この所ぐっと涼しくなって体が楽になりました。この秋は有り難いことに地方公演が毎月入っています。昨年の秋も随分とお仕事を頂きましたが、こんな時代に本当に感謝しかないですね。今週は11日土曜日に「人形町楽琵会」もあるので気合も漲ってきました。公演が是非まっとうに上演できるよう祈るばかりです。
さて、今日は久しぶりに少しばかり継琵琶、そしてメンテのお話など。
私は国内でしたら九州でも四国でも山陰でも、時間さえ許されるのであれば延々陸路で行くことが多いのですが、どうしても飛行機で行かなければならないこともありますので、秋の演奏会シーズンは、分解型の継琵琶が活躍します。この継琵琶は14・5年前に作ってもらった塩高モデル中型(左写真)なのですが、それを右写真のようにネックの付け根から、ばさりと切って分解型にしてもらいました。元々かなり良く鳴る琵琶で、5thCD「沙羅双樹Ⅱ」のレコーディングの時に使ったものなので、ツアーにもよく持って行ったものでした。しばらくしてそのまま使っていたのですが、当時就いていた師匠の勧めで漆を表面に塗ったところ、これがどうも良くなかったのか、今一つ鳴りが小さくなってしまいました。そこで分解型にする際には、一度バラバラにして、表だけでなく、内側に少し入っていた漆も全部剥いでもらって、それから分解型に改造してもらいました。改造してもらってもう丸4年経ちます。
上のURLは分解型にしてもらった時の記事です。琵琶職人の石田克佳さんも一体型の琵琶を切って分解型にするのは初めてだったようで、大分苦労されたようです。無理を聞いて頂きました。
継琵琶に改造された当初は、継ぎ目の所に大きなブロックが入っているせいか、どうにも鳴りが元のように戻らず、サワリや絃をはじめ細部を、さんざんいじり倒していました。特に糸口はこの継琵琶から貝プレート仕様にしたので、最初は本当に試行錯誤状態でしたが、今では結構いい感じで鳴るようになり、ちょっとしたリハーサルにも持って行くようになりました。
貝プレートの糸口は土台を壊すほどにいじった末、一度土台ごと交換してもらって、やっとセッティングが決まりました。今では4面の塩高モデルが全てこの貝プレートになっています。もう当分海外公演はないと思いますが、とにかく象牙のパーツは空港でいつ没収されるか判らないので、塩高モデルの4面は貝プレートだけでなく、以下の写真のように全て完全な象牙レス仕様になっています。下の写真を拡大してみてください。以前の記事にも書ききましたが、月マークは、大型が黒檀、中型が金属と貝。腹板の横線は黒檀。覆手の部分は大型が黒檀、中型が貝になっています。
糸口の改造に関しては、改造当初は音色の変化を心配したのですが、全く象牙と変わりません。もし貝プレートにして音がおかしいという人がいたら、それはサワリの調整が出来ていない為ですね。これは自信を持って言えます。象牙の使用は海外公演云々というだけでなく、今後の琵琶の存続の為にももう変えて行くべきだと思っています。
これからの琵琶人には、大声張り上げてご満悦のようなレベルを早く卒業して、是非楽器そのものにもっと興味を持って欲しいし、舞台に立つような方は、サワリや撥先、絃に気を遣って欲しいものです。時々楽器に対し「愛情欠乏症」とも思えるような、酷い状態の琵琶を弾いている人を見かけますが、よくあれで平気だなと、逆に感心します。最初にあの音を聴いた人は、琵琶にどんな印象を持つんでしょうね・・。琵琶を弾いて歌う歌手でありたいのか、琵琶奏者でありたいのか人それぞれだと思いますが、いずれにしろ、琵琶を珍しい飛び道具のように扱ってほしくないですね。愛情をたっぷり注いで、その琵琶が最適な音で鳴るように奏でていただきたいものです。
懐かしい写真が出て来たので、張っておきます。
2010年大分能楽堂にて、寶山左衛門先生の追悼の会にて、
笛:福原道子さん 福原百桂さんと、寶先生作曲の「花の寺」演奏中
上記の写真は大分能楽堂での長唄笛方 寶山左衛門先生追悼の会の時のものです。実は私の舞台デビューが寶先生の舞台でした。まだ30代の頃で四谷の紀尾井ホールにて、寶先生作曲の笛と琵琶の為の「花の寺」を演奏しました。その公演では、当時就いていたT師匠も他の曲で出演したのですが、会場に居た知り合いの笛奏者の方から、私の演奏を聴いて「音色が師匠とは全然違う。まだまだだね」と言われたのです。原因は勿論私の技術の無さですが、中でもサワリの詰めが甘かったからです。高音の余韻が無く、全体のサスティーンもバラバラだったのでした。それは当然そのまま私の演奏の質に直結します。厳しい評を頂いてしまったという事です。小手先の技に執心して、肝心かなめの音色が出来ていない自分を大いに恥じ、また自分のスタイルが思い入れだけで空回りしていて、全然出来上がっていないという事も痛感しました。師匠のメンテの行き届いた琵琶を改めて聴いて、これが一流の壁かと実感しました。悔しかったあの気持ちは今でも忘れないですね。それはプロとして舞台に立って行く為の貴重な体験でした。
歌手なら自分の声は命です。その命を守るためにありとあらゆる努力をしています。同じように琵琶を弾く人は琵琶の音色が命なのです。だから常にメンテをして整えてあげることは、凄い事でもなんでもない。琵琶弾きとして生きてゆく上での当たり前の事なのです。ヴァイオリニストもギタリストも皆さん、自分の楽器には目いっぱいの愛情を注いでいます。
楽器は社会と共に誕生し、世の移り変わりと共に変化を遂げて行くと私は考えています。雅楽のような権力とずっと一緒に在るものは別として、素材も、形状も変わって行くのが必然だと思っています。それはまた音楽が人々と共に在るかどうかのバロメーターでもありますね。ヴァイオリンの名機ストラディバリでさえ、現在使われているものは、皆内部の構造に手を加え、改造されて現代のホールで鳴るようにしているのです。昔のまま弾いている訳ではありません。ご存じでしたか。琵琶も「こうでなければ」という凝り固まった村意識・思考を脱して、世の人々と共に在る音楽として、楽器も楽曲も鳴り響いて欲しいものです。
そして継琵琶ももっと改良されて、どこにでも琵琶を持って行けるようになったら、もっと広まって、様々なスタイルの琵琶のジャンルが出来上がって行くでしょうね。その為にも継琵琶を広めて行きたいです。
島根県益田市グラントワにて、語り部の志人さんと。継琵琶使用中
私もこの所いっちょまえに、少しばかり琵琶を教えるようになりましたので、そろそろこれらのメンテナンスのやり方を生徒達に教えようかと思っています。次世代の楽器として継琵琶にも慣れて行って欲しいですし、自分の音色と音楽をしっかり掴み取って、自分独自の琵琶樂を築き上げて行って欲しいと思います。その為には日々のメンテナンスがとても大事なのです。今まで私がこの25年程培ってきたノウハウをしっかりと教えてあげたいですね。
この秋も継琵琶が活躍しそうです。琵琶樂がマニアの為に存在するのではなく、もっと今を生きる人々に寄り添って、様々なスタイルが支持されて、世の中に鳴り響く事を願っています。
大変な時代となりました。昨年の秋はまだコロナ禍ではあったものの、結構頻繁に演奏会で飛び回っていたので、年が明けて今年の後半にはもうある程度世の中が動くだろうと、お気楽に思っていましたが、今や日本だけでなく、海外に於いても先が見えない事態になってしまいましたね。今年は秋の演奏会も色々と予定されているのですが、開催出来るかどうかも判りませんので、暑中見舞いも残暑見舞いも出しませんでした。
そういう中で、来月は人形町楽琵会を再開します。ちょっと微妙な感じというのが正直な所ですが、とにかくせっかくの機会なので、やってみようと思います。会場も吹き抜けの大きなスペースですので感染対策も問題ありませんし、何よりも自ら動き出すことで、次の一手も見えてくるというもの。新たな時代にどう動くか知るには良い機会だと思っています。
今後ワクチンを接種していないと仕事が出来ない、演奏会に入場させない等という事態になってくるかもしれません。このネガティブな状況に次の時代への道を見出せるのか。試されているように感じています。とにかく目先の稼ぎや受け狙いに走らず、次の時代にも淡々と活動を続けて行く道を模索したいと思います。
以前の楽琵会にて 鶴山旭翔さんと
今回のゲストは、筑前琵琶の鶴山旭祥(お名前の「翔」を「祥」の字に変えたそうです)さん、笛の大浦典子さんです。私と鶴山さんで、祇園精舎の聴き比べ、他大浦さんとはこれ迄の定番曲から新作まで色々。そして最後に弾き語りで鶴山さんが「平忠度」、私が「平経正」というラインナップです。
昨年2月を最後にこの楽琵会を中止していたのですが、その最後の会が鶴山さんをゲストに迎えた会でした。今回は弾き語りから現代邦楽迄、琵琶の多様な魅力を聴いてみたい人におすすめの会です。詳しくはHPのスケジュール欄を御覧ください。
オフィスオリエンタルアイズ オフィシャルサイト biwa-shiotaka.com
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
さて私が日々何をやっているかといえば、少しばかりのレッスンの他、大体家で作編曲をしています。ゆるりと発想が湧くのを待ちながらやっているので、傍から見るとゴロゴロしているように見えるんだろうと思いますが、音楽家にはこういうお仕事の仕方もあるのです。ただビールを飲んでのんびりしている訳ではありませんよ・・・?。
アーティストにとって、自分の思い描く世界が具現化して行くというものほどワクワクするものはないのです。このろくに身入りも無い時期に、こうしてぶらぶらしていられるのは、作品から沸き起こるエネルギーで、この身に自信が漲ってくるからです。
これまでの作品をブラッシュアップしたり、編成を変えて編曲してみたり、新曲を構想したりして毎日譜面を書いては手直しをするという事を繰り返しているのですが、とりあえず一度出来上がると「儀式」として演奏会用にコピーして、見開き出来るように一枚に繋げて譜面を作ります。その譜面をスタジオに持って行って音出しをして、まずい所をチェックして、また書き直して譜面を作り直してという事を延々と繰り返してます。こういう事が出来るのは時間がたっぷりあるからですね。ありがたい時間です。お陰様で昨年からのコロナ禍で、これからのレパートリーとなって行くだろう作品が、色々と出来上がりました。
今後世の人々の感性が変化して行き、社会の在り方も、音楽活動のやり方も大きく変わって行く事でしょう。それに伴って音楽芸術の姿も、自分自身の作品自体も変わって行くでしょう。風の時代がこうやって訪れるとは思ってもみませんでしたが、とにかく旧価値観が崩れ、社会が変化・進化して行く事は世の習いであり、また膠着化した邦楽の世界にあっては、その変化は良い方向に向くのではないかとも感じています。世阿弥も利休も宮城道雄も永田錦心も、皆新時代の最先端を走り続けました。そしてそんな先人の創り上げたものが、次世代スタンダードになって行ったのです。
荏原中延 能楽師の安田登先生、浪曲師の玉川奈々福さんと
このメンバーで10月に池袋あうるすぽっとにて公演があります。photo 新藤義久
これからは自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、自分で考え、学び、選択し、自身で責任を持って行動してゆく時代です。他人の作った軸や価値観で生きる時代はもう終わりました。80年代バブルの頃の価値観が、今やとても理解できないように、10年もしたら今の感性や常識が、理解しがたいものとして感じられるでしょうね。今後は今までのように人を集めて、演奏会を開くという事は難しくなるのは目に見えています。大きな発想の転換が必要になってくるでしょう。次代へどんな眼差しを持っているか。そこが重要な鍵になるでしょうね。
今は、私という人間が試される時だと思っています。
ちょっとご無沙汰気しました。特に用事があった訳ではないのですが、何だかのんびりしてました。
それにしても世の中、コロナも自然災害も留まるところを知らないですね。ヨーロッパではワクチン接種に対するデモが広がっているようですし、アフガニスタンのように政治的に壮絶な状態な所もあって、いよいよ地球全体が悲鳴を上げて世界が分断され、ブロック化して行くのを感じます。こういう時代に出くわしたのも、私に与えられた運命でしょう。この運命を、この我が身で生き抜いて行きたいですね。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
昨年からのこの状況の中で、様々な想いが自分の中を巡っていますが、目に見えるものばかりを追いかけていると、その想いはどんどんと空回りして行くように思えます。現代ではどれだけ情報を整理し、客観的に分析出来るかが問われますね。「みんながやるから私もやる」という日本人気質は落語のネタにもなっていますが、これからはこの村根性では、とても生きて行けないと私は思っています。
今はヴィジュアル優先の時代ですが、それ故、目に見えないものを捉える感性が、著しく鈍くなっているように思えます。情報を分析するにも、表しか見えないようでは振り回されてしまいます。むしろ背景こそ見抜くようでなくては。
兵庫県立芸術文化センターホールにて 俳優の伊藤哲哉さん ベースの水野俊介さんと
まああまり厳しく考えなくとも、古今東西、芸術を享受するという事は、目に見えない世界を見、感じ、異界へと誘われるものだったので、芸術的感性のある人なら、目の前を楽しませるエンタテイメントや、物や、有象無象の情報にも振り回されることはないだろうと思っています。目の前の現実を超えて行くのが芸術の性質であり、また目的でした。それは人生を豊かにするというだけでなく、その感性そのものが、現実を生き抜く知恵でもあったのかもしれません。
古より日本人は元々目に見えないものを感じる感性が豊かでした。その代表が和歌でしょう。古人は叢雲のかかる月を見て、雨に風に想いを馳せ、散り行く桜に人生を読み取って、抒情の世界を土台として生きていました。今でも海外から見たら日本人はかなり抒情的に見えるのでしょうが、今はそれがただの「あいまい」で終わっているのではないでしょうか。本来持っている深く豊かな感性を羽ばたかせること無く、「何となく」や「白黒はっきりしない」「周りに合わせる」という所にすり替わって、個々人それぞれの心の中の想いは表面に出ることなく、目の前の刺激に日々振り回されて、日本人特有の感性は隠れたままになっているのが現代日本の姿だと、私は思っています。
国家は国として成立すると、先ず叙事詩のようなものが生まれ、その後社会の成熟とともに物語文学のような抒情性を持ったものが誕生するというのが世界の常識だそうですが、日本は既に平安時代に抒情の世界は大発展し、物語に和歌に優れたものが大量に生まれて行きました。続く中世では平家琵琶や能などの独自の芸能が花開き、その抒情性はある意味頂点に達していたと言っても過言ではないと思います。
2020年2月の楽琵会にて 筑前琵琶の鶴山旭祥さんと
日本文化は正に空想力、想像力に溢れていました。定家や世阿弥、利休、芭蕉など古代から中世~近世に入る迄、目の前の現実空間を飛び越える天才たちが日本文化を牽引し、日本文化の底辺を形作ったと言えるでしょう。
現代社会はスピードが速すぎるのかもしれません。四季の移り変わりの中で感性を育んできた日本人にとって、現代は次から次へとあらゆる欲を刺激されて、自分に本当に必要なものが判らなくなって、どんどんと消費する事ばかりを促されて行きます。現代日本人には、その空想力や創造力を発揮する場があまりないのです。豊かな自然が周りに在りながら、そこに身をゆだねる事が出来ず、そこから自分の人生=ドラマを紡ぎ出す機会を失っています。実は心の奥底には想いが溢れ、それぞれのドラマを持っているのに、その想いは閉ざされ、隠され出番を失っているのです。
能楽師の安田登先生に教えてもらった易経の中に。このような文があります。
「お前は貧しいながらも、神秘的な霊力を持つ亀を内に有している。しかし今、それを捨てて、他人の持っている食物を羨ましがって涎をたらしている。それは凶だ」
今の社会の中では、なかなかその奥底の想いを解き放つことは難しいのかもしれませんが、今、それが出来るかどうか、瀬戸際に来ているのではないでしょうか。個人が自分で感じ、考え行動して行く時代が来ています。周りを見て判断するのではなく、自分で感じ・考え、自分の意思で何事も決定し、行動して行く。つまり自らの想いを表に出して行く、これが出来るかどうか、そこを今問われているのではないでしょうか。それぞれの想いが日本中に溢れ出てきた時、あらゆる分野で、日本が大きく変わって行く事だろうと思っています。
さて、緊急事態宣言の延長で、今回も少し雲行きが怪しくなって来ましたが、来月11日は、1年半ぶりに楽琵会が再開予定です。昨年2月が最後でしたが、その時のゲストが筑前琵琶の鶴山旭祥さんでした。今回の再開も鶴山さんをゲストに迎え、他に笛の相方 大浦典子さんにも来ていただきます。
是非心の中にある想いを溢れさせ、豊かな時間をお過ごしください。
毎日暑いですね。私は夏が苦手なので仕事以外は、ほぼ家の中に閉じこもっているのですが、今週末はギャラクシティープラネタリュウムで「銀河鉄道の夜」の公演があります。もう会場の方は満席のようですが、同時配信があるようですので、是非ご覧になってみてください.
配信は以下からご覧になれます。
この夏はこれ位しか公演が無いので、ちょっと物足りないですね。しかしこういう退屈とも言える時間があるからこそ、色んな事をやるのです。自分で何か見つけ出したり、普段から考えていることを出来るというのは幸せな事ですね。
世には退屈を紛らわすものはいくらでもありますし、何をしてもその人の勝手ですが、安易に酒食を貪っていると、どんどんと自分の時間が消えて行ってしまいます。現代では自分が求めているように思っていても、実は与えられ、誘導されているものが多いのではないでしょうか。本当にJPOPを聴きたいのか、アニメを見たいのか、SNSをやりたいのか。もしかすると、そうしたいように、まんまと仕向けられているだけなのではないでしょうか。
徒然に日記を書いたり、散歩や旅をしたりするのは、古代から日本人の得意分野ですが、それらはやらされているのではありません。自ら欲するのです。退屈な時間に何を欲するか。そこが問題です。現代人は目の前にあるもので紛らわしてしまいますので、「欲する」という感覚がかなり鈍くなっているのかもしれません。そして古典文学は、有り余る退屈な時間があってこそ生まれている部分も結構あるかもしれません。現代人はもう少し自分の欲しているものが本当は何なのか、内面を見つめ直しても良いのではないでしょうか。この大転換の只中に在って、ゆっくり考えてみて損はないと思います。自分でやりたい事を見つけると楽しいですよ。
琵琶樂人倶楽部にて、メゾソプラノの保多由子さんと photo 新藤義久
フリーランスで仕事をしていると、暇イコール収入減なので、仕事がないと不安も募るものですが、ショウビジネス関係の方はいざ知らず、私はやりたいことをやって生きていられるだけで幸せな口ですので、ぶらぶらしていられる自由な時間が沢山あるという事は、ありがたい限りです。
プロの演奏家としての日々の鍛錬や厳しさという事もあるのですが、「舞台やってないと調子が出ねえ」なんていう芸人さんが多いですが、私は舞台は色々とやりたいものの、そういう芸人さんの感覚は持っていないですね。むしろこういう時間の中で不安を感じたり、私が「調子が出ねえなんて」言い出すようでは、かなり悪い状態ということです。だからのんびりできる今は調子が良いのです。まあ仕事も無く退屈というのは、言い換えれば、何の締め切りも無く、目の前にまっさらな五線譜を差し出されたようなもの。そう思えば普段と違うものも色々と出て来ます。
この退屈な夏も何曲か曲が出来ました。まあ全部が全部レパートリーになって行く訳ではありませんが、今回は弾き語りの小品が一つ、先日も出来上がった器楽の独奏曲を更にブラッシュアップして、笛と琵琶の小品も、今出来上がりつつあります。
珈琲豆を挽いて、じっくりとドリップした濃い目のコーヒーを飲みながら、あれこれオタマジャクシを書き込んでいるのが、実に楽しいのです。まあ途中で散歩に出るのも良し、人とゆっくりお茶するのも良し(最近はままなりませんが)、とにかくやりたいことを何の制約も無くやりたいようにやっていると、様々なものが思ってもみなかった発酵をして、面白いことが次々出現するのです。退屈とは発酵する時間とも言えますね。
福島安洞院3,11にて、詩人の和合亮一さんと
余計なものは要らない。自分のやりたいことをやって生きて行けるというのは、本当にありがたい。
自分の欲するところを、素直に淡々と求めて行ける。これは出来そうで出来ない事だと、最近かみしめるように感じています。この幸せは、格別ですね。