毎日暑いですね。私は夏が苦手なので仕事以外は、ほぼ家の中に閉じこもっているのですが、今週末はギャラクシティープラネタリュウムで「銀河鉄道の夜」の公演があります。もう会場の方は満席のようですが、同時配信があるようですので、是非ご覧になってみてください.
配信は以下からご覧になれます。
この夏はこれ位しか公演が無いので、ちょっと物足りないですね。しかしこういう退屈とも言える時間があるからこそ、色んな事をやるのです。自分で何か見つけ出したり、普段から考えていることを出来るというのは幸せな事ですね。
世には退屈を紛らわすものはいくらでもありますし、何をしてもその人の勝手ですが、安易に酒食を貪っていると、どんどんと自分の時間が消えて行ってしまいます。現代では自分が求めているように思っていても、実は与えられ、誘導されているものが多いのではないでしょうか。本当にJPOPを聴きたいのか、アニメを見たいのか、SNSをやりたいのか。もしかすると、そうしたいように、まんまと仕向けられているだけなのではないでしょうか。
徒然に日記を書いたり、散歩や旅をしたりするのは、古代から日本人の得意分野ですが、それらはやらされているのではありません。自ら欲するのです。退屈な時間に何を欲するか。そこが問題です。現代人は目の前にあるもので紛らわしてしまいますので、「欲する」という感覚がかなり鈍くなっているのかもしれません。そして古典文学は、有り余る退屈な時間があってこそ生まれている部分も結構あるかもしれません。現代人はもう少し自分の欲しているものが本当は何なのか、内面を見つめ直しても良いのではないでしょうか。この大転換の只中に在って、ゆっくり考えてみて損はないと思います。自分でやりたい事を見つけると楽しいですよ。

フリーランスで仕事をしていると、暇イコール収入減なので、仕事がないと不安も募るものですが、ショウビジネス関係の方はいざ知らず、私はやりたいことをやって生きていられるだけで幸せな口ですので、ぶらぶらしていられる自由な時間が沢山あるという事は、ありがたい限りです。
プロの演奏家としての日々の鍛錬や厳しさという事もあるのですが、「舞台やってないと調子が出ねえ」なんていう芸人さんが多いですが、私は舞台は色々とやりたいものの、そういう芸人さんの感覚は持っていないですね。むしろこういう時間の中で不安を感じたり、私が「調子が出ねえなんて」言い出すようでは、かなり悪い状態ということです。だからのんびりできる今は調子が良いのです。まあ仕事も無く退屈というのは、言い換えれば、何の締め切りも無く、目の前にまっさらな五線譜を差し出されたようなもの。そう思えば普段と違うものも色々と出て来ます。
この退屈な夏も何曲か曲が出来ました。まあ全部が全部レパートリーになって行く訳ではありませんが、今回は弾き語りの小品が一つ、先日も出来上がった器楽の独奏曲を更にブラッシュアップして、笛と琵琶の小品も、今出来上がりつつあります。
珈琲豆を挽いて、じっくりとドリップした濃い目のコーヒーを飲みながら、あれこれオタマジャクシを書き込んでいるのが、実に楽しいのです。まあ途中で散歩に出るのも良し、人とゆっくりお茶するのも良し(最近はままなりませんが)、とにかくやりたいことを何の制約も無くやりたいようにやっていると、様々なものが思ってもみなかった発酵をして、面白いことが次々出現するのです。退屈とは発酵する時間とも言えますね。

余計なものは要らない。自分のやりたいことをやって生きて行けるというのは、本当にありがたい。
自分の欲するところを、素直に淡々と求めて行ける。これは出来そうで出来ない事だと、最近かみしめるように感じています。この幸せは、格別ですね。