青の誘惑

今年も押し詰まってまいりましたね。とはいえ琵琶奏者は年末年始は暇なんです。おめでたい曲やラブソングのイメージはないですからね。私は大分浮世離れしている方で、ここ30年程TVも持っていないしSNSも一時期やってましたがすぐにやめてしまった位ですので、世間の流れとはあまり関係なく過ごしています。そのせいか年末だからといって訳も判らず走り回ることもなく、今年ものんびりしています。

精霊の王今年も早々に年内の演奏会は終わり、暇に任せて、もう一度しっかり読みたいと思っていた中沢新一さんの本をいくつか読み返し、その他知人の書き下ろした原稿など溜まっていた本を片っ端からやっつけています。アルバム制作の方はちょっと色々見直しがあって休止状態なんですが、こちらも年明け1月中にはリリースできるように頭をひねっているところです。前から思っていましたが、中沢さんの本は、レヴィストロースなんかに共感する私の思考と共通する部分を多く感じますね。特にアジアや日本の風土に根付いて、社会を超えた野生みたいな、その辺りがとても共感します。面白い。世の中ちょっと面白くて知的興味をそそる程度のものばかりが溢れていますので、こういう本当に充実した内容の本は良いですな。発想が広がりますね。

私の思考は多分に色のイメージが発端となっているものが多いのですが、それは言い換えれば根源的なものへの憧憬、志向と言ってもよいかと思います。色に対するイメージや想いは、何物にも囚われない感性であり、それは国家や法律・常識・慣習など、人間がどうしても作り出してしまう固い枠を飛び越えた所にある根源的感性といえます。
こんな風に、作曲に関しても先ずは色から発想する事が大変多いです。中でも私のイメージの中心は青です。私は昔から物を選ぶ時には迷わず青を手に取ってしまう傾向にあり、友人にも「何故青いものばかり選ぶの」とよく言われてました。前世で何かあったのでしょうか。
私の曲に「風」と「月」に関するものがとても多いのは、青のイメージから広がった感性と言ってよいかと思います。青には永遠、深遠、自然、孤独、静寂というようなイメージを感じますが、それは現代社会があまりに人も物も密になり過ぎて、システムも複雑になり過ぎて個人が生きる空間を失っているので、青が持っているこれらのイメージを求めるのかもしれません。私からすると現代社会の中に「青」が欠けているという事なのでしょう。大地との繋がりを忘れ果て、自分達が作ったルールでがんじがらめになって、日々あらゆる欲望をたぎらせ、それを消費する事に終始している現代人には、今一度青のイメージが必要なのではないでしょうか。

よく引用する宮本武蔵の「見上げる空は一つなれど果て無し」や、森有正の「孤独は孤独であるが故に貴いのではなく、運命によってそれが与えられた時に貴いのである」等の言葉も、その通奏低音に青の世界を感じますが、それもやはり現代に失われつつある感性だと思っています。

3s

photo 新藤義久


音楽を聴いて頂くという私の仕事は人里離れた所に居ては実現しません。とにかく人に集まってもらうしかないので、密であるというのは音楽家にとっては有り難い事なのです。しかしその密から生まれた音楽は本当にこの風土から生まれ出た音なのだろうかとよく考えます。音楽はやはり静寂から生まれるものではないかと常々思っています。以前はこうしたカオスから生まれ出るのも現代の芸術の宿命であり、現代芸術の一つの形と考えていたのですが、最近の現状を見ていると、エンタテイメントが行き過ぎ、パフォーマンス性イベント性が過ぎているように思えて、音楽が聴こえて来ないのです。そして現代社会はあまりにも大地から浮遊した幻想に包まれて、そこに踏みしめるべき人間の場所を感じないのです。本土の民謡ですら既にジャンルになってしまい、果てには民謡に家元制度まで出来上がっているのが現状です。それはもうかつて各地で歌われたであろう民謡でもないし、そこには大地も無い。音楽は楽しい事も重要な要素ですが、目の前を賑やかすばかりでは、そこに大地から沸き上がるエネルギーがないと中身のないただの賑やかしエンタメでしかなくなって、土地に生きる人々の心は聴こえて来ません。せめて音楽だけは風土や大地に根ざし、もっと言えば宇宙とも繋がり、生命の根源的なエネルギーに満ちていて欲しいのです。

2-24-11ー2朧月久保田s知人から送られて来た先月の朧月
都会の中に居ても少しでも風を感じ、月を見上げ、その風情を感じようとしては居るのですが、静寂を感じる事の出来る場所は本当に少なくなってしまいました。私は人間が自然から遠ざかると、同時に野生も失い、大地から沸き上がって響き渡っていた音楽も失なわれて行くような気がしてならないのです。かつて三島由紀夫は高度成長期の日本の未来を「無機質なからっぽな、ニュートラルな中間色の、富裕な抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残るだろう」と言いました。彼はその言葉の後に「そして日本人は豚になる」とも付け加えています。

私はただの音楽家なので大したことは言えませんが、今日本がもう一度この大地と風土を取り戻さないと、本当に日本の歴史は終止符を打つのではないだろうかと感じています。それともここで終わるのが定めなのか。
物事が「続く」のと「なぞる」のは根本的に違います。形骸化され、権威付けられたものはエネルギーが乏しい。時代を生きる人間のエネルギーが漲り、且つこの大地と風土から湧き上がるエネルギーも相まって、次世代の日本音楽が生まれて欲しいですね。グローバル化によって各国の音楽文化も入って来ている現代では、当然その影響も出てくるでしょう。でも根底はこの大地です。世界の歴史を見ても、文化は常に色んなものとの出逢い接触によって発展し、その土地の生活に根付いて昇華して文化となって行くもの。純粋芸術などという事は、右翼のプロパガンダでしかありません。

大地と共に生きていた縄文時代に外来勢力が入り込み、法律や身分などを作り支配体制を敷いて国家というものが出来上がり歴史は先へと進んで行ったのですが、その時からすでに大地から浮遊し出したのではないでしょうか。その後貨幣経済が発展するにつれ、民衆も国家・法律・貨幣などなど人間の作りだした幻想の中に放り込まれ現代にまで続くのではないでしょうか。その幻想の最初の頂点は江戸時代のように思います。都市が生まれ、エンタテイメントが発展し、貨幣で暮らしが成り立つようになって、人々の欲望がどんどんと炙り出され、それがエンタテイメントへと昇華したように感じています。

トリオ1

Vn:田澤明子 ASax:SOON Kim 各氏と琵琶樂人倶楽部にて

社会の中でしか生きられない人間は。自分が居る場所のルールに従わなければ淘汰されてしまいます。何処で生きてもそこにはまた違う法律があり、身分やら肩書があり、その枠内で生きざるを得ません。しかしそんな人間の作りだした制度・幻想を軽々超えて行くものが音楽ではないでしょうか。特に現代社会に於いては、ネット配信で私の音楽も世界の人が聴いてくれる状況になっています。実際毎月のレポートを見ても色んな国の人が聴いてくれていて、台湾では私の曲が現地の音楽家達によって何度も演奏されています。音楽こそは国境も何も超えて通じ合えるものではなかったのではないでしょうか。私はそう思えて仕方がないのです。
現代は音楽にも権威が出来上がり、正統異端という概念が生まれ、系統のようなもので区別し、欲望・願望が丸出しになっている。もう一度自分たちが生きる大地に目を向ける時期が来ているように感じてならないのです。
青のイメージをぜひ感じてみてください。

風のように2024

先日の第202回目琵琶樂人倶楽部は沢山の方にお越しいただき、今年も賑やかに終える事が出来ました。

4s7

笛の玉置ひかりさん、琵琶語りの尼理愛子さんと

毎月、長年に渡りこうして会を続ける事が出来て本当に嬉しい限りです。色んな形で音楽活動をしていますが、こういう毎月定例の会を持つ事は、私のようなショウビジネスやエンタテイメントと離れた所でやっている人間にとってはとても有効な手段だと今更ながらに思います。琵琶樂人倶楽部は流派のお浚い会とは全く違い、毎月常に様々なジャンルの音楽家とアイデアを巡らせリハーサルを何度も重ね演奏しています。ゲストにレパートリーや得意曲を演奏してもらう訳ではありません。
独奏で演奏する方には、こちらから曲を指定してやってもらう事も多く、平家琵琶の方は毎年私が指定する曲を1年かけて練習するそうです。ゲストの演奏会を企画しているのではなく、ギャラ(薄謝で申し訳ないのですが)を払ってこちらの企画にあった内容のものを演奏してもらいますので、今月の会でも笛の玉置さんには、「西風(ならい)」「塔里木旋回舞曲」「遠い風」の私の曲三曲をリハーサルを重ね演奏してもらいました。年明けには筝の藤田祥子さん、尺八の藤田晄聖君に拙作の「朝の雨」(筝・尺八・琵琶唄)を演奏してもらいます。ただ今リハーサルをしている最中です。まあ小規模ながら毎月演奏会を企画プロデュースしているという事です。

9毎度来てくれる方も、私の曲を色んな方がそれぞれの解釈で演奏するのを楽しみにしてくれています。勿論ゲストに合わせ編曲したり、時に新作初演を企画したりしてやっているので、毎週スタジオに入って色んな方と練習を重ね、毎月違う曲を演奏しています。時々流派で習った得意曲をやらせて欲しいという方が居ますが、滅多にやらないジャンルの紹介の回は別として、習った曲しか出来ないようなレベルと意識では琵琶樂人倶楽部には合わないので、そのよう方は丁重にお断りをしています。

こんなことをもう18年に渡りやっているので、常にリハーサルや譜面書きに追われていて、刺激が途切れる事が無いですね。だから琵琶樂人倶楽部は新たな楽曲を創り出す現場であり、更にはここから飛び出してあらゆる場所での活動へと広がって行くのです。ともすれば小さな村社会に留まってしがちな邦楽の世界あって、多くの人が集い琵琶を軸にして多様な音楽が響くこの場所は、私に豊かな世界をもたらしてくれる正にホームグランドなのです。

今や世に溢れる音楽は総てがショウビジネス・エンタテイメントと感じている人も多いと思いますが、音楽の世界はそんな小さなものではありません。まだまだもっと多様な魅力があり、活動に於いても様々なやり方があります。メディアに乗せられ洗脳され「売れなければ、上手にならなければ、有名にならなければ、偉くならなければ」等々、こんな事に囚われている人は、意識が音楽そのものから離れていて、人生の大事な時間を浪費しているのと同じだと、私には思えます。

とにかく自分のやり方を見つけられた人だけが、作品を創り活動を続けて行く事が出来るのです。次代を担う若者には、時代の餌になってしまうような事のないように、しっかりと音楽に向き合ってもらいたいですね。私は相変わらず地味な活動しか出来ませんが、ずっと自分の思う形をやって来て本当に良かったと思っています。
ジャケットm

さて今製作中の10thアルバム「AYU NO KAZE」はこんなジャケットになりました。これまで少し暗目で内省的な雰囲気のジャケットが多かったので、今回は新春リリースという事もあり、明る目の色調で創ってもらいました。まだもう少し時間がかかるのですが、年明けにはリリース出来そうです。もう前作よりCDという形にはせず、今回も配信のみのリリースですが、Youtube等でも聴けるようになっていますので是非お聴きください。ユーチューブミレニアムに入っていないと途中で広告が入ってしまうようですのでお気を付けください。

Y
utubeではこれまでの作品も聞けます。
2014年迄の各作品 塩高和之 – トピック – YouTube
2018年以降の各作品 塩高和之 – トピック – YouTube

一つは7枚目までのアルバムを出しています。1st,2ndは権利関係の問題で作品集という形で何曲か抜粋して、未発表曲も加えて「塩高和之作曲作品集① ②」という名前で出ています。8thアルバムからはもう一つの塩高トピックにまとめてあります。

来年は琵琶樂の新たな歌曲も創って行きたいと思っています。私は基本的に器楽の作曲家であり演奏家ですが、琵琶樂にとって、次世代が共感を持って聴いてくれるような内容の琵琶の歌曲も是非とも必要だと思っています。とにかく軍記物戦記物等殺し合いの内容はもうたくさん。今迄もそんな曲はあまりやって来ませんでしたが、心が豊かになる音楽を創り、次世代に託したいですね。

毎年年末年始はあまり演奏の機会はないのですが、今年は10thアルバムの編集などもあるせいか、やらなければならない事が山積みで気が抜けません。ただ私が表現したいと思って創って来た作品群もここにきてかなり充実してきましたので、そろそろ腰を据えて今迄創り出した作品群に磨きをかけて行く時期に来ているのかもしれません。これ迄を振り返ると、大体10年位で一つの周期が来て、活動が変化してきたのですが、今が正にその周期の変わり目だと感じています。私はこういう人生の転換期にいつも風の流れの変化を感じます。自分を取り巻く風には常に様々な流れがあり、その流れは過去からずっと吹き渡っているものや、遠くアジアや中東からシルクロードを通って向かってくるもの、自分の周りを渦巻くもの等々、色んな風を常に感じています。私は風に導かれ薩摩琵琶に出逢い、また風に導かれ樂琵琶にも出逢い、演奏し曲を創り、常に風に乗って生きているような気がしてならないのです。だから創る曲には「風」の就くタイトルが多いのです。

3

photo 新藤義久


今は、「風の時代」などと言われていますが、私はもともと地に足を付けて土台を築き、安定した場所や収入、組織、身分のようなものを作り上げようという感覚では生きて来ませんでした。むしろそんな目に見えるものはただの幻想でしかないという想いが最初から強かったように思います。今自分が年齢を経てこれ迄音楽活動をしてきて、やはりそんなものは幻想だなと改めて思います。お金自体が幻想だし、政治体制も、そこから与えられる肩書のようなものも皆同じです。一定の枠の一歩外に出れば全く意味をなさない。

そもそも音楽・芸術は、そんな人が勝手に決めた枠やルールななどを軽々と乗り越えて行くものではないでしょうか。少なくとも私はそう思っています。
私は日本の風土から起こり、そこに育まれた音楽をやりたいのです。縄文的感覚ともいえるかもしれませんが、宗教や権威システムが蔓延る以前の世界こそが日本の原点であり、その大地に吹き渡る風こそが、その私の想う日本の源であり真実だと思っています。支配体制も神話の世界も宗教も、後から人間が作り出した創作物であり、システムであり、今で言えばグローバリズムという感じがしています。

社会の中で生きる我々は、皆作られたシステムの中でそのルールに従い、各自が国家や時代の共同幻想を持って社会の一員となり、その中で自分を保とうとします。しかし人間の作ったルールや境界がこの大地と直結しているでしょうか。この現状見ていると私にはとてもそうとは思えません。大地と直結し宇宙と繋がるような、本来人間が生きて居ただろう根源的な所へと誘うのが音楽や芸術の本質ではないかと思っています。
私の音楽を聴いて、アンティゴネーのように人間が作り出したルールより愛や美を求めて、幻想でしかないルールや枠組みを超えて行きたいと思ってくれる人が居たら嬉しいですね。

今君の手を取って 国境を超えて行きたい 春風に乗って

求めよさらば与えられん

師走になりましたね。何だか1年が早く感じます。
先日、10thアルバム「AYU NO KAZE」のレコーディングが終わり、あとはミックス(編集)とジャケット画の選定という所迄来ました。前衛的な作品からロックテイストを感じられる作品、静かでノスタルジックな作品と等々、私がこれまでやりたいと想い描いていたイメージを具現化した作品群です。

オリエンタルアイズ1stアルバム 「Orientaleyes」が20年の時を経て蘇ったような内容と言っても良いかと思います。全編インストアルバムですが、1stにトリオ作品として入れた「太陽と戦慄第二章」に私が声を入れたように、今回は「Voices」という曲が琵琶・VnにMsの保多由子先生が入りトリオ作品として収録されています。いわゆる歌でない所も似ています。こんな所もあって1stが蘇ったように感じるのです。他独奏曲「遺走」は今回タイトル曲の「AYU NO KAZE」に、尺八とのデュオ「まろばし」は笛とのデュオ「凍れる月~第三章」に、チェロとの静かなデュエット「時の揺曳」はVnとのデュオ「凍る月~第二章」という具合に、まるで対応するかの如く曲が並んでいます。この20年で様々な仕事をさせてもらって、やはり自分の世界はこれだと言えるものを収録しました。1stのリリース時にも同じ事を言いましたが、もはや弾き語りの琵琶や古典雅楽等の音楽とは全く違う世界に来ているので、渋い古の琵琶が聴きたい人には、まるで聴きどころのないものかもしれません。

演奏会2

若き日 高野山常喜院での独演会にて


私はずっと自分の中に湧き上がる世界を形にしたいと思い求めてきました。これ迄ずっとその具現化を琵琶を通してやってきたのです。琵琶を手にした最初の頃はまだ漠然としてイメージだけで形が見えていませんでしたが、1stアルバムでその探し求めていたものが初めて具現化したのです。粗削りで未熟で勢いだけの部分も多分にあるのですが、あの時、確かに探し求めていた世界が見えたのです。それ以来琵琶を生業とし、人生とし、琵琶の歴史や日本の古典文化・芸能等、自分が学びたいものを学び吸収し、時に迷いながらも、一つ一つ自分の中に在る世界を音楽にして来ましたが、結局最初に求めた世界にまた戻ってきました。弾き語りも樂琵琶の作品群も、皆私の世界ですが、1stアルバムの世界はやはり自分の追い続けて来た音楽の基本形だと思い至りました。ここまで20年かかりましたが、充実した20年でしたね。今は自分のスタイルというものを自分ではっきりと認識出来て、自信をもって自分の音楽を演奏出来ます。琵琶の愛好家には評価されないかもしれません。またショウビジネスの世界とも遠く離れた所に居るので売れるものでもありませんし、有名になる事もありません。しかし誰に何を言われようと、自分の生き方が確立し、それを実践して生きているというのは嬉しいものです。

1

若き日 京都清流亭にて


人生の全てにおいて、探し求めているものはなかなか得られません。何を求めるかは人それぞれですが、肉体はどんどんと衰えて行くし、出来なくなってくることも多いです。いずれにしろ物欲などの表面的な欲望ではなく、本質的なものを求めない限り、求めるものは遠ざかって行くだけだと思います。
私がずっと探し求めてきたものは、音楽以外だとやっぱり、その音楽を具現化するためのパートナーですね。逆に大きなチームは求めていません。大きなチームは個人の存在よりチームのルールや常識が優先してしまい、個人の自由な創作活動が制限されてしまいますので、集団には近づかないようにしています。友人はとても大切ですが、常につるんでべたべたと付き合っていたら、どうしてもどこかに慣れ合いが始まって、思考が膠着して本来持っている感性は羽ばたきませんし、出逢いも減ってしまいます。先ずはお互いが個として独立している事が大事です。「媚びない 群れない 寄りかからない」は常に意識していないと、森有正の言うような運命によって与えられた「尊い孤独」は感じる事は出来ないでしょう。芸術家同志はグループがあっても、常にそれぞれが独自の存在であり、それぞれが尊い孤独の中に在るのが望ましいと私は思っています。
しかし一人で自分の頭の中だけでこねくり回しているだけでは大したものは出て来ません。だからパートナーが必要なのです。勿論パートナーとも良い距離を保って、お互いが芸術家として独立していなければ、パートナーには成れ得ません。

1R2A25327
今回のレコーディングにも参加してくれた笛の大浦典子さんとVnの田澤明子さん。本当にいつもお世話になっています。

若き日にはどんどん曲を書いて、何でも相手に要求するばかりで、相手をよく見ておらず、相手の魅力も全く引き出せていませんでした。当然演奏会に作品をかけても良い演奏にはならず、音楽としても響きませんでした。そんな経験を経て、今パートナーが如何に大事かを身にしみて感じています。良きパートナーと組んでいると、特別な境地に至る瞬間をよく感じます。そこには国境もルールも無いのです。ただただ音楽が在るばかり。当然相手が変われば見えて来る世界も、辿り着く境地も違ってきます。それには相手へのリスペクトが先ずある事。そしてお互いが共振し合えるポイントがある事。それがお互いに感じられる人だけがパートナーとなり得るのです。だから国境を越えて行く事が出来るのです。売れたい、有名になりたいなんて現世での俗欲に囚われて自己顕示欲や承認欲求でがんじがらめの人では、とてもじゃないけどパートナーには成れません。
この20年で素晴らしい仲間達に出逢え、納得できる作品を具現化することが出来、本当に嬉しく思っています。

音楽でも人生そのものでも、一緒に共振し合えて、ボーダーラインを超えて境地に行くような、そんな人に出逢う事は人生の幸せですね。総てが思い通りになるなんてことはありませんが、私がずっと追い求めてきた世界を実現出来るパートナーが居るというのは嬉しいものです。後はこれらの作品を、是非次世代にも伝え、また新たな作品を生み出していって欲しいと思います。

biwa-no-e2

さて今年最後の琵琶樂人倶楽部は毎年年末恒例の「お楽しみ企画」。テーマは決めず、毎回その時点で面白そうな人に声を掛けてやってもらいます。今年は久しぶりの登場 尼理愛子さん。近年は演劇の舞台に乗って演奏する機会が多いようで、今年も独自の音楽を披露してくれそうです。そして今回琵琶樂人倶楽部初登場の笛奏者 玉置ひかりさん。彼女とは5月の舞踊公演で御一緒してから、9月には人形町楽琵会でも共演させてもらいました。正に今旬の勢いを持った若手です。

玉置ひかりMあ1

2024年12月11日(水)
場所:名曲喫茶ヴィオロン(阿佐ヶ谷駅北口徒歩3分)
時間:18時30分開場 19時00分開演
出演:塩高和之(琵琶)ゲスト 尼理愛子(琵琶語り) 玉置ひかり(笛)

今回はもう大分席も埋まってきてしまっているので、聴いてみたいという方は是非ご一報くださいませ。来年も色々と計画を練っています。また楽しい一年になりそうです。

純粋であるという事

急に寒くなりましたね。この所やっと俺の季節が来たという感じがしています。久し振りに革ジャンの手入れもしました。

先日、東洋大学の原田先生がやっているインターネットラジオ番組「室町のコバコ」の収録をしてきました。

室町のコバコ

原田先生は能の研究者なので、この番組も基本的に能の関係者しか出ないのですが、一応能楽師の津村禮次郎先生や安田登先生と何度も共演しているという事で参加させていただきました。原田先生と津村先生は古い付き合いだそうで、私が津村先生を迎え開催した人形町楽琵会に原田先生がお越しになって以来の御縁です。

津村禮次郎能の新たな挑戦津村禮次郎・原田香織ストラスブール大学公演

6年ほど前、フランスストラスブール大学で原田先生作の「方丈記夢幻」という新作能を津村先生が上演したのですが、その時に私の楽曲を原田先生が選んで使って頂いた事がきっかけで、色々とお付き合いを頂いています。この公演の後、東洋大学井上円了ホールにて「津村禮次郎・能の新たな挑戦 古典芸能と現代」という公演をやり、その時には私が演奏して津村先生に舞って頂きました。
また原田先生が作詞して、私が作曲した、六曲からなる組曲「四季を寿ぐ歌」を創った時には、何度も打ち合わせをさせてもらって上演に漕ぎつけました。その他、毎年東洋大での特別講座を担当させてもらったりして、もうお世話になりっぱなしです。先月樂部の演奏会で久しぶりにお逢いして、今回の収録に誘って頂いた次第です。

放送日は来月の

12月1.2週目(1日.8日)6:00〜6:30
12月3.4週目(15日.22日) 同

朝早いのですが、是非お聴きになってみてください。こちらから聴く事が出来ます。室町のコバコ

世阿弥世阿弥像
今回は琵琶のお話も勿論したのですが、僭越ながら世阿弥の言葉なども少し自分の体験を照らし合わせて話をさせてもらいました。近世のエンタメ文化に移行する前に、これだけ哲学的に志向する芸能者が居た事に本当に驚くばかりです。原田先生も言っていましたが、中世と近世は大きく文化の根幹が変化したと思います。世の中が安定し、庶民が力を得たことも大きいし、武家や貴族の保護のもとにあった雅楽や能と違い、自分達で工夫して木戸銭が取れるような演目を創っていった歌舞伎とは、その背景も大きく変わって行った事は明らかであり、日本人の感性は大きく変化したと思います。

改めて先人の遺した言葉に向かいながら、とにかくその深遠な哲学には驚くばかり。現代の芸能者でこれだけの哲学を語り遺せる人が居るでしょうか。今一度こうした先人の言葉を読み直し、考えてみようと思いました。そして同時に注目したのはその純粋な姿勢です。芸能関係をやっていると、どうしても、受けが良いかどうかが気になりますし、売れる有名になるというとこも常に視野の中に在ります。特にエンターテイメントが基本となっている現代の音楽・演劇は、稼げるものが凄いものという思考で固まっていますが、私はそこに大きな違和感をずっと抱えていました。

ちょっと極端かもしれませんが、私は現代のエンタテイメント志向がまるで宗教のように思えるのです。何でも売れた方が勝ちという思考は生活全てに渡り、一時でも売れれば良いという低質の賑やかしが常に跋扈している。まるで今迄の芸術の価値を別のものへと変質させるかのように、演奏家も上手さや格好良さを披露し、売る事有名になる事に邁進して行く。
それに対し、いつも書いている永田錦心や鶴田錦史、宮城道雄らは、売れる云々という事よりも、常に次世代を見据え、新たな日本音楽を創ったのです。この社会の中で有名になる、偉くなるという思考とは根本的に違うと思います。今琵琶樂や邦楽・ジャズでも売れる事、有名になる事が最優先になって、更に皆がお上手を目指しているように思えます。もっと音楽を創る人が出てきて欲しいですね。これも時代と言えばそれまでですが、多分アーティストの自己肯定感が著しく低くなっているのでしょう。だから音楽の周りにばかり気が行って、身分の保証を求めるが如く肩書や売り上げを追い求めるのだと思います。ジャズプレイヤーなどは本当に皆さん表面上は上手になったと思うのですが、全く質が変わりましたね。
及ばずながらも、先人たちの目指した世界に近づこうとして次の時代を切り開くような音楽を創るアーティストは、残念ながら見かけなくなりました。

We are together againよくこのブログに登場するジャズギタリストのパット・マルティーノは、ジャズファンでも知っている人が少ない程名前は知られていません。しかし彼の遺したものは確実に世界の誰かが何かしらを継承している。ショウビジネスで大ヒットを飛ばす事とは全く無縁な方ですが、確実に彼の音楽に魅了された人が世界中に居るのです。彼の遺したものはこれからもずっと世の中に渡り、彼を追いかけようという人が絶えず世界中に出てくるでしょう。病気を克服しながらも最後迄自分らしく、自分の音楽を追求した彼のようなミュージシャンはもう出て来ないのかもしれませんね。

音楽には皆エンタテイメント性があり、それは音楽の素晴らしい所ですが、エンタテイメントの面ばかりが肥大して、現代はそこにしか価値を見出そうとしない。ショウビジネスが全てにおいて優先している現代では、音楽に内在するエンタテイメント性が、音楽・芸術の総てを覆い尽くし、洗脳し、本来の創り上げるというその純粋さを吸い取り、奪い取っているように私は思います。

時代は刻々と変化し続けるので、我々もまた変化して行かなければ存在出来ません。世阿弥に「住する所なきを、先ず花と知るべし」と常に変化し続ける事こそが芸の本質という言葉がありますが、社会も世の人々の感性もどんどん変わる現実の中に在って、芸能者は常に世の中と共に歩まなければただの珍しいもの以上には成れません。しかし一方で世に迎合しようとすると、現代のエンタメ文化の中では商品として消費されて行くだけで終わってしまう。この現代の中でどう音楽を創って行くのか、そこを問われていると思います。
音楽に対する純粋さをただのオタク趣味ではなく、現代、次世代を見据え創り遺して行くような視野が必要ですね。どんな時代にあってもその純粋さを失わないというのは大変な事です。

三島由紀夫三島由紀夫のインタビュー動画に、愛について語るものが残っているのですが、「愛のカタチというものが公認されてしまうと純粋なものでなくなってしまう」と言い残しています。周りに認めてもらえないからこそ、当事者はそれを貫くために純粋でいようとする。逆に巷で公認され安易に扱われるようになった「愛」はスーパーマーケットで並んでいるようなものになってしまった、と言っていますが、音楽も全く同じだと思いました。時代に迎合するだけでは、スーパーに並んだ商品です。いつも書いているように、永田錦心もパコ・デ・ルシアもピアソラも、ドビュッシーもラベルもジミヘンも最初は異端であり、鶴田錦史もその生き方により同世代の女性達には大層嫌われたそうですが、異端が故にそれを貫く為には純粋な心を持っていなければ貫く事が出来なかったと思いますし、まただからこそそこには強靭なパワーが宿っていた事と思います。異端だからこそ純粋状態だったのでしょう。

上記の世阿弥の言葉のように、形は常に変化する。真の芸能者でありたいのであれば、常に変化し続ける事を厭わない位でよいと思います。予定調和の形を求めるようになり、お見事な芸を披露するようになったら、もう芸能者としては終りだと私は思っています。常に創り続け常に変化して行く姿こそ芸能者、芸術家だと考えています。世阿弥の域に辿り着ける事はないと思いますが、せめて我々は先人の創った形ではなく、先人の追求した世界を求め続けたい。それが芸に携わる者の在り方であり、また継承というものではないでしょうか。ある一つの形に寄りかかり、異端であることを止め、お墨付きや肩書をもらって時代に迎合し、正統という名の温かい安全な場所に安住してしまったら、もうそこには純粋な心と創造のエネルギーはどれだけ残っているのでしょう?。

y30-3s

若き日


私は普段から「媚びない・群れない・寄りかからない」を合言葉にして常に自分の軸を確認し、余計なものは身に着けないように心がけていますが、そうしていなければ、どうしてもどこか流されてしまう所があるから、合言葉を常に自分に言い聞かせているのです。それだけ時代と共に在る事は難しい。魯山人の「芸術家は位階勲等から遠ざかるべきだ」というのは、まさにその通りで、どんな人でもそういうったものを身に纏うと、純粋な目が曇ってしまうものです。俗悪になるとは言いませんが、どこかで自分と他を比べてしまい、自分はこんなに凄いんだとどこかで誇示したくなる。人間は本当に弱いのです。純粋に音楽をやっていればよいのに、ベテランという名の元に音楽以外の衣をどんどんと纏うようになって、心が音楽から離れて行ってしまうのは残念で仕方がありません。ベテランになればなる程、今まで創り上げた技や作品、経験に寄りかかることなく、余計なものは捨て、身軽で居たいものですね。

今は巷にあらゆる情報が溢れ、国内も海外も激動しています。コロナの時期にも増して大きな変化の真っ只中に来ていると感じます。今こそ自分の軸で精神をしっかりと保つことが求められているのではないでしょうか。そしてそれを体現するのがアーティストではないか。そんな気がしています。

青春時代

鶴山旭祥さんと


琵琶樂人倶楽部17周年記念回は無事終える事が出来ました。私のやっているのはショウビジネスとは随分とかけ離れた地味な活動そして音楽ではあるのですが、今回は懐かしい友人も駆けつけてくれて、本当に良い会となりました。毎年秋のこの弾き語りの聴き比べの会は、年に一度フルで弾き語りをやる唯一ともいえる機会です。今回は経正をやったのですが、気持ち良く声が出ました。
こうしてずっと長い事続けて来られたのは、周りから生かされて来た証だと思っています。琵琶樂人倶楽部も私個人も、これから一年また淡々とやってまいりたいと思います。早、来年一年間のスケジュールも決まり、楽しみはどんどん続いているという訳です。今後共宜しくお願い申し上げます。

「ひらく古典のトビラ」本番舞台
前回も書きましたが、先日まつもと市民芸術館であった「ひらく古典のトビラ」も素晴らしい舞台になりました。また公演前日の食事会での芸術談義がとても豊かなひと時でした。その時、80代になる加賀美幸子さんが「60代は青春よ」という事をおっしゃっていて、とても納得し、印象に残りました。

考えてみれば60代は身体もまだ丈夫だし、これまでやって来た経験を基に充実した活動も展開できる。自分に合うものと合わないものもはっきりしてくるし、自分と違う感性が世の中には沢山あるという事も知る。情報も経験もそこから導き出される知性も、そして肉体も一番充実しているのが60代かもしれません。私は琵琶で活動し出したのが30代半ばでして、1stアルバムのリリースも40歳になってからです。少々世の皆さまより遅めだったことを考えると、私の青春時代はもっと70代になっても続いているかもしれないなと秘かに思っている位です。それまで身体に気を付けないといけませんな。

私はとにかく曲を創る事が自分の音楽活動の基本中の基本で、その上に演奏する事が乗っているのですが、ここ5年位で作曲の部分では充実したものを感じていて、また様々にやらせて頂いた仕事を経て、やっと自分らしい活動になってきたように感じています。40代はやみくもにやっている感じで、力技的な部分が多々ありましたが、40代も過ぎる頃には、自分に何が出来て何が出来ないかが見えて来ましたし、似合うもの似合わないものも判ってきました。まあ何事も理解するのが人より10年も20年も遅いのですが、それが私という人間なんでしょう。何度も失敗を重ねないと辿り着けない不器用極まりない人生ですが、その分時間をかけて自分のやる事をしっかりと見極めて嚙みしめてやるのが今生での私に与えられた使命なのでしょうね。

琵琶での活動の最初に創った曲もしつこく今でもやっていますが、演奏技術や経験が伴ってきたことで、なかなか良い形になって来ているように思います。

一昨年静岡の藤枝市にある熊谷寺にて、「まろばし」を演奏したのですが、それはとても充実したものでした。「まろばし」は私が琵琶で活動を始めた一番最初に作曲した曲で、今でもレパートリーとして必ず演奏している曲です。それもこの演奏会では、初演した時と同じ大浦典子さんと組んでの演奏でした。彼女自身も長い時間を経て、大いに充実して来ていて、演奏していて何か曲が成長したなという実感がありました。またこうして長い時間を一緒に演奏して来れた事にも感謝を感じました。

時間をかけるというものは良いものです。さらに言えば時間がどんどんと先へと続くのもまた面白いものです。ストックホルム大学やロンドンシティー大学での演奏会に行ったのももう21年前、シルクロードの国々にコンサートツアーに行ったのも15年前。物理的時間としては長いですが、どうも私は世に流れる時間の概念の中には生きていないのかもしれません。まあこれらの経験を経て今があると思うと、ワクワクして生きて来れたなと思います。

琵琶樂人倶楽部開催200回記念回にて 尺八の藤田晄聖君と

人間は今現在を把握することがなかなか難しい。後から振り返ってやっと見えて来るのが一般的な感覚でしょう。だからこそ人生の先輩の意見は是非聴くべきですね。私は琵琶を始めてから色んな先輩に話を聞いて、60歳を一つの大きなポイントとしようとずっと思って来ました。作品群も演奏活動も60歳をめどに一つの完成を感じられるようにしたいと常々考えていましたが、まあまあ納得の行く作品も少し出来上がって来て、地味ながらも活動も少しづつ展開して来て、目標には届かずとも近づいてきたかも

と感じています。これからも自分のペースで青春時代を謳歌したいですね。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.