ギャラクシティードームでの演奏会をやってきました。
前にも書きましたが、ここは25年前に開館した当時、私が映写技師として働いていた場所です。このドームは東京で初めてのIMAX常設シアター(プラネタリュウム併設)で、私はIMAXの研修を受けて、毎日フィルムを巻いて映していました。まだデジタルに移る前で、フィルムや音声テープ(何とオープンリールデッキ)をカットして、予告編を付けたりする手作業の編集をやっていた、完全アナログの時代です。
IMAXの映写機でかけられる作品は、当時はドキュメンタリー作品ばかりで、今のようなエンタテイメント作品はまだ当時はほとんどありませんでした(ストーンズのライブがあるくらいでした)。しかし何といっても当時最先端の技術でしたから、スペースシャトルから撮った映像や、深海の映像など、他では見ることが出来ないものばかりで、大迫力の画面とSONIX社の音響設備から出る音に本当にびっくりしました。最初に見た時の感動は未だ忘れていません。
30代の頃 日暮里にあった邦楽ライブハウス和音にて 若い!
ただ公共施設のせいか宣伝をあまりしていませんでしたので、いつもお客さんは少なく、入場者0で上映中止の事も多々ありました。私はそんな時、ドームの真ん中に陣取って、ずっと琵琶の練習をしていました。そのお陰(?)で、たっぷりと練習することが出来たのです。ある意味そういう職場に導かれたのも一つの縁。5年程給料をもらいながら練習をしていたようなものです。
30代の半ばも過ぎになって、音楽一本でやって行こうと決心したのですが、館を辞める時には、IMAXや音響のSONIXから「こっちで働かんか」とも言われました。しかし私は音楽の道を選びました。正に人生の分かれ道でしたね。琵琶奏者と言っても、現実に琵琶で食べている人など、宝塚出身の上原まりさんくらいで他には誰もいませんでしたので、前例もなければ道も無い状態でした。山彦が海の中にある釣り針を探しに飛び込むようなものでしたね。「もう30歳もとうに過ぎたお前が音楽で食ってけるのか?」「現実を見ろ」などと、さんざん色んな人に言われ、また自分でも思い悩みました。何の宛がある訳でもなかったのですが、劇場に在職中から、ライブをやったり、長唄笛方の寶山左衛門先生の舞台のお手伝いなどしていまして、退職する頃には寶先生の舞台(紀尾井ホール)にも出演の機会があり、すぐ後の大分能楽堂では、寶先生と共演もさせていただきましたので、今から思えば幸運なスタートでしたね。ありがたいことに映写技師を辞めてすぐに色々と仕事の声がかかり、ジャズ系のレーベルから1stCD「Orientaleyes」をリリースするという機会にも恵まれ、琵琶奏者として飛び出していったのです。当時は勢いこそが己の寄るべきものだったのでしょうね。
私の人生などドラマにもなりませんが、考え悩み、時に少しばかりの恋もあり、ただ勢いだけで生きていた、そんな人並より遅い遅い青春時代だったのです。今回いつも練習していたドームの真ん中の場所で琵琶を弾かせてもらって、しみじみ「あれから25年か」という気持ちが湧き上がってきました。
私はここを飛び立ってから、やっと遅まきながら自分の人生を自分の脚で歩みだすことが出来たと思っています。
今回は当時一緒に働いていた仲間も来てくれて話をしましたが、なんだかニューシネマパラダイスのトトのような気分でした。
何事においても、人より時間がかかり、失敗を繰り返さないと前に進めない。亀の歩みの様にのろい私ですが、そんな私にとってこのドームは原点であり、私の「Cinema Paradiso」なのです。
このドームではこれからも公演のお話を頂いています。乞うご期待。
ドーム公演の二日後にやった日本橋富沢町楽琵会 筑前琵琶の鶴山旭翔さんと 20年経つとこうなります
たまにこうした原点に立ち返るのも良いですね。あの頃の自分を想い出すことで、今後の自分の活動にも大きな励みになります。懐かしい仲間にも会えましたし、これまでの自分を振り返る良いきっかけにもなりました。音楽家の道に進んで良かったな。有難うギャラクシティードーム。
このところ安田登先生に連れられて、ビジネスセミナーで演奏する機会が続いています。
色々な話を聞いていると、別角度からの視点で自分を見ることが出来ますね。「自分はこうでありたい」という想いは良いと思うのですが、その深化を求めるあまり、新たな探求をしなくなるという事はビジネスでも芸術でも同じですね。言い方を変えると、何かを創り出すには、一見余計なものにも関心を持って体験し、時に失敗をし、今までに無いものとの出会いと刺激、そして組み合わせを求め続ける姿勢が大切という事がよく判ります。かのスティーブン・ジョブズも何度も失敗を繰り返したそうです。
昨年旅行で寄った琵琶湖の朝
また、いつも書いていることではありますが、無駄ともいえるぼーっとした時間も大事です。安田先生から教えてもらった言葉に、論語の「而」の字に当たる意味として「魔術的時間を呼び出すための無為の重要性」というものがありますが、正にこれです!。やっとお墨付きを頂きました。ぼーっとするのも仕事の内。芸術もビジネスも人間の営みですから、共通する部分は多いですね。
探究と言えるかどうか判りませんが、私はジャンル別なく多方面の物事、出来事にも関心があるので、自分の周りには様々なジャンルの人が居て、色々な話を聞きます。当然多くの刺激を受けるので、それゆえ多方面に対し小さな願望、秘かな想いが常に沢山湧き出てきます。中には次第に忘れてしまうものも多いのですが、秘かな想いを持っていると、いつも何かワクワクしていられます。例えば、「あの人に会いたい」「あそこに行ってみたい」「あれやってみたい」「あれ欲しいな」などという小さな秘かな想いが常に自分を取り巻いて、ワクワクしているのです。ただ激しく熱望しません。熱望するとその想いに振り回されてしまいますので、なんとなく忘れしまう程度に思っているだけなのです。この大上段に構えない、小さな秘かな想いは、ニューロンの様に自分を取り巻くあらゆるものや社会、環境とつながって行くのです。そしてそのつながりの中で自分が熟成し、生かされていると感じています。知らないうちに自分が、何かしら自分の望む方向に行動をしているという事だと思いますが、ニューロンによって繋がった環境が熟してくると、自然と自分の想う方向に物事が流れ、ふと気が付くと実現しているという事がとても多いのです。
ドミニクチェンさんが開発した「NukaBot」
先日のセミナーでは豪華な懇親会(知的コンバットと言っていました)があり、ドミニク・チェンさんとご一緒でしたので、「ぬか床」の話を色々聞かせてもらったのですが、私はとにかく筋金入りの「御新香ッ食い」ですので(食べ物屋のレベルは御新香で判ると思っているようなやつです)、興味深くお話しさせていただきました。自分はぬか床の中の野菜が微生物で生かされているように、自分を取り巻くあらゆる環境、時代、社会や人間関係という中で自分は生き、生かされていると感じてなりませんね。自分がジャズを通りこしてきたことも、今琵琶を生業として生きていることも、ネット配信の技術によって、世界で私の曲が流れるようになった(細々ですが)ことも、時代や環境、人間関係の中でもたらされてきたことです。人との出会いによって、多くの仕事が実現し、シルクロード迄行くことが出来たのも、別にロビー活動を展開したという訳ではなく、自分が「何となく」思っていたことが、ニューロンのつながりで環境と人と時代が整って熟したからこそ実現したという事だと思っています。ナスやキュウリがちょうど良い漬かり具合になったという事と同じですね。
自分の中の小さな秘かな想いを沢山持っていると、ニューロンが増え、色んな所に展開して行きます。今も秘かな想いは色々と持っています。「話をしてみたい」と感じている方も何人か居ますし、中には何かパートナーシップを持てたらいいなと思う方もいます。欲しいものもありますし、やりたいことも色々とあります。このワクワク感が世界を広く大きくし、日々を楽しくし、発酵して素敵な作品となって具現化して行くのです。
さて、今週は二つの大事な演奏会があります。先ずは西新井のギャラクシティープラネタリュウムでの演奏会。このプラネタリュウムは25年前に都内初のIMAXシアターとして、プラネタリュウムと併設で誕生しました。私はこのギャラクシティーが出来た当時、ここで映写技師として働いていたのです。暇な時にはドーム内で琵琶の練習をさんざんやらせてもらい、5年ほどみっちりと修業(?)して琵琶演奏家の道へと旅立って行った場所なのです。だから今回はいわば20年ぶりの凱旋公演という訳です。
予約が必要なようですので、是非アクセスしてみてください。お待ちしております。
そして木曜日には今年最初の日本橋富沢町楽琵会。今回は現在の筑前琵琶のトップを走る鶴山旭翔さんを迎えての開催。平家対決となりっております。
色んなことが次々とはじまり、面白いことがあちらこちらで寄ってくる。生きているな~と感じますね。秘かな想いはこれからもずっと、秘かに沢山持って生きて行こうと思ってます。
今年は年明けから、実に様々な方々と共演しています。
左:ストライプハウスにて坂元美蘭さん、藤田晄聖さんと
中:音や金時にて、日野道夫・伊藤アツシ・藤田晄聖各氏と
右:大府こもれびホールにて、玉川奈々福さんと
年明けは、トランスジェンダーパフォーマーの坂本美蘭さんとストライプハウスで共演。今まで何度も一緒にやってきましたが、今回が最高の出来でした。琵琶樂人倶楽部と衎芸館では筝の内藤眞代さん、笛の長谷川美鈴さんと久しぶりに「春の宴」を演奏。ブログ記事にも書いた愛知の大府では、小泉八雲のメモリアルイベントにて八雲の曾孫でもある、小泉凡先生、アンソロジストの東雅夫先生の講演と共に、能楽師の安田登、浪曲師の玉川奈々福、人形師の百鬼ゆめひな各氏と共演。
舞踊「輪五の会」では、日舞の花柳面先生はじめ、中国舞踊、韓国舞踊、モダンダンス、フラメンコの方々が拙作「Sirocco」で踊るという何とも面白い企画があり、先日はフラメンコギターの日野道夫先生、アラブPerの伊藤アツ志さん、尺八の藤田晄聖君、そしてパフォーマーのナガッチョさんと共演。今月もヴァイオリンの濱田協子さんと共演します。聴く方も吉岡龍見さんの尺八古典本曲や三曲合奏をじっくり堪能し、他にはジャズのライブなどを聴きに行きました。
節操が無いとも言えますが、実に私らしい展開だと思います。いずれも興行的にさして売れるものでもないですが、大府の公演や舞踊の会ではホールが満席になるなど、お客様もそれなりに来てくれて、本当にありがたい限りです。こうして世の流れの中で日々色んな舞台に接していると、音楽や舞踊の在り方も変わるべき時代に来ているのだなと、そんな思いが募りますね。民族色の強いものは、どうしても歴史、民族、アイデンティティーなどいろんなことが頭に浮かんでしまいますが、こうして色々なものが集い合うというのは平和な証拠でもあります。また私がギタリストだったら、なかなかこれだけの多岐に渡るジャンルとは交流が出来なかったようにも思います。どんなジャンルにも適応するギターよりも、日本のものしか出来なさそうな琵琶だからこそ、そこに今迄に無い新たな可能性を見てくれる。ありがたいことです。こちらに広い心さえあれば、色んな方面から声がかかるのです。
音や金時にて パフォーマー ナガッチョさんと
現代はネットで世界のものが見聞き出来、何処にでも行ける時代ですが、果たして多様なものが共存し得ている世の中でしょうか。私にはそうは思えないのです。確かにいろんな国のものは見聞き出来ますが、何事においても刹那的な面白さが優先し、面白おかしいものだけが溢れかえっているのが現状ではないかと思います。日々ディアに誘導され、実際に目にしている範囲はとても小さいのではないでしょうか。華やかなものだけを観させられ、生き生きとした人々の営みは、ネットや海外旅行では見えない所にあるように私は思います。
基本的に人間の心はなかなか多様なものを受け入れません。身を守るという本能がある限り、排他主義に傾いている方が楽なのでしょう。今回のコロナウイルス騒動でも、ヨーロッパのレイシズム的な部分が浮かび上がりましたし、9.11も同様だと思います。便利なものや楽しいものは受け入れますが、それ以外はなかなか交流はままならないというのが現実ではないでしょうか。
しかしここを乗り越えて行くのが芸術家だと私は思っています。芸術家は常に時代の最先端のセンスを世に示し、次世代へと誘う存在です。囚われた観念や、因習を開放し、次の世界を見せるのが芸術家です。歴史を創るのは武将でも政治家でもなく、芸術家と言っても良いのではないでしょうか。芸術家がどのように動いて行くかで世界は変わると私は思っています。今のままで世界が動いて行ったら、人間も地球も疲弊してしまう。新しい概念や哲学が必要な時期に来ているように思います。
2年前の日本橋富沢町楽琵会 鶴山旭翔さんと
さて今月20日は筑前琵琶の鶴山旭翔さんを迎え、日本橋富沢町楽琵会をやります。琵琶の聴き比べなど、現代のエンタテイメントとは程遠いと思う方も多いでしょう。しかし琵琶樂は日本音楽の根幹をなすものだと私は信じています。琵琶樂の多様で豊かな魅力を、どうこの世に響かせて行くか、そこが私の使命であり、腕の見せ所。琵琶樂という命を次世代に繋げるためにも、どんどんと色々な形でやっていきたいと思っています。ご興味のある方は是非お越しくださいませ。詳しくはHPのスケジュールをご覧ください。
豊かさとは何か、今こそ考えて行きたいですね。
やっと冬らしくなってきましたね。今年は年明けから演奏会が続いているのですが、元号が変わって気分も少し新たになったせいか、また一つ時代が超えて行った様に感じています。時代の変化は、ゆっくりじわじわと自分にも影響し、気が付くと、以前とは違うレイヤーに居る自分に気づいたりします。去年から多くの方と出会い、また再開する機会が増えてきましたが、やはり変化は人との関わりの中で動き出しますね。
いつもの相方 大浦典子さんと京都清流亭にて
私は演奏一本でやっている方と違って、常に頭の中にいくつかの曲が鳴っていて、24時間作曲状態にあるのですが、それはものを創り出すというより、自分の中にあったものを、少し整えて表に出してあげる、という感じが強いです。私は子供の頃からのシルクロード好きですので、樂琵琶の一連の作品は、小さな頃にレコードなどで、かの地のメロディーを聴いたりしていた、その記憶がもとになっているのでしょう。
またよく「どうやってこんな拍子やテンポが変わる曲を思いついたのですか」と聞かれるのですが、作曲した時のことは、実はほとんど覚えていないのです。思いつくままに創っていたらこうなったとしか言いようがないのです。苦心して創ったという感じからは程遠く、どこかに記憶の断片があり、それが甦って、再構築されて、自然と曲になったという感じでしょうか。時々、本当に自分が作曲したんだろうか?、どうやって創ったのかな?なんて自分で思う事もあります。創ったというより、創らされたという感覚が強いですね。もしかすると前世の記憶???。
そして曲は一度出来上がるともう私の手を離れて、一つの生命と同じく、色んな人の演奏で成長して行きますので、創られた時とはどんどん表情が変わって行くのです。
蘭華寺
以前、故H氏にスリランカのお寺に連れて行ってもらった時、太陽の光を感じるような極彩色に輝く拝殿を前にして、上座部仏教の話やヴィパッサナーという瞑想のレクチャーにとても感激しました。私は自己流の瞑想をよくしていた頃でしたので、とても興味深くお話を聞かせてもらい、スリランカのカレーもご馳走になって、とても楽しく嬉しい時間と御縁を頂いたことがあります。
その時、日本の仏教寺院では体験できない、何とも言えない懐かしさを感じました。私はどちらかというと寒い国に惹かれることが多く、スリランカ等の南国系のものは、音楽でもなんでもあまり縁がないのですが、何故か気持ちがストンと落ち着くのを感じました。H氏が一緒だったという事もあるかもしれませんが、やっぱり前世で御縁でもあったのでしょうか。
昨年12月の日本橋富沢町楽琵会にて、津村禮次郎先生、Viの田澤明子先生と
人間の記憶は蓄積されて行くもので、普段忘れている事でも潜在意識に記録されていて、ふとした時にその記憶が甦る、という事を聞いたことがありますが、私にはそれに結構頷けます。上手く説明できないのですが、私はよくある種の風や、匂い、空気等、独特の「もの」を感じることがあるのですが、その独特の感じが、過去の事を連想させたり、時間を超え、別のレイヤーへ突然連れていかれたような感覚になることがあります。
10年前 京都御苑内の白雲神社にて
これは舞台上に於いては多々感じることです。特に津村先生と一緒の舞台では度々、その独特の風を感じます。何とも表現しずらいのですが、異次元の扉とでも言いましょうか・・・。また場所も大いに関係しますね。私は特に神社やお寺が大好きという方ではないですが、歴史のある所にはやはり何かがあるのでしょうか。上の写真の時は、ロシアの音楽家と一緒だったのですが、ある種の風を感じました。
音楽家は音楽を通して、過去や過去世とコミュニケーションを取っているのかもしれないですね。それがリスナーとの共感を生むのでしょう。だからこそ、形をなぞっただけの演奏や余計な衣をまとった意識では、そういった繋がりが作れず、結局音楽そのものも魅力が無くなってしまうのでしょう。
私は相変わらず、荒唐無稽な夢を毎日見ます。登場人物も本当に様々で、身近な人から逢ったこともない人まで色々です。何かの記憶が私に夢を見せて、何か大事な事を教えてくれたり、導いているのでしょうか。私には特殊能力が無いので、一向に判りませんが、毎日夢を楽しんでいるは面白いです。日々の中でも、新たに出逢う人、久しぶりに逢う人、時を経てまた付き合いが再開する人とは、過去に記憶の共有が何かしらあるのかもしれませんね。
豊かな日々を送りたいですね。
先日、六本木ストライプハウスにて、坂本美蘭さんの主催する「七面変化の異装スロット~琵琶裏十一面都市光陀邇」をやってきました。
左:キッドアイラックアートホール Dance:牧瀬茜 Sax:SOON KIM、映像:ヒグマ春夫とのパフォーマンス
中:人形町 Visions 謡:安田登 語:榊原有美(有美さんの写っている写真が無く残念)
右:キッドアイラックアートホール Per:灰野敬二 尺八:田中黎山
これらは皆とんでもない瞬間を経験したライブの写真です。毎年やっている日本橋富沢町楽琵会でも、能の津村禮次郎先生との演奏会では、曲はあるものの、ほとんど即興でやっています。特に舞台「良寛」でのラストシーンは忘れられません。私が春を寿ぐイメージで静かな曲「春陽」を弾くと、津村先生が静かに即興的に舞い出すのですが、会場全体が早朝の湖面の様に静まり返り、現実を超えた世界が現れ、会場全体がその世界に包まれるのです。空気が変わるとでも言えばよいでしょうか。とにかくその精緻なまでの姿と静寂は未だ忘れられませんね。
インプロは何も制約が無いだけに、自由にできるのですが、そこで重要なものがアンサンブルなのです。
先ずは共演者とのアンサンブル。これは大事なことですし、当然の如く相性もあります。次に場との調和。響きも空間の広さ、天井の高さ、壁や床の材質、場に満ちる光等々。そして現代の社会、時代。そんなことも大きく関係してきます。こういう関わりの中にあるからこそ芸術は芸術たるのであって、この調和こそは芸術の最重要なポイントだと私は思っています。
いつも即興によるコラボをしている安田登先生と。先日の大府こもれびホールにて
こんな風に考えてみると、Improvisationは特殊な形式ではありませんね。邦楽でもクラシックでも、結局は皆その時々で、色んなものと調和しながら演奏しているのです。楽譜があるかないかだけの違いであって、調和が出来ていない演奏は、即興だろうがクラシックの名曲だろうが、音楽として響いてないのです。音楽家は常に音楽を紡ぎだすのが仕事であって、譜面をお上手になぞる事でも、好き放題勝手にインプロすることでもありません。アンサンブル(調和)能力こそ、音楽家のレベルといっても良いかと思います。是非演奏家ならImprovisationも、表現の一つの形として挑戦してみて欲しいものですが、まあ向き不向きもありますので・・・。
勉強のやり方はそれぞれだと思いますが、演奏家として世の中で活動をするのであれば、色んな音楽・芸術への視点や知識、経験などが備わっていて、且つどんな場面でも調和が出来てこそ芸術家です。自分の勉強した形でしか出来ないというのでは、舞台で演奏は出来ません。
さて、今度の日曜日は、笛の長谷川美鈴さんとの恒例のサロンコンサートです。長谷川さんとも、これまで何度もご一緒してきて、良い調和がとれるようになってきました。即興によるライブとはまた違った、しっとりとした静かな会ですが、笛・琵琶をゆっくりたっぷりと味わいたい方には是非お勧めです。
1月26日(日)午後2時開演です。是非お越しください。
調和を感じられる音楽を響かせたいですね。