道程

ちょっとご無沙汰してしまいました。雨が続いていますね。被害も出始めたようなので注意が必要ですが、雨好人としては雨音に包まれていると、心が落ち着きます。

中島能舞台
今回の会場となった中島能舞台
先日は戯曲公演「良寛」を無事終えることが出来ました。今回はこの演目初の能楽堂公演という事で、津村禮次郎先生にとっても本領発揮できる素晴らしい場所でしたので、内容はとても充実していました。しかし空調の音が大きく、琵琶にとっては少々残念でしたね。小中規模の会場では避けては通れないのですが、何とか対策をしたいです。是非再演の際にはお越しください。
有難いことに秋には地方公演など色々と入っていて、結構忙しくなりそうなのです。夏迄は大きな公演はあまりありませんが、先に色々と予定があるというのは希望が持てますね。今後の活動がこれ迄と同じような形になるとは思いませんが、世の中の動きと共に充実した活動を今後ともやって行きたいと思っています。
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琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

今はとにかく作曲が一番の課題です。昨年から薩摩琵琶でのオリエンタルイメージというテーマで、あれこれやっていたのですが、昨年作曲したデュオ曲「君の瞳」に続き、やっと独奏曲も出来上がりました。良いレパートリーになって行くと思います。他にヴァイオリンとのデュオの現代作品もずっと考えているのですが、こちらは譜面を書いては書き直し、の繰り返しで、まだその姿が見えそうで、見えて来ません。じっくりと取り組んで行こうと思います。

私は琵琶樂に於いて、今またアジア全域に視線が向いています。樂琵琶を手にした時から、もうアジア~シルクロードへの眼差しを持って作曲・演奏をしているのですが、これまでは、その視線が樂琵琶を弾く時だけだったのが、最近は薩摩琵琶を弾いても、ペルシャから中央アジア、そして東アジアという道程と歴史を強く感じるのです。
以前より、初期の作品で独奏曲の「風の宴」等は、都節音階で出来ているにもかかわらず、「オリエンタルですね」とよく声をかけられましたが、琵琶という楽器の持つ、全アジアに渡る道程が、響きの中にあるのでしょうね。
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日本橋富沢町楽琵会にて
Vnの田澤明子先生、Fl・龍笛の久保順さん、笙のジョウシュウ・ジポーリン君と
薩摩琵琶というと、武士道という刷り込みが明治以降ずっとあります。私も「まろばし」という初期の作品を作った30代の時には、大いにそのイメージを持っていました。しかしこれまでやって来て思うのは、武士道とか型など、形や言葉では表わせない、もっと奥にある、日本の風土が育てて来たもの。そんなものを琵琶の音の中に感じています。どういう言葉で言い表したらよいか考えあぐねているのですが、今は「まろばし」を演奏しても、30代の頃とは随分と心構えが変わってきました。願わくは、私の楽曲と演奏から、日本の風土が育てた感性と共に、遠く中央アジアを経てやってきた琵琶の道程も立ち現れて欲しいものです。
また自分でシルクロードの国々へ行って、現地の音楽家と交流してみて、琵琶属の楽器が今でも旺盛に奏でられている現実を、この目で見てから、特に琵琶はアジア全体を表す楽器だと確信を持っています。その琵琶が各地で独自の発展をして各国の音楽・文化を創っている歴史に目を向けない訳にはまいりません。

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津村禮次郎先生と 日本橋富沢町楽琵会にて
日本の琵琶樂が今後、次世代に受け継がれて行く為には、多様な形や感性を受け止めることが出来るかどうかだと思います。流派が出来てまだ100年という、琵琶樂全体から見たら一番若いジャンルである薩摩や筑前の琵琶では、表面の形や体裁を整えるよりも、次世代へどう受け渡して行くかの方が優先課題でしょう。
ギターでもピアノでも様々なスタイルやジャンルがあるように、琵琶でも様々なスタイルが旺盛に出てくるのが望ましいです。中央アジアの国々では、様々なスタイルの音楽が溢れていました。薩摩琵琶は弾き語りでなくてはならないなんて事はないし、流派の形以外はだめだ、亜流だなんていう村根性でいたら、今後琵琶から音楽は生まれて来ません。すぐお仲間で固まり、村を作って思考停止しまうのは日本人の一番悪しき習慣です。
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京都 清流亭にて 龍笛の大浦典子さんと

琵琶という楽器が、各国で姿を変え、奏でる音楽も変え、国を超え、民族を超え、時代を超えて何千年とこの世に存在してきたのは凄い事ではないでしょうか。それはその時々の感性や志向に対応してきたからです。どんな国や時代に於いても、琵琶の音はその多様さを受け止め、音楽を奏でて来ました。
それが日本に入って来て、日本でまた独自の姿となって、独自の音楽を創り上げてきたその道程に、私はいつも感動するのです。

この道程を、次世代に繋げたいですね。

古典のススメⅡ

梅雨に入りましたね。毎度書いていますが、雨の一日というのは気持ちが落ち着いて良いです。ゆっくり本でも読みながら過ごしたいですね。

来週の土曜日は、戯曲公演「良寛」の舞台がありますので、この所その稽古を詰めております。この公演はヴァージョンを変えながら、もう8年程やっていますが、どんどんと洗練を極めています。最初はいわゆる演劇として、ホールで上演していたのですが、再演を重ねて行く中で、和久内明先生の脚本も、余計なものがそぎ落とされ、良い感じになってまいりました。特に今回は会場が、小規模ながら能楽堂という事もあり、演出も内容も現代能という感じに仕上がっています。良寛役の津村禮次郎先生も、本来のシテの姿のように、存分に自由に演じているようです。26日新宿中島能楽堂にて上演です。是非お越しください。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

私のブログで、Ⅱ・Ⅲとシリーズになっているものは、反応の多かった記事です。今回のタイトルの「古典のススメ」もとても反響がありましたので、もう少し書いてみようと思います。

現代日本人はとにかく古典とは無縁とばかりに暮らしています。世界一歴史の長い国に生まれ育っていながら、自国の文化に目を向けませんね。どんな考え方があってもよいし、生き方があっても良いと思いますが、明治以降の国の教育政策は、今こそ見直して行くべき時だと思うのは私だけでしょうか。足元にこんなに豊穣な歴史と英知があるのに、それを見逃すのはもったいないと思うのですが・・。残念でなりませんね。
四谷区民ホール 新宿区主催「漱石と八雲」能楽師の安田登先生、笙奏者のカニササレアヤコさんと
いつも書いている通り、薩摩琵琶は明治の一番最後に流派が出来た音楽で、まだその歴史は100年程度。日本の音楽の中では新しく、これから古典になって行くかどうかという所に位置するものです。同時に戦時中に興隆した音楽でもあります。それ故戦争を題材にした曲が多く、当時の記憶を持って琵琶を演奏する人も少なくありません。ちょっと前には「あの戦争は間違っていなかった」などと大声で主張するような年配の琵琶人も居ました。体験した本人としては、生々しい記憶だと思いますが、当時の個人的な感情の共有は、次世代にはあり得ないのです。個人の体験をベースにして、小さな村社会の中での体験を語っている内は、仲間内の慰めにしかなりません。時代を超えて、人間としての想いという所までそぎ落とされ、洗練され行かなければ、後の世に伝わりません。薩摩琵琶はどうなって行くのでしょうね。

世阿弥は人間の心を三階層に分けて説明していますが、一番上にある心は、その対象をその時々でころころと変えます。好きになる相手も、しばらくすると嫌いになったり、興味が失せたりして、どんどんと移ろって行きます。つまり「心変わり」というものです。しかし好きになる対象はいくら変わっても、「好きになる」という精神作用=想いは誰でも持っているもので、太古の昔より不変です。この「想い」こそが第二段階の所にあるものです。個人的な感情ではなく、皆が持っている「恋」、「愛」や「悲しみ」等の普遍的な精神作用は、時代が変わっても共有理解が出来ます。ラブストーリーが時代を超え海を越え味わえるのはその為です。そしてその設定も、自分とかけ離れた外国の上流階級や神様の物語であっても十分に共感できます。そこに「恋愛」や「悲しみ」という共通の普遍性がある事が大事であって、自分と等身大のものでなくてはならないという事はありません。
薩摩琵琶には国を超えても分かち合える不変の「想い」は溢れているでしょうか。それともあの時代を生きた日本人にしか判らない一時の音楽なだけなのでしょうか。

京都 清流亭にて 能管:阿部慶子さんと

この「想い」の所に感性がある訳ですが、風土によって、歴史によって、感性は随分と変わって行きます。それぞれの地域で、風土の中で育まれて行くのが感性。この風土の中に滔々と流れゆく想い、それを共有することで、日本独特の感性が出来上がって行ったことと思います。中国では、散り行く桜は好かれないそうです。日本では散り行く桜こそ、様々な想いが湧き上がり、日本人としてのアイデンティティーを感じさせてくれ、皆が桜吹雪を特別なものとして愛でます。この差が出来上がるには、そこにその土地の持っている特有の歴史や、風土が大きく関わっています。
常に軍事的な拠点として歴史上侵略を受けて来た地域には、その地域でしか生まれ得ない感性があるのでしょう。海に囲まれている日本とは、また違った感性が生まれる事でしょう。また四季のはっきりとした日本と、常夏の国では、違う感性が出来上がるのも当然です。日本は古墳時代から考えても2千年近い歴史があり、ずっとそれが続いています。そういう国はこの地球では珍しいのだと思います。他国を見ると、同じ土地でも数百年単位で民族が入れ替わって、支配体制も変わって、戦争が常に続く地域が結構多いです。それぞれの土地・風土によって歴史も異なり、表層の心が積み重なって、第二段階の「想い」も、その地特有の形になって行くのでしょう。

各地域に於いて、その感性は古典の中に描かれている事と思います。日本では世界に先駆けて物語という形式の文学が誕生したこともあって、古典の世界は正に豊穣。そこからさまざまな形を
生み、芸能や社会構造を生み、現代日本人に受け継がれて行きました。勿論時の流れの中で、そぎ落とされて行ったものも多いでしょう。時間を経て、核になるものだけが受け継がれ、古典となって行くのです。古典に親しむ事は、日本的感性の理解につながり、そしてそれは日本ならではの、次世代に合わせた手法を見つけ出す事につながり、この困難な時代を生き抜いて行く指針を得る事にもなって行きます。自らの足元の土台を知らずして、次の一手は見出せません。
滋賀 常慶寺にて親鸞聖人750回御遠忌法要にて 龍笛:大浦典子さんと

平家物語や源氏物語は、貴族のお話ですので、自分には関係ないという人も居るでしょう。しかしそういう視点しか持っていなかったら、シェイクスピアも、ギリシャ悲劇も、世界中の古典は意味がなくなり、バッハなどの教会音楽ですら日本人の俺達には関係ないという事になってしまいます。そんな現代人特有の近視眼的な視野で見ている内は、何も見えて来ません。
古典は別の言い方をすれば、長い時間を経て出来上がった型のようなもの。いったん個人の頭の中のことを置いておいて、型の中にただ自らの身を入れてみると、自分の小さな頭では思いつかないような次元に飛んでゆくことが出来ます。能役者の方は皆さんこんなことを言いますね。
何か表現しよう。俺の個性を出したい、なんて事を考えている内は、自分の頭の中しか見えて来ません。これは個人的体験のメソッドで舞台に立っているようなもの。個人の体験だけを土台にしていると、そのキャパ以外のものは出て来ません。もっと大いなるものに身をゆだねることで、自分という小さな枠を超え、時間を超え、性別をもこえ、いわば能でいう翁のような瞬間が訪れます。
舞台を観てい観客からしても、舞台上の役者から個人的な感情を一方的にぶつけられても、それには共感は出来ません。悲しさでも愛しさでも、舞台上から個人の表層の感情を超え、普遍的な「想い」に昇華されたものが見えるからこそ共感も感動も出来るのです。現代人は自分で得た知識に振り回され、自分が得た知識や経験以外の別な所に大きな世界が存在する事が、理解できないのです。
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日本橋富沢町楽琵会にて 能楽師:津村禮次郎先生、Vn:田澤明子先生 尺八:吉岡龍見先生と
古典なんて知らなくたって琵琶も弾けるし、ギターを弾くにも支障はないという人も居るでしょう。それはそれでよいと思います。私は習いに来る人に古典を勧めますが強制はしません。しかしそういう人が「いいな」と感じるその心の源泉はどこにあるのか。何を持って「いいな」と感じるのか、突き詰めていけば、この日本の風土に生まれ育ち、代々に受け継がれた命の縁によって今ここにあるあなたという存在に行き着くのではないでしょうか。
日本の文化は万葉集・古事記、源氏物語、平家物語、方丈記等の古典を題材典拠として形作られてきました。その古典には、ありとあらゆる日本人の心の拠り所が描かれているのです。世界一の長い歴史と文化を持つ日本のその豊かな世界を今こそ味わってほしいですね。是非次世代の若者には、この豊穣な日本の文化をたっぷりと味わって、楽しんで、新たな時代の音楽を創って頂きたい。どういうものを作るにしても、その想いの源泉はこの風土と歴史にあるという事からは逃れられません。そしてその認識がある人とない人では、出てくるものの器が全く違ってくるのは当たり前です。

売れる売れない、有名無名、稼ぎ、肩書などという、ちまちまとした個人的近視眼的な所で音楽・芸術を捉える輩はいつの時代にも居ます。近世江戸時代から始まるエンタテイメントとしての芸能は、これからも続いて行くでしょう。でも志ある人なら、宮城道雄や永田錦心のように、新たな時代を切り開くような音楽を創り、次の世代に遺して行って欲しい。それが次世代の日本の文化、世界の文化となって行く事と思います。世の中がグローバルに広がる時代にあっては、これからの音楽家は、その視点や視野、そして器こそが問われているように私は思っています。
北鎌倉其中窯演奏会にて photo 川瀬美香

その内ギターなどの洋楽器で、最先端の日本音楽を創る人が出てくるかもしれませんね。
古典は掘っても掘っても尽きることがありません。想像力も創造力も刺激され、毎回新たな魅力が湧いてきて、楽しいこと請け合いです!!。是非。

雨の音、人の声

真夏日が続きますね。私はどうも、ちょっと寒いくらいの方が性に合っているようで、暑いとだらだらとして仕事もはかどりません。いつも書いていますが、私は雨や風などの天候や風景などに随分と影響される性質でして、雨の日には内省的になり、過去の記憶が甦ったり、風の強い日は、何かこれから起こる事への予感のようなものを感じます。雪なんか降った日には、得体のしれないの世界に、どっぷりと浸ってしまいます。多分人間の手では届かないものに、畏怖と憧れがあるのでしょう。音楽家である以上、都会に居ないと活動が成り立ちませんが、時々自然の中に身を置いて 、心身の浄化をしたいですね。
青梅

特に雨の日は大好きです。静かな雨音や霧雨は心の内を深めてくれますね。人間の手によるものでない情景だからこそ、そこに身をゆだねることが出来るのかもしれません。音楽はどんな曲でも、そこには演者作者の想念があります。それが聞き手の心を動かし、感動を誘うのでしょうが、自然の音にはその人為的な作為がないのです。
クリスタルボウル2

私は以前より縁があってクリスタルボウルをよく聴いているのですが、その響きは、正に浄化というのにふさわしい響きなんです。
私の知人は、朝15分だけクリスタルボウルの演奏をネットで流していて(不定期です)、朝寝坊しない限り聴かせてもらっていますが、その演奏は、いわゆる表現としての音楽という事を考えていないせいか、そこにドラマの展開もないし、これみよがしの想念も聴こえて来ません。演者の情念等全く聴こえて来ないのです。演奏者自身に「けれん」が無く、素直に音と向き合っているのでしょうね。想念・情念という次元とは違う所で音が鳴っています。これを音楽と言ってよいかどうかは別として、朝クリスタルボウルの演奏を聴くと、まとわりついていた余計なものがすっと消えて、自然の風景の中で目覚めたような穏やかな気分になります。

そこへいくと、人間の声や言葉は想念の塊ですね。古より言霊という事もよく言われていますが、ピュアな音に包まれて感覚が研ぎ澄まされている時に人の声がすると、いきなり俗世に引き戻されて、ぎくりとします。人間の言葉がいかに感情的情念的で強いエネルギーに満ちているかが直接感じられます。この想念の騒音の中に普段暮らしているかと思うとぞっとします。私が普段から歌に関しては、かなり厳しくなってしまうのですが、それはそんな人間の声に現れる想念を感じているのかもしれません。

私はもうほとんど弾き語りをやらなくなってしまったのですが、それはやはり上記のように、その声に色んな想念が乗ってしまう事ですね。リスナーとしても想念邪念の塊のような歌は聞きたくありません。軍国的な琵琶歌はその最たるものですが、ポップスでもジャズでも、声の中に「上手に歌いたい、売れたい、有名になりたい、偉くなりたい」等々、俗な欲望が見えてしまうと聴いていられません。特に伝統邦楽はそれが著しい。やっている本人は気が付かないかもしれませんが、心の中の想いは全て音楽の上に現れてしまうものです。そんな演者の心が見えてしまうリスナーも多いと思います。私は、伝統邦楽衰退の原因はこういう所にあるように思っています。

私は歌が嫌いなわけではなく、素晴らしい歌は毎日のように聴いています。世界の頂点で歌っている人の歌には、ジャンル関係なく、本当に素晴らしい。邪念など全く感じませんね。そんな卑小な心では通用しないことを知っているのでしょうね。そこまで行くには自分の内面ととことん対峙して、様々なものをクリアしたからこその頂点なのでしょう。この動画は、私の大好きなバリトン歌手、故ディミトリ・ホロストフスキーのものです。私と同い年という事もあり、今でもよく聴いています。彼の歌を聴いていると本当位心が豊かになって行くのです。歌うために選ばれた人なのでしょう。結局叶いませんでしたが、Dimaの歌を生で聴いてみたかったです。こういう歌手に、今生で巡り合えたことは大きいですね。晩年の歌をライブビューイングで何度も聴けて、その姿を見ることが出来た事は、私の心の宝ものです。

音楽家には大なり小なり舞台に立つ以上、自己顕示欲や上昇志向はつきものです。しかし音楽の前にそういうものは一切必要無い。表面的な技術も邪魔なだけです。そんな心を取り去って、音楽に向き合う事が出来る人だけが、一流の舞台人となって行くのでしょうね。身に余計な鎧を背負って、心の中までも様々な想念・邪念に囚われの中に居る内は、それによっていかに音楽が荒んでいるのか気づくことはないのです。人間純粋なままでは世間の中で生きて行くことは出来ないかもしれませんが、せめて音楽の場においては、我が身我が心を見つめ、「けれん」を取り払って行かないと、音楽はその姿を現してはくれません。

琵琶樂人倶楽部にて、フルートの神谷和泉さんと  Photo 新藤義久

東京は、私にとって大いなるストレスを生み出す場所です。この所狭しと建物が立ち並び、壁一枚でろくに顔も知らない人と箱の中にすし詰めになって暮らしているのは異常だといつも感じています。しかしだからこそ多くの刺激を生み、そこがまたエネルギーとなって、多くのものが生まれて行くのでしょう。それは解っているのですが、この都会の中で、人間としての感性を保つのは容易な事ではありません。だからここで生きて行くには身も心も浄化する時間が私には必要なのです。そして余計なものがまとわりついていない、純度の高い芸術に触れることが喜びなのです。

現代人はロゴスばかりで、エトスとパトスに欠けると言われますが、情報や知識のような目に見える所だけを見て、対象を丸ごと見て接する事を実は拒否しているのかもしれません。欲望の限りにふるまい、自然を破壊するだけ破壊して、傍若無人に闊歩する現代人の姿も、ここへ来て、更に上を行く狂乱ともいえる形相になって来ました。このまま行ったら確実に人類は滅亡でしょう。SDGsなども名ばかりで、かえって様々な問題を引き起こしているのは皆さんご存じの通りだと思います。そんな欲望をエネルギーとして動いているような現代社会が生き残る最後の砦が、大地であり芸術ではないかと私は思っています。

この時代に生を受けたのも運命ではありますが、流されることなく、まっとうに自分の人生を生きて行きたいですね。

喫茶逍遥

もう梅雨入りですね。毎年梅雨の時期は大忙しで、てんてこまい状態で飛び回っているのですが、今年はのんびりと家で過ごしています。こういう年があってもいいなと思ってはいるものの、何だか刺激が少なくて、ぴりっとしないですね。しかしまあ、この間書いたように、今年は何故か琵琶のレッスンをする機会が結構多いので、少し頭を切り替えていきます。時の流れに沿って行くのも必要ですね。

2018年6月2日「日本音楽の流れ 琵琶」於:国立劇場

私は、いわゆるコーヒー党でして、東京に来てから、喫茶店を巡るのを趣味にしていました。今でも時間さえあれば、色んな街に行くついでに個性的な喫茶店を探して入るようにしています。今は、コーヒーチェーンのお店も多くなり、昔のような個性ある喫茶店は少なくなって来てはいますが、なかなかどうして、各地にいい感じのお店がまだまだあるんですよ。先日も琵琶樂人倶楽部常連のTさんと喫茶店の話で盛り上がりました。かつての喫茶店文化が無くなりつつある現代に、もう一度ゆっくりとコーヒーを味わい、語り合う時間を取り戻したいものです。という訳で、今日は喫茶店のお話を少しばかり。

ヴィオロンSPコンサートにて

私は東京に出て来てから、コーヒーを飲むようになりました。そのきっかけは水です。私がそれまで静岡で普通に飲んでいた水とは、明らかに違うものを感じたのです。東京の水でお茶を飲む気にはなれず、お茶よりコーヒーという風になって行きました。以来毎朝豆を挽いて飲んでます。ミルももう何代目かな??。

18歳になって、静岡から杉並の高円寺に移り住んだのですが、日々の食い扶持を探すために、先ずはアパ-トの近くにあった「グッディーグッディー」という喫茶店でアルバイトを始めた私は、そこでコーヒーの淹れ方を教わって、コーヒーの味を覚えて行きました。世にコーヒー好きがこんなに居るんだと初めて知りましたね。

当時のアパートは風呂もトイレ(共同)も無い四畳半でした。現代の若者には考えもつかないと思いますが、当時は皆が同じようなもんでしたし、高円寺には明日のロックスターを目指すバンドマンが全国から集まって来る「ロックの聖地」でもありましたので、仲間も多く楽しい日々でした。当然皆お金もろくに持っていなかったのですが、日々色んな喫茶店に集まってはコーヒーを飲みましたね。特にジャズ喫茶は私の青春でした。あの頃は、お酒を飲む習慣が無かったですし、大体お酒を飲むようなお金自体を持っていませんでした。一杯のコーヒー位が、その当時の私の身の丈だったのです。でも全然ひもじいとも感じたことが無かったですね。あれが若さというものなのでしょうか。友人なんかと待ち合わせると、2時間くらい前に待ち合わせ場所の街に行って、近くを歩き回って喫茶店を見つけるのが常でした。暇だったんですね(今も同じか?)。

私が上京した1980年代は、世の中がバブルまっしぐらの頃でしたので景気が良かったのか、儲け関係なく趣味でやっているような良い感じの喫茶店が、どの町にも2つや3つはありました。また超オールドスタイルの喫茶店なんかもまだまだ残っていました。
左の写真は、中野にあった伝説の名店「クラシック」。ここでオーナーの美作七郎さんから薫陶を受け継いだのが、いつも琵琶樂人倶楽部をやらせてもらっている阿佐ヶ谷ヴィオロンのマスター寺元さんなのです。マスターは若い頃から美作さんについて音楽やオーディオの事を勉強したそうです。だから「クラシック」によく通っていた私としては、そのヴィオロンで琵琶の会を始めることは、願ったり叶ったりでした。
ちなみにヴィオロンのアンプやスピーカーはすべてマスターの手作り。そしてケーブル一本に至るまでこだわりがあり、日本に数台しかない蓄音機クレデンザもあります。当時は家一軒買える位の値段だったと言われていますが、マスターのこうしたこだわりは、大いに私と相通じるものがありまして、マスターとは音楽は勿論、オーディオの話でも多々アドヴァイスを頂き、もう14年に渡り毎月お借りしているという次第です。
中野「クラシック」のような喫茶店は、もう少なくなってしまったのですが、当時の喫茶店には、俗世間とはちょっと離れた、独特のゆったりとした時間の流れがありました。大体当時はバブルとは言え、現代に比べると社会自体がずっとのんびりしていましたね。なぜ今は皆さん、食事中でもスマホを離さずにメールチェックしているのでしょう。そんなに追い立てられるように生きなくてもいいのにね・・・・。

私にとって喫茶店は格別な時間を過ごすとっておきの場所。だからコーヒーの味は勿論、店の雰囲気も、そこに流れている音楽も、スタッフの人当たりも、総てがその場所を構成する大事なものなのです。最近は味にこだっわったコーヒーのお店が増え、若い世代が頑張っていますが、お店の雰囲気となると、じっくり時間を過ごせるところは少ないかな・・?。
以前このブログで、行きつけのジャズ喫茶が閉店したことを書きましたが、当時はとにかく、しょっちゅう喫茶店に行きました。下北の「マサコ」、表参道の「大坊」等々想い出も多いです。今でも神保町の「ミロンガ」や「さぼうる」、西荻の「どんぐり舎」「物豆奇」、吉祥寺の「くぐつ草」、国立の「ロージナ」なんかには時々行きます。最近ご無沙汰ですが、「大坊」の魂を受け継いでいる新橋の「草枕」もよく行っていました。銀座や北千住にも良い喫茶店が結構ありましたね。ネットも携帯電話も無い時代、喫茶店で待ち合わせて、ゆっくり話をしてコミュニケーションをするのが日常だったのです。
私は基本的に喫茶店で食事はとらないのですが、一杯のコーヒーで、色んな話を延々として過ごすなんてことは、今のセンスでは考えられないのでしょうね。でも私にとって喫茶店は、隠れ家みたいで、自分が穏やかになれて、色んな発想が浮んでくる空間。そんなお店が私を育てたともいえると思っています。
日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師の津村禮次郎先生と

現代社会は、どうも「普通」というものを強制するようになってしまった、と私は感じています。自分だけの時間を大切にして、自分に向き合い、自分の個性のままに生きる事が現代人はとても苦手なんじゃないでしょうか。世の流行りとか、学校で習った事などではなく、自分だけの楽しみを見つけて、自分なりに楽しむ。そういう事がとても下手なように思えます。習ったことがどうあれ、今の流行がどうあれ、私はこれが好きなんだという所をもっと表に出して良いんじゃないでしょうか。邦楽も定番に縛られていたら、新しい世界は見えて来ません。面白い事にどんどんチャレンジして行く位でないと・・。それはそのまま柔軟な頭を育て、且つ自軸で生きるという事にもつながって行くと思います。

私は東京に出てきて、喫茶店で仲間と話したり、ジャズ喫茶で一人音楽に浸ったりしながら、自分のやりたい事を発見し、確信し、自分の生き方を探していたように思います。
琵琶樂人倶楽部にて、メゾソプラノの保多由子先生と

今でも私は気の合う仲間と、良い感じの喫茶店を見つけて、ゆっくりおしゃべりする「お茶の会」を時々続けていますが、雰囲気の良い喫茶店が、生業としてやって行くのが難しい時代になりましたね。
効率ばかりを求め、目の前の成果しか見ようとしない世の中に次代があるとは思えません。ゆったりと時を過ごし、大きな視野で物事を考え、行動して行く。一見無駄とも思えるような時間を過ごせる位でないと、ものは創れません。仲間と話している中で発想が生まれ、何かを発見し、舞台につながることも沢山ありました。目の前しか見えないようでは次世代のヴィジョンは描けません。時代の流れに振り回されるのではなく、皆がゆったりと豊かな時間を過ごし、じわじわと魅力を発揮するような音楽が溢れる出る時がまた来て欲しいのです。

「お茶の会」お勧めです。

終わりと始まり

急に蒸し暑くなったと思ったら、もう早々に梅雨入りなんですね。毎年、5月半ばから6月いっぱいは一年で一番忙しくなる時期で、あらゆる所を飛び回っているのですが、今年は色々と動きはあるものの、演奏会が少なく時間を持て余しています。しかしまあこういう時にこそ、その人の中身が試される訳で、私は私のやるべきことをやろうと思います。
こういう緊急時には、色んな情報が飛び交うものですが、今はどう見ても、一つの時代が終わり、これから新たな時代が始まるのだといしか思えないですね。
2016-12江ノ島1
江の島から見た富士山

5月は両親の命日でもありますので、何かと昔の思い出なども蘇って来るのですが、その中に、とても印象深い母の言葉があります。私の母は晩年、陶芸にかなりはまっていて、施設に入る前までは毎日ろくろを引いていました。私は東京から戻って来ると、ちょうど良いサイズの器を物色しては、母の作品を持ち帰って使っていました。未だに使っているものもあります。
もう随分前、20代の頃だったでしょうか、家から持ってきた母の器が割れてしまい、何だか申し訳ない気持ちで実家に電話したのですが、その時母は「物はいつかは壊れる。気にすることはない」と言いました。私はその言葉が今でも頭に残っています。

結局形の在るもの、見えるものは、いつかは消えてしまいます。しかしそれが壊れることによって、始まるものもある。想い出というものが始まり、記憶というものが心の中に出来上がる。そして目に見えず、形の無いもの、手が届かないものだけが心に残って行く。母の言葉がそんな風に、今反復されるのです。物は勿論、音楽でも同じだなといつも思います。エリック・ドルフィーが言ったように、音楽は消えて行くもの。だからこそ心に直接響いてくるのかもしれません。それに余計なもの付け加えると、せっかくの感動も消え失せ、別のものになってしまいます。

コルトレーン&ドルフィー
J・コルトレーン&E・ドルフィー
心に残るには形が無い方が良いのかもしれません。永田錦心、鶴田錦史といった琵琶の先人、マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンみたいな人の音楽も、今現実に響くことが無いからこそ、強く求めるのかもしれません。私がマイルス・デイビスを追いかけるのも、2度、目の前でライブを見て、マイルスの姿を目に焼き付けたことが大きいですね。2回とも20歳前後の時期という事もあり、あの時の体験が記憶となって、私の心の中に刻まれているのです。

先人達の音楽は現実にもう響かないのですが、肉体と共にその音楽も消えて行くからこそ、心に何かを受け継いだ者が、また新たな音楽を生みだして行くのでしょう。心に何かを得た者は、自分でもやらずにはいられなくなるのでしょうね。先人らが独自のものを作ったように、後に遺された人もまた独自のものを創り上げて行く。それが創造という事であり、その行為が続いている内は、受け継がれているという事だと思います。だから先人の奏で創り上げた音楽の表面の形をなぞっているだけで、その創り出した心への共感が無いものは、物まね以上にならず衰退して行く。それは必然ですね。

一つの終わりがあるからこそ、次のものを「創る」のでしょう。「創造」とは、何か一つのものが終わるからこそ、生まれ出づる概念なのかもしれません。そしてその創る根本である志だったり、その時代に生まれた理由を求め、そこから今現在という中でその魂が新生して行く。

永田錦心2かつて永田錦心は、自らが作り上げた流派 錦心流が、あまりに俗に落ちてゆく様を見て、組織の解散を宣告し、また「洋楽の知識と新たな才能を持った天才が、次代の琵琶樂を創ることを熱望する」と次世代の琵琶樂を創る者に対し、大いなる期待を込めて熱く語りましたが、残念ながら、その志を継ぐ人は彼の身近には誰も居なかった。

永田錦心は、江戸が終わり明治という新しい時代に生を受けました。新たな琵琶樂は永田錦心から始まったのであり、彼はその志をずっと持ち続けて43年という短すぎる人生を全うしました。上記の言葉は、最初から彼の心の中にずっとあった想いそのものなのでしょう。しかし彼の周りに居た人達は、あまりにも偉大なカリスマである永田錦心という存在が亡くなった事を、受け入れることが出来なかったのかもしれません。尚且つ、その志や存在理由も、音楽にばかり目を向けていて、解していなかったのかもしれません。結局の永田とは距離の離れた所に居た、鶴田錦史がその志と魂を実践して行った事を思うと、私も永田や、マイルス、鶴田という先人達とは離れているからこそ、彼らから何かをくみ取ろうとするのかもしれません。

能力という部分で考えていたら、先人の志と魂を受け継ぐことはなかなか難しいでしょう。それは時代と共にセンスが変わるので、旧価値観に於いての能力や技は、かえって次の時代には足かせになることも多いからです。琵琶の上手=いい声で歌うなんていう概念自体がもう現代で通用しないのです。表面や目の前に拘るあまり、この価値観の変異が判らない人には、そのもっと奥にある想いや志は見えないでしょうね。永田錦心は、新たな時代に新たなセンスを持って旧来の概念をひっくり返し、新しい琵琶樂を創りました。そしてそれを世に認めさせてきた。更にその先に、また新しいセンスと技術を持った天才を熱望していた。一つの時代が終わり、次の時代を生きて行くという自覚がない限り、その永田の想いは判らないだろうし、その魂が心に刻まれることはないでしょう。

天才は自分の創ったものに固執せず、また次の世界に向って新たなものを創り出してゆきます。しかし私のような凡夫は、人でも物でも、とにかく執着が常にあります。さて私は、何を創って行けるのでしょう。先人たちの起こした風をこの身に受けつつ、自分の思う道を突き進むしかないですね。

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六本木ストライプハウスにて

両親が亡くなって実家も処分してしまいましたので、静岡には私の帰る所は無いのです。今は凪の海も穏やかな気候も、遠きにありて故郷を想うばかりです。現実に帰る場所が無くなり、失われてしまった故郷は、私の中に一つの時代の終わりをもたらし、また新しい自分の世界が出来上がったと思います。そして同時に故郷の記憶や想い出を私の中に残しました。
帰る港がないというのは寂しいものですが、これは多分に今の私の個性に影響しているように思います。割と早い段階で故郷を喪失し、一つの時代が私の中で終わったからこそ、琵琶奏者としてやって来れたのかもしれません。

終わりがあるからこそ、また始まりもある。
これからの社会、そして自分自身が、また新たな時代へと向って行くことを期待します。

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