青春時代

鶴山旭祥さんと


琵琶樂人倶楽部17周年記念回は無事終える事が出来ました。私のやっているのはショウビジネスとは随分とかけ離れた地味な活動そして音楽ではあるのですが、今回は懐かしい友人も駆けつけてくれて、本当に良い会となりました。毎年秋のこの弾き語りの聴き比べの会は、年に一度フルで弾き語りをやる唯一ともいえる機会です。今回は経正をやったのですが、気持ち良く声が出ました。
こうしてずっと長い事続けて来られたのは、周りから生かされて来た証だと思っています。琵琶樂人倶楽部も私個人も、これから一年また淡々とやってまいりたいと思います。早、来年一年間のスケジュールも決まり、楽しみはどんどん続いているという訳です。今後共宜しくお願い申し上げます。

「ひらく古典のトビラ」本番舞台
前回も書きましたが、先日まつもと市民芸術館であった「ひらく古典のトビラ」も素晴らしい舞台になりました。また公演前日の食事会での芸術談義がとても豊かなひと時でした。その時、80代になる加賀美幸子さんが「60代は青春よ」という事をおっしゃっていて、とても納得し、印象に残りました。

考えてみれば60代は身体もまだ丈夫だし、これまでやって来た経験を基に充実した活動も展開できる。自分に合うものと合わないものもはっきりしてくるし、自分と違う感性が世の中には沢山あるという事も知る。情報も経験もそこから導き出される知性も、そして肉体も一番充実しているのが60代かもしれません。私は琵琶で活動し出したのが30代半ばでして、1stアルバムのリリースも40歳になってからです。少々世の皆さまより遅めだったことを考えると、私の青春時代はもっと70代になっても続いているかもしれないなと秘かに思っている位です。それまで身体に気を付けないといけませんな。

私はとにかく曲を創る事が自分の音楽活動の基本中の基本で、その上に演奏する事が乗っているのですが、ここ5年位で作曲の部分では充実したものを感じていて、また様々にやらせて頂いた仕事を経て、やっと自分らしい活動になってきたように感じています。40代はやみくもにやっている感じで、力技的な部分が多々ありましたが、40代も過ぎる頃には、自分に何が出来て何が出来ないかが見えて来ましたし、似合うもの似合わないものも判ってきました。まあ何事も理解するのが人より10年も20年も遅いのですが、それが私という人間なんでしょう。何度も失敗を重ねないと辿り着けない不器用極まりない人生ですが、その分時間をかけて自分のやる事をしっかりと見極めて嚙みしめてやるのが今生での私に与えられた使命なのでしょうね。

琵琶での活動の最初に創った曲もしつこく今でもやっていますが、演奏技術や経験が伴ってきたことで、なかなか良い形になって来ているように思います。

一昨年静岡の藤枝市にある熊谷寺にて、「まろばし」を演奏したのですが、それはとても充実したものでした。「まろばし」は私が琵琶で活動を始めた一番最初に作曲した曲で、今でもレパートリーとして必ず演奏している曲です。それもこの演奏会では、初演した時と同じ大浦典子さんと組んでの演奏でした。彼女自身も長い時間を経て、大いに充実して来ていて、演奏していて何か曲が成長したなという実感がありました。またこうして長い時間を一緒に演奏して来れた事にも感謝を感じました。

時間をかけるというものは良いものです。さらに言えば時間がどんどんと先へと続くのもまた面白いものです。ストックホルム大学やロンドンシティー大学での演奏会に行ったのももう21年前、シルクロードの国々にコンサートツアーに行ったのも15年前。物理的時間としては長いですが、どうも私は世に流れる時間の概念の中には生きていないのかもしれません。まあこれらの経験を経て今があると思うと、ワクワクして生きて来れたなと思います。

琵琶樂人倶楽部開催200回記念回にて 尺八の藤田晄聖君と

人間は今現在を把握することがなかなか難しい。後から振り返ってやっと見えて来るのが一般的な感覚でしょう。だからこそ人生の先輩の意見は是非聴くべきですね。私は琵琶を始めてから色んな先輩に話を聞いて、60歳を一つの大きなポイントとしようとずっと思って来ました。作品群も演奏活動も60歳をめどに一つの完成を感じられるようにしたいと常々考えていましたが、まあまあ納得の行く作品も少し出来上がって来て、地味ながらも活動も少しづつ展開して来て、目標には届かずとも近づいてきたかも

と感じています。これからも自分のペースで青春時代を謳歌したいですね。

祝~其の弐  琵琶樂人倶楽部17周年記念 と「ひらく古典のトビラ」

先週末はまつもと市民芸術館にて「古典を開く扉」という公演をやって来ました。

2024-11松本市民芸術館m

今回の舞台は、木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一さんの企画で、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さん、舞台俳優の成河さんと私とで、竹取物語から平家物語迄、様々な古典を抜粋して、おしゃべりを交えながら古典の魅力を紹介して行くという企画でした。さすがに木ノ下さんの采配は今回も冴えていて、とても良い感じで公演出来ました。こういうエンタテイメントはとても気持ち良く、やっていて嬉しいですね。

公演前日のリハーサルの後は木ノ下さん、加賀美さん、成河さんと食事会に行ったのですが、皆さんから「表現する事」についてお話も聴かせて頂き、大変貴重な時間を過ごさせてもらいました。自分の表現・作品を披露するのではなく、音楽作品や文学作品の世界そのものがリスナーに満ちて行き、リスナーの創造性を刺激し大きく広がり共感して行く、そんな演じ手でありたいという部分で意見が一致して、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。皆さん一流の舞台人だけあって経験も豊富なので、聴いているだけでも良い勉強をさせてもらいました。
木ノ下さんとはまだ5年程のお付き合いですが、東京・新潟・熊本そして松本と御一緒させてもらいました。彼の古典についての知識と考察はもう皆さんが知っているように本当にすごいものがあります。毎度、私にとっては勉強という感じでやらせてもらってますが、今回は正にベストメンバーを選んでくれて、企画内容も素晴らしいものでした。以前、木ノ下歌舞伎の公演「摂州合邦辻」を観て涙が止まらなくなる程に感動をした事がありましたが、本当に古典の深い所迄光を当てる事の出来る木ノ下さんならでは企画だったと思います。良い仕事をさせて頂きました。またやりたいですね。

そして先月の200回記念に続き、今月は琵琶樂人倶楽部の17周年記念となります。もう17年もやっているんだと思うと何だか信じられない感じですが、とにかくストレスも何もないので、毎月が楽しみという感じでやって来ました。
私は色々考えてSNSをやっていないし、毎月琵琶樂人倶楽部のお知らせブログに情報を書いて、こちらのブログでたまに宣伝する程度の事しかしていません。つまり集客という事をほとんどしていないのです。会場がキャパの小さな所という事もありますが、こんなやり方でも毎回それなりにお客様が来てくれるのは本当に有難い事です。ここで毎月やっている事で、音楽家は勿論の事、芸術を愛好する多くの方と繋がり、それが様々な所に派生して新たな発想にもつながるし、ひいては仕事にも繋がって行くような流れになっていると感じます。この倶楽部は音楽・芸術好きな人が集まるアートサロンという位置付けで、毎月私が様々な企画をして、毎回のテーマに興味のある人が自由に集まる事が出来る、そんな場を毎月私が細々とのんびり提供しているという訳です。1回1回はまあ赤字のようなものですが、今回で17年、201回目、これ迄やって来て音楽的にも、仕事の面でもとても大きなプラスになっています。

今月は、薩摩琵琶と筑前琵琶の聴き比べ。ゲストは筑前琵琶の現代の代表格 鶴山旭祥さんです。

鶴山さんは、まだ私が駆け出しの頃からお付き合いを頂いている先輩で、色々とお世話になっています。竹を割ったようなスキっとしたきっぷの良い個性で、いつも周りを楽しませてくれる素敵な方で、演奏も実に丁寧に、且つ思いきりよく、上品で、私に無いものをたくさん持っていらっしゃる方なのです。こういう先輩と毎年のように共演できるのは本当に嬉しいですね。

先月は200回記念という事で、拙作の器楽アンサンブル曲をやらせていただきましたが、今回は同じ記念会でもぐっと趣を変えまして、薩摩筑前の伝統スタイル、弾き語りによる聴き比べとしました。先ず双方のスタイルによる「祇園精舎」を聴いて頂いて、その後鶴山さんが「名鎗日本號(黒田武士)」。私は「経正」を演奏します。

私はいつも書いているように、弾き語りでフルサイズの演奏をするのは、この琵琶樂人倶楽部の聴き比べの時くらいで、外の演奏会では弾き語りはもうめったな事ではやりません。ただ新たなスタイルの琵琶樂という事で、声もぜひ使ってみようとは思っています。9月の人形町楽琵会で、日舞・能管・琵琶語りでやった「秋月賦」がなかなか面白く出来た事もありますし、来年からは琵琶唄の新しい形も少し考えてみようと思っています。私が歌うかどうかは別として、器楽的な部分もたっぷり聴かせ、歌も聴かせる、ジミヘンの「Red House」やアラン・ホールズワースの「Road Games」みたいな感じで、琵琶にも新たなスタイルの歌曲が出来たらいいなと思っています。

先日、お世話になっている東洋大の原田香織先生(能楽研究)と久しぶりに逢いまして、先生が作詞して私が曲を付けた「四季を寿ぐ歌」の再演及び録音も検討しようという気分になりました。カルテット編成なのでリハーサル一つとってもスケジュールがなかなか合わず実現が難しいのですが、今創っているアルバムで器楽面は一つの区切りがつくと思いますので、来年は少し歌に関しても何かしらのアプローチをやって行こうと思っています。

原田先生はインターネットラジオ「ゆめのたね」にて「室町のコバコ」という番組を持っています。能楽関係の番組で、能楽師の津村禮次郎先生なども出演されています。私は能楽師ではありませんが、今月収録があって、年明けに放送予定です。



薩摩・筑前の近代に誕生した琵琶樂が、軍国時代の音楽のままで終わって欲しくないのです。古代から続く日本の琵琶樂の中で、一番新しい琵琶樂がこのまま一時代の流行ものとして朽ちて行くのは、あまりにも残念でなりません。器楽曲の発展もさることながら、歌に関しても、まだまだ大きな可能性があると思っていますので、もっと自由に多様なスタイルが今後生まれてきて欲しい。いつまで経っても大声を出してコブシ回して満足しているような父権的パワー主義の感性のままでいたら、もう後がありません。また耳なし芳一のような、さすらいの琵琶法師を気取って、そのイメージを売りにしているのはただのタレント活動でしかない。どちらにしても、そんなようでは音楽としての深まりも発展も望めないと私は考えています。

かつて岡本太郎は「上手に綺麗に絵を描こうなんていうのは卑しい事だ」と言っていましたが、今、琵琶樂も邦楽全体も上手にやろう、立派になりたいという所に囚われ過ぎて、創造するという音楽の基本を忘れているのではないでしょうか。明治以降、永田錦心や水藤錦穰、鶴田錦史といった先達が旺盛に発揮していた創造性を我々もどんどん発揮していかないと、次世代の琵琶樂が本当に滅んでしまいます。三味線は江戸時代に誕生してからどんどん新しいジャンルが生まれてきて、現代でも津軽三味線が発展しました。これだけ時代が激変しているのに、琵琶樂がいつまで経っても一時代に固執して時代と共に変わろうとしないのは、私には歯がゆくてしょうがないのです。

時代を超えて、次の時代をリードして行くような琵琶樂をどんどん創って行きたいですね。

第201回琵琶樂人倶楽部「薩摩琵琶・筑前琵琶聴き比べ」 11月13日(水)
場所:ヴィオロン(JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分)
時間:19時00分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(薩摩琵琶) ゲスト 鶴山旭祥(筑前琵琶)
演目:祇園精舎 経正 名鎗日本號(黒田武士)
お問い合わせ 琵琶樂人倶楽部 biwasou@ymail.com

名演奏あって名曲なし

先日の第200回琵琶樂人倶楽部は盛況のうちに終えることが出来ました。豆粒のように小さな会ではありますが、これ迄17年間毎月毎月好きなようにのんびりとやらせてもらって、本当に有難い限りです。御来場の皆様ありがとうございました。来年も是非よろしくお願いいたします。

私は基本的に音楽は作曲家のものではなく演奏家のもの、という意識で何時も作曲し、演奏しています。どんな現場でも私が作曲した曲を演奏しているのですが、一緒に演奏する仲間には「あなたがやるからにはあなたの作品にしてください」といつも言っています。ジャズの好きな人なら、タイトルの「名演奏あって名曲無し」という言葉がおなじみかもしれませんが、これは私の音楽そして演奏に対する基本姿勢です。
そんな訳で私の曲は演奏家が自由に解釈できるように作ってあり、アドリブパートのある曲も沢山あります。私の一番最初の作品で一番の代表作「まろばし」は正にこの概念で出来ていて、相方によってまるで生きもののように違う音楽になります。でも「まろばし」には変わらない。共演者には、ただ譜面を読むのではなく、どんな世界を描きたいのか、その根底にはどんな世界観やどんな哲学を持っているのか、そういう事を問います。尚且つ相手の呼吸を感じながら演奏しないとどうにも演奏出来ないように巧妙に曲が創られています。その人が表現したい世界の実現の為の場を作るのが私の仕事。ちょっとプロデューサー的な感覚とも言えるかもしれませんが、私が一番影響を受けた音楽家マイルス・デイビスの音楽を聴いて辿り着いたスタイルです。とにかく共演者には、どんなタッチどんな音色で音楽を創って行くか、じっくりと考えてもらいます。リハーサルでも音を出す事よりも話をしている方が断然長いですね。そうしてその人自身の「まろばし」を創り上げてもらうようにしています。


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今回出演してくれた、Msの保多由子先生、Vnの田澤明子先生、尺八の藤田晄聖君は、3人共とにかく色々考えて、一緒に音楽を創っていってくれる頼もしい仲間達です。きっちりと上手にやる事よりも、場に応じて毎回変化して行く現場に柔軟に対峙して、正に一期一会の音楽を奏でてくれるのです。作曲したのは私ですが、私の小さな器をはるかに超えた世界を描き出してくれました。本当に感謝してます。
このアルバムジャケットはジャズ史上の中でも屈指の名盤「Somethin’ Else」というレコードのもので、曲はその冒頭に入っている「枯葉」です。皆さんご存じだと思いますが、これはジョセフ・コズマ作曲のシャンソンの名曲です。しかしこの演奏はもうシャンソンの曲だとか誰の作曲という事でなく、マイルスのTpでないと成立しない、そしてこのメンバーでないとありえない「音楽」に成っています。私はこういうのを中学生の頃から聞いていたせいか、音楽はライブでリアルに音を出して初めて命が吹き込まれると思っているので、音楽は作曲家のものでなく、演奏家のものであり、誰が演奏するのかが重要なのだ、という事を頭に於いてずっとやって来ました。
クラシックのように決められた譜面での演奏でも、そこには様々な解釈があり音色があり、演奏家それぞれの音楽が在ると思いますが、私はもっと譜面を超えて演奏家が自由に羽ばたいて行ける音楽を目指しています。だからあえて譜面には指定を少なくして、どうすればよいか演奏家に考えて頂くようにしているのです。作曲者が何を意図しているのか読み解くのではなく、演奏者がこの譜面から何を発想しどんな世界を創り上げるか、そこを期待しているのです。演奏者側に表現するだけの想いや哲学、知識、経験、そしてお互いに対するリスペクトと共感がないと、何も出て来ませんので、演奏家にとってはある意味、酷な譜面かもしれません。

photo 新藤義久


私はあくまで「創る人」でありたいのです。私も若き日には、ギターでスタジオの仕事や歌謡曲の歌手のバックバンドなどのお仕事も少しやってみましたが、私の表現も創造性も出しようがありませんでした。多少の工夫などはあるにしても、技術の切り売りで稼いで行くような仕事は私には出来ないですね。それに売ることが最優先で、売る為に「売れる音楽」を創るというのも、私にはあり得ません。私はあくまで自分が考えて創り出した音楽を演奏しリリースして行きたい。
何だかショウビジネスを見ていると、目先の楽しさや利益にしか目が行かず、そこに囚われて流されて大事な所を見失ってしまっているようで、正にそこが今の日本(世界)の衰退の根本原因のような気もします。
私はそういうショウビジネスの世界に居たくはなかったので、琵琶に転向したのです。しかしまあどこに行っても、売れる事や、立派な御身分の方が大事な先生方々が溢れていて、そこに魅力ある音楽はあまりありませんでした。結局自分でやるしかないという所に辿り着いたという訳です。

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SOON KIM(A Sax) 牧瀬茜(ダンス) ヒグマ春夫(映像)各氏とキッドアイラックアートホールにて

これからも演奏家がその魅力を最大限に発揮できる曲を創りたいですね。先ずは来週のレコーディングに集中します。
もっともっと柔軟に自由に音楽と関わりたいですね。

共に歩む

やっと秋の風を感じるようになりましたね。この秋は、琵琶樂人倶楽部が来月で開催200回目を迎え、11月には17周年も迎え、10枚目となるアルバムのレコーディングもあり、何かと私にとっては節目の秋になっています。この秋をターニングポイントとして、更に新たな展開をして行きたいですね。まあこれからが楽しみという訳です。

六本木ストライプハウスにて  photo 新藤義久


私が時々説教を聴いている大阪ルーテル教会の大柴牧師が紹介していたアフリカの諺に、「速く行きたいのなら独りで歩きなさい、遠くまで行きたいのなら誰かと一緒に歩きなさい」というものがあります。私はこの言葉がとっても好きなのです。何かを創り出し、豊かな感性を育んで行くには、相方と一緒に歩まないと、見えるものも見えなくなってしまいます。ただ突っ走っているだけでは何も達成できません。私はともすると一人でやろうとしてしまうので、この言葉は私に多くの示唆を与えてくれました。そして共に歩む人が居てこそ実現することが多いという事を実感してきました。これまで様々な場面で多くの方と共に歩んで行けた事は、導かれた運命だと思っています。そしてそれは実に幸せな事だったなと、この年になってしみじみと感じ入りますね。

私は何事に於いても皆と一緒にやろうというタイプではありません。しかし良き仲間の存在があったからこそ、私はこれまでやって来れたと思っています。仲間と一緒に演奏している事で大きな気づきを得る事もあったし、新作を仕上げている時には、自分の頭の中だけでは見えなかった事が、一緒に演奏する仲間のお陰で具体化して新たな扉が開いて、作品がどんどん充実して行く瞬間を何度も味わいました。それは常に対等で、相手に対する信頼や尊敬を持っている事に加え、皆同じく自立した音楽家芸術家として接してきたからだと思います。お互いに自立した一音楽家だったからこそ、自分の歩む道も見据える事が出来たのだろうと思っています。

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日本では「皆でやろう」というのが美徳として考えられていますが、ともすると参加する事に満足してしまって、意思決定は結局監督や代表が決めて、皆はそれに従うのみという例が多いですね。これは音楽家でも同じなのですが、自分の音楽は何かという問いかけをせず、明確な意思や芸術性が無いままに、活動して飛び回っている自分に満足してしまう。これではただの駒に過ぎない。皆で意見も出し合い、議論を交わし、時には反対意見にも耳を傾けて、皆で創って行くような形が出てきて欲しいですね。同じ方向を向いて、何も反対意見を言わないで従う人だけが集まっている集団は、海外と対等に関わって行くこれからの時代にあっては、多様性には程遠いだろうし、もう時代には合わないと思います。個人の意見よりも集団のルールを優先させ個人に対してストレスをかけ続け「余計な事は言わない」「我慢する」最後には「忍耐は美徳」という常識を有作り出し、結果的に周りに忖度するような昭和の日本社会のようなあり方では何も生み出せません。日本人の村社会的「普通」は世界では通用しないのです。個人もどこかに所属して肩書などの自分が寄りかかるものを求めるような、ひ弱なメンタルを脱し、個人として自立するような生き方にシフトしないと、失われた30年が50年にも100年にもなりかねません。

私はとにかくお互いの自立が前提だと思っているので、知り合う仲間もそういう人と自然に繋がって行きます。そんな仲間達と一緒に活動する中で、何でも自分の力で何とかするのではなく、仲間の存在が如何に大きいかを実感してきたのです。良きパートナーと一緒に演奏すると、自分の作曲した作品が自分でも思ってもみなかったような生命力を持って輝き出すのです。そんな瞬間を何度も味わいました。誤解しないで欲しいのは、「仲間と歩む」という事は、決して自分の至らない所をカバーしてもらう事ではありません。無限の広がりを創り出す事なのです。そこを履き違えている人が多過ぎるように思います。

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これまでやって来れたのは良き仲間に恵まれ、共に歩んで来れたからとしか言いようがありません。活動をしていれば波騒は常の事ですし、時に自分の視野がつまらない方向に向いてしまう事もあります。特に新たな事をやるには新たな知識も技術も必要になるので、そちらに凝り出すことも多々あるのですが、理論や技芸に陥って音楽が自分を誇示するようなものになってしまったら、もうそこに創造性は求めようがないです。魯山人も「位階勲等から遠ざかるべき」と言っていますが、芸術家は自分の身一つだけで、何も持っていない方が良いのです。沢山勉強するのは結構ですが、余計な知識思考は余計な肩書と同じで、鎧のようなものです。私がいつも音楽に対しては純粋な姿勢を持って歩めたのも、同じ志を持った仲間と一緒に舞台をやって来れたから、自分の内側、外側のつまらない事に振り回される事無く、自分本来の姿でいられたのだと思っています。

相方に恵まれた事によって遠くまで歩いて来たこの道ですが、これからもも
っと先へと歩いて行く事になるでしょう。この旅に終わりを感じません。一人で走っていたら、どこかで自分を確認しようとしてつまらぬことをしていたでしょう。しかしそんなことに不安を持たなくても、嬉々として歩んで行けるのは良き仲間が居てくれるからです。

ウズベキスタン タシュケントのイルホム劇場にてアルチョム・キム氏率いるオムニバスアンサンブルと「まろばし」演奏中

お陰様で、10枚目のアルバムが年内にも出来上がり、年明けにはリリース出来そうです。これから私に出来る事は作品を創り遺す事ですね。幸い今は配信で世界中に届ける事が出来ますし、台湾ではもう何度も私の作品が現地の音楽家によって上演もされています。10年前に出した教則DVDの模範演奏として収録した独奏曲「風の宴」も、当時は難しいとか参考にならないとか言われましたが、今や若手が何人もこの曲を演奏するようになりました。もう少し経てば、私の創った独奏曲やデュオ・トリオの作品を土台にして新たな作品を創るやつが出て来るんじゃないかとも思っています。

パートナーの存在は発想を広げ、視野を広げ、結果的に遠く迄歩いて行く事につながります。お互いに自立し、明確な音楽性を持って自分で責任を負って生きてい居るからこそのパートナーです。良きパートナーシップを築きたいですね。


思考する音Ⅱ

秋の気配がしませんね。これじゃあ詩情も湧きませんな。
先日「思考する音」という記事を書いたらすぐに色々感想を頂きました。皆さん色々考えているんですね。頼もしい限りです。色々質問も受けましたので、少し長くなると思いますが、もう少し書き足したいと思います。

前回は感じるという事の根拠を探るという内容だったのですが、感じる事のその奥にあるものを見つめる事は、自分自身を見つめて行く事でもあり、豊かな感性を育んで行く大切な行為だと思っています。
人間にとって知恵や経験は諸刃の刃でもあります。しっかり認識しないとかえって目がくもる。特に情報に溢れた現代では根拠を探って思考することはとても大事な事ではないでしょうか。人間は知識でも経験でも自分で得たものは必ず使おうとします。そこから文明は発達するのだと思いますが、こと音楽に関して言えば、そういう知識や経験で音楽を創ろうとすると、ひけらかすだけの個人的な小さなものになりがちです。「俺は○○のパガニーニだ」みたいに自分で言い放っている連中を見ると本当に情けない想いしか感じません。特にまじめに一生懸命やっていれば必ず何とかなると思っているような人は、頑張っているという自分に満足してしまって、その上自分の得た知識や技に囚われやすい。

練習も大事だし古典を勉強して行く姿勢もとても大事なのですが、ただ言われた通りにやみくもに頑張っても表層意識でうろうろしているだけです。知識や小手先の技術からは音楽は生まれて来ません。音楽はその人の知識ではなく感性・知性から生まれてくるのであって、そこを忘れると自動演奏のピアノと同じになってしまいます。歴史や古い文化を勉強しても、そこにどんな文化や営みがあり、それを今自分はどのように受け継いでいるのか、そこを感得して至らなければ、ただの知識・雑学でしかありません。そしてそこから音色を紡ぎ出して初めて音楽に成るのです。評論家が音楽家になれないのは、生み出す創り出すという行為をしないからです。

石井先生の所に通い出した頃 今見るとおぞましい恰好をしていますな
そもそも20代半ばの頃、作曲家の石井先生が何故私に琵琶を勧めたかと言えば、先生から「あなたと話していると和歌とか古文とか普通に出て来るでしょ。私の人生の中でそういう話が普段の会話の中に自然に出てくる人はあなたただけだったから、何か日本の楽器やったらいいんじゃないの」と言われたことがきっかけです。それは裏を返すと「ギターではもう目が無いね」という事を言われたと思っています。私が強烈な言葉を記憶の中から強制的に消し去っていたような気もします。私もギタリストとしては多少ナイトクラブでお仕事した位で、日銭を稼ぐことは出来ていましたが、音楽家としてはどうにもならなくなっていたので、先生の助言は素直に入ってきました。ただ私は古典を勉強したという記憶は全くありませんでした。しかし考えてみると父が短歌や俳句が好きだったし、私も歴史やシルクロードが大好きだったので、普通の本を読むのと同じ感じで古典にも接していた、それだけです。それに自分が和楽器を弾くなどという事は全く発想すらしていませんでした。先生は更に「あなたの場合、三味線を弾くと多分ギターの代わりになるだけだと思う。違う弦楽器がいいわね。あなたは琵琶よ」という事で私は訳も判らず琵琶を手にし、たまたま近くに錦心流琵琶の高田栄水先生がいたので、御宅に伺って稽古を始めたのです。石井先生もその時どれだけ琵琶のことが判っていたかは疑わしいですが、とにかく私は先生のその助言に乗っかってみたのです。

こんな具合で石井先生に琵琶を勧められ、更に深く思考することを教わってから、琵琶の歴史を調べたりしながら、この風土に生まれた自分の存在という所を意識し始めました。すると自分が如何に様々なものに囚われていたのかが良く解りましたし、文化や歴史、古典を改めて知る事で、自分が今受け継いでいるものは何かという事にも意識が行きました。大体高校生の頃は「NYに行かないと俺の人生は始まらない」なんて事あるごとに言っていたんです。そんな私が少しづつではありますが色んなものから解放されて行ったのです。

知識は囚われる為にあるのでなく、自らを知り開放させるためのものであり、自分の音色を見つけだす為のツールであり、「自分とは何か」という事を自覚するためのもの又は行為だと私は思っています。私は、私が出来る範囲でしかありませんが、こうやって自分の音色をずっと追いかけて来ました。
すべては誰かに教えてもらってやるのではなく、師匠の助言から自分で辿り着いて、更にその先へと向う姿勢が必要です。お稽古事のように与えられたノウハウを知ったところで型通り以上にしかならないのです。知識を溜め込んでも、一所懸命教わった曲を言われた通りに練習しても、自分の音色も音楽も出て来ません。そういう勉強をしながらも、常に考え思考し、自分の音色と音楽を求め続けない限り、お稽古事から脱する事は出来ません。

自然と調和し自分を解放させてくれる隠れ家

人間には色んなバイアスやフィルターが知らない内にかかっているものです。自分がいいなと思う感情も、何かの記憶に寄りかかってそう思うのかもしれないし、有名な方の曲や演奏だから素晴らしいだろうと思うような所もどこかに残っているかもしれません。そういう余計な思い込みを取り払って、なるべく純粋に感じる事をしないと何も見えて来ません。しかし皆さんも純粋に感じるという事が如何に難しいか、やればやるほどに感じているのではないでしょうか。
ブルース・リーの「Do’nt Think .Feel」という言葉は有名ですが、全部取っ払って、その時その人がただ感じる事、究極にはそれが全てだと私は思います。その感じる事が問題です。上っ面でしかなかったり、余計な知識の為に頭でつまらない事をこねくり回してしまうと、かえって自分が「感覚」だと思っている事に振り回されてしまいます。武道なら即座にやられてしまいます。既に命はありません。だから感じるその根源はどこにあるのか、とことん掘り下げて、自分が受け継いでいるものが何で、自分とは何者か、素のままの今の自分を再認識しようというのが石井先生から教わった事です。

現代日本人は子供の頃から刷り込まれてきたことが山のようにあります。私の世代ですと、アメリカは世界の最先端であり、アメリカが世界であり、クラシックはヨーロッパが世界最高級、ジャズはニューヨークだと刷り込まれ、皆が欧米に憧れ、欧米世界の一員になる事が「夢の実現」であり、一流であり、ステイタスだとずっと刷り込まれてきました。私も若い頃はその渦中に居て、必死でコピーして「有名ジャズメンのリズム感には届かない」なんて高校生から二十歳前後の頃は毎日そんなことを嘯きながらギターを弾いていました。ジャズは今でも大好きですが、あの頃は自分の音楽をやりたいと表層意識では思いつつも、コンプレックスの只中にあったという事です。

画家 山内若菜さんが、新横浜スペースオルタ公演にて書いてくれたもの


同世代の人の中には、二言目には「英語では〇〇と言う」などと口癖のようになっている人が居ますが、ああいう姿をみると、骨の髄まで染められて拭いきれないんだなと感じます。それだけ人間は大人になるまでに色んな事を刷り込まれ、自分では色々と勉強して経験して、自分はそれなりだと感じているつもりでも、外側から見れば、そこには何重にもフィルターがかけられ鎧を背負わされている姿が見えてしまいます。それが大人になるということかもしれませんが、学歴を看板にして蘊蓄を垂れている坊さんなどみると、知識の檻の中でコンプレックスの波の底に沈殿している俗物のようにしか見えません。そんな人間の幻想や鎧を外して純粋なものを身体で感じさせてくれるのが芸術・音楽ではないでしょうか。

深く考える事は自分自身になって行く大切なプロセスです。そして余計なものを取り去ったら、今度は自分の意思という所も超えて身体が感じるという所まで是非行きたいとも思っています。
自分の意志で座る・立つ、姿勢を正すのではなく、意思も身体も解放し、ただ何も囚われずに座れば、自分で何とかしなくても自然と地球の重力とバランスをとることが出来、呼吸も無理がなくなります。これがなかなか簡単そうで難しいのですが、少しづつでもやっていれば、自我という自分の中に住み着いている意識から解放され、自分の周りの自然や社会やあらゆるものと、自然な状態で繋がるでしょう。音楽や芸術はそういう状態に誘ってくれるものではないでしょうか。それは大地や地球と繋がる事ともいえるのではないかと私は感じてます。そしてその状態になって自分の身体に響き渡って来る音、それが私自身の音色だと確信しています。

実は最近の脳科学の研究では、どんな小さな動きでも、身体が先で、その後に脳が意味付けをするという事が言われています。例えばお茶を飲みたいと思って手を伸ばすというだけでも、脳がお茶が飲みたいと思って、手に指令を出すのではなく、先に身体が動き、あとから脳が意味を付ける。無意識の反応という位に体が先に動く。感じるとは脳ではなく身体なのかもしれません。
私の歩みは亀の如くではあるのですが、それでも少しづつ思考を巡らせて色んなものから解放されて、更にその先の、脳より前に身体が感じる所まで感覚を研ぎ澄ましていたいですね。その時初めて「Do’nt Think .Feel」の状態になると思っています。

自分の音色と音楽を求めるづけるという事は、それぞれの人がぞれぞれの形で気づき、自分で向かって行く事であり、やり方やお作法を教わるものではないと私は考えます。お作法や形があると入りやすいという人も多いかと思いますが、人は形があると形をなぞる事でやった気になってしまう。2.3日座禅体験などと称して道場で座禅していると世俗の垢が取れて何かを教えを得たような気持になりますが、そういう思い込みこそが一番邪魔なのです。それはただの日常のリフレッシュでしかなく、エンタテイメントの一つでしかないのです。そんなんで良いという人はそれで充分なのでしょうが、私には座禅体験と称して大枚取られて、商売の餌にされているようにしか見えません。

photo 新藤義久 


掘り下げて思考を巡らし、自分自身を見つめ、自分の感性と成って行った歴史や文化を我が身に感じ、色んなものから解放されて感覚を研ぎ澄ませて、最後には身体が喜ぶ。そんな感じでやって行きたいですね。やればやるほどに自分の音色というものに関心が出てきますし、その音色で音楽を創るのが自分の生き方だと実感します。ショウビジネスには昔からあまり興味が無いので、売れなきゃ意味は無いと思っている人とは随分と考え方もやり方も違うと思いますが、私は私の道を歩くしかないですね。その道へと進む気づきをくれた石井先生にはとても感謝してます。
そしてこれからもずっとこの旅は淡々と続くのです。

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