年内の仕事は終わりました。最後の2本は収録の仕事だったので、演奏会をやった後のような高揚感が無く、何だか妙な仕事納めでした。
今年は音楽の在り方が随分と変わりましたね。演奏会という形態自体がほとんどなくなり、配信がやたらと増えました。私も「あうるすぽっと」主催のもの、最近では「金沢能楽美術館」主催のもの、そして先日紹介した新宿区主催のものを配信させてもらっていますが、私の世代ですと、今迄はリアルがあるからこそ、ヴァーチャルである動画というものが成り立っていたと思うのです。下に10代の頃に憧れたミュージシャンたちの写真を張りましたが、子供の頃はリアルに見ることのできない海外のミュージシャンの映像などTVで放送していると、食い入るように見ていました。NHKでYesのライブを流していた時にはびっくりしましたし、ジミヘンのライブなんか、見ているだけで成りきっていましたね。部屋にはLPジャケットを飾り、ポスターを張って、NYのジャズクラブで演奏している自分を想像しながら、毎日朝から晩までLPレコードをずっと聞いていました。今ではyoutubeで何でも観ることが出来ますが、当時の動画は少年の心を直接刺激する、あまりに強力な媒体だったのです。



それに比べ昨今の動画作品は、生演奏の安易な代用品という感じがどうしてもしてしまいますね。しかしもう時代は、リアル・ヴァーチャルという境界も超えて行くのでしょう。既に80年代初頭のMTVなんかが先駆けだったのでしょうね。バグルスの「ラジオスターの悲劇」なんかを見た方も多いでしょう。あの頃から映像でしか表現できない音楽作品も沢山出来ていますし、映像に対する想いも価値観も、今後どんどんと変化して行くのでしょう。私は時代に追いついて行けるのかな・・。
私は今年一年、本当にありがたいことに沢山の仕事を頂きました。全て自分のスタイルで曲を付け、即興をして仕事をさせてもらったので、本当に感謝しかないです。ただこれ迄の様に自分の作品を演奏する演奏会は、ほとんど開けませんでした。定例の琵琶樂人倶楽部はやっていましたが、日本橋富沢町楽琵会の方は2月にやっただけで、来年以降も休止となっています。上半期には自分の作品を演奏する演奏会を色々と予定していたのですが、結局全て中止になってしまい、下半期は世の状況としても予定を立てられず、また仕事の演奏が色々と入っていたこともあって、自分の演奏会は開けませんでした。仕事としては成り立ちましたが、活動としてはどうにも中途半端な形になってしまったのが残念です。来年は地味であっても、もう少し確実に自分の音楽を発表していけるよう頑張りたいですね。



左:琵琶樂人倶楽部にて、中:日本橋富沢町楽琵会にて、右:六本木ストライプハウスにて いずれもphoto:新藤義久
琵琶樂人倶楽部も内容を更に充実させて、少し今年とは内容も方向も変えて行こうと思っています。今年も色んな曲を創り、数は少ないですがレパートリーとして定着したものも出来上がり嬉しく思っています。やはり私は曲を創って、弾くところまでやってはじめて、自分の音楽活動が成り立ちますので、来年は更なる曲創りとパフォーマンスに徹したいですね。
毎年年末には一年を振り返り、その都度課題が見えてくるのですが、お陰様で悪い方向には行っていません。そして年を経るごとに自分の姿が見えて来ます。音楽に限りませんが、結局やればやるほどに自分自身になって行くという事を感じていまして、人間=音楽という位に成りたいなと思っています。言い換えれば、音楽そのものも活動も、私という人間が豊かでなければ、音楽も大したものは創れないという事だと思っています。だからもっともっと自分自身が豊かになって行きたいのです。
今年は多くの良き機会を頂き、経験も見聞も広がり、多くの人ともつながりが出来ました。本当にありがたく思っています。是非来年もこの勢いを繋げて行きたいですね。

葛城 高鴨神社の池
そして今年は、私の周りの方々の訃報が相次ぎました。コロナ関連ではなかったのですが、私の年齢になれば、自然と旅立つ友人知人も増えて行きます。訃報に接する度に、様々な想いが湧き上がるのですが、悲しさよりも、かえって自分に与えられた運命は何なのか、と感じることが多くなりました。
人間は色んな側面を持っているし、人によってそれぞれに、自分でも捉えきれないほどの様々な想いを持っています。それ故、数えきれない人々の想念が社会に張り巡らされ、そのカオスの中に生きているのが人間だと常々思っています。生かされているとは、そのカオスの中に身を置いているという事であり、そのカオスを身の周りに作り出すのもまた自分自身であると思っています。つまり自分の妄執を自分で生み出しているのが、人間なのかもしれません。
そのカオスの中で、唯一生死こそが、自分だけのものなのです。生きるのも死ぬのも誰かに代ってもらう事は出来ません。現世に生きる我々は、物やお金など目に
見えるもので何事も判断しがちですが、所詮そんなものは自分自身ではないし、名誉や肩書などは一定のルールの中で他人からもらった幻想に過ぎない。場所や時代が変われば、英雄も犯罪者になってしまうのが世の中というもの。そんな幻想に身を置いて振り回されていたら、いつまで経っても迷いの中を彷徨っているだけです。
見えるもので何事も判断しがちですが、所詮そんなものは自分自身ではないし、名誉や肩書などは一定のルールの中で他人からもらった幻想に過ぎない。場所や時代が変われば、英雄も犯罪者になってしまうのが世の中というもの。そんな幻想に身を置いて振り回されていたら、いつまで経っても迷いの中を彷徨っているだけです。
現世に於いて他人から恨まれようが好かれようが、自分の人生は自分しか生きられない。そして死もまた自分でしか体験することは出来ません。
良寛さんでは無いですが、人は死ぬべき時に死ぬのです。その死に方も生まれ方も運命であり、自分で望んだ形にはなりません。西行の様に死を思うような形にした人もいるのでしょうが、それすら運命といってよいでしょう。だからこのカオスの中で生かされている自分の命と、与えられた運命を感じ、自分の生を生きない限り、自分の人生は全うできないと、私は思っています。。

さて、来年一年の琵琶樂人倶楽部のスケジュールがほぼ決まりました。少し未定な所や、上述したようにもう少し考え内容を変更して行くところも出てくると思いますが、大体この内容でやりますので是非お越しいただきたいと思っています。
琵琶樂人倶楽部
来年も琵琶の音が響き渡りますように。