過ぎゆく夏

猛暑も少し陰りが感じられるようになりました。風も涼しく感じる時が多くなりましたね。これで世の中が動き出して行くと良いのですが、気温が下がってくると、コロナの方も心配ですね。

一般の会社でも音楽家でも、もはや仕事のやり方や考え方が一変してしまって、もう元の様には戻す訳にはいかないという人も多いかと思います。無理に元通りにしようと思っても歪がが出てくるばかりではないでしょうか。ただ私はこの変化は割とポジティブに捉えていまして、従来の問題点が炙り出され、ある意味良かったと思っています。これからの芸術活動の展開にあたって、膿を出してくれたとも感じています。従来の何となく存在していた理不尽なパワハラにも近い習慣や形式、感性、そういうものが木っ端微塵になってくれたおかげで、次の時代が強制的に開かれたのかもしれません。ここから次の時代へと、どんどんと大きな変革がなされるべきだと思っています。そして正にこの変化に対応できるかどうか、今アーティストの器が試されますね。

さて、このところお知らせしていた戯曲公演「良寛」の舞台が、先日終わりました。

2013年からこの「良寛」に携わってきたのですが、上演の度に新たな脚本でやって来ました。今回は脚本がかなりシンプルな内容になって、上演時間も1時間ちょっとに収まりましたので、内容も伝わりやすく、私自身もやり易かったです。今回は私と津村先生以外のキャストが変わり、新たに中村明日香さんが加わり、舞台上は3人だけでの上演でした。このシンプルな構成がとても良い効果を生んだと思います。中村さんのみずみずしい感性が上品な華となって、内容もグッと充実しました。

小さなライブと違って、こうしたしっかりと構成された舞台では、アンサンブルが大変重要なキーワードになって来ます。メンバー・スタッフ全員が、ここを判っていないと、良い舞台として結実しません。今回は出演者が3人で、私もただ音楽家という立場だけでなく、役者と対等に舞台に立っているので、全体を見渡すセンスとスキルが必要です。
今、邦楽全体と見渡すと、このアンサンブルのセンスやスキルが足りてないように私は思います。特に琵琶は一人でやるのが基本ですので、無理もないのですが、プロの舞台人として活動して行くには、このセンスとスキルは必須です。是非次世代の琵琶人は勉強して行って欲しいですね。私にもすべきところは、まだまだ沢山ありますが、ジャズをやってたからこそ、アンサンブルという所に意識が行くのかなと思っています。今頃になってジャズを通り越して本当に良かったと思う事が多くなりました。

またの再演を楽しみにしています。
そして明日は、このところ何かと御一緒の、下掛宝生流ワキ方の安田登先生、Spacの女優 榊原有美さんという、良寛と同じメンバー構成による舞台が神戸凱風館にてあります。こちらは津村・中村トリオとは全く違う(逆方向ともいえる)個性とやり方ですので、これまた楽しみです。
凱風館HP:http://gaifukan.jp/

2014年の時の舞台写真

こういう時期だからこそという事もあると思いますが、例年とはまた違い、一つ一つの仕事から学ぶものはとても大きいですね。この所特に思うのですが、年を重ねる度に、だんだんと見えてくるものが増えました。それが経験から来るものなのか、単に年齢からくるものなのか判りませんが、確実に若い頃には見えなかったものが見えてきていますね。

周りの仲間も、今様々なやり方を模索し、行動に出ています。地方に移り住む人もあれば、海外に行く人も、帰ってくる人もいます。配信に活路を見出して力を入れている人も多いです。何しろこれまでと同じ感性とやり方では、もう舞台には立てないのが、はっきりしましたので、次を見据えている人は既に動き出していますね。
津村禮次郎先生 今回の舞台にて
人間はなかなか変われないものです。しかしそれに反して世の中というものは、今迄基本だと思っていたものも、気が付くと変わっていることなんてことは多々あります。しかもその変化のスピードはどんどん加速するように、時代が過ぎて行きます。
かつて薩摩琵琶はストレートな歌いっぷり弾きっぷりが大きな魅力でした。それが明治の中頃に、東京人 永田錦心により、都会的なセンスが持ち込まれ大きな変化をしました。そのスタイルは、当時の薩摩人から「軟弱」だなどとさんざん言われ、叩かれましたが、明治後半から大正時代に永田錦心の演奏がSPレコードによって世に紹介されると、瞬く間に人気となり、後に続く琵琶人達はこぞって、そのスタイルを真似、強調発展させ、裏声を使いコブシを回して、その美声を誇りました。すると今度は、琵琶歌は裏声を使い、産字を伸ばして 美声を競って歌うのがスタンダードだという人達が現れます。ほんの数十年でセンスも基本とするところも変わってしまうのです。今後マイクを使ってクルーナー唱法なんかで囁くように歌う人や、ラップの様に歌う人が出てきたら、コブシセンスの人は、また永田錦心を総叩きしたように、叩きまくるのでしょうか・・。
六本木ストライプハウスにて  photo 新藤義久
芸術に関しては、多様性や前衛たる気概などがないと、すぐに形骸化したお稽古事になってしまいます。ましてや急激な変化を求められている今、旧来の形を追いかけるような者は、容赦なく淘汰されるでしょう。薩摩琵琶でいえば、最先端であろうとする精神を持って、新しい琵琶樂を打ち立てた永田錦心に続く我々が、形を真似てコブシ回しているようなお稽古事に陥るのが一番危ない。

いつも書くように受けつぐべきは核心の部分であり「志」です。表面の手法や形の格好良さに惑わされいるようでは、何も受け継げません。形を受け継ごうとした瞬間に滅びへと突き進むのは、芸術でも武道でも政治でも、何事も同じ世の習いなのです。
今は正に器を問われているその時です。今までやってきたことが、次の段階で新たな形として成就して行くか、正に一つの勝負所。この妙なる琵琶の音が、次世代に響き渡るかどうかという瀬戸際に来ているのではないでしょうか。

夏が終わり、これからの世の中がどうなって行くか、私には判りませんが、どんな激動の時代の中でも、舞台に立ち、琵琶の音を響かせるのが私の仕事。これからも形を変え、、自分なりのペースで演奏して行きたいですね。

瑠璃色の夢

先ずはお知らせです。先月収録した「漱石と八雲」の舞台が18日より無料公開となっております。是非ご覧になってみてください。

2020あうるすぽっと

本編 
スペシャルトーク 

さて今日は青のお話です。私は昔から青い色に何故か惹かれてしまうのです。黒も赤も好きなのですが、やっぱり青い色が好きなんです。最近友人から瑠璃色という言葉を聞いて、この所また青が、今まで以上に何だか気になって来ました。何か過去に関係したものでもあるのでしょうか・・・?。

集合写真mモスク2m
2009年ウズベキスタン タシケントのモスク前にて ツアーメンバーと

上の写真はウズベキスタンのモスク前です。中央アジアをツアーで回った時、ウズベキスタンでも演奏会をやりました。是非ともサマルカンドまで足を延ばして、リアルなサマルカンドブルーを見たかったのですが、演奏会はタシケントでしたので、サマルカンドまで行っている時間が無く、せめて旧市街のモスクには行ってみようという事で、オフの日に行ってきました。青のドームがいい感じなんですよ。実際はもう少し鮮やかな色でしたね。

何故青に心惹かれるのかは判らないのですが、先日HPの整理をしていて、私がこれまで出してきたアルバムや教則DVDのジャケットを眺めていたら、知らない内に、確かに青系統の色を選んでいるなと思いました。
sarasouju_jacket_smallsarasoju2ジャケット表

ジャケット画像JPG194琵琶ジャケットトップ

チンギス・ハーン違うものでもどんどんと懐に入れてしまう多様性や寛容さがいいですね。だからこそ世界最大の帝国となって行ったのだと思います。そしてそれを実現したチンギス・ハーンは「蒼き狼」と言われていました。そんなこともあって、チンギス・ハーンに興味が出て来たのでしょう。空や海、広大な草原等は、私にとって「蒼・青」のイメージとなって、どんどん自分の中で大きく育って行ったのだと思います。

青・蒼は大きく、広いのです。雄大で、寛容であり、そこにはあらゆるものが育ち、あらゆる自由がある。ある意味、偏狭な感覚に閉じこもっている現代日本人の一番苦手な部分と言っても良いでしょう。
自分と違うものを受け入れ、共存して行くことが出来るかどうかは、これからの世の中のキーワードでもあると私は思っているのですが、自粛警察などが跋扈する日本は、柳生石舟斎の様に、もう新たな海を渡れぬ石の舟と化しているのかもしれません。

日本人は元々八百万の神々の国ですので、しっかり多様性があるはずだったのですが、どうしたのでしょうね。近代以降の日本政府が国民をそのように教育・洗脳してきたのかもしれません。現代日本人は、横並び一列でないと怖いのでしょう。自分と違う人は、何を考えているか判らないし、何をされるかも判らない。色んな民族や人種が共存している国と違って、今迄ほぼ日本人だけで生きて来た我々は、自分を守る為にも、とにかく皆同じ考えと行動をしてくれないと、不安で不安でたまらないのでしょう。しかし今や世界と繋がる時代に、その自立性の無さ、小さな視野、多様性に欠ける感覚では、とてもとても生きずらいと思うのですが・・・。
琵琶の世界などを見ても、どんどんと縮小して行くのは、正にその部分ですね。私も以前は色んな琵琶人と話をして、これからの琵琶樂について事あるごとに語り合っていましたが、自分が正当で、他を認めようとせず、世の中に目を向けようともしない感性の方に何を言ってももう無駄だと、いつしか区切りを付けました。

ラピスラズリ原石

ラピスラズリの原石

大きな世界で自由に羽ばたく象徴が、私にとっては青・蒼=瑠璃色なのかもしれません。身の回りの小物なんかも無意識に青いものを選んでしまう事が多いです。財布なんかも、黒の立派なものを買っても、しばらくすると、いつの間にか使い慣れた青のものに変えてしまいます。青は私のラッキーカラーという事なんでしょうか。年を追うごとに常識や習慣などの囚われが一枚一枚はがれて行き、大きな青の世界に近づいているような気がしています。
「こうでなくては」「こうであるべき」という想いでいる内は、何も成就しません。それは自分でも経験してきました。そんな感情は裏を返せば、そこに自分が寄りかかっているという事。そこには、自由と多様さを象徴する青の色彩は無いのです。

私も時には思考が煮詰まってしまう事もあります。ついつい形に目を奪われ、本質が見えなくなることもあります。そんな時は空を見上げ、青の世界を感じ、夜は瑠璃色の夢を見て、素敵な音を届ける事だけに邁進するように気持ちを新たにする事にしています。

いつの日か、私も瑠璃色に輝いて、空を海を自由自在に羽ばたき、小さな意識の世界を超えて行くように成りたいものです。そしてこの琵琶の音を世界に響かせたいのです。
さて今週はいよいよ戯曲「良寛」の公演です。十分な対策をしておりますので、是非お越しくださいませ。
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21日(金)昼の部:14時30分開演  夜の部:18時30分開演  です。
お待ちしています。

パラダイムシフト

人間を拒むようなとんでもない暑さが続きますね。私は何とか大丈夫ですが、コロナ以上にこの暑さには気を付けないといけません。いつから夏はこんな異常な暑さになってしまったのでしょう。私が子供の頃体験してきた夏は、こんなんじゃなかったと思うのですが・・・・。

気候も、社会もどんどんと変わって行き、自分自身も年を重ねて、この世に不変というものがあるのだろうか、という想いが年を追うごとに強くなりますが、正に世はパンタレイですな。特に今はもう変化というよりもパラダイムシフトともいえるような状態にあるのではないかと思います。

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六本木ストライプハウスにて photo 新藤義久
先日、知人から「お前の琵琶は完全にパラダイムシフトしてるね」と言われました。私にとっては何より嬉しい言葉なんですが、この時節にぴったりな言葉だなとも思いました。私は元々琵琶を手にした最初から、ずっと自分の思う形の独自路線をやってきたので、従来の○○流による弾き語りのスタイルが「薩摩琵琶」というものだと感じている人にとっては、私の演奏は最初からパラダイムシフトしていたようなものですね。同じ琵琶を弾いても全く違う音楽をやっている訳ですからね。最近はそれがかなり徹底してきたという事でしょうか

私からすれば、やりたいことをやりたいようにやる為にギターから琵琶に転向したので、従来の薩摩琵琶がどうかという事は、最初からほとんど眼中に無かったのです。薩摩琵琶は明治以降、特に対象~昭和の芸能で、能のような古い歴史のある古典でもないし、いかついた男性目線の歌詞で、時に軍国っぽい内容にも全く共感は出来なかったので、その音楽には何も興味が持てませんでした。明治という新しい時代とは言え、何故千年以上の豊かな歴史を持つ琵琶音楽の流れの中に、あのようなスタイルの音楽が、出来上がってしまったのでしょうか・・?。
長い琵琶樂の歴史でも、樂琵琶は雅な宮廷音楽でした。樂琵琶の秘曲「啄木」の様にその音色を聴いているだけでシルクロードにまで想いを馳せられるようなスケールの大きい音楽でした。平家琵琶も古典の物語を通して人間の存在そのものを想起させ、諸行無常を語るやはり大きなスケールを持つ音楽でした。盲僧琵琶はその名の通り宗教的な音楽でしたので、現世を超えた世界を琵琶と語りが表していました。

しかし近代に出来た薩摩・筑前は、感情を丸出しにして、個人の喜怒哀楽をぶつけるように、直近の出来事や戦争の事を歌います。どろどろとした感情を語り、琵琶の弾法自体も「叩く」という方が似合うような、単純なものになりました。それも当時の一つの新しい形だったのだと思いますが、スケールの大きな世界を表現していた琵琶樂が何故、目の前の現世の事を大声張り上げて語るようになってしまったのか?。まあそれだけ当時の世の中が軍国一色だったのでしょうね。私には残念でなりません。

2020フルセット④私はとにかく琵琶の楽器としての表現力の高さと音色が何より気に入っていました。この25年程、自分の創作として、やりたいことをやりながらも、琵琶樂の古典である樂琵琶=雅楽や平家琵琶等もそれなりに勉強してきました。やはりせっかく世界にも例のない長い歴史と素晴らしい内容の音楽が、そこにあるのですから、その過去の遺産を知らないというのは、どうしても薄っぺらくなってしまいます。琵琶樂の千数百年に渡る歴史の中で、薩摩琵琶はまだ世に知られるようになって、まだ100年程の歴史しかないのです。音楽的にはこれから次世代、次々世代が成熟洗練を施して行くだろう、と私が感じるのも無理はないと思いますが、如何でしょうか。琵琶樂の深い歴史と、これ迄奏でられて来た素晴らしい音楽を知らないというのは、私にとってはもやもやをずっと抱えている状態になってしまうのです。まあ評価はどうあれ、私自身は今の自分の作品群や活動には大変充実を感じています。
私は若い頃に、二つの流派で少しばかり習いましたが、残念ながらそれはあくまでお稽古として形を習っただけで、琵琶樂の分析や考察、研究、歴史等々、ある意味アカデミックな内容はお稽古の中には微塵もありませんでした。それは指導する先生が悪いというのではなく、私が求めるものが薩摩琵琶の流派というものの中に無かったという事です。歴史の浅い薩摩琵琶の流派にそれを求めるのは酷というものでしょう。

薩摩琵琶は楽器の名前とジャンルが一緒くたになっているので判りずらいですが、ギターでもクラシックからジャズやロックもあるように、同じ琵琶を使っても色々な音楽があって良いと思います。私は100年前に成立した近代の薩摩・筑前の琵琶とは全く違う、新たな琵琶樂を創っているのです。
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さて今度の日曜日16日は琵琶樂人倶楽部の夏の恒例、SPレコードコンサート。今回は珍盤をそろえております。乞うご期待。18時開演です。是非お越しくださいませ。

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良寛公演 先日の稽古風景とチラシ

そして21日の戯曲「良寛」の公演も迫っております。毎回、贅沢にも津村先生の主催する緑泉会の稽古場をリハーサルに使わせてもらってやっているのですが、稽古を重ね、だんだんと良い形が出来上がってきました。21日14時30分(昼の部)、18時30分(夜の部)の開催です。こちらも是非よろしくお願いします。

加えて月末には内田樹さんの主催する神戸凱風館にて、安田登先生、SPACの榊原有美さんと私の3人で、「吾輩は猫である~鼠の段」「耳なし芳一」「夢十夜~第三夜」の公演が決まりました。関西方面の方、是非是非よろしくお願いいたします。
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昨年の12月、日本橋富沢町楽琵会にて、津村禮次郎先生と photo 新藤義久
時代は容赦なく変化して行きます。今はそれがかなり急激になっています。新しい時代に新しい音楽を創造した永田錦心の様に、及ばずとも私も新たな琵琶樂を創って行きたい。過去をなぞって上手を競い合っても、新たな時代に新たな音楽は響かない。形も感性も時代と共に変わるのが当たり前。私が継承するものは、時代と共にありながら創造するという志であり、それこそが受け継ぐものだと思っています。

次の時代へ

夏の午睡の戯言にて2020

長い梅雨が明けて急に暑さが来ました。それもかなり蒸し暑く、体には結構厳しいですね。コロナウイルスも未だ落ち着きませんし、地元のお祭りも中止になって、どうにもすっきりとしない夏となってしまいました。

先月のあうるすぽっとの舞台写真が送られてきました。今回は「漱石と八雲」と題したシリーズの第二回目。今年は漱石の「夢十夜~第一夜」「吾輩は猫である~鼠の段」、八雲の「破られた約束」の3本です。


撮影:川面健吾 提供:あうるすぽっと

この舞台はYoutubeの「あうるすぽっとチャンネル」にて18日より無料配信がありますので、是非ご覧になってみてくださいませ。現在は昨年の舞台のダイジェスト版がご覧になれます。

また今月は座・高円寺にて、戯曲公演「良寛」があります。和久内明先生の脚本で、共演は津村禮次郎先生、中村明日香さんです。これまで何度も上演してきましたが、今回は脚本がかなりすっきりして、良い感じに仕上がっています。8月21日、昼夜の二公演です。

こんな時期にとても良い仕事をさせてもらって、感謝しかありませんね。舞台活動が今後どうなって行くかは判りませんが、こうして機会を頂けることを本当にありがたく思っています。この秋も機会さえあれば、質の高い仕事をやって行きたいと思っています。

そして前後しますが、16日は夏恒例の琵琶樂人倶楽部SPレコードコンサートです。
第一部が琵琶なんですが、今回は珍品ばかりを揃えました。マニアの方は必聴ですよ。乞う期待。第二部は古関裕而の曲を当時の色々な歌手の歌で聴いていただきます。昔の歌手は本当に皆さん上手いですね。何とも情感があって、聴いていて実に気持ち良いです。8月16日午後6時開演です。いつもより開演時間が早いので、お気を付け下さい。

昨年のSPレコードコンサート。後ろにあるのが日本に数台しかない蓄音機クレデンザ
今年のこの混迷はまだ当分続くようですが、個人的にこの混迷で見えてきたものも色々とあります。私がこの小さい頭で色々と思うに、人間はきっとこの現状を乗り越えて行くだろうという事と、日本社会は痛みを伴いながらも、次のステップに向かうだろうという事を感じています。まあ残念な事も多々ありますが・・・・。

前回の記事で、地の時代・風の時代という事を書きましたが、今でも地球上のどこかで常に紛争や戦争が起きていて、全く止むことがなく続いています。途上国では搾取と非道が未だまかり通っていて、先進国と非先進国のその格差は広がるばかり。先進国の飽食はその格差があるからこそ実現し、その格差が紛争を生み、またビジネスも生むのです。
一方、市井に暮らす我々は、TVを見ながら、おびただしい程に毎日毎日提供されるエンタテイメントに興じ、目の前の楽しさを追いかけ、物事を深く考えないように、思考を停止させられています。一杯のコーヒーの裏側にどれだけの理不尽な事実があるのか、考えようともしないように洗脳されていると言っても良いのではないでしょうか。

そしていよいよこの歪んだ世の中の限界と、積み重ねてきた罪が、目に見えないウイルスによって暴露されているような気がします。この「地の時代」は、今、最後の結末へと導かれ、とどめを刺されるところに来ているのかもしれません。人間は来たるべき時代に歩みを進める資格があるかどうか、審判にかけられているのではないでしょうか。
日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師の津村禮次郎先生、筑前琵琶奏者の平野多美恵さんと
次世代に地球をつなげて行くのは、政治でも経済でも軍事でもなく、芸術なのかもしれないと私は思っています。芸術が多様性を受け入れ、自由な精神を喚起させ、人間を因習から解き放し、本来の人間の素直な姿を謳歌するものなら、次世代への答えは芸術の中にあるでしょう。しかし音楽も今やショウビジネスによって、一つの売れる商品となって、更には現実におけるストレスのはけ口になってしまっているのではないでしょうか。それらショウビジネスの土台となっていた感性=資本主義=パワー主義ではもう世界は回らないように思います。少し極端かもしれませんが、資本主義やショウビジネスというのは、人類にとってコロナ以上の強烈なウイルスではなかったのか。今ではそんな風にも思えて来ます。
情報が瞬時に駆け巡る時代に在っては、以前はカモフラージュされていた都合の悪い真実が、一気に白日の元に晒されるのです。もう目の前に見える偽りの豊かさという幻想から逃れ、人間にとって、地球にとって本当に必要なものは何か、考えるようになって行かないと!。

上:アゼルヴァイジャン国立音楽院 ガラ・ガラエフホールのセミナーにて

下:ウズベキスタン イルホム劇場公演リハーサル中
私が何かできる訳ではありませんが、少なくとも、この手を、こぶしを握り締める手から、誰かを抱きしめる手に変え、そして武器を持つ手を、楽器を奏でる手にしたくなるような世界を奏でたいですね。力を誇示し、レイシスト的な民族主義や偏狭なイデオロギーを表す音楽はもう無くなって欲しい。あらためてH氏の言っていた「愛を語り届ける音楽」というキーワードは、「風の時代」を象徴する言葉の様に思えて来ます。

私は琵琶を担いで世界中を巡って、多くの人と音楽を創って行きたいのです。上の写真は11年前にシルクロードの国々をツアーで回った時のものです。各国の音楽家と交流し、半月程色々な国を巡ったツアーでした。ウズベキスタンでは、拙作「まろばし~能管と琵琶の為の」を、イルホム劇場の音楽監督でもあるアルチョム・キムさんが編曲し、ミニオケを加え、現代のノヴェンバーステップスのような形にしてくれて、現地の音楽家と演奏しました。アゼルバイジャンのバクー音楽院では、特別講座を開いて現地の音楽家達と交流しました。

音楽に国境は確かにあるけれども、音楽家は言葉は通じなくても、音を出せば心を通じ合える。そんな「風の時代」を早くを迎えたいものです。

風に語りて~2020水無月

世の混迷は続いていますね。狛江のインド料理屋さんプルワリでの定例ライブはいい感じでやることが出来ました。この時期に貴重な機会を頂いて、ありがたいです。来月は9月5日土曜日に、ヴァイオリンの田澤明子先生とのデュオをやります。是非またよろしくお願いいたします。
太田黒2020‐4‐29‐2
自宅近くの太田黒公園 今年4月末

この間とある機会に、占星術をやっている人に会いました、その方が言うには、12月から「風の時代」が始まるそうです。今はまだ「地の時代」というらしく、物やお金、権威等が中心に世の中が回っていて、そんな時代がもうすぐ終わりを告げ、新たな時代が始まるようです。
私は占星術には興味は無いのですが、ずっと以前から風や月が作曲のテーマでしたので、何だか我が意を得たりという感じがしましたね。私はこれ迄、物を追いかけ、権威を追いかけ、お金を軸にして、他と比較しながら村の中で生きる時代は、もうオールドセンスだという事を、ずっと繰り返して伝えてきました。しかし世の中は未だ物やお金、権威等を基準にして考えている人が沢山居ます。残念ですね。

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2011年6thアルバム「風の軌跡」レコーディング時 若い! 笛の大浦典子さんと
「風の時代」とは、私が思うに資本主義やショウビジネスがもう終わるという事だと思っています。大きな組織に所属して、何かしらの地位を持ち、高い給料(ギャラ)を取るのが「勝ち組」などと言っている価値観はほどなく崩れて行くでしょう。資本主義経済は、右肩上がりで成長して行くのが宿命ですで、どこかからか搾取をしなければ成り立たない。つまり格差の構造はどんどん広がり、一杯のコーヒーにさえも奴隷のような労働がなくては成り立たない状態になってしまう。そういう事実は既にネットの情報を通じて皆が判って来て、資本主義の大いなる矛盾と、現在の豊かさに対する幻想と疑問を持つ方も増えてきました。

一方ショウビジネスは、TVや雑誌などの小さい範囲にしか流通しないメディアで煽って、「みんなが聞いているから」「今これが流行っているから」というある種の村感覚の同調意識に訴えかけて、消費を促している訳ですが、そんな姿勢は、今後も通用するでしょうか。
これからは個人が世界のマーケットにアクセスして、自分で選択して見つけて行く時代。個人が小さな範囲でものを見たり、消費したりはしないのです。全世界が揃って良いというものならまだしも(あり得ませんが)、東京で流行ってるとか、NYの最先端などという感覚が既に前時代的といえると思います。そして表現者はTVなどから離れて行き、それゆえライブというものが貴重なものになって行くでしょう。一方でオンライン配信が増え、観客はTVの時代の様に狭い地域の方々ではなく、世界中の人になって行くでしょう。私のようなマイナーな作品でさえ、配信で買ってくれるのは海外の方が多いです。あくまで個人が自分で選択して行く「個の時代」に向かうのは目に見えています。
12s14s
日本橋富沢町楽琵会にて、Vn:田澤明子先生、Fl:久保順さんと
もう日常の生活に於いて世界の人が相手となる時代に、小さな範囲での肩書が意味をなさないことは誰にでも判ることです。そういう村感覚を早く脱し、純粋に中身で勝負する姿勢に成らなければ、やって行けません。これからはAiやネットがもっと生活の基盤になり(悪い面も様々あると思いますが)、いい会社に勤めているとか、肩書を持っているとか、金持ち、勝ち組云々という、他と比較して生きる村感覚よりも、自分が何をして、どうやって生きているのか、そんな個人の生き方こそが重要で、そこに幸せを見出し満足感を感じるという「風の時代」になる、と思っています。組織の時代は終わったのです。もしかすると国家という意識も今後変わって行くのかもしれません。「個」の時代がどのようになって行くかは未知数ですが、これまでの常識は、もはや通用しなくなるのは目に見えていますね。

またこれからは農業に転職する人が増えるという意見もありますね。日本は食料自給率が低いので、良い傾向だと思いますが、そうすると都市と地方の関係も変わり、そこから新たな民謡や芸能が生まれてくるようになるかもしれません。きっと農業でも、農協のような組織の時代から、ネットやAIを活用して、個人単位で独自の活動を展開し行く農家が増えて行くのでしょうね。あらゆる分野でそういう事がどんどんと進んで、世の中の構造や常識そのものが急激に変化して行く時代に入るのではないでしょうか。

宮本武蔵歴史を見て行くと、こういう大きな変化の時代がこれまでいくつもあったことが判ります。平安時代から鎌倉時代、戦国時代から江戸時代、江戸時代から明治等その急激な変化について行けなかった人は多かったことでしょう。戦国時代から江戸時代に変わった時、柳生宗矩は時代が変わったことをいち早く感じ、武道の在り方を「力」から「知」へと変えていきました。宗矩の父 石舟斎は自らを「兵法の舵を取りても世の海を、渡りかねたる石の舟かな」と詠み、自らを時代に乗れぬ石の舟と言っていましたので、新たな時代の在り方を巡って、父親との対立は結構あったでしょう。
一方、宮本武蔵は戦国の世が終わっても、石舟斎と同じくすぐには変えられなかった。最後の最後になって、五輪書を書くに至り、一つの答えを見出したのだと思いますが、きっと武蔵ほどの人は、世の流れを敏感に感じ、もう力の時代ではなくなった現実を想い、相当もがいたのでしょう。その「もがき」が出来る人はまだいい。しかしもがくことも出来ず、何だか訳も判らず時代の中に置き去りにされてゆくしかない人が、私を含めどれだけ多いか。

今まさに我々はその渦中に置かれているのだと思っています。

いつもは邦楽や琵琶の事を書いていますが、何故琵琶や邦楽が衰退したのか、その理由はただ一つ。柳生石舟斎の様に、古い価値観を変えることが出来ず、新たな時代へと心の方が踏み出すを事をしなかったからです。
これからは資本主義に変わる概念が出て、幸せの価値観も変わってくるでしょう。セレブに憧れ、高級車に乗り、海外ブランド品を買うのに必死にお金をつぎ込んでいた姿は、今後、負の時代の日本の姿としてお笑いのネタになって行くのではないでしょうか。

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福島 安洞院にて 能楽師:津村禮次郎先生と

概念や価値観は、所詮人間が創り出した幻想でしかありません。時代によって善も悪も正義も、ひっくり返ってしまいます。2000年代に入って、日本がこれだけ衰退しても尚、目の前の欲を追いかけている人が世に溢れて、絶えることがありませんでした。メディアの作り出した目の前の幻想に振り回されるだけ振り回されて、未だそれに気づかず、物事の核心に視線を向けようともしない人が渦めいて・・・・。その結果がコロナウイルスだったと私は思っています。欲望に支配された人間がもたらしたものだと。

風の時代を生きたいですね。

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