涙の意味は~木ノ下歌舞伎 摂州合邦辻

先日池袋のあうるすぽっとにて、木ノ下歌舞伎の「摂州合邦辻」を観てきました。私は演劇の舞台には琵琶を始めた頃から毎年の様に関わっているのですが、観客としてじっくり観に行くのは久しぶりでした。内容は俊徳丸伝説をもとにしたもので、近世邦楽では定番の物語なのですが今回は糸井幸之介氏、木ノ下裕一氏の演出・上演台本によって、見事に現代の歌舞伎が実現していました。
監修・補綴・上演台本:木ノ下裕一       上演台本・演出・音楽:糸井幸之介
振付:北尾亘      音楽監修:manzo
観ていて、魂が泣き震えるような感動をおぼえました。生の舞台を観ていて涙が溢れてきたのは、本当に久しぶりで、ちょっと自分でも驚きでした。

あうるすぽっと「漱石と八雲」にて。左端から木ノ下さん、私、安田登先生、玉川奈々福さん
木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一さんとは、昨年と今年、同じあうるすぽっとの企画公演「能でよむ~漱石と八雲」にて御一緒させていただき、色々な話を通して、何とも相通じるような所を感じていましたが、木ノ下歌舞伎の生の舞台はまだ拝見していませんでした。今回は初めて生の舞台を拝見させていただいたのですが、あまりにドラマが我が身に迫ってきてしまい、まるで自分がそこに関わっているような想いがしてきて、涙が止まりませんでした。帰り際には木ノ下さんから声をかけてもらったのですが、涙を抑えることが出来ず、「良かった。良かった。良い舞台を創っていますね」と涙声で言うのが精いっぱいで、失礼をしてしまいました。
私は邦楽デビューが長唄の寶山左衛門先生の舞台(紀尾井ホール)でしたので、何かと歌舞伎には近い所に居るのですが、歌舞伎に詳しい訳でもなく、時々歌舞伎座に行く程度の経験と知識しかありません。
しかし木ノ下歌舞伎は現代の観客に向いているので、そんな私にも全然違和感もなくハードルを感じませんでした。またエンタテイメントを追いかけ、見た目の派手さばかりのものが多い中、そっちに逃げない姿勢も見事だと思いました。こういう所を古典芸能は考えないといけませんな。
ちょっとミュージカル的な感じもあり、いわゆる古典の歌舞伎とは全然違いますが、しっかり歌舞伎の要素も取り入れながら、現代演劇・歌舞伎として魅せてくれるのが良いですね。友人からも「木ノ下歌舞伎は面白いぞ」とさんざん言われていたので、今回は大きな期待を持って観に行ったのですが、その期待をはるかに超える感動が待っていました。
セリフは全体が古文調。古典の歌舞伎だったら「けれんみ」に感じるそのセリフ回しも、木ノ下歌舞伎では表現力が増して逆に言葉が入ってくる。音楽が現代の言葉で歌が歌われるせいか、古文調のセリフとの対比があって、セリフが全く古臭く感じない。むしろリアルに感じる程。また現在と過去を行き来するような脚本もいかしてましたね。歌舞伎の舞踊を適度に取り入れているところも見どころの一つになっていました。
有名な演目なのでドラマの中身は判っていましたし、オリジナルの音楽や歌詞、演技や振り付けにも感心しましたが、そういう細かな演出は後から思い返して想うもので、観ている時にはそういう部分ではなく、全体のドラマがそのまま奥深い所から、ぐいぐいと私を惹きつけてきたのです。

前半からちょっとばかりぐぐっと来るな、なんて思ってはいたのですが、後半がやばかった。もうクライマックスとなる最期の玉手御前の瀕死の告白の頃になると、ドラマがそのまま自分の身に入り込んでしまって様々な事が脳裏をよぎり、今迄の自分の体験とどこかで繋がってしまうようなリアルさで、自分自身がドラマの中に入り込んでしまいました。亡くなった両親や兄弟、友人知人の事など、どんどんと繋がって行って、どこか自分のドラマを見ているような気分になっていましたね。生と死、欲、愛、執着・・・正にドラマですね。こういう時期でもありますが、特に「死」という部分には感じるものがありました。以前夢中になって観ていたオペラなんかも同じようなテーマを扱っているのですが、やっぱり字幕を追いかけていでは、このドラマは入って来ません。古典として練られているという事もありますが、日本の話になると話の入り方が違いますね。こういうのをカタルシスというのでしょうか。

日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師の津村禮次郎先生

少し冷静になって思い返してみると、今回の舞台は私が目指している日本音楽の最先端というヴィジョンが正に舞台に実現していました。形ややり方は私と違いますが、この風土にずっと伝えられてきたものを、現代の人がリアルに自分の身を通して感じることが出来る。これこそ私の求めているものと同じだ、と今じわじわと感じています。さすがは木ノ下歌舞伎です。

現在、私も含めて舞台人が皆がYoutube
などで配信をしている状況ですが、生の舞台の灯を消してはいけないですね。音楽でも演劇でもリアルな体験としての生の舞台は、人間のエネルギーです。映像もいいけれど、映像は生の舞台とはまた別の表現形態と思わないと、良いものは創れません。映像を生の舞台のピンチヒッターの様にしてしまっているから、魅力が半減してしまうのです。生の舞台と映像作品を別物として分けて発信して行くようにすると、もっと舞台にも映像作品にも、大きな感動が満ちて行くと思います。

日本には歴史も風土も芸能も、もう数えきれない程素晴らしいものが溢れています。そうしたものを受け継ぐという事は、次世代へ向けてまた新たな魅力を発信して行く、つまり「創る」という事ではないでしょうか。私は創るために受け継いでいるように思っています。私に何が出来るか判りませんが、これからも生の舞台を大事にしながら、次世代の日本音楽を創って行きたいですね。

久しぶりに身も心も震える感動をしました。ありがとうございました。

古都に響く

先週末、金沢で能楽師の安田登先生、俳優の佐藤蕗子さんと演奏してきました。昼間は海みらい図書館にて「雨月物語」を、夜は能楽美術館にて「耳なし芳一」を上演してきました。海みらい図書館での演奏では、地元の琵琶愛好家の方(私が若き日に習っていた錦心流琵琶の方)も駆けつけてくれまして、ご縁を頂きました。

夜の部は同時配信されましたので、Youtubeでご覧になれますので、是非観てやってください。
能楽美術館の方は、響きがちょっとショートディレイな感じでなかなか良くて、共演の佐藤蕗子さんも、もう何度もやっている演目なので、よい感じの間合いになって気持ち演奏良く出来ました。

金沢に来るのははもう4年ぶりでした。相変わらず街のあちこちに古いものが残っていての風情が良いですね。演奏会の次の日は新幹線の予約も午後でしたので、朝早くから金沢の街をぐるぐると「ほっつき歩き」、堪能してきました。私はとにかくどこへ行っても歩き回るのです。車の運転が出来ないこともあるのですが、てくてくとほっつき歩いていると、色んな発見があるんですよ。今回はお天気にも恵まれ、実に良いお散歩となりました。気分も上々。帰りには21世紀美術館にも立ち寄り、色々と観て来ました。

何かが生まれるには多くの要因が必要だと、この頃よく思います。文化を育むには、日々の営みがあってこそ。有益なものばかりを追いかける、現代社会の弾力の無さ、余裕の無さは、とても文化を育んで行ける状態とは思えないのです。
金沢の街を歩いていると、玄関先のちょっとした植木や、道端の石塔、古を伝える建築物等々ほっこりするようなものに沢山出逢います。もちろん結構な繁華街もありますが、街のそこかしこに、つい目をやってしまうようなものが溢れているのです。こうしたものは合理性には程遠いかもしれないけれど、そこから我々は多くのものを感じ、風土を記憶に刻み、古を想い、それらを土台として新たな日本の文化を創造して行くのではないでしょうか。実はそこが大きなエネルギーになっているように思えるのです

コンクリートジャングルからも音楽は生まれるでしょう。でも受け継ぐこと無しに、自分の力で新たな形を創り出せると思っているのは、現代人の大きな勘違いであり、罪です。我々一人一人の命は勿論の事、街並みでも、言葉でも、皆過去を受け継いでいるからこそ、今ここに存在している、という事を忘れてはいけない。我々現代日本人を成しているのは、古からの脈々と繋がる命と文化の連鎖があってこそなのです。自分なりの形で自然と受け継いでゆくものは、大きなエネルギーとなって、次世代を育むのです。今現代日本は、どの分野を見ても、そこに想いを持とうともせず。大事なことをすっぽりと忘れて、自分で何でもやっている、出来ると思い込んでいる。
目を開かないと!!!!

能楽美術館での舞台

金沢の街はそんなことをふと考えさせる風情がありました。街の中にアートがいっぱいあるというのは良いですね。さすが金沢。文化が深い。また是非演奏会をやりたいですね。また安田先生とは、来年の企画がどんどんと湧いてきて、随分と話が盛り上がり、今後も何だか面白くなりそうです。

今回は、大好物の「じぶ煮」にありつくことが出来ず、ちょっと心残りでしたが、しかしまあ、またおいで、というメッセージだと思って金沢を後にしました。

和して同ぜず

この所演奏会が目白押しです。神戸から帰って来て、品川区のシルバー大学での講座第二回目をやって、次の日には琵琶樂人倶楽部にて「四季を寿ぐ歌組曲」の再演。日曜には朗読家の櫛部妙有さんと武蔵ホールでの公演。明日は生産性本部のセミナー、週末は金沢にて昼夜公演と、何だか駆けずり回っている感じです。毎年秋と6月はこんな感じですが、今年のような特別な一年でも、こうして変わりなく演奏して行けることの幸せを感じております。

先日の神戸シン・エナジー本社での記念撮影
この所、能楽師の安田登先生と御一緒することが多いのですが、安田先生は漢文や古代文字の先生でもありますので、よく孔子のお話しをします。私も横で聞いていて、なるほどと思う事が多く、中でも「和して同ぜず」という言葉はこれからの時代に、大事な言葉になるだろうと、いつも感じています。

私はジャズ出身ということもあり、自由に自分の作曲した作品を弾いて仕事をさせてもらっていますが、同じ音楽家でも、私のような独自のスタイルを、異質に感じる人も多いかと思います。またリスナーの方でも、琵琶と言えば「耳なし芳一」のようなイメージが出来上がってしまっていて、私の弾く薩摩琵琶や樂琵琶は??な感じに思う方も多いみたいです。大体どこに行っても「ロックだ」と言われることが多いですね。
琵琶のようなものはともかくとして、今の日本は、どうも「思い込み」が様々な所で強くなっているのではないでしょうか。何となくの「思い込み」が、今のような非常時になると、いつしか「こういうものだろう」「こうあるべきだ」という具合に、同調圧力へとつながっているような気がします。異質なものを面白がる位でいてくれると良いのですが、人間追い詰められると、異質なものを排除しにかかりますね。

広尾 東江寺にて 安田登先生、狂言師の奥津健太郎先生と

「和」するとは、皆が同じ形になる事ではありません。字の語源を辿ると、違う調子の笛が束になっている形なのですが、異なる様々なものが一緒になっている状態が「和」です。「同」とは一緒に居るものが皆同じ質になるという事。つまり「和して同ぜず」とは、異なるものは異なるままに、同じ社会の中に生きている、多様性のある社会といい変えても良いと思います。「和を持って尊しとなす」は皆が同じになるという事ではなく、色々な人が協調し合って生きるという事ではないのでしょうか。

今は皆、不安が募り、自分と違うものを排除しようとする気持ちが強くなっています。異質なものを攻撃することで安心し、同じ想いの仲間と繋がり、目先の安心を得る。これはネットのフィルターバブルと同じ現象です。SNSなどで「いいね」が集まって来て、自分の意見が世論正論だと勘違いしてしまう。本来全世界と繋がることが出来、様々なものと出逢うことが出来るネットをやっているのに、かえって偏狭な視野へと、自分を追い込んで、お仲間と頷き合っているだけという事が判らなくなってしまうのです。
櫛部妙有さんとヴィオロンにて photo 新藤義久

先日、櫛部妙有さんと国木田独歩の「たき火」を演奏してきましたが、その内容が明治期の逗子を舞台にしたもので、明治という変化の時代に、これからを生きる子供たちの無邪気さと、行き場の無い老いた旅人の対比が、沸き立つように描かれた作品でした。場所柄、平家物語「六代」などの、一つの時代の滅亡を感じさせる歴史を背景に持ちつつ、古い価値観が新たな価値観へと変化しつつある中で、淘汰され行く者と、これからを生きる者が浮かび上がり、移り行く時代を深く感じさせるものでした。

現代日本人は、一つのレールやレイヤーで判断しがちです。別の視点というものを持つ事が、本当に不得手になっているように思えます。「勝ち組」「負け組」などという言葉を使い、学歴や年収など目に見えているところで人も物も測り、多様なもの、多様な生き方を受け入れられない。そんな現代人の姿は、これからの世界に於いて、本当に危ういものを感じずにはいられません。
物、金、肩書、学歴、そういうものをどうしても欲しくなってしまう人は、肩書や年収を得てきたことがプライドだと勘違いしている。音楽家だったら、音楽が評価の対象であり、学者だったらその研究の中身こそ価値があるのに、そこに目を向けず、外側に誇示された派手な看板に目を奪われ、そこを追いかけ、振り回されてしまう。

しかし世界はもうどんどんと動き出して、次の価値観へとシフトして行っているのではないでしょうか。よく「風の時代」等とも言われていますが、このままだと、新たな時代に取り残される、「たき火」の老旅人や柳生石舟斎のような人が溢れ、そこからくる混乱や騒動が増えてくるような気がしています。

キッドアイラックアートホールにて 牧瀬茜(ダンス) SOOM KIm(Sax) ヒグマ春夫(映像)各氏と
自分と違う感性を受け入れることが出来るかどうか、技術よりも知識よりも、感性をシフトして行けるかどうか。今、我々は、そこを問われているように思えてなりません。

風の街にて

先日神戸で演奏してきました。神戸は、かなり前に某大学で特別講座をやらせていただいたのですが、三宮の街や港を見るのは、先月に伺った時が初めてでした。最初は何だかちょっと横浜っぽいな、という程度の印象だったのですが、今回は東京とは違う独特の風を感じました。

4
シンエナジー本社での演奏会の様子

今回も、この所お世話になっている能楽師の安田登先生とSpacの俳優 榊原有美さんとのトリオでの演奏でした。主催はシン・エナジーという、エネルギーを基軸に自然との共生を目指す活動を展開している会社の主催でした。
シン・エナジー https://www.symenergy.co.jp/

今回主催してくれたこの会社は「未来の子どもたちからの 【ありがとう】のため、生きとし生けるものと自然が共生できる社会を創造する」というのがテーマで、常に先の展開まで考えて仕事を創っている会社なので、とても共感できる話を聞かせて頂き、嬉しかったです。
今年は自粛期間が長かったこともあり、色々な人と話をしたのですが、世の中あらゆる意見や見方があるという事がよく判りましたね。普段は音楽や芸術の事しか話さない人も、このコロナ禍では色々と考えたり感じたりしているのか、良い話も、驚くような話も沢山聞かせてもらいました。やはり対面で話をすると、思わぬ話題に展開したりして面白いですね。Zoomの画面越しでは、話せる話もままなりません。
5色んな人と話をしていると、その人の今の状態というのがよく判りますね。私の状態も何か感じてもらっていることと思いますが、何か活動を展開している人は、あらゆるものから多くの何かを受け取る力を持っている、と最近よく思います。逆に何か活動が行き詰まっている仲間をみると、かたくなに成り過ぎて、言葉もものも受け入れることが出来ないでいる状態の人が多いように思えます。一途な気持ちは大事ですが、頭を柔らかくして視野を大きく持つことが必要ですね。そして何よりも目の前の事をただ頑張るのではなく、何に向かって頑張っているのか。自分がこれからどうしたいのか。何故そうしたいのか。そういう所がはっきりと見えているかどうかがとても大切です。特にこれは音楽家には本当に大事な部分で、多くの音楽家は「売れる」ことに一喜一憂してしまい、飛び回って動いている自分に酔って、本来の目的(初心)をいつしか忘れてしまうのです。
松林屏風2

かの長谷川等伯も、お寺が建立されたと言えば営業をかけ、営業活動に大変いそしんだそうですが、それは全て、描きたいものを描くためにやっていたのです。
先を見ずに突っ走っていると、見えるものしか追わなくなるので、どうしてもキャパが小さくなりがちです。時には自分とは基準の違うものにも目を向ける位のキャパが、是非欲しいですね。
現代日本は特に、社会全体に渡ってそういう柔軟な部分がどんどんと失われているように感じます。私はSNSはやっていないのですが、時々見聞きすると、個人の感情を吐き出すようなものが目につきます。極端なことでも何か書き込めば、フィルターバブル現象によって、必ず上辺だけ共感する人が出てくるのでしょうが、自分の基準でしかものを見ないようになると、多様なものを受け入れる力がどんどんと失われて、見えるものも見えて来ません。社会から離れオタク化して行ってしまいます。

日本人は特に「きちんとしている」「普通」という感覚が変に強く、自粛〇〇などにも代表されるように、内容や理由に関係無く、形が整っているものを求め、自分と違う行動をする人や異質なものを排除したがります。多様性を受け入れるのが本当に下手です。
そして今の社会は、中身を見ずに表面の形で判断し過ぎではないでしょうか。つまりは物事に深く接しようとせず、外側の「きちんとしている」ものばかりを追い求めている、近視眼的な傾向にあるのでしょう。旨い酒を飲むのに余計な口上は要りませんし、良い音楽を聴くのに、つまらん肩書や受賞歴も必要ないでしょう。「風の時代」という事も盛んに言われ出していますが、もうそろそろそんな見かけで動くような世の中は終わりに来ているのではないでしょうか。
枯木鳴鵙図
宮本武蔵作 枯木鳴鵙図
私は昔の武道の達人たちにも興味があるのですが、歴史に名を残す様な方々は、皆さん見ているところが違いますね。実に幅広く世の中を見渡して、且つその上でミクロのような武道の技に心を向けている。宮本武蔵など良い例ですが、あらゆるものの中に武道の技や神髄を見て取り、我がものにしてしまう。「一道は万芸に通ず」なんてことも言っていますが、やはり頭が柔軟で、しかもとびぬけて鋭かったのでしょう。世阿弥も同じことを言っていますが、利休、芭蕉、琵琶の永田錦心などもそうだったのではないでしょうか。周りの物を見て、そこから多くのものを受け取り、時代の最先端を創り上げてしまう。勉強した事しか判りません、という人が多い現代の世の中ですが、こういう姿勢を持って過ごしたいものです。

そしてもう一つ、最近気になっているのが、陰陽のバランスです。しなやかに活動を展開している人は、陰陽が整っている。陰陽というと漠然としていますが、体の動き一つとっても、全体が連動して動くことはそのまま陰陽のバランスといってよいでしょう。私はそこがとても大事なように感じています。
古武術の稽古でも、陰陽の話しは常に出てくるのですが、人体というものは、世の中や地球そのものと言ってもよいような構造をしているもので、肉体や精神が整う事は個人のみならず、社会が良くなる事でもあります。

右手を動かそうと思ったら、右手だけで動かしても大した力は出ません。一つの動きには体全体が関わっていて、体全体が連動する事で小さな動きも十分な力を発揮します。これを自分の行動活動全てに当てはめてみると、何かに囚われて、一部分しか見えなくなっている時は、陰陽が連動していない状態です。だから大した成果は出ません。技に囚われ音楽が見えない時、売れる事ばかり考えて活動している時、こういう時は良い音楽は出て来ませんね。

陰陽を言い換えると、響き合っているともいえるかと思います。地球も国家も社会も人体も、皆すべてに言えることです。つまりは地球環境でも人体でも、すべては連動し、共鳴し、響き合っているという事です。そこを無視して目の前の事だけをやろうとすれば、どこかに無理が出て来ますし、また将来へ負の遺産を残すことにもつながってしまいます。
2
琵琶樂人倶楽部にて photo新藤義久

現代社会では、あまたのストレスや情報で心も体も陰陽のバランスを崩しているのではないでしょうか。このままだと、本来のものの姿は見えて来ません。人間も社会も政治も、どんどんと偏狭な世界に走ってしまいそうです。このコロナパンデミックも、今一度現状を考え直してみる機会を与えられているのかもしれませんね。

いつもと違う風を身に受けて、想いが広がりました。

 

Eruption

エドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなりました。

ヴァンヘイレン1

琵琶人にとっては、どうでも良い話かもしれません。しかし私にとっては大きな大きな時代の節目なのです。このブログでもヴァンヘイレンについては色々と書いてきましたが、やはりジミヘン以降、その爆発的なテクニックとスタイルで、時代を一気に次の段階へと推し進めた、その事実はこれからも語り継がれてゆくでしょう。
私の琵琶は、ヴァンヘイレンの1stアルバムの中に収録されている「Eruption」の音を基に設計されました。あの唸る低音と、他の追随を許さない圧倒的な音の煌めきと存在感。新たな時代を告げる最先端のセンスは、正に私が琵琶に求めたものと一致したのです。ライトハンド奏法や斬新なアーミングという新しいテクニックは、驚く以外に何があるだろう、という位凄いの衝撃で、彼の登場以前と以降では、歴史区分が変わるほどの大きなターニングポイントとなったのです。ギター本体にも大きな変化あり、今では当たり前になっているパーツもヴァンヘイレンから一般的になりました。その変化は、平安から鎌倉に移るくらいのインパクトがありましたね。

イルホムまろばし10sウズベキスタンのイルホム劇場にて、アルチョム・キム率いるオムニバスアンサンブルと、拙作「まろばし」演奏中
もう30年近く前、私は琵琶の音に惹かれて琵琶を始めたのですが、いざ演奏会に行っても、とにかく皆さん琵琶を弾かずに、顔を真っ赤にして歌っているばかり。そしてその音程はかなり調子っぱずれで、歌詞は戦争や人が死んでゆく話ばかり。正直本当にがっかりしました。ギターだろうがピアノだろうが、音楽が良くなければ、誰でも聴きたくはないですよね。ジャズをやっていた人間からすると、これだけ魅力的な音色を持っている楽器を手にしているのに、自分の音楽を創ろうとせず、歌に意識が行ってしまって楽器を弾こうとしない事に、全く持って理解不能でした。更に付け加えるとやたらと〇〇流だの、何とか先生だのという会話もうんざりでしたね。そんな状況を、琵琶を手にした最初に目の当たりにしたので、私は早い段階から流派を離れて活動しているのです。20年以上プロとして活動をしてきて、全ての仕事で自分の作曲した曲を演奏して活動していますが、我が道を貫いて来て、本当に良かったと思っています。

とにかく声と切り離して、琵琶の音を聴かせたかった。これだけ魅力的な音色を持っているのに、何故それを響かせようとしないのか、未だに不思議です。弾き語りというのは、語るべき強い想いのある人には有効なスタイルだと思いますが、歌手や語り手としてみたら半人前以上にしかならないし、楽器の演奏者として見ても、到底高いレベルには至らない。やる側に、ボブディランやジョンレノンの様に語るべき大きな世界があってこそ成り立つスタイルです。お稽古で習った曲を得意になってやっても、誰も聞いてはくれません。私は琵琶の、あの妙なる音を、とにかく大いに響かせたかったのです。

2mayu46

左:キッドアイラックアートホールにて灰野敬二、田中黎山各氏と。中:季楽堂にて吉岡龍見さんと。
右:みずとひにて安田登先生と

器楽としての琵琶樂を最初から標榜している私としては、先ず器楽演奏に耐えられる楽器を作る所から始めました。ヴァンヘイレンがフロイトローズのアームユニットを取り付けたようなものです。先ず自分で大体の設計をして、琵琶製作者の石田克佳さんに依頼しました。石田さんに細かい所を見直してもらって、色々なやり取りの末、製作してもらったのですが、その時頭に描いていたのが、ヴァンヘイレンの「Eruption」です。多分石田さんにも聴かせたと思います。能管や尺八と一緒にやっても対等に渡り合える音量・音圧、そして一音の存在感。これがどうしても必要でした。従来の薩摩琵琶は弾き語りの伴奏という発想しかなかったので、ここがとにかく音が弱々しかったのです。私は、薩摩琵琶のポテンシャルの高さを感じていたし、この魅惑的な音色を何とか、全面トップに持って行き、これから始まる琵琶の新時代にふさわしい機能と質を持った楽器として薩摩琵琶を再生したかったのです。

IMGP0652この塩高モデルのお陰で私は1stアルバム「Orientaleyes」を作り、第一曲目に今でも私の代表曲である「まろばし」を冠し、世に打って出たのです。かなり遅いデビューではありますが、やっと私の考える音楽が具現化して、それをCDで出す事が出来るという事が本当に嬉しかったですね。
国内では今でも毎月の様に、また海外でも行く度に「まろばし」を演奏してきました。薩摩琵琶の演奏会で「まろばし」を演奏しないという事はまずありえません。残念ながらヴァンヘイレンの様に世界中に広まることは無かったですが、この塩高モデルのお陰で「まろばし」が出来上がり、私は器楽としての琵琶樂をやって行く決心がつき、これまでずっとやって来れました。
これを作った時は私も石田さんもまだ30代。お互い若かったですが、あの頃の勢いがあったからこその今だと思っています。





これまで多くの天才たちが、新たな時代を創り上げ、時代を創って行きました。日本では世阿弥や利休、芭蕉。琵琶でしたら永田錦心。ジャズならマイルスやオーネット・コールマン。タンゴならピアソラ。クラシックならバルトークやドビュッシー・・・・。キリがないですが、エドワード・ヴァン・ヘイレンもその一人。ブリティッシュの色が強く、重く暗かった当時のロックを一気に明るく、リズミックにアメリカンなセンスに塗り替え、アドリブに使うスケールもブルーノート一辺倒から、ダイアトニックなどを意識したメロディーラインに変えていったのがヴァンヘイレンです。今では当たり前のテクニックも楽器のハードな面も皆、彼から始まったのです。私の琵琶人生もエドワード・ヴァン・ヘイレンなくしてあり得ません。彼のあのギターの音があったからこそ、器楽としての琵琶の音楽を創り、これまでやって来れたと思っています。


y30-22

左:大型琵琶が出来上がった頃、かつて日暮里にあった邦楽ジャーナル倶楽部 和音にて、
左:現在の私 日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師 津村禮次郎先生と(photo新藤義久)

今夜はCDを聴きながら、ゆっくりと振り返っています。やすらかに。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.