先日のMIMINOIMI 主催の「 Anbient Week」は良い感じで演奏することが出来ました。会場は築50年(もっとかな)はゆうに経っているだろうと思はれる廃墟のようなビルで、そこがまたアートな感じで気に入りました。

会場では久し振りに秦琴奏者の深草アキさんと再会を果たすことが出来、来年は年明けに琵琶樂人倶楽部にも出演してもらう事になりました。深草さんとはかなり前に邦楽ジャーナルクラブ「和音」で知り合ってからずっとメールなどで繋がっていたのですが、お逢いするのは本当に久しぶりでした。ああいうフェスは色んな方と知り合えるのが嬉しいですね。
深草さんの演奏も聴かせてもらって、色々とお話もしていたら、また自分の姿というものも見えて来ました。やはり色んなジャンルの方々との交流は己を磨きますね。やはり私は演奏家というより作曲家の部分が強いのでしょう。作曲をして自分の想う世界を描き発表して行くスタイルでやって来ましたが、いわゆる演奏家とはちょっと意識が違うのだと改めて感じました。
この動画は昨年、青梅宗建寺で行われた深草さんの演奏。ここは私も以前演奏したことのあるお寺です。深草さんの音楽は他には無い独特の世界観が魅力的で、地味で静かな音楽ながら、PPによるかすかな音からリズミックな表現まで多彩な表現があります。歌(というより声)も入りますが、あくまで演奏がメインであるのが素晴らしい。だから秦琴の音をじっくりと味わうことが出来る。こういう歌の入り方は私が探していたスタイルに大変近く、多くの示唆を頂きました。今後は歌の入る作品も創って行きたいと思っているので、アイデアも湧いてきました。HPもありますので是非ご覧になってみてください。
先日のライブでは10thアルバムに収録した「凍れる月 第三章」を藤田晄聖君の尺八でやってみましたが、これがなかなかいい感じで、曲の新たな魅力も感じられました。笛とは違って雰囲気が変わり、曲の新たな一面が引き出されたように感じています。私は自分の曲を色んな演奏家と演奏するのですが、楽器を限定せず、ヴァイオリンや尺八など色んな楽器とやっています。「塔里木旋回舞曲」も笛とのデュオで創りレコーディングしまたが、ヴァイオリンとのデュオもとてもいい感じで気に入って9thアルバム「Voices from the Ancient World」に収録して、ライブでも良くやっています。「西風(ならい)」も笛でやったり尺八でやったり、時にはASax&ヴァイオリン&琵琶のトリオでやったりして、それぞれに違った魅力を感じています。「君の瞳」も元々フルートと琵琶で創りましたが、今ではもうヴァイオリンとのデュオ曲のようになっています。曲自体も色んな形で出来るように演奏者の解釈で色々出来るようにあえて書き込みを細かくせずに作曲してありますが、有能な演奏家と組む事と色々と試せる機会がある事で曲の可能性はどんどん広がり、曲の持つ世界はどんどんと深まって行くのです。作曲家としても演奏家としても本当に嬉しいですね。
ウズベキスタンの首都タシケントにあるイルホム劇場にて。「まろばし」をアルチョム・キムさんに、ミニオケのバックにネイ(ウズベキの笛)&琵琶に編曲してもらって上演
毎年、梅雨時期はパンクするんじゃないかという位忙しかったですが、さすがにコロナを経て、変わって来ました。今はじっくりと創作する時期なのだろうと思っていますが、こういう流れの変化を感じ取れるかどうかはとても大事な事。世の中全体も勿論ですが、自分を取り巻く状況がどんな流れの中にあるのか、そこを解った上で、あえて逆らって行くのか、もしくは流れの乗ってゆくのか、そこにその人の器が問われます。
最近は琵琶の楽曲をもっと創りたいという気持ちが強くなりました。以前は演奏会のプログラムを意識して作曲をしていたという感じがかなりあって、オープニングにはこんな曲。二部の頭にはこんな曲という具合に作曲していたのですが、今は、単に充実した琵琶の楽曲を創り上げたいという気持ちの方が強くなりました。自分の中での変化も面白いです。
photo 新藤義久
作曲及び演奏に対する姿勢の変化は、自分の年齢的な事もあるだろうし、私が今後のヴィジョンをどう持つかで考え方も活動も、日々の生活も変化して行く事でしょう。自分が見据える今後の自身の姿を成就する為にも、今はこの流れに乗って行くのが最適だと感じています。今年ももう半分ほど過ぎてしまいましたが、後半が楽しみですな。何かが始まるのかな??。
来週の琵琶樂人倶楽部は毎年恒例になっている、琵琶製作者の石田克佳さんを迎えての琵琶トークをやります。石田さんはもう実質上お父様と共に国内唯一の琵琶の制作を担う方です。また正派薩摩琵琶の演奏もしますので、先ずは「小敦盛 二段」を演奏して頂き、私が「壇ノ浦」を演奏。二つの琵琶の聴き比べをします。その後二人で色々琵琶についてのトークを繰り広げるという毎度恒例の構成です。今回は琵琶に使われる材料についてお話を聞かせて頂こうと思います。
私の中型琵琶の裏側に使っている花梨の木ももう入って来ないようですし、桑の木や撥に使う柘植の材等、これまで通りという訳には行かなくなっているようですので、その辺りの事をお聴きしたいと思っています。小さな会ですので、お席も25人程でマックスです。ご興味のある方は是非ご連絡くださいませ。
琵琶樂人倶楽部にて SOON・Kim 田澤明子各氏と
私は最初から自由に琵琶の活動をしていますので、いわゆる流派の方とはほとんど交流がありません。意識的に避けてきた部分もありますが、作曲と演奏を不可分やっている私にとって、流派の形をそのままやろうとするスタイルと私とでは、あまりにも見ている所が違い過ぎて、同じ琵琶と言えども、話が出来る所があまりなかったというのが実情です。その分、私は能や長唄・日舞等の邦楽の他のジャンルの方々や洋楽の演奏家・作曲家、他ダンサーや詩人等様々なアーティスト達と幅広くお付き合いさせてもらっています。
石田さんはそんな私のやり方にも理解を持ってくれて、私がどんな音楽をやりたいいのか、どんな音を欲しているのか、その辺りをよく理解して「塩高モデル」を創り上げてくれました。流派でやって行く人から私のようなオリジナルスタイル迄、自然に対応してくれるのが嬉しいですね。今回もなかなか普段は聴けない話を聴く良い機会となると思います。是非お越しください。
琵琶はどこへ行っても大体耳なし芳一や琵琶法師というイメージで捕らえられてしまいます。また演者も珍しいとか唯一などという特別感を売るようになってしまうものです。確かにその場ではお客さんもそんな雰囲気に浸り見ることが出来満足してくれると思いますが、その繰り返しをした結果が今のこの衰退の現状ではないでしょうか。タレントとして売れたいのか、それとも音楽家・芸術家として評価をされたいのか、あいまいな姿勢でいると何も成就しません。永田錦心や水藤錦穰、鶴田錦史等本気で琵琶樂を創り上げて行った、そんな志を持った人がもっと出てきて欲しいですね
世界の音楽の流れを見ると、今受け継がれている音楽を作った人は皆、新たなものを創った人達です。パガニーニ、バルトーク、シェーンベルク、ドビュッシー、ラベル、ジョンゲージ、武満、黛、パーカー、マイルス、コルトレーン、オーネット、ジミヘン、パコデルシア、ピアソラ、ボブマーレイetc.
皆時代の音楽を創り上げたのです。時代と共に社会が変わるように形を変えながらも、先人達の感性や精神を受け継いでいったからこそ音楽が出来上がり、今に残っているのです。日本には世阿弥、利休、芭蕉をはじめ宮城道雄、海神道祖といった人達がずっと日本の音楽・文化を創り続けて来ましたが、今は創るという事を本当にしなくなってしまった。特に琵琶樂に於いてはそれが顕著です。よく平成は失われた30年と言われていますが、それは邦楽に於いても全く同じだと私は思っています。
19年前 第一回高野山常喜院演奏会にて 笛の阿部慶子さんと
何度も書いていますが、私は30代で活動を始めた時、某雑誌の編集長から「琵琶で呼ばれている内はまだまだだ。塩高で呼ばれるようになれ」とアドバイスを受けました。琵琶の珍しさに寄りかかり、その珍しさを売りにしても、ネットで少しばかりアピールしても、そんなものはすぐに同じような賑やかしの輩に取って代わられる。
私は琵琶の音色に強烈に惹かれ琵琶を手にしました。弾き語りに惹かれたわけではありません。この音色にこそ惹かれたので、声はかえって無い方が純粋に琵琶のあの妙なる音色を聴かせることが出来ると琵琶を手にした最初から感じていました。笛や尺八筝曲三味線は皆独奏曲があり、その音色を存分に聴かせているのに、琵琶はいつまで経っても歌の伴奏しか弾こうとせず、弾き語りという形を演者が変えようとしなかった。変わって行く事こそ継承であり、伝統を創って行く事ではないでしょうか。私はジャズをやっていた頃からずっとそう思って音楽に接しています。雅楽ですら平安時代にも明治時代にも大きな改革をして、変わって来ているからこそ現代に伝えられているのです。
photo 新藤義久
私は子供の頃から古典文学や歴史に接していたので、ジャズをやっていたにも拘らず、すんなりと邦楽の世界に入って行けました。また大人になってから琵琶に出逢った事も良かったですね。子供の頃からやっていたら今のようにはならなかったでしょう。ジャズを通り越したのは実に良い事だったと思っていますが、そのせいか自分が創り出すものの土台が何であるのか、その土台から何を表現したいのかという哲学的な部分では琵琶を手にした最初から一定の想いを持っていました。だからジャズをやる事よりも自由に創作が出来たのです。
そして石田さんが最初から近くに居た事は私にとって大きな大きな運命だったと思っています。塩高モデル無くして私の音楽はありえません。
私は現代の琵琶樂を創りたい。私にしか出来ないものを創り上げたい。能や雅楽、長唄などと違い、まだ歴史の浅い薩摩琵琶の世界では、創作は自由自在にやれますし、樂琵琶も雅楽の外側に居たからこそ自由にやって来れました。色んな事が実にタイミングよく自分の身の周りにあったし、今になって思うと導かれたんだなと感じています。これからも自分の想う所を進んでいきたいですね。
琵琶トーク是非お楽しみに。
先日のSupper Dommuneの配信ライブは、久々にワクワクする時間でした。
残念ながら一般には公開していないのですが、それでも配信時には約480ビュー程観て頂きまして、茂手木潔子先生とも久しぶりにお逢いして、トークコーナーでも色々と話をする事が出来ました。ああいう空間に居られるというのが嬉しいですね。尺八の藤田晄聖君も楽しんでくれたようです。
来月5月10日に本番のライブがあるのですが、是非お越しくださいませ。深草アキさんや高田みどりさんも出演されます。
MIMINOIMI Anbient Week
5月10日 中目黒Just Another Space 私と晄聖君のコンビは16時スタートです。
チケットはこちらから
MIMINOIMI – Ambient / Week – 2025 “Sense of Gradation” DAY6「Sound & Performance #1」 | Peatix
そして27日の日曜日には滋賀の常慶寺で久しぶりに演奏して来ました。ここはもう10年以上前からの御縁で笛の大浦典子さんと何度かやって来ました。今回は今年出した10thアルバム「AYU NO KAZE」の中からの新作を盛り込んでのプログラムでしたが、とても良い雰囲気の中演奏出来ました。こちらの報告はまた後日。
2012年の常慶寺演奏会の時のもの 笛の大浦典子さんと
琵琶というと和服を着て、弾き語りで平家物語なんてイメージしか沸いてこない人も多いと思いますが、これだけの表現力のある楽器をそこだけに閉じ込めるのは実にもったいないです。私はこの音色に魅せられ琵琶を手にしたのであって、けっして語りや歌に魅せられたのではありません。だから今でもこの琵琶独自の音色を追求して、器楽曲を中心に作曲演奏を活動を続けているのです。ただ琵琶樂は弾き語りのスタイルが平家琵琶以来の伝統ですし、そこも琵琶樂にとって大切な歴史だと思いますので、琵琶と歌の組み合わせにも、少しばかりですが独自のアプローチをしているのです。
私自身も弾き語りは年に何度かやるのですが、歌でも演奏でも、プロレベルでやるには生半可な精進では出来ません。他のジャンルとも引けを足らない、個性と実力が在って初めて、聴いてもらえるのです。邦楽は今その部分に対する意識が欠けているように思えてなりません。
先ずは、現代そして次世代が共感するような内容の曲を創る事が先決です。歌詞も大正昭和の軍国的な忠義の心や戦争の歌を未だにやっているようでは聴いてもらえないのは当たり前。薩摩琵琶はまだ流派が誕生して100年程。平家琵琶のような古典であれば歴史的な価値もありますが、何十年か前の時代の歌を、それも多分に軍国的、男尊女卑的で父権的パワー主義全開の歌を誰が今共感してくれるでしょうか。どんな分野でも変わろうとしなければ滅びるのを待つだけです。これからの世代の琵琶人で弾き語りをやる方には、是非大いにリスナーに共感される歌を創って頂きたいですね。
photo 新藤義久
我々の仕事は「その先の世界」を描いて魅せる事です。かつて宮城道雄や永田錦心、鶴田錦史など邦楽をリードしてきた方々は、常にリスナーが期待している以上の、その先の大きな魅力ある世界を創り出し、聴かせ、魅せて来ました。だからリスナーもいつもワクワクして付いてきたし、邦楽全体が創造力に溢れ、勢いがあったのです。かつてのジャズも同じでしたね。しかし邦楽もジャズもいつしか創造の志は薄れ、上手を目指すようになって、既存の出来上がったレールの上を走り、優等生になってしまった。世界の常識を破り、皆が思いもよらない世界を創り出してゆくエネルギーと魅力を、次代のリスナーは求めているのではないでしょうか。
私のやっている事は、ごまめの歯ぎしりかもしれません。それでも優等生面をして先生と呼ばれるより、私は自分の想う所をやって行きたいですね。琵琶樂のもっと先の世界を創りたい。どんな曲が生まれ、どんな世界が待っているのか楽しみでしょうがないのです。予定調和な所で遊んでいるのは、私には退屈でしかありません。いつもワクワクしているからこそこれ迄琵琶を弾いてきたのです。
一緒にワクワクしませんか。
前回の記事で、今月の琵琶樂人倶楽部で演奏した後、「春陽」を聴いたお客様から「アンビエントミュージックみたいでもありますね」というご感想を頂きました。前にも同じようなご感想を頂いたことがあるのですが、私はプログレが好きだったので、そのつながりでブライアン・イーノなんかもよく聞いていて、アンビエント音楽にも結構興味があります。アルボ・ぺルトなんかも聞いていると瞑想に誘うようで、ある種同じ感覚で聴いてましたね。一口にアンビエントと言っても色々あって、シンセで作った安易なBGMのようなものも少なくないし、アンビエントの定義も定まっていないですが、音楽の先の世界へリスナーを導くという点では同じですし、私の作ろうとしている音楽と同じなのです。
実は来月10日には「MIMINOIMI – Ambient / Week – 2025」というイベントがあり、私は尺八の藤田晄聖君と出演します。秦琴の深草アキさんやPerの高田みどりさんなども出演するイベントで、何だか面白くなりそうなんです。詳細は改めてUPします。
そのプレイベントとして今月17(木)に以下のような配信イベントをやります。
開演は19時00分。当日は会場で聴く事も出来ます。(入場料:2000円)
場所は 渋谷パルコ9F 「SUPER DOMMUNE 」
視聴リンク:https://www.dommune.com/
Youtubeでもご覧になれます。http://www.youtube.com/user/dommune
こちらでは音楽学の茂手木潔子先生のレクチャーと、私と晄聖君のミニライブ、更にDJが聞く現代音楽というテーマでDJのChee Shimizuさんと井上馨さんのトーク&ライブもあります。 茂手木先生とはもう15年程前に有明教育芸術短期大学で非常勤をやっていた頃からのお付き合いですが、今回は先生とのトークコーナーもありますので、こちらもとても楽しみなのです。
プログラムは
1)フェス自体の紹介 (MIMINOIMI代表 石松豊)
2)茂手木先生のレクチャー (テーマ:日本の響きとは(予定)〜 生活と音、日本の古典音楽、現代邦楽、実験音楽、アンビエント)
3)塩高・藤田ミニライブ
4)DJ Chee Shimizu&井上馨トーク及びDJ(テーマ:DJが聞く現代邦楽)
音楽は人の心を直接揺さぶるものとして古代から考えられていて、かの孔子も「国を変えるなら樂を変えよ」という位にパワーのあるものでした。現代ではショウビジネスで消費される商品のようになって来ていますが、現代人にも単に楽しむだけでなく、音楽本来の豊かな世界をもう一度感じて欲しいですね。
常に社会と共に在る音楽は、社会の成熟と共に音楽家という職業も誕生し、組織が作られ、そこに権威も纏って行きます。だからこそブルースやロックのような権威に対するものも出て来ます。音楽自体にも理論や形式などが出来上がり、自然発生的に出来上がった民族音楽とは離れ、アカデミックなものや大衆のエンタテイメントへと形作られて行きます。しかし音楽の本来持っていたものと離れすぎると、当然の如くエネルギーが削がれ、魅力を失い、人々からも離れて行くのは歴史が証明しています。
クラシックでもジャズでもある形式を持った音楽は安定感があるし、聴いている方としても楽しみ方や評価の基準が出来ている方が心地良いものです。しかしその創り出された形式や理論はどうしても形骸化してしまいます。権力者の保護する音楽であれば、その権力が続いている内は存続するでしょうが、そうでないものは、世の移り変わりと共にどんどんとその姿を変えて行きます。これは我々の生活が移り変わって行くのと同じ事です。
photo 新藤義久
人間の根源的な意識や感性にアプローチするのが芸術の本質だとすれば、形を変え、または壊して新たなものを創り出し、時代に合った形で、その根源へと向かう事は芸術の宿命であり使命ではないでしょうか。私はいつもそんな風に考えています。
また新たな展開をして行きたいですね。
先日の第206回琵琶樂人倶楽部「次代を担う奏者達」は賑々しく終えることが出来ました。出演の皆さんも夫々オリジナル性に溢れ、とても勢いを感じました。これからもっと琵琶を自由に弾く方が出てくると良いですね。
善福寺2025
春の花を見ていると、頭の中に色んなイメージが浮かびます。先日の琵琶樂人倶楽部では「春陽」という樂琵琶独奏曲を演奏しましたが、これは2011年の秋にリリースした「風の軌跡」というアルバムの第一曲目に収録したものです。作曲は夏の終わり頃。震災の年でしたので3.11の記憶も重なり、穏やかな春の陽射しの中に、もう戻ることのない現状の姿も重なり、その暖かい陽射しの裏側の現実がメロディーとなって曲になりました。春は命の芽吹く季節ですが、生と死はまた表裏一体でもあります。そんなイメージと共に2011年の春の陽射しは特別なものがあります。
私は色んな出来事をイメージの中で捉える事が多く、現実を超えた世界に想いを馳せる事が、そのまま音楽に繋がって行きます。いつも珈琲を飲みながらそんな想いの中に遊んでいます。
私は午後に時間があれば珈琲を飲むのですが、少しリラックスしながらある種の瞑想状態に近くなって自分の心の奥底へと静かにアクセスしています。今自分がやっている事が本当に自分のやりたい事なのか。純粋に自分の音楽を創り演奏しているのか。声を掛けてもらって只飛び回って喜んでいるだけで終わっていないか。そして自分には何が出来て、何が出来ないのか、何が足りなりないのか。そんな自分の心の奥底にアクセスして行くと、新たな作品の発想が浮んで来るのです。
近代までは東アジアやバリ、アマゾンなどのシャーマンが居た所では、薬草などを使って自分の意識の底へダイビングするような夢見を実践していたそうですが、オーストラリアのアボリジニやチベットでは、今でもまだ一部そんな夢見が残っているそうです。夢見の時間は先祖や大地の動物たちの霊と直接出逢う大事な時間だったそうですが、私には何だかその大事さが判る気がするのです。私のはそんなに大層なものではないのですが、私にとっては珈琲が薬草と同じような存在で、珈琲を飲んでいる時間が夢見の時間という訳です。
18歳で上京して来てから、すぐに喫茶店でバイトをやり出したこともあって、珈琲の淹れ方も教わり、以来珈琲を飲むようになりました。以前も喫茶逍遥という記事を書きましたが、とにかく色んな町に行って、良い感じの喫茶店に入るのがささやかな楽しみでもあるのです。珈琲は飲むだけでなく、豆を挽いて淹れてる、その行為自体が儀式的で好きなのです。それだけでも気分転換になりますし。ちょっと発想を変えたい時、煮詰まった時には、とにかく豆を挽いて珈琲を淹れます。珈琲が傍にあった事で音楽を生み出して行けたとも感じています。

上記のマッチの写真は高円寺にあったジャズ喫茶 Nagjaのマッチです。私はここにしょっちゅう通って珈琲を飲んでいました。私は酒も好きなのですが、残念な事にあまり強くなく、また飲み歩くお金も持っていなかった私にとっては、ジャズ喫茶で珈琲を飲む事がささやかなる日々の潤いだったという訳です。今は地元でそんな行きつけのお店もなくなってしまいましたが、思い返すと、20代~40代にジャズ喫茶で過ごした時間は、私にとっては貴重な時間でしたね。近現代の絵画や写真に触れたのもジャズ喫茶に大量に置いてあった写真集からでしたし、文学や演劇等、私の知らない事を、ここで知り合ったお客さんからよく聴かせてもらいました。あの頃ジャズ喫茶で見聞きした事は、今の私の音楽活動の土台のようになっています。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
現代人は、とにかく日常に溢れるビジュアルや文字情報に振り回されています。それはそのまま自分を見失っているという事でもあると私は考えています。文明が発達し、便利な世の中になればなるほど文化が衰退して行く。現代はそんな時代ではないでしょうか。不便なく過ごせる現代社会の中では、目の前の事は見たり感じたりするけれど、自分の意識の中は見ようとしない。そんな日常の中に埋没して自分が進むべき道も見えず、文明に誘導され人生が過ぎて行ってしまっているのではないでしょうか。珈琲を飲みながらゆっくりと自分を見つめ、来し方行く末を考える時間が今こそ必要な気がします。
もう物質文明の時代も終わりでしょう。多くのものやお金を持ち、身分や肩書を自分を固めるように背負い込んで生きる時代はとうに終わっていると私は思っているのですが、如何でしょう。
以前はCDを創るだけでも大変でした。でも今はネット配信で世界に届けることが出来ます。文明に誘導されるのではなく、文明を支えに文化を発信して行くようになっていて欲しいものです。人々の価値観が物にある時代は音楽以外の所で大きな労力とお金が必要でした。CDというものを持ち歩き、相手に見せないと話が始まりませんでした。今やっと物の時代から解放されてきて、意識も変わり、軽やかに風に乗って、自分らしくしなやかに生きて行く時が来つつあるように思います。その為にもゆっくりと自分を見つめたり、考える時間が必要なのではないでしょうか。
毎月琵琶樂人倶楽部でお世話になっている名曲喫茶ヴィオロン
まだまだ都内には良い感じの喫茶店があるので、またもう少し暖かくなったら喫茶店巡りをしながらゆっくりお散歩したいですね。お暇な方が居ましたら是非声を掛けてやってください。