何だか寒い日が続きますね。今朝はやっと陽射しが見えてきました。もうすぐGWですし、天気も気分もUPして行きたいですね。
世の中は相変わらず混沌として、次の展開が見えなくなっている状態ですが、やっと舞台の方は動き出してきました。24日の日曜日は、前々からお知らせしています。横浜日ノ出町の7arts cafeでの初ライブです。

イベントカレンダー (7artscafe.co.jp)
今回はいつもの相方、笛の大浦典子さんに加え、メゾソプラノの保多由子先生にも加わっていただき、平家物語より忠度最期の部分を琵琶とメゾソプラノで語るというマニアックぶり!!。作詞は私の平家のレパートリーを作詞してくれている森田亨先生の歌詞を使います。乞うご期待です。
今回は樂琵琶も持って行きますので、「祇園精舎」~能管と琵琶の「まろばし」~樂琵琶と篠笛の「Sirocco」そして「忠度」とかなり広いバリエーションで演奏します。
会場の7arts cafeは天井が高く、オープンな感じの所で響きもとても良いです。駅からも近いので是非是非お勧めです。予約は要りませんので、是非お越しくださいませ。15時開演です。
休む間もなくGWは少し前乗りで新潟に行きます。新発田市と新潟市で佐渡文弥人形猿八座との公演があります。演目は平家物語より「ちぎりあらば」平家物語の重衡被斬を中心にした内容です。2018年、2019年と猿八座と御一緒しましたが、人形というのは何とも魅力があるんですよ。人間以上に語ります。新潟の方是非お越しくださいませ。
新潟から帰ってくるとすぐ、第173回目の琵琶樂人倶楽部が5月11日にあります。昨年に続き福岡から 筑前琵琶の石橋旭姫さんをお招きして、薩摩・筑前の聴き比べをやります。前回来ていただいた時に、是非石橋さんのオリジナル作品、それもラブソングをお願いしますと言っておきましたので、きっと何か素敵な作品を引っ提げて来てくれることと思います。
琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
まだまだコロナの影響はあるのですが、とりあえず動き出したのは良い事だと思っています。今後の行く末はよく判らないですが、世の中全体にもの事の在り方がかなり変わってきているので、意識はしっかりと時代に即して変えて行く必要を感じています。私は何事にも歩みが遅いので、直ぐには出来ないのですが、自分が歩いて行ける所を進むしかないですね。流行に乗るのではなく、時代の中で自分に合った方法を模索して行きたいですね。
先ずは何よりも作品創りです。レコーディングしておきたい作品もいくつもあります。何しろ流派の曲でも自分の曲でも、既存のものに寄りかかっているようでは、次の時代を生きては行けません。アーティストは常に創り続けるのが使命であり運命です。創る事をしなくなったら、もうそこで終わり。是非「春の海」のような本物の古典になって行く作品を創りたいものです。
枯木鳴鵙図
宮本武蔵は、「見上げる空は一つなれど、果て無し」と言いました。よく万里一空と言いますが、目指すところは一つであり、そして果ては無いのです。果てを感じた時がその人の最期かもしれません。
そして全てのものは一つにつながっているとも言えます。どんな人にとっても空は一つなのです。コロナも戦争も自分の人生も日本の社会も、この時代に在る全てのものは繋がっている。その中で自分は生きている。それも自分に与えられた運命ですね。「運命は志ある者を導き、志無き者を引きずる」といいますが、見上げる空に是非導かれたいものです。
東京では、もう桜も散りだしてしまいました。季節の移り変わりは本当に早いですね。季節だけでなく、この所の世の中の移り変わりも本当にめまぐるしい。私の小さな器は、この変化について行けるかどうか、何とも未知数です。
演奏活動の方は少しづつ動き出しています。今週水曜日の琵琶樂人倶楽部は、第172回目。笛の相方大浦典子さんを迎えて樂琵琶をたっぷり聴いて頂きます。今回は雅楽古典の朗詠や、越天楽なども取り上げます。24日は横浜7arts cafeにて初ライブ。月末からのGWは新潟県新発田市にて、佐渡文弥人形猿八座との公演をやって来ます。まあ少し動きは出て来たのですが、例年のような感じではないですね。やはり時代の潮目は確実に変わっています。ここ1年2年でその流れについて行けるかどうか、器を試されそうです。
2月の琵琶樂人倶楽部にて フルートの西田紀子さんと photo 新藤義久
一昔前だったら、何か一つに打ち込んで山に2,3年修行に入って頑張るような人もまだ居ましたが、今はとてもそんな時代ではありませんね。2年も世間から離れていると、買い物も出来なくなってしまいそうです。山に籠っていられるのは、平和で安定している時代のお陰であり、今やメルヘンとも言えますね。
2、30年前は本当に琵琶を弾いて霊場を回って、お経や琵琶歌を奉納と称し演奏して歩いているような人が居ました。そういう事をやっているだけで取材が来たリ、小さな演奏会などもやって生きていた人が居たのです。正直なところ、私の目にはそんな姿はお金に心配の無いおぼっちゃま芸の恰好付けのようにしか見えませんでしたが、まあそんな人が居られたのも時代に弾力があり、平和で安定していたという事でしょうね。
当時はまだCDを出すのも大変だったような時代でしたが、たった数十年でネット環境が世界に広がり、誰でも世界へ楽曲配信が出来るようになりました。明治期にも永田錦心という天才が、その当時の最先端テクノロジーであるSPレコードを使って、全国にその名を轟かせ、モダンスタイルの琵琶樂を確立しました。こんな風に音楽は常にどの時代でも世と共に、世に沿って成り立ちますので、現代も、この時代のセンスを持った人が、この社会の中でネット環境を使いこなして世界で活動を広げて行く事でしょう。
以前は、そんな革命的な事は何十年に一度しか来なかったですが、今はそのスパンがとても短く、毎年のように次々に新しい技術や現象が起きているのは、皆さんよくお解りの事だと思います。そしてまた時代が次へと進むと、新たな時代のセンスを持った人が活躍して行きます。どんどんと表に立つ人が入れ替わっているのです。そんな激動の世の中で、長い事自分なりの活動を続けていられる人は、時代と共に、そのセンスを受け取り、自分のやり方、考え方を柔軟に変え時代に沿って行く事が出来る人です。更に言えば、世のうつろいを感じながらも、それに流されず、自分のものを時代の中でしっかり表現する術を持っている人ですね。私の周りにも芸術分野で、確実に自分の活動を成し遂げている先輩が居ます。ただ振り回されて一発屋のように終わる人や、逆に時代について行けない自分を変に売りにしたり、ベテランぶったりして過去にすがり付いて自慢している人が多い中、移りゆく時代を颯爽と駆け抜けて行く方を見ていると、憧れてしまいますね。

楽琵会にて 能楽師の津村禮次郎先生 Vnの田澤明子先生と
こういった流れの変化は、有史以来ずっと続いています。古今集などを読んでいるとよく解ります。漢詩や長歌に権威があって、短歌がまだ日常の会話の代わりのような存在だった万葉集の時代から、新選万葉集のように漢詩と短歌が並べられる過程を経て、仮名画発明され、女性によるいわゆる後宮文化が活発になり、和歌による表現が日本人にとって重要なものへと移り変わって行く様は、実に面白いのです。そしてそれが平安末期には短歌が貴族の必須教養として尊ばれ、勅撰集に選ばれることが名誉になって、入集の為にわいろを贈るような人も出てくる。〇〇賞が欲しくてしょうがない現代の邦楽人と同じです。時代が変わっても人の心は変わらないですね。
万葉集の頃は、まだ秋の哀しさみたいな表現は漢詩の中だけにとどまっていて、和歌の中にはほとんど無く、花の香などに由来する歌もほとんど無いのですが、こうしたセンスは古今集で初めて一つの型が創られて、現代まで続く日本人の感性の土台となって行ったのです。意外な感じがしますよね。現代に続く日本人の感性を創り上げ、そこから竹取物語、源氏物語、平家物語などを生んでいったその土台は、古今集辺りなのでしょう。
古代と現代では、その変化の速さは全く違いますが、万葉集から古今集そして新古今へと移り変わる時代の流れは現代にも起こっている変化と同様のものを感じます。中世の新古今の時代になると勅撰の意味合いも変化して行き、表現のセンスも技巧も随分と変わって行きます。その移りゆく様は、大変興味深いです。
万葉集の大伴家持、六歌仙の在原業平、そして古今集の紀貫之へと時代をリードする人が変わって行くのは正にドラマです。そこからまた新古今の時代へと進み、定家・西行へとバトンが渡されて、花開いて行くのを見ているとワクワクします。漢詩しか作れない人は、古今集の時代には淘汰されていったでしょうし、「橘の香をなつかしみ時鳥 花散る里をたづねてぞとふ」なんてセンスが判らない人には、もう平安中期の宮廷では通用しなくなってしまった事でしょう。時代は常に移ろうものであり、価値観も変わって行きます。正にPanta rheiです。
今、コロナ禍を経て、インターネットを通じ環境も人々のセンスも大きく変わり、人間の行動そのものが急激に変わりつつある時代です。 コロナ前と今ではまるで違います。テクノロジーを土台として、そこから新たなセンスが生まれてきているのです。
私は何事に於いても、新らしいものにすぐに対応出来る方ではないのですが、上記の先輩のように、時代が移り変わっても、自分のペースを持って、その時々の世の中と共に在りたいと思います。多分私には、最先端の技術は到底対応は出来ないだろうし、センスもしかりだと思います。ただ時代を拒否したり、逆に前時代にすがって寄りかかったりしないようにはしたいですね。あくまで自分のやり方で、自分のやりたい事を、これからも世に示して行けるよう、活動を続けて行きたいと思っています。
ちょっと間が空いてしまいました。今年も桜は見事に咲きましたね。もう都内ではピークを過ぎたくらいでしょうか。ここ二三日が見頃の最後という感じですね。この時期は花粉症もしっかり来るので少々難儀していましたが、能楽師の津村禮次郎先生に声をかけて頂きまして、レクチャーの会を何度かやらせてもらってました。

左:善福寺緑地 右:浜田山
桜を観ていると詩情も溢れて出て、ちょっと一首詠んでみようかなんて風流な気分になるものですが、私もそれだけ年を重ねてきたという事なのでしょう。肉体を持つ人間は、その感性も常に肉体を伴ってはじめてその感性を育むのだと思います。喜怒哀楽は勿論の事、驚いたり、理解したり、分かち合ったり、人間の感覚というものは実に多様で面白いのですが、それも全て、頭の中だけの話ではなく、この変化する身体、さらに言えば留まる事無く移りゆく人生があっての感覚であり、感性ではないでしょうか。
今はエンタテイメント全盛の時代ですから、感じ方の質も変わってきているのでしょうね。これも不易流行という事なんでしょう。しかしながら何でもすぐ楽しい、面白いという所に、もう少し和歌を詠むような間合いが欲しいですね。受け手が対象に一歩踏み込んで行くような能動的な時間と感性があるといいなと思います。
芸術は人の想像力や創造力で創り出され、また楽しまれてきたものですから、受けて側の想像力を掻き立てる事で作品は成り立っている訳です。しかしそこから身体性が失われてゆくと、果して音楽や舞台は成り立って行くのでしょうか。今迄とは違う新たな領域に進むのでしょうか。私にはこれからの事は解りませんが、身体性を失った時、舞台は一つの死を迎えるだろうと思っています。VRなどでも、自分の変わりにアバターが動いたりして自分という主体がある以上、そこに何かしらの身体性は残って行くと思いますが、身体無くして物事を感じる事が出来るとは私は思えないのです。
昨年の「良寛」舞台より。津村禮次郎先生、中村明日香さん、私 於:中島新宿能舞台
私は今迄、演奏会の舞台で多くの感動を得て来ました。音色が耳ではなく皮膚が感じるかの如くピリピリとしてきたこともあるし、色になって見えてきたこともあります。時々書いていますが、毎度参加させてもらっている戯曲公演「良寛」のラストシーンは、8分に渡り津村先生の舞と私の樂琵琶独奏のみによるエンディングで、その8分間は正に精緻とも言うべき異次元のような空間が現れました。早朝の湖の澄み切った湖面のような、あの静寂感や空気感を今でも忘れる事は出来ないですね。それらはとても身体性を伴った感覚であり、身体を通して感じた瞬間でした。
感性や想像力・創造力は皆身体を通して育まれたものであって、脳の中だけで出来上がったものではないと私は思っています。しかし一方で感覚というものは、時に身体を超越してしまう事もあると思いますし、西行のように「心は身にぞそはずなりにき」という感覚も判るような気がします。私如きが論じる事の出来るものではありませんね。
ただ西行のような感覚を感じる為には、個人の小賢しい知識や経験という小さな器を超え、一度自ら身体を捨てる位の行為や過程があっての実感ではないでしょうか。そこにはある種の壮絶がきっとあったことと思います。
年齢を経たから物事がよく判るなんてことはありませんし、逆に人によっては感性が鈍くなる事もあるでしょう。子供の無垢な心は大人はとうに忘れています。20代の頃のような肉体が瞬時に反応するような瞬発力も、その時だけのもの。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」という言葉も、色んな意味を持っていると思います。結局はその時々の肉体を通した、時分の感覚なんでしょうね。
源平桃
音楽も最終的には音色に行き着くと私は思っていますが、その音色を作るのは感性であり、そしてこの肉体です。一つの音色に向えば向かうほどに離れがたき我が身というものを感じるのではないでしょうか。その音色を際立たせるためにはシンプルが一番です。余計な衣は要りません。個人の小賢しい自己顕示欲やら承認欲求やらは、音色にとっては添加物みたいなもので、なるべくそんな添加物が無い方が良いですね。そこにも身体性はあるのでしょうが、あまり良いものではありません。肉体がある以上無添加には成れないかもしれませんが、せめてオーガニックでありたいものです。
今はサウンドエフェクトの分野はものすごい発展をしているのですが、鐘の音を表現するのに、シンセで鐘の音をサンプリングして出すより、ギターでもピアノでも、そのつもりで弾いた音色の方が想像力が働くというのが私の意見です。リヴァーブや色んなエフェクターでキラキラになっている音は、まるでリゾートホテルのようなもので、至れり尽くせりのお膳立ては、かえって人間の身体性は薄れ、人間の感受性に於いてはかえってマイナス効果だと私は感じます。表面の綺麗さ、目の前の快適さよりも、ある種生々しいまでの息遣いやリアルさがあって初めて、その深い音色を感じることが出来るのではないでしょうか。
慈愛に満ちた眼差しや、さわやかな風、嵐のような激しさや、時に破壊的なまでのエネルギー等々、自然から、そして人間から発せられる等身大の響きを感じていたいものです。
コロナ、戦争、更に地震なども重なって来る今の時代に、どんな音色が響き渡って行くのでしょうね。音色を失った所に音楽はありえません。自分の音色を一番素直に出して行きたいのです。
昨日は急に雪になりましたが、そろそろ桜の季節になりますね。ただ世の中は未だ混沌として、どうにも穏やかな気分にはなかなかなれません。一時でも平安な心を取り戻せたらいいのですが、厳しい春になりますね。この写真は伊豆高原の一碧湖近くに住む友人が先週送ってきたもので、すでに満開の河津桜を楽しんだようです。
我が家には色んな方がやってくるのですが、先日珈琲の専門家、いわゆるバリスタの方が来てコーヒーを淹れてくれました。その淹れ方を見ていてびっくり。今迄私が一番アカンと思っていたスタイルで、且つお湯も沸騰したものを使うのです。しかし味はいつものコーヒーよりずっとふくよかで、苦みがほど良い感じで全体に行き渡っていて、コクがぐっと増すのです。時間はかかりますがとにかく旨い!。驚きでした。
考えてみたら、私は18歳の時に喫茶店のバイトで習った淹れ方が一番良い味が出ると思い込んで、ただ教わった通りに毎日ルーティーンでやっていただけなのです。研究した訳でも何でもなく、単に慣れているだけで、そこそこの味を盲目的にこれが一番と信じていただけでした。
若きバリスタの姿に、日常の中に埋もれていた自分の囚われや、いつしか柔軟さを失っていた自分の頭の硬さを思い知りました。正に目から鱗とはこの事です。あれからずっと我が家ではこのバリスタの方の淹れ方で、豊かな味を楽しんでいます。良い気づきとなりました。感謝!。
日常的なものの中にはこうした、ただ習慣になっているだけで、よく判っていないものが沢山あるのでしょうね。せめて音楽に関しては、常に柔軟で真摯な姿勢で接していたいものです。
昨年12月の楽琵会にて Viの田澤明子先生と
その後、この間ヴァイオリンの田澤明子先生と録音した音源の編集作業でスタジオに行ったのですが、これまた多くの気づきが待っていました。私は7枚目までのCDはホールを借り切って、ワンポイントの高性能マイクで一発録りをしていまして、8枚目の「沙羅双樹Ⅲ」で初めて、今後のネット配信を見据えて、スタジオでのマルチ録音に挑戦しました。今迄録音の商業的な仕事は都内の色々なスタジオでやって来ましたが、そういうものは自分の音楽でもないので、弾いた後は全てお任せで、自分でテイクを聴く事もせず帰ってしまうのが常でした。8枚目のCDでも全体の音作りはプロデューサーにお任せでしたので、自分の演奏テイクを聞いて、あれこれいじるという事はほとんどしませんでした。
しかし今回は、プロデューサーが居ないのでエンジニアと直接やり取りをしていて、その場で私とViの音量バランスを変えたり、それぞれ別の残響を付けたりして、エンジニアの方が残響、定位、音量バランス等変えて聞かせてくれたのです。そうすると全く演奏の印象が変わるのです。演奏は同じなのに、別のものになって行く様は驚きでした。
Photo 新藤義久
コーヒーも音楽も、テクニック次第で別のものになって行く。つまり世に在るものというのは、全て人の手によって創り出されたものという事なのです。同じ譜面でも演奏家によって大きくその表現が変わって行きます。音楽はその多様な表現を内包しているからこそ、生き生きと生命感が漲るのかもしれません。その奥行きの深いものが古典として残って行くのでしょうね。
コーヒー一つとっても様々な味を引き出すことが出来る事を思うと、ただ一つを、「これがコーヒーの味だ」と思い込むとえって感性を鈍らせますね。様々な味や好みがあって良いし、そのどれも支持する人が居る。音楽と同じように、これが正解などというものはないし、真実は人によって一つではないという事です。そしてそこに正統や異端などという事をすぐに持ちだしてしまう人間の卑小な感性は、いつの世も変わりませんね。
多様性の時代とはよく言われることですが、ただ多くのものが集まるというだけでなく、同じものでもその中に様々な局面も形も感性も表現もあるのです。
今の世の中も、何が真実なのかは報道やネット情報では判りません。この混迷の時代に在っては、何事に於いても思い込みや習慣に囚われることなく、自分の目で見て感じて、物事の姿を求めて行きたいものです。
3.11の追悼集会に参加してきました。昨年はいつも開催していたルーテルむさしの教会が使用できなかったのですが、今年は大丈夫という事で久しぶりにあの礼拝堂で、独奏を1曲と、拙作「まろばし~尺八と琵琶の為の」を津村禮次郎先生の舞と共にやって来ました。

舞:津村禮次郎先生 尺八:藤田晄聖君 琵琶:塩高
これは毎年思うことではありますが、この11年を振り返ってみると実に様々な事があり、やはり長い時間を経たことを実感しています。自分を取り巻く小さな世界を見ても、刻々と変化して行くものを感じずにはいられません。特にここ数年の様子は、とても「行く河の流れは~~」なんて悠長なものではありませんね。正に激流です。
3.11を迎える度に思うのですが、あの日からこれ迄の長い年月の中で、日本人は何を学んだのでしょうか。あの時「絆」という言葉が盛んに言われましたが、今コロナ禍になってみると、絆どころか、感染者を村八分状態にしたり、○○○警察のようなものが跋扈して、自分と意見の違うものを攻撃し合う有様。そこにはどう見ても愛や絆は感じられません。結局自分の身は自分で守るしかないという厭世観が強くなったような気すらします。
2017年福島県安洞3.11祈りの日にて 津村次郎先生、詩人の和合亮一さんと
3.11の後は福島でも何度も演奏してきました。最初はちょっと自分自身戸惑いつつ演奏したのですが、私は毎回、あくまで琵琶の音を奏でる事だけに集中しました。様々な想いは自分の中に持っていたものの「みんな頑張ろう」なんて事はとても言えませんでした。私が出来る事は心を寄せる事だけで、ただ琵琶の音を届ける事しか出来ないと今でも思っています。勿論今回も同様です。あの日から音楽とは何か、という問いを投げかけられて、自分でも多くの事を考えました。確かに現場ですぐに動くボランティアも大切ですし、目の前の人を元気にするエンタテイメントの力も素晴らしいと思う一方、当事者でない自分が上っ面の同情や、形だけの鎮魂を装って音楽を届けるなんてものは不遜な気がしてならないのです。だから私は皆で一緒に歌うような応援ソングは演奏しませんでした。
震災の年に福島県立美術館のホールで「経正」を演奏した時、地元の人々は20分程の長い曲にじっと聴き入っていました。曲は、西の海で亡くなった経正が霊として現世に出てきて、現世に残した溢れ出る想いに区切りをつけ、自ら祭壇の蝋燭の炎を消して成仏して行くというストーリー。それを私は淡々と演奏したのみであって、私の奏でる琵琶がどういう風に受け取られ、届くのか、そんなことは考えませんでした。実際にどう受け取ってもらえたのかも判りません。しかし入場を断るほどに満席だった会場には、異様なほどの緊張感がそこには漂っていていました。
photo 新藤義久
黛敏郎さんの「音楽は祈りと叫びである」という言葉は、今でも心に刻んでいます。もし私の音楽に祈りがあるのだとしたら、私が出来る事は気持ちを寄せる・合わせる事だと思っています。目の前の事を祈り、亡くなった方を悼むという場合も、平和というような普遍的な祈りも、こちら側とあちら側という立場を持ったままでするのは無責任な同情でしかありません。
以前、大柴譲治牧師(現 大阪ルーテル教会牧師)が「理解するという事は上から目線ではない。むしろ下に立つことで初めて相手の言う事が理解が出来る。だからUnderstandというのです」と教えてくれました。少なくとも祈りや鎮魂というものは、何かしらのチャンネルで気持ちを合わせて行く事が出来なければ、とても言葉を発する事は出来ません。勿論行動する事も出来ません。音楽家は、そのチャンネルを創り出すのが役割なのかもしれない、と最近よく思うのです。
能は、ワキの旅の僧が霊と出逢い、共感する事で鎮魂に繋がって行くと言います。僧自らは体験していないけれども、心を共にすることで霊は鎮魂され成仏して行く。日本の芸能はこうした鎮魂で成り立っているとも言われます。平家琵琶などは正にその典型だと思いますが、琵琶や笛の音は共感を霊媒するものなのかもしれません。
塩高 津村禮次郎先生 藤田晄聖君
非常事態になると人間は本性が表に出て来ます。いくら言葉で飾っても、隠せるものではありません。特にネット時代にはそれが顕著に現れます。現代は多様性などとも言われながら、ただ物が溢れているだけで、その感性は絆や愛とは程遠いものになっているような気がしてなりません。
今、私達はコロナによる社会の変動やリアルな戦争の報道、そして度重なる自然災害、そんなものの中に居ます。こういう時期に生まれたのも一つの運命でしょう。
この3.11は、鎮魂と共感。そして愛を持って生きる事の大切さを教えられた日であり、この日を忘れずに繋いで行こうと、今年も思いました。