移りゆく時間(とき)2021

琵琶樂人倶楽部の15年節目の会は、無事終わりました。といってもいつもながらの地味~な会なのですが、淡々とそして確実に回を重ねて行くというのは、自分の中にしっかりとした軌跡として残って行きますね。これからも淡々とやって行きますので、是非御贔屓の程よろしくお願いします。
琵琶樂人倶楽部専用ブログの方に、来月の内容、及び来年一年のスケジュールなど近いうちに載せておきます。ご覧になってみてください。

京都劇場にて「古典の日」新聞掲載記事

そして先月からの、静岡(熱海)、大阪、静岡(焼津)、新潟、京都、熊本と続いた地方公演もやっと一段落着きました。間に都内での演奏会が色々と入っていましたので、私にしては忙しい日々を送っていたので、今はしばし休憩をしているところです。来月にはまた松江での公演があるので、少し楽器も体調も整えたいと思います。まだコロナショックが続いている中、こうして今年も旅が出来る人生に感謝ですね。

人生には人それぞれに節目があるかと思いますが、今私は自分を取り巻く様々なものが移りゆく時に来ているのを感じます。琵琶樂人倶楽部もその一つですし、その他小さな出来事も日々様々に起こります。年齢を重ねれば、そんな日々の変化に感じ入る事も増えて行きますね。
というこの頃なのですが、先日、私の音楽人生で一番に指針としてその姿を追いかけていたギタリスト パット・マルティーノさんの訃報が流れて来ました。
このブログでは。これまで影響を受けたギタリストたちの追悼を何度か書いてきました。ジム・ホール、パコ・デ・ルシア、エドワード・ヴァン・ヘイレン等、皆、私の音楽を創り上げる過程で、大きな影響を受けた方々です。しかしパット・マルティーノという名前だけは特別中の特別なのです。高校生の時にレコードを聴いてから、ずっとこの人の姿を追いかけて来ました。その影響は琵琶に転向してから、更に強く大きくなったように感じています。このブログにも何度も名前が出てくるので、知っている方も居るかと思いますが、彼の人生とその音楽家としての姿には大変に感じ入るものがあるのです。

上記のブログにも書きましたが、彼の友人でもあるジョージ・ベンソンはショウビジネスで大成功をおさめました。方やパット・マルティーノは、一番絶頂の時に病気で倒れ、壮絶な努力を重ね、克服して復活しました。またそのスタイルもショウビジネスとは対極にあるようなものでしたので、なかなか世間には認知されませんでしたが、後半生はリビングレジェンドとも言われる程に世界のギタリストから慕われました。ポップスではないので、広く一般に広がったものではないのですが、マルティーノに影響を受けた人は、世界中にかなり多いのではないでしょうか。己の道を貫くストイックな姿勢と音楽に、私も強い強い影響を受け、自分の指針としてきました。

私は琵琶奏者として、有り難いことに本当に沢山のお仕事を頂いて、今までやって来れました。音楽=エンタメとされる現代の日本では、売れないものは価値が無いとも言えるような風潮ですが、そんなショウビジネス第一主義の世の中で、非ショウビジネスのスタイルで、細々でもこうしてやって来れたのは本当にありがたい事であり奇跡だと思っています。そういう日々を過ごす中で、パット・マルティーノの言葉にとても導かれるものがありました。

「自分が自分である事を幸せに思う。。。それに勝る成功はない。つまり、自分の人生そのものをもっと楽しもうと私は言いたいね」

正にこれなんです。私が琵琶を手にした時から思っているのは、ここに尽きるのです。もしもっと若い頃から琵琶を手にしていたら、有名になりたい、売れたい、注目されたいという心にふりまわされていたかもしれません。しかし幸いにも私は大人になってから琵琶に出逢い、今の道に進んだので、自分のやりたい事を只管やって行きたい、という想いだけをずっと抱いてやって来ました。少しづつ少しづつ牛歩の如く自分の作品を書き、演奏してきて、自分の世界を只管創り続ける事が出来て、本当に嬉しいのです。だから彼の音楽に対する姿勢は、大いに私の活動の支えとなって来ました。

また私はマルティーノの音色がとても好きでした。ダークで低音成分が多く、豊かに響くギターの音色は彼だけのものでしょう。マルティーノはジャズギタリストの中でも一番太い絃を張っていることで知られていますが、私の琵琶の極太セッティングはマルティーノの影響ですね。フェンダーのシングルコイルのような細くしゃきっとした軽い音も嫌いではないのですが、自分ではそういう音を出したくないのです。私が流派から離れたのも、当時所属していたT流独特の倍音が少ない漆塗りの軽い音が私の好みではなかったからというのが大きいですね。基本的に目指す音色が流派のそれとは真逆だったのです。豊かな倍音を実現するには、大きめのボディーと太い絃がどうしても必要不可欠なので、私の琵琶は特別仕様になっているという訳です。

一番左(上)の「Consciouness」の最初に収録されている「Impressions」という曲を高校生の時に聴いて感激し、その感激と高揚のまま私は東京に飛び出して行きました。だからもうマルティーノ氏の存在は自分の音楽人生を通して追いかけているといっても良いと思います。真ん中の「Exit」というアルバムは全ジャズギタリストのバイブルとも言える内容で、スタンダード曲を超の付くハイレベルで、且つどこまでもマルティーノ流で演奏しています。伝統に胡坐をかかず、己のスタイルで、しかも誰にも追随することが出来ない程のハイレベルで貫く姿は素晴らしい。そして私の憧れです。
もう一つ復活後のライブの様子を記録したのが、右(下)の「Live at Yoshi’s」です。皆ある程度の年齢になると、音数も減り落ち着いて渋く丸くなって行くものですが、マルティーノは最後迄「シーツオブサウンズ」とい言われるスタイルを貫きました。確かに相応の洗練がありますが、けっして甘口にはならない。その姿勢が凛として好きでした。

photo 新藤義久


私も彼のようでありたいと思います。オーソドックスな曲を演奏しても、流派や伝統というものに胡坐はかかない。確固たる自分のオリジナルのスタイルでケリもカタも付ける。永田錦心や鶴田錦史のように、そしてパット・マルティーノのように、何処までも自分の矜持を持って舞台に立ちたいのです。何とか流の名のもとに、習ったスタイルに胡坐をかき、己の音楽を創り上げない事は、流派を創った先人たちに一番背く行為だとも思っています。

時代は留まることなく移りゆくものですが、その流れに流されることなく、また同時に時代と共に時代の中で音楽を鳴らし響かせて行けたらいいですね。まだまだやりたい事も創りたい音楽も色々とあります。私に与えられた時間がどれだけあるか判りませんが、どこまでも自分の道を歩んで行きたいのです。余計なものは要りません。それがパットマルティーノから受けた一番の影響であり、教えであり、私の指針です。

レジェンドに献杯。

祝 琵琶樂人倶楽部開催15年目突入!!

秋も深まってまいりました。コロナの状況も大分緩和して、人も街に溢れてきましたね。先日は京都で演奏会だったのですが、なかなかの盛況でした。

今月で琵琶樂人倶楽部は15年目突入。開催数としては167回となります。毎月コツコツとのんびりやって来ましたが、さすがに14年というと何か節目に来たように感じています。

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琵琶樂人倶楽部は阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンをお借りしてやっているのですが、集客よりも内容優先でライフワークのように毎回やりたい事をやりたいようにやって来ました。そのお陰で随分と色んな経験を積むことが出来、大きな糧となっています。会場はマックス25名ほどで、発足以来ずっと珈琲付き1000円という事でやっていますので、ゲストへのギャラもろくに出せないのですが、本当に沢山の方がゲスト出演してくれまして、その一つ一つが貴重な私の糧となっています。

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10周年記念演奏会にて


発足当時は古澤月心さんと二人で始め、私が企画運営をやっていました。古澤さんは上記の10周年の演奏会を機に引退したのですが、年明けの会にもまた登場してくれるとのことです。
初期の頃の写真があまりないのですが、今月のゲストでもある長年の相方 笛の大浦典子さんや尺八のグンナル・リンデルさん、筝のカーティス・パターソンさんはじめ、1stアルバムで御一緒したチェロの翠川敬基さん、フルートの吉田一夫君等々本当に様々な方が来てくれて、最初から毎回盛り上がりのライブという感じでした。
琵琶樂人倶楽部は古澤さんの提唱する「流派横断の会」というのがポリシーですので、琵琶もあらゆる流派の方々が演奏してくれました。全員をここに載せる事は出来ないのですが、中でも筑前琵琶の鶴山旭祥さん、平野多美恵さんのお二人にはよくお世話になりました。

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薩摩琵琶五絃と樂琵琶は私が担当。薩摩錦心流と平家琵琶は古澤さんが担当していましたので、筑前琵琶、薩摩正派の演奏家や、その他尼理愛子さん、岡崎史弘君、ナカムラユウコさんのようなオリジナルスタイルの方にも随分と登場してもらいました。
また語りと演奏を分けるのは私の念願の形ですので、語り手も、櫛部妙有さん、黒沢組の俳優 伊藤哲哉さん、など凄いベテランが毎年のように来てくれて、ありがたかったです。

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左:櫛部妙有さんと、右:伊藤哲哉さんと photo 新藤義久

そして洋楽器の演奏家ともかなり一緒に演奏しました。CDでも共演してくれたVnの田澤明子先生。地元の知り合いでもあるVnの濱田協子さん、そしてこの所よく御一緒しているフルートの神谷和泉さん。更にはメゾソプラノの保多由子先生等々、邦楽器とのアンサンブルという難しい注文にも皆さん快く引き受けてくれました。

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このほか雅楽アンサンブルでは、笛の大浦典子さんをはじめ、京都の弦楽ふるさとの会のお二人が駆けつけてくれて(2017年)、フルーティストの久保順さんに龍笛をお願いして華やいだアンサンブルも出来ました。

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尺八の藤田晄聖君、琵琶の制作者でもある石田克佳さん、笛の長谷川美鈴さんなど、もう毎年の常連として来ていただいている方も居ますし、昨年末には安田登先生にも登場して頂き、大変な盛り上がりで一年を締めくくれました。

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1photo 新藤義久
毎年8月には私の解説で往年の琵琶名人のSPレコードコンサートも開催しているのですが、それがとても勉強になっています。この琵琶樂人倶楽部は私にとって学びの場でもあるのです。
私が琵琶の活動を始めた25年ほど前は、薩摩琵琶の音楽史、音楽学の部分があまりにもお粗末で、各流派も伝説のようなことを看板にしている状態でしたので、その歴史を先ずはしっかりはっきりさせて、琵琶樂全体を知ってもらいたいという趣旨で始めました。
今でこそ、薦田治子先生などがその分野を大いに開拓していますが、当時は史実も伝説もごちゃ混ぜ状態で、琵琶樂千数百年などと喧伝し、まだ100年程度の歴史しかない薩摩筑前の近代琵琶に、箔やら権威やらを付けようとする輩が沢山居ました。まあそれだけ衰退が激しかったという事ですね。私は活動の最初から縁あって、毎年どこかの大学などでレクチャーする機会に恵まれましたので、そんな根拠も無いいい加減な事はとても言えませんでした。自分でも色々と調べ上げて、これはしっかりと発表して行かないといけないという使命のようなものを活動の最初から感じていました。邦楽では雅楽や能は勿論の事、近世の歌舞伎や近代の浪曲、講談、落語などかなり研究をされて関連の本も沢山出ています。琵琶だけが取り残されている状態なのです。是非音楽学者の方がtにも頑張って頂きたいと思っています。

これから琵琶樂がどうなって行くか、私には判りませんが、とにもかくにも創造性を失っては何事も衰退消滅へと進んでしまいます。その為にも、豊かな魅力を湛えている琵琶樂を是非次世代に継承して行って欲しいと願っています。

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photo 新藤義久

私は只管己の想う所を今後も行くだけです。地味ではありますが、出来るところを確実にやて行きたいと思っています。新たな仲間も増えて来ましたので、まだまだ面白い作品、そして活動が生まれて行きそうです。乞うご期待!!。

それから

琵琶樂人倶楽部のお知らせ専用ブログを開設しました

琵琶樂人倶楽部の来年一年のスケジュールもほぼ決まりましたので、来月には発表したいと思います。是非お気軽にお越しくださいませ。

マイルストーン

琵琶樂人倶楽部のお知らせ専用ブログを開設しました

先ずはお知らせです。琵琶樂人倶楽部のこれ迄の軌跡と、年間予定、そして毎月のお知らせをする専用ブログを上記のように開設しました。是非こちらもご覧になってみてください。琵琶樂人倶楽部は毎月テーマを決めて、多彩なゲストと共にレクチャー・演奏を通し、様々な琵琶樂を聴いて頂く会です。特に御予約の必要ありませんので、是非お気軽にご参加ください。

こちらの写真は東京公演のもの photo 飯野高拓

先日は東京に続き、新潟リュートピアにて「能でよむ」公演をやって来ました。

新潟県では、湯沢や六日町では何度も演奏してきたのですが、新潟市内での演奏は随分前に小さな所で演奏したきりでしたので、ほとんど初めてという気分でした。
公演内容は、今月初めに池袋の「あうるすぽっと」でやったものと同じ内容でしたので、良い感じでこなれて来て気持ち良く出来ました。この公演は来週熊本にて再々演になりますので、お近くの方には是非お越しいただきたいと思います。

今回は公演の前日早目に新潟入りしたので、知人に車を出してもらって、色々と新潟を案内してもらいました。夕方、海に沈む夕日は、これまで見たことのないような素晴らしさで、ちょうど雲が夕陽を隠し、光の筋だけが降り注ぐ光景は、得も言われぬ絶景でした。そんな光景を見ながら、様々な事が心の中に去来してきました。先日の焼津でもそうでしたが、やっぱり私は海を見ていると、何か湧き上がるものがあるようです。

以前の知り合いに、「人生は常に通過点の連続だ」なんてことを言う人がいました。今この年齢になって思うと、通過点を意識し、何かに一区切りをつけるというのは確かに人間らしいですね。お祭りや儀礼から極個人的な事に至るまで、私たちは常に何かしらの通過点をイベントのような形にして、マイルストーンを刻みながら生活していると思います。
コロナのせいもあるのでしょうが、この秋は何か私の中で一つのマイルストーンを越して行くような気分がとても強いのです。

先ず琵琶樂人倶楽部が来月で15周年を迎えます。特に特別な演奏会などはしないのですが、私の中では15年という年月はやっぱり大きな奇跡ですね。こうして15年という節目は一つの区切りですし、このマイルストーンから明日が始まるという想いが湧き上がっています。私が今、琵琶奏者として生きて行けているのは、この琵琶樂人倶楽部の存在があったからこそだと思っています。仕事の少ない時でもとにかく毎月自分を表現する場があるという事は、舞台人にとってありがたい事。それに普段の舞台では出来ないような様々な実験をすることも出来ましたし、演奏だけでなく、毎年色んな大学や文化講座等でやっているレクチャーも、この琵琶樂人倶楽部で何度となく小さなレクチャーをやっているので、その度に関係した本を読んだり、多くの人と話をして、そんな中で知識が増え、琵琶樂に対する私なりの解釈・考察も深まって行きました。

人形町楽琵会の方も紆余曲折を経ましたが、5年目を迎え心機一転、12月にまた再開をしますし、琵琶樂人倶楽部も15周年という節目に立ち、また一つのマイルストーンを刻み、先へと歩みを進めて行く事が出来、本当に嬉しく思っています。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久


コロナ禍にありながらも、昨年よりありがたいことに沢山のお仕事を頂いて、何とか生きて行けているのですが、やはり私は小さくとも自分の舞台を創って行くのが使命ですので、またどんどんと曲を創り、出来るだけ舞台をやって行こうと思っています。
幸いに一緒にやってくれそうなパートナーも居ますし、世の中も動き出してきているので、琵琶樂人倶楽部や楽琵会の他にも、舞台を創って行きたいですね。
元よりショウビジネスの音楽ではないので、利益の追求は出来ないですが、作曲、演奏、レコーディングそれぞれに、自分が本当に求めるところを具現化して行きたいです。配信での作品の発表も2018年以降やっていないので、これからまた新作を発表して行く予定です。

琵琶樂人倶楽部15周年記念の会
2021年11月10日(水)
場所:阿佐ヶ谷ヴィオロン
時間:18時30分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(琵琶)大浦典子(笛)
演目:まろばし~能管と琵琶の為の 花の行方~篠笛と琵琶の為の 西風~篠笛と琵琶の為の
    古の空へ~琵琶独奏の為の 他

予約は特に要りませんので、是非お気軽にお越しください。会場は18時から入れます。

2011年1月の琵琶樂人倶楽部にて、古澤月心さん(錦心流)、石田克佳さん(薩摩正派)との薩摩琵琶三流派対決


長く生きていれば、辿ってきたマイルストーンも増えて行きます。それは自分の軌跡です。世の中は急速ともいえるような速さで変化して行くので、社会の在り方に伴って、活動のやり方は今後様々に変わって行くと思いますが、音楽を創り発表して行くというスタンスは何も変わりません。これからもマイルストーンを越えて、器楽としての琵琶樂の確立というヴィジョンに、突き進んで行きたいのです。

凪の海

何だか急に寒くなってきましたね。先週の土日16日,17日に静岡県焼津市にある「帆や」さんという古い家屋で収録をしてきました。海岸にほど近い浜通りに在る古い商家をリノベーションして、宿として再生してあるのですが、近代の雰囲気がそのまま残っていて、実に趣のある場所でした。


今回は無観客による収録でしたが、スタッフは皆静岡や焼津の方々でしたので、懐かしい話を随分としました。駄菓子屋で食べたおでんの事や、黒はんぺんはフライが最高!、なんて他愛もない話なんですが、私にはどれもこれも、一気に時間を超えて子供の頃へと飛んで行ってしまうような楽しい時間でした。また今回は一泊して焼津の街も堪能しました。焼津は私の故郷静岡の隣町で同じ文化圏なので、風情が似ていて、とても懐かしい感じがしました。
収録前日の夜は、地元では知れた「金寿司 地魚定」というお店に連れて行ってもらって、新鮮な魚を頂きました。リーズナブルで庶民的なお店なのですが、あのクオリティーは都会では高級店でもなかなか味わうことが出来ないだろうと思えるほどのレベル。とにもかくにも魚が旨い。本当に旨いのです。そして収録当日のお昼には、漁師さんが食べにくる小川港の魚河岸食堂にも行きましたが、海の幸があるという事は何と豊かな事なんだろう、としみじみ思いました。私はこんな豊かな土地で育ったんだと思うと、殺伐とした東京を本気で脱出したくなりましたね。

石津浜公園 あいにく曇りでしたが、晴れていれば前方に富士山がくっきりと見えます


収録当日の朝は時間があったので、海沿いの石津浜公園に行ってのんびりしていたのですが、凪の海をぼんやり眺めていると、10代の頃の記憶が溢れるようによみがえってきて、「あの10代の頃から何と長い旅をしてきたんだろう」なんて、ちょっと感傷に浸ってしまいました。そして私はやっぱり静岡の人だな、としみじみしてしまいました。
私の住んでいた実家は海からはちょっと離れた所でしたが、それでも海へは自転車で行ける距離だったので、中学高校の頃はしょっちゅう用もなく海に行っていました。大浜海岸が一番近かったので、いつも大浜でしたね。時々友人の住んでいる用宗海岸にも行っていました。明け方や夜の海は結構怖いのですが、静岡の海は凪の事が多く、何をしていたんだか、ずっと海を眺めてました。
そんな少年時代だったせいか、先日の石津浜公園から見る凪の海は、懐かしいを超えて、もう自分の中の風景として見ていました。既に両親も亡くなり実家も処分したので、静岡には私の帰る所は無いのですが、この風土は紛れもなく自分の育った風土であり、帰るべき所という想いが、目の前の凪の海を見ながら、自分の内に満ちて来るのを感じました。
私は山の中なども好きで、山でひっそりと仙人生活なんてのにも憧れがあるのですが、凪の海はもう憧れでもなんでもなく、私のこの身体の原風景として、ずっとあるものという感じがしてなりませんね。

30代の頃、実家の玄関先にて
現実の私はまだまだ音楽家としてやりたい事は山のようにあるし、音楽活動をするには東京に居ないと出来ないことも沢山あるので、当分は離れられないとは思うのですが、いつか帰るべき場所に帰って行きたいですね。

道元禅師でさえ、最期は故郷へ帰っているのですから、人間ある程度の年齢になると、故郷へ帰りたくなるのでしょう。東京に出てきて人並の経験をしてきたのですが、ある時からいつも室生犀星のこの詩が頭に出て来ます。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや」

私はこの詩を事あるごとに読み返し、ずっとどこかに突っ張った心を持って故郷と対峙していましたが、もうそんなポーズも卒業ですね。身も心も落ち着くべき所に落ち着くのが良いし、そういう環境から生まれ出づる音楽を創る年齢にもなってきたという事なのかもしれません。
これ迄音楽活動では、数多くの公演を国内外でやらせてもらってきたし、CDも色々とリリースして、自分が思う以上にやれてきました。本当に感謝しかないと日々感じていますが、人生全般に於いては、人並に様々な想いを持って~時にはままならない事も~生きて来ました。それもまた人生だと納得していますが、そんな様々な想いもひっくるめて、自分自身が落ち着く場所に帰って行くというのは、究極の人生の目的なのかもしれません。
全てはこの海に帰って行く、そんな気持ちが満ちて来た二日間でした。
これからは故郷静岡で、どんどん演奏会をやって行きたいと思っています。

楽琵会にて Photo 新藤義久



旅がらす2021~あわいに生きる

やっと気持ちの良い季節となりましたね。先週迄は暑さが残り、暑いのが苦手な私としては結構厳しかったですが、やっと身体も心も楽になりました。そしてありがたいことにこの秋も、色々とお仕事を頂いて飛び回っています。

先月の「中秋名月浴」にて、舞踏家の藤條虫丸さん、魔訶そわかさんと  photo 新藤義久


先月の西横浜の「中秋名月浴」辺りから、動き出してきたのですが、今月は最初に「熱海未来音楽祭プレイベント」、すぐ後に池袋あうるすぽっとにて「能でよむ」公演。大阪梅田のNHKカルチャーセンターでの講座と続き、今日は東洋大での特別講座、そのまま焼津に渡り、静大の「地位応援連携プロジェクト」、「能でよむ」ツアーin新潟、京都「古典の日」、隣町珈琲での「銀河鉄道の夜」公演。続いて「能でよむ」ツアーin熊本と、怒涛のように11月頭までの間に凝縮して続いております。
昨年もそうでしたが、このコロナ禍にあって、こうして様々な所とご縁を頂けるというのは、音楽家として感謝以外のものはないですね。

琵琶樂人俱楽部にて photo 新藤義久
旅をするという事は、音楽家にとって宿命のようなもの。今はあらゆるメディアがあって世界の音楽が自宅で聴けるようになりましたが、基本的に音楽家は現地に行って、その土地土地で演奏するのが仕事です。能におけるワキのように旅をして、そこで土地の風土、そこにに住む人や精霊等々あらゆるものと出逢い、交わるのが我々の生涯であり、また仕事であると私は思っています。家に籠って作曲だけやっているというのは、私には考えられません。作曲も演奏も両輪として我が身の内になくては、私の音楽は成り立たないのです。だからどんなにCDやネット配信で売り上げが伸びようが、出かけて行って演奏するのは私の基本の活動です。
私は琵琶を手にした最初から、ずっと旅をしていました。関西が中心でしたが、ほぼ毎月どこかに出かけ演奏して回っていました。それは本当に毎回が喜びであり、且つとにかく楽しい時間でもありました。特に6月と秋辺りは週末ごとに色々な場所で演奏会があって大忙しでした。それがこんな大変な時代にあっても変わらず続いているというのは、嬉しいとともに、こういう人生を歩ませてもらっているという事に深い感謝の気持ちが年々深くなっています。

旅に出るというのは、ある意味現実から離れるという事でもあると思います。現実から離れ、少し地上から浮いて、現実と非現実の「あわい」に身を置く事と言い換えることが出来そうです。琵琶などを弾いていると霊感の強い人によく出会いますが、お寺などで演奏していると、琵琶を弾いたとたんに蝉が一斉に鳴き出したり、不思議な現象にもよく出くわします。これも現実と非現実、生と死、此岸と彼岸のちょうど境に居て、どちらとも交信が出来る状態に在るという事なのかもしれません。旅はそんな音楽家の元々持っている体質を顕わにするのでしょう。

楽琵会にて  photo 新藤義久


こんな暮らしをしながら、もう随分と年を重ねて来ましたが、私にはこれが一番自分に合った生き方なのだな、と最近よく思います。世間の常識や感性では、なかなか音楽活動は続けられません。経済的な問題は勿論の事、「これが普通」だと押し付ける世の視線に振り回されてしまう人も多いですね。幸か不幸か私はお金や肩書には元から無縁ですし、世の同調圧力的視線もあまり感じることなく生きてこれたからこそ、今でも旅の空に居る事が出来るのでしょう。
音楽をやって行くには、技を極めるのも大事なことですし、作曲するのも大事ですが、音楽を聴いてもらって初めてその音楽が成就するので、どうしても色んな場所に行って演奏する事は音楽と切り離せません。時代と共に変わる世の中ですが、音楽家の持つこの宿命は、時代や社会、土地が変わっても相変わらずだろうと感じています。

さて今日の東洋大では琵琶樂の歴史の話と共に、その周辺のお話も色々とする予定です。そして終了後すぐに向かう焼津では小泉八雲ゆかりの土地でもあるので、安田登先生、佐藤蕗子さんと耳なし芳一を収録します。「あわい」に居た芳一が、平家の霊を呼び寄せたのも最近は判るような気がします。

先月の「中秋名月浴」にて、Perの伊藤アツ志さん、魔訶そわかさんと 
photo 新藤義久


その芳一を現世に留まるように仕向けたのは、実は和尚さんのような気がしてならないのです。和尚さんは僧侶でありながら、既に彼岸の世界を感じられなくいなっていたのかもしれませんね。芳一は耳を取られた後、名声を得てお金持ちになったと描かれていますが、それで幸せだったのでしょうか。自分の人生を生きたのでしょうか。耳を無くし、彼岸の声を聞き取るアンテナを失ってしまったのかもしれませんね。「あわい」に住み、この世ならざる者の声を受け止めながら生きていた頃の方が、他の誰でもない自分の人生を生きていたのではないか。私にはそう思えて仕方がないのです。

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