古都の雨

鎌倉の旧村上邸能舞台にて 安田登先生、優榊原有美さんと

先週末は、鎌倉にある旧村上邸能舞台にて演奏してきました。邸内の能舞台は素敵な庭に囲まれて、とても気持ちの良い場所でした。雨の一日でしたが、雨が庭の風情を一層高めてくれて、蒸し暑さも忘れ、久しぶりに爽快な時間を頂きました。

旧村上邸HP:https://kamakura-mirai-lab.com/ (以下はHPの画像を使わせていただきました)

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先ず第一部は、安田登先生の呼吸法のレクチャーの中で、祇園精舎を演奏。第二部ではSpacの女優 榊原有美さんと安田先生と私の3人で、「耳なし芳一」を上演してきました。有美さんとは2度目の共演でしたが、演劇スキルの高い方でもありますので、今回もグッと引き込まれるような瞬間がいくつもありました。以前人形町のギャラリーでの初共演の時には、彼女のダイナミックな語りと琵琶の織り成す掛け合いが「ロックみたいだ」と評されましたが、今回もいい感じで盛り上がりましたね。実に面白いです。これまで「耳なし芳一」は、安田先生と私のコンビネーションの上に、浪曲師の玉川奈々福さん、劇団Mizhenの佐藤蕗子さん、そして榊原有美さんらを迎えやってきました。語りと私の二人のコンビでは櫛部妙有さんとも組んできましたが、それぞれに個性があって、やる度に様々な世界が見えてきて、面白くなって行きますね。今後も楽しみです。

今回は来場の皆さんと色々お話しする時間も頂いたのですが、皆さん大変に前向きで、お話も大変楽しいひと時でした。

今年の1月おおぶこもれびホールにて
現代日本人の生活を眺めていると、何だか楽しみ方が浅い感じがするのです。もっと楽しんでもいいのに・・・。アイドルを追いかけるのも、観光旅行も良いのですが、そういった眼の前の楽しさもさることながら、深く長く楽しめる芸能や歴史、自然文化がこれだけある国も珍しいんじゃないでしょうか。なんたって世界一の長さを誇る国家ですし、その蓄積も世界一です。これからの日本人がもっと色んな楽しみ方を知ったら、日本はあらゆる分野で劇的に変化して行くと思いますよ。

安田先生のお話の中で、「日本人の感性は、VRやAR等の新技術と同じような感性を既に古代から持ち合わせていて、次の時代を迎えるにあたって、大変可能性の高い資質を持っている」というお話には大変興味を掻き立てられました。この話は今迄にも何度も聴いているのですが、能舞台の中から、雨に濡れた庭を見ながらお話を聞いていると、更にその内容が心に浸透してきますね。和歌の感性などがその代表ですが、詳しくは先生の本を読んで頂くとして、そんな我々が元々持っている感性や文化は、これからの世の中で、とても重要なファクターとなりうると思えてしょうがないのです。
今後社会の在り方が、かなり速い速度で変わって行くと思います。今回の強制的なテレワークによって、都会の満員電車に乗る必要が無い事も判ったし、大きなオフィスを一等地に構える必要もない事は、皆が気づきました。都会に居る必要がなくなり、緑豊かな場所に移って、しかも日本中がネットワークでつながって行けば、文化の形も質も変化発展して行くでしょう。東京大学の入試でさえオンラインになる時代です。今迄の個人が暗記した知識でものを図るやり方や、組織の中で妙な忖度を強いられる慣習・システム、人との出会い等々、あらゆる分野、あらゆる事柄が根底から変わる時代に突入したのです、それも急激に変わる時代に。もう変化は目の前です。
日本橋富沢町楽琵会にて、フルートの久保順さんと photo 新藤義久

今迄は都会に居ないと成立しない文化が確かにありました。ジャズやロックなんか、確かに都会こそがその生息地だったし、異ジャンルとのコラボレーションなども都会にいるからこその出会いという部分が大きかったと思います。音楽家は皆都会のホールやライブハウスで演奏することが基本で、都会からから地方へ出かけて行くという一方向しかなかった。地方を拠点に移すと、地方限定タレントの様になって、なかなか東京の舞台には出てくなくなり、都落ちだなんて言われました。

しかし今後は、人々が都会に集中することなく、日本の豊かな自然と共に生きながら、社会が新たなネットワークでつながり、新たな生き方・働き方を構築して行くような時代が来るんじゃないかと思っています。

音楽は人心の投影と言えますので、都会の喧騒の中に普段から居る人と、緑豊かな自然の中に居る人では全く違うものが出てくるのは当然ですね。音楽の質も発信の仕方も変わって行きます。そしてリスナーの側も、嗜好や音楽との関わり方が変わるのは当たり前です。元々日本は自然が豊かな国ですので、また新たな音楽が生み出されてゆく可能性は、今後のライフスタイ
ルで大きく変わって行くでしょう。人が都会から離れることで、地方でのインフラももう少し整って行くだろうし、古来より自然と共生してきた日本人の感性が、あらゆる分野に深く大きく発揮され、これから日本は、文化も社会も豊かになって行くんじゃないでしょうか。楽観的ではありますが、そう思いたいですね。
旧村上邸HPより

まだ国内外は騒然としていて、軍事衝突の影も見え始め、今後どのように展開して行くか予想も付きませんが、能舞台から雨に濡れる庭を見ていると、「この風情の中からしか生まれない音を私たちは持っている。その文化が次の時代を創って行くんだ」等々・・・そんな想いが溢れてきました。これからの新たな社会の中で、新たな形の日本文化が生まれ、新たな暮らしが始まる。きっとこんな事が次々と実現して行く世の中になって行くんじゃないのかな・・・?。豊かな時代を迎えたいものです。

水無月の頃2020

昨日の琵琶樂人倶楽部 Viの田澤明子先生

昨日の琵琶樂人倶楽部は、Viの田澤明子先生を迎えての開催でした。田澤先生の演奏はもう言う事無い程の完成度。いつもながら脱帽でした。私は久しぶりのせいか、少々荒っぽい感じになってしまい、ついて行くのがやっとでした。修行が足りませんな。しかしまあ今回は開催150回目。まだちょっとコロナの不安もありましたが、思い切ってやって良かったと思っています。この時期に来てくれたお客様には本当に感謝しかありません。私はいつものんびりにしか動けないのですが、この感じで再開して行こうと思います。今週は土曜日に鎌倉の旧村上邸能舞台にて、安田登先生、劇団SPACの榊原有美さんと3人で舞台をやってきます。
18日の日本橋富沢町楽琵会は残念ながら今回は中止。20日のヒロサロンのコンサートは9月に延期になりましたが、27日は経堂の「マレット」というお店で尺八の藤田晄聖君とフラメンコギターの日野道夫先生とで気軽な会をやります。また晄聖君とは7月の頭にも、狛江のインド料理屋さんで小さなライブをやります。先ずは出来るところから少しづつ、小さな会からやって行こうと思っています。
2016年6月、リブロホールにて琵琶樂人倶楽部開催100回記念演奏会。古澤月心さんと
6月は一年の中で一番忙しい時期で、過去には琵琶樂人倶楽部の開催100回記念の演奏会や、俳優 伊藤哲哉さんとの方丈記の公演、国立劇場では、復元した正倉院の琵琶を使った公演等々、もう毎年6月はてんてこまい状態が例年の行事の様だったのですが、今年は何とも・・・。私はそれでも元々何も持っていない暮らしですし、格好を付ける必要も無いので、少しじっとしていれば良いだけですが、今後の事を考えると、少し心がざわざわしますね。

30歳前後の頃ももやもやざわざわしてました。あの頃は自分がやりたい事がはっきり見えず可能性を探っていたとも言えますが自分の中でもがいていて、今思えば、海の中を彷徨っているような感じでした。その頃の経験は今とても役に立っているし、私には通るべき時間だったのだなと、今では思っていますが、今のこのざわつきは後になって「良い経験でした」と言えるようになるでしょうか・・・?。
もう日本だけを考えていてもどうにもならない世の中になって、何かとんでもない変化が急激に来るような気がしてならないのです。少し今の情報過多な世の中に振り回され、疲れているのかもしれませんね。

私は約25年程前からインターネットを使い出していたので、かなり早くからやっていた口ですが、東京に出てきてからTVも持っていないし、今はSNSも一切やっていません。いわゆる「フィルター・バブル」「エコーチェンバー」という現象をTVでもネットでも早くから感じていたので、流れてくる情報には用心深いのです。そんな私でさえ世の中に出れば、余計ともいえるようなありとあらゆる情報が目に耳に入ってきますね。
2018年6月国立劇場にて 正倉院の復元琵琶を使った新作初演終了時、演奏メンバーと

この先は判らないですが、自粛期間中には良いこともありました。とにかく時間がありましたので、曲がいくつか出来上がったのが良かったです。デュオの合奏曲が2曲、独奏が1曲完成しました。更にまだ途中ですが合奏曲が1曲あります。その他構想の域をまだ出ていませんが、合奏曲がもう1曲、今年中には出来上がるでしょう。何度か舞台にかけないと、本当の意味での完成には至りませんが、大きな成果だと思っています。
私は作品が出来上がるのが無常の喜びです。今迄創ってきた作品が、そのまま私の軌跡。いつも誇りを持って自分の作品を演奏しています。新作も出来たらレコーディングまでこぎつけたいのですが、これは少々お金もかかりますので、また良き時に。
昨日の琵琶樂人倶楽部、お馴染み愛子姐さんも登場

こういう時代に生きているというのも運命であり、一つのの縁でしょう。この縁や運命の中でどれだけ自由になれるか。そこが私の人生という事だと思います。今この時代・社会の中で何を、どんな音楽を発信して行くことが出来るか。私という人間が問われていますね。

私なりの歩みを始めたいと思います。

失われた季節

おおぶ交流の杜こもれびホールにて 能楽師 安田登先生、浪曲師 玉川奈々福さんと
西の方ではもう6月頭には梅雨入りをしたそうですね。今年は梅を愛でることなく、桜花の下での宴も無く、新緑さえも味わう暇も無く、季節の風情を何も味わう事の無い年になってしまいました。毎年、年明けからのこの華やかな、生命の輝くような「うつろい」は、私にとっては一つのエネルギーともいえるものなので、今年は何もエネルギーチャージをしなかったともいえるかと思います。
仕事の方は、年明けには愛知県の大府にて素敵な演奏会をさせて頂き、2月にはギャラクシティープラネタリュウムでの自分のルーツを辿るような嬉しい会もあり、幸先は良かったのですが、あれよあれよという間に、なすすべもなく梅雨の湿気の中に放り込まれているこの現実をどう受け止めてこれからを生きてゆけば良いのやら・・・。
とにかくこの状況の中で動けるところは動いて行こうと思いますが、先ずは何といっても私のライフワーク琵琶樂人倶楽部です。今月10日は150回目という節目でもありますので、ここからまた仕切り直しです。今月は歌唱を伴う曲がまだちょっとNGなので、Viの田澤明子先生を迎えて器楽曲を聴いていただきます。
実は今月の日本橋富沢町楽琵会に田澤先生を迎える予定でした。また3月の頭には神奈川のお寺にて田澤先生とのデュオによる演奏会を予定していました。しかしそのいずれもが中止になってしまいましたので、今回急遽、琵琶樂人倶楽部の方にお呼びした次第です。田澤先生は今年CDをリリースしたばかり。そのタイトルも「Duo Recital」。ヴィスコンティの映画 「ベニスに死す」で使われた、マーラーの5番アダージェットも入ってます。いつもコンビを組んでいるピアノの飛松利子さんとの素晴らしいアルバムです。お寺の演奏会ではたっぷりとViのソロを弾いてもらう予定だったのですが、せめて今回はCDの紹介だけでもさせてもらいたいと思います。

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両側:田澤先生のCDジャケット。中:私の8thCDレコーディング時のショット
私は30代から琵琶で演奏活動を色々とやっていましたが、元々フルートやチェロなどの洋楽器と組んで前衛的な現代作品を創りライブハウスを中心に活動していました。また舞踏やダンス系の方々とのコンビネーションもその頃から積極的にやっていまして、即興演奏などもも、暴れるようにやっていました。1stアルバムではそんな最先端の現代邦楽作品群を中心に収録し、ジャズの雑誌などでも取り上げてもらいましたが、一昨年の8thCD「沙羅双樹Ⅲ」でViとの現代作品を発表してから、また洋楽器との共演を積極的にやっています。現代曲からシルクロード系の曲迄、随分と演奏の機会がありました。いわゆる邦楽スタイルでのお寺のコンサート等もずっと続けていますが、ネット配信などで世界に向けて発信していることを考えると、今後は洋楽器とのコンビネーションがどんどん増えて行くと思います。器楽としての琵琶樂を掲げている私としては、1stCDの頃の元々のスタイルに帰って行くのは、一番無理の無い、自分らしい姿になって来たとも言えると思います。
洋楽器のプレイヤーは、基本的にアンサンブル能力が高いです。その上で日本音楽の事を知って、「間」の感覚や、無常観のような感性を感じてくれる人だと、邦楽器よりも、かえって洋楽器の演奏家の方が面白いコンビネーションが築けることが多いですね。勿論ただの上手なだけの人はあきまへん。日本人として日本音楽・芸術に対する関心や感性が無いと、日本音楽は創れません。邦楽器の演奏家でも、楽器だけお上手に操って、ろくに源氏物語も和歌も知らいないような人では、何も生まれて来ませんね。単なるコスプレで終わってしまいます。
田澤先生、そして最近ではフルートの神谷和泉さんなど、日本人の感性を持った洋楽器のプレイヤーと組む機会が増えてきましたが、とても世界が広がり嬉しい限りです。和風というカテゴライズされた小さな世界や、似非伝統のような上っ面のエンタテイメントに囚われることなく、どんどんと次世代の日本音楽を創るつもりで、新たな世界を切り開いて、それを世界に発信して行こうと思っています。

日本橋富沢町楽琵会にて photo 新藤義久

その為にも、これからの音楽活動については色々考えるところがあります。前回少し書いた環境の事も含めて、自分の音楽を全うするには、今後の舵取りがとても重要になって行くだろうと思っています。コロナの影響もあって、自分主催の演奏会を張って行くのは、今後かなり大変になって行くでしょう。人が多く集まるという事に関し、世の中の人の感じ方が今後変わって行くと思いますので、今迄のようなやり方ではもう通用しなくなるでし
ょうね。
私の音楽はエンタテイメントではありませんので、売る、売れるという事を軸には考えられません。私は自分の音楽の発表を主軸にして、その他レクチャーをやったり、演奏のお仕事などをやっていますが、技や知識の切り売りは一切しないので、自分の音楽活動と直結していないものはやりません。自分の可能性を広げる意味で、色んなものに常にチャレンジしているものの、自分がやるべきではないと思ったら、丁寧にお断りしています。とりあえず今は良い方向には向かっていると思います。とにかくこれからは世のシステムも変わって行くだろうし、音楽の在り方も変わって行くでしょう。どんな社会になって行くのか、私には予測がつきませんが、その与えられた中で、自分の納得のいく活動を、今にも増してやって行くしかないですね。

幸い琵琶樂人倶楽部は順調に続いています。ここでは収入を当てにしないという事もあり(大した赤字にもならず)、毎回がある意味実験の場でもあり、そんな所が長く続く理由でしょうね。よくまあ13年、150回続いたと思っていますが、何の気負いも無くやっているので、多分200回目を迎える時も同じようなことを書いていると思います。
6月10日(水) 第150回琵琶樂人倶楽部「洋楽器と琵琶による共演」
場所:名曲喫茶ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷北口徒歩5分)
時間:19時30分開演
料金:1000円(コーヒー付)限定15名要予約
出演:塩高和之(薩摩琵琶) ゲスト田澤明子(Vi)
演目:「二つの月~Viと琵琶の為の」「君の瞳Eaynak」「風の宴」「花の行方」他
問合せ:Office Orientaleyes  orientaleyes40@yahoo.co.jp
今年は命の輝く季節が失われてしまいました。しかしルーテル大阪教会の大柴牧師が言われたように、是非この自粛していた時間を大切なものとして、これからに生かして行けるように、今後の活動についてもじっくりと考え、取り組んで行きたいと思っています。これからが私の実力が試される時であり、私の音楽が出来上がってゆく時期です。しっかりと努めたいですね。

静かな暮らし

自粛解除になったとたんに、世の中動き出しましたね。私の仕事の方も動き出しています。5月はeテレの「100分de名著~平家物語」の再放送や、同じく昨年NHK文化センターで安田登先生、玉川奈々福さんとやった公開講座などの再放送が相次ぎ、先日はゲンロンカフェでも安田先生、山本貴光さんと共に生配信をさせて頂きました。また夏以降の舞台公演の話や、レクチャーのお仕事、小さなライブのお話、お世話になっている神田音楽学校のレッスン等々が次々に決まり、そのリハーサルやら何やらで朝から動き回っています。こういう時期に本当にありがたいことですが、今後どうなって行くのか皆目見当がつきません。よく考えて今後の活動をして行くつもりではありますが、何しろ今まで通りという訳には行かないと思います。音楽活動だけでなく、日々の生活についても、これからの人生について考える時期に来ている感じですね。

日本橋富沢町楽琵会にて photo 新藤義久
この3か月、じっと籠っていて、譜面を書いたり、今迄のレパートリーの見直しをしたりしながら、色んな事を考えていました。何かいつもと違う状況になってみると、初めて見えるものが沢山ありますね。一般の仕事でも転勤になったり部署を変わるだけで、人生開けたり、逆にストレスにやられてしまったり、色々とあると思いますが、私のような仕事では、これ位強烈な刺激が、ある意味で今後を考える良いカンフル剤になったようです。また舞台に立つ機会がこれだけ長い間無いというのも初めての経験でしたが、この機会に多くの人とメールでやり取り出来て、楽しい時間でもありました。その中で、こういう時期は「自分自身を分析すると良い」というアドバイスも頂き、これまでの自分の軌跡を今一度振り返ってみたりして、自分の特徴や強み、弱み等々改めて自分自身を見つめる機会になりました。私は舞台に立ってこその人生であり、自分の作品を創り演奏するのが私の仕事、という事を改めて認識しました。

私は以前からタレントとして売れっ子になって、大活躍をしたいという願望は無いので、食って行く為に技を切り売りして舞台に立つなんてことは、私にはストレスなだけです。これまでもそうでしたが、地味で小さな舞台だろうが、大きなステージだろうが、自分の音楽・世界をじっくりと聴いてもらうのが仕事だと思っています。またそれが出来なければ音楽家として成り立たないとも思っています。ギャラを稼ぐ為、スタジオミュージシャンのように演歌歌手のバックで演奏するのは、私には無理ですね。もうそういう仕事はギタリスト時代に色々やりましたし・・・。お陰様で、今私は、本当に細々ではありますが、ほとんどの仕事を自分の創った作品のみでやらせてもらっています。今後もそのスタイルはしっかりと貫いて行こうと思っています。
音や金時にて、フラメンコギター:日野道夫、ウード:常味裕司 樂琵琶:私

そして最近よく感じる事なのですが、私が尊敬している音楽家・芸術家は皆さん、良い環境を作り上げています。そんな方々は何か暮らしと音楽がとてもマッチしていて、自然体な感じがするのです。勿論多くの事を経て、苦労も重ね、築き上げたのだと思いますが、その姿には憧れますね。素晴らしいスタジオや稽古場を持っている方も居れば、フラメンコギターの日野道夫さんなんかは、暮らしぶりは地味ですが、常にギター一本かついで何処にでも出かけ、自由にフラメンコ人生を謳歌しています。
暮らしの形はどうであれ、心穏やかに自分の思う音楽・芸術に邁進することが出来、日々を過ごせる環境があるというのは素晴らしい事です。とある琵琶の先輩は、最近東京を離れ、栃木の田舎に移り住んで自由な暮らしを始めましたが、その方の気持ちも判る気がします。
日本橋富沢町楽琵会にて、津村禮次郎先生(photo 新藤義久)。ルーテル市谷ホールにて、日舞の花柳面先生と
この3ヶ月間、東京の街も少しばかり静かになりましたが、解除になったとたんにまた元の喧騒に囲まれてしまいました。前よりもむしろ世の中が集団ヒステリー状態という感じで、過激なまでの消毒やマスク着用などの街の様子を見ていると、同調圧力が過ぎて、どんどんと生きずらい世の中になって行くような気がしてなりません。
まあ私のような貧乏暮らしでは、好き勝手に生きようと思っても、なかなかそうはいかないご時世ですが、音楽を生み出すには、自分自身の心に先ず静寂がある事は勿論の事、環境にも静寂が欲しいですね。何だかちょっとこれからの人生を考えたいな~~という想いも出て来ました。

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奈良 柳生街道

社会がどんな時代でも、その時代や社会の中で生きるのが人間の運命であるし、どんな環境にあってもその中で作品を生み出して行くのが芸術家です。こういう時代に生を受けたのも一つの運命。しかしその運命の中で、自分が求めるように自由に生きるのもまた人生。

もっともっと自分の思うように人生を生きて行きたいですね。

再会2020

世の中が動き出しましたね。これから世界が、そして日本がどう舵を取るのか。今私たちは岐路に立たされていますね。

先日、ルーテル大阪教会の大柴譲治牧師と一年ぶりに電話でお話しさせていただきました。大柴牧師は2016年迄阿佐ヶ谷のルーテルむさしの教会にいましたので、私はイースターコンサートやらクリスマス礼拝など、事あるごとに教会に行って牧師の説教を聴いていました。また教会では何度も演奏をさせていただき、大阪教会へ移る時には「方丈記」の公演までさせていただきました。
ちょうど一年前、私は突然、大柴先生に会いに行きたいなと思って、関西に用事があったついでに、何のアポも無く飛び込みでルーテル大阪教会に行ってみました。今思うときっと何かに導かれたのでしょう。その時本当に絶妙のタイミングで牧師に会う事が出来、楽しいひと時を過ごさせていただいた記憶がしっかり残っています。
 

先日、昨年の再会の事を大柴牧師が想い出してくれて、Facebookで一年前のこの記事を取り上げてくれたそうです。道理でこのところPVが上がっているなと思っていましたが、そういう事だったのですね。私はSNSを一切やっていないので判らなかったですが、ちょうど一年経って、お互いに色々と想い出すというのも何かの縁かなと思います。事実大柴牧師とはそういう繋がりと感じることがとても多いのです。

ルーテル大阪教会では、今ネット礼拝をやっているので早速Youtube で拝見しました。沢山出ていますので、ご興味のある方は是非観てください。大柴牧師の言葉は、神も仏も判らない私に、どういう訳かすっと入って来て、多くの気づきを与えてくれます。このブログにも色々とその時々での勝手な感想を書いたりしていますが、久しぶりに聴いてまた色々と感じるところがありました。

 

いくつか聞いた中に、「人が一つ場所に集まるというのは、当たり前の事ではないのです。恩寵なのです」(5月24日の説教)という言葉を聞いて、私の中にすとんと落ちるものがありました。

私が普段やっている小さな演奏会も、規模は小さいけれども、それでも特別な時間なんだという事を改めて思いました。集客が出来ない等といつもそんなことばかりを考えていましたが、あまりにも心が小さくなっていましたね。確かに私は宣伝も上手くできないし、エンタテイメントの音楽でもないし、人脈も人望もさしてないので、集客はいつも少ないのですが、この場を持たせていただいて、存分に自分の思う音楽を妥協せずにやれるという事への感謝をいつしか忘れていたのかもしれません。私はすべての演奏会で自分の作曲したものをやらせていただいています。そんな人は琵琶でも邦楽全体でも他に居ないでしょう。そういう機会を与えられていたという事です。その与えられたものをもっと考えるべき時が、今だと感じました。

経正熱唱中 箱根岡田美術館にて

私がレパートリーにしている数少ない弾き語りスタイルの曲に「経正」があります。経正は音楽家として生きたかったけれど、自分に与えられた運命は平家の武将でした、霊となって表れた経正は、ラストシーンでそんな自分に与えられた運命を悟り、受け入れて、自らろうそくの灯を消して成仏して行きます。私も今生で、悟らぬとまでいかなくても自分に与えられた運命を少しは理解し、その意味をあらためて考えていきたいですね。
ちょうど一年経って、大柴牧師と電話で再会を果たすというのも何かの意味があったのでしょう。牧師は「この時間を大切な時間として過ごしましょう」と電話口で言ってくれましたが、コロナウイルスがもたらしたことは、悪い事ばかりではないですね。

ソーシャルディスタンスがこれから定着することを考えれば、大柴牧師の言われたように「皆が集まってくるのが当たり前」ではない時代になったのです。この岐路に立たされたとも言える、動きの止まった数か月を大切な時間として思えるような心を持ちたいものです。

私は今のこの状況を、日本全体が変わるべき時に来た、そういう運命と試練を与えられた、という風に考えているのですが、ビジネスの分野でも色んな話が出て来ていますね。私はビジネスセミナーなどにも少し顔を出すこともありますので、これ迄いろんな話を聞いていたのですが、もう日本の経営のやり方では10年も持たない、という話が多いです。未だに年功序列の考え方が蔓延し、スキルのある若手が収入を得ることが出来ないとの事。だからAiなどの最先端の研究部門はシリコンバレーやバンガロールにあるそうです。新しい感覚とスキルを持ったビジネスの最先端にいる若者は、日本では正当な収入を得ることは出来ないし、日本の経営陣特有の、失敗を恐れて無難に体裁を取り繕おうとする考え方が、若手のチャレンジを妨害して何もできない、という話を何度も繰り返し経営学の先生方から聞きました。

かのスティーブン・ジョブズは今見るととんでもないものを色々作り、大失敗を繰り返して、失敗しながら成功もしてきたそうですが、かつての日本企業も敗戦というどん底から発展をしてきましたことを考えれば、この時代に、今一度かつて熱くほとばしった創造する心を取り戻して欲しいものです。

日本橋富沢町楽琵会にて。能楽師 津村禮次郎先生と

日本には良いものが沢山あります。文化も精神も世界に誇るものが沢山あります。しかし無情にも世の中というものは留まることがないのです。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」がこの世というもの。過去に固執して「今あるものを守っていれば何とかなる」という事は、あり得ないのです。常に創り出して行くからこそ文化として成り立ち、その精神が社会を発展に導き、文化として受け継がれてゆくのです。永田錦心や高橋竹山が居なかったら、今津軽三味線も薩摩琵琶も無かったでしょう。

人と距離を取り、群れないで個人として生かざるを得ない時代になると、これまでのやり方も考え方も通用しません。しかし人間としての核の部分は揺るがない。キリスト教的に言えば、神やイエスと自分との間にぶれがないという事でしょうか。そこを今一度見つめ直す時期に来たという事だと思います。正に今はそうした核となるものとの「再会」の時期ともいえるのではないでしょうか。幸か不幸か私達はもう強制的に「変わらなくては生きて行けない」場所に立たされてしまったのです。残念ながら、まだ〇〇〇マスクを児童生徒に強要するような、権力に盲従する例が散発的にニュースで流れていますが、今こそ振り返り、何が大切なものなのかを見つめて、大切なものとの「再会」をして、これからの生き方を模索し、大切な核を持って生きて行きたいですね。

一年ぶりに素敵な再会をさせていただきました。

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