未曾有の時に

このところの東京は、どうにもならない状況が続いていますね。先日は新宿の中規模の劇場での舞台公演にて、クラスター感染があったという事で、今後の舞台を開いてゆけるのか、音楽人演劇人は大変心配しています。
クラスターのあった劇場は新宿のビルの中にあり、窓一つ無いかなりの密閉空間。演目は盛り上がるエンタテイメント系の内容だったそうですが、時期を考えると、ちょっと配慮が足りなかったとしか言えませんね。邦楽でも語りを主とする舞台は、大きな舞台を使って、客席も半分以下に間をあけて使わない限り、今後簡単には会は開けないでしょう。
幸い私は歌はほとんど歌わないので、こんな状況の中でも少しづつ小さなライブを重ねて行ってますが、これからを考えると、出口が見つからないですね。
来週には池袋の「あうるすぽっと」にて、安田登先生、玉川奈々福さんらと「能でよむ 漱石と八雲」という公演があります。この公演は昨年からシリーズで引き続いている公演ですが、今年は無観客による公演としにして収録配信することになりました。こういう決断も必要ですね。これからこんな舞台が増えて行くのではないでしょうか。

そして来月には、座高円寺にて戯曲公演「良寛」が控えています。大きめのステージに出演者は3人のみ。客席も間をあけての上演です。エンタテイメントではないので、観客と盛り上がるような内容ではないですが、主催者で、脚本を書いた和久内明先生もさぞかし多方面に気を遣いながらの運営だと思いますが、やる方としては、充実した会にしたいです。
この演目は、もう何度も再演をしているのですが、上演の度に台本も書き直され、キャストも変えて再演されています。今回は主演の津村禮次郎先生と私の他、(以前は笛の大浦典子さんも一緒でした)新たなキャストに中村明日香さんを迎えての公演となります。中村さんはダンサーであり、歌手でもあり、非常に幅広い視野で活躍している方ですので、「良寛」も多彩さを増して幅が広がって行くと思います。
中村明日香オフィシャルサイト https://tamentai-asuka.com/
その他、この所定期的にやっているのが、狛江にあるインド料理の店「プルワリ」https://phoolwari.co.jp/

ここはとっても小さなお店なのですが、開けっ放しで、オープンスペース的な感じに出来るお店という事もあり、6月からやらせて頂いています。フラメンコギターの日野道夫先生のお声がかりで、ウードの常味裕司さんや尺八の藤田晄聖君などが定期的にライブをやっています。
私の次のライブは8月1日土曜日、フルートの神谷和泉さんとデュオのライブをやります。18時開演です。是非お越しください。

また8月は琵琶樂人倶楽部で、夏恒例のSPレコードコンサートを開催します。
今回は珍盤もあり、今までかけていないSPをかけます。前半が琵琶のSP、後半はマスターがセレクトした古関裕而の曲をかけて行きます。古関裕而は朝ドラ「エール」で話題ですが、視聴していて思ったのは、往年の歌手達の歌が上手さです。素晴らしいクオリティーです。これについては、また改めてお知らせします。

これからの演奏活動については、本当に先が読めません。先日も琵琶仲間と話をしたのですが、いくら対策をしても、小さな会場では、大きな声を出して語る芸をやることは、新宿のラスターの件の事もありますので、本当に難しくなってくるでしょう。邦楽関係者はよく考えなければいけないと思います。お客さん自身も来場する事を敬遠するでし、特に年配者の方は気を付けないといけません。小さな会場でのライブはこれからどうなってしまうのでしょう。
琵琶樂人倶楽部は解説と演奏で、あまり歌が無いので、まだ何とかやっていますが、これからは地方公演や海外公演、サロンコンサートなどが、事実上消滅しかねない勢いです。

日本橋富沢町楽琵会にて 津村禮次郎先生と

このような未曾有の時には、文化芸術は後回しという意見もありますが、私は今、文化を忘れたら、人間も社会も崩壊してしまうのではないかと思っています。日々の生活や、お互いの関りが根底から崩れてしまうようなこんな時にこそ、文化が人間を人間として保ってくれるような気がします。マスク着用が義務の様になり、挨拶の仕方までも変わって、これまでの生活が根こそぎ変わってしまうかもしれない、そんな今の社会の姿は、新しい時代と言えばそれまでですが、かなり社会としては厳しい所に来ていると思うのは私だけでしょうか。

国家を国家として成立させているのは「文化」です。それぞれ独自の文化の上にその国なりの政治や経済が成り立っているので、文化の無い国家はありえないのです。もし今の日本人が、「音楽なんて楽しけりゃいい、腹の足しにもならない」という感性しか持てなかったら、日本はほどなく滅んでしまうでしょう。音楽の無い民族はどこにもないのです。それだけ文化・音楽は人間の営みに直結しているのです。医療の在り方についても同じですが、目の前の事しか見えない近視眼的な視野思考は、良い結果をもたらさないとしか思えません。

それに日々消毒液を所かまわず振りまいていたら、虫や植物、我々を守ってくれる微生物は生きて行けなくなって、コロナは防ぐことが出来るかもしれませんが、その状態は人間にとって大変危険な状態になっていないでしょうか。人間そのも
のも、触れ合う事を避けて暮らしていたら、何よりも心が崩壊しかねない。その上、人間を取り巻く環境も破壊してしまったら、いったいどうなるのでしょう。今の先の、次の社会の事を考えなければ、本当に日本が崩壊してしまいます。
昨年の「あうるすぽっと」公演より 安田登先生 玉川奈々福さんと photo 山本未紗子(BrightEN)

この未曾有の時代に、自分が出来ることはやはり音楽を創り、演奏することだと思っています。確かにコロナウイルスに効く訳ではありませんが、効率的に役に立つことだけを追いかけていたら、人間は生きて行けないのです。それは甘いお菓子も、酒もなくなり、美味しい食卓も、家族のだんらんも無く、ビタミン剤のみで生きているようなものです。社会にも時代にも、そして個人にも弾力のような余裕があってこそ、私たちは生活して行ける。むしろ毒のようなもの(例えば酒)が人を生かし、文化を生み、知性を生み、社会を創って行くのではないでしょうか。ステレオタイプに生き、決まりきった生活おt行動しかしない、昔のSF映画に出てくるような人間だけが居る街に、あなたは住みたいですか?。陰陽、清濁、光と影、あらゆるものが共存して多様性に溢れているからこそ、人間の社会と成り得るのではないでしょうか。

今は何よりも医療が優先だと思いますが、目の前に振り回されて自分の首を絞めていては、日本の社会のサスティナビリティーは限りなく低くなってしまいます。だからこそ、いつの時代も、どんな時でも良い音楽が溢れていて欲しいのです。

届かぬ想い2020

世の中また騒然としてきましたね。干支では今年は60年に一度の庚子という年という事で、一つのものが終わり、そしてまた新たなものが始まる、そんな年だそうです。まあ60歳を還暦という位ですから、60という数は、何か一回りという事なのでしょうね。

これまでの一回り、つまり60年間の日本は、高度成長に始まり、バブルもあり、また急激な衰退もありった、かなり落差の激しい60年でしたが、良い時期の幻想ばかりを追いかけていても、今後は上手く行かないでしょうね。これは私個人の問題としても、この所大いに感じる部分です。もう身体も精神も、次の段階へと脱皮して行かないと、苦しくなるばかりだろうと思うのです。

座高円寺にて、戯曲公演「良寛」公演。津村禮次郎先生と。来月同じ場所で再演します


とはいえ、私も昔から引きずった届きようの無い想いはいくつもあります。頭では新しい時代に切り替えて行こうと思いつつも、なかなか心の奥底には、おいそれと変わることが出来ないものが、誰しもあるのではないでしょうか。そもそも想いというものは、対象が手元から遠く離れていて、届かないからこそ湧き上がる感情です。しかしこのような状況では、以前の頭で、夢よもう一度と想っていても、世の中の土台そのものが変わって来ているので、なかなか難しいです。
想いを持つという事は、次のステップを頭に描いているとも言えますし、第一歩を踏み出すきっかけともなりますので、とても良い事ですが、いつも書いているように、どこを見て、何を考えているか、こういう時代なると、一層そういう部分が問われますね。底の浅い目の前の欲望に囚われ、過去を引きずっているようでは、想いは届かないでしょう。

キッドアイラックアートホールにて。牧瀬茜、Soon・Kim、ヒグマ春夫、各氏と
音楽の在り方が大きく変わるのは目に見えています。こればかりは急激な変化が出てくるでしょう。それは今迄もその兆候が見えていたのですが、今年のこの一連の流れで、はっきりしました。
琵琶についていえば、弾き語り専門の方は難しい状況です。私の様に器楽中心でやっていれば、小さなライブなど機会は細々とありますが、歌手には受難の時代ですね。これから琵琶樂がどのようになって行くのか。注視して行きたいと思います。
ただこういう急激な刺激と破壊を外部から突然に与えられたからこそ、初めて見えてくる部分もありますね。今は、ある種現代のダダイズムの嵐の中にほおり込まれたともいえると思いますが、私は改めて器楽としての琵琶樂を推し進めて行こうと、気持ちを新たにしました。
この自粛期間に4曲の新作が出来上がりました。デュオ2曲、ソロ2曲。いい感じです。もうすでに試演のような形で何度かやってみて、推敲を重ねていますので、今後のレパートリーになって行くと思います。今年中にはもう1曲創って、次のレコーディングへと繋げたいですね。あと2年くらいの間にはまたアルバムを制作したいと思っていますが、私は常に新作をレコーディングしていて、こなれた見事な芸をCDにするという志向はありませんので、次回もバリバリの新作を引っ提げて創りたいですね。
沙羅双樹Ⅲレコーディング時 Vnの田澤明子先生と

これが完成すると私のCDも10枚となり、大体一回り。つまり「環」が完成し、また次へと展開して行くと思います。そのためにも身体や精神の部分をもっと充実させていかないといけません。勿論資金集めも大事な要素です。幸い良き仲間にめぐり逢い、お付き合いを頂いていますので、構想は大体出来上がっています。もう少し楽曲を充実させると、一気に実現して行くと思います。
琵琶樂は未だ珍しい極東の民族音楽という所から抜け出せていません。私はもう世界に向けて発信している以上、ジャズやクラシックと同じレベルで舞台に立ち、同等に活動を展開して行きたいのです。それは琵琶を手にした最初からずっと思っていました。
日本橋富沢町楽琵会にて photo新藤義久
まあ不器用なたちなので、時間もかかり、何事もすぐには成就しないのですが、自分のペースで確実に想いを遂げて、この思いを時代の中に届けたいと思います。乞うご期待。

始まりはいつも霧の中

世は未だコロナウイルスから解放されず、災害、選挙と目まぐるしい程に激動していますね。どこまで行くのでしょう。

一朝さんが代表をしていたアンサンブルグループまろばし 2009年川崎能楽堂
この時期になると、9年前に亡くなった尺八の香川一朝さんを想い出します。時の流れは本当に早く、この9年の間にはH氏や母、そしてお世話になったS藤さん、H川さん等々何人もの方々を次々と見送りました。人間の命は有限なんだと毎回思い知らされ、そんな風に思っている私が、現世の中で鬱々と年を取って行く・・・・・。鈍感な私もこれからの人生というものを考えるようになりました。

この世は「虚仮」などとも言いますし、最近では仮想空間やマトリックスなどと表現する人も多いですが、確かに法華経などを少し読んでいますと、そのようなことが書いてありますね。私はあまり哲学的なことは解りませんが、この現世では、自分が何を考え、何処を見ているかで、全く違う世界が目の前に広がって行くと私はずっと感じています、レイヤーという言葉も最近はやりですが、同じ現実に居ながら、全く違うレイヤーに生きている人が居るんだなと、よく思います。音楽家でも、同じジャンルをやっていても、まるで違う世界を感じている人をよく見かけるようになりました。まあこの世は仮想現実と言われれば確かにそうかもしれませんね。

現世を旅立つというのは、この複雑混沌とした現実を離れ、肉体という制約も離れ、何もかもから解放され、本来の姿に戻って行く事なのかもしれません。

人間が生を受ける最初には、何かのルールを与えられて生まれ出てきます。国籍、人種、性別、地域、時代、環境等々、自分で選ぶことは出来ません。それらのルールに従いながら生きることが、生活するという事だと思っています。最初から輝くような人生を送る人もいるかと思いますが、皆大粒の涙を流しながら、その中で文化を育み、社会を創って行きます。これが運命という事なのでしょうか。いつも書いているように、運命に導かれているうちは良いですが、引きずられてしまうと、とても苦しいことでしょう。やはり気持ちよく人生を歩みたいですね。それには、この現世の中で、自分が何を観ているかという点にかかっていると思っています。目の前の事しか見えないいわゆる「見の目」よりも、五感で感じ取る「観の目」が鋭い人は、そんなルールの中にほおり込まれても、自分の道を見つけて行くのではないでしょうか。
昨年のあうるすぽっと公演にて Photo 山本未紗子(BrightEN)

私は私の世界を生きて行くしかないですが、最近は年のせいか、変なプライドも無くなってきたし、「自分は自分」という気分になって、かえって世界が広く見えるようになりました。しがらみにからめとられている内は、自分が囚われている事すら判らないままに過ごしていることも多いかと思います。
若い頃の私は、自ら自分に「こうあらねば」というルールを課していて、常に何かと戦い、それをまたエネルギーとしているような感じでした。でも幸いに琵琶を始めてからは、早い段階で組織から抜けて活動し出したので、自然な形で自分の音楽を創り奏で、自由に活動をやって来れました。言い方を変えると、自分の居るべきレイヤーを早々に見つけたという事でしょうか。今思えば、そのレイヤーに自由に生きていられたのも、両親は勿論、一朝さんやH氏等、守ってくれる方々に恵まれていたんですね。だからこそ、毎年多くの仕事に恵まれ、収入も得ることが出来、今こうして琵琶を生業として生きていけている訳です。今でも守られている感じがするのですが、こうして年をくってみないと判らない、見えないことは多々ありますね。

世の中はめまぐるしい程にどんどんと変わって行きますので、自分が何かに強く囚われていると、あっという間に自分の居場所がなくなってしまいます。音楽家だったら、マイクロフォンやレコードが出現した時も、それまでの価値観が通用しなくなって、途方にくれた人も多かったと思います。マイクありきでどんどんと音楽が創られ、レコードを通して人々が音楽を楽しむようになって行くと、従来の価値観や技でやっていては、ライブもレコーディングもまるで対応出来ないなんてことも多々起きたでしょう。
これからの世の中も、同じようなことが起こって行くような気がしています。しかしこうしたことは太古の昔から人類は経験してきたのです。文字の発明なんかもそうですし、政治的な所では平安から鎌倉に変わった時など、まるで世の中の価値観が変わって、貴族などは右往左往する人が沢山いたはずです。それでも時は無常なまでに進んで行きます。世の中は人間に合わせて進んでくれません。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

今はその急激な変わり目に来ているのでしょう。大きな変化をどのように見ているかで、随分と生き方も変わります。変化の最初はいつも霧の中を彷徨うのです。そこを乗り越えて行かない限り、先には進めない。ものすごい戦いをしながら乗り越える人もいれば、すんなりと乗り越える人もいる。その人の見える現実(レイヤー)によって、それぞれ乗り越え方も違うと思いますが、皆少なからず戸惑い、失敗し、躓きながら霧の中を進むしかないのです。最初から輝かしい晴れ間はやって来ないのです。

私は何事にも時間がかかってしまう、大変不器用なたちなのです。新曲を創っても、何度も舞台で失敗をして、やっと形になるという体たらくなので、この先も、
音楽だけでなく何事にもずっとこの調子でやって行くと思います。このコロナ禍にあって、こういうスローペースのスタイルが通用して行くのかどうか判りませんが、もし通用するのなら、私はまだこの現世に生きる使命があるという事だと思っています。

そんな中でも、毎月の琵琶樂人倶楽部も再開し、この所は小さなライブをいくつかやり、今月はあうるすぽっとの公演(無観客配信)、来月には戯曲公演「良寛」の舞台等が入っています。当分大きな演奏会はなかなか出来そうにないですが、この急激な変化にどう対応して行くか、正に私の器が問われますね。
明日は第151回の琵琶樂人倶楽部です。今回は樂琵琶のお話などする予定です。私に出来るところを、先ずはやって行くところから始めて行きます。

運命の扉

世の中大分元通りになって来ましたね。特に私の根城である中央線~杉並区は、芸術系の連中のメッカともいえる地域ですので、高円寺辺りは特に自粛中の時でも結構エネルギーに満ちていて、今は良い感じに日常が戻って来ています。私はリハーサルなどで大久保のスタジオを使っているのですが、あの周辺も随分活気が出てきていますね。

コロナに関しては実態が判らないので、この状況が今後どうなるかは判りませんが、このウイルスによって、社会の在り方が問われ、また社会の、人間の色々なものが炙り出されたことは確かだと思います。そしてこれは次の時代への入り口でもあり、今運命の扉が開いたという事だ思っています。そしてこの扉は何も大きな社会的なものだけでなく、人それぞれにもありますね。

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30代後半の頃のプルフィール写真 今は見る影もありません・・・。
考えてみれば、私にとって大きな運命の扉は、作曲家の石井紘美先生に琵琶を勧められた時に開きました。あの頃はまだ20代後半。私は音楽家として生きて行きたいという志以外に何も持っていませんでした。石井先生はあれこれ世話を焼くタイプではなかったので、琵琶を勧められた後は、自分で手探りで、ちょっと習いに行ってみたり、曲を創ったり、ライブをやったりして好き勝手にやり始めました。今思うと、この好き勝手にやったことが、今の私を創ったと言えますね。一から流派の中で勉強し、そこから活動を始めていたら、今琵琶奏者には成っていなかったでしょう。大体石井先生は、私に琵琶を勧めてからすぐにヨーロッパに移り住んでしまったので、アドバイスをもらおうにも、どうにもなりませんでした。好き勝手にやるしかなかったのです。

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30代の頃、ターンテーブルやアナログシンセと共にクラブなんかでこんなことをやってました

私はとにかく琵琶が面白くて、最初からオリジナルの曲しか演奏しませんでした。自分の考えている世界を表現・具体化するために楽器をギターから琵琶に持ち替えたので、自分のオリジナルをやるために琵琶を弾いているという、この感じは、あの頃からずっと変わりませんね。最初は流派でも少し習いましたが、そのお稽古で習った曲を自分のライブでやるなどという発想は、初めから全く頭になかったです。未だに自分の舞台をやるのに、流派の曲を演奏する人の気持ちは理解が出来ません。

琵琶を始めてからは珍しさも手伝って、色んな所に出没するようになりました。まだ琵琶で生活して行くまでには至りませんでしたが、アルバイトをしながら、上の写真の様に結構色んな活動をしていました。それから何年も経って、石井先生は私に大きなチャンスを私に与えてくれました。石井先生の新作、コンピューターと琵琶の作品「HIMOROGI Ⅰ」上演の話を持ってきてくれたのです。それも演奏場所は何とロンドン。私は訳も分からず琵琶を担いで会場となったロンドンシティー大学に行き、一週間かけてリハーサル・本番をやってきたのですが、それは今後の活動に於いて、良いきかっけとなりました。更にその録音は数年後、現代音楽のトップレーベル、ドイツのWergoよりリリースされた石井紘美作品集「Wind Way」(2006年)の中に収録され、私の演奏が世界に飛び出たのです。その後このCDはNAXOSレーベルからもリリースされました。
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30代の半ば辺り、日暮里のライブハウス「和音」にて」

私は琵琶が自分にとって運命の扉だという事は、あの頃微塵にも思っていませんでした。ただ面白かっただけで毎日を過ごし、琵琶をやっていることで、様々な場所に導かれて行ったのです。自分が創りたい曲を創り、ライブハウスで仲間を集めて毎月その曲を演奏していました。将来の事すらろくに考えていませんでした。30代にしてこの調子ですから、おめでたいと言えばおめでたいのですが、あの頃は音楽をやる事しか頭に無かったのです。ライブをやっても当然お客さんにはろくに来てもらえず、当時大変お世話になっていた日暮里のライブハウス「和音」では、毎月、実験場のような感じで、どんどんとオリジナルを書いては上演していました。ただで頂けるまかない飯を毎回食べさせてくれた、オーナーの杉沼さんには本当に感謝してます。今思えば、導かれていたという事なのでしょう。自分でも不思議な位、あの頃はエネルギーに満ち、曲を書くスピードも速かった。導かれていたんだなと、今では思っています。
セネsカ

よく書いているセネカの言葉「運命は志ある者を導き、志無き者を引きずってゆく」は、今自分が心底感じている言葉です(余談:ちなみに運命という言葉自体は日本文学に於いて、平家物語で急に頻繁に使われだしました。現代人の感性の源泉は平家物語にあるのかもしれないですね)。

自分がワクワク出来るものは、程度の大小はあれど、自分にとっての運命の扉なのでしょう。私はお陰様で、琵琶で活動を始めた最初の頃と何ら変わらず、常に頭の中に新曲の構想がいくつも在って、周りの連中を引っ張り込んで演奏会をやり、ワイワイやって生きています。それだけ大きなワクワク感が未だに続いているという事です。
しかし今まで経験してきて多くの事も学びました。志を欲望の実現と感じる人は、何だか厳しい姿をしていますね。あらゆるしがらみや人間関係の駆け引きの渦に引き込まれ、そんな上昇志向に取りつかれている姿を見るのは、ちょっときついです。有名になりたい、お金が欲しい、肩書もらって小さな世界で偉くなりたいという気持ちは判らないでもないですが、そんな気持ちで、日々ワクワクしているのかな???。
mayu7身近な仲間には、長い逡巡の果てに運命の扉が開き、今順調に活動している方が何人か居ます。とても生き生きとしている様子で、見ているこちらも生き生きしてきます。その人は何もジャックポットを求めていた訳ではないのです。自分が自分らしく生きることを求めて長い間逡巡をし、その果てに出逢いがあったという事。だから今、自分の思うように人生を闊歩しているのです。
結局いくら運命の扉が開いても、そこに社会的成功やお金のような目先の欲望しか見い出せない人は、いつまで経っても何かに振り回され、時間を消費しているのではないでしょうか。もしかすると苦しさばかりを味わう事になるかもしれません。素直に等身大の自分になり切って、自分の人生を歩んでいかない限り、気持ちよく生きることは出来ないのは当たり前ですね。

運命の扉が開いていると感じたなら、それはワクワクするものを見つけられたという事。私には、お金や肩書などの「もの」は、未だに全く無いですが、世界最高のスペシャルなオリジナルモデルの琵琶と、誰にも創り得ないオリジナルな曲が何十曲も出来上がり、また細々ではありますが、今ではネット配信で世界の方が聴いていてくれます。音楽家としてはなかなかいい線行っているんじゃないかと思ってますよ。
ルーテル大久保2018-1-31-14
ルーテル東京協会にて、アイヌ音楽・文化との演奏会 小二田茂幸さん、宇佐照代さんらと

 

今世界は正に運命の扉が開かれたのです。ここにきて、まだ世界の国々が目先の覇権争いしか目に入らないようであれば、もう戦争しかないでしょう。この扉の開いた今を、新しい世界へのきっかけとして変わって行けたら、地球全体がまた水と緑の惑星として蘇るのではないでしょうか。今の地球は空も海も大地も汚染物質で死に絶える寸前です。この上更に人間が欲望の追求をして行ったら、どうなってしまうのでしょう。
理想論といわれるかもしれませんが、ぜひ素敵な音楽が満ちている社会であって欲しいと思っています。「物で栄えて、心で滅ぶ」ような世の中はもう止めないと。そしていつまでも国同士が争って、人種による差別やいじめが横行しているような社会では、何とも寂しいじゃないですか。その為にも先ず音楽家がワクワクしている位でないと!!。音楽家には、どんな時代にも素敵な音楽を生み出して欲しいのです。
ちょっとお知らせ
今度の土曜日7月4日には狛江駅前のインド料理屋さん「プルワリ」にて、尺八の藤田晄聖君と小さなライブをやります。18時開演です。今は大きな公演が無いので、小さなライブから始めています。是非お越しください。

メインテナンス~オリジナルモデルラインナップ

先日改造・修理に出していた、塩高モデル大型2号機が戻ってきました。

2020改造③2020改造②2020 改造①

2020フルセット①2020フルセット④

左側写真は、左から大型1号機、2号機、中型1号機、2号機(分解型)と並んでいて、月型はそれぞれ左からプラスティック、黒檀、金属、貝となっています。ここ20年の楽器の変遷が見れて面白いです。ご覧になりたい方は是非演奏会にどうぞ。
これで私の薩摩琵琶四面のラインナップが完成しました。これに塩高モデル樂琵琶が二面加わり、総勢6面の有志達(右の写真)が私を支えてくれているのです。駒などのメンテナンスは随時やって行きますが、もう大きな改造は必要無いですね。これで海外にも安心して持って行けます。
jackets1stCD「Orientaleyes」未だにお気に入りのデビューアルバムです。
私はCDを出す度にその音楽に見合う楽器をしつらえて8枚のCDを作りました。現在までにネット配信のみの作品集アルバムを入れるとアルバム10枚、教則DVD 1枚をリリースしています。その全てのアルバムはこの塩高モデル無くしては創り得なかったと感じています。

1st「Orientaleyes」は大型1号機、
2nd「MAROBASHI」は大型2号機、
3rd「沙羅双樹Ⅰ」は中型1号機、
4th「流沙の琵琶」は塩高モデル樂琵琶1号機、
5th「沙羅双樹Ⅱ」は中型2号機(まだ分解型に改造する前)、
6th「風の記憶」は塩高モデル樂琵琶1号機、
7th「The Ancient Road」は塩高モデル樂琵琶1号機と2号機、
8th 「沙羅双樹Ⅲ」は塩高モデル中型1号機、大型2号機で、それぞれ録音しました。3rd辺りまでは、4・5の絃がちょっと細めで、15番くらいでした。5thでは17番、8thでは19番とだんだん太くなって行きました。(2枚の作品集アルバムは、1st~8thまでの間に録音をしたものの、企画や権利関係でCDに収められなかった作品を集めています

これらの琵琶は、私の同志であり、もう体の一部ともいえる存在ですね。後20年程はこれ迄以上に暴れまわりたいので、今後もガンガンと弾き倒して行こうと思ってます。それにしっかりと答えてくれる、頼もしいやつらなのです。

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六本木ストライプハウスにて、坂本美蘭(パフォーマー)、藤田晄聖(尺八)

日本人は変化に対し保守的な人が多く、全体として一度出来上がったものを変えることに大変消極的ですが、私はこれからの時代、象牙やべっ甲、動物の皮等を使う事には反対です。どういう状況で象牙が取られているか、現代に生きている人なら判らないはずはありませんし、世界の人々の感覚を考えれば、新たな素材で新たな時代の良い音を追求すべきだと思います。私はもう何年も前からネット配信を世界に向けてやっていて、海外の方が主に私の作品を聴いていてくれるていますが、これだけ世界と繋がっている時代に、芸術に携わっている人間が視野を世界に向けず、50年前の村の中から意識が出ていないというのは良い姿とは思えません。

音楽はどんなものでも社会の中で音楽を響かせるという事が、一番の基本。それが民族音楽であればその地域の生活と主にあっただろうし、現代の様に世界に音源が流れ、演奏会も世界に飛び出して行く時代にあっては、「社会」が既に「世界」という状況なのです。今は経済だけを見ても中国やアメリカの動向が直接日本の暮らしに関わってくる時代です。いい加減に「日本の中の私」ではなく、「世界の中の私」という感覚を持たなければ音楽はやって行けません。そんな時代に在って、世界の中の私は何者なのであろうか、日本の歴史の最先端にいる自分はどんな音楽を奏でるのか、そういう所を考えるのが芸術家ではないでしょうか。今は自分の部屋に居ながら、世界の情報が入り、世界中からメッセージが飛び込んでくる時代です。自分の中の小さな世界で音楽をやっていてはオタク以上になりません。
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琵琶樂人倶楽部にて photo  新藤義久

音楽は時代と共に在ってこそ音楽であり、楽器は音楽と共に在ってこそ、生きた音色を奏でてくれるのです。今に生きる人、次世代を生きる人に向けた感覚がなくなったら音楽は届きません。私は6面の塩高モデルを弾き、琵琶の音色を次世代に、次々世代に届けたいのです。

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