先日の琵琶樂人倶楽部は結構な雨にも拘らず、盛況に終えることが出来ました。御来場の方々には深く感謝しかありません。今回のゲスト、安藤けい一さんのお話も実に面白く、ただのお坊さんの説教ではなく、人形劇をやっている安藤さんだけあって演劇的な要素もふんだんに取り入れながら敦盛と熊谷次郎直実の話や浄土教の話を解りやすく解説して頂きました。ああいう背景の事を知って古典に向き合うと更に深まりますね。ありがとうございました。
小石川植物園
季節はなんだかんだ言いながら春の日差しを感じられるようになりましたね。花粉も結構飛んで大変な時期でもありますが、のんびりしてる私も色々と動きが出て来ました。
今年は10thアルバム「AYU NO KAZE」を出したことが本当に大きく、しっかり自分の音楽を表現出来たので、音楽活動も次の段階へ入った感じがひしひしとしています。
私は自分で何でもやって来ました。作曲も、演奏会の企画も、毎月の琵琶樂人倶楽部も、CDアルバムの録音・リリースも、人脈創りも、とにかく自分でやって来ました。別に大変と思った事はありません。音楽家で生きるのはベンチャー企業を立て上げるのと一緒ですので、他のジャンルでは当たり前の音楽活動です。
邦楽や雅楽のように流派や肩書で体裁をつけても、実情は先生と呼ばれるアマチュアばかりで、自由にものも言えず活動も出来ないような中では、私の音楽に対する想いは成就しないとずっと感じていましたので、全部自分で責任を負わなくてはいけませんが、自由な立場で何でも自分でやれば、自分の思うように出来るので、こうしてやってこれて楽しかったというのが本音です。
かつて三島由紀夫は、ジェンダーマイノリティーに対し、社会的に認めてもらえないからこそ純粋であろうとするのであって、認められたとたんスーパーに並んでいる安売りの商品のようになってしまう、と発言してしまいましたが、社会的な肩書や体裁があるということは、私には足かせにしか感じられなかったのです。
私は私の音楽をやりたかったし成就したかったのです。それが最初に一つの形となったのが1stアルバムの「Orientalyes」であり、今回の10thアルバム「AYU NO KAZE」で成就に至る一つの時点に達したと実感しました。
聖書の有名な言葉で、イエスキリストは「破壊しに来たのではない、成就しに来た」と言っていますが、私も過去の琵琶樂を破壊したい訳ではなく、千年以上に渡ってずっと紡がれて来た琵琶樂を最先端の日本音楽へと表し、その先へと響かせたいというその想いを成就する為に、現行の邦楽の在り方とは違うやり方をするべきだろうと考えたのです。だから古典を自分なりに学び、最善と思はれる方法で琵琶樂に取り組んできたのです。まあイエス様と比べるのもいかがなものかと思いますが。
人間生きていればままならない事の方が多いかと思います。日々目の前の欲望は常に尽きる事はなく、そういうものに振り回され、その中で生きています。しかしそういう欲望をかなえる事は「成就」という言葉を使うには値しません。「成就」に値するものは、もっと大きな目的や夢にも近い想いではないでしょうか。自分がどう生きたいのか、何をもって人生を全うしたいのか、その生きる根幹の部分こそ成就という言葉を持って実現したいものです。
photo 新藤義久
今、琵琶と声の作品に取り組んでいますが、今後は前衛的な歌曲を琵琶と声の組み合わせで創り上げたいですね。私はずっと10代の頃からジャズやプログレ、現代音楽を聴いてきたし、オーソドックスよりは前衛的なものに惹かれてこれまで来たので、それらを自分のやり方で、自分の音楽として表現したいのです。今後は10thアルバムで発表した「凍れる月」シリーズのように、静寂感のある前衛作品をもっと創りたいと思っています。
声の作品で気になっている曲はジャンルを問はず色々とあります。以前聴きに行ったVnのパトリシア・コパチンスカヤの演奏したリゲティ―作曲「マカーブルの秘密」やシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」。若き日に石井紘美先生の所で聴いたルチアーノ・ベリオのセクエンツァ3なんかも未だに頭に残っています。皆20世紀の現代音楽ですが、私にはぐっと来るものが沢山あります。拙作「Voices」を創る時には細川俊夫さんの「恋歌」等も大いに参考にしました。私が今考えているのは歌よりも声ですね。声を伴った前衛作品をもっと琵琶樂の中に落とし込んで、琵琶と声でないと成立しないような静寂感と緊張感を持った作品を創りたいとずっと考えています。
Ms:の多由子先生と
これ迄、笛・ヴァイオリン・尺八等素晴らしいパートナーに恵まれて来ましたが、今回やっとアルバムで素晴らしい声のアーティストを迎えることが出来ました。実は1stアルバムに収録した「太陽と戦慄第二章」は私が声を出していますが、収録する前のバージョンでは琵琶二面とソプラノの組み合わせで作曲して上演もしました。ここ5.6年、やはり声を使った作品を創りたいという想いがまた蘇っていて、今回10thアルバムに入れた「Voices」がその第1曲目という訳です。
曲を創りそれを発表して形を表す事は、自分で道しるべを刻んで行くようなもの。自分のやりたい事を一つ一つ実行して、その先へと想う道へと進む事が幸せであり、そういう人生を歩んで行く事が成就への道程ではないでしょうか。地味なものであっても、自分で成就に向かって生きて行けるという事が一番の幸せだと思っています。
気温の上下が激しいですね。これから迎える春を期待して、気分も上げていきたいものです。
今年も少しづつ面白い話が舞い込んできています。やっぱり1月にリリースした10thアルバム「AYU NO KAZE」が、1stアルバムの「Orientaleyes」の現代版になっているせいか、活動も何だか20年前の感じが戻ってきたような気がします。
今月はこんな会があります。日舞の花柳茂義美さん主催の会で、2年前にもやった会の続編という形で中原中也の詩を題材とした作品をやります。今回私は茂義美さんとの二人でやる演目だけなのですが、他の演目ではTpの金子雄生さんやBの伊藤啓太さん、ダンスのナオミミリアンさん、詩人の郡宏暢さん等面白い方々が出ます。皆さんルーツにジャズを持っているので、飲み会での話題は尽きません。
また5月にも面白いイベントに出演が決まりまして、何だか今年も面白くなりそうです。色んなジャンルの方と御一緒すると本当に楽しいですね。
私はとにかく創るという事を、琵琶でやって来ました。明治という大きな変化の時代に永田錦心が新たな琵琶樂のスタイルを打ち立ててから、水藤錦穰を経て鶴田錦史が活躍する50年60年の間に、これだけの新たな琵琶樂が出来上がって行ったのですから、私も先人と同じように新たな琵琶樂を打ち立てたいですね。伝承はその志を受け継いで初めて伝承した事になるのであって、形を遺す事ではないと思っています。先人達も過去のものを沢山勉強した事と思いますが、そこに安住せず、独自の世界を創ったのです。だから今迄琵琶樂が続いてきたのではないでしょうか。私も及ばずながらその志だけは受け継ぎ、自分で自分なり琵琶樂を創って行きたいと思いやって来ました。勿論これからも同様にやって行きます。
ジャズギタリストのパット・メセニーは、日本のTV番組のインタビューで一番影響を受けたギタリストにウエス・モンゴメリーを上げていました。その中で「一番リスペクトをしているからこそコピーは弾かない」と言っていました。上記のインタビューでもウエス・モンゴメリーへの想いを語り「彼は彼を見つけ、彼のサウンドを見つけ、彼らしくある方法を見つけたのです。それは私にとって大きな教訓でした」と言っているのがとても印象に残っています。多分誰よりも沢山聴いてコピーもアナリーゼもして勉強したのでしょう。でもそれをなぞらず、寄りかからず、ウエスが自分の音楽を創り出していったように、メセニーもメセニーの音楽を創っている、その姿勢が素晴らしいですね。
邦楽とジャズでは確かに感性も何も違いますが、今邦楽に一番欠けているのがこういう部分なのではないでしょうか。勿論お稽古で楽しむのも良いし、好きなように接すれば結構だと思いますが、ぜひ師匠や流祖を尊敬するのであったら、その姿勢や感性を感じ取って欲しいですね。師匠がやろうとした事や、師匠が生涯かけて目指した創造という道に目を向けて欲しい。そしてもし自分がその道で生きて行こうとするのであれば、たとえ師匠には及ばずとも、自分なりの音楽を見つけ、創り出してほしい。それで初めて、少しばかり継承する者の端くれなったという位ではないか、と私は思います。
能楽師 津村禮次郎先生と 左:ルーテルむさしの教会 右:人形町楽琵会にて
雅楽や能、近世の邦楽等、日本音楽には奥深い歴史がありますが、いつも書いているように薩摩琵琶はまだ流派が出来て100年程度しかたっておらず、新しい流派は50年程度しか時が経っていません。鶴田錦史の活躍した時代は、ジミヘン、ジャニス・ジョプリン、キングクリムゾン、ツェッペリン、ディープパープル、マイルス、コルトレーン、オーネット・コールマン、ボブ・マーレイ、武満徹、小澤征爾等が活躍した時代。80年代に入って鶴派が少しづつ鶴田流と言われ出した頃は、ピストルズやクラッシュの70年代パンクロックのもっと後、YMO以降のテクノが流行した時代。ジャズならキース・ジャレットやパット・メセニー等が活躍した時代です。実際に鶴田はキース・ジャレットと共演しています。平安時代から続く長い長い歴史のある琵琶樂史の中で、上記の時代と同じ時代の鶴田の音楽を古典と言うのは、さすがの私も無理ですね。

鶴田錦史
鶴田の「壇ノ浦」はあくまで鶴田の音楽であって、私が「壇ノ浦」を演奏するのであれば、私の「壇ノ浦」を演奏しなければ、私が演奏する意味を見出せません。ヴァイオリニストが自分なりの旺盛な研究と解釈を持ってバッハの無伴奏パルティータを弾くように、あくまで自分の音楽を表現するのが音楽家としての矜持だと私は考えます。
もし今ジミヘンの「Little Wing」をそっくりコピーしてやっても、誰もアーティストとして認めてはくれないでしょう。ただの物真似に過ぎない。リスナーは、現代の人が「Little Wing」をやったらどんな風になるんだろうという期待を持って聴いてくれるのであって、コピーを聴きたい訳ではないのです。自分なりにあの名曲を演奏してこそ、現代にまた命が宿るのではないでしょうか。
邦楽はどうでしょうか。今はリリースしたらそのまま世界発売という時代です。尺八古典本曲を独自解釈で演奏し、新たなスタンダードとして示した海童道祖や横山勝也は世界中で評価されていますが、他はそういう例はあるでしょうか。琵琶は弾いているだけで珍しい、凄いと言われます。そんな所に寄りかかって、流派の曲をそっくりそのまま弾いているだけでは自分の取り巻きにちやほやされるのが関の山ではないでしょうか。習った事が多少上手に弾けるようになって、二言目には伝統やら古典の継承などと言い出し、師匠や流派の名前で体裁と格好をつけ、プロのつもりになって舞台でやるのが邦楽の常識なのだとしたら、それは完全な邦楽の衰退だと思います。もし昔もそんな意識だったら宮城道雄も永田錦心も鶴田錦史も絶対に誕生し得なかったでしょう。鶴田錦史や永田錦心は自分のコピーを弾くそっくりさんを望んだでしょうか。自分を乗り越えて行く者をこそ望んだのではないでしょうか。私にはそうとしか思えません。何度もくどいと思はれるかもしれませんが、永田錦心が大正時代に琵琶新聞上に書いた激文を再掲しておきます。
「多くの水号者(名取)がその地位にあぐらを掻いて、自分をその教祖に祭り上げている。自分はその肥大した組織の様を見て後悔していると共 に、それをいずれ破壊するつもりだ。そして西洋音楽を取り入れた新しい琵琶楽を創造する天才が現れるのを熱望する(意訳)」
左 Per:灰野啓二 尺八:田中黎山各氏と キッドアイラックアートホールにて
右 Vn:田澤明子氏と ベルヴェットサンにて
さて今月の第205回琵琶樂人倶楽部は「仏教と琵琶樂の深い関わり」をテーマに、僧侶であり琵琶奏者でもある安藤けい一さんにお話してもらいます。日本音楽は仏教の思想や信仰と共に生まれ、これ迄脈々をその命を繋いできました。今回はその仏教がどのように琵琶樂と関りを持っているのか話をして頂きます。
2025年3月12日(水) 第205回テーマ 「仏教と琵琶樂の深い関わり」
開演:午後7時開演
会場:阿佐ヶ谷ヴィオロン
料金:1000円(コーヒー付き)
出演:安藤けい一(僧侶・琵琶奏者) 塩高和之(琵琶)
演目:レクチャー「仏教と琵琶樂の深い関わり」 「敦盛」
過去を学び、連綿と受け継がれて来た日本の感性を感じ取り、邦楽が再び日本人の音楽として次の時代をリードして行くようなものにして行きたいですね。
何だか急に気温が上がって、梅の花も一気に咲いていますね。
今年はアルバムのリリースも一段落して、また次の作品に取り組んでいるところなので、梅花を観て回るのは良い気分転換になり、新たな発想も浮かんで来ます。
春の兆しが見えて来る時期というのは、勿論様々な想い出も出て来ます。そしてその陽射しの中に居ると、抱かれるような何とも言えない幸福感を感じられますね。
この「春陽」という作品は、そんな春の陽差しを感じた時に降りて来たメロディーを曲にしました。そして不思議な事に、春の日差しを想う時には、私は桜よりも梅の花が目に浮かびます。まだ寒い時期に派手な主張もせずに密やかに咲く姿には、色んなものが静かに浄化されて行くような風情を感じるのです。そんな古より日本の風土に育まれた感性を梅花は見せてくれているような気がしてならないのです。
現代は何でも主張して自分を意見を通そうとします。声高に攻撃するかの如く、相手を屈服させるまで主張を繰りかえします。世の中には戦うべき時期もありますが、常に周りと戦っているような状態が日常になっている姿は、自然と調和して生きて来た日本の感性とは思えません。
大体私は人が争っているのを見たくないので、スポーツも一切見ません。私からするとオリンピックもサッカーも戦争をしているようにしか見えません。世の中には何かと戦う事でエネルギーをチャージしているような人が多いですが、常に自分を追い込んである種の飢餓状態にして対決姿勢でいるような人も見ていられないし、人より優位に立とうとし人を出し抜いて勝ち負けで生きているような、常に戦う気質の方とはお付き合いできませんね。

かつての吉野梅郷
そんな雰囲気の世の中にあって、梅花こそは唯一残された楽園なのかもしれません。音楽にも密やかさはどんどん無くなって行ってますね。音の洪水みたいで、こちらの感性が入り込む余地が感じられる音楽はショウビジネスの中には少ないですね。エネルギーも感じるし、言いたい事も判るけれども、受け手の心の中で広がって行く時間や空間が、あまりにも少ないと感じるのは私だけでしょうか。ポップスでこんな風に歌詞が沁み込むように感じられる歌は最近聞かないですね。
中村 中 / 友達の詩
そんな春の風情を感じる中、先日は韓国舞踊のペ・ジヨン先生主催の会に行ってきました。元々2020年に練馬文化センターで行われた「輪五の舞」という各国の民族舞踊の方々が集う舞踊会において、拙作の「Sirocco」で作品を創ってもらったのが最初のきっかけで、その後シアターXでの「生命の樹」という舞踊の会では花柳面先生、ジヨン先生、そしてフルートの久保順さんと私とで「鐘」という作品を創り、それ以来、お付き合いを頂いています。

今回は韓国の古典舞踊「サルプリ・チェム」が本当に圧巻でした。淡々とした踊りなのですが、静寂感の中に何か様々な事を乗り越えてきたような芯の強さも感じられ、色んなものが想起されるよな、魅入ってしまう美しさがありました。その姿は体幹の軸が通って動きに一切の無駄がなく、正に一流の踊り手の凄味を感じました。
ジヨン先生は古典だけでなく創作にも力を入れていまして、その姿勢は正に私が標榜する「創造と継承」そのもの。普段はとても気さくなお人柄ですが、舞台では、筋の通った揺るぎない凛とした風情を感じながらも、決して派手派手しいものではなく、密やかでしなやかで、正に梅花のような舞姿なのです。
こんな風情を持ったアーティストがもっと活躍できるようになると良いですね。派手な賑やかしのパフォ-マンスばかりでなく、じっくりと鑑賞出来る作品を創り出すアーティストは国内外問わず沢山居るのですが、なかなか活躍の場が少ないのが現状です。直ぐお金になるような「売れる」ものばかりが蔓延って、若いアーティストも「売れる、有名」という目の前の事に流されて、そういうものにすり寄って行ってしまうのは残念でなりません。
深大寺植物園
今このような時代だからこそ、梅花のようなアーティストを応援したいですね。
10thアルバムのリリースも一段落ついて、確定申告も終わり、日々が落ち着いてきました。琵琶樂人倶楽部も毎月様々なジャンルの方々が沢山集まって来ていて、アートサロンのような感じになって本当に有難い限り。とにかく琵琶オタクの集まりにだけはしたくなかったので、発足当初から狙った通りになって来ているのが嬉しいですね。
2025年現在のフルセット
今回のアルバムで今の自分の音楽は一つの形を成したと実感しているので、そろそろ次の段階へと進む時期に入った感じがしています。私の仕事はやはり琵琶曲の創作ですね。先日、敦盛や経正を作詞してくれた森田亨先生が、新作の詞を持ってきてくれましたので、さっそく取り掛かろうと思います。これからは弾き語りではなく歌手や語り手に声を担当してもらうことを前提に書く予定です。今回のアルバムで「Voices」も発表出来たので、今後は琵琶奏者と歌い手という組み合わせで演奏できる曲をどんどんと創って行こうと思っています。
これ迄の私の活動は、弾き語りという固定概念を一度崩し、本当の琵琶樂の核となるものをもう一度再確認する、いわばダダイズムともいうべきものでした。これからは次の段階へ移行し、作品へと昇華する時代だと思っています。ダダの後にシュールレアリスムが来て、また次の時代へと繋がっていったように、琵琶樂が豊かに発展する方向に持っていけたら嬉しいです。私は最初に就いた師匠 高田栄水先生から「永田錦心は薩摩琵琶を芸術音楽にしたのだ」といつも聞かされてきましたが、私もこれまでやって来て確かにそうだと確信しています。自分が永田錦心のように出来るかどうかは別として、その志だけは自分なりに受け継ごうと思っています。
上左:人形町楽琵会にて、フルートの久保順さん、笙のジョーシュー・ジポーリン君と
上右:キッドアイラックアートホールにて、尺八の田中黎山君、Perの灰野敬二さんと
下中央:福島安洞院にて、詩人の和合亮一さんと
私はとにかく色んな形態で舞台をやります。組むメンバーも様々ですが、どんな舞台でも総ての曲を私が作曲します。普段から作曲するにあたり「こういう舞台の何曲目にやる曲」みたいな感じで、本番を想定して作曲するので、今考えている歌曲も秋頃には演奏会として実現したいと思っています。また時間を見つけてはこれまで創った作品の譜面を見直して、細かな所を何度も書き直したりしてブラッシュアップをしているので、舞台の形も年々自分が想う形になって来ています。これからも充実した形でやって行きたいですね。
作品はヴァージョン違いのものも含めるともう70曲以上の楽曲が出来ていて、今回の10thアルバム「AYU NO KAZE」をリリースした事で、私の作品群はメインの前衛作品から弾き語り迄、とてもバランスが良く整ってきました。特に以下の「凍れる月~第二章 ヴァイオリンと琵琶の為の」は、ずっと構想を練っていたスタイルの作品で、私にとっては次へのきっかけとなるスタイルを持った曲だと思っています。これからは静かな前衛作品にも取り組みたいと思っています。
最近は暇に任せて、今迄読んだ本を読み返し、音楽も色々と聴き返しているのですが、それまで見えなかったものが入ってきますね。音楽はやはり常に私に刺激を与えてくれるものなので、聴く度に色々と感じる所があります。以前は漠然と格好いい位に思っていたものが、今聴くと鮮明なまでにその音の生命感を感じられる事が多いです。コロナ禍の頃はマイルスの後期作品等をよく聴いていて、今頃やっと何か理解が追いついたように感じました。
私は何事にも人の何倍も時間がかかるので、じっくりと時間をかけて、時に寝かせてほったらかしにして、改めてまた取り組んだりしながらやる位がちょうど良いよいのです。本も音楽もじっくりと時間をかけて何度も接する事がとても多いです。だから同じ曲が、その時々で全然違った印象で聴こえて来るなんてのは、子供の頃からしょっちゅうです。そしてそういう感動が積み重なってまた新たな創作へと心が向かって行きます。こんな事をもう何十年も繰り返しているのですが、こうやって自分のペースで新たな作品に取り組んでいると、自分が次の流れに向かって行っているという実感が湧き上がって来て、これが人生の喜びなんだな、といつも思います。そしてこの感動と発見が、私をこれ迄生かしてくれた原動力だと実感するようになりました。
私は人から見るといつもぶらぶらしているように見えるのだと思いますが、昼間からごろごろしたり、散歩したり、時に仲間と管巻きながら何かいい感じのアイデアを思いついたり、ふと浮かんできたメロディーなど書き留めたりしているのが、私にとってぶらぶらしている状態で、これが私の基本姿勢ですね。これからの季節は梅や桜を見て回りながら、また何か浮かんでくるものがあるじゃないかと期待しています。
逆に演奏会で飛び回って自分の曲を演奏していても、何も創り出せないでいると、何だか煮詰まってしまいます。常にその時の自分の最新を舞台で表現し、それを聴いてもらいたいので、何をしても何か創っている、湧き上がって来るのが気持ち良いのです。だから技を切り売りしてショウビジネス舞台のバックバンドで弾くなんてのは私には考えられません。そういうお仕事を今まで2.3度やったことはありますが、私にはまったく向かないし、そういう「お仕事」を嬉々としてやっている人とは正反対のタイプです。
人よりかなりのんびりと動くので、他人から見ると何をやっているのか判らないのだと思いますが、自分のペースで何か創っているのが一番しっくり来ます。多分画家や作家の感覚に近いのでしょう。
とにもかくにも流れを感じ、それに身を任せて生きている時が一番調子が良いので、無理をする事も、のんびりする事も、流れの中に居る限り変な不安はないです。若かりし頃には上がったり下がったり本当に色んな時期がありました。それもまたそういう流れや導きだったのでしょう。どんな状況であれ自分の身の周りのものと時間をかけて接し、自分と向き合い、何かを創り出す流れを感じているのが一番安定しています。いつも導かれているという感覚ですね。この性質のお陰で、曲を創り、活動も様々なジャンル方々の舞台で琵琶を弾いてこれたと思っています。琵琶のサワリの調整もこうした中で、自分に一番気持ちの良い音色を求めていたら自分なりに出来るようになって行ったのです。
グルジア(現ジョージア)ルスタベリ大劇場にて ツアーメンバースタッフと 2009年
さて今年もどんな流れが私を導いてくれるのでしょうか。自分で切り開く事もとても大事ですが、自分を導く大いなる力を感じる事の出来ない人は、こじんまりとした独りよがりの自己満足で終わってしまうように思います。そして自分を導く流れに身を任せるには、その姿勢も大事ですが、それに乗る勇気も必要なのです。これが判らないと次の流れも感じられません。
また新作が生まれ出てくるのが楽しみです。
北国は大変な大雪だそうですが、東京はやっと冬らしくなって来たという感じ。何だか冬のあのきりりとした雰囲気が感じられません。革のコートも出番がないです。
先日の稲生座ライブと第204回琵琶樂人倶楽部は満杯のお客さんで、気持ち良く演奏出来ました。久しぶりのライブハウスも何か昔に戻ったみたいで気分もぐっと上がり、琵琶樂人倶楽部の方も初めてのお客様が多く良い刺激になりました。
稲生座ライブにて 玉置ひかり(笛)さんと
琵琶樂人倶楽部にて 伊藤哲哉(俳優)と
私は相変わらず夢を毎日見ます。最近では夢の中で会う約束をしていて、待ち合わせしてるような夢をみると、目が覚めてからもその夢が現実の事のように思えて、思はず予定表をチェックしたりして、何だか何処までが夢でどこからが現実なのか境界があいまいになって来ています。
夢には色んな人が出てくるのですが、何年も逢っていない人が夢に出てきたと思ったら、朝起きてみるとその人からメールが来ていたなんて事もあります。もうこうなると荘子ではないですが、寝ている時間と起きている時間、どっちが現実なのか判りません。実は夢も現実もずっと連続しているのかもしれませんね。
夢には自分がその時々で持っている願望や抱えている心理が投影される事が多いとは思うのですが、そう判断できる夢の他に、どうにも判断がつかない荒唐無稽なシュールな夢もかなりの頻度で見ます。きっと自分の中の深層心理の奥に何かその元となるものが何かあるんでしょうね。多分普段の生活で気が付かない内に心の奥底にも様々な感情が眠っていて、また多くの情報を視覚聴覚嗅覚等、各器官が受け取っていて、それらが脳の中に蓄積されているのでしょう。ただ私はそれだけではない何かを感じています。ちょっとスピリチュアルな感じにはなるのですが、自分では自覚せずに受け継いでいるものが何かあり、また何か外部からのスピリチュアルな刺激が夢を創り出しているように思うのです。前世の記憶というような言い方もあると思いますが、何かがあるように思えて仕方がないのです。だから目が覚めている現実世界を基本として生きている自分の感覚で測ると、夢は奇妙な驚くようなものとし感じられるのだと思います。夢は外からの刺激で自分の中に在るものが増幅されているようで、その増幅っぷりがなかなか興味深いです。
俳優の伊藤哲哉さん、コントラバスの故 水野俊介さんと ルーテルむさしの教会にて。方丈記上演中
まあ音楽というのは、多かれ少なかれ夢の時間の中に誘うものです。演奏会などは正に夢の時間への誘いですね。私にとって音楽は現実世界のもっと先の世界を描くものであり、音楽を演奏したり創っている時は、現実社会から飛び越えた所に自分が居ると言っても良いかと思います。そしてまた現実を超えた世界を見せることが音楽家の仕事だとも思っています。譜面の先にどんな世界を描けるのか。演奏家の腕の見せ所です。だから間違えずに上手に演奏する事を念頭にしているようなものや、日常の事をつぶやいているような音楽にはあまり魅力を感じません。
古典と言われる芸能、例えば平曲や能、短歌、俳句、華道も茶道も、人間の世界にありながらも、その先にあるもっと大いなるものにつながって、個人の短い人生ではとても掴みきれないほどの大きな世界を感じさせてくれる。私が聴いて来た音楽は、クラシックであれジャズであれ、どれもこの一点が共通しているのです。
私がこんな風に音楽に接しているせいか、音楽や芸術から受ける多くのものが、夢という形で出て来て、それがまた音楽を創り出し、現実と夢の世界が循環しているような感じがするのです。
Photo 新藤義久
10thアルバム「AYU NO KAZE」はお陰様で大変好評です。私としても良い内容になったと思っています。こうした楽曲も全て私にとっては身の内から出たものでありながら、現世を超えた世界であり、それぞれの曲にはその曲特有の色や情景が一つ一つにあります。それは現実の風景でもなく、言葉でも容易には説明できませんが、日々夢の中を彷徨うからこそ発想が湧いてくるのだと思っています。一時期瞑想にも取り組んだことがあるのですが、日々の生活の中で、何かをきっかけに心が広がって行く事も良くありますね。
その何かは「風」です。チベット仏教では「風の瞑想」なんてことが言われますが、私にとって風こそ、現世を超えた世界へと誘ってくれる媒介者なのです。こうした媒介となるものがあると感性が飛翔し易いと思います。風は常にパートナーのように我が身に寄り添って包んでくれます。その風を感じる時には匂いや、情景などが何とも言えないような雰囲気が浮かび上がってきます。感じるとしか言いようがないですが、その風を感じ、抱かれている時には、時間を超え空間を超え、時に古い記憶に辿り着いたりして、超現実(妄想とも言える)が見えて来るのです。私の作品の曲名に「風」や「月」が多いのは、そこから見えて来る情景や色を曲にしているからです。そんなものが夢となって出てきて、またそれが音楽となって形を表して私の中を行き来しているのかもしれません。もう夢遊病者と紙一重状態ですが、もっともっと色んな風を感じ、夢の中を縦横無尽に歩き回りたいですね。
風に誘われ、夢の世界を彷徨い、音楽を創り演奏する。最高の人生だと思っています。さて今夜も管巻いてないで早く寝よう。