雨の音、人の声

真夏日が続きますね。私はどうも、ちょっと寒いくらいの方が性に合っているようで、暑いとだらだらとして仕事もはかどりません。いつも書いていますが、私は雨や風などの天候や風景などに随分と影響される性質でして、雨の日には内省的になり、過去の記憶が甦ったり、風の強い日は、何かこれから起こる事への予感のようなものを感じます。雪なんか降った日には、得体のしれないの世界に、どっぷりと浸ってしまいます。多分人間の手では届かないものに、畏怖と憧れがあるのでしょう。音楽家である以上、都会に居ないと活動が成り立ちませんが、時々自然の中に身を置いて 、心身の浄化をしたいですね。
青梅

特に雨の日は大好きです。静かな雨音や霧雨は心の内を深めてくれますね。人間の手によるものでない情景だからこそ、そこに身をゆだねることが出来るのかもしれません。音楽はどんな曲でも、そこには演者作者の想念があります。それが聞き手の心を動かし、感動を誘うのでしょうが、自然の音にはその人為的な作為がないのです。
クリスタルボウル2

私は以前より縁があってクリスタルボウルをよく聴いているのですが、その響きは、正に浄化というのにふさわしい響きなんです。
私の知人は、朝15分だけクリスタルボウルの演奏をネットで流していて(不定期です)、朝寝坊しない限り聴かせてもらっていますが、その演奏は、いわゆる表現としての音楽という事を考えていないせいか、そこにドラマの展開もないし、これみよがしの想念も聴こえて来ません。演者の情念等全く聴こえて来ないのです。演奏者自身に「けれん」が無く、素直に音と向き合っているのでしょうね。想念・情念という次元とは違う所で音が鳴っています。これを音楽と言ってよいかどうかは別として、朝クリスタルボウルの演奏を聴くと、まとわりついていた余計なものがすっと消えて、自然の風景の中で目覚めたような穏やかな気分になります。

そこへいくと、人間の声や言葉は想念の塊ですね。古より言霊という事もよく言われていますが、ピュアな音に包まれて感覚が研ぎ澄まされている時に人の声がすると、いきなり俗世に引き戻されて、ぎくりとします。人間の言葉がいかに感情的情念的で強いエネルギーに満ちているかが直接感じられます。この想念の騒音の中に普段暮らしているかと思うとぞっとします。私が普段から歌に関しては、かなり厳しくなってしまうのですが、それはそんな人間の声に現れる想念を感じているのかもしれません。

私はもうほとんど弾き語りをやらなくなってしまったのですが、それはやはり上記のように、その声に色んな想念が乗ってしまう事ですね。リスナーとしても想念邪念の塊のような歌は聞きたくありません。軍国的な琵琶歌はその最たるものですが、ポップスでもジャズでも、声の中に「上手に歌いたい、売れたい、有名になりたい、偉くなりたい」等々、俗な欲望が見えてしまうと聴いていられません。特に伝統邦楽はそれが著しい。やっている本人は気が付かないかもしれませんが、心の中の想いは全て音楽の上に現れてしまうものです。そんな演者の心が見えてしまうリスナーも多いと思います。私は、伝統邦楽衰退の原因はこういう所にあるように思っています。

私は歌が嫌いなわけではなく、素晴らしい歌は毎日のように聴いています。世界の頂点で歌っている人の歌には、ジャンル関係なく、本当に素晴らしい。邪念など全く感じませんね。そんな卑小な心では通用しないことを知っているのでしょうね。そこまで行くには自分の内面ととことん対峙して、様々なものをクリアしたからこその頂点なのでしょう。この動画は、私の大好きなバリトン歌手、故ディミトリ・ホロストフスキーのものです。私と同い年という事もあり、今でもよく聴いています。彼の歌を聴いていると本当位心が豊かになって行くのです。歌うために選ばれた人なのでしょう。結局叶いませんでしたが、Dimaの歌を生で聴いてみたかったです。こういう歌手に、今生で巡り合えたことは大きいですね。晩年の歌をライブビューイングで何度も聴けて、その姿を見ることが出来た事は、私の心の宝ものです。

音楽家には大なり小なり舞台に立つ以上、自己顕示欲や上昇志向はつきものです。しかし音楽の前にそういうものは一切必要無い。表面的な技術も邪魔なだけです。そんな心を取り去って、音楽に向き合う事が出来る人だけが、一流の舞台人となって行くのでしょうね。身に余計な鎧を背負って、心の中までも様々な想念・邪念に囚われの中に居る内は、それによっていかに音楽が荒んでいるのか気づくことはないのです。人間純粋なままでは世間の中で生きて行くことは出来ないかもしれませんが、せめて音楽の場においては、我が身我が心を見つめ、「けれん」を取り払って行かないと、音楽はその姿を現してはくれません。

琵琶樂人倶楽部にて、フルートの神谷和泉さんと  Photo 新藤義久

東京は、私にとって大いなるストレスを生み出す場所です。この所狭しと建物が立ち並び、壁一枚でろくに顔も知らない人と箱の中にすし詰めになって暮らしているのは異常だといつも感じています。しかしだからこそ多くの刺激を生み、そこがまたエネルギーとなって、多くのものが生まれて行くのでしょう。それは解っているのですが、この都会の中で、人間としての感性を保つのは容易な事ではありません。だからここで生きて行くには身も心も浄化する時間が私には必要なのです。そして余計なものがまとわりついていない、純度の高い芸術に触れることが喜びなのです。

現代人はロゴスばかりで、エトスとパトスに欠けると言われますが、情報や知識のような目に見える所だけを見て、対象を丸ごと見て接する事を実は拒否しているのかもしれません。欲望の限りにふるまい、自然を破壊するだけ破壊して、傍若無人に闊歩する現代人の姿も、ここへ来て、更に上を行く狂乱ともいえる形相になって来ました。このまま行ったら確実に人類は滅亡でしょう。SDGsなども名ばかりで、かえって様々な問題を引き起こしているのは皆さんご存じの通りだと思います。そんな欲望をエネルギーとして動いているような現代社会が生き残る最後の砦が、大地であり芸術ではないかと私は思っています。

この時代に生を受けたのも運命ではありますが、流されることなく、まっとうに自分の人生を生きて行きたいですね。

喫茶逍遥

もう梅雨入りですね。毎年梅雨の時期は大忙しで、てんてこまい状態で飛び回っているのですが、今年はのんびりと家で過ごしています。こういう年があってもいいなと思ってはいるものの、何だか刺激が少なくて、ぴりっとしないですね。しかしまあ、この間書いたように、今年は何故か琵琶のレッスンをする機会が結構多いので、少し頭を切り替えていきます。時の流れに沿って行くのも必要ですね。

2018年6月2日「日本音楽の流れ 琵琶」於:国立劇場

私は、いわゆるコーヒー党でして、東京に来てから、喫茶店を巡るのを趣味にしていました。今でも時間さえあれば、色んな街に行くついでに個性的な喫茶店を探して入るようにしています。今は、コーヒーチェーンのお店も多くなり、昔のような個性ある喫茶店は少なくなって来てはいますが、なかなかどうして、各地にいい感じのお店がまだまだあるんですよ。先日も琵琶樂人倶楽部常連のTさんと喫茶店の話で盛り上がりました。かつての喫茶店文化が無くなりつつある現代に、もう一度ゆっくりとコーヒーを味わい、語り合う時間を取り戻したいものです。という訳で、今日は喫茶店のお話を少しばかり。

ヴィオロンSPコンサートにて

私は東京に出て来てから、コーヒーを飲むようになりました。そのきっかけは水です。私がそれまで静岡で普通に飲んでいた水とは、明らかに違うものを感じたのです。東京の水でお茶を飲む気にはなれず、お茶よりコーヒーという風になって行きました。以来毎朝豆を挽いて飲んでます。ミルももう何代目かな??。

18歳になって、静岡から杉並の高円寺に移り住んだのですが、日々の食い扶持を探すために、先ずはアパ-トの近くにあった「グッディーグッディー」という喫茶店でアルバイトを始めた私は、そこでコーヒーの淹れ方を教わって、コーヒーの味を覚えて行きました。世にコーヒー好きがこんなに居るんだと初めて知りましたね。

当時のアパートは風呂もトイレ(共同)も無い四畳半でした。現代の若者には考えもつかないと思いますが、当時は皆が同じようなもんでしたし、高円寺には明日のロックスターを目指すバンドマンが全国から集まって来る「ロックの聖地」でもありましたので、仲間も多く楽しい日々でした。当然皆お金もろくに持っていなかったのですが、日々色んな喫茶店に集まってはコーヒーを飲みましたね。特にジャズ喫茶は私の青春でした。あの頃は、お酒を飲む習慣が無かったですし、大体お酒を飲むようなお金自体を持っていませんでした。一杯のコーヒー位が、その当時の私の身の丈だったのです。でも全然ひもじいとも感じたことが無かったですね。あれが若さというものなのでしょうか。友人なんかと待ち合わせると、2時間くらい前に待ち合わせ場所の街に行って、近くを歩き回って喫茶店を見つけるのが常でした。暇だったんですね(今も同じか?)。

私が上京した1980年代は、世の中がバブルまっしぐらの頃でしたので景気が良かったのか、儲け関係なく趣味でやっているような良い感じの喫茶店が、どの町にも2つや3つはありました。また超オールドスタイルの喫茶店なんかもまだまだ残っていました。
左の写真は、中野にあった伝説の名店「クラシック」。ここでオーナーの美作七郎さんから薫陶を受け継いだのが、いつも琵琶樂人倶楽部をやらせてもらっている阿佐ヶ谷ヴィオロンのマスター寺元さんなのです。マスターは若い頃から美作さんについて音楽やオーディオの事を勉強したそうです。だから「クラシック」によく通っていた私としては、そのヴィオロンで琵琶の会を始めることは、願ったり叶ったりでした。
ちなみにヴィオロンのアンプやスピーカーはすべてマスターの手作り。そしてケーブル一本に至るまでこだわりがあり、日本に数台しかない蓄音機クレデンザもあります。当時は家一軒買える位の値段だったと言われていますが、マスターのこうしたこだわりは、大いに私と相通じるものがありまして、マスターとは音楽は勿論、オーディオの話でも多々アドヴァイスを頂き、もう14年に渡り毎月お借りしているという次第です。
中野「クラシック」のような喫茶店は、もう少なくなってしまったのですが、当時の喫茶店には、俗世間とはちょっと離れた、独特のゆったりとした時間の流れがありました。大体当時はバブルとは言え、現代に比べると社会自体がずっとのんびりしていましたね。なぜ今は皆さん、食事中でもスマホを離さずにメールチェックしているのでしょう。そんなに追い立てられるように生きなくてもいいのにね・・・・。

私にとって喫茶店は格別な時間を過ごすとっておきの場所。だからコーヒーの味は勿論、店の雰囲気も、そこに流れている音楽も、スタッフの人当たりも、総てがその場所を構成する大事なものなのです。最近は味にこだっわったコーヒーのお店が増え、若い世代が頑張っていますが、お店の雰囲気となると、じっくり時間を過ごせるところは少ないかな・・?。
以前このブログで、行きつけのジャズ喫茶が閉店したことを書きましたが、当時はとにかく、しょっちゅう喫茶店に行きました。下北の「マサコ」、表参道の「大坊」等々想い出も多いです。今でも神保町の「ミロンガ」や「さぼうる」、西荻の「どんぐり舎」「物豆奇」、吉祥寺の「くぐつ草」、国立の「ロージナ」なんかには時々行きます。最近ご無沙汰ですが、「大坊」の魂を受け継いでいる新橋の「草枕」もよく行っていました。銀座や北千住にも良い喫茶店が結構ありましたね。ネットも携帯電話も無い時代、喫茶店で待ち合わせて、ゆっくり話をしてコミュニケーションをするのが日常だったのです。
私は基本的に喫茶店で食事はとらないのですが、一杯のコーヒーで、色んな話を延々として過ごすなんてことは、今のセンスでは考えられないのでしょうね。でも私にとって喫茶店は、隠れ家みたいで、自分が穏やかになれて、色んな発想が浮んでくる空間。そんなお店が私を育てたともいえると思っています。
日本橋富沢町楽琵会にて、能楽師の津村禮次郎先生と

現代社会は、どうも「普通」というものを強制するようになってしまった、と私は感じています。自分だけの時間を大切にして、自分に向き合い、自分の個性のままに生きる事が現代人はとても苦手なんじゃないでしょうか。世の流行りとか、学校で習った事などではなく、自分だけの楽しみを見つけて、自分なりに楽しむ。そういう事がとても下手なように思えます。習ったことがどうあれ、今の流行がどうあれ、私はこれが好きなんだという所をもっと表に出して良いんじゃないでしょうか。邦楽も定番に縛られていたら、新しい世界は見えて来ません。面白い事にどんどんチャレンジして行く位でないと・・。それはそのまま柔軟な頭を育て、且つ自軸で生きるという事にもつながって行くと思います。

私は東京に出てきて、喫茶店で仲間と話したり、ジャズ喫茶で一人音楽に浸ったりしながら、自分のやりたい事を発見し、確信し、自分の生き方を探していたように思います。
琵琶樂人倶楽部にて、メゾソプラノの保多由子先生と

今でも私は気の合う仲間と、良い感じの喫茶店を見つけて、ゆっくりおしゃべりする「お茶の会」を時々続けていますが、雰囲気の良い喫茶店が、生業としてやって行くのが難しい時代になりましたね。
効率ばかりを求め、目の前の成果しか見ようとしない世の中に次代があるとは思えません。ゆったりと時を過ごし、大きな視野で物事を考え、行動して行く。一見無駄とも思えるような時間を過ごせる位でないと、ものは創れません。仲間と話している中で発想が生まれ、何かを発見し、舞台につながることも沢山ありました。目の前しか見えないようでは次世代のヴィジョンは描けません。時代の流れに振り回されるのではなく、皆がゆったりと豊かな時間を過ごし、じわじわと魅力を発揮するような音楽が溢れる出る時がまた来て欲しいのです。

「お茶の会」お勧めです。

終わりと始まり

急に蒸し暑くなったと思ったら、もう早々に梅雨入りなんですね。毎年、5月半ばから6月いっぱいは一年で一番忙しくなる時期で、あらゆる所を飛び回っているのですが、今年は色々と動きはあるものの、演奏会が少なく時間を持て余しています。しかしまあこういう時にこそ、その人の中身が試される訳で、私は私のやるべきことをやろうと思います。
こういう緊急時には、色んな情報が飛び交うものですが、今はどう見ても、一つの時代が終わり、これから新たな時代が始まるのだといしか思えないですね。
2016-12江ノ島1
江の島から見た富士山

5月は両親の命日でもありますので、何かと昔の思い出なども蘇って来るのですが、その中に、とても印象深い母の言葉があります。私の母は晩年、陶芸にかなりはまっていて、施設に入る前までは毎日ろくろを引いていました。私は東京から戻って来ると、ちょうど良いサイズの器を物色しては、母の作品を持ち帰って使っていました。未だに使っているものもあります。
もう随分前、20代の頃だったでしょうか、家から持ってきた母の器が割れてしまい、何だか申し訳ない気持ちで実家に電話したのですが、その時母は「物はいつかは壊れる。気にすることはない」と言いました。私はその言葉が今でも頭に残っています。

結局形の在るもの、見えるものは、いつかは消えてしまいます。しかしそれが壊れることによって、始まるものもある。想い出というものが始まり、記憶というものが心の中に出来上がる。そして目に見えず、形の無いもの、手が届かないものだけが心に残って行く。母の言葉がそんな風に、今反復されるのです。物は勿論、音楽でも同じだなといつも思います。エリック・ドルフィーが言ったように、音楽は消えて行くもの。だからこそ心に直接響いてくるのかもしれません。それに余計なもの付け加えると、せっかくの感動も消え失せ、別のものになってしまいます。

コルトレーン&ドルフィー
J・コルトレーン&E・ドルフィー
心に残るには形が無い方が良いのかもしれません。永田錦心、鶴田錦史といった琵琶の先人、マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンみたいな人の音楽も、今現実に響くことが無いからこそ、強く求めるのかもしれません。私がマイルス・デイビスを追いかけるのも、2度、目の前でライブを見て、マイルスの姿を目に焼き付けたことが大きいですね。2回とも20歳前後の時期という事もあり、あの時の体験が記憶となって、私の心の中に刻まれているのです。

先人達の音楽は現実にもう響かないのですが、肉体と共にその音楽も消えて行くからこそ、心に何かを受け継いだ者が、また新たな音楽を生みだして行くのでしょう。心に何かを得た者は、自分でもやらずにはいられなくなるのでしょうね。先人らが独自のものを作ったように、後に遺された人もまた独自のものを創り上げて行く。それが創造という事であり、その行為が続いている内は、受け継がれているという事だと思います。だから先人の奏で創り上げた音楽の表面の形をなぞっているだけで、その創り出した心への共感が無いものは、物まね以上にならず衰退して行く。それは必然ですね。

一つの終わりがあるからこそ、次のものを「創る」のでしょう。「創造」とは、何か一つのものが終わるからこそ、生まれ出づる概念なのかもしれません。そしてその創る根本である志だったり、その時代に生まれた理由を求め、そこから今現在という中でその魂が新生して行く。

永田錦心2かつて永田錦心は、自らが作り上げた流派 錦心流が、あまりに俗に落ちてゆく様を見て、組織の解散を宣告し、また「洋楽の知識と新たな才能を持った天才が、次代の琵琶樂を創ることを熱望する」と次世代の琵琶樂を創る者に対し、大いなる期待を込めて熱く語りましたが、残念ながら、その志を継ぐ人は彼の身近には誰も居なかった。

永田錦心は、江戸が終わり明治という新しい時代に生を受けました。新たな琵琶樂は永田錦心から始まったのであり、彼はその志をずっと持ち続けて43年という短すぎる人生を全うしました。上記の言葉は、最初から彼の心の中にずっとあった想いそのものなのでしょう。しかし彼の周りに居た人達は、あまりにも偉大なカリスマである永田錦心という存在が亡くなった事を、受け入れることが出来なかったのかもしれません。尚且つ、その志や存在理由も、音楽にばかり目を向けていて、解していなかったのかもしれません。結局の永田とは距離の離れた所に居た、鶴田錦史がその志と魂を実践して行った事を思うと、私も永田や、マイルス、鶴田という先人達とは離れているからこそ、彼らから何かをくみ取ろうとするのかもしれません。

能力という部分で考えていたら、先人の志と魂を受け継ぐことはなかなか難しいでしょう。それは時代と共にセンスが変わるので、旧価値観に於いての能力や技は、かえって次の時代には足かせになることも多いからです。琵琶の上手=いい声で歌うなんていう概念自体がもう現代で通用しないのです。表面や目の前に拘るあまり、この価値観の変異が判らない人には、そのもっと奥にある想いや志は見えないでしょうね。永田錦心は、新たな時代に新たなセンスを持って旧来の概念をひっくり返し、新しい琵琶樂を創りました。そしてそれを世に認めさせてきた。更にその先に、また新しいセンスと技術を持った天才を熱望していた。一つの時代が終わり、次の時代を生きて行くという自覚がない限り、その永田の想いは判らないだろうし、その魂が心に刻まれることはないでしょう。

天才は自分の創ったものに固執せず、また次の世界に向って新たなものを創り出してゆきます。しかし私のような凡夫は、人でも物でも、とにかく執着が常にあります。さて私は、何を創って行けるのでしょう。先人たちの起こした風をこの身に受けつつ、自分の思う道を突き進むしかないですね。

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六本木ストライプハウスにて

両親が亡くなって実家も処分してしまいましたので、静岡には私の帰る所は無いのです。今は凪の海も穏やかな気候も、遠きにありて故郷を想うばかりです。現実に帰る場所が無くなり、失われてしまった故郷は、私の中に一つの時代の終わりをもたらし、また新しい自分の世界が出来上がったと思います。そして同時に故郷の記憶や想い出を私の中に残しました。
帰る港がないというのは寂しいものですが、これは多分に今の私の個性に影響しているように思います。割と早い段階で故郷を喪失し、一つの時代が私の中で終わったからこそ、琵琶奏者としてやって来れたのかもしれません。

終わりがあるからこそ、また始まりもある。
これからの社会、そして自分自身が、また新たな時代へと向って行くことを期待します。

ネットワーク

新緑の勢いが凄いですね。この時期の緑は命が旺盛に動き出しているようで、実に気持ちが良いです。コロナ自粛は相変わらずですが、気持ちも上向いて来ますね。

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琵琶樂人倶楽部にて、photo 新藤義久

今月は人形町楽琵会の復活ならず、大変残念ではありましたが、何やら色んな事が動き出してきました。
最近どういう訳か、琵琶を習いたいという人が相次いで現れてます。教室の看板も出してない私の所に来るのだから不思議なもんです。なんか琵琶ブームでも起きているんでしょうか。私が良き教師であるかどうかは別として、何かのきっかけを与えれあげられるのであれば、それだけでも良いかなと思っています。その為に、只今稽古用の琵琶や撥など、色々とかき集めている最中です。また夏に向けての公演の話や、お仕事の話なども来ていて、ちょっと低迷しかけた日々に活気が出て来ました。

y30-1初心の頃
私が琵琶で活動を始めた頃、よく「人間力」ということを言われました。最後には人間力がものをいうなんて言われることが多かったですね。今この年になってみると、確かにそうだなと思います。「人間力」は言い換えれば、包容力だと私は思っています。
人間には防衛本能があるので、異質なものを排除したいという気持ちは常にあるものですが、それを小さな範囲でやっていると、どんどんと世の中から浮き上がって孤立してしまいます。これまで共生という事を言われてきていましたが、コロナをきっかけに、排他主義が表面化して攻撃に向かうという姿が、今、世界中に溢れています。自分とまるで違うレイヤーに生きている人や、違う考え方・感性を持っている人に対し、先ずは話を聞いてみようという姿勢で相対する、その力量を「人間力」というのではないかと思ってます。

以前ドミニク・チェンさんの「ぬかBOT」の事を書きましたが、美味しいぬか漬けが出来上がるには、その床の菌ネットワークがどのように発酵し、つながって行くかにかかっています。ドミニクさんはウエルビューイングに関する講演を色々としており、そこでぬか床の話も出てきて、生来のお新香ッ食いの私としては、大いに納得した次第ですが、菌のネットワーク同様、社会に生きる人間も、良好なネットワークで繋がり、時代にあった発酵をして行かないと、ウエルビューイングは実現しません。よく言われるフィルターバブル・エコーチェンバー現象のようなネットワークでは、同じような思考、視点のものしか集まらず、オタクの集団のようになって、発酵を通り越して腐敗につながってしまいます。歴史的に見ても、他の血を拒んだ一族が続いた例はないのです。異質ともいえるような様々なものがつながってこそ、ネットワークは豊かに発酵して行くのです。

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異質なもの同志のコラボレーション ダンス:牧瀬茜 ASAX:SOON KIM 映像:ヒグマ春夫 各氏と

現代では、自分にとって気持ち良い事をしよう!なんて言っている人が多いですが、快楽をもたらしてくれるものを優先するあまり、自分を取り巻く環境や社会に目をつむって、かえって生活や人生が狭くなってしまったのが現代社会の姿ではないでしょうか。何も辛いことを率先してやる必要はありませんが、普段から常に美味しい物、面白いものを追いかけるように仕向けられ、挙句の果てに添加物まみれのファストフードやコンビにのスウィーツが旨いと言ってSNSで盛り上がっている。目の前の快楽を追い求める裏側で、どれだけ自分の味覚が破壊され、身体が蝕まれ、物やお金、作られた流行に洗脳され、消費社会の歯車として振り回され、環境、感性のネットワークが荒んでいるか・・。目の前の快楽を只管追いかけるだけのエンタテイメントに、24時間浸かり続けていたらそりゃおかしくなります。
もう50年以上も前にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いて文明社会の在り方に警鐘を鳴らして来たのに、人類は目の前の快楽に溺れ、自らの命、更には地球の命までを絶とうとしている。資本主義、ショウビジネスのツケが今来ているのです。

だからこそ今、このコロナ問題は人類にとって良いきっかけを作るかもしれません。もう一度人間の生きる道筋を考え、ウエルビューイングの高いネットワークを作り直すのは、正に今なのかもしれません。

素晴らしいネットワークを持っている方々と逢う度に、その受け入れる姿勢の幅の広さ、懐の広さというものを感じます。ただ顔が広いとか人脈があるという事ではありません。時代と共に感性が変わって行くのと同じで、人とのつながり方も、その発酵の仕方も、その在り方も変化して行くのは当たり前です。ジェンダーや人種、国籍、年功序列など、今迄根拠の無い因習の中に囚われていた部分が炙り出され、次代の新たなネットワークが今築かれようとしています。そして同時に自分を取り巻くものをどう受け入れて行けるのか、問われているようにも思います。
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日本橋有富沢町楽琵会にて Vnの田澤明子先生と  Photo 新藤義久

少なくとも音楽は人を繋げ、異質なもの同志でも旺盛にコラボレーションし、豊かな発酵をして行く力があるのですから、広い心を持って行きたいですね。拙作「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」でテーマにしたのは9,11の事件ですが、異質なもの同志のぶつかり合いである、あの事件をテーマとしたものが音楽となり、その音楽を聴いて、リスナーの感性が次世代へと開いて行くのでしたら、作曲家・演奏家冥利に尽きますね。豊かな音楽を創って行きたいものです。

5月の風2021

自粛も延長となり、もう活動の計画を立てることも難しくなりましたね。今月復活公演を予定していた人形町楽琵会も、残念ながら中止とさせていただきました。
一方16日の川崎アジアンンフェスタは、イベント自体は11日に中止を発表しましたが、私が出るstreet会場は、川崎銀座街が独自に運営するイベントなので、そのままやるそうです。16日15時からですので、お近くの方覗きに来てください。30分ほどですが、尺八の藤田晄聖君とやります。

アジアンフェスタ

5月は私にとっては、感慨深い月です。私の両親は共に5月に旅立ちましたし、大変お世話になった方も、同じくこの5月に虹の彼方へと逝ってしまいました。外では新緑が茂り、花粉症も消え、ジャケットも脱いで、音実に活気に満ちて、そしてさわやかな時期なのですが、私にとっては両親の墓参りをしたりして、気を引き締める時期でもあります。昨年から墓参りすらできない状態なのですが、今年は更に世の中混迷に向っているようで、何とも予測がつきませんね。
こういう時期をどう過ごし、次の時代に繋げて行くか、試されているような気もします。ゆっくりと腰を据えて、次の時代を見据え、自分の道を模索して行きたいと思います。

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広尾 東江寺 能楽師 安田登先生 狂言師 奥津健太郎先生と

最近琵琶を習いたい、楽器の話を聞きたいという人が、何故か何人もいらっしゃいます。五月の風に誘われてきたのでしょうか。私は教室の看板を挙げている訳ではないので、問い合わせがあると、少しお話をして、〇〇流のようなものをイメージしている人には、各流派のお稽古場を勧めています。自由に琵琶と接したい人は、巡り巡って何となく私の所に集まって来ますね。私の所では、弾き語りではなく楽器として弾きたいという人や、オリジナルを創って歌いたいという人、作曲家で琵琶の曲を創りたいという人、ゲームなどのサウンドトラックで活用したいという人等々、凡そ流派で習っている人とは別の視点を持っている人が集まってきます。私自身、いつもブログで書いているように、大衆芸能として大正・昭和に出来た、多分に軍国的、男尊女卑的な琵琶歌の内容には大いに疑問があるので、弾き語りをやりたいという人には、壇ノ浦や敦盛などの定番曲も、全て歌詞・弾法を新しく創り直したものを教えるようにしています。戦争や殺し合いの曲は私自身一切やりませんし、教えてもいません。

大中小
塩高モデル大型中型と標準サイズ(塩高仕様)

という訳で、今日は少し楽器の事を書いてみます。
琵琶は先ず楽器を手に入れるのが難しいのです。何せ琵琶屋さんは全国に1軒しかないし、稽古用の廉価版楽器というものが無い。逆に言えば、一度買えば一生ものという感じです。ネットオークションにも古い琵琶が時々出ていますが、使えるようにするには結構な修理を必要とするものが多く、中には数十万の費用がかかる場合もあります。どこをどう修理すれば使えるのか、費用はどのくらいかかるか判った上で落札しないと、あとが大変になってしまいます。

標準サイズ私は修理が安くて済みそうな状態の中古の琵琶を買って、自分で直せるところは自分で直し、難しい所は石田さんにお願いして、なるべく生徒の負担のない形で稽古用の琵琶を提供していますが、石田琵琶店さんで販売している中古のものも時々あるようなので、修理調整の技術・知識の無い方は、石田さんに相談すると良いかと思います。ただいつもそうした中古がある訳ではないのと、お値段はそれなりにします。

この左の琵琶は、かなり前にオークションで落としたもので、ぼろぼろの状態でしたが、ネックが真っすぐで、直せば使えそうなものでしたので迷わず落札しました。ジャンク扱いでびっくりする位安かったです。しばらく私の琵琶部屋に置いておいたのですが、費用も溜まってきたので直しに出してみたら、何と石田克佳さんの先々代が作った琵琶で、大正時代の作品でした。それを塩高仕様に5絃6柱に直してもらって、時々お仕事で使っています。手妻の藤山師匠とカリブ海の国々にツアーに行った時にはこいつを持って行きました。実にバランス良く鳴っていますよ。

琵琶は、ギターのように調整のための機構がついていないので、柱や糸口、糸巻を直接削って調整しないといけません。当然どこか一ヶ所削れば全体のバランスが崩れますので、その他の所も見ながら調整する必要があり、かなりの経験と技が必要です。しかもそれをしょっちゅうやっていないと、あのビャ~ンという音は良い感じで響きません。私は琵琶を手にした時には、必ずサワリの調整をしてから弾きますので、ほぼ毎日やっていますし、舞台で使ってみて、少しでも違和感があったら、帰って来てすぐに調整を施します。
3また絹糸を張って、ぎゅうぎゅう引っ張りながら弾くので、どんどんチューニングもズレます。糸巻はギターのようにギア式ではないので、左の写真のように押し込みながら回さないといけません。最初は皆さんチューニングが出来ず、練習にもならないという日々を過ごすことになります。糸巻も使っている内にゆるくなるので、削って締り具合の調整をしなくてはいけませんし、絃そのものは湿気や気温差に弱く、とにかく言う事を聞いてくれません。今でも私はチューニングには本当に悩まされていますね。とにかく現代の感覚で接していては扱えません。まあ歌の伴奏で、合いの手にベンベン鳴っていればいいというのなら、ほったらかしでも良いと思いますが。

また柱やブリッジ&テールピースは膠でくっついているだけですので、結構頻繁に取れてしまいます。サワリ同様、そのくらいは自分で修理出来ないと、時間もお金もかかって仕方ありません。まともな師匠なら演奏だけでなく、サワリや各部のメンテナンスも教えてくれますよ。私は師匠から、それらをばっちりと仕込んで頂きましたので、その知識と技術が今、とても役に立っています。ありがたかったですね。
そんな具合ですので、ある程度弾ける人でないと、ZOOMなどでのオンラインの稽古は出来ません。

We are together again音楽の究極は音色だと私は思っています。一流の演奏家はその音色ですぐに判別がつきます。ヴァイオリニストのヨゼフ・スークやダヴィッド・オイストラフなんかは、クラシックの専門でもない私でも、聴いた瞬間に判るくらいの音色でした。それだけでなく、その演奏家が育った土地までもが聴こえてくるような揺るぎないスタイルがありました。
最近はジャズギタリストも、本当に上手な人が沢山出ていますが、音色で判断が付くような人は居ませんね。ウエスもベンソンもジム・ホールも、メセニーもジョン・スコも、勿論私が敬愛するパット・マルティーノも、皆、他の誰でもない唯一無二の音色を持っています。

顔も声も年齢も性別も国籍も、生きている時代も、全く違う人間が弾くのですから、声と同じく楽器の音色が違って当たり前なのですが、それが聴こえて来ないというのは、その人の音楽に成っていないという事に他なりません。自分の声を持っていない人間が居ないように、琵琶弾きも自分の音色を持たなくては琵琶奏者とは言えません。

音色が出来上がるには、技術、感性、精神など様々なものがあって初めて音色として出てくると私は思っています。壇ノ浦も敦盛も結構ですが、何故それをあなたがやるのか、その答えも無くやっていてはお稽古事と言われても仕方がないのです。ジョン・レノンや尾崎豊なんかは、なぜ死んでもファンを自称する人が後を絶たないのか。好き嫌いは別として、それは嘘偽りの無い、自分の中から沸き上がった自分の音楽をやって、彼らでないと実現しない世界を持っているからです。世間ではそういうものを音楽と言います。優等生的にお稽古をして、お名前や賞をもらっても、世間では、それはお稽古事であって、音楽とは認めてくれません。
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琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
邦楽で自分の音色を持った人はどれだけいるのでしょうね。今思い出しても10人もいないですね。宮城、沢井、寶、海童、横山、竹山、鶴田、水藤・・・・これ位でしょうか。皆時代というものも背負っていましたね。筝でも三味線でも琵琶でも、今や誰が弾いても同じような音とスタイルばかりで、判別がつきません。好みは別として、竹山の音なんか一瞬にして吸い込まれるような魅力あふれる音色でしたね。本当に津軽の風景が見えてくるような、何とも言えない魅力のある音色でした。
薩摩琵琶は自分でサワリの調整をするので、音色は勿論の事、サスティーンも好みに変えられるし、打楽器的要素と相まって、あらゆるアタックの奏法が出来る。他の楽器に比べて、かなり表現力の幅の広い楽器です。これだけの他に無い音色を持った楽器をほおっておくのはもったいないですよ。小さな枠を超えて、その独自の音色が世界中の人に愛されるような演奏家、そして楽曲がどんどんと出てきて欲しいですね。
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来月再演が決定している戯曲公演「良寛」にて、能楽師 津村禮次郎先生と

5月は私にとって、色々な事を考える季節です。自分の目指す道、自分の音楽等々、一流の方々には及びもつきませんが、他の誰でもない私の音色で、私の音楽を奏でたい。へたくそでも評価されなくても、その方向は崩したくないですね。是非これから琵琶を始めようとする方も、お稽古事ではなく、魅力ある音楽を創って行って欲しいものです。
私もそろそろ次世代の琵琶人を育てる役目が回ってきたのかもしれません。

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