而~「魔術的時間を呼び出すための無為の重要性」

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人形町VIJONSにて

今年は安田登先生に声をかけてもらう事が多く、随分と沢山の舞台をやってきたのですが、先生の舞台はパフォーマンスだけでなく、必ずお話しのコーナーもあります。そこでは時々論語の話が出てくるのですが、その中で「而」という言葉にいつも感心してしまいます。「温故而知新」の言葉の間に入っているあれで、「しこうして」と読まれて、特に意味のない字の様に扱われ、訳されもしないことが多いのですが、これを先生は「魔術的時間を呼び出すための無為の重要性」と解説しています。これに私はピンと来るものを感じました。正に私の為にある字だと思えてならないのです。また今、この字は社会にとっても必要な字ではないかと、このところ感じています。

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ヴィオロンにて photo新藤義久
私は、自分では琵琶弾きとして先頭を切って飛び回っている方だと思うのですが、周りの人からは「いつもブラブラしているみたいだけど、毎日何やってんの?」と常に聞かれます。今日も言われました。まあSNS等一切やらず、自分の活動を周りにアピールすることもしないので、世間の方からすると確かに暇人風に見えるのでしょう。私としては忙しい人に見られるるよりは、ぶらついているように見える方が嬉しいのですが、ブラブラとほっつき歩くのも仕事の内と思って、のんびり自分のペースでやってます。

天才といわれる人はどうだか知りませんが、私は曲を作っても、何度も推敲を重ねてないと仕上がりません。レコーディングした曲でも、その後に編曲を施したものが少なくないですね。8thCDに琵琶の独奏曲として収録した「西風」は結局デュオ曲として今演奏していますし、同じく「彷徨ふ月」もかなり編曲をし、「壇ノ浦」の崩れもレコーディング直後に手を入れました。CDには手慣れた曲でなく、常にその時の最先端を入れるようにしていますので、1年も経てば結構変わって行く曲が多いです。

曲を創るまでの時間も、創ってからレパートリーになるまで熟成させて行く為の時間も、正に「而」。一見効率の良いやり方には見えないかもしれませんが、そこは「魔術的時間を呼び出すための無為の重要性」という訳です。ずっと寝かせておいたアイデアが、ある時にふと具体的に成ったり、何となく見直した譜面から、劇的なアレンジが浮んできたりするもので、こうした瞬間は、がちがちと毎日努力したのでは現れません。ぶらぶらした時間が在ってこそ目の前に出現するのです。
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昨年12月の日本橋富沢町楽琵会にて、Vnの田澤明子先生と

私は、演奏会が続いている時は別として、それ以外は大体、週に1回か2回程大小の舞台に乗っている感じで、ふと1週間程何もない時もたまにあります。お教室をやっている訳ではないので、暇なときは本当にのんびりとさせてもらってます。今はちょうどその時期で、今回は二週間程ぶらついているという稀な時間を楽しんでいます。
前から書いているように、ほぼ全ての仕事で自分の曲(及びアドリブ)しか演奏しないので、いわゆる皆さんが想像しているような練習はほとんどしません。私の毎日は曲を創る事と、創った曲を推敲することです。自分の作った曲に関しては、常に頭の中であれこれとアイデアが巡っていまして、何度も何度も譜面を書き直しています。それをしなくなる頃に、やっと自分のレパートリーとなって行くという寸法です。正に曲が「而」の時間を過ごしているという事でしょうか。

一方琵琶の調整には、かなり膨大な時間を割いて、これだけは誰にも負けない位時間を費やしていると思います。それくらいしないと思う音は出て来ないし、常に音色は追及して行かないと音楽は命を保てません。他のジャンルでは当たり前のことです。薩摩琵琶は日々の「サワリ」の調整を自分でやらないと、まともに鳴ってくれません。歌の伴奏でちょっと合いの手で弾けばよいというような、お稽古事を楽しんでいる人は別として、演奏家として生きて行く人には、楽器の調整は必須の事であり、それだけ楽器が自分の体の一部のように感じられないようでは、音楽は創れません。少なくとも薩摩琵琶のような手のかかる楽器の演奏家には向きませんね。歌手が24時間常に喉の状態に気を遣っているのと同じです。私の日々の中で、サワリの調整は毎日の食事やシャワーを浴びるのと同じようなレベルでやっています。ちょっと気にかかるとか、忘れるという次元のものではなく、もう生きて行くための当然の営みになっています。
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兵庫県芸術文化センターホールにて。俳優の伊藤哲哉さん、コントラバスの水野俊介さんと「方丈記」公演 映像はヒグマ春夫さん
先日も俳優の伊藤哲哉さんが我家に来てくれて、早速夕方早い時間からウイスキーを吞りながら、長い事お喋りしていましたが、こういう「而」ともいうべき時間が、大いなるものを生み出すのです。特に伊藤さんと話していると、芸事の先輩でもありますので、色んな発想・アイデアが浮かんできます。

この「而」の時間は演奏会が続いているとなかなか持てないのです。先月は毎週旅の空でしたので、「而」の魔術的時間が持てませんでした。だから暇であるというのは、何かものを創り出す人にとって、とても大切なことであり、自分自身が暇人で居ることが出来るというのは、芸術家の才能の一つとも言えます。
大体人間は忙しくしている方が充実感が持てるので、暇にしていると「何かをしなくてはいけない」と焦り、それが出来ないとまるでダメ人間のように思えてきたり、また定収入が無い事で不安が募ってしまって、創作どころではない状況に陥ってしまう方が多いです。精神的に、また経済的に追い詰められて音楽から離れて行く人をこれまで沢山見て来ました。彼らの気持ちは、自分の実感として痛いほどによく判ります。たまたま私は死なない程度に、音楽で収入を頂いてきましたが、とにもかくにも暇人で居られるというのは、この現代社会の中では、なかなか難しいというのが実感です。
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ナレッジカルチャーアカデミーにて。先生らしく立派そうですね??。

何かを創り出すには勉強も確かに必要です。琵琶のような古い歴史がある楽器は、古典の芸能や文学等、お勉強ネタには事欠きません。琵琶弾きとして仕事をやって行くには、こういう勉強は必須ですし、またかなり興味を持ってこうした部分にも接する位でないとプロとして仕事にはなりません。演奏だけしていれば良いというものではありません。
何事も勉強は死ぬまで続くのですが、気を付けなければならないのは、音楽家と学者は全くの別のものだという事。音楽家は勉強や練習オタクに陥ったら、もう音楽家としては成り立ちません。人間、知識を得ると、何か世界が広がったような気がするものですが、それは大いなる幻想。その知識を超えて、そこから新たな世界が見えてきて、初めて「広がった」のであって、知ることは土台でしかないのです。

邦楽をやっていると、大学で特別授業を頼まれたり、ちょっとした講演をお願いされることは多々あります。大学の講師だとか、何だかアカデミックな肩書を付けたがる人が多いですが、そういう所と音楽活動は切り離して行かないと、頭の中が音楽家・舞台人になって行きません。お勉強はどこまで行っても芸術ではない。そういう所から離れて初めて「而」の時間が現れて、様々な魔術的時間が目の前に広がって、作品が生まれて行くのです。曲でも舞台でも生み出し、創造して行くという事が我々の仕事。そこを無くして我々は存在し得ません。
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9月の赤坂「遊雲」ライブ後の打ち上げにて、メゾソプラノの保多由子先生、尺八の藤田晄聖君と

しかしながら世の中は効率主義で何でも計ります。役に立たない事には価値は勿論の事、お金も時間も費やさないですね。先日亡くなった小柴昌俊先生(ご近所さんです)は「私の研究は役に立ちません」と言い放っていたそうだけど、目の前の役に立つような研究しかやらなくなったら、学問ももう終わり、何十年先を見据えてふんだんに資金を使わせるくらいでないと、明日の日本は成り立ちません。
まあ昼間からビールを吞んでぶらついているように見えても、そこは明日の邦楽界の為だと思って、「魔術的時間を呼び出すための無為の時」を過ごしているんだろうと思っていただきたいものです!?。

といいながら今日も昼から吞ってしまった。

気持ちの良い音

外苑イチョウ2020
神宮外苑

秋深まってまいりましたね。先日、琵琶樂人倶楽部14周年も無事終えることが出来ました。地味な会ですが、とにかく毎月続けていると色んな事があり、色んな人が来てくれて毎回面白いです。来月は年末恒例のお楽しみ企画。琵琶樂人倶楽部ではおなじみの尼理愛子姐さん、尺八の藤田晄聖君、安田登先生&ノボルーザの名和紀子さんが登場です。次回は完全予約制にしますので、是非ご連絡くださいませ。お待ちしております。

今年は秋の演奏会シーズンにも関わらず、今週から2週間ほどは演奏会も無く、ちょっとばかりのんびりしてます。先月は毎週地方公演でずっと出ずっぱりでしたので、体も休まってちょうど良いです。来月がまた忙しくなりますので、夏頃から構想している新たな作品を、この間に何とか具体化したいと思っています。デュオによる現代作品を考えているのですが、今迄に無いイメージを持っているので、その辺が上手く具体化するかどうか・・・。乞うご期待!!

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今年1月、愛知県おおぶ市こもれびホールにて 能楽師の安田登先生と

今年はコロナ禍にも拘らず結構お仕事させてもらって、本当にありがたい限りですが、例年の演奏会と違い、こういう状況ですと色々と考え、また見えて来るものが多いですね。これ迄ずっと自分の音楽を追い続け、年を追うごとに具体化してまいりましたが、今年のこの事態を通して、自分の姿勢も更に徹底してきました。とにかく自分らしくあるという事が一番です。それが気持ちの良い音楽に直結します。やっぱり気持ちの良い音楽をやりたいし、聴きたいんですよ。
その時々で憧れているものや、思考方向性などによって、演奏するもの、聴くものは変わって行くのですが、この年になると、自分にとって本当に気持ち良いものだけが残りますね。

shio02s厳島神社演奏会にて
まだ若手などといわれていた頃は、薩摩琵琶の基本スタイルである「弾き語り」でも負けられないという気持ちが強く、かなり意地でやっていました。しかし私は本来歌いたい訳でもないし、またいつも書いているように、近代軍国時代のあの歌詞は、どうあっても受け入れがたいので、演奏していてもちっとも気持ち良くないのです。

弾き語りの演奏は、祇園精舎などの短いものを除き、今はほとんどやっていません。今年も随分な数の演奏会をやらせてもらっていますが、弾き語りをやったのは、2月の日本橋富沢町楽琵会だけですね。私はどうも声で感情表現をするのが苦手なのか、合わないようです。以前はオペラなんか夢中になって観ていたのですが、歌の意味を気にせず器楽の演奏として聴いていたのでしょうね。グレゴリアンチャントや朗詠や謡曲等、直接感情を入れない声の音楽は好きなのですが、喜怒哀楽を直接表現する(それも声高に)声の芸は、自分でやるにはとても厳しいのです。
今後はもっともっと、自分が気持ち良いと思う音楽をやって行こうと思います。

人間は自然との共生などといわれるように、人間以外のものとの関係によって生を営み、その環境の中で気持ちの良さを実感する生き物です。大体体の中にも何億兆という細菌やミトコンドリアが住んでいて、それらのお陰で生きているくらいですので、地球環境も人間関係も、人間が第一、自分が第一になり過ぎると上手く行きません。私にとっては喜怒哀楽を前面に出す「歌」はどうも人間や自分というものが中心になり過ぎているような感じがするのです。主張が先行して周りとの調和が感じられない。私の思う音楽は「調和」がテーマなので、風や月などの曲が多いのもそこから来ています。
音楽はその背景に、風土があり、歴史があり宗教があります。自然と共に生きる人間の営み無しに音楽は成立しないので、純粋な音楽などというものはありえないのです。すべての音楽は風土が育んで出来上がったというべきでしょう。しかしながら、そういう周辺ばかり見過ぎると音楽の芯は聴こえて来ません。ここがとっても難しい所です。言葉では言い表しにくい部分なのですが、少しそういった背景から離れてみる方が音楽が響いてきます。

雅楽は平安貴族文化という部分は勿論ですが、当時のアジア圏の情勢・交流等も大事な要素です。クラシックでも、バッハやモーツァルト、バルトーク、シェーンベルク、ドビュッシー、ラベル・・。皆特有の背景があるのですが、そこを分かった上で、その背景から少し離れて音楽に身をゆだねてみると、あらためて聴こえてくるものがあるように思います。私の好きな中央アジアの音楽も、それぞれの国で壮絶な歴史があり、その中で生まれて来たのだと思いますが、その歴史を理解しつつも、あえてただ音楽として聴いてみて、とても魅力的で何とも惹かれます。そしてそこからまたその深い歴史へと興味も深まって行くのです。文字より先ず音楽を先にした方が、素直に聞くことが出来るように思います。

伎芸天L

技芸天

このバランスが難しい。以前は音だけを聴くのは表面的で薄い鑑賞の仕方であり、その背景も歴史も知るべきだと思っていたのですが、音楽、特に長い時間受け継がれて来たものには、音そのものに様々な背景や情報、創られた当時の人々の想いが色濃く内在されているので、文字情報を読むよりも、先ずは音から感じ取る方が、より音楽に寄り添えるように思います。もちろんそういうものを感じる為には、土台となる知識や知性が必須だとは思いますが、逆に言うと、音楽を聴いてもそういうものが感じられないようだとしたら、音楽自体が薄っぺらいものか、はたまた聴いている本人の感性が鈍いかという事です。
長い歴史の出来事は、現代の感性だけでは捉えきれません。自分のセンスとは全く違うものも沢山あります。文字を読んだところで判らないものは判らない。文字では伝えきれないものを音楽から受け取るくらいで良いかと思います。私は中央アジアの民族音楽を聴いていると、文字には表せない何とも言えない気分になりますね。
実際に文字情報があるとそれに寄りかかってしまい、「こういうものだ、こうでなくてはならない」「凄い演奏家なんだ」みたいな音楽以外のものが、自分でも気が付かない内にまとわりついてるものです。はっきり言ってこれは想像力の欠如です。現代人は情報に振り回され、「感じる」心が弱くなっている。目の前が楽しい、嬉しいというエンタテイメントに慣れきって、何でもヴィジュアルで見てしまうからだと思いますが、情報は、言い換えると、小さな自分という牢獄に入っている状態とも言えます。小さい頭や器で理解しようとせず、判らないことは解らないままに「感じる」事が出来なくなっている。そんな状態では、音楽から聴こえてくるものも、その内の数パーセントでしかないでしょう。

私が肩書やキャリアを誇示する人を避けるのも、そういった余計な情報からなるべく遠ざかっていたいとともに、貧弱な想像力に支配されたくないからなのですが、余計な情報が多い現代の社会では案外難しいものなのでしょうね。

私の音楽の基本となっているジャズも、中学の頃から毎日朝から晩まで浴びるように聴いていましたが、ギターを手放し、憧れの部分から解放され、自分がその場から離れ、違う分野に身を置いてみて初めて新たな魅力が聴こえてくるようになりました。琵琶も、流派や協会から離れて、弾き語りをやらなければいけない、というしがらみからも解放されて、自分が本来求めていたものを追求するようになって、初めて私の音楽が立ち現れてきました。
孔子

論語では「楽」は一番大切なものとして書かれています。何故大切かというと、相手の心に直接届き、大きな作用を及ぼすからです。孔子は「国を変えるのなら楽を変えよ」と言う位、音楽の力を重要視していました。だから軍歌等にも使われてしまうのです。それくらい音楽そのものには力があるのです。
こうしてみると、気持ちの良い音楽に巡り合うのもなかなか大変ですね。

日本の音楽が本当に気持ちの良い魅力的な音楽として、これからも響き渡って欲しいですね。

祝 琵琶樂人倶楽部開催14年目突入!!

今月は琵琶樂人倶楽部が、何と14周年を迎えます。開催回数も155回となり、気持ちも新たに、更なる気合も入ってきました。HPの琵琶樂人倶楽部のコーナーには、この13年間の軌跡が残っていますので、是非ご覧になってください。 

今でも色々と試行錯誤をしながらやっているのですが、とにかく流派や協会、ジャンル関係なく、琵琶樂に関することを考え付く限りやってきました。この13年間は、自画自賛ではありますが、回を重ねるごとに充実してきたと思っています。
私は樂琵琶と薩摩琵琶(あと少しばかり平家琵琶)を弾きますが、樂琵琶が千数百年という長い歴史を誇るのに対し、薩摩琵琶は、流派というものが出来てまだ100年。その源流を辿ってもせいぜい150年。また私が最後に習ったT流は1970~80年に流派として成立した若い流派です。私が使っている錦琵琶も開発されたのが昭和に入ってからですので、正に現代の音楽であり、楽器なのです。
今でもイメージだけで琵琶が捉えられ、演奏する方も、ろくに歴史認識が無いままに広報している例が多く見受けられます。私は自分の演奏だけでなく、演奏者、リスナーの意識も変えて行くべきだと思い、琵琶樂の確かな歴史と知識を広めるという志の元に、琵琶樂人倶楽部を発足しました。
100回記念演奏会 リブロホールにて古澤月心さんと
琵琶樂人倶楽部では、Vnの田澤明子先生やメゾソプラノの保多由子先生など、洋楽の大ベテランを呼ぶこともよくありますが、基本的に若い世代の方に声をかけています。協会や流派という枠を外してみると、良いものを持っている琵琶人・音楽人は結構居るんです。琵琶樂人倶楽部では、そんな面白い魅力を持った人にどんどんと声をかけていますが、永田錦心や鶴田錦史が実践してきたように、新しい時代には、新しい感性を持った人がどんどんと活躍して行くと確信しています。受賞歴など並べて満足しているような旧来の感性では、次の時代は見渡せません。明日の琵琶樂を担って行く為にも、自分自身の精進と共に、旧来の常識や因習に囚われることなく、魅力的な人材にどんどん声をかけて、明日の琵琶樂を共に盛り上げて行きたいと思っています。

当時の私、高野山常喜院にて

この写真は発足して一年後、高野山常喜院にて開催した独演会の時のものです。琵琶で演奏活動を始めて、もう随分と経ちますが、琵琶樂人倶楽部を発足してからの、この13年間は本当に良い仕事をさせてもらいました。シルクロード各国へのコンサートツアーや高野山公演をはじめ、今振り返っても、よくやったなと感心するようなものばかり。とにかく琵琶弾きとして本当に良い仕事に恵まれました。
またリーダーアルバムCDも8枚(+ベストアルバムが2枚)をリリースして、邦楽では世界へ一早くネット配信も開始して、充実の13年間だったと思っています。
これも皆、良き先輩方々や良き仲間が居て、聴きに来てくれる人、応援してくれる人が居たからこその賜物であって、今更ながら、多くの人に支えられたと感じています。私は、いわゆる世間でいう所の芸人には程遠いタイプです。とてもじゃないけどエンターティナーには成れません。気の利いたことを言える訳でなし、愛想を振り撒くどころか、舞台に出ても仏頂面しか出来ません。スター性などというものからは全く持って程遠いのですが、そんな私がこうしてやって来れたことは、御縁に包まれていたからだと、心から感謝しております。この御縁こそが私の音楽であると思っています。
今年の7月琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
今月の琵琶樂人倶楽部は原点に立ち返り、薩摩琵琶の変遷をレクチャーします。ゲストには尺八の吉岡龍之介君を迎え、「今」の琵琶樂を演奏いたします。
11月11日(水)
場所:ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:19時30分開演
料金:1000円(コーヒー付)要予約 
出演:塩高和之(レクチャー・琵琶) ゲスト吉岡龍之介(尺八)
演目:風の宴 まろばし 西風 他
問い合わせ:琵琶樂人倶楽部 orientaleyes40@ yahoo.co.jp
是非是非お越しくださいませ。尚、このような時期でもありますので、完全予約制とさせていただきます。 orientaleyes40@yahoo.co.jp  迄ご一報くださいませ。
最期に。琵琶樂人倶楽部の看板絵として、いつも掲げているこの赤い絵は、長崎の鈴田郷さんという方が書いてくれました。私がまだかろうじて若手と呼ばれていた頃、大阪で小さな演奏会をやり、そこに娘さんと来てくれた鈴田さんが、私をスケッチして書いてくれたものです。残念ながら鈴田さんはもうお亡くなりになってしまいましたが、この絵だけは、これからも琵琶樂人倶楽部の看板として掲げて行こうと思っています。
今後共宜しくお願い申し上げます。

涙の意味は~木ノ下歌舞伎 摂州合邦辻

先日池袋のあうるすぽっとにて、木ノ下歌舞伎の「摂州合邦辻」を観てきました。私は演劇の舞台には琵琶を始めた頃から毎年の様に関わっているのですが、観客としてじっくり観に行くのは久しぶりでした。内容は俊徳丸伝説をもとにしたもので、近世邦楽では定番の物語なのですが今回は糸井幸之介氏、木ノ下裕一氏の演出・上演台本によって、見事に現代の歌舞伎が実現していました。
監修・補綴・上演台本:木ノ下裕一       上演台本・演出・音楽:糸井幸之介
振付:北尾亘      音楽監修:manzo
観ていて、魂が泣き震えるような感動をおぼえました。生の舞台を観ていて涙が溢れてきたのは、本当に久しぶりで、ちょっと自分でも驚きでした。

あうるすぽっと「漱石と八雲」にて。左端から木ノ下さん、私、安田登先生、玉川奈々福さん
木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一さんとは、昨年と今年、同じあうるすぽっとの企画公演「能でよむ~漱石と八雲」にて御一緒させていただき、色々な話を通して、何とも相通じるような所を感じていましたが、木ノ下歌舞伎の生の舞台はまだ拝見していませんでした。今回は初めて生の舞台を拝見させていただいたのですが、あまりにドラマが我が身に迫ってきてしまい、まるで自分がそこに関わっているような想いがしてきて、涙が止まりませんでした。帰り際には木ノ下さんから声をかけてもらったのですが、涙を抑えることが出来ず、「良かった。良かった。良い舞台を創っていますね」と涙声で言うのが精いっぱいで、失礼をしてしまいました。
私は邦楽デビューが長唄の寶山左衛門先生の舞台(紀尾井ホール)でしたので、何かと歌舞伎には近い所に居るのですが、歌舞伎に詳しい訳でもなく、時々歌舞伎座に行く程度の経験と知識しかありません。
しかし木ノ下歌舞伎は現代の観客に向いているので、そんな私にも全然違和感もなくハードルを感じませんでした。またエンタテイメントを追いかけ、見た目の派手さばかりのものが多い中、そっちに逃げない姿勢も見事だと思いました。こういう所を古典芸能は考えないといけませんな。
ちょっとミュージカル的な感じもあり、いわゆる古典の歌舞伎とは全然違いますが、しっかり歌舞伎の要素も取り入れながら、現代演劇・歌舞伎として魅せてくれるのが良いですね。友人からも「木ノ下歌舞伎は面白いぞ」とさんざん言われていたので、今回は大きな期待を持って観に行ったのですが、その期待をはるかに超える感動が待っていました。
セリフは全体が古文調。古典の歌舞伎だったら「けれんみ」に感じるそのセリフ回しも、木ノ下歌舞伎では表現力が増して逆に言葉が入ってくる。音楽が現代の言葉で歌が歌われるせいか、古文調のセリフとの対比があって、セリフが全く古臭く感じない。むしろリアルに感じる程。また現在と過去を行き来するような脚本もいかしてましたね。歌舞伎の舞踊を適度に取り入れているところも見どころの一つになっていました。
有名な演目なのでドラマの中身は判っていましたし、オリジナルの音楽や歌詞、演技や振り付けにも感心しましたが、そういう細かな演出は後から思い返して想うもので、観ている時にはそういう部分ではなく、全体のドラマがそのまま奥深い所から、ぐいぐいと私を惹きつけてきたのです。

前半からちょっとばかりぐぐっと来るな、なんて思ってはいたのですが、後半がやばかった。もうクライマックスとなる最期の玉手御前の瀕死の告白の頃になると、ドラマがそのまま自分の身に入り込んでしまって様々な事が脳裏をよぎり、今迄の自分の体験とどこかで繋がってしまうようなリアルさで、自分自身がドラマの中に入り込んでしまいました。亡くなった両親や兄弟、友人知人の事など、どんどんと繋がって行って、どこか自分のドラマを見ているような気分になっていましたね。生と死、欲、愛、執着・・・正にドラマですね。こういう時期でもありますが、特に「死」という部分には感じるものがありました。以前夢中になって観ていたオペラなんかも同じようなテーマを扱っているのですが、やっぱり字幕を追いかけていでは、このドラマは入って来ません。古典として練られているという事もありますが、日本の話になると話の入り方が違いますね。こういうのをカタルシスというのでしょうか。

日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師の津村禮次郎先生

少し冷静になって思い返してみると、今回の舞台は私が目指している日本音楽の最先端というヴィジョンが正に舞台に実現していました。形ややり方は私と違いますが、この風土にずっと伝えられてきたものを、現代の人がリアルに自分の身を通して感じることが出来る。これこそ私の求めているものと同じだ、と今じわじわと感じています。さすがは木ノ下歌舞伎です。

現在、私も含めて舞台人が皆がYoutube
などで配信をしている状況ですが、生の舞台の灯を消してはいけないですね。音楽でも演劇でもリアルな体験としての生の舞台は、人間のエネルギーです。映像もいいけれど、映像は生の舞台とはまた別の表現形態と思わないと、良いものは創れません。映像を生の舞台のピンチヒッターの様にしてしまっているから、魅力が半減してしまうのです。生の舞台と映像作品を別物として分けて発信して行くようにすると、もっと舞台にも映像作品にも、大きな感動が満ちて行くと思います。

日本には歴史も風土も芸能も、もう数えきれない程素晴らしいものが溢れています。そうしたものを受け継ぐという事は、次世代へ向けてまた新たな魅力を発信して行く、つまり「創る」という事ではないでしょうか。私は創るために受け継いでいるように思っています。私に何が出来るか判りませんが、これからも生の舞台を大事にしながら、次世代の日本音楽を創って行きたいですね。

久しぶりに身も心も震える感動をしました。ありがとうございました。

古都に響く

先週末、金沢で能楽師の安田登先生、俳優の佐藤蕗子さんと演奏してきました。昼間は海みらい図書館にて「雨月物語」を、夜は能楽美術館にて「耳なし芳一」を上演してきました。海みらい図書館での演奏では、地元の琵琶愛好家の方(私が若き日に習っていた錦心流琵琶の方)も駆けつけてくれまして、ご縁を頂きました。

夜の部は同時配信されましたので、Youtubeでご覧になれますので、是非観てやってください。
能楽美術館の方は、響きがちょっとショートディレイな感じでなかなか良くて、共演の佐藤蕗子さんも、もう何度もやっている演目なので、よい感じの間合いになって気持ち演奏良く出来ました。

金沢に来るのははもう4年ぶりでした。相変わらず街のあちこちに古いものが残っていての風情が良いですね。演奏会の次の日は新幹線の予約も午後でしたので、朝早くから金沢の街をぐるぐると「ほっつき歩き」、堪能してきました。私はとにかくどこへ行っても歩き回るのです。車の運転が出来ないこともあるのですが、てくてくとほっつき歩いていると、色んな発見があるんですよ。今回はお天気にも恵まれ、実に良いお散歩となりました。気分も上々。帰りには21世紀美術館にも立ち寄り、色々と観て来ました。

何かが生まれるには多くの要因が必要だと、この頃よく思います。文化を育むには、日々の営みがあってこそ。有益なものばかりを追いかける、現代社会の弾力の無さ、余裕の無さは、とても文化を育んで行ける状態とは思えないのです。
金沢の街を歩いていると、玄関先のちょっとした植木や、道端の石塔、古を伝える建築物等々ほっこりするようなものに沢山出逢います。もちろん結構な繁華街もありますが、街のそこかしこに、つい目をやってしまうようなものが溢れているのです。こうしたものは合理性には程遠いかもしれないけれど、そこから我々は多くのものを感じ、風土を記憶に刻み、古を想い、それらを土台として新たな日本の文化を創造して行くのではないでしょうか。実はそこが大きなエネルギーになっているように思えるのです

コンクリートジャングルからも音楽は生まれるでしょう。でも受け継ぐこと無しに、自分の力で新たな形を創り出せると思っているのは、現代人の大きな勘違いであり、罪です。我々一人一人の命は勿論の事、街並みでも、言葉でも、皆過去を受け継いでいるからこそ、今ここに存在している、という事を忘れてはいけない。我々現代日本人を成しているのは、古からの脈々と繋がる命と文化の連鎖があってこそなのです。自分なりの形で自然と受け継いでゆくものは、大きなエネルギーとなって、次世代を育むのです。今現代日本は、どの分野を見ても、そこに想いを持とうともせず。大事なことをすっぽりと忘れて、自分で何でもやっている、出来ると思い込んでいる。
目を開かないと!!!!

能楽美術館での舞台

金沢の街はそんなことをふと考えさせる風情がありました。街の中にアートがいっぱいあるというのは良いですね。さすが金沢。文化が深い。また是非演奏会をやりたいですね。また安田先生とは、来年の企画がどんどんと湧いてきて、随分と話が盛り上がり、今後も何だか面白くなりそうです。

今回は、大好物の「じぶ煮」にありつくことが出来ず、ちょっと心残りでしたが、しかしまあ、またおいで、というメッセージだと思って金沢を後にしました。

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