沈みゆく夏に

世の中相変わらず騒然としていますね。これから日本はどうなって行くのでしょう。

先日「祇園精舎」を都内某所で演奏してきました。一般的には琵琶と言えば祇園精舎という位、ドンピシャな曲だと思われがちですが、実は祇園精舎は平家琵琶のみでやっていたもので、薩摩や筑前の琵琶ではほとんど演奏しません。

琵琶樂人倶楽部にて。珍しく平家琵琶を持っている Photo 新藤義久


薩摩・筑前の琵琶では、演目として平家物語自体をそんなにはやっていないのです。ちょっと以外かと思いますが、薩摩・筑前は大正時代から大衆芸能として、浪曲や講談なんかと共に大人気だったジャンルで、基本的に平家琵琶の流れではないのです。「祇園精舎」も「敦盛」のイントロのように頭に付け足してやるのみで、歌い方もたっぷりコブシ回して、「夢の如し」を「夢幻の如くなり」なんて語呂よく言い換えて声を張り上げて歌います。幸若舞の「敦盛」の歌詞を持ってきたのだと思いますが、大衆芸能に於いては、「祇園精舎」は私が思うほどの意味や価値は無かったのでしょうね。「祇園精舎」に手を加えてしまうその感性が、私には何とも・・・。今でも祇園精舎を単体で演奏する薩摩・筑前の琵琶人は少ないですね。

良寛」公演にて 能楽師の津村禮次郎先生と
私は琵琶を手にした時から大衆芸能としての琵琶樂には全く興味が無く、違う捉え方をしていますので、「祇園精舎」には、他の方と違って結構こだわりを持っています。「祇園精舎」は日本に於ける根本の感性であり、ギリシャ哲学のパンタ・レイとも通じる人類普遍の哲学です。そういうものに余計なケレンは付けたくありませんし、エンタテイメントの一演目にもしたくありません。ちょうど能に於ける翁のような曲として演奏しています。
私は平家琵琶の演奏家ではありませんが、薩摩琵琶でも「祇園精舎」との縁はしっかりと結んでおきたいと考えていましたので、いつも演奏会では私のスタイルで、且つ単体で演奏します。

琵琶樂人倶楽部にて Photo 新藤義久

いわゆるプロの芸人さんと話していると、そのプロ意識には大変敬服しますが、芸人さんのようにお客様を楽しませて、木戸銭を頂いて生きて行く生き方は、私には到底出来るものではないといつも感じます。私も琵琶を弾いて糧を得て生きている身ではありますが、「売る」という事を常に念頭に置く芸人さんたちの意識と私のそれは随分とかけ離れています。舞台でお金をもらっている以上ショウビジネスだ、という方も多いかと思いますが、私は、画家が自分の思い描く世界を具現化して、発表して生きているように、私も自分の想い描く世界を曲という形に具現化して、それを演奏し、発表して生きています。いくら舞台活動をしていても、なかなか芸人さんのように「売る」事を優先して生きて行くのは、私には難しい。年を重ねれば重ねる程にそう感じますし、また自分は自分のやり方で進んで行こうという想いが強くなって来ます。

江の島から見た富士山

世はオリンピックですが、まるでエンタテイメントのイベントのようですね。プロスポーツはもう野球でもサッカーでもエンタテイメントショウみたいになっているのは知っていましたが、今回の聖火リレーを見ただけでも、オリンピックも同じですね。現代ではスポーツはプロアマ関係無くああいうものなのでしょうか。私は武道を少しかじっているものの、スポーツには子供の頃から興味が無く、オリンピックも、これまでほとんど見たことがありませんでしたが、そんな私でも今回の一連の騒動を見ていて、さすがにあきれてしまいました。80年代のバブルの頃から、狂ったようにショウビジネスやエンタテイメントに突っ走って行った先がこれか、という想いです。

そして今、日本が沈みゆく国なんだな、としみじみ思ってしまいました。国家の衰退は人心の衰退とイコールです。「物で栄えて心で滅ぶ」。正にそのままを日本人は実践して来ました。現代は音楽も文学も政治も何も、全てに於いて短時間で興味を持たせ、消費をさせるファストフードみたいなものばかりになってしまいました。時間をかけて味わうという事を全く忘れている。目の前ですぐ笑わせてくれて、直ぐ楽しくなれて、直ぐおなかいっぱいに成れる・・・。挙句の果てにじっくりと考えたり、思いを熟成させたりすることをしなくなる。そんな目先の快楽と刺激を貪り、そればかりを追いかけ、振り回され、豊かな心を失って行く日本人の姿は、ここに来て顕わになってしまいました。私は正直な所、ちょっと耐え難いものを感じています。

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京都清流亭にて 笛の大浦典子さ
んと

今日は朝から芝祐靖先生の「庭火」を聴いていたのですが、あまりの素晴らしさに、しばし佇みました。こういうものをゆったりと味わう心が、日本からどんどんと失われて行くかと思うと悲しいですね。世がどんなに変化しても、笛や琵琶の音楽をじっくりと聴く、心のゆとりや感性だけは失ってほしくないものです。

次世代に豊かな日本の文化を残して行きたいですね。それ以外に私の出来ることは何もないです。

The Summer Knows

もう夏の日差しになりましたね。私は暑いのは苦手なので、夏は毎年家の中でのらりくらりしているのですが、次なる発想にはこういう時間は欠かせない、という言い訳をしながら、のんびりさせてもらってます。
こんな具合ですので、私には「一夏の想い出」なんてロマンチックな事は、ついぞありませんでしたが、夏になると気分だけ盛り上がるのか、この曲が頭に浮かんで来ます。

私は中学生の頃、ブラスバンドでコルネットを3年間吹いていた事もあって、基本的にラッパが好きなんです。これは中でも大好きなアート・ファーマーという方の演奏。アート・ファーマーはトランペットよりもフリューゲルホーンという管の長いものをよく吹いていて、音色がとてもソフトな所が気に入っています。生演奏も聴きに行きました。
私の10代から20代の頃の記憶はjazz一色でしたので、当時を思い出す時は、必ずjazzとワンセットになって想い出します。多感な時期に熱中したものは忘れないのでしょうね。しかし最近ちょっと感じるのは、思い出すという事は、いわゆる懐かしむとは違って、何か突然昔の事が湧き出てくるという事。これは単に私自身が年齢を重ねたからなのか、それとも物事を客観的に見ることが出来るようになったのか・・?。不思議な感じをよく覚えます。
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安田登先生、名和紀子さんと「夢十夜」演奏中 ヴィオロンにて photo 新藤義久
「思い出」とは「思い出す」のではなく「思い出る」のだと言われていますが、「思い出」とは自分の意志で~過去のデータを探すが如く~思い出すのではなく、ふとした何かのきっかけで、過去の時間が現在時間に入り込んで来るように思えるのです。普段の何気ない日常でもそうですが、昔の事を思い出しているつもりでも、その途中でふと当時の何かのエピソードや事件が浮んでくる。「そういえばこんな事が」なんて具合に当時の事が「出てくる」のです。それは能におけるシテとワキの出逢いのようなものでしょうか。
実は我々は、現実の社会的には前へ前へと進む物理的時間の中に生きていながら、脳内では時間軸を乗り越えて、現在と過去を自由自在に行き来しているのではないか。私にはそんな風に思えてしょうがないのです。一番わかりやすい例が「夢」ですね。私のように毎晩映画を観るようにリアルな夢を見る人間には、前にしか進まない物理的時間は、人生の時間のほんの一面でしかない、という事がとても良く実感できます。
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荻窪ベルベットサンにて Vnの田澤明子先生と
その自由な時間の行き来を可能にするのが、音楽だと思っています。音楽には確かに時を超える力が備わっている。自分で演奏していても、この曲を弾くと時間を超えてしまう曲というのがいくつかありますが、そもそも音楽には時間軸を超えるだけでなく、聴いている人の感情を揺さぶったり、強い影響を与える事の出来るある種「呪力」のようなものが漲っているのだと思います。孔子は「国を変えるのなら樂を変えよ」と言ったそうですが、元々音楽は呪術性の強いものだったのだと思います。だから音楽によって、過去と現在が同時に自分の中に立ち現れ、常識的な時間の概念を何の苦も無く当たり前のように超えて、融解した時間軸の無い世界に心が行ってしまうのも当然かもしれません。
私のような人間は、普段は現実社会の常識やシステムの中で生きていても、多分に心の部分では常識や現実の枠外に生息しているので、世の縛りをあまり感じずに、のんびりとしていられるのでしょう。極若い頃には、活躍している仲間を見て羨ましいと思ったこともありましたが、もうこの年になると、他と比べるも何も、これまで生きて来た軌跡がそのまま今の姿ですので、もう世の規範軸や常識などに自分を照らし合わしてもしょうがない。
エンタテイメントの音楽をやっている人は、売れることが第一ですし、知名度もお金も大きなバロメーターなので、大いに気になると思いますが、私はそういう所はほとんど気になりません。それよりも、やりたいことをやって、こうして生きていられることの事自体が嬉しいのです。これからやりたい事もあるし、創りたい曲もあります。しかしそれが売れるかどうか、有名になるかどうかという方向に全く向きません。まあ自分の人生を楽しんでいる。そんな感じです。
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琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

昔の事を思い出すのは日常茶飯事ですが、私は20年前の出来事が「この間は面白かったな」的な感覚で蘇ってくる事はしょっちゅうあります。そこからの物理的時間そっちのけで、まるでつい先週のような感覚で何の違和感もなく、その延長に感じることが多いです。感覚が物理的な世界を判断できず、20年前を「過去」という意識で捉えていない。今日と同じくくりの中にあり、過去という区分が無い。そんな感覚なのです。それは18歳で東京に出てきた頃とあまり人生が変わっていない、という事も大きいかもしれません。
まあ鏡を見ると随分顔は老けていて、確かに物理的時間が経過しているのは一目瞭然なのですが、どうも感覚のどこかが、時計の針の様には進まない。私の中の何かが壊れているのか、それとも人間はそもそも、時間時空を飛び越える能力が備わっていて、私はその部分の感覚が強いのか?。
京都ギャラリー
京都伏見桃山のサロン ラ・ネージュにて
少なくとも能をはじめとして映画でも演劇でも、ほとんどすべての芸術は時空を超えている、と私は思っています。目の前を楽しませ、喜怒哀楽を刺激するエンタテイメントとの違いはそこにあるとも感じています。
私がシルクロードに妙に想いがあるのも、琵琶を弾きながら、自分の中の記憶とリンクしていて、心はかの地に飛んで行っているのかもしれません。宮沢賢治の「雁の童子」なんかを読むと、あの時空の超え方と、カシュガルという場所に一気に想いが飛んで行ってしまいます。特に樂琵琶にはどこか遠い空に体が舞い上がるイメージを持っています。薩摩琵琶の方は、時間よりも精神の奥深くに入って行くものとして捉えているのですが、薩摩琵琶と樂琵琶の両方を弾く事は、己の存在の奥底へと眼を向けるミクロの視点と、古の空へと心が飛翔する時間を超えたマクロの視点、この二つの時空が同居しているようなものなのだと、今では思っています。
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京都 清流亭にて2010年
人はずっと時間を超えて行く事を求めているからこそ、そんな呪力を持つ音楽や芸術を有史以来求めてきたのかもしれません。仏教などではこの世は「虚仮」などといいますが、この先テクノロジーが進んだ先には時間の概念も大きく変わり、誰でもが自由に時間旅行が出来るようになるのかもしれません。宮本武蔵も「観の目強く」と言っています。
視覚情報に頼り過ぎ、見えないものを見たり感じる力を失ってしまった現代人には、人間の本来持っている時間の半分しか感じ取れていないのかもしれませんね。

七夕の頃

世の中はますます騒然としていますね。オリンピックを控え、コロナパンデミックは相変わらず収束の気配はないですし、どう考えてもここ何年かの気象は変です。私はこれらの事が、単なる事故や気象変動とは思えないのです。コロナも、無理な開発も、温暖化による気象も皆、現代人の心が招いたことのように感じてなりません。

良寛の故郷 出雲崎

日本は元々自然と共に生きてきた国です。別の言い方をすると、自然と折り合いを付けて行かない限り日本人は生きて行けなかったとも言えます。地震は多いし活火山もある。豪雪地帯もある。雪も降らず、穏やかな気候の所など、そう多くはないのです。静岡、和歌山、宮崎が天領地だったのは、その数少ない、穏やかな風土だったからではないでしょうか。

日本の風土は日本人の感性を育てました。しとしとと降る雨は詩情を掻き立て、吹き来る風にこれから来るだろう未来を予感し、山や海は異界を感じさせ、恵みをもたらしてくれました。こんな自然の情景の下で文化を育み、日本の感性を熟成させてきたのが日本です。そしてこの豊かな自然環境は、ただ美しいだけでなく、時に脅威であり、人の力が及ばないものとして感じていたからこそ、そこに感謝も畏怖も感じて来たのではないでしょうか。しかし今、現代日本人はその心を忘れてしまった。
国が成り立つ一番の根幹は、その国独自の感性や文化の継承です。その上に、それぞれの国独自の経済や政治が乗って国家が出来上がっているのです。日本も、この風土が育んだ心を失ったら、当然自然は牙をむき、政治も混乱し、国内は荒れ、対外政策でも失敗するでしょう。
つまり、これまで日本が創造してきた豊かな文化から目を背けた結果が、今の日本の現状だと私は思っています。心を失った知識や技術は悲劇しか生まない。日本はその最悪例である原爆を体験したにも関わらず、顧みることをしなかった。

文明はもう、ある頂点を越してしまったのかもしれません。私はSNSもやっていないし、TVも持っていないし世の流行の外側に居るのかもしれませんが、そんな外側から社会を見ると、「電車の中でも食事中でもスマホから手が離れず、SNSのお友達の小さな輪の中に視野と思考が囚われ、寒い時には暖まりたいたい、暑い時には涼しい部屋に居たい、出かけなくても世界中の美味しいものが食べたい、どこへでも旅行に行けて、いつでも映画が観れて、歌って踊れる楽しい音楽が聴けて、面白い事が何かないかと毎日探しまわっている」。そんな現代人の姿が見えて来ます。それらは全て与えられたエンタテイメントです。人は誘導され、目の前の欲望の充実に振り回されているに過ぎないのではないでしょうか。私にはそんな風に現代人の姿が見えるです。
日本は戦後の高度成長、80年代のバブルと一貫して経済を中心に追いかけ、その右肩上がりの発展を美徳だ成功だと讃え、常に新技術を作り出し、それに携わる知識人という人々を賞賛し、ビジネス化して沢山儲けた人を成功者と讃え、皆がその成功に憧れを持って、そう成れるようにと突っ走ってきました。しかしそんな世の中を作ってきた知識人やエリートが頑張れば頑張る程、社会は風土から離れ、世界の中で格差は広がり、紛争が起き、環境を破壊し温暖化が進み、どんどんと連鎖し行く。この方法がまともだとは、私はとても思えない。
SDGsなどが叫ばれていますが、その陰でどんな悲劇が起きているのか。皆さんは知っているでしょう。化石燃料よりも太陽光が素晴らしいといって作られたメガソーラーが、どれだけ環境を破壊しているかも知っているでしょう。欲望はどんどんと増長し、その欲望を満たすために、際限なく突き進んでいるのが現代人です。もしかすると既に何かしらの粛清や淘汰が始まっている。そんな風に思う事もあります。
今世に起こっている問題は、そうしたメガソーラーやレアアース云々ではありません。「欲望」を基本に、それを人間の生きる根底に置いて、「欲望」の充実を目指し、それを発展として、美徳としている人間の「心」にこそあるのではないでしょうか。
この欲望の連鎖を断ち切らない限り、ウイルスパンデミックも災害も次々に起こり続けると私は考えています。どこかに富が集中するという事は、どこかに奴隷のような人が居て、壮絶な搾取があるという事です。その現実を、もう皆がネットを通じて判っていながら、自らの目の前の欲望にだけ目を向ける。

織姫と彦星の時代からずっと、人間は快楽を求め、そこに溺れ、今まで続いているのです。天の川伝説は、二人が快楽に走り仕事をしなくなった、その戒めとして年に一度だけの逢瀬を許すというものです。今の人類は、その戒めを忘れ、欲望をたぎらせ、自分が生活させてもらっている大地を、自らの手で破壊しまくっている。そしてその結果としてのパンデミックや災害に次々と襲われている。
技術や知恵で何とかするのではもう遅い。その根本にある心を変えない限り、どうにもならない所まで来てしまったのかもしれません。

今から原始時代に戻る訳には行きませんし、現実的ではないですが、人類はどうやって欲望と自然との折り合いをつけ行くのでしょう。
私自身ネット技術のお陰で、仕事が出来、作品も海外の方に聴いて頂いています。もう簡単には後戻りはできないでしょう。しかし今この状態から、今後を持続させて行く為に、先ずは自分から、生活の方向性を考え直すしかもう道はないように思います。
現代はすべてがエンタテイメント。つまり欲望の充実です。そんな思考、哲学、仕組み等々、今迄の人類が良しとしてきた「心」そのものを変える事が人類には出来るのでしょうか。

今日は東京に激しい嵐が来ました。雹も振り、かなりの激しさでしたが、その様を部屋の中から見ていて、今未来へ向けての起点に立っているのだと実感しました。

道程

ちょっとご無沙汰してしまいました。雨が続いていますね。被害も出始めたようなので注意が必要ですが、雨好人としては雨音に包まれていると、心が落ち着きます。

中島能舞台
今回の会場となった中島能舞台
先日は戯曲公演「良寛」を無事終えることが出来ました。今回はこの演目初の能楽堂公演という事で、津村禮次郎先生にとっても本領発揮できる素晴らしい場所でしたので、内容はとても充実していました。しかし空調の音が大きく、琵琶にとっては少々残念でしたね。小中規模の会場では避けては通れないのですが、何とか対策をしたいです。是非再演の際にはお越しください。
有難いことに秋には地方公演など色々と入っていて、結構忙しくなりそうなのです。夏迄は大きな公演はあまりありませんが、先に色々と予定があるというのは希望が持てますね。今後の活動がこれ迄と同じような形になるとは思いませんが、世の中の動きと共に充実した活動を今後ともやって行きたいと思っています。
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琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

今はとにかく作曲が一番の課題です。昨年から薩摩琵琶でのオリエンタルイメージというテーマで、あれこれやっていたのですが、昨年作曲したデュオ曲「君の瞳」に続き、やっと独奏曲も出来上がりました。良いレパートリーになって行くと思います。他にヴァイオリンとのデュオの現代作品もずっと考えているのですが、こちらは譜面を書いては書き直し、の繰り返しで、まだその姿が見えそうで、見えて来ません。じっくりと取り組んで行こうと思います。

私は琵琶樂に於いて、今またアジア全域に視線が向いています。樂琵琶を手にした時から、もうアジア~シルクロードへの眼差しを持って作曲・演奏をしているのですが、これまでは、その視線が樂琵琶を弾く時だけだったのが、最近は薩摩琵琶を弾いても、ペルシャから中央アジア、そして東アジアという道程と歴史を強く感じるのです。
以前より、初期の作品で独奏曲の「風の宴」等は、都節音階で出来ているにもかかわらず、「オリエンタルですね」とよく声をかけられましたが、琵琶という楽器の持つ、全アジアに渡る道程が、響きの中にあるのでしょうね。
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日本橋富沢町楽琵会にて
Vnの田澤明子先生、Fl・龍笛の久保順さん、笙のジョウシュウ・ジポーリン君と
薩摩琵琶というと、武士道という刷り込みが明治以降ずっとあります。私も「まろばし」という初期の作品を作った30代の時には、大いにそのイメージを持っていました。しかしこれまでやって来て思うのは、武士道とか型など、形や言葉では表わせない、もっと奥にある、日本の風土が育てて来たもの。そんなものを琵琶の音の中に感じています。どういう言葉で言い表したらよいか考えあぐねているのですが、今は「まろばし」を演奏しても、30代の頃とは随分と心構えが変わってきました。願わくは、私の楽曲と演奏から、日本の風土が育てた感性と共に、遠く中央アジアを経てやってきた琵琶の道程も立ち現れて欲しいものです。
また自分でシルクロードの国々へ行って、現地の音楽家と交流してみて、琵琶属の楽器が今でも旺盛に奏でられている現実を、この目で見てから、特に琵琶はアジア全体を表す楽器だと確信を持っています。その琵琶が各地で独自の発展をして各国の音楽・文化を創っている歴史に目を向けない訳にはまいりません。

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津村禮次郎先生と 日本橋富沢町楽琵会にて
日本の琵琶樂が今後、次世代に受け継がれて行く為には、多様な形や感性を受け止めることが出来るかどうかだと思います。流派が出来てまだ100年という、琵琶樂全体から見たら一番若いジャンルである薩摩や筑前の琵琶では、表面の形や体裁を整えるよりも、次世代へどう受け渡して行くかの方が優先課題でしょう。
ギターでもピアノでも様々なスタイルやジャンルがあるように、琵琶でも様々なスタイルが旺盛に出てくるのが望ましいです。中央アジアの国々では、様々なスタイルの音楽が溢れていました。薩摩琵琶は弾き語りでなくてはならないなんて事はないし、流派の形以外はだめだ、亜流だなんていう村根性でいたら、今後琵琶から音楽は生まれて来ません。すぐお仲間で固まり、村を作って思考停止しまうのは日本人の一番悪しき習慣です。
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京都 清流亭にて 龍笛の大浦典子さんと

琵琶という楽器が、各国で姿を変え、奏でる音楽も変え、国を超え、民族を超え、時代を超えて何千年とこの世に存在してきたのは凄い事ではないでしょうか。それはその時々の感性や志向に対応してきたからです。どんな国や時代に於いても、琵琶の音はその多様さを受け止め、音楽を奏でて来ました。
それが日本に入って来て、日本でまた独自の姿となって、独自の音楽を創り上げてきたその道程に、私はいつも感動するのです。

この道程を、次世代に繋げたいですね。

古典のススメⅡ

梅雨に入りましたね。毎度書いていますが、雨の一日というのは気持ちが落ち着いて良いです。ゆっくり本でも読みながら過ごしたいですね。

来週の土曜日は、戯曲公演「良寛」の舞台がありますので、この所その稽古を詰めております。この公演はヴァージョンを変えながら、もう8年程やっていますが、どんどんと洗練を極めています。最初はいわゆる演劇として、ホールで上演していたのですが、再演を重ねて行く中で、和久内明先生の脚本も、余計なものがそぎ落とされ、良い感じになってまいりました。特に今回は会場が、小規模ながら能楽堂という事もあり、演出も内容も現代能という感じに仕上がっています。良寛役の津村禮次郎先生も、本来のシテの姿のように、存分に自由に演じているようです。26日新宿中島能楽堂にて上演です。是非お越しください。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久

私のブログで、Ⅱ・Ⅲとシリーズになっているものは、反応の多かった記事です。今回のタイトルの「古典のススメ」もとても反響がありましたので、もう少し書いてみようと思います。

現代日本人はとにかく古典とは無縁とばかりに暮らしています。世界一歴史の長い国に生まれ育っていながら、自国の文化に目を向けませんね。どんな考え方があってもよいし、生き方があっても良いと思いますが、明治以降の国の教育政策は、今こそ見直して行くべき時だと思うのは私だけでしょうか。足元にこんなに豊穣な歴史と英知があるのに、それを見逃すのはもったいないと思うのですが・・。残念でなりませんね。
四谷区民ホール 新宿区主催「漱石と八雲」能楽師の安田登先生、笙奏者のカニササレアヤコさんと
いつも書いている通り、薩摩琵琶は明治の一番最後に流派が出来た音楽で、まだその歴史は100年程度。日本の音楽の中では新しく、これから古典になって行くかどうかという所に位置するものです。同時に戦時中に興隆した音楽でもあります。それ故戦争を題材にした曲が多く、当時の記憶を持って琵琶を演奏する人も少なくありません。ちょっと前には「あの戦争は間違っていなかった」などと大声で主張するような年配の琵琶人も居ました。体験した本人としては、生々しい記憶だと思いますが、当時の個人的な感情の共有は、次世代にはあり得ないのです。個人の体験をベースにして、小さな村社会の中での体験を語っている内は、仲間内の慰めにしかなりません。時代を超えて、人間としての想いという所までそぎ落とされ、洗練され行かなければ、後の世に伝わりません。薩摩琵琶はどうなって行くのでしょうね。

世阿弥は人間の心を三階層に分けて説明していますが、一番上にある心は、その対象をその時々でころころと変えます。好きになる相手も、しばらくすると嫌いになったり、興味が失せたりして、どんどんと移ろって行きます。つまり「心変わり」というものです。しかし好きになる対象はいくら変わっても、「好きになる」という精神作用=想いは誰でも持っているもので、太古の昔より不変です。この「想い」こそが第二段階の所にあるものです。個人的な感情ではなく、皆が持っている「恋」、「愛」や「悲しみ」等の普遍的な精神作用は、時代が変わっても共有理解が出来ます。ラブストーリーが時代を超え海を越え味わえるのはその為です。そしてその設定も、自分とかけ離れた外国の上流階級や神様の物語であっても十分に共感できます。そこに「恋愛」や「悲しみ」という共通の普遍性がある事が大事であって、自分と等身大のものでなくてはならないという事はありません。
薩摩琵琶には国を超えても分かち合える不変の「想い」は溢れているでしょうか。それともあの時代を生きた日本人にしか判らない一時の音楽なだけなのでしょうか。

京都 清流亭にて 能管:阿部慶子さんと

この「想い」の所に感性がある訳ですが、風土によって、歴史によって、感性は随分と変わって行きます。それぞれの地域で、風土の中で育まれて行くのが感性。この風土の中に滔々と流れゆく想い、それを共有することで、日本独特の感性が出来上がって行ったことと思います。中国では、散り行く桜は好かれないそうです。日本では散り行く桜こそ、様々な想いが湧き上がり、日本人としてのアイデンティティーを感じさせてくれ、皆が桜吹雪を特別なものとして愛でます。この差が出来上がるには、そこにその土地の持っている特有の歴史や、風土が大きく関わっています。
常に軍事的な拠点として歴史上侵略を受けて来た地域には、その地域でしか生まれ得ない感性があるのでしょう。海に囲まれている日本とは、また違った感性が生まれる事でしょう。また四季のはっきりとした日本と、常夏の国では、違う感性が出来上がるのも当然です。日本は古墳時代から考えても2千年近い歴史があり、ずっとそれが続いています。そういう国はこの地球では珍しいのだと思います。他国を見ると、同じ土地でも数百年単位で民族が入れ替わって、支配体制も変わって、戦争が常に続く地域が結構多いです。それぞれの土地・風土によって歴史も異なり、表層の心が積み重なって、第二段階の「想い」も、その地特有の形になって行くのでしょう。

各地域に於いて、その感性は古典の中に描かれている事と思います。日本では世界に先駆けて物語という形式の文学が誕生したこともあって、古典の世界は正に豊穣。そこからさまざまな形を
生み、芸能や社会構造を生み、現代日本人に受け継がれて行きました。勿論時の流れの中で、そぎ落とされて行ったものも多いでしょう。時間を経て、核になるものだけが受け継がれ、古典となって行くのです。古典に親しむ事は、日本的感性の理解につながり、そしてそれは日本ならではの、次世代に合わせた手法を見つけ出す事につながり、この困難な時代を生き抜いて行く指針を得る事にもなって行きます。自らの足元の土台を知らずして、次の一手は見出せません。
滋賀 常慶寺にて親鸞聖人750回御遠忌法要にて 龍笛:大浦典子さんと

平家物語や源氏物語は、貴族のお話ですので、自分には関係ないという人も居るでしょう。しかしそういう視点しか持っていなかったら、シェイクスピアも、ギリシャ悲劇も、世界中の古典は意味がなくなり、バッハなどの教会音楽ですら日本人の俺達には関係ないという事になってしまいます。そんな現代人特有の近視眼的な視野で見ている内は、何も見えて来ません。
古典は別の言い方をすれば、長い時間を経て出来上がった型のようなもの。いったん個人の頭の中のことを置いておいて、型の中にただ自らの身を入れてみると、自分の小さな頭では思いつかないような次元に飛んでゆくことが出来ます。能役者の方は皆さんこんなことを言いますね。
何か表現しよう。俺の個性を出したい、なんて事を考えている内は、自分の頭の中しか見えて来ません。これは個人的体験のメソッドで舞台に立っているようなもの。個人の体験だけを土台にしていると、そのキャパ以外のものは出て来ません。もっと大いなるものに身をゆだねることで、自分という小さな枠を超え、時間を超え、性別をもこえ、いわば能でいう翁のような瞬間が訪れます。
舞台を観てい観客からしても、舞台上の役者から個人的な感情を一方的にぶつけられても、それには共感は出来ません。悲しさでも愛しさでも、舞台上から個人の表層の感情を超え、普遍的な「想い」に昇華されたものが見えるからこそ共感も感動も出来るのです。現代人は自分で得た知識に振り回され、自分が得た知識や経験以外の別な所に大きな世界が存在する事が、理解できないのです。
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日本橋富沢町楽琵会にて 能楽師:津村禮次郎先生、Vn:田澤明子先生 尺八:吉岡龍見先生と
古典なんて知らなくたって琵琶も弾けるし、ギターを弾くにも支障はないという人も居るでしょう。それはそれでよいと思います。私は習いに来る人に古典を勧めますが強制はしません。しかしそういう人が「いいな」と感じるその心の源泉はどこにあるのか。何を持って「いいな」と感じるのか、突き詰めていけば、この日本の風土に生まれ育ち、代々に受け継がれた命の縁によって今ここにあるあなたという存在に行き着くのではないでしょうか。
日本の文化は万葉集・古事記、源氏物語、平家物語、方丈記等の古典を題材典拠として形作られてきました。その古典には、ありとあらゆる日本人の心の拠り所が描かれているのです。世界一の長い歴史と文化を持つ日本のその豊かな世界を今こそ味わってほしいですね。是非次世代の若者には、この豊穣な日本の文化をたっぷりと味わって、楽しんで、新たな時代の音楽を創って頂きたい。どういうものを作るにしても、その想いの源泉はこの風土と歴史にあるという事からは逃れられません。そしてその認識がある人とない人では、出てくるものの器が全く違ってくるのは当たり前です。

売れる売れない、有名無名、稼ぎ、肩書などという、ちまちまとした個人的近視眼的な所で音楽・芸術を捉える輩はいつの時代にも居ます。近世江戸時代から始まるエンタテイメントとしての芸能は、これからも続いて行くでしょう。でも志ある人なら、宮城道雄や永田錦心のように、新たな時代を切り開くような音楽を創り、次の世代に遺して行って欲しい。それが次世代の日本の文化、世界の文化となって行く事と思います。世の中がグローバルに広がる時代にあっては、これからの音楽家は、その視点や視野、そして器こそが問われているように私は思っています。
北鎌倉其中窯演奏会にて photo 川瀬美香

その内ギターなどの洋楽器で、最先端の日本音楽を創る人が出てくるかもしれませんね。
古典は掘っても掘っても尽きることがありません。想像力も創造力も刺激され、毎回新たな魅力が湧いてきて、楽しいこと請け合いです!!。是非。

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