最近は何をやっているかといえば作曲です。夏は演奏会も少ないし、この暑さでは外にも出られませんので、私がやれる事といえば作曲する位です。今手がけているものはデュオ曲を3曲、独奏曲を1曲位ですが、ふと様々なイメージが頭に色々浮ぶので、同時進行でこの4曲の譜面を日々書いて推敲しています。
ウズベクスタンの首都タシケントにあるイルホム劇場にて 「まろばし」演奏中 指揮 アルチョム・キム
まあこの中から実際にレパートリーになって行くのがいくつあるか判らないですが、とにかく創り続けて行く事が私の音楽活動です。今あるレパートリーをもっと練り上げて行く事も大事ですが、それも常に考察を重ね、研究して深めて行かなくては、ただの手慣れたお稽古事に陥ってしまいます。作曲にしても練習にしても創造性を常に持っていないと音楽家では居られません。
今迄作曲したものはゆうに100曲は越えていると思いますが、ヴァ―ジョン違いなども含めレコーディングまで持っていけた作品が7・80曲ほどあります。しかしその中でもよく演奏するものは更に限られてきますね。なるべく多くの機会を作って、これ迄創った作品を取り上げているのですが、メンバーもレコーディング時とは変わってくるので、その都度、多少の編曲も加えながらリハーサルもしてやってます。毎月の琵琶樂人倶楽部がその良い機会になっています。
どんな演奏会でも常に演奏するのは最初に作曲した「まろばし」位でしょうか。未だに「まろばし」は演奏する度に刺激がいっぱいで、その時々でどんな展開になるか判らない。だから飽きるという事がないし、この一曲から多様なまでの世界観を味わう事が出来るのです。
人形町楽琵会にて、Vnの田澤明子さんと
琵琶での演奏活動はもうそろそろ30年に手が届く位迄来て、アルバムも10枚が出来上がりましたが、創り上げるととたんに、また次の世界が開け見えて来るのです。8thアルバム「沙羅双樹Ⅲ」では、Viの田澤明子先生と録音した「二つの月」を収録したのですが、レコーディングしている最中から確かな手ごたえを感じていたので、直ぐに次のそのまた次のアルバムのアイデアが浮んで来ました。今年リリースした10thアルバム「AYU NO KAZE」は、私の想う世界を良い感じで表現出来たと実感していて、一つの到達点に来たと思っていますが、それでももう頭の中は次のアルバムの構想が浮んできてノートにあれこれ書き込んでいます。
こうした創作の原動力は色々あるのですが、曲を作る大きなきっかけが言葉なのです。全体は色彩が元になってイメージが湧き上がるのですが、具体的に曲が出来上がる時には言葉が直接の動機となる事が多いのです。今回は独奏曲を創る過程で「彷徨ふ月」というタイトルを思いついた事で、イメージが一気に明確になり、そこから色んなストーリーや情景・色彩等々次々に見えて来て、この曲を創り演奏する意味が見えて来ました。この「彷徨ふ月」というタイトルは、8thアルバムに収録した独奏曲に付けたもので、上記のViとのデュオ「二つの月」のモチーフを使って、それを独奏曲にしたものだったので、収録後、統一性を考え、「二つの月~琵琶独奏」というタイトルに変えました。それで「彷徨ふ月」というタイトルが宙に浮かんだままになっていたので、それを今書きかけの譜面のタイトルに据えた所、瞬く間にイメージが広がってきました。8thアルバムに収録した独奏曲との関連性も出てきて、延長線上にあるような一つの流れも感じています。不思議なもので、言葉一つでイメージが湧いてくるんです。
「Voices]を歌ってくれたMsの保多由子先生と Photo新藤義久
タイトルは私にとって作曲の重要な要素の一つです。タイトルが付く事で曲にストーリーが生まれ私の中に一つの命として動き出すのです。今年リリースしたアルバムの中の「Voices」も、小島力さんの歌詞のインパクトもさることながら、「Voices」というタイトルを思いついたことで音が溢れ出してきました。言葉はたった一言で大きなイメージを与えてくれるのです。私は歌の曲はあまり作曲しませんが、言葉の持つ世界やイメージは、作曲する上でとても重要な要素だと感じています。
世の中には良い言葉が沢山あります。日々の読書は欠かせないですね。
少し間が空いてしまいました。暑い日が続いていますね。皆様お変わりないでしょうか。

来月後半には上記のチラシの公演が新潟の佐渡であり、「良寛」で音楽を担当するのですが、私はとにかく夏の暑さが苦手なので昼間は引き籠り状態。夜になるとふらふらと徘徊しています。夜な夜な色んなジャンルの仲間と話をしていると「薩摩琵琶は今発展途中」という事をいつも感じます。
筝曲は「みだれ」のような世界に誇る完成度の高い独奏曲から多様な内容を持った語り物、合奏曲等、多くの形態構造を持った曲があって、曲も軽いものからラブソング、歴史もの等様々なヴァリエーションで、筝曲という大きなカテゴリーを形成しているのに対し、薩摩琵琶は歌詞の内容一つとっても未だ大正・昭和の男性優位の目線で、戦争、忠義、哀ればかり。ラブソングが無い音楽は世界中探しても薩摩琵琶位ではないでしょうか。
永田錦心
永田錦心が明治期に薩摩琵琶の質を底上げし、組織作りもしてジャンルとして確立しましたが、その志が今受け継がれているとは思えません。水藤錦穰・鶴田錦史がオリジナルな演奏スタイルを発展させたものの、音の形も歌詞の内容も当時のまま。現代人から見ると、そこにはレトロ趣味か嫌悪のどちらかしか気持ちを投影できません。
少なくとも現代に生きる人のセンスを表現しなければ、次世代を担う若者は着いて来ません。古典の物語も新しいセンスで読み解き演奏すれば、新たな古典の魅力として次世代が注目して行くのに、未だに「敦盛」は戦場で名乗りを上げてしまう大正時代の歌詞のまま。平家を最初に語った生仏もびっくりするような捏造ですが、それを何故そのまま未だに大声張り上げて歌っているのでしょう。
こうした戦前のセンスを平気でそのまま舞台でやるという事は、その演奏者が男尊女卑的で忠君愛国的な精神を表現するアーティストと判断されるという事です。私には考えられません。他の邦楽器では、多様な形で活躍している人がどんどん出てきているというのに残念でなりませんね。薩摩琵琶は大正・昭和に出来上がった曲がほとんどで古典ではないのです。歌詞だけを書き換えるような曲作りではなく、曲の構造そのもののバリエーションが必要です。オリジナルといいながら、イントロもフレーズも旧来のままで、曲の構成も同じでは聴いてる方に独自性は伝わりません。流派の曲を上手に弾いているのはお稽古事。現代はリリースと同時に世界に広がる時代です。是非ともこれからの日本の音楽に成って行くような創作活動が必要なのです。
戯曲公演「良寛」津村禮次郎先生と 座高円寺にて
そんな活動をやろうとしている若者もちらほら出て来ました。流派の優等生みたいなセンスではなく、これから現代のセンスで琵琶を弾く人が出て来る事と思います。
私は今後面白い展開になって行くと思っています。流派のお稽古事を脱し、薩摩琵琶の歴史を創って行く若者がどんどん出てくるでしょう。今迄流派の中に固定されていたものが解き放され、これからやっと歴史は動き出すて行くでしょう。私もどんどん作曲・演奏をして、新たな琵琶の魅力を発信して行こうと思います。
お楽しみはこれからだ。
お知らせ
この程HPリニューアルに伴いまして、ブログ「琵琶一人旅」及び「琵琶樂人倶楽部」をこのHP内に移設しました。今後は、こちらの方を御覧くださいませ。よろしくお願い申し上げます。
先日第209回琵琶樂人倶楽部「琵琶唄の現在」をやって来ました。いわゆる弾き語りの琵琶唄ではなく、Msの保多由子先生に歌ってもらって様々な形の琵琶歌を聴いて頂きました。まだまだ未消化なものも多かったのですが、定型の弾き語りにこだわる琵琶唄をこれからもどんどん柔らかくして、未来に向けて新しい魅力ある琵琶樂を発信して行きたいと思っています。

伝統のものには、常に「らしい」かどうかという意見が付きまといます。それはリスナーよりも演者の側にこそ強くあり、自分の習ったものや伝統とされているものが正統で、その型の逸脱を強く拒みます。その結果リスナーとの溝はどんどんと広がって行ってしまいます。リスナーは音楽として素晴らしいと感じてくれれば新しいものでも聞いてくれますが、演者の方は拘りから抜け出すことが大変難しい。色々勉強して、自分で会得したものはなかなか捨てられないし、それが正義正解だと思い込んでしまっている。また自分を取り巻く状況でまかり通っている常識や価値観も乗り越えられないし捨てられない。勉強した人程、捨てられないのです。専門の事を深く知っていても、それ故に視野が狭くなり、周りが見えなくなって、身にまとわりついている状況から逃れられなくなるものです。
個人的な感想ではありますが、薩摩琵琶が弾き語りに固執し、今でも白虎隊や石童丸、鉢の木、城山、松の廊下(忠臣蔵)など忠義の精神みたいなものをやっているのは、今後の琵琶樂に於いても良い事ではないと思います。歴史の資料としてそれらの曲を遺すのは良いと思いますが、お稽古事とは言え、時代錯誤と思うのは私だけでしょうか。
若き日
30代の頃はライブをやると「古典を聞きたい」と言ってくる年配のお客さんがよくいました。私も返事に困って薩摩琵琶の歴史を説明すると、相手も困った顔をするという経験が何度もありました。お客様が琵琶に対して何かのイメージを持って聴きに来ることは結構な事だと思いますが、琵琶樂人倶楽部発足前(20~30年程前)は、演奏者も一番新しい流派程「琵琶千年の歴史」「古典やってます」みたいなキャッチフレーズで「伝統ビジネス」化したような宣伝をして琵琶のイメージを売りにしていました。琵琶樂人倶楽部を始めたのも、こうした現状に対し、しっかり琵琶樂史の説明をして、その豊かで魅力的な琵琶樂を知ってもらいたいと思ったからこそ、活動を始めたのです。平曲も雅楽も勉強せず演奏できない人が「琵琶樂千年の歴史」と軽々しく口にして宣伝するのは、さすがに詐欺でしかありません。そして薩摩琵琶の古典といわれるものが軍国物や軍国時代になってしまうのも実に残念です。むしろこれから古典となるような作品を将来に向けて創って歴史を紡いで行くようであって欲しい。
鶴田錦史
よくよく歴史を振り返ってみると、新たな時代を創った人は皆「らしく」ない人達なのです。ピアソラ、チャーリー・パーカー、ジミ・ヘンドリックス、ラベル、ドビュッシー、永田錦心、鶴田錦史、もう切りが無いですが、今スタンダードを思われているものを作った人は当時、皆当時一番のアバンギャルドであり、皆「らしくない」と言われ、お決まりのように「これは○○ではない」と批判されました。その批判されたものが今やスタンダードとなり、古典となって行ったのです。古典とはそうしたアバンギャルドの中に在るエネルギーがあってこそ、古典となって歴史を創って行くのかもしれません。
「らしい」という事は現在のレールの上に立っているという事です。優等生的で、トラディショナルで安定感はありますが、ワクワクとした次の時代は見せてくれない。そして琵琶樂の問題はそのレールが軍国時代であり、忠義の心や男尊女卑だという事です。だから私は琵琶を手にした時、そのレールを外すところから琵琶での音楽活動を始めたという事です。とてもじゃないけどそんな軍国時代のレールには乗れません。
私は薩摩琵琶の音色に惹かれて手にしたので、この音色こそ次世代に伝えたいのです。土台となるレールは日本感性であり、近代の軍国のそれではありません。それは永田錦心や鶴田錦史がやってきた事と同じです。私は彼らのような力量は無いかもしれませんが、だからといって軍国だの忠義だの、そんなものを一音楽家として舞台でやる訳には行きません。そこに自分の主張がないどころか、音楽家としての質を問われてしまいます。本当は先輩たちに次世代の琵琶樂の在り方を示す活動をして欲しかった。残念ながらそういう方は居ませんでしたね。形は真似出来ても、志や精神を受け継ぐのは本当に難しい。
福島県安洞院にて 能楽氏:津村禮次郎師 詩人:和合亮一氏と
「和して同ぜず」という言葉がありますが、「和」するとは、皆が同じ形になる事ではありません。字の語源を辿ると、違う調子の笛が束になっている形なのですが、異なる様々なものが一緒になっている状態が「和」です。「同」とは一緒に居るものが皆同じ質になるという事。つまり「和して同ぜず」とは、異なるものは異なるままに、同じ社会の中に生きている、多様性のある社会といい変えても良いと思います。「和を持って尊しとなす」は皆が同じになるという事ではなく、色々な人が協調し合って生きるという事ではないのでしょうか。
琵琶をやっている人が、旧来の価値観に囚われて「らしい」という一つの形から抜け出せず、その思考迄もが一つの方向に、それも軍国時代の感性に向いてしまうというのは、とてもいびつな形だと思います。そこからは次世代の琵琶樂は到底生まれて来ない。私はそう思えて仕方がないのです。
自分と同じ形、同じ視点、同じ感性でないと仲間ではない、という村社会の心情は、コロナの頃のマスク警察やワクチン強要と同じで、形も思考も行動も同じでないものは異常なものとして排除するという感性と全く同じなのです。つまりは全体主義へと簡単に流れてしまうという実例だと思っています。
若き日 厳島神社本殿にて
少なくとも音楽・芸術は、そんな狭量な所から発して欲しくないですね。琵琶樂が、過去に寄りかかって同じ事を繰り替えず骨董品ではなく、常識も習慣も乗り越えて次の時代を感じさせてくれるような魅力のある音楽であって欲しいのです。
毎日凄い暑さですね。相変わらず引き籠り状態で、普段から買いためている本を片っ端から攻めているんですが、こういう時間は自分の土台の部分を豊かにしてくれるので、人生にこういう引き籠りの時期も必要かもしれません。自分の中の想いでしかなかったものに、言葉を与えられたようで、しっかりとした輪郭を持って見えて来ますし、またその先へと思考も深くなります。
最近のお気に入り
あとはとにかく作曲ですね。私は常に何か曲を考えていて、思いついたらすぐ譜面に書き留めています。実はこれまで一度舞台にかけたけど結局やらなくなった曲は山のようにあり、CDにしたものでも今はやらないものもあります。中には別の曲に作り替えたらいい感じになって、よくやるようになった曲もあります。一応出来上がると笛の大浦さんや尺八の晄聖君なんかに見せて、音出ししてもらいながら推敲を繰り返して、日々作曲をしているのです。こんな訳で我が家には創りかけの曲や、没になって部分だけを保存してるような譜面が山のようにあります。これはもうギターを弾いていた時代からずっとそうなので、私にとって音楽活動とは、舞台を飛び回る事よりも常に創り続ける事ですね。
能楽師の津村禮次郎先生と ルーテルむさしの教会にて
まあ実験や挑戦も含め色々な仕事をやって来ましたが、最近は演奏活動も一段落ついて、自分がやりたいと思う創作と活動に集中して行けるようになりつつあります。舞台も勿論大好きなのですが、大体私はエンターティナーの真逆を行く性格と姿なので、イベントの賑やかしなどもとてもやれません。まあやっと自分らしい形が見えて来て、枝葉に寄り道する事も少なくなり、自分らしくなってきたという事です。
そしてやはり曲を創るには膨大な時間が必要という事を改めて思いますね。心に大きな余裕がないと語るべき世界が明確に見えて来ないのです。中にはツアーの休憩時間に書き上げてしまった「Voices 」(10thアルバム AYU NO KAZEに収録)みたいな曲もありますが、創るには時間が必要なのです。効率を求めて動く現代の世の中にあっては、無駄のように思われるかもしれませんが、創造とはハンナ・アーレントも言うように人間の一番人間らしい行為です。現代社会は目の前で消費される労働に終始して、創造という事を忘れている。現代社会がどんどんと風土から離れ、社会に歪みを増して行くのは、効率や合理性を重視して人がものを創り出すリズムをないがしろにして世の中が動いているからだと、私は思いますね。
人間の営みには無駄は無いのです。昼間からビール飲んでひっくり返っているような時間もあってこそ、何かが生まれ、世界が動き出すのです。という訳でビール飲むのも仕事の内という事で納得している次第であります。今3曲程同時進行で進めていますが、どうなる事やら。
お陰様で琵琶樂人倶楽部の方は毎月順調にやっています。もう18年も毎月琵琶に関する様々な企画を立ててやっていますが、毎回違うので飽きが来ません。毎月違うゲストと共にリハーサルをしたり、企画の為の編曲をしたりして、とても充実しています。今週7月9日(水)第209回は、Msの保多由子先生と笛の玉置ひかりさんに来ていただいて、新たな琵琶唄を聴いて頂きます。是非お越しください。
玉置ひかりさん、保多由子先生と
演目は、「朝の雨」(平家物語 千手より) 「経正竹生島詣」(平家物語 竹生島詣より) 四季を寿ぐ歌「春」・「夏」他
割と伝統的なスタイルから、前衛的な曲、雅楽的なアレンジの曲等々演奏いたします。
今回は琵琶と歌の組み合わせでも色んなバリエーションが創り出せる、という所を是非聴いて頂きたいです。琵琶樂はとにかく型にはまり過ぎ。私は琵琶を手にした最初からずっとそう思っています。私が弾き語りをほとんどやらないのは、琵琶唄の造りがどれも同じで、その歌い方も張り上げるばかりで、表現に乏しいと思えてならないからです。他のジャンルの歌は実に多種多様な表現があり、曲があり、一つのジャンルでも静かなバラードあり、アップテンポのノリの良いものあり、精神の奥深さを感じさせるものありと多様な魅力に溢れているというのに、琵琶唄は実に幅が狭い。明治大正の父権的パワー主義で貫かれているような曲も未だに多くあり、残念でなりません。だから私はこの世界にもまれな妙なる琵琶の音をもっと聴いてもらおうと思って、自分で創るのです。軍国時代を琵琶の伝統にはしたくないのです。日本の育んだ長く深い歴史と感性をもって、新たな琵琶樂を創って行きたいのです。
芸術家、といより人間は常に創り出すのがその精神の根本。どんな感性を土台に持って、魅力ある音楽を創って行くのかという所を問われるのです。外国かぶれの物真似や、旧来の型をなぞっただけの生半可なものは、いただけません。
歌に関しては、弾き語りではなく、歌い手と琵琶演奏を切り離して、これからも色々とチャレンジして行きたいと思っています。先日聴いた深草アキさんの演奏も大いに参考にしたいと思っています。
今はもう少し自分の感性の土台を見つめ、考えを明
確にしたいと思っています。色々と本を読むのも、他のジャンルの方と語りあうのも、とても貴重な事ですし、最近は少しづつ色んなライブや公演にも足を運んでいます。中にはただ遊んでいるとしか思えないようなものもあり、がっかりする事もありますが、やはり目の前で観て感じるのは良い刺激ですね。
https://biwa-shiotaka.com/創るということ2025/
以前の記事にも載せたパット・メセニーのインタビューで、尊敬するウエス・モンゴメリーに対し「彼は彼を見つけ、彼のサウンドを見つけ、彼らしくある方法を見つけたのです。それは私にとって大きな教訓でした」という言葉は本当に響いてきます。私も自分の音色・音楽・スタイルを実践して行きたいのです。
さて、今日もゆっくり本を読み、譜面に向かいますよ。
今は正に動乱の世の中ですね。やはり人類は永遠に平和という手の届かない幻想を追いかけているのでしょうか。
私はウクライナにもロシアにも知り合いは居るし、イスラエルの若者に琵琶を教えた事もあります。彼は現在30代になったばかり。琵琶を持って帰国しましたが、今どうしているんでしょうね。私如きが何を思っても世は変わりませんが、世界の情報が入ってくるようになった今、「関係無いね」という体で過ごすのは難しいですね。
高野山常喜院演奏会にて 2006年
私が音楽活動を始めた80年代は日本の経済が強く、バイトしながら音楽家を目指す連中が何とかやって行けるような時代の弾力というものがありました。ネットもないので余計な情報も入って来ず、自分の見えている所だけを見ているだけでも何も問題無く自分の夢を追いかける事が出来た時代でした。琵琶に転向してからも数々の機会を沢山頂きこれ迄やって来ましたが、それは単に時代が良かったという事なんでしょうね。
これからを音楽家として生きて行こうとする若者は、また違う時代を生きなくてはならないのですが、どんな時代であれ、今自分が置かれている社会の中で生きて行くのが芸術家の定めとしか言いようがありません。だからまた新たな音楽が生まれてくるのです。是非志を持って頑張って欲しいものです。
しかし残念な事に邦楽人の意識は変わりませんね。邦楽はプロでやっている人がほとんど居ないせいか、経済的心配も切実感も無く、自分の満足優先で、世の中に身を置いて活動をしている人が本当に少ないのです。ここが邦楽の一番脆弱な点でしょう。時代と共にやり方もノウハウも、センスも変わって行くのが人間ですから、そこから逃げていてはどんな仕事でも淘汰されて行くだけです。何を受け継ぎ、何を変えて行くべきなのか。音楽家にとって一番の問題点も、邦楽人にとってはあまり関係ないのかもしれません。
私自身は琵琶の先輩達から活動のやり方や、プロの琵琶弾きとしてのノウハウは一切教えてもらった事がありませんでした。だから自分で考え、自分の音楽を創って行ったのです。私の音楽が評価されるかどうかは別として、自分で切り開くしかなかったのです。私の知識が役立つのなら生徒達には色々教えてあげたいですが、それも結局は自分の中に落とし込んで、自分で考え、自分のやり方を見出して行かない限り、自分の歩む道は見えて来ません。
以前は大枚のお金をはたいてクラシック演奏会で使われるような一流のホールを借りて、中身はお稽古の発表会のようなものを繰り返している人が結構いました(今も相変わらず)。正直腹立たしかったですね。立派なホールでリサイタルをやっている自分をアピールしているばかりで、音楽家としての気概も主張も全く感じられなかったです。現代曲も未だにノヴェンバーステップスやエクリプスばかりで、それらをやっている自分を凄いとばかりにアピールし、あとはお稽古した流派の曲というパターンが未だに変わりません。10代20代のこれから活動をして行こうという若者なら、今後への期待を含め大いに応援しますが、40代50代の自分の音楽を存分に表現できる(すべき)中堅やベテランが、お稽古事に終始して過去をなぞっているようでは情けない。私は琵琶に転向したのが遅かったですが、それでもT流の初めての稽古で、「ノヴェンバーステップスが霞むような曲を僕が書きます」なんて宣言したもんですがね。まあごまめの歯ぎしりという事でしょうか。
鶴田錦史ノヴェンバーステップス初演時
私が聴いて来た音楽家は皆、自分でスタイルを築き上げ、自ら行くべき道を切り開き、進んで行きました。琵琶なら永田錦心・鶴田錦史・水藤錦穰、皆そうです。勿論マイルスもコルトレーンも、ジミヘンもツェッペリンもクリムゾンも、ドビュッシーもラベルも同様、皆先人を尊敬し勉強も沢山したでしょうが、誰も過去の真似はしなかったし、過去に寄りかかったりもしなかった。全責任を自分で負い、自分の音楽とスタイルを創り上げて行った。弾かれたレールの上に乗っかって優等生面しているようでは、自分の進む道は見えて来るでしょうか。
ノヴェンバーステップスやエクリプスが誕生した頃の、あの熱狂は琵琶樂の次世代を強烈にそして鮮烈に示してくれました。受け継ぐべきはあの精神と志と熱狂です。それをなぞり、寄りかかり権威にしたてあげる事ではない。むしろノヴェンバーステップスは、「これを乗り越えろ」というのが次世代へのメッセージだったのではないでしょうか。そして世の移り変わりと共に琵琶樂も変わって行くべきだという勇気を鶴田錦史は示してくれたのではないでしょうか。私にはそう聴こえます。
宮城道雄&ルネ・シュメー
画家や作家が作品を創るように、音楽家も創り出してこそ音楽家。お上手を披露しているのはただの技芸であり、音楽ではないと私は思っています。自分の創ったものが例え評価されなくとも、そういう活動こそが音楽活動だと私は信じています。やり方は様々あるでしょう。作曲家と組んで、次世代の琵琶樂を奏でるのも良いと思いますし、そのスタイルもオリジナルであるのが当たり前だと思います。過去に出来上がって権威とあがめたてられものに寄りかからないで、それらをぶっ壊す位の勢いが欲しいものです。永田錦心や鶴田錦史は、当時最先端で且つ最強の反逆児ではなかったですか。永田、鶴田のような気概や精神を持った反逆児をこそ今時代は求めているのではないかと思います。まあ政治家も同じかもしれませんね。
これからを担う若者には、あの鶴田や永田の熱狂と志を持って、これからの時代を生き抜いていって欲しいですね。やはり「媚びない、群れない、寄りかからない」これを忘れてはいけませんね。