未来ノート

先日は東京で初雪が降りましたね。今年は日本海側では大変な大雪だそうですが、雪をほとんど見ることなく育った静岡人としては、久しぶりに気分が高揚しました。思えば初めて東京に移り住んだ次の日、高円寺の小さな木造アパートで一人暮らしを始めて、異様な寒さで朝起きると、外は雪が降っていました。18歳の誕生日の頃だったのですが、その雪が降る情景を目にして、「東京に来たんだな」と強く感じました。あれからもう随分と長い時間が経ちました。時の流れというものはあまりにも速いものですね。物理的な時間は、人生に於いて意味は無いのかもしれない…などとちょっと哲学してしまいました。

30代の頃 かつての実家の玄関先で
私は高校生の頃は日記を付けていました。東京に来てからは全く書いていなかったのですが、琵琶を手にするようになってから、日記ではないのですが、計画ノートのようなものを時々書くようになりました。
普通のノートに高校生の時から日記に使っていたカバーを付けて、次にどんな曲を創るとか、どんな場所で演奏会をやる、いつ頃CDをリリースする等々、思いつくままに書いていて、ノートを開く度に、その時々での計画や課題をちょこちょこと足したり直したりしています。発想が浮ばない時や、すっきりしたい時には、そのノートを開くと何となく気持ちが落ち着いて、コーヒーを淹れてノートを眺めるのが癖になっています。お陰様で創りたいと思っている曲や、CD、活動の展望等々、やりたいと思っていることは~時間は随分とかかっていますが~実現していますね。
何事も想う事から始まるのですが、書くという行為は、その想いを身体に沁み込ませるような効果があるのでしょう。強い想いというよりも、ゆったり構えて、じわじわと体に浸透してくる感じが良いようで、ノートを開く度に未来の自分を想像しながら書いています。

ただ、そこにはお金の事や暮らしぶりの事は一切書いてありません。お金は何かをするために必要ではありますが、お金は所詮何かをもたらす前段階でしかない。ノートには第一にやりたいことしか書きません。肩書や暮らしぶり等のような、やりたい事の周辺に付随してくっついて来るような事も書きません。
人間生きていると、あれこれやりたいと思いますし、物だって欲しいものはいくらでもあります。大体私は、日々数えきれない小さな想いや願望欲望等、いくらでも尽きる事なく沸いて来るような俗物です。しかしどんなものが出て来ても、どんな状況になっても変わらない、自分の人生でずっと求め続けていたい事ははっきりしていますので、音楽の事だけを書きます。

多分無意識の内に、書くという行為によって、自分に生きる道筋を確認しているのでしょうね。私のようなすぐに易きに流れるナマケモノには、ちょうど良いのでしょう。
実際の生活では、お金の事も健康の事も人間関係の事も、とにかくありとあらゆる事に振り回されています。自分を取り巻く周辺の状況は刻々と変わるものです。そういう中にありながらも、自分の行くべき道を見失っては、自分の人生を生きることは出来ませんので、一番の目的とそれ以外の事を分けて考えるようにしています。。
京都 清流亭にて 笛の大浦典子さんと

今書いているのは、次に創る曲の構想と、それを初演する時のプログラムです。尺八や笛などの和楽器とのデュオ作品ももう一曲どうしても創りたい。そしてヴァイオリンと琵琶の作品をもう一つ作りたいのです。今はネット配信があるので、確実に自分の作品が世界のどこかに残って行くことを頭に置きながら作曲録音をしてみたいですね。
そしてもう一つ、このコロナ禍を経て思うのは、活動の展開や演奏する環境についてです。私の音楽はショウビジネスとはかけ離れているので、その部分をしっかりと頭に置いておかないと上手く行きません。国内の大きなホールでのコンサートはしばらくは難しそうですね。集客も大変だろうし、大人数が集まるという事に対するアレルギーのようなものが確実に今後残って行くと思います。逆に小規模のサロンコンサートは、本当に好きな人だけが集まってくるので、私のような音楽に於いては、世の中が落ち着くと、機会が増えるような気がしています。琵琶は音量的にも、元々小さなスペースで聴くものでしたので、本来の形が戻ってくるのかもしれません。
また海外公演は、これ迄私がやってきたものは行政や大学などの関連のものばかりでした。そう考えますと海外での演奏の機会は、今後は当分無いだろうと思います。年末にJCPMの仕事で海外向けに演奏の収録をしましたが、ショウビジネスではない私のような活動は、今後海外に於いては、実演より映像が中心になると思います。同様に国内でもレクチャーの仕事なども配信が多くなるでしょうね。

京都桃山の素敵なサロン ラ・ネージュにて 朗読かの馬場精子さんと
いずれにしろアルバムにしても、ライブにしてもネットによる配信は、今後重要なファクターになって行くでしょう。その為にも作品のレコーディングは重要課題になりますね。実際昨年の世界的自粛で、ネット配信の売り上げは、海外でも国内でも伸びています。私の場合は売り上げといっても、何の足しにもならないような額でしかありえませんが、伝統邦楽系では比較的早い時期にネット配信を始めていたので、とりあえず40曲程でも配信していて良かったと思っています。
今後は、この所書いている「組曲 四季を寿ぐ歌」全6曲、他デュオの作品が3曲、ソロが1曲とりあえず出来上がっているので、これらのレコーディング
と、上記したこれから創るデュオの作品2曲を、是非とも配信に乗せたいと思っています。

photo 新藤義久

これからは演奏会の形も、演奏家作曲家の活動のやり方も大きく変わって行くでしょう。私の未来ノートもまた変化して行くと思います。しばらくノートを開く機会が増えそうです。

無常の空

久しぶりの雨。雪になるという予報もあるので、寒くなりそうです。ここの所晴天が続き、冬にしては随分と暖かかっただけに、寒さが身に沁みますね。

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昨年12月琵琶樂人倶楽部にて 尺八の藤田晄聖君と photo 新藤義久

こんな事態の中にあると、何とかモチベーションを上げようと思い。美味しいものを食べたり、欲しいものを買ったりする方向に気持ちが向きがちですが、残念ながら琵琶法師の稼ぎでは、何事も思うようには行きません。まあせいぜい、たまにスコッチを飲む位ですかね。

分解全体とりあえずこの時期は、楽器のメンテが優先順位の一番です。自分では出来ない所のメンテナンスを石田克佳さんにやってもらっています。分解型の糸口をいじり過ぎて、貝プレートの下のスネークウッドが大分薄くなってしまったのでその部分を取り換え、貝プレートも新品にして、糸口に合わせて柱も全部取り換えをしてもらいます。分解型を使うツアーは当分無いですが、いつでも使えるように、春過ぎ迄には仕上げておきたいのです。そして後は最近考えている、もう少し厚目の撥ですね。継琵琶糸口1現在使っているものは、良い感じでこなれていて、その音に不満はないのですが、曲によってはもう少しガツンとした音が欲しい時もあります。そういう時はやはり撥の厚さがものを言います。ただ厚過ぎると腹板に当たる打撃音が大きくなってしまうので、私のように琵琶を弾き語りではなく器楽として演奏する人は、この辺はとても重要な見極めポイントなのです。

楽器が良い感じで整っていると、実に気持ちが良いのです。私は薩摩琵琶に関しては、誰よりも日々メンテをしている自負を持っていますが、同時に頭抜けた超ヘビーユーザーでもありますので、2年に一度は入院させないと楽器が良い状態で鳴ってくれません。以前は自分でも柱を削りだして作ったり、糸口の改造をしたりと、色々やっていましたが、時間もかかり、手を怪我したりすることもありますので、ここ10年程は任せられるところはしっかり任せています。まあ人間ドックみたいなもんです。
毎年春過ぎから年末迄は暴れまわって琵琶を極限まで酷使して、年明け2月から3月,4月の暇な時期に琵琶をメンテに出すというパターンが多いのですが、さて今年は春以降活動の方がどうなるか。秋はもういくつか仕事を頂いていますが、せめて夏頃からは動き出して欲しいですね。
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左:能楽師の津村禮次郎先生と座・高円寺にて
右:津村先生、詩人の和合亮一さんと福島安洞院にて
これからはもう、上の画像のような舞台はやって行けなくなるのでしょうね。大人数が集まるという事が敬遠されて行くだろうし、ライブのお店やスペースも減って行くでしょう。ホールの客席も違う形になって行って、音楽もそれに伴って変化すると思います。
人々の感性も大きく変わって行くでしょうね。大きな場所で大勢の人が集うようなスタイルが、豪勢で立派だとは思わなくなるだろうし、銀座の一等地に会社を構えるなんてのもステイタスにはならなくなるでしょう。価値観、感性、スタイルがこれからどんどん変化して行くと思います。
社会の中に居なければ生きて行けない人間は、自分達で色々と創り上げたり、また変化したりして、自分達の手で時代を切り開いているような気でいるかもしれませんが、私は、変化する周りの環境等に自分たちが対応して、共生して生きていると思っています。そしてその共生の為に想像力が必要なのだと考えます。自然環境も社会も自分たちの力で切り開き作り上げていると思っているのは人間の奢りという部分が強いのではないでしょうか。
敦盛と熊谷

最近「敦盛最期」の部分をやる機会がありまして、久しぶりに平家物語を開いてみました。しかし私は「平敦盛~月下の笛」という曲も創ってCDにも収録していながら、この所演奏する機会がなかったのですのです。考えてみれば、武勲を立てることに執心していた熊谷が、敦盛の首を取ったとたん、無常を感じて、出家して僧になったというストーリーは、今になってみると、ちょっと視点も変わって来ます。
熊谷は剛の者と書かれていますが、いわゆる生粋の軍人で、手柄を立て、その働きによって、禄を得て生きていたのです。それをもう少し違う言い方をすれば「殺人」です。手柄を立てる事しか頭になかった人物が敦盛に出逢って、自分の信じやってきた(殺人という)行為そのものに対し疑問を抱く訳です。当時の価値観としては、武勲を立てることが立身出世につながり、一族を幸せにし、美徳とされ、若者は強い武士になることをに憧れ、誰も武士の存在に疑問を持たなかった事でしょう。だから熊谷の心変わりは、周りの人々には全く理解されなかった事と思います。一族の代表として無責任だという人もいたのではないでしょうか。しかし敦盛との出逢いによって、彼は、これまで疑いもせず当然と思って頑張っていた自らの所業に目を、想いを向けたのです。

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日本橋富沢町楽琵会にて、津村先生と

今現代でも、右肩上りの経済成長をすることが素晴らしいとされ、年収〇〇だとか、凄い学歴や肩書を持っている、上場企業に勤めている・・・、そんなことが豊かさであり、それを目指すことが人生の幸せなんだと思い、その幸せを目指して皆働いている方が多いかと思います。その当然と思って邁進してきた所業はどういうものだったのでしょうか。
カカオ農園で働く子供はチョコレートを食べたことがない、とよく言われますが、一杯のコーヒーでも、大量に毎日捨てられるコンビニのお弁当でも、先進国ではさして話題にもならない事の陰には、先進国の人の目が届かない世界のどこかで、奴隷労働と飢餓で死んでゆく子供達が居る。平安時代であっても、貴族の豪華な暮らしを支えるために、どれだけの人が理不尽な想いをしてきたか・・。平家物語でも、夜戦の為に、照明代わりに近くの民家に火を付けたりする横暴な振舞いは、権力者は当たり前のようにやっているのです。今も昔も、搾取の構造は存在しています。そして今、世界との繋がり無くして先進国に生きる我々の「豊さ」は実現しないのです。

我々の「豊かさ」の陰には、熊谷が殺してきた人間たちと同じく、常に非情が付きまとうのです。現代社会でセレブだ、勝ち組だと御満悦している姿は、武勲を立ててご満悦だった、かつての武人・殺人者熊谷と同じ顔をしていないだろうか。G20なんて言っている、先進国の現代人は奢りの頂点に生きているのではないか、と私は思えて仕方がないのです。

身の回りにある物も食料も、自然環境も、勿論生命も、総てが繋がり地球は動いている、という事実が明らかになっている現代の中に生きていて、自分の身の回りにしか視野が届かない村社会的思考のままで本当に良いのでしょうか。自分の日々している所業は、まともで正しい?のでしょうか。
はからずもコロナウイルスは我々の目の前に、その現実を晒すように教えてくれました。熊谷が当然だと思っていたことに疑問を持ち、人生を変えて行った様に、現代人も今見るべきものを見ようとしないと、また新たな脅威に、今度は命まで奪われてゆくのではないでしょうか。それを業火に焼かれるというのかもしれません。

熊谷次郎直実
熊谷次郎直実 埼玉県熊谷駅前にある像

蓮の花は、泥の中でも真っ白い花を咲かせます。法然から蓮生という名をもらった熊谷次郎直実は、あの殺戮に明け暮れた空の下、自分の姿を顧みて「後生の一大事」といって、仏門に入りました。私は悟りを開くようなことは到底出来ませんが、少なくとも、世界中がロックダウンしているこの空に、次世代への眼差しだけは向けたいですね。

進化する魂

東京では天気の良い日が続いてます。そのせいか今年は昨年に比べ緊張感がありませんね。しかしながら今後、演奏会をこれ迄の形で開くことが出来るようになるのでしょうか。それとももう舞台は違う形に変化して行くのでしょうか。舞台人としては、そこが心配です。

今私は毎日のように譜面を眺めて暮らしています。その位しか今のところやることもないので、のんびりと色々と見直すにはちょうど良い機会だと思っていますが、ちょっとのんびりし過ぎで、ゴロゴロしていることも多いですね。贅沢な日々です。譜面は以前創った私のオリジナルをいじっていることが多いのですが、洋楽器とのデュオ作品は今までにない形にしようと思って奮闘中(?)です。まあアイデアが湧き上がってくるまでの「而」の魔術的時間を楽しんでいるという訳です。
また以前私がロンドンで初演した石井紘美先生の曲「HIMOROGIⅠ」も見直しています。石井先生は現在ドイツにお住まいなのですが、先生から「少し手を入れたい」とのことで連絡が来て、メールでデータのやり取りなどをしながら、久しぶりに聴き直しているのですが、琵琶の音と電子音が、今聴いてもとても新鮮で、あの頃を想い出します。

あの頃
この曲を初演したのは2003年の5月、ロンドンシティー大学でした。もう18年前なんですね。時の流れがこんなに早いとは・・・。私にとっては初めての海外公演で、スウェーデン人尺八奏者グンナル・リンデルさんと二人で、一週間程ストックホルム大学、スウェーデン国立民族博物館ホール、他地元のサロンコンサート等をやって、次の週はロンドンに渡り、ロンドンシティー大学で演奏してきました。当時BBCオケのフルーティストだったR・Sさんの家に居候させてもらって、そこからロンドンシティー大学でのリハーサルに3,4日通い、初演にこぎつけました。演奏会当日は、昼間、世界各国から集まった若き作曲家たちに向けてのレクチャーをやり、夜が演奏会。英語もしゃべれない奴が、半月ほどのツアーをよくぞやり遂げました!!。R・Sさんの奥様(ピアニストで日本人の方)が「あなたじゃ外でランチも注文できないだろうから」とお弁当を作ってくれて、それを背負ってロンドンシティー大学に出かけたのが懐かしいです。今思うと何かに突き動かされていたようなツアーでしたね。
この時の演奏は私の2ndCD「MAROBASHI」に収録され、その後、石井先生がドイツの現代音楽のトップレーベルWergoから出した作品集「Wind Way」にも収録され世界発売となりました。また少し後にナクソスレーベルからもリリースされました。

この曲は、自分の演奏が世界に発表された最初でしたので、本当に嬉しかったです。

「HIMOROGI Ⅰ」は、私の代表作である「まろばし」と共に琵琶弾きとしての私を形作った重要な曲なのです。

「HIMOROGI Ⅰ」は石井先生の作曲の準備期間を考えると、約20年程の時を生き続けて、20年経って更にまた先へと進化しているという訳です。曲は常に演奏されるからこそ命が宿るのであって、その命が次世代へと繋がって行くもの。それは古典文学が時代によって様々な視点で読まれ、解釈されて行くのと同じ事です。今回は石井先生と、「我々が今生から居なくなった後の事」も考えて、後々の演奏家も演奏が可能なようにしようと話し合っています。

石井先生から教えてもらったことはとても沢山あるのですが、中でも一番覚えているのは「実現可能な曲を創りなさい」という言葉。それは技術的な面だけでなく、経済的な面にも言える事で、無理な編成や、お金のかかり過ぎる設定のものなど、譜面を書いただけで演奏されないままの曲が、世の中には沢山あるのです。今私が創っている曲は、カルテット止まりで編成が小さい曲が多く、必ず自分が弾くという事を前提にしていますが、これは琵琶という楽器の特殊性を考え、「実現可能」という石井先生の教えによることが大きいですね。

私の曲は少々難しいと、琵琶製作の石田克佳さんから時々言われるのですが、これについては、ちょっと視点を変えたり邦楽の枠を取り払うと割と簡単維解決できます。私の場合、発想の根本が弾き語りでは無いので、他ジャンルから琵琶に転向した人には判りやすいんですが、いわゆる流派でお稽古をしている人には、いきなり違う言語で喋りかけられているような感じなのでしょう。かつて私に習いに来ていたイスラエルのミュージシャンや、アメリカの某音大を出た方(共にギタリスト)は、私の創った独奏曲などを、短期間でそれなりに弾きこなしていました。きっと次世代の琵琶弾きにとってはさほど難しい曲ではなくなるだろうと考えています。また樂琵琶の作品も古典雅楽の発想で創っていないので、雅楽を勉強している人より他ジャンルの人の方が入りやすいですね。以前台湾の二胡と琵琶(pipa)の奏者がちょっとアレンジを施して、リサイタルで何度か取り上げてくれました。
自分が作り出した曲が受け継がれ、その魂が様々な形に進化して行く様は興味深いです。この曲が台湾で再演された時は本当に嬉しかったです。
日本では琵琶のような伝統的なものは、流派で形を教え込まれるので、なかなか別のアプローチというものが発想しづらいのですが、今は伝統曲だろうと最新の曲だろうと、ネット配信を通じ、世界に飛び立って行く時代です。世界中で面白いと思った人が、流派とは全く違うやり方で曲にトライしたり、作曲者とは別の意味合いを持たせて、アレンジして演奏する人なんかがどんどん出てくるでしょう。家元にお伺いを立てなくてはい
けないなどという村社会的なルールは、もはや通用しません。
そんな次世代に向けた視線も踏まえて作曲活動をしてゆくことは、とても大事なことだと思います。私の創り出したものが、世界の誰かによって、新たな形になって、新たな命を吹き込まれて、その魂を進化させて行く。ロマンあふれる素晴らしい物語じゃないですか。
赤坂ゆううんにて 尺八の藤田晄聖君と


ネットで世界が繋がっているこの時代には、魅力ある音楽だったら必ず、世界の誰かが、その精神や魂を彼らなりのやり方で受け継が出で行くでしょう。レコードの時代ですら、ジミヘンやマイルスのレコードをかじりつくように聴いて、その魂を受け継ぎ、次世代の音楽を創造していった人が世界には山のようにいるのです。
欲をかくのはよくないかもしれませんが、私の創った音楽が、世界中の多くの人の手に渡り、更なる魂の進化を遂げて行って欲しい、と願うばかりです。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
琵琶樂にも、型や流派のような目に見える形に囚われず、永田錦心の、そして鶴田錦史の魂を受け継ぐ若者がもうそろそろ出てきていいんじゃないかな。私はそう思っています。そしてなにより私自身が、囚われることなく次世代の琵琶樂をもっと創って行きたい。それが例え評価されずとも、その志と魂だけは無くしたくないですね。


春の彷徨2021

外では梅の花も咲き出しているというのに、何とも味気ない年明けになってしまいましたね。
先日お知らせしたように、プラネタリュウムでの演奏会も延期となり、近々は毎月定例の琵琶樂人倶楽部、そして配信ライブのみになっています。

今はもう無くなってしまった吉野梅郷の梅(8年ほど前)

こういう時間はのんびりとしている訳ですが、実はのんびりとしているようで、無意識の世界では、自分のヴィジョンに向かって着々と仕事が進んでいるそうです。無意識こそはクリエイティブで、have toではなくwant toで普段から考えていることは、きっちりと手助けしてくれるみたいです。私みたいに毎日ぶらぶらしている人間には何とも朗報ですな。
何事も先ずは想う所から始まりますが、自分がどうしたいのかという明確なヴィジョンさえしっかりしていれば、無理に頭をひねらずとも、無意識下で想いが成就するように働いてくれるというから嬉しいじゃないですか。そして無意識下の仕事が整うと、突然ひらめきとして意識上にアイデアが浮かび、具体的な発想が沸いて出てくるそうです。
この所の私は、ぶらぶらしながらも、映画なんか観ていると、ハッと普段から気になっていた部分が頭の中に浮かんで来て、急に譜面を引っ張り出したり、琵琶をいじったりしています。「あの曲のあの部分」なんて具合に閃くんですよ。突然メロディーが流れ出すこともしばしば。無意識最高ですね。
しかし現代人はなかなかゆったりと時間を過ごせない。24時間スマホやPCに振り回されていては、無意識の領域は働いてくれませんね。

以前の記事で論語の「而」について書きました。無意識下にwant toがあれば、きっと何かが現れてくるのではないでしょうか。

この魔術的時間を信じて、漂う時の流れに身をゆだねている位でないと、良いアイデアは出て来ません。一生懸命考えれば何か創り出せるというのは本人の自己満足でしかないと私は思うのです。
実はこの何もしない時間を過ごせるかどうかが、私の中では一つの基準となっています。自分がゆったりと過ごせていれば、必ず何かがひらめいて曲が出来上がる。今迄私はずっとそうやって作品を創って、舞台をやって来ました。しかし毎日演奏会続きで、しかも自分の作品でない新作をやらなくてはならないような時や、何か焦りのようなものが自分の中にある時は、どうにも落ち着かないし、創作も進みません。常に追われていると精神的にも良くありませんね。昼間からビール飲んでいられるくらいがちょうど良いのです。
毎度の呟きですが、今一番の関心はやはり作曲ですね。昨年作った独奏曲ももう少しブラッシュアップしたいのと、洋楽器とのデュオによる現代曲をぜひとももう一曲創りたいです。
来月の頭にはヴァイオリン・尺八・琵琶による配信のライブをやります。2,3年前から、時々この組み合わせでやっているのですが、演目にヴァリエーションが出て、とてもいい感じなのです。樂琵琶を使ったデュオ作品はもう大分そろっていますので、薩摩琵琶を使ったデュオ作品をもうちょっと増やして、独奏曲も完成させると、自分が理想とする演奏会の姿が出来上がりそうです。

それにしても今後どうなって行くのでしょう。時代の流れに乗ることは必要ですが、表面だけ乗っても、意識が変わらなければ結局淘汰されてしまいます。時代と共に在ることは必要ですが、流行に乗る必要はないと思います。
私はネット配信は、これから絶対に必要だと思っていましたので一早く始めましたが、エクセルやパワーポイント、フォトショップなどは今迄使ったことがありません。車の運転も出来ないし、SNSも全くやっていません。それらは私に必要が無いからです。それぞれ少しばかり使ったことはありますが、自分には必要ないと判断しました。何事に於いても皆一緒に横並びが好きな現代日本人は、皆がやっているからやる、それが「普通」だ、それが出来ないのは遅れている等というような同調圧力感覚が異常に強いですが、もうそろそろそういう村意識は捨てないと、これからの時代は、溢れかえるガジェットや、メディア情報に振り回されるだけで、とても自分の人生を生きて行けないのではないかと感じています。

琵琶樂人倶楽部にて photo新藤義久
「風の時代」に入ったとよく言われますね。これからは「個」が重要なポイントだと言われていますが、自分が何をしたいのか、どうやって生きて行きたいのか、自分で感じ、考え、自分に必要なものを自分で選択して行く時だと思いませんか。

個人と世界がネットを介し繋がっている現代では、まず自分自身が個として生きて行く。それを前提として、初めて周りと手をつなぎ、調和し、想いを共有して行く。今迄の様に、他との比較の中で自分を測り、自軸を持たずに生きていては、いつまで経っても「地の時代」から抜け出せないのではないでしょうか。

〇〇会社の私ではなく、○○流の私でもなく、私は唯一無二の存在として、この時代を生きて行くという位でいいのではないかと思いますね。せっかく素晴らしい風土と歴史のある土地に生まれたのですから、大いにその素晴らしさを享受して、自然と共に、世界と繋がって生きたいと思いませんか。それには他人が与えてくれた肩書や権威ではなく、自軸で「個」として生きることが出来るかどうか。そこが一番のポイントだと私は思います。これなくして無意識の世界も動かないのではないか、と思っています。
こういう事が「風の時代」に入って、はっきりと眼に見えるようになって来たのです。流行に乗る事ではありません。時代と共に在りながらも周りに振り回されてはいけない。
自分の時間を大切に生きて、無意識の領域を存分に働かせようじゃありませんか。ぶれない自軸で、大いにゆったりと生きたいものです。
私はのんびりゆったり出来るという事が、一つの大きな才能だと思っています。
素敵な音楽を創って行きたいですね。

古典のススメ

東京では、新年早々に緊急事態宣言が出てしまいました。本当にこれからどうなって行くのでしょうね。

ギャラクシティー2021

biwa-no-e2先ずはお知らせが二つあります。毎月やっている
琵琶樂人倶楽部ですが、開演時間を1時間繰り上げて、
18時30分にしました。20時までには終了するようにいたします。時間のお間違えのないようお願いいたします。

そして、23日のギャラクシティープラネタリュウムでの「銀河鉄道の夜」公演ですが、残念なことに今回は延期となってしまいました。主催側は夏頃にはやりたいとのことでしたが、まだいつになるかは未定の状態です。当日プラネタリュウムとの共演を楽しみにしていてくれた皆さま、是非夏にお逢いしましょう。
今年も昨年と同じく、周りの仲間の公演も中止や変更など、かなりばたばたと事態が動いていますが、目に見えないウイルスというのは、本当にどう対処して良いのやら判りませんね。政府が出したルールを守っていれば安全安心というのなら良いのですが、全くそうではないし・・・。
ヨーロッパに居る友人とメールでやり取りしていると、かの地では「コロナと戦う」「VSコロナ」という感じが強いそうです。それが良いかどうかは別として、日本では「何とかなるだろう」という気分が強いですね。情報も錯綜していて、自分ではなかなか判断が出来ませんが、とにかく早く収まるのを祈るばかりです。

現代は全てに於いて物事のヴィジュアル化が進んで、皆目からの情報を得るようになって来ましたので、コロナウイルスのような目に見えないものは対処が難しいのでしょうね。科学的エビデンスなどといわれていますが、そのエビデンス自体が多方向から、まるで違った内容が流れて来ては、どうにもなりません。ヴィジュアルや情報中心に生きている現代人にとって、厳しい現実だと思います。
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昨年12月の琵琶樂人倶楽部にて、安田登先生と「橋合戦」上演中

私にはコロナウイルスの対処は判りませんが、この「禍の時代」といわれる今、現代のヴィジュアル優先、ネット情報優先の生活を見直して、日々の暮らしの中に想像力を働かせ、一人一人の感性や感覚を敏感にして高めて行くのが重要ではないかと思っています。
では、そうするにはどうすれば良いのでしょう?。突拍子もないと思うかもしれませんが、想像力を高めるために是非古典を読んでみて欲しいのです。何を呑気なこと言っているんだ、なんて言われそうですが、想像力を高めるためにはぴったりなんですよ。

古典文学には、実に音の描写が多いのです。昔は映像媒体が無い分、目よりも音によって物事の存在を感じる感性だったのです。リスナーの心の中に絵が浮んで来るように音で描写するのが一般的だったのでしょうね。映像が無いと現代人は物足りないと思うかもしれませんが映像を出してしまうと、その絵にイメージが限定されて、そこからさらに先に想像力が働かないのです。

たとえば「月の夜に」と書かれていたら、人それぞれ色んな情景を思い浮かべるでしょう。時代が変われば感性も違うので、鎌倉時代に生きていた人と現代の人では、それぞれ違う月が出てくるでしょうね。内容に対する解釈も人によって時代によって変わってきます。しかしそれでも尚魅力が尽きない。あらゆる角度からのアプローチも受け止めることが出来る。それくらい懐が大きく面白い。だからこそ古典は残っているのです。
近世の江戸時代辺りになると、古典に対する姿勢もだんだん変わってきます。能の様に抽象性が強いと、脳内VRが発動して受け手側が自分で情景やら、背景やら色んな事を想像して行く方向に向くのですが、歌舞伎になると、とにかく見て楽しいエンタテイメント色が強くなります。観客の想像力を掻き立てる演出も多いですが、舞台セットなどのヴィジュアルが豊富になりますので情景背景などは目からの情報になり、想像力はは登場人物の心情の方に向かいますね。同じ古典でも、色々な描き方がり、また様々な接し方があるのです。それが古典の魅力です。

実際平家物語も近世以降は、だんだん今でいう大河ドラマのようなものとして受け入れて行ったのではないでしょか。安田登先生とよくやっている平家物語の最初の合戦「橋合戦」などは、「矢切の但馬」「筒井の浄妙明秀」「一来法師」「足利又太郎忠綱」等々、独自のキャラを持ったスターが次々に出てきて実にドラマチックで面白いです。
真逆としては、ラストにある「大原御幸」など景色の描写しかないのに、それを読んでいると建礼門院の心情が、何ともこちらに満ちてくるんですよ。この振れ幅。日本人ならではの感性ですね。こうして、様々な形で古典に接して行くと想像力はどんどんと膨らんできて、且つ楽しめます。是非古典を読んで心を豊かにしてもらいたいものです。
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2020年おおぶこもれびホールにて、安田登先生、玉川奈々福さんと

現実社会を見ていると、目の前にある出来事しか見ない人が多いように思います。古典なんて高齢者の趣味位に思っている人も多いかもしれませんが、合理性ばかりを追求し、目の前を楽しませることばかりに囚われ、直ぐに役に立つことだけをやろうとして行くと、世の中に弾力がどんどんと無くなってしまうと思うのは私だけではないでしょう。何も古典の勉強をするというのではなく、接して楽しめばよいのです。何の役にも立たないと思われていた事が、次世代を創り出す技術のきっかけになることも沢山あります。古典にはそのきっかけが詰まっていると思うのですがね・・・。

薩摩琵琶の明治~大正期に創られた曲に「送別」という曲があります。私も30代の頃は得意になって歌っていました。永田錦心の演奏で知られていますが、その曲中に王維の作ったこんな漢詩が入っています。

渭城の朝雨 軽塵を浥す 
客舎青青 柳色新たなり 
君に勧む更に尽くせ 一杯の酒 
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん

この時代辺りまでは、まだ古典が当時の社会と繋がっていたのでしょうね。今の世の中から、こんな詩は生まれ来るとは思えません。スマホをいじってSNSで「いいね」を押し合って表面だけで繋がっている人に、この漢詩に立ち現れる深い友情があるでしょうか。酒なんか飲んでいるのは、無駄で、現実からの逃避だと切り捨てる事も出来ますが、酒も無い世の中だったら、こんな情感豊かな詩は生まれて来ませんね。

豪華な暮らしをするだとか、金持ちになるだとか、そんなちまちました現世の枠中の幻想に振り回され、「成功」や「勝ち組」等という虚実を追いかけ、自分の目の前の欲を満足させるだけでは、何とも薄い人生の様に私は感じますね。そんな世の流行に振り回されているような生き方ではなく、豊かでダイナミックな世界に生きたいし、そんな俗な価値観を次世代に伝えたくはありません。

科学技術でも経済でも芸術でも、そこには大きな「夢」があり、人間同士の繋がりがあるのです。古典には先人の夢や営み等、物語を通して人の本来あるべき姿が描かれています。またそれは時代を超えて共感出来るものだから残っているものなので、一つの時代だけに通用するものではないのです。考えてみれば、先人が連綿とそれらの日本人の生きる根幹ともいえるものを繋いでくれたからこそ、この現代日本があるのではないですか。
この状況になって、お上に従っているだけでは解決にならないという事は、皆が実感しているのではないでしょうか。誰かに言われたから従うのではなく、自分で考え、何が大事なのか、自分はどうして行きたいのか、何故そうしたいのか。そういう想いがなければ、何の問題の解決にもなりません。古典に接する事で、どんな時代でも変わらない、人の生きる姿勢を確認し、目の前の事象に対して想像力を持って接して欲しい。と私は思うのです。
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ストライプハウスにて

今こそ、古典に目を向けるべきだと私は思います。このとんでもない現実に、おめでたいと思う人もいると思いますが、過去を知らない人間には次の時代を創り出すことは出来ないのです。目の前の現実を何とかするのは大事なのですが、想像力が欠如した対処は、逆作用しかねない。
また自分の見える所しか見ずに、自分の言っていることが正しいと主張している専門家が多いですが、多少の経験があるが故に、自分の見えている部分以外が「虚」になってしまう例もよくあります。
このブログでは宮本武蔵の「観の目強く 見の目弱く」という言葉をよく引用しますが、目の前しか見えない状態に陥ると、とても危ういのです。

「禍」の時代だからこそ、古典を見直し未来への想像力を豊かにして行くことを、是非お勧めしたいですね。

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