春の日差しの中で

今年も年が明け、東京では清々しい朝を迎えました。雲一つない天気が1日2日と続き、正に春の日差しを感じるような晴天となりました。日本海側では大雪だそうで、大変な事と思います。是非お気を付け下さい。

昨年からの状況もあり、今年は年賀状も失礼して、静かに過ごしています。早々に新年の挨拶を頂いた方には、改めてお返事を書きたいと思っております。

昨年秋の金沢能楽美術館にて、能楽師の安田登先生、俳優の佐藤蕗子さんと

昨年はお仕事は順調だったのですが、作曲があまり進まず、色々と創ったものの、形になった曲が少なかったので、今年は作品創りを第一としたいと思います。そしてそれをレコーディングまで持って行きたいですね。今録音しておきたい曲が約10曲程溜まっていますので、先ずはこれらの曲をもう少し推敲して、夏以降には録音・演奏がやれるように何とかしたいと思っています。そのための準備に早速取り掛かろうと思います。

年末からずっと色んな事を考えて、多くのキーワードやアイデアが湧いてきているのですが、物事は自然な流れに任せるのが一番。今は「風の時代」ですから、とどまるのは時代にそぐわない。そよ風だろうが、突風だろうが、時代と共に沸き起こる自然な流れを大切にして、更に次のステップの事もしっかり考えて行動して行きたいと思います。

今年は先ず、昨年に引き続きギャラクシティープラネタリュウムドームにて、1月23日に「銀河鉄道の夜」を上演いたします。(画像がちょっと小さくてすいません)

ギャラクシティーは、私が琵琶弾きになる前に映写技師として働いていた劇場で、約25年程前この劇場の立ち上げの時のメンバーでした。5,6年程で私はプロの演奏家の道へ進みましたが、20年の時を経て一昨年また縁があって、昨年2月に演奏させていただきました。その時はもう気分はニューシネマパラダイスのトトみたいな感じでしたね。何とも感慨深い演奏会でした。左の写真がその時のものなのですが、今回のチラシにこの写真が使われました。
今年は安田登先生を中心に、こんなメンバーが揃います。

能楽師:安田 登
琵琶奏者:塩高 和之
語り:佐藤 蕗子
チェロ:新井 光子
キーボード:ヲノ サトル
アコーディオン:玉井 夕海

面白くなりそうです。

そして今年も琵琶樂人倶楽部のスケジュールが大体出そろいました。若干の変更はあるかと思いますが、以下のスケジュールでやりますので、是非お越しください。19時30分開演、1000円珈琲付き。8月のSPレコードコンサートのみ18時00分開演です。

1月13日(水) Live 「春を寿ぐ歌」 ゲスト:保多由子(Ms) 長谷川美鈴(笛)
2月10日(水) レクチャー&Live「現代の琵琶樂」 ゲスト:田澤明子(Vn)
3月10日(水) Live「次代を担う奏者達Ⅸ」ゲスト:石橋旭姫(筑前)
4月14日(水) レクチャー&Live「琵琶フロムシルクロード」ゲスト:神谷和泉(フルート)
5月12日(水) Live「薩摩琵琶で聴く平家物語」ゲスト:未定
6月09日(水) レクチャー&Live 「筑前琵琶の世界」ゲスト:平野多美恵(筑前)
7月14日(水) Live「琵琶歌の新しき世界」ゲスト:保多由子(Ms)
8月15日(日) SPレコードコンサート(8月のみ第三日曜 18時00分開演)
9月08日(水) レクチャー&Live「琵琶樂の歴史と変遷」
10月13日(水)  Live 「語り物の系譜Vol.14」ゲスト:櫛部妙有(朗読)
11月10日(水)  Live 内容未定
12月08日(水)  Live「お楽しみ企画」ゲスト:未定
昨年秋のライブ 赤坂見附「ゆううん」にて。メゾソプラノ保多由子先生、尺八藤田晄聖君と

今年がどうなって行くかは私には予想が尽きません。国内だけを見ていても、もうどうにもならない時代ですので、アメリカやアジアの動きがそのまま日本に影響してくるでしょう。しかしどうなろうとも私は琵琶を弾いている事だけは確かです。かつてオリヴィエ・メシアンが、収容所の中で「世の終わりの為の四重奏曲」を書いたように、どんな状況になっても自分の行くべき道を行く、それしかないと思っています。

今年もよろしくお願い申し上げます。

2020年 主な年間活動記録

2020年、主な活動記録

今年もお世話になりました2020

年内の仕事は終わりました。最後の2本は収録の仕事だったので、演奏会をやった後のような高揚感が無く、何だか妙な仕事納めでした。

今年は音楽の在り方が随分と変わりましたね。演奏会という形態自体がほとんどなくなり、配信がやたらと増えました。私も「あうるすぽっと」主催のもの、最近では「金沢能楽美術館」主催のもの、そして先日紹介した新宿区主催のものを配信させてもらっていますが、私の世代ですと、今迄はリアルがあるからこそ、ヴァーチャルである動画というものが成り立っていたと思うのです。下に10代の頃に憧れたミュージシャンたちの写真を張りましたが、子供の頃はリアルに見ることのできない海外のミュージシャンの映像などTVで放送していると、食い入るように見ていました。NHKでYesのライブを流していた時にはびっくりしましたし、ジミヘンのライブなんか、見ているだけで成りきっていましたね。部屋にはLPジャケットを飾り、ポスターを張って、NYのジャズクラブで演奏している自分を想像しながら、毎日朝から晩までLPレコードをずっと聞いていました。今ではyoutubeで何でも観ることが出来ますが、当時の動画は少年の心を直接刺激する、あまりに強力な媒体だったのです。

それに比べ昨今の動画作品は、生演奏の安易な代用品という感じがどうしてもしてしまいますね。しかしもう時代は、リアル・ヴァーチャルという境界も超えて行くのでしょう。既に80年代初頭のMTVなんかが先駆けだったのでしょうね。バグルスの「ラジオスターの悲劇」なんかを見た方も多いでしょう。あの頃から映像でしか表現できない音楽作品も沢山出来ていますし、映像に対する想いも価値観も、今後どんどんと変化して行くのでしょう。私は時代に追いついて行けるのかな・・。

私は今年一年、本当にありがたいことに沢山の仕事を頂きました。全て自分のスタイルで曲を付け、即興をして仕事をさせてもらったので、本当に感謝しかないです。ただこれ迄の様に自分の作品を演奏する演奏会は、ほとんど開けませんでした。定例の琵琶樂人倶楽部はやっていましたが、日本橋富沢町楽琵会の方は2月にやっただけで、来年以降も休止となっています。上半期には自分の作品を演奏する演奏会を色々と予定していたのですが、結局全て中止になってしまい、下半期は世の状況としても予定を立てられず、また仕事の演奏が色々と入っていたこともあって、自分の演奏会は開けませんでした。仕事としては成り立ちましたが、活動としてはどうにも中途半端な形になってしまったのが残念です。来年は地味であっても、もう少し確実に自分の音楽を発表していけるよう頑張りたいですね。
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左:琵琶樂人倶楽部にて、中:日本橋富沢町楽琵会にて、右:六本木ストライプハウスにて いずれもphoto:新藤義久

琵琶樂人倶楽部も内容を更に充実させて、少し今年とは内容も方向も変えて行こうと思っています。今年も色んな曲を創り、数は少ないですがレパートリーとして定着したものも出来上がり嬉しく思っています。やはり私は曲を創って、弾くところまでやってはじめて、自分の音楽活動が成り立ちますので、来年は更なる曲創りとパフォーマンスに徹したいですね。

毎年年末には一年を振り返り、その都度課題が見えてくるのですが、お陰様で悪い方向には行っていません。そして年を経るごとに自分の姿が見えて来ます。音楽に限りませんが、結局やればやるほどに自分自身になって行くという事を感じていまして、人間=音楽という位に成りたいなと思っています。言い換えれば、音楽そのものも活動も、私という人間が豊かでなければ、音楽も大したものは創れないという事だと思っています。だからもっともっと自分自身が豊かになって行きたいのです。
今年は多くの良き機会を頂き、経験も見聞も広がり、多くの人ともつながりが出来ました。本当にありがたく思っています。是非来年もこの勢いを繋げて行きたいですね。

葛城 高鴨神社の池

そして今年は、私の周りの方々の訃報が相次ぎました。コロナ関連ではなかったのですが、私の年齢になれば、自然と旅立つ友人知人も増えて行きます。訃報に接する度に、様々な想いが湧き上がるのですが、悲しさよりも、かえって自分に与えられた運命は何なのか、と感じることが多くなりました。
人間は色んな側面を持っているし、人によってそれぞれに、自分でも捉えきれないほどの様々な想いを持っています。それ故、数えきれない人々の想念が社会に張り巡らされ、そのカオスの中に生きているのが人間だと常々思っています。生かされているとは、そのカオスの中に身を置いているという事であり、そのカオスを身の周りに作り出すのもまた自分自身であると思っています。つまり自分の妄執を自分で生み出しているのが、人間なのかもしれません。

そのカオスの中で、唯一生死こそが、自分だけのものなのです。生きるのも死ぬのも誰かに代ってもらう事は出来ません。現世に生きる我々は、物やお金など目に
見えるもので何事も判断しがちですが、所詮そんなものは自分自身ではないし、名誉や肩書などは一定のルールの中で他人からもらった幻想に過ぎない。場所や時代が変われば、英雄も犯罪者になってしまうのが世の中というもの。そんな幻想に身を置いて振り回されていたら、いつまで経っても迷いの中を彷徨っているだけです。
現世に於いて他人から恨まれようが好かれようが、自分の人生は自分しか生きられない。そして死もまた自分でしか体験することは出来ません。
良寛さんでは無いですが、人は死ぬべき時に死ぬのです。その死に方も生まれ方も運命であり、自分で望んだ形にはなりません。西行の様に死を思うような形にした人もいるのでしょうが、それすら運命といってよいでしょう。だからこのカオスの中で生かされている自分の命と、与えられた運命を感じ、自分の生を生きない限り、自分の人生は全うできないと、私は思っています。。

さて、来年一年の琵琶樂人倶楽部のスケジュールがほぼ決まりました。少し未定な所や、上述したようにもう少し考え内容を変更して行くところも出てくると思いますが、大体この内容でやりますので是非お越しいただきたいと思っています。

琵琶樂人倶楽部 
 
来年も琵琶の音が響き渡りますように。

師走の空

2020ー12セルリアンイナンナ1先日のセルリアンタワー能楽堂での「東西の冥界下り」は賑々しく終えることが出来ました。盛りだくさんの内容で、上演も5時間に渡って(勿論休憩をはさみながら)の公演でしたが、無事に上演が出来嬉しかったですね。

年内は25日に「耳なし芳一」の新たなヴァージョンの収録と、27日にJCPM(japanese culture promotion and management  https://www.jcpm.jp/)の企画による収録の2本で終了です。今年は春から、とんでもない状況でしたが、色々と声をかけて頂き、良いお仕事をさせてもらいました。実現しなかったことも数々とありましたが、その分見えてきたことも多かったですね。

ここへきてコロナウイルスの状況も新たな変化が出て来ました。もうこれからは今までの延長としての未来を考えることが出来ませんね。変化の速度もあまりにも急で、色んな物事が想像つかない速度で変化して行ってます。ここ数年よく言われている「2045年シンギュラリティー」も、もっと早い段階で迎えるでしょうね。
こういう事態の中にあって、どうすべきかなんてことは私には全く判りません。この先の自分に与えられた運命は判りませんが、どんな事態になっても生きて行くという事だけは確信しています。


1ギャラクシティープラネタリュウムドーム
演奏会は当分通常のようには開けないでしょうね。左の写真は今年の2月にやったギャラクシティープラネタリュウムドームでの写真ですが、この時は、終演後の打ち上げ会場で、代表の方に「来週から休館にするよう」運営本部から電話がかかって来ました。間一髪での上演でしたね。来年も1月23日にギャラクシティードームで「銀河鉄道の夜」をやる予定なのですが、ちょっと心配です。
出来る事なら来年は是非作品を録音して残しておきたいです。「四季を寿ぐ歌」の他にも色々と録音しておきたい作品が溜まってきました。その為にはもっと譜面も今一歩詰めて書き込んでおかないといけないし、アンサンブルの方も充実させないといけないのですが、集まって練習することが出来るかどうか・・。録音しておきたい作品はいくつもあるので、何とか実現したいですね。

このところ昼間の天気は良いし、朝陽が射してくる時や、夕暮れ時の美しさには、毎日感激しています。この穏やかな姿と、目に見えないコロナウイルスという真逆の日常からは、様々な想いが湧き上がり、渦巻いてきますね。コロナウイルスは、自然と共に暮らすことを忘れてしまった人類への警鐘とも言われていますが、私の頭で考えても現代人の暮らしは、随分と歪んでいるように思います。今後Aiによりすべてを管理されてゆく世界へと歩みを進めるのか、それともAiを活用しながら、有機体としての人間本来の姿を模索するのか・・。

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新宿区主催の「小泉八雲生誕170年記念『漱石と八雲-文豪たちが見た世界と日本』~能で味わう漱石・八雲の世界」の舞台より能楽師の安田登先生、笙奏者のカニササレアヤコさん、私


これからは芸術家が、その方向性を示して行くだろうと私は思っています。ネット配信で世界と一個人の音楽家が繋がっているように、今後は個人と世界が、国境の隔たりを感じることなく繋がって行くようになるでしょう。経済の在り方も政治の在り方も、国単位では考えられなくなるでしょうし、お金の在り方ももう変わりつつあります。
そう遠くない将来、人間の命の在り方も変わってくるのではないでしょうか。既に人間から「老い」というものが無くなりつつある、なんて研究も世間には知られていますが、トランスヒューマニズムがどんどんと加速して、肉体という概念も大きく変わって行くことと思います。これまで人類が辿って来たものとは違う人間の在り方が、もうすぐ目の前にあるのです。

伎芸天m

技芸天


こういう時代に在って、従来の枠を超えて先頭を切るのは、芸術家しかないのではないでしょうか。これが「風の時代」という事なのだと私は考えています。従来の国家、人種、イデオロギー、会社、性別、年齢、格差etc.などは、もうこれからはどんどんと曖昧になるだろうし、既にそんな所を超えている人は沢山居ます。特に芸術家には既に実践して生きている人が多いのは皆さんご存じの通り。
本来古典、特に能などでは、時間も性別も身分も超えた世界が描かれています。そんな崇高な芸術が既に日本には室町時代からあったのですから、もしかすると次の時代を示して行く芸術は、日本から生まれるのかもしれませんね。目の前の小さな事に囚われず、大きなヴィジョンと実行力のある邦楽人を望むばかりです。

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photo 新藤義久


今年は年賀状を出すのをやめました。私はお陰様で何とか過ごせましたが、とても「明けましておめでとう」という言葉は、今吐くことは出来ません。
新たな時代が見えてきた時、皆に何かしらの挨拶が出来たらいいですね。


「漱石と八雲」新宿区

先日の新宿区主催の「漱石と八雲」はYoutubeにて動画が公開になっています。ご覧になって観てください。


受け継ぐということ2020

先週末は麻布区民センターホールにて、劇団アドック公演「雛」(昨:芥川龍之介 脚本:神尾哲人)の音楽を担当してきました。

劇団主催の伊藤豪さんと三園ゆう子さんと出逢ったのは、もう20年近く前だったように思いますが、これまで様々な作品の音楽を担当させていただきました。この「雛」だけでも3回やっています。2014年には川崎能楽堂にて、琵琶・筝・尺八と共に三園さんの一人語りの形で、三浦綾子原作の「母」をやったこともあります。今回も楽しくやらせていただきました。

笛の小泉なおみさん、主演女優の三園ゆう子さんと
今回の音楽は、笛と琵琶のみによる演奏。相方は笛奏者の小泉なおみさんでした。小泉さんとは島根グラントワで以前ご一緒していましたので、最初からとても良いアンサンブルが出来上がり嬉しかったです。曲は新たに「雛」のテーマを私が作曲して、更に小泉さんが伴奏などを付けて編曲したヴァージョンも作ってくれたので、劇中だけでなく、終演後にも流してもらいました。小泉さんはモダンなセンスと技を持っている演奏家なので、今後もライブなどでお手伝いして頂こうと思っています。

私は琵琶で活動し出した25年前から、ずっと毎年演劇やダンスの舞台の音楽を担当してきました。アングラな劇団から、舞踏、バレエ、コンテンポラリー、能、日舞、地唄舞、フラメンコ、中国舞踊…もう何でも来いという感じで、毎年やらせてもらっていますが、とにかく舞台を皆で創って行く感じが面白いです。普段私は、一人かせいぜいデュオばかりなので、大人数でワイワイ言いながら、様々なやり方で作品を創り上げやって行くのは、とても新鮮なのです。
ダンサーや役者の方々と音楽家はエネルギーの出し方が違うので、基本的に全体のやり方はお任せして、口は出さないのですが、私はどうにも天邪鬼なので、公演中も様々なアドリブを入れて、アプローチをしています。今回も琵琶ソロの部分は毎回アドリブ。最終日はちょっとカマしてしまいました。すいません。

ロビーに飾った雛人形を前に、劇団主催の伊藤豪さん、小泉さん、三園さんと

アドックではこの「雛」が旗揚げの作品で、その他三浦綾子の作品を多く上演しています。小林多喜二の母の語りで始まる「母」や「壁の声」「青い刺」等重厚な作品を多く取り上げています。楽しくて、軽いスタイルの、現代的な演劇とは違いますが、門外漢の私でも、稽古からずっと付き合っていると、そこには一舞台人として、芸術家として多くの得るものを感じます。こういうオーソドックスな社会派の演劇は、流行りではないかもしれませんが、特に若手の方には、ベテランから直接指導を受けることが出来る、良い勉強の場でもあると思います。是非是非頑張って欲しいですね。

芸術系に関心の高い若者は、ともすると前衛的なものや、流行の最先端を行っているものに目が行きがちで、オーソドックスなものを軽視しがちです。特に現代の日本では、美術や演劇が好きだというアート系の人と話していても、ほとんど古典文学や古典芸能の話は出て来ません。知識も無いし、自国の古典に関心がない。最先端の情報はどんどんと流れてくるので、最先端を知らないと「時代について行けない」などと思って、そちらにばかり目が行くのでしょうが、是非自分の足元に多くの遺産があることに気付いて欲しいですね。まあ流行りもの、舶来ものに弱い日本人特有なのかもしれませんが・・・。
先週の琵琶樂人倶楽部にて
世界一の長い歴史と文化を誇るこの日本に於いて、平家物語一つ知らない人がほとんどというのはどう考えても、今後の日本にとってもったいない。戦後の教育の失敗だと思います。古典の中に次の時代を生きるヒントは山のようにあるし、現代の抱えている問題も古典を通して見えてくる。何故なのか??。それは長い時間を経て、様々な時代を経ても尚残ったものだからです。目の前の情報ではなく、その時の流行りでもなく、この風土の中で生き抜くための、普遍的な基本情報のようなものが、古典の中には詰まっているのです。せっかく世界一の情報が目の前にあるのにそれを見ようとしないのは、もったいないとしか言いようがありませんね。
これは芸術の部分だけでなく、日常の暮らしに於いても言えることで、現代の日本では、「受け継ぐ」という事が、まるで出来ていないように思えるようなことが多々あるのです。日々とても危ういものを感じています。
私自身、日本音楽の最先端に居ようと常に思っていますが、過去があるからこその最先端なので、古典やオーソドックスなものは常に視野に入れています。入れなければ、とても最先端には居られません。古典を知らなければ何が新しくて、何がただの焼き直しなのかの判断すらつきません。
今回のような演劇舞台は、派手な演出がある訳ではなく、大変地味なものです。しかし受けを狙ったり、奇をてらったりするものになりつつある現代の舞台において、人が舞台に立つための大切な内容が、そこにはあるように思いました。芥川の書いたこの作品自体が先ずは素晴らしいし、更に脚本演出の神尾哲人(伊藤豪)さんが受け継いできたものは、その前に何代にも渡って受け継がれてきたもので、そこには大きな蓄積があるのです。舞台人として
の大事な、大切な言葉がち散りばめられて作品となっているのです。是非若手にそれを受け継いでもらいたいですね。

古典のレールの上に乗る必要は無いし、アイデアに関しては、古典に関係ないような新しい頭脳から出てきたものにこそ新鮮な魅力があったりもします。古典を大事にすることと、寄りかかることは全く違うので、古典を勉強してエリートのような顔をしているのはただの俗物。愚の骨頂です。ろくに受け継いでいないのと同じです。そしてそんな人が古典の世界には沢山居るのも事実です。
しかしだからといってそこで古典と断絶するのではなく、今こそ素直な感覚で、世界一の歴史を誇る日本の古典に接し、そこから次世代の舞台を創り出して、更に次の世代へと繋げて行ってもらいたいですね。

今年は、舞台に立てずに終わろうとしている人もいる事でしょう。こんな時に、私は有り難いことに大小様々な舞台に立たせてもらっています。明日はセルリアン能楽堂にて、東西の冥界下りという舞台もやるのですが、実に面白い内容になっております。残念ながらチケットは既に完売とのことですが、また別の機会に、どこかで再演が出来たらいいな、と思っています。
どう受け継ぐかも確かに才能の内ですが、どう受け継がせるかも我々世代の大きな課題だと思います。この日本の滔々と流れる素晴らしい文化を、次世代に、またその先の世代に繋げて行きたいですね。文化こそ人間。この灯を消してはならないのです。

追伸:18日より、先日収録した「小泉八雲生誕170年記念『漱石と八雲-文豪たちが見た世界と日本』~能で味わう漱石・八雲の世界」~新宿区夏目漱石情報発信事業の動画がYoutubeで配信されています。是非ご覧ください。

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