。この「AYU NO KAZE」は私のマイルストーンとなって、これからの活動の主軸になると思います。これからの人生が益々楽しみになってきました。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.