静かな暮らしⅢ

すっかり春を感じる陽射しになりましたね。ちょっとご無沙汰してしまいました。今年は花粉症がしっかり始まっていまして、目のかゆみ、鼻詰まり、全身の倦怠感等々しっかり来ていて、ぐったりとしてます。コロナは相変わらずですし、先日の地震もあって、何かこのさわやかな春の陽気も素直に喜べませんね。穏やかな日々が戻って来て欲しいものです。

先日「三蔵法師 玄奘の旅路」という映画を観ました。「西遊記」ではなく、リアルな玄奘の旅が描かれいて、更には途中で立ち寄った中央アジア諸国の音楽や踊りもふんだんに使われている。この点が私の一押しポイントなんですが、玄奘役の役者さんも、ぴったりな感じで、信念を持って過酷な道に挑み進む姿が、変に盛った感じが無く、自然で素晴らしいです。なかなか素敵な作品ですよ。

観ていて俗事に日々振り回されている我が身が、かえって感じられました。俗世の中であたふたしている私のような凡人は、自分が何かをやっているつもりになっているだけなんでしょうね。
玄奘三蔵や、私が秘かに敬愛する道元禅師は、正に選ばれし者なのだと思いますが、私はこうした人達に何とも言えない静寂を感じます。そしてその静寂から多くの力や魅力が発せられているようにいつも感じるのです。きっと彼らの体には、大いなるものの声が響き、且つ導かれもするのでしょう。だからこそ世を超越するような信念を持ち、そしてその信念に従って、人智を超えた行動して行くのでしょうね。「運命はこころざしある者を導き、こころざし無き者を引きずる」。セネカの言葉通りだと思います。

私は凡人ながらも有り難いことに、これまで色々と仕事を頂き、本当に感謝しています。しかしどこか活動を展開するために音楽を創るようになり、活動に合わせた演目・演奏をするようになって、自分の内面から沸き上がる純粋な音楽とはズレが生じて来てはいないだろうか、という事を時に感じます。勿論合わないと感じたお仕事は丁重にお断りをするようにして、なるべく納得のいく形になるようにコントロールしているつもりではありますが、俗世の中にあっては、なかなか思う様には行きません。信念を最後迄貫いた玄奘とはまるで違いますな。しかしそれもまた自分に与えられた器であり、運命であるのでしょう。自分なりにしか出来ませんが、できるだけ自分の行くべき道を進みたいものですね。
池袋あうるすぽっと にて

今は幸か不幸か、割と日々静寂の中に身を置けるので、自分の内面と向き合う事が多くなりました。静寂を持つと言っても良いかと思います。静寂の中に身を置くだけでも、色んな声が聴こえて来るものです。そしてそろそろ色々な所を改めていく時期かな、と思ってもいます。まあ一つの周期が来ているという事でしょうか。形はともあれ、本来聴こえるべき声がしっかり聞こえるような暮らしや生き方をしたいものです。俗物は俗物なりに、自分の事くらい自分で何とかしなくては!。


「才能は静けさの中で作られ、性格は激流の中で作られる」などといわれますが、静寂こそが物事の源であるという事は常々感じています。そして現代社会に一番足りないのもこの静寂です。私があまりエンタテイメントに近寄らないのは、そこに「静寂」を感じないからです。


キッドアイラックアートホールにて 映像:ヒグマ春夫
楽しい、便利、みんなで盛り上がる…というものはとても嬉しい事だし、一見平和で一体感も感じられ、調和の取れたような雰囲気になるものですが、人は実はそんな所で繋がっているとは思えません。調和とはそんなものではないと思います。ネット社会でもフィルターバブルやエコーチェンバーなどという言葉がありますが、何となく調和したように見えるという事は、多様な感性に目隠しして見えなくするものであり、極端なことを言えば、忖度社会を助長し、全体主義的なものに容易に利用されてしまう。表面を演出し、カモフラージュしたエンタテイメントには、逆に危ういものを感じてしまいます。
かつて村上春樹は「人は傷と傷によって結びついている。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がているのだ。悲痛な叫びを伴わない静けさはなく、血を地面に流さない許しはなく、痛切な喪失を抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ」と言いました。私はハルキストではないですが、この言葉には共感しきりです。表面的な楽しさを追いかけ、刹那を消費していたら、真実を見つめる眼差しは薄れ、こういう人とのつながりの本質を見失ってしまうように私は思います。


グルジア(現ジョージア)ルスタベリ劇場大ホールにて

私は色々なものに好奇心もありますが、そこに静寂を感じられるか、という部分が判断の一番の基準です。言葉で言い表すのはとても大変なのですが、ジョン・コルトレーンやジミ・ヘンドリックスのような激しい音楽にも静寂を感じますし、高橋竹山や海童道祖、宮城道雄の音楽にも大いに静寂を感じます
。表面の形の問題ではありません。残念ながら近代の琵琶歌には、静寂を感じたことはありません。

静寂とは何か。とても難しい問題ですし、理論化も言語化も出来ません。しかし生命は皆、静寂の中から生まれ出たのではないでしょうか。
山に入れば様々な音に包まれます。ただ人工の音はしません。私が歌や声、言葉に対してかなり厳しく神経をとがらせるのは、そこに個人の感情が乗り、人間の創り出した人口の世界が見えるからです。自然の中にあればあるほど、それらは違和感として目立ってしまう。つまり静寂とは無音という事ではないのです。
私は最終的にはこの静寂を求めて音楽を創っていると言っても良いかと思います。少しづつ、少しづつその静寂が我が手に感じられるような気もしています。今少し時間はかかると思いますが、ただ求めるのはその一点。きっと死ぬまで、こんなことを言い続けるのでしょうね。

静かな朝の陽射しの中で。

in a silent way

東京では毎日天気の良い日が続いてます。もう梅も咲き出して、気もそぞろにあちこち出掛けて行きたい今日この頃ですが、まだまだ世の中ままなりませんね。

昨日の第159回の琵琶樂人倶楽部は、先週のベルベットサンライブの再演のような形で、Vnの田澤明子先生に加え、尺八の藤田晄聖君も駆けつけてくれて、良い感じで出来ました。Vn・尺八・琵琶という形は、今の私の音楽にはぴったりな感じがします。もう少しこの形を詰めて追い込んで行きたいですね。

只今、作曲の師である石井紘美先生とやり取りをしていて、2003年に初演した先生の「HIMOROGI Ⅰ」を手直ししているんですが、これは私の2ndCD「MAROBASHI」に収録されていまして、そのCDの中に「in a silent way」という私の作品も入っています。もう18年前の録音です。
ばればれなのですが、マイルス・デイビスの傑作アルバムのタイトルをそのまま頂きました。勿論音楽は全く違いますが、イメージとしてはマイルスの作品にインスパイアされて作った曲です。17絃筝とヴォイス、フルート、琵琶という編成の作品で、17絃筝を弾いたカーティス・パターソンさんに色々お願いして、左手にコントラバスの弓を持ち、右手は爪を付けずにアルペジオをしてもらって、更に深く響く彼の声で和歌の英訳をぽつりぽつりと語ってもらうというものです。雰囲気は極静かな、幻想的な作品ですが、琵琶のCDに入れる曲としては結構挑戦的な作品です。このスタイルの曲は、1stアルバムに収録した「時の揺曳」、樂琵琶の「凍れる月」等があります。当時の私の中では一つのスタイルとして重要な作品群だったのですが、現在のレパートリーには明確な形でこの世界観を持っている曲が無いので、このスタイルの新曲を改めて作ろうと思って只今頭をひねって(酒を友とし魔術的時間を楽しんで)ます。ヴァイオリンとのデュオを想定しているのですが、尺八を入れてトリオ編成でも良いかもしれません。
ベルベットサンにて Vnの田澤明子先生と
先週のベルベットサンのライブでは、琵琶独奏の「風の宴」、現代音楽は「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」「まろばし~尺八と琵琶の為の」。そして新たな路線として「君の瞳(Vn&琵琶)」「西風~ならい(Vn&尺八&琵琶」のラインナップだったのですが、現在の私の音楽として、納得出来る作品群でやることが出来ました。その時感じた事と、1st,2ndCDを創った時の記憶が、石井先生の作品を見直すことで、改めてリンクしました。20年という時を経て、自分の行くべき道へと、新たに突き進む時が来たようです。今のレパートリーに「in a silent way」の世界観が加わると、かなり最強になって来ると思います。

私はジャズに狂っていた10代20代の頃も、60年代70年代辺りの最先端で前衛的なものが好みで、ロックもいわゆるプログレをよく聴いていました。決してオーソドックス派ではありません。未だにコルトレーンの「Impressions」やマイルスの諸作品等は日々欠かすことのできない栄養です。琵琶はバルトークやシェーンベルクなどの現代音楽から武満徹を経て我が手に入って来たので、かなり変わった経緯を持つ琵琶奏者といえるかと思います。ただ子供の頃から古典文学にはずっと親しんでいましたので、いわゆる邦楽の和歌や古文などの古典世界には違和感なくすんなりと馴染みました。という訳で和の感性と前衛への志向が合致すれば、おのずから現代琵琶樂という事になりますね。だから昨今のポップス邦楽や、大正・昭和に出来上がった流派の弾き語り曲などは、私にはかなり遠い音楽なのです。
ウズベキスタンの首都タシュケントにあるイルホム劇場にて 拙作「まろばし」演奏中 
指揮はアルチョム・キム氏、バックの弦楽合奏はオムニバスアンサンブル

下の写真にある、牧瀬茜さん、ヤンジャさん、灰野さん、坂本美蘭さんとのライブの時のものですが、これらのライブは全くテーマも何も決めずに、完全な即興としてやりました。何が出てくるか判らない緊張感と、その場でしか出現しない時間と空間が実に刺激的で、演者自体に表現者として明確に持っている世界が無いと、ただのお遊びや雑音にしかなりません。手慣れたものなど一切通用しない真剣勝負なので、皆ヴォルテージがめちゃくちゃ高かったですね。私は今でも美蘭さんとは即興ライブを時々やっていますが、20年前の私は、そうした生々しいライブから生まれてくるものが、いつも根底にありました。今はそれプラス作品としての完成度という所も加わっているのですが、あの頃の粗削りで生々しい、そして徹底的に自分らしい姿も、今一度現在の舞台に取り入れてみたいですね。

横浜ZAIMにてダンサーのYangjahさんと 右:六本木ストライプハウスにて、パフォーマーの坂本美蘭さんと

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左Per:灰野敬二 尺八:田中黎山 中:Sax:SOON・Kim Dance:牧瀬茜 各氏と共にキッドアイラックアートホールにて
この20年、様々な経験を通して、演奏、作曲共に蓄積してきたものが沢山ありますが、どこまで行っても等身大の自分であり続けないと、音楽が色んなものでコーティングされて「お仕事」になってしまいます。お金だったり、一定の評価だったり、肩書だったり…そういうものも、ただやみくもに否定することはないのですが、それらと音楽は関係無い。そういう周りにくっついて来るものと音楽を切り離し、経験を重ねる程に、余計な衣の無い自分らしい姿になって行くことが出来るかどうか。キャリアが上がれば上がる程、器が問われます。

今思うのは、自分の創り出す音楽が、どこまで行っても日本という土壌の中から湧き出て世界へと向かう、日本音楽の最先端でありたいという事。私の能力でどこまで出来るかどうかは別として、志としては、今迄自分が聴いてきたジャズやロックやクラシックと同様に、魅力ある音楽を確立したいと思っています。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

PS:2ndCDには「壇ノ浦」の収録したんですが、今聴くともう本当にへたくそで、そのへたくそぶりにびっくりしました。でもここが無かったら今が無い訳ですので、自分の軌跡を振り返るにも、この頃の弾き語りを収録しておいて良かったと思っています。格好良い所ばかりを見せようと思ってもそうはいかない。この時代の記憶と記録があるからこそ、今がある。そんな風に思いました。それにへたくそながらも、当時就いていたT師匠の歌い方そっくりで、自分でもそのあまりのコピーさ加減にびっくり!。私も20年位前はこんなだったんだと、あらためてあの頃に想いを馳せました。

この空の下で

先日配信のライブをやって来ました。ジャズのライブハウスからの配信でしたが、良い感じで出来ました。3日間(7日まで)は無料でご覧になれます。

ヴェルヴェットサンライブ_1
 
この所ずっと譜面ばかりいじっていたので、久しぶりの実演は楽しかったですね。まあ細かいミスは色々とありましたが、自分の今のスタイルは表現できたと思います。ヴァイオリン・尺八とのアンサンブルもいい感じでした。これから配信によるライブや仕事が増えて行くと思いますが、良い形で配信をして行きたいと思っています。また配信が増える分、今後生演奏の魅力が注目されて行くんじゃないか、と秘かに期待せずにはいられませんね。
今後の世の中の動き次第ではありますが、小規模のサロンコンサート等、私に出来るところを色々企画して行きたいと思います。
3キッドアイラックアートギャラリーにて ダンサー:杉山佳乃子 映像:ヒグマ春夫
私は自由に自分のやりたいことをやりたいようにやっています。よく周りからも「やりたいようにやっているね」と言われているのですが、秘訣も何もなく、常に等身大の自分で居ようと心がけているだけです。頂いた仕事でも、少しやってみて合わないと思うものはお断りするし、自分の中も常に見つめて、本当にやりたい事以外のものは徐々に止めて行くようにしています。
音楽活動を、「仕事をもらう」という感覚でいると、どうしてもその仕事を得るために動いてしまいますが、そうではなくて、自分で動いて、自分で曲を創り、演奏会を企画して、自分で自分の舞台を創るという気持ちで普段から考えて、細々とでも生きて行けるだけのお金も得られるように計画して動けば、やりたいことを何とか貫けるし、つまらない雑音も入ってこないものです。確かに簡単なことではないかもしれませんが、自分のやりたいことをやるには、ただ好きな音楽をやっているだけでは、せっかくの曲も舞台で響きませんね。
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ベルベットサンにて
私は、自分自身が常に自由で居るという事がとても大切だと思っています。音楽をやるのに規制は何もありません。常にフリーな状態に居ることが何よりも大切だと思うのですが、如何でしょう。
どこにも所属せず地道にやっていると、私の事を一匹狼の様に思う方もいるようですが、10代の頃から、森の中で自給自足で暮らしたい、なんて願望がずっと根強くある人間ですので、一人で居るのが元々好きなんです。また作曲の師である石井紘美先生の「実現可能な曲を書きなさい」という教えがいつも根底にあるせいか、大きな編成よりもソロや小さな編成の方をいつも選びますので、派手な大舞台より、こじんまりとしたサロンコンサートなどの方がしっくり来ます。そんな思考ですので、自分のペースで淡々とやっていられるのです。
幸い上記ライブの様に素晴らしい仲間は沢山居るし、これからやろうと思っている構想も色々とあって、当分私の音楽活動は尽きる事はないですね。
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日本橋富沢町楽琵会にて、Vn:田澤明子 笙:ジョウシュウ・ジポーリン各氏と
また自分が精神的にも社会的にも自由な存在で居るというのは、「風の時代」のキーワードのように思っています。
音楽家の中には、自分の音楽をやる事より、「ビックになる」「大きく稼ぐ」「偉くなる」という想いの強い人も多いですが、私には、こういう感性自体が、これからの時代にそぐわないと思えて仕方ありません。何かの枠の中で自分の存在を考えてしまうと、どうしても「何某かの自分」という発想が出て来ますが、風には国境も組織もお金も、何も関係ないですからね。
ジョンレノンではないですが、もう国境も無くなりつつある時代なのかもしれません。世界では未だに領土を争って戦争も起こっていますが、あまりに旧時代的だと私は思います。国際情勢は一口には語れません。しかし古い価値観を手放すことが出来る人(国)だけが、自由に羽ばたいて行ける、と私は感じています。先日の日本IOCの発言等も、もう時代に対応出来ない旧体質の解りやすい例ではないでしょうか。国境、人種、年齢、ジェンダー等、今迄特に疑いもしなかったものの本質や問題が、このコロナ禍によってどんどん炙り出されています。この動きがどんな方向に行くか、私如きでは判断できませんが、日本人が大好きな「常識」や「普通」という概念はこれからどんどんと崩れて行くのは間違いないと思っています。勿論それに伴って様々な事も起こるでしょう。しかしその変化の動きは止められない。
以前チャップリンは映画の中で「一人殺せば殺人者、百人殺せば英雄だ」という名セリフを残してくれましたが、人間は人間の作った法律やルール、雰囲気に簡単に囚われてしまうものです。アンティゴネーを例に出すまでもなく、人間の作ったルール程危ういものはありません。

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ベルベットサンにて、Vn:田澤明子 尺八:藤田晄聖、各氏と
人の運命は他人には判りませんが、自分の行くべきところを求める事こそ、自分に与えられた運命ではないでしょうか。皆様々な事情を抱え生きているので、何事もすんなりとはいきませんが、やりたい事をやらない、やれないのは運命ではなく「諦め」でしかないと私は思います。大したことが出来なくとも、自分なりにやってみる方がやっぱりいいですね。何か成果や成功を求めようとする気持ちこそ、囚われのような気がします。
この空の下、少なくとも私は私であり続けたいですね。これからまだ大変な時期が続くと思いますが、やりたいことをこれからもやって行こうと思います。それが一番の幸せだと、年を追うごとに確信してきました。

未来ノート

先日は東京で初雪が降りましたね。今年は日本海側では大変な大雪だそうですが、雪をほとんど見ることなく育った静岡人としては、久しぶりに気分が高揚しました。思えば初めて東京に移り住んだ次の日、高円寺の小さな木造アパートで一人暮らしを始めて、異様な寒さで朝起きると、外は雪が降っていました。18歳の誕生日の頃だったのですが、その雪が降る情景を目にして、「東京に来たんだな」と強く感じました。あれからもう随分と長い時間が経ちました。時の流れというものはあまりにも速いものですね。物理的な時間は、人生に於いて意味は無いのかもしれない…などとちょっと哲学してしまいました。

30代の頃 かつての実家の玄関先で
私は高校生の頃は日記を付けていました。東京に来てからは全く書いていなかったのですが、琵琶を手にするようになってから、日記ではないのですが、計画ノートのようなものを時々書くようになりました。
普通のノートに高校生の時から日記に使っていたカバーを付けて、次にどんな曲を創るとか、どんな場所で演奏会をやる、いつ頃CDをリリースする等々、思いつくままに書いていて、ノートを開く度に、その時々での計画や課題をちょこちょこと足したり直したりしています。発想が浮ばない時や、すっきりしたい時には、そのノートを開くと何となく気持ちが落ち着いて、コーヒーを淹れてノートを眺めるのが癖になっています。お陰様で創りたいと思っている曲や、CD、活動の展望等々、やりたいと思っていることは~時間は随分とかかっていますが~実現していますね。
何事も想う事から始まるのですが、書くという行為は、その想いを身体に沁み込ませるような効果があるのでしょう。強い想いというよりも、ゆったり構えて、じわじわと体に浸透してくる感じが良いようで、ノートを開く度に未来の自分を想像しながら書いています。

ただ、そこにはお金の事や暮らしぶりの事は一切書いてありません。お金は何かをするために必要ではありますが、お金は所詮何かをもたらす前段階でしかない。ノートには第一にやりたいことしか書きません。肩書や暮らしぶり等のような、やりたい事の周辺に付随してくっついて来るような事も書きません。
人間生きていると、あれこれやりたいと思いますし、物だって欲しいものはいくらでもあります。大体私は、日々数えきれない小さな想いや願望欲望等、いくらでも尽きる事なく沸いて来るような俗物です。しかしどんなものが出て来ても、どんな状況になっても変わらない、自分の人生でずっと求め続けていたい事ははっきりしていますので、音楽の事だけを書きます。

多分無意識の内に、書くという行為によって、自分に生きる道筋を確認しているのでしょうね。私のようなすぐに易きに流れるナマケモノには、ちょうど良いのでしょう。
実際の生活では、お金の事も健康の事も人間関係の事も、とにかくありとあらゆる事に振り回されています。自分を取り巻く周辺の状況は刻々と変わるものです。そういう中にありながらも、自分の行くべき道を見失っては、自分の人生を生きることは出来ませんので、一番の目的とそれ以外の事を分けて考えるようにしています。。
京都 清流亭にて 笛の大浦典子さんと

今書いているのは、次に創る曲の構想と、それを初演する時のプログラムです。尺八や笛などの和楽器とのデュオ作品ももう一曲どうしても創りたい。そしてヴァイオリンと琵琶の作品をもう一つ作りたいのです。今はネット配信があるので、確実に自分の作品が世界のどこかに残って行くことを頭に置きながら作曲録音をしてみたいですね。
そしてもう一つ、このコロナ禍を経て思うのは、活動の展開や演奏する環境についてです。私の音楽はショウビジネスとはかけ離れているので、その部分をしっかりと頭に置いておかないと上手く行きません。国内の大きなホールでのコンサートはしばらくは難しそうですね。集客も大変だろうし、大人数が集まるという事に対するアレルギーのようなものが確実に今後残って行くと思います。逆に小規模のサロンコンサートは、本当に好きな人だけが集まってくるので、私のような音楽に於いては、世の中が落ち着くと、機会が増えるような気がしています。琵琶は音量的にも、元々小さなスペースで聴くものでしたので、本来の形が戻ってくるのかもしれません。
また海外公演は、これ迄私がやってきたものは行政や大学などの関連のものばかりでした。そう考えますと海外での演奏の機会は、今後は当分無いだろうと思います。年末にJCPMの仕事で海外向けに演奏の収録をしましたが、ショウビジネスではない私のような活動は、今後海外に於いては、実演より映像が中心になると思います。同様に国内でもレクチャーの仕事なども配信が多くなるでしょうね。

京都桃山の素敵なサロン ラ・ネージュにて 朗読かの馬場精子さんと
いずれにしろアルバムにしても、ライブにしてもネットによる配信は、今後重要なファクターになって行くでしょう。その為にも作品のレコーディングは重要課題になりますね。実際昨年の世界的自粛で、ネット配信の売り上げは、海外でも国内でも伸びています。私の場合は売り上げといっても、何の足しにもならないような額でしかありえませんが、伝統邦楽系では比較的早い時期にネット配信を始めていたので、とりあえず40曲程でも配信していて良かったと思っています。
今後は、この所書いている「組曲 四季を寿ぐ歌」全6曲、他デュオの作品が3曲、ソロが1曲とりあえず出来上がっているので、これらのレコーディング
と、上記したこれから創るデュオの作品2曲を、是非とも配信に乗せたいと思っています。

photo 新藤義久

これからは演奏会の形も、演奏家作曲家の活動のやり方も大きく変わって行くでしょう。私の未来ノートもまた変化して行くと思います。しばらくノートを開く機会が増えそうです。

無常の空

久しぶりの雨。雪になるという予報もあるので、寒くなりそうです。ここの所晴天が続き、冬にしては随分と暖かかっただけに、寒さが身に沁みますね。

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昨年12月琵琶樂人倶楽部にて 尺八の藤田晄聖君と photo 新藤義久

こんな事態の中にあると、何とかモチベーションを上げようと思い。美味しいものを食べたり、欲しいものを買ったりする方向に気持ちが向きがちですが、残念ながら琵琶法師の稼ぎでは、何事も思うようには行きません。まあせいぜい、たまにスコッチを飲む位ですかね。

分解全体とりあえずこの時期は、楽器のメンテが優先順位の一番です。自分では出来ない所のメンテナンスを石田克佳さんにやってもらっています。分解型の糸口をいじり過ぎて、貝プレートの下のスネークウッドが大分薄くなってしまったのでその部分を取り換え、貝プレートも新品にして、糸口に合わせて柱も全部取り換えをしてもらいます。分解型を使うツアーは当分無いですが、いつでも使えるように、春過ぎ迄には仕上げておきたいのです。そして後は最近考えている、もう少し厚目の撥ですね。継琵琶糸口1現在使っているものは、良い感じでこなれていて、その音に不満はないのですが、曲によってはもう少しガツンとした音が欲しい時もあります。そういう時はやはり撥の厚さがものを言います。ただ厚過ぎると腹板に当たる打撃音が大きくなってしまうので、私のように琵琶を弾き語りではなく器楽として演奏する人は、この辺はとても重要な見極めポイントなのです。

楽器が良い感じで整っていると、実に気持ちが良いのです。私は薩摩琵琶に関しては、誰よりも日々メンテをしている自負を持っていますが、同時に頭抜けた超ヘビーユーザーでもありますので、2年に一度は入院させないと楽器が良い状態で鳴ってくれません。以前は自分でも柱を削りだして作ったり、糸口の改造をしたりと、色々やっていましたが、時間もかかり、手を怪我したりすることもありますので、ここ10年程は任せられるところはしっかり任せています。まあ人間ドックみたいなもんです。
毎年春過ぎから年末迄は暴れまわって琵琶を極限まで酷使して、年明け2月から3月,4月の暇な時期に琵琶をメンテに出すというパターンが多いのですが、さて今年は春以降活動の方がどうなるか。秋はもういくつか仕事を頂いていますが、せめて夏頃からは動き出して欲しいですね。
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左:能楽師の津村禮次郎先生と座・高円寺にて
右:津村先生、詩人の和合亮一さんと福島安洞院にて
これからはもう、上の画像のような舞台はやって行けなくなるのでしょうね。大人数が集まるという事が敬遠されて行くだろうし、ライブのお店やスペースも減って行くでしょう。ホールの客席も違う形になって行って、音楽もそれに伴って変化すると思います。
人々の感性も大きく変わって行くでしょうね。大きな場所で大勢の人が集うようなスタイルが、豪勢で立派だとは思わなくなるだろうし、銀座の一等地に会社を構えるなんてのもステイタスにはならなくなるでしょう。価値観、感性、スタイルがこれからどんどん変化して行くと思います。
社会の中に居なければ生きて行けない人間は、自分達で色々と創り上げたり、また変化したりして、自分達の手で時代を切り開いているような気でいるかもしれませんが、私は、変化する周りの環境等に自分たちが対応して、共生して生きていると思っています。そしてその共生の為に想像力が必要なのだと考えます。自然環境も社会も自分たちの力で切り開き作り上げていると思っているのは人間の奢りという部分が強いのではないでしょうか。
敦盛と熊谷

最近「敦盛最期」の部分をやる機会がありまして、久しぶりに平家物語を開いてみました。しかし私は「平敦盛~月下の笛」という曲も創ってCDにも収録していながら、この所演奏する機会がなかったのですのです。考えてみれば、武勲を立てることに執心していた熊谷が、敦盛の首を取ったとたん、無常を感じて、出家して僧になったというストーリーは、今になってみると、ちょっと視点も変わって来ます。
熊谷は剛の者と書かれていますが、いわゆる生粋の軍人で、手柄を立て、その働きによって、禄を得て生きていたのです。それをもう少し違う言い方をすれば「殺人」です。手柄を立てる事しか頭になかった人物が敦盛に出逢って、自分の信じやってきた(殺人という)行為そのものに対し疑問を抱く訳です。当時の価値観としては、武勲を立てることが立身出世につながり、一族を幸せにし、美徳とされ、若者は強い武士になることをに憧れ、誰も武士の存在に疑問を持たなかった事でしょう。だから熊谷の心変わりは、周りの人々には全く理解されなかった事と思います。一族の代表として無責任だという人もいたのではないでしょうか。しかし敦盛との出逢いによって、彼は、これまで疑いもせず当然と思って頑張っていた自らの所業に目を、想いを向けたのです。

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日本橋富沢町楽琵会にて、津村先生と

今現代でも、右肩上りの経済成長をすることが素晴らしいとされ、年収〇〇だとか、凄い学歴や肩書を持っている、上場企業に勤めている・・・、そんなことが豊かさであり、それを目指すことが人生の幸せなんだと思い、その幸せを目指して皆働いている方が多いかと思います。その当然と思って邁進してきた所業はどういうものだったのでしょうか。
カカオ農園で働く子供はチョコレートを食べたことがない、とよく言われますが、一杯のコーヒーでも、大量に毎日捨てられるコンビニのお弁当でも、先進国ではさして話題にもならない事の陰には、先進国の人の目が届かない世界のどこかで、奴隷労働と飢餓で死んでゆく子供達が居る。平安時代であっても、貴族の豪華な暮らしを支えるために、どれだけの人が理不尽な想いをしてきたか・・。平家物語でも、夜戦の為に、照明代わりに近くの民家に火を付けたりする横暴な振舞いは、権力者は当たり前のようにやっているのです。今も昔も、搾取の構造は存在しています。そして今、世界との繋がり無くして先進国に生きる我々の「豊さ」は実現しないのです。

我々の「豊かさ」の陰には、熊谷が殺してきた人間たちと同じく、常に非情が付きまとうのです。現代社会でセレブだ、勝ち組だと御満悦している姿は、武勲を立ててご満悦だった、かつての武人・殺人者熊谷と同じ顔をしていないだろうか。G20なんて言っている、先進国の現代人は奢りの頂点に生きているのではないか、と私は思えて仕方がないのです。

身の回りにある物も食料も、自然環境も、勿論生命も、総てが繋がり地球は動いている、という事実が明らかになっている現代の中に生きていて、自分の身の回りにしか視野が届かない村社会的思考のままで本当に良いのでしょうか。自分の日々している所業は、まともで正しい?のでしょうか。
はからずもコロナウイルスは我々の目の前に、その現実を晒すように教えてくれました。熊谷が当然だと思っていたことに疑問を持ち、人生を変えて行った様に、現代人も今見るべきものを見ようとしないと、また新たな脅威に、今度は命まで奪われてゆくのではないでしょうか。それを業火に焼かれるというのかもしれません。

熊谷次郎直実
熊谷次郎直実 埼玉県熊谷駅前にある像

蓮の花は、泥の中でも真っ白い花を咲かせます。法然から蓮生という名をもらった熊谷次郎直実は、あの殺戮に明け暮れた空の下、自分の姿を顧みて「後生の一大事」といって、仏門に入りました。私は悟りを開くようなことは到底出来ませんが、少なくとも、世界中がロックダウンしているこの空に、次世代への眼差しだけは向けたいですね。

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