静かな朝

相変わらずの毎日ですが、ずっと家に籠っていると時間だけはたっぷりあるので、色んなことを余裕を持ってできますね。本を読んだり映画を観たりしながら、ふと思いついて譜面を書きだしたり、ブログを書きながら、急に発想が浮かんで突然に琵琶を弾き出したりという具合に、全く時間を気にせず、やりたい事をやりたい時にやりたいようにやって自由に毎日を過ごしています。
カリブ海の朝 飛鳥船上より

今後ものごとが急激に変わってゆくの事は避けられないと思います。色々と考えなくてはならなくなるでしょうね。今後を生きるために、以前の経験の蓄積から次の在り方を導くことも必要ですが、大きな変化の時に在っては、過去の延長線上に身を置いていてはどうにもならないことも多いと思います。全く新しい発想や技術が必要になって行くという部分も大いにあるでしょう。特に私の様にもう長いこと生きて、色々な経験も積んで、ある程度の視野も感性も出来上がってしまっているような人間の方は、かえって豊富な経験があるだけに、そこが障害になるかもしれません。じゃあどうすればよいのか。何か転機を迎えた時に、いつも思うのですが、先ずは徹底的に自分自身になり切ってみる、という事です。己とは何か、何をしたいのか、それをどうやって実現したいのか、出来るだけ余計なものを取り払い、過去に寄りかからず、自分を見つめることをしてきました。

キッドアイラックアートホールにて ダンス:牧瀬茜さん ASax:SOON Kimさんと
自分自身を見つめて行くことで、何が大事で、どこを向いてゆけば良いか見えてくるように思います。何故見えてくるのかと言えば、どんな事態に遭遇しても、自分以上にも以下にも成れないからです。何処までも自分自身であり続けることの大事さは、どんな時代にあっても変わりがないはずです。過去の成功例に囚われて、そこから今の、または今後の自分の姿を見ていると、新たな発想が阻害され、自分の人生は全う出来ません。たとえ変化の中にあっても、時代を見据えながら自分は自分の生き方をする。それが一番自分に合っているだろうし、幸せなのだと思いますが、如何でしょうか。それに本当にいきいきと楽しく過ごすには、常に自分が心底やりたいことをやっている時ではありませんか。

次の時代を創り、リードして行くのは勉強したエリートではなく、新しい発想を持った革新側の人間でしょう。人間の歴史がそれを証明しています。自分がそんな人間だったらどんどん突き進めばよいし、そうでなければ、新たな時代に自分の行くべき道を進んで行けるように、自分本来の姿を再確認することがとても大事なように思います。

六本木ストライプハウスにて パフォーマーの坂本美蘭さん 尺八の藤田晄聖君と photo 新藤義久

人間は勉強をして経験も知恵も技も身に付けて成長して行く訳ですが、私は持って生まれた根本的な感性は、早々変わらないと思っています。勉強し知識を付けて行くこと、そして経験を重ねて行くことは確かに役に立つし、生きて行く上で必要なことなのは言うまでもありません。教育こそはこれからの時代のとても重要な要素だと思っています。
けれどもこと芸術に関して言えば、アカデミックな勉強をして知識や技術を身に付けて、さあやろうと思っても出来るものでないことは、芸術に人生をかけている人なら誰もが判っていることです。知識や技術がかえって視野を狭めてしまうという事は大いにあり得ます。芸術は常にそんな出来合いのアカデミズムの中からは生まれないし、創造する心はアカデミズム以外の所からやってくるものです。既存の勉強の延長上に作られるものは習作以上にはならない。つまりアカデミズムに寄りかかっている人にはミューズは永遠に微笑んでくれはしないのです。教育が今までと違う視野と発想を育てる方向を向いているのならまだしも、そういう教育はなかなか実現するのは難しいですね。最近のジャズも学校で勉強する音楽になってしまいました。邦楽は言うまでもないですね。

少し前にも書きましたが、ここ最近は70年前後のマイルス・デイビスの作品をよく聴いていたのですが、同時に同じ頃のブリティッシュロックもよく聴いています。私はレッド・ツェッペリンが一番の好みなのですが、改めて聴いてみても、全く色褪せないどころか、その曲の素晴らしさ、彼らの才能が煌めいていた姿に魅了されるばかりです。
彼らが輝いて活躍した全盛期は10年にも満たないですが、彼らが音大で和声や対位法などを勉強していたら、あれだけのすぐれた曲は創り出せなかったと思います。その発想、全く新しいセンスは他の追随を今でも許さないですね。彼らの活躍は短い間でしたが、それが彼らの煌めいていた奇跡の時間であって、その奇跡を知識や技術で伸ばすことは出来ないのです。そしてその10年余りの時間で燃え尽きて行ったのも、また彼らの持っていた運命であり、器だったのでしょう。
60年代後半から70年はじめの時期は、アメリカではベトナム戦争が終わり、ヨーロッパも日本も新たな哲学が必要とされ、ジャズもロックも、人間の生き方ももう変化するしかない所に追い込まれていた頃です。そんな時期にイギリスで花開いた才能が、レッド・ツェッペリンやキングクリムゾンやクィーンだったのです。

キッドアイラックアートホールにて三倍音トリオ Per:灰野敬二 尺八:田中黎山 各氏と

芸術は音楽でも美術でも文学でも、常に時代をリードし導くものでした。しかし世界大戦の時代を経て、世の政治や経済の在り方が変わって、ショウビジネスがアートと背中合わせになり、音楽もその在り方が変わっていった時代に、アカデミズムはもう世の中で力を失って、世界をリードするような音楽を生み出すことは出来なくなり、アカデミズムの中に閉じ籠ってしまった。それまで見下していたジャズやロックやポップスが時代を変えるほどに大きな力を持って行ったのです。

ジョニー・ロットン
すぐ後の70年代半ばには、イギリスに大不況が起こりパンクロックが生まれ、そのセンスや精神があらゆる分野に浸透して行きました。パンクはすぐ前の先輩であるツェッペリンなどのセンスすらぶち壊し、あらゆる価値観を徹底的にぶち壊し、そのムーブメントは音楽だけでなく、ファッションや文学、哲学で大きなエネルギーとなって、次の時代をリードし席巻して行きました。この動きを現代のダダイズムと考えた人も多かったですね。

このアフターコロナの時代を創りリードして行くのは、きっと今までの延長ではない、新たな視点と感性と技術を持ったアーティストだろうと私は思っています。そんな新たな時代の中で、自分なりに過去の価値観を乗り越えて、今後の自分の行くべき道を見つけられるか、そこがこれからの自分のキーポイントだと思っています。

日本橋富沢町楽琵会にて Vi:田澤明子さん 能楽師 津村禮次郎先生と

現代社会は、騒音の塊の中に居るようなもの。家に居ても、外に出ても静寂はありえません。これは人類史上異常なことであり、この混沌とした社会こそが正にウイルスとも、私は感じています。コロナよりも新宿や渋谷などの都会の騒音の方がはるかに頭と心と肉体を狂わせる。東京に出てきた若かりし頃は何もかもが新鮮で、ナイトクラブのジャズバンドでギターを弾いていた私は、そんな都会ならではの夜の喧騒も楽しく思えたのですが、今は騒音にか思えません。皆さんは如何ですか?。

音楽活動をして行くには都会に住んでいないと、ライブ活動などは実質出来ないのですが、私が自分らしく生きるには静寂と豊かな自然環境が必要です。今迄は琵琶を担いで、全国に、そして世界に旅から旅への生活をさせてもらいました。素晴らしい風景をいつも見て感じて、それが私の音楽活動のエネルギーであり、本当に良い音楽活動をさせてもらったと思っています。しかし今後はどうなるか判りません。そう考えると、自分の生きる拠点も、そろそろ自然の中に移し、新たな形の自分の活動をし始めるのもありかもしれません。元々若い頃から隠遁主義に憧れる性質ですのでね・・・。

このところ静かな一日が、穏やかに過ぎて行く感じがしています。しばらくはよく考えながら、ゆっくりと生きたいと思います。

夢のお告げ2020

相変わらずの籠城生活。いつまで続くのか判りませんが、本当にこれでウイルスの蔓延は無くなるのでしょうか・・?。出口が見えませんね。

周りの知り合いで、youtube 配信を始める人が増えてきました。リアルな舞台からヴァーチャルな映像の世界に変わって行くと、どんな音楽や感性が待っているのでしょうか。これはこれで今後の新たな展開が楽しみです。教育現場でも会社でも同様だと思いますが、今迄とは違う、新たな感性が育ち、哲学が生まれてくると思いますが、とにかく今が分岐点であることは間違いないですね。
現在直面しているこの事態は、自分自身も含め、世のあらゆるものが、今迄の価値観や感性から次の段階へと変化することを試され、促されている、そういう事態なのだと思っています。世の中と共に変われないものは、生き残ることが出来ないのは世の習いです。これまでは緩やかに変わってゆけば良かったものが、今は急激な変化を求められている、と感じます。
もうこんな舞台も出来なくなるかもしれませんね。
最近はまた良く夢を見ます。私は昔からほぼ毎日映画を観るように夢を見るのですが、このところ面白いのは、そのストーリーの中に、突然思ってもいない人物が登場することです。突然名前を呼ばれて、振り返ると知人だったり、また全然関係ない見たこともない人が急に現れて、話しかけてきたりします。夢はそこで終わらずにまた続いて行くのですが、ストーリーの途中にこういう異質なものが出てくるのは今までになかったので、大変興味深いです。突然変わる今の世の中を象徴しているのでしょうか。そこを乗り越えて行けという意味なのか・・?。

日本橋富沢町楽琵会にて 能楽師 津村禮次郎先生と photo 新藤義久

今は、皆さん自主トレなんかに勤しんでいる事と思います。でもよく考えると、このアフターコロナの世界が、今迄と同じものを求めるでしょうか。従来の延長線上にこれからもあるという発想で、練習を重ねていると、何か大きな落とし穴があるようにも思います。
かつて音響機器が開発され、マイクが急激に普及した時、大きな音を出す事よりも、マイクを上手く使える人が、時代の先端を切って行きました。それまではありえなかった奏法が開発され、音響機器があることを前提とした新たな音楽が生まれ、そのセンスがあっという間にリスナーを虜にしました。マイルス・デイビスのミュートトランペットは正にその代表でした。

アフターコロナの時代は、どうでしょうか。もしかしたらLive で実力を発揮する時代ではなくなっているかもしれません。今迄のスキルとは違うスキルを求められるような気がしています。芸術は勿論の事、働き方も変われば、挨拶のやり方まで変わり、人々が良いと思うもの自体が変わる。形も感性も全てが急激に変わってゆく、その分岐点に今いるのだろうと思います。
大きな声を出し、上手にコブシを回す技が、今や陳腐にすら聞こえるように、表面上の技や形に固執していたら、次の時代に生きて行けません。むしろそういう表面的な部分や技は切り捨てて行く位の事をしなければ、次の時代を生きて行くことは出来ないかもしれません。いつも書いていますが。受け継ぐべきはその精神や核の部分であって、技や形ではありません。どんな分野でも古い技や価値観の中に留まってしまう人は淘汰されてゆくのです。私達は今、試されていると言ってよいかと思います。
日本橋富沢町楽琵会にて Viの田澤明子さん、笙のジョウシュウ・ジポーリン君と photo 新藤義久
夢の中に突然現れる人物は、私にそれを告げに来たのかもしれませんね。

止まぬ雨~演奏会情報色々

世の中は相変わらずの状況ですね。今後コロナウイルスもどうなって行くのか判りませんが、それよりも巷には色々な情報が飛び交い過ぎていて、日本の社会がちょっと心配です。出口の無い状況に追い込まれていると、コロナそのものよりも、人心の方が心配ですね。

善福寺緑地 名残の八重桜

3月以降、中止または延期が決定した主な演奏会についてお知らせいたします。
3月8日:神奈川貞昌院 田澤明子(Vi)さんと琵琶によるジョイント演奏会 中止
3月28日:フラメンコギターの日野道夫さんとのジョイントライブ。中止

4月11日:三番町ヒロサロンでの神谷和泉(Fl)さんとのジョイントコンサート。
     6月20日(土)に延期。
4月8日:琵琶樂人倶楽部 中止。
4月16日:日本橋富沢町楽琵会 中止。

5月17日:熊本阿弥陀寺 能楽師 安田登先生との演奏会。中止
     前後の西日本のツアーも中止
5月13日:琵琶樂人倶楽部 今の所限定7名様で開催予定 内容を変更
5月28日:総持寺での演奏会 中止。
9月12日:横浜能楽堂での大浦典子(笛)さん、津村禮次郎先生との会 中止
今の所主な演奏会の中止、延期は以上です。琵琶樂人倶楽部、日本橋富沢町楽琵会は、今後基本的に開催予定ですが、内容を変更する場合が出て来ます。6月以降も演奏会の中止及び延期が続くと思われます。随時HPにUPしていきますので、ご覧になってみてください。
昨年、広尾 東江寺にて 能楽師 安田登先生、 狂言師 奥津健太郎先生と 
又こんな会が開けるようになるといいですね。
コロナの状況は私には判断が出来ませんが、収束後もコンサートやライブなど、人の集まる事に対する嫌悪が続くような気がします。周りの音楽家たちも同様に感じているようで、今後は集客という事が厳しい状況になることは想像に難くありません。エンタテイメントやアートに対して、行き場の無い気持ちのはけ口としてバッシングなどが起こらないことを祈るばかりです。同じ視線、意見を持たない者は反社会的だとばかりに、多様性を認めない全体主義的な世の中になることだけは避けなければなりません。「〇〇でなければならない、それ以外はダメ」という思考に陥った人心程怖いものはありません。今の政府の対応では、格差という事も含め、本当に今後の日本社会が心配です。

キッドアイラックアートホールにて ダンス:牧瀬茜 ASAX:SOON Kim

このコロナパンデミックの後の世界は、きっと元と同じには戻らないでしょう。働き方や、社会システムは勿論の事、人々の感性や哲学が大きく変わる事は間違いないと思います。挨拶なんかも、アジア式の身体接触しない挨拶が世界的に浸透するかもしれません。
TVやネットの報道・情報はどうしても一部しか伝えてくれませんし、どう操作されているか判りません。実際アフリカやアラブ、インド、中央アジア、南米、東ヨーロッパなどの情報はほとんど入ってきません。西側ヨーロッパとアメリカの情報ばかりで、それもどこまで真実なのかも判りません。こんな報道では、世界が今どこに向かっているのか、とても判断がつきませんね。

今は本当に手も足も出ない状態ですが、アフターコロナの世の中をどう生きるか、試されているような気もします。せめて今は、心穏やかにして過ごしたいものです。

凍れる月

「4月は残酷な(きわまりない)月だ」これはT.S.エリオットの長編詩「荒地」の出だしの一節。第一次大戦後の不安を描いたものとして知られていますが、有名な言葉ですので、いろんなものに引用され、どこかで聞いたことがあるかと思います。またこれは4月を春の恵みの季節としているチョーサーの「カンタベリー物語」の出だしに対して書かれているそうです。この心地よい春の陽気とコロナウイルス。その真逆が混在する現実に身を置いていると、ついついエリオットのこの一節が口を継いて出てきてしまいます。

私はアイルランドの詩人W.B.イェイツが結構好きなので、イェイツの秘書でもあったエズラ・パウンドやパウンドと交流のあたエリオットなど、この周辺の作品は少しばかり読んでいました。このエリオットの「荒野」の編集にはパウンドも関わったとのことです。

世界を見れば、今や大戦やペスト同様の状況。しかし地元に居ると、皆マスクをしているくらいで、公園も商店街もいつもと全く変わっていないので、正直な所あまり実感はないのです。今後どうなって行くのでしょうね。
私はお陰様で今の所健康でいますが、さすがに演奏会はもぅ3月4月は全て中止、5月も少しづつ中止の連絡が来はじめ、多分全滅に近いと思います。西日本への長いツアーもあったのですが、これも無くなるでしょう。本当に残念です。9月に予定していた横浜能楽堂での津村禮次郎先生との共演も流れてしまいました。演奏会の無い音楽家程つまらないものはありませんな。
そんな訳で、夜は暇ついでについついお酒を頂く日も多くなりました。なんだか世の状況もしっかり把握出来ず、手も足も出ないとどうも気分もすっきりしないですね。一杯呑りながら部屋から夜空を眺めていますと、月も凍れているように見えてくるのです。この月明りの元、和歌が詠まれ、物語が始まった時代はまた来るのだろうか?。
今は無理に「〇〇をしなくては」と思わないようにしています。一杯呑るのもいいし、肩の凝らない映画を観たりしながら、自分の中に湧き上がるものを感じるまで、ゆっくりしています。毎日一応譜面なぞ机の上に置いて、思いついたフレーズなどを書き留めてはいますが、とにかくあるがまま身を任せています。こういう時期にゆっくり出来るかどうかが、創作に大きく関わってくるのです。安田登先生の言う、「魔術的時間を呼び出すための無為の重要性」つまり「而」という訳です。

善福寺緑地
音楽に関わって長い時間が過ぎましたが、どうしても音楽は音楽だけでは成り立たないという気持ちが、年を追うごとに益々強くなりまりますね。音楽が一人称のものでなく、リスナーや場所との関係、季節そして時代など、それぞれとの関係の中で成り立っていることを強く感じずにはいられません。自分を取り巻くあらゆるものの中で、私の音がどのように響き、調和しているかどうかにとても関心があります。その調和が最後には自分に還って来て、その時にはじめて「独奏」というスタイルが成立すると思っています。今は、あえて言えば世の中と調和する時でしょうか。
季楽堂にて photo MAYU

今、世界中に何が起こっているのか、正直な所、私には把握できていません。様々な情報を目にしますが、今後の人類の在り方に関して、何が良いのかはとても判断が下せません。しかし音楽活動に関しては、今後、これ迄のやり方ではもうやっていけないと思っています。
私は琵琶を手にした早い段階から流派や組織というものと距離を取ってやってきました。それはとても良かったと思っていますし、だからこそここまで活動を広げ展開出来たと思っています。しかし今後は同じ思考と視線では音楽家として生きて行けないだろうと思います。今迄もそう思っていましたが、それが急に目の前に突き付けられている感じがしますね。
今は、激動の渦の中に居る気分ですね。こんな時代に自分の今生が遭遇するとは・・・。でもまあ不謹慎ではあるかと思いますが、この世の中の変化が「面白くなってきた」とも感じるこの頃です。

深みというもの

穏やかな春の日差しが続きますね。そんな春の陽気を眺めながら、この向こう側に目に見えない脅威があるとは到底感じることはとても出来ません。このまま日に日に追い込まれて行くのかと思うと、なんとも切ないですね。

今年の地元善福寺公園の桜 なんだか今年は寂しげですね。
昨今の状況を見ていると、色んな意味で日本は、もう記憶の中に生きる段階に来ているのかもしれないと、そんな思いが自然としてきました。国家というカテゴリーに於いての「日本」という枠でなく、まあ言えばアジア圏位の感覚で、世界を舞台に活動してゆくような時代に入っているのかもしれません。私が面白いと思う方々は、すでにそういう活動を展開しています。
現代の日本システムでは、もう国家のトップたるリーダーが育たないだろうし、「日本」というものが何かを発信して行くことは、今後あるのだろうか・・・。そろそろこの身を現代日本から遠くに離して行くようになるかもしれません。元々俗世間を離れ、山の中に隠遁したい方ですからね。淀んだ枠の中に留まっていたら、精神が自由になれません。
尺八の晄聖君とヴィオロンにて photo 新藤義久
今は時間だけはたっぷりあるので、先日音楽仲間と、ゆっくり音楽談義をしました。その時に「深み」という事に話が行き着きました。
世の中に存在するものは全て、それまであったものを土台として、時代と共に新しく変わって行きます。工業製品であれば、只管スペックを上げて行くという道も一つの使命だと思いますが、芸術というものは、技術の精度が上がっても、逆に中身は落ちる例が多いと思います。
芸術や武道に於いて何かを受け継ぐには、ある種の否定を通り越さないと、受け継ぐものが見えてこないものです。何故そうなるかと言えば、否定無きままにやっていると、得てして全体を形のままにやることに終始し、何が受け継ぐべき核なのか判然としないまま、形になって満足してしまうからです。
形は整っているのに、だんだんとその核は見えなくなって、何だか判らないけれどありがたがって手を合わせている神社の様になってしまう事が多いですね。人間は常に生み出す力が漲って、どんどんと変化してゆくのが宿命というもの。留まっていたら、本人自身が一気に衰退してしまいます。

従来のものを否定した者は、新たなセンスで新たな形を創り上げてゆくしかないのですが、それをやればやる程、自分の中に残るどうしようもなく消すことのできない「もの」を自覚せざるを得ないし、最後にはそれこそが受け継ぐべき「核」であることを認識せずにはいられない。そこまで追い詰められて、初めて自覚出来るものとも言えます。だから歴史はアウトサイダーによって受け継がれ、次の時代が創られてゆくのです。
日本音楽の核を受け継いでいるのは邦楽人ではなく、実はロックミュージシャンかもしれませんね。

音楽仲間とは、このデヴィッド・シルビアンのソロになってからの3rdアルバム「Secrets Of The Beehive」を聴きながら話をしていたのですが、これを聴いていると、背景にそこはかとなく漂うブリティッシュミュージックの伝統を感じます。ツェッペリンなんかもそうですね。曲も形も手法も皆新しいセンスでまとめているのに、その根底に流れるものを感じるのです。そういう所に、ある種の厚みを感じます。
ロックは常に現状を破壊し、新たな時代の最先端を進むのが運命なので、焼き直しは最も似合わないし、リスナーが許してくれない音楽です。つまりお稽古事も物まねも一切通用しない音楽なのです。破壊と創造こそがその原動力であり、そのスピリット無くしては成り立たないだけに、リスナーは、どのジャンルよりも、その姿勢やセンスをかなり厳しく聴いているとも言えます。だからエネルギーに満ちているし、またただ大暴れしているだけのものも大変多い。
でもリスナーはそんな無駄なエネルギーも含め、破壊と創造を繰り返し、且つばく進しているそのスピリットに魅力を感じるのでしょう。そしてそこに何かしらの背景を見ると、それを「深み」と感じるのかもしれません。

広尾東江寺にて 笛の大浦典子さんと

邦楽をやっていると、「深み」とは、何か練りに練った熟練の技のように思いがちですが、その熟練の技の中に、その演者が継いできた「核」が見えた時に、大いなる深みと感動を覚えるのではないでしょうか。いわゆる上手なお見事さだけでは、まあ関心はしてくれても、リスナーを引き込むような感動は生まれませんね。狭い視野で「己の芸」ばかり見ている演者には、自分を支え育ててくれた風土や歴史・文化は見えません。歴史でも自然でも、それらと調和し、共生してこそ己が成り立つ訳なので、そこを感じずに自分と身の回りしか目を向けていなかったら、やはり底の浅いものにしかならないでしょう。むしろ己を離れ、手放し、自分の身をゆだねる位でなければ、背景にある「もの」や「核」は現れないのは当たり前のことかもしれません。

邦楽の衰退を見ていると、今、その視野を忘れているのかもしれない、そんな風にも思えてきます。デヴィッド・シルビアンのCDを聴きながらそんな想いが募りました。

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