和して同ぜず

この所演奏会が目白押しです。神戸から帰って来て、品川区のシルバー大学での講座第二回目をやって、次の日には琵琶樂人倶楽部にて「四季を寿ぐ歌組曲」の再演。日曜には朗読家の櫛部妙有さんと武蔵ホールでの公演。明日は生産性本部のセミナー、週末は金沢にて昼夜公演と、何だか駆けずり回っている感じです。毎年秋と6月はこんな感じですが、今年のような特別な一年でも、こうして変わりなく演奏して行けることの幸せを感じております。

先日の神戸シン・エナジー本社での記念撮影
この所、能楽師の安田登先生と御一緒することが多いのですが、安田先生は漢文や古代文字の先生でもありますので、よく孔子のお話しをします。私も横で聞いていて、なるほどと思う事が多く、中でも「和して同ぜず」という言葉はこれからの時代に、大事な言葉になるだろうと、いつも感じています。

私はジャズ出身ということもあり、自由に自分の作曲した作品を弾いて仕事をさせてもらっていますが、同じ音楽家でも、私のような独自のスタイルを、異質に感じる人も多いかと思います。またリスナーの方でも、琵琶と言えば「耳なし芳一」のようなイメージが出来上がってしまっていて、私の弾く薩摩琵琶や樂琵琶は??な感じに思う方も多いみたいです。大体どこに行っても「ロックだ」と言われることが多いですね。
琵琶のようなものはともかくとして、今の日本は、どうも「思い込み」が様々な所で強くなっているのではないでしょうか。何となくの「思い込み」が、今のような非常時になると、いつしか「こういうものだろう」「こうあるべきだ」という具合に、同調圧力へとつながっているような気がします。異質なものを面白がる位でいてくれると良いのですが、人間追い詰められると、異質なものを排除しにかかりますね。

広尾 東江寺にて 安田登先生、狂言師の奥津健太郎先生と

「和」するとは、皆が同じ形になる事ではありません。字の語源を辿ると、違う調子の笛が束になっている形なのですが、異なる様々なものが一緒になっている状態が「和」です。「同」とは一緒に居るものが皆同じ質になるという事。つまり「和して同ぜず」とは、異なるものは異なるままに、同じ社会の中に生きている、多様性のある社会といい変えても良いと思います。「和を持って尊しとなす」は皆が同じになるという事ではなく、色々な人が協調し合って生きるという事ではないのでしょうか。

今は皆、不安が募り、自分と違うものを排除しようとする気持ちが強くなっています。異質なものを攻撃することで安心し、同じ想いの仲間と繋がり、目先の安心を得る。これはネットのフィルターバブルと同じ現象です。SNSなどで「いいね」が集まって来て、自分の意見が世論正論だと勘違いしてしまう。本来全世界と繋がることが出来、様々なものと出逢うことが出来るネットをやっているのに、かえって偏狭な視野へと、自分を追い込んで、お仲間と頷き合っているだけという事が判らなくなってしまうのです。
櫛部妙有さんとヴィオロンにて photo 新藤義久

先日、櫛部妙有さんと国木田独歩の「たき火」を演奏してきましたが、その内容が明治期の逗子を舞台にしたもので、明治という変化の時代に、これからを生きる子供たちの無邪気さと、行き場の無い老いた旅人の対比が、沸き立つように描かれた作品でした。場所柄、平家物語「六代」などの、一つの時代の滅亡を感じさせる歴史を背景に持ちつつ、古い価値観が新たな価値観へと変化しつつある中で、淘汰され行く者と、これからを生きる者が浮かび上がり、移り行く時代を深く感じさせるものでした。

現代日本人は、一つのレールやレイヤーで判断しがちです。別の視点というものを持つ事が、本当に不得手になっているように思えます。「勝ち組」「負け組」などという言葉を使い、学歴や年収など目に見えているところで人も物も測り、多様なもの、多様な生き方を受け入れられない。そんな現代人の姿は、これからの世界に於いて、本当に危ういものを感じずにはいられません。
物、金、肩書、学歴、そういうものをどうしても欲しくなってしまう人は、肩書や年収を得てきたことがプライドだと勘違いしている。音楽家だったら、音楽が評価の対象であり、学者だったらその研究の中身こそ価値があるのに、そこに目を向けず、外側に誇示された派手な看板に目を奪われ、そこを追いかけ、振り回されてしまう。

しかし世界はもうどんどんと動き出して、次の価値観へとシフトして行っているのではないでしょうか。よく「風の時代」等とも言われていますが、このままだと、新たな時代に取り残される、「たき火」の老旅人や柳生石舟斎のような人が溢れ、そこからくる混乱や騒動が増えてくるような気がしています。

キッドアイラックアートホールにて 牧瀬茜(ダンス) SOOM KIm(Sax) ヒグマ春夫(映像)各氏と
自分と違う感性を受け入れることが出来るかどうか、技術よりも知識よりも、感性をシフトして行けるかどうか。今、我々は、そこを問われているように思えてなりません。

風の街にて

先日神戸で演奏してきました。神戸は、かなり前に某大学で特別講座をやらせていただいたのですが、三宮の街や港を見るのは、先月に伺った時が初めてでした。最初は何だかちょっと横浜っぽいな、という程度の印象だったのですが、今回は東京とは違う独特の風を感じました。

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シンエナジー本社での演奏会の様子

今回も、この所お世話になっている能楽師の安田登先生とSpacの俳優 榊原有美さんとのトリオでの演奏でした。主催はシン・エナジーという、エネルギーを基軸に自然との共生を目指す活動を展開している会社の主催でした。
シン・エナジー https://www.symenergy.co.jp/

今回主催してくれたこの会社は「未来の子どもたちからの 【ありがとう】のため、生きとし生けるものと自然が共生できる社会を創造する」というのがテーマで、常に先の展開まで考えて仕事を創っている会社なので、とても共感できる話を聞かせて頂き、嬉しかったです。
今年は自粛期間が長かったこともあり、色々な人と話をしたのですが、世の中あらゆる意見や見方があるという事がよく判りましたね。普段は音楽や芸術の事しか話さない人も、このコロナ禍では色々と考えたり感じたりしているのか、良い話も、驚くような話も沢山聞かせてもらいました。やはり対面で話をすると、思わぬ話題に展開したりして面白いですね。Zoomの画面越しでは、話せる話もままなりません。
5色んな人と話をしていると、その人の今の状態というのがよく判りますね。私の状態も何か感じてもらっていることと思いますが、何か活動を展開している人は、あらゆるものから多くの何かを受け取る力を持っている、と最近よく思います。逆に何か活動が行き詰まっている仲間をみると、かたくなに成り過ぎて、言葉もものも受け入れることが出来ないでいる状態の人が多いように思えます。一途な気持ちは大事ですが、頭を柔らかくして視野を大きく持つことが必要ですね。そして何よりも目の前の事をただ頑張るのではなく、何に向かって頑張っているのか。自分がこれからどうしたいのか。何故そうしたいのか。そういう所がはっきりと見えているかどうかがとても大切です。特にこれは音楽家には本当に大事な部分で、多くの音楽家は「売れる」ことに一喜一憂してしまい、飛び回って動いている自分に酔って、本来の目的(初心)をいつしか忘れてしまうのです。
松林屏風2

かの長谷川等伯も、お寺が建立されたと言えば営業をかけ、営業活動に大変いそしんだそうですが、それは全て、描きたいものを描くためにやっていたのです。
先を見ずに突っ走っていると、見えるものしか追わなくなるので、どうしてもキャパが小さくなりがちです。時には自分とは基準の違うものにも目を向ける位のキャパが、是非欲しいですね。
現代日本は特に、社会全体に渡ってそういう柔軟な部分がどんどんと失われているように感じます。私はSNSはやっていないのですが、時々見聞きすると、個人の感情を吐き出すようなものが目につきます。極端なことでも何か書き込めば、フィルターバブル現象によって、必ず上辺だけ共感する人が出てくるのでしょうが、自分の基準でしかものを見ないようになると、多様なものを受け入れる力がどんどんと失われて、見えるものも見えて来ません。社会から離れオタク化して行ってしまいます。

日本人は特に「きちんとしている」「普通」という感覚が変に強く、自粛〇〇などにも代表されるように、内容や理由に関係無く、形が整っているものを求め、自分と違う行動をする人や異質なものを排除したがります。多様性を受け入れるのが本当に下手です。
そして今の社会は、中身を見ずに表面の形で判断し過ぎではないでしょうか。つまりは物事に深く接しようとせず、外側の「きちんとしている」ものばかりを追い求めている、近視眼的な傾向にあるのでしょう。旨い酒を飲むのに余計な口上は要りませんし、良い音楽を聴くのに、つまらん肩書や受賞歴も必要ないでしょう。「風の時代」という事も盛んに言われ出していますが、もうそろそろそんな見かけで動くような世の中は終わりに来ているのではないでしょうか。
枯木鳴鵙図
宮本武蔵作 枯木鳴鵙図
私は昔の武道の達人たちにも興味があるのですが、歴史に名を残す様な方々は、皆さん見ているところが違いますね。実に幅広く世の中を見渡して、且つその上でミクロのような武道の技に心を向けている。宮本武蔵など良い例ですが、あらゆるものの中に武道の技や神髄を見て取り、我がものにしてしまう。「一道は万芸に通ず」なんてことも言っていますが、やはり頭が柔軟で、しかもとびぬけて鋭かったのでしょう。世阿弥も同じことを言っていますが、利休、芭蕉、琵琶の永田錦心などもそうだったのではないでしょうか。周りの物を見て、そこから多くのものを受け取り、時代の最先端を創り上げてしまう。勉強した事しか判りません、という人が多い現代の世の中ですが、こういう姿勢を持って過ごしたいものです。

そしてもう一つ、最近気になっているのが、陰陽のバランスです。しなやかに活動を展開している人は、陰陽が整っている。陰陽というと漠然としていますが、体の動き一つとっても、全体が連動して動くことはそのまま陰陽のバランスといってよいでしょう。私はそこがとても大事なように感じています。
古武術の稽古でも、陰陽の話しは常に出てくるのですが、人体というものは、世の中や地球そのものと言ってもよいような構造をしているもので、肉体や精神が整う事は個人のみならず、社会が良くなる事でもあります。

右手を動かそうと思ったら、右手だけで動かしても大した力は出ません。一つの動きには体全体が関わっていて、体全体が連動する事で小さな動きも十分な力を発揮します。これを自分の行動活動全てに当てはめてみると、何かに囚われて、一部分しか見えなくなっている時は、陰陽が連動していない状態です。だから大した成果は出ません。技に囚われ音楽が見えない時、売れる事ばかり考えて活動している時、こういう時は良い音楽は出て来ませんね。

陰陽を言い換えると、響き合っているともいえるかと思います。地球も国家も社会も人体も、皆すべてに言えることです。つまりは地球環境でも人体でも、すべては連動し、共鳴し、響き合っているという事です。そこを無視して目の前の事だけをやろうとすれば、どこかに無理が出て来ますし、また将来へ負の遺産を残すことにもつながってしまいます。
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琵琶樂人倶楽部にて photo新藤義久

現代社会では、あまたのストレスや情報で心も体も陰陽のバランスを崩しているのではないでしょうか。このままだと、本来のものの姿は見えて来ません。人間も社会も政治も、どんどんと偏狭な世界に走ってしまいそうです。このコロナパンデミックも、今一度現状を考え直してみる機会を与えられているのかもしれませんね。

いつもと違う風を身に受けて、想いが広がりました。

 

Eruption

エドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなりました。

ヴァンヘイレン1

琵琶人にとっては、どうでも良い話かもしれません。しかし私にとっては大きな大きな時代の節目なのです。このブログでもヴァンヘイレンについては色々と書いてきましたが、やはりジミヘン以降、その爆発的なテクニックとスタイルで、時代を一気に次の段階へと推し進めた、その事実はこれからも語り継がれてゆくでしょう。
私の琵琶は、ヴァンヘイレンの1stアルバムの中に収録されている「Eruption」の音を基に設計されました。あの唸る低音と、他の追随を許さない圧倒的な音の煌めきと存在感。新たな時代を告げる最先端のセンスは、正に私が琵琶に求めたものと一致したのです。ライトハンド奏法や斬新なアーミングという新しいテクニックは、驚く以外に何があるだろう、という位凄いの衝撃で、彼の登場以前と以降では、歴史区分が変わるほどの大きなターニングポイントとなったのです。ギター本体にも大きな変化あり、今では当たり前になっているパーツもヴァンヘイレンから一般的になりました。その変化は、平安から鎌倉に移るくらいのインパクトがありましたね。

イルホムまろばし10sウズベキスタンのイルホム劇場にて、アルチョム・キム率いるオムニバスアンサンブルと、拙作「まろばし」演奏中
もう30年近く前、私は琵琶の音に惹かれて琵琶を始めたのですが、いざ演奏会に行っても、とにかく皆さん琵琶を弾かずに、顔を真っ赤にして歌っているばかり。そしてその音程はかなり調子っぱずれで、歌詞は戦争や人が死んでゆく話ばかり。正直本当にがっかりしました。ギターだろうがピアノだろうが、音楽が良くなければ、誰でも聴きたくはないですよね。ジャズをやっていた人間からすると、これだけ魅力的な音色を持っている楽器を手にしているのに、自分の音楽を創ろうとせず、歌に意識が行ってしまって楽器を弾こうとしない事に、全く持って理解不能でした。更に付け加えるとやたらと〇〇流だの、何とか先生だのという会話もうんざりでしたね。そんな状況を、琵琶を手にした最初に目の当たりにしたので、私は早い段階から流派を離れて活動しているのです。20年以上プロとして活動をしてきて、全ての仕事で自分の作曲した曲を演奏して活動していますが、我が道を貫いて来て、本当に良かったと思っています。

とにかく声と切り離して、琵琶の音を聴かせたかった。これだけ魅力的な音色を持っているのに、何故それを響かせようとしないのか、未だに不思議です。弾き語りというのは、語るべき強い想いのある人には有効なスタイルだと思いますが、歌手や語り手としてみたら半人前以上にしかならないし、楽器の演奏者として見ても、到底高いレベルには至らない。やる側に、ボブディランやジョンレノンの様に語るべき大きな世界があってこそ成り立つスタイルです。お稽古で習った曲を得意になってやっても、誰も聞いてはくれません。私は琵琶の、あの妙なる音を、とにかく大いに響かせたかったのです。

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左:キッドアイラックアートホールにて灰野敬二、田中黎山各氏と。中:季楽堂にて吉岡龍見さんと。
右:みずとひにて安田登先生と

器楽としての琵琶樂を最初から標榜している私としては、先ず器楽演奏に耐えられる楽器を作る所から始めました。ヴァンヘイレンがフロイトローズのアームユニットを取り付けたようなものです。先ず自分で大体の設計をして、琵琶製作者の石田克佳さんに依頼しました。石田さんに細かい所を見直してもらって、色々なやり取りの末、製作してもらったのですが、その時頭に描いていたのが、ヴァンヘイレンの「Eruption」です。多分石田さんにも聴かせたと思います。能管や尺八と一緒にやっても対等に渡り合える音量・音圧、そして一音の存在感。これがどうしても必要でした。従来の薩摩琵琶は弾き語りの伴奏という発想しかなかったので、ここがとにかく音が弱々しかったのです。私は、薩摩琵琶のポテンシャルの高さを感じていたし、この魅惑的な音色を何とか、全面トップに持って行き、これから始まる琵琶の新時代にふさわしい機能と質を持った楽器として薩摩琵琶を再生したかったのです。

IMGP0652この塩高モデルのお陰で私は1stアルバム「Orientaleyes」を作り、第一曲目に今でも私の代表曲である「まろばし」を冠し、世に打って出たのです。かなり遅いデビューではありますが、やっと私の考える音楽が具現化して、それをCDで出す事が出来るという事が本当に嬉しかったですね。
国内では今でも毎月の様に、また海外でも行く度に「まろばし」を演奏してきました。薩摩琵琶の演奏会で「まろばし」を演奏しないという事はまずありえません。残念ながらヴァンヘイレンの様に世界中に広まることは無かったですが、この塩高モデルのお陰で「まろばし」が出来上がり、私は器楽としての琵琶樂をやって行く決心がつき、これまでずっとやって来れました。
これを作った時は私も石田さんもまだ30代。お互い若かったですが、あの頃の勢いがあったからこその今だと思っています。





これまで多くの天才たちが、新たな時代を創り上げ、時代を創って行きました。日本では世阿弥や利休、芭蕉。琵琶でしたら永田錦心。ジャズならマイルスやオーネット・コールマン。タンゴならピアソラ。クラシックならバルトークやドビュッシー・・・・。キリがないですが、エドワード・ヴァン・ヘイレンもその一人。ブリティッシュの色が強く、重く暗かった当時のロックを一気に明るく、リズミックにアメリカンなセンスに塗り替え、アドリブに使うスケールもブルーノート一辺倒から、ダイアトニックなどを意識したメロディーラインに変えていったのがヴァンヘイレンです。今では当たり前のテクニックも楽器のハードな面も皆、彼から始まったのです。私の琵琶人生もエドワード・ヴァン・ヘイレンなくしてあり得ません。彼のあのギターの音があったからこそ、器楽としての琵琶の音楽を創り、これまでやって来れたと思っています。


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左:大型琵琶が出来上がった頃、かつて日暮里にあった邦楽ジャーナル倶楽部 和音にて、
左:現在の私 日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師 津村禮次郎先生と(photo新藤義久)

今夜はCDを聴きながら、ゆっくりと振り返っています。やすらかに。

美しいもの

もう朝晩は肌寒い位になりました。何だか急すぎますね。体が追いつきません。

昨日は、赤坂見附のドイツワイン専門店「遊雲(ゆううん)」にて、ライブ&生配信をやって来ました。

今回はちょっと挑戦的な試みとして、私の創った琵琶弾き語りの曲「朝の雨」を、メゾソプラノの保多由子さんに歌ってもらい、私が琵琶を弾くという、新たな琵琶歌の世界を披露してきました。平重衡と千手の一夜限りの契りを描いたこの作品に、正に命が宿りましたね。素晴らしい歌でした。保多さんはメゾソプラノではメジャーから何枚もCDが出ているような大ベテランの歌手なので、ご存じの方も多いかと思いますが、日本音楽への造形も深く、私が推奨している、琵琶と語りを分けて演じるスタイルに今回挑戦して頂きました。琵琶弾き語りという形式は、どうしても歌に集中出来ない。コブシやら節回しやらに気が行って、表現としての歌そっちのけで 、目先の技術や型に囚われ、本来の歌としての力を発揮出来ない例をずっと憂いていた私としては、実力のある歌い手とのコンビネーションは、待ちに待ったとも言えるべき出来事でした。歌と琵琶を分けた、このスタイルでの新たな琵琶歌を今後どんどんと創って行きたいと思っています。

このライブはネット配信されていまして、一週間はYoutubeで御覧になれます。

この時期は霧雨のような雨が続きますね。ちょうどお世話になったH氏の命日がこの辺りなので、毎年霧雨の中を歩くと想い出します。この樂琵琶は、H氏が我が家に来るといつも弾いていたものです。
H氏は「愛を語り、届ける」という、ちょっと気恥ずかしいような事をいつも言っていましたが、私はその言葉を「受け継ぐ」という事だと思って実践しています。そして受け継ぐものは何なのか、という事が私の課題でもあります。

日本では江戸時代の最初から、歌舞伎などをはじめとしたアイドルやタレントを仕立てて「かわいい」や「きれい」を商売にして行く、いわゆる今の芸能界のスタイルがあるのですが、「きれい」や「かわいい」は直観的で、判り易く、また時代と共にどんどんと、その基準も変化して行きます。それに対して「美しい」は造形の問題ではないですね。「美しい」の背景には風土や、歴史、時間が滔々と流れて、そこに育てられた精神性と言っても良いかと思います。利休や世阿弥、芭蕉などが創り上げた世界は、正に「美」を具現化した世界であり、そういった先人の作り出した美なるものを、現代の我々も、精神性や風土や歴史、時間と共に、何かしら受け継いでいるのではないでしょうか。だから時代が変わって流行が変化しても、この風土に脈々と血を受け継いだ我々には「美」なるものを感じることが出来るのだと、私は思っています。古典と言われる先人の作り出した「美」は、今でもそこに「美」を感じ、現代の我々が魅力を持って接することが出来るからこそ、古典として受け継がれているのです。

魯山人
しかしながら現代社会では「美」よりも「かわいい」や「きれい」がもてはやされて、ショウビジネス先行で「美」からどんどんと遠ざかって行ってしまう風潮が席巻していると感じています。肩書を自慢しているのも同じことで、目先の自己顕示欲をいくら振り回したところで、そこに「美」はありません。わざわざ大きな鎧を背負っているようなものです。私の様にもてはやされた経験の無い者が言っても説得力は無いかもしれませんが、よくよく気を付けないと「美」は姿を現してはくれません。「美」を創り出すのも、育てるのも、受け継ぐのも全て人なのです。「美」を創り出す器を持った人間が居なければ、その姿は消えてしまうのです。かの魯山人は「芸術家は位階勲等から遠ざかっているべきだ」と言いましたが、余計なものに目がくらんでいるようでは、「美」は見えてこないですね。

美しいという言葉の中には風土があり、歴史があり、時が無くては「美」の感覚は生まれません。そして「美」を感じるには、これらの背景の調和がないと、創り出す方も、受け取る方も、心がそこまで至らないように私は思います(更に言えば静寂も大きなキーワードになると思います)。
日本は明治以降、必死になって西洋式の教育を国民に施し、西洋礼賛の思想を叩き込み、同時に西洋コンプレックスも育て、西洋文化の素養を強制的に植え付けられました。それもあって近代独特の文学や、和風な洋楽も生まれました。これらもなかなか面白いと私は思っていますが、明治以降、更に言えば昭和の戦後以降、今迄の教育に、この素晴らしい日本の風土や歴史、時間というものがあったでしょうか。日本は世界一の歴史を誇る国であり、四季を伴う素晴らしい風土に恵まれた国です。他国には例のない、輝くような文化を千年以上前から創り出し、音楽も演劇も文学もウルトラハイレベルの作品を各時代に創り上げ、残し、日本の感性を育んで来ました。この風土と歴史と時間を、そして感性を日本は日本人に教育してきたでしょうか。
今、巷にはオペラやクラシックやジャズに熱弁をふるう蘊蓄人が沢山居ますが、その人たちが、同じくらいの情熱で日本音楽を語る姿を、私は見たことがありません。
琵琶樂人倶楽部にて

今は世界中のものが観れ、聴けて、触れることが出来ます。今後はもっと世界と繋がって行くでしょう。そういう時代になればなるほど、表面の直観力だけで世の中が回るとは思えません。これからAiが社会や生活の中に、重要な要素として浸透してくる社会は避けられようがありませんが、「美」ばかりはAiには任せられません。型や形式はもうあらゆる分野で無くなってなって行くでしょう。人間の肉体すらトランスヒューマニズムなんてことが言われている時代です。そういう中で「美」は、人間が人間たる最後のファクターなのではないのでしょうか。「美」を手放した人類はどうなるでしょう。それは新たな時代の始まりではなく、もう人類の終わりになる思うのは私だけではないでしょう。
先人たちは素晴らしい「美」を形にして見せ、感じさせてくれました。しかし現れた形は具現化しただけであって、その形をなぞってもそこに「美」は現れて来ない。その心を感じない限り、「美」は満ちて来ないのです。

肉体が消え、今まであったものの形が無くなって、あらゆるものがヴァーチャルに移行して行くこれからの時代に於いて、「美」だけが人間を人間たらしめ、次世代を切り開く力となる、と私は感じています。

さて邦楽は、琵琶樂はどうなって行くのでしょう。

美しい音楽を創って行きたいですね。

見えてくるもの



一昨年の今頃、突然ふと行きたくなって出かけた秋篠寺の庭&伎芸天

もうすっかり秋ですね。ここへきて、周りの仲間たちが一斉に活動を始めました。私は運よく夏前から活動が戻り、時に例年より忙しい程に声をかけて頂いているのですが、これまでなかなか活動がままならない仲間も多く、ちょっと気にかかっていました。
それが今月に入り、何人もの仲間から連絡があり、活動を始める連絡をもらって本当に嬉しく思っています。皆それぞれのスタイルで次の一歩が出て来たのは嬉しい限りです。中には海外に居る人もいるし、様々な事情で心機一転という人もいるのですが、やっぱりこうして連絡を取り合ってみると、仲間あっての自分だな、という想いをかみしめました。
琵琶樂人倶楽部にて、朗読家の櫛部妙有さんと(今月のものでなく、昨年の写真)

私のミュージシャン生活も、あっという間にうん十年経ちますが、やればやる程、見えてくるもの、そして見えずらくなってくるものがありますね。例えば「呼吸」とか「間」とかいうものは、どんどん手に取るように見えて来てます。これは武道をやっているせいかもしれませんが、言い方を変えれば、相手とのアンサンブルが上手くなったとも言えますね。
また社会の中での自分の姿は見えているようで、見えてないのかもしれません。音楽家は皆アピールする力が並ではないのですが、社会に向けるそのアピールの度合いが難しいのです。美術や文学などの芸術家と違って、活動を展開して行かなくてはいけない舞台人は、このバランスを欠くと、一気に活動が停滞してしまう。これが本当に難しいところなのです。

今年2月の日本橋富沢町楽琵会にて、筑前琵琶の鶴山旭翔さんと。こういう華のある方と御一緒するとよく自分の姿が見えて来ます。
私が10代の終わり頃、ギターで仕事をやり始めるにあたって、師の潮先郁男先生は「何か別の趣味を持ちなさい」と言ってくれました。以前は、気分を変えてリフレッシュする事なんだと思っていましたが、この年になると別の意味が見えて来ます。例えば私がやっている古武術の様に、一見音楽とは関係ないものをやることで、客観的に見えてくるものが沢山あるのです。音楽だけやっていたらきっと見えなかったことが。
別の視点を持つというのは、この所書いている、別のレイヤーを行き来するという事にも通じます。何か自分の視点を別に移して、客観視するという事は世阿弥も言っていますが、これが出来るかどうかは、ものすごく重要なことだと感じています。日本人は「これ一筋」「一生懸命」という事に美徳を感じやすいですが、それ故に視野が狭くなり、本来の自分が歪んでしまう例をかなり見てきました。自分では、それなりになっていると思っていても。違うレイヤーに居る人にとっては、全く違う面が見えるものです。複数の視野を持っていない人には、絶対に判らない。特に時代がこれだけ急激なスピードで移り変わっている現在、ここはセンスを問われる重要な部分だと思います。

先日、仲間とこんな事を話しをしていて、その中で「自分の音楽的ルーツはどこなのか」という話題になりました。私は色々な音楽に影響を受けてきましたが、一番はいつも書いているようにマイルス・デイビスです。しかし自分に似ているものを感じるという事になると、パットマルティーノとしか言いようがないです。それが今年に入ってあらためて見えてきたものです。このギタリストは基本的に前衛を走るタイプなのですが、伝統的な流れもしっかり押さえている。しかも伝統には流されずに、伝統の様式で演奏しても、オリジナルなスタイルできっちりと片を付ける。それも文句のつけようがない位のハイレベルでやってのける。よくよく考えてみれば、私のCDの創り方や演奏のやり方と全く同じです。

上記の左側のジャケットは「Consciousness」というタイトルで、かなりとんがった当時の最先端な内容。しかしその演奏も驚くべきレベルで、今の耳で聴いても無双状態という感じ。私の1stアルバム「Orientaleyes」は正にこれを目指していました。今またこの1stアルバムに帰ろうとしている自分が居ます。
そして右側は「Exit」というタイトルで、前衛とオーソドックスの両方が入っているのですが、両方とも洗練の極みに達しています。もうジャズギターをやる者にとってはバイブルと言ってもよ
い程の作品です。オーソドックスなものもスタイル自体は伝統的なものですが、すべてに渡って彼流のセンスが光り、しかも他の追随を許さない程のウルトラハイレベルで表現しています。これは私の「沙羅双樹Ⅲ」で目指した内容です。私のCDでは、前衛作品はヴァイオリンと琵琶の為の「二つの月」。オーソドックススタイルは「壇ノ浦」。勿論伝統へのリスペクトは忘れませんが、伝統に寄りかからず、媚びず、且つ群れない。私は私のやり方で、オーソドックスも前衛も、きっちり塩高流で片を付けたつもりです。これは私の姿勢であり、今後もずっと変わらないスタイルです。

私はパット・マルティーノの様に高いレベルにある訳ではないですが、思考ややり方、演奏している姿等々、あまりにも似ているという事が最近分かってきました。
パット・マルティーノのLPは高校生の終わり頃から、20歳前後まで聞きまくっていたのですが、もう完全に我が身に染み付いているのでしょうね。今でも一番のフェイバリットギタリストですが、その軌跡と姿を改めて見て、そこからあまりに大きな影響を受けていることにびっくりしています。多分性格もどこか似ているのではないかと思います。

パットマルティーノと同世代の人にジョージ・ベンソンが居ます。ベンソンは世界の大スターとなり、ショウビジネスで歌手としてもギタリストとしても成功しましたが、マルティーノの方は比べると地味なものです。ショウビジネスとは無縁で、且つ何度か病気をして復活してきた方です。しかし現在では、ジャズギタリスト達からは、リビングレジェンドとまで言われています。二人は60年代から友人同士だったそうで、パットマルティーノが復帰した時にも、ジョージベンソンがその復活のライブステージに駆け付けたそうですが、その後の人生は全く違う道を歩み、二人ともそれぞれの形で自分の道を全うしています。

友人と久しぶりに、ゆっくり近況報告などして喋っている中で、また一つ自分の姿が見えてきました。人にはそれぞれ「分」というものがあると言われますが、「けれん」「虚飾」にまみれた世の中であっても、余計な背伸びをしないありのままの自分で、これからも活動を続けていきたいですね。それが私のやり方なのです。

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