行く道

急に寒くなってきましたね。先日は月食もあり、何だか時代の変わり目を感じさせるようなことが、この頃多いような気がします。
先週から今週は、演奏会がちょっとお休み状態なのですが、ちょうど良いタイミングで、ヴァイオリニストの中島ゆみ子さんのコンサート「中島ゆみ子と仲間たちvol.13」があって、久しぶりに魅惑の音色を聞いてきました。

中島さんとは合唱指揮者 郡司博先生の主催する「おんがくの共同作業場」の演奏会で御一緒させてもらって以来、この「中島ゆみ子と仲間たち」のシリーズコンサートには毎回駆けつけています。言うまでもなく素晴らしいクオリティーなのですが、何というか変な言い方ですが、毎回聴く度に中島さんらしくなって行く、そんな風に今回も感じました。
以前共演した時には、拙作のシルクロード系の曲をやって頂いたり、新作で共演したりしてクラシック以外での共演だったのですが、とにかく素直な表現というのが、中島さんの一番の魅力ではないでしょうか。彼女はとても穏やかな人柄で、いつも微笑んでいるような方なのですが、その人柄がそのまま曲に乗って音楽が流れだすように感じられるのです。音色がとにかく自然で、これ見よがしな表現は全く無く、聴いている者の身体に静かに満ちて行くようです。技術が高い事は言うまでもないですが、そのスタイルは「何も足さない何も引かない」。私は中島さんの演奏を聴く度にそう思います。

2012年郡司敦作品初演 北とぴあつつじホールにて。Vn 中島さん Ms 郡愛子さん
前に書いたパット・マルティーノ氏の言葉「自分が自分で在る事を幸せに思う。それにまさる成功はない」という言葉を、私は座右の銘にしているのですが、コロナ自粛が空けて久しぶりに聴いた中島さんの音色に、中島さんが今、自分らしく生きていることを感じました。実に気持ちの良い演奏でした。私のように業の深い人間は、どうしてもどこかに、まだ捨てきれない偏狭なこだわりが澱として残ってしまう。中島さんの演奏を聴きながら、自分もああいう境地で音楽に接したいな、と思いました。

新宿御苑

世の中は今、何でも数値で表され、物事はスペックで判断され、計量的時間に管理されています。大臣自ら「老後はこれ位お金がないと生きて行けない」なんて煽り、ネット上にはFXや株をAiに任せ楽して稼ぐ広告ばかりが増えて、お金を持っていることが豊かな暮らしの条件という具合に、どんどんと未来に対する不安を掻き立て、一定の方向へ民衆を追い立てようとしています。現代人は自分で好きに生きているようで、実は管理社会の枠の中に、気が付かないまま生かされ、計量的に刻む時間に支配されているとしか、私には思えません。現に世の中便利になったはずなのに、現代人は以前よりもっとせわしなく、且つ不安を抱えながら動き回って、その生活に余裕や優雅さはどんどんと無くなっている。そこには自らの中に脈々と流れる雄大な時間を感じ、豊かな人生を歩んでいる姿は見えないですね。これは人間としての危機ではないでしょうか。

この危機に瀕した状態にあって、芸術の在り方がこれからの時代のキーワードとなると思っています。何故ならば音楽・芸術は人間の心や命に直接アクセス出来るものだからです。そしてそれは管理支配された現代社会の中で、自分本来の生と時間を取り戻すとても有効な手段でもあります。
日本人は古来より季節の移りゆく姿を見て、それを歌に詠み、様々な想いを表してきました。和歌の他にも能や平家語り等、計量的時間を自由自在に飛び越え、過去から未来まで好きなように辿り、自分の身体の中に流れる生々しく、また永遠の時間を躍らせてきたのです。古典の世界観から見ると、現代はあらゆるものに追われ、毎日が窮屈でせわしないですね。

photo 新藤義久
現代人は、自分の人生を全うに生きているでしょうか。目の前の利便性やエンタテイメントに踊らされ振り回されていて、そこには自由は無いのかもしれません。

中島さんの音色は、まごうことなく中島さんのものでした。私も私の道を行きたい。そして自分の音を出して、自分の人生を歩みたいのです。軸は私の中にあるのです。

ざわざわする

この所、朝の陽射しが素晴らしいですね。私は割と早起きなんですが、近頃は毎朝とても清々しい気分で目覚める事が出来て嬉しいです。
9月半ば辺りから毎週続いた地方公演も一段落ついて、今はしばしお休みをしていますが、ここへきて来年の活動が色々と決まってきました。

photo 新藤義久


毎月の琵琶樂人倶楽部は来年も一年間のスケジュールが決まり、楽琵会も年4回が決まりました。更に横浜の7artscafeというスペースでも年4回のシリーズが決まりました。この7artscafeはJCPMという団体を主宰するジョセフ・アマトさんが立ち上げたもので、様々なジャンルのアートの発信基地として毎月イベントを開催しています。

7artscafe 

これで私が企画する年間のシリーズライブは、3シリーズ20本となりました。いずれも毎回ゲストを迎え、琵琶樂の様々な形を聴いて頂くのが趣旨ですので、場に合わせ色んな音楽家に声をかけています。それに伴って曲もどんどん創って行かないといけないので、只今頭の中で色んなアイデアが渦巻いて、ざわざわしているという訳です。

①ライブ活動をしている若手のゲストを迎えて、演奏からレクチャー迄何でも気軽にやるのが、
阿佐ヶ谷の琵琶樂人倶楽部。年に12回
②古典系のベテランをゲストを迎え、演奏中心にやるのが
日本橋の楽琵会。年に4回
③アート系の音楽家を招いて、ジャンルを超えたコラボをして行く
7artscafe。年に4回

という3つのヴァリエーションで展開して行きます。

琵琶は地味な音楽ですし、私自身派手なものはあまり好きではないので、大きなホールなどでの開催はなかなか出来ないのですが、上記のような数十人規模のサロンコンサートだったら何とかなります。コロナの影響も少なくなったので、自分の出来るところをどんどんと攻めて行こうと思っています。
器楽としての琵琶樂を標榜している私としましては、これまでにない琵琶の魅力を提示して、琵琶の持っているポテンシャルの高さをどんどん発表して行こうと思っています。

2019年の楽琵会にて、Vnの田澤明子先生、笙のジョウシュウ・ジポーリン君と

photo 新藤義久

今考えている作品は色々とあるのですが、今迄あまり組んでいなかった楽器との組み合わせを考えています。笙なんか面白そうです。他には、この所少しづつ取り組んでいる、声と絃を分けた古典の語り物を形にして行きたいです。三味線音楽が声と絃に分かれ、声は声専門の人、絃は絃専門の人になって音楽として深まって行った様に、琵琶も声を極める人と、絃を極める人それぞれに発展して行ったら良いなと、琵琶を手にした頃からずっと思っていましたが、最近その想いをさらに深めています。これは洋の東西を問わず、どんなジャンルでも言えますね。

熊本公演の新聞記事
この所のツアーでは、能楽師の安田登先生、浪曲師の玉川奈々福さんと共に回ったのですが、二人とも声がとにかく素晴らしい。京都の公演では第二部が金剛流の半能「忠度」で、若宗家の謡も聴きましたが、それはそれは惚れ惚れするような素晴らしい声でした。こういう方々と御一緒していると、琵琶歌の貧弱さがどうしても気になってしまうのです。色んなやり方やスタイルがあって良いと思いますが、100年程しか歴史がない薩摩筑前の近代琵琶樂が、大正や昭和初期の頃の曲に未だ留まっているのでは、お話になりません。近世近代の邦楽の各ジャンルは今でもどんどんと新作を創っています。琵琶樂がこれから歴史を紡いで行くにも、旺盛なる創造力を持って、リスナーにしっかりと届く声で、魅力的な曲を創って行って欲しいものです。
そして琵琶の器楽の面の発展も大きな課題と考えています。せっかく魅力的な音色を持ち、打楽器的要素も含めかなり表現力の高い琵琶が、この現状では何とも切ない。だから私は琵琶を手にした最初から自分で曲を作り、活動も独自に展開して行く事にしたのです。

今、浪曲や講談では、若手がどんどんと新たなスタイルを打ち出して大変な人気を獲得しています。薩摩筑前の琵琶も、がんばって欲しいですね。

先月収録に出向いた焼津の「帆や」にてのインタビュー
静大の小二田誠二先生、能楽師の安田登先生、俳優の佐藤蕗子さんと。後ろには何故かコルトレーン


という訳で、来年に向けて何とも頭の中がざわついて、あれやこれや考えているこの頃ですが、これが私のスタンダードな状態です。だから今、ざわざわあたふたしているという事は、とても幸せな時間の中に居るということなのかもしれません。来年も幸せの中に居たいものです。

移りゆく時間(とき)2021

琵琶樂人倶楽部の15年節目の会は、無事終わりました。といってもいつもながらの地味~な会なのですが、淡々とそして確実に回を重ねて行くというのは、自分の中にしっかりとした軌跡として残って行きますね。これからも淡々とやって行きますので、是非御贔屓の程よろしくお願いします。
琵琶樂人倶楽部専用ブログの方に、来月の内容、及び来年一年のスケジュールなど近いうちに載せておきます。ご覧になってみてください。

京都劇場にて「古典の日」新聞掲載記事

そして先月からの、静岡(熱海)、大阪、静岡(焼津)、新潟、京都、熊本と続いた地方公演もやっと一段落着きました。間に都内での演奏会が色々と入っていましたので、私にしては忙しい日々を送っていたので、今はしばし休憩をしているところです。来月にはまた松江での公演があるので、少し楽器も体調も整えたいと思います。まだコロナショックが続いている中、こうして今年も旅が出来る人生に感謝ですね。

人生には人それぞれに節目があるかと思いますが、今私は自分を取り巻く様々なものが移りゆく時に来ているのを感じます。琵琶樂人倶楽部もその一つですし、その他小さな出来事も日々様々に起こります。年齢を重ねれば、そんな日々の変化に感じ入る事も増えて行きますね。
というこの頃なのですが、先日、私の音楽人生で一番に指針としてその姿を追いかけていたギタリスト パット・マルティーノさんの訃報が流れて来ました。
このブログでは。これまで影響を受けたギタリストたちの追悼を何度か書いてきました。ジム・ホール、パコ・デ・ルシア、エドワード・ヴァン・ヘイレン等、皆、私の音楽を創り上げる過程で、大きな影響を受けた方々です。しかしパット・マルティーノという名前だけは特別中の特別なのです。高校生の時にレコードを聴いてから、ずっとこの人の姿を追いかけて来ました。その影響は琵琶に転向してから、更に強く大きくなったように感じています。このブログにも何度も名前が出てくるので、知っている方も居るかと思いますが、彼の人生とその音楽家としての姿には大変に感じ入るものがあるのです。

上記のブログにも書きましたが、彼の友人でもあるジョージ・ベンソンはショウビジネスで大成功をおさめました。方やパット・マルティーノは、一番絶頂の時に病気で倒れ、壮絶な努力を重ね、克服して復活しました。またそのスタイルもショウビジネスとは対極にあるようなものでしたので、なかなか世間には認知されませんでしたが、後半生はリビングレジェンドとも言われる程に世界のギタリストから慕われました。ポップスではないので、広く一般に広がったものではないのですが、マルティーノに影響を受けた人は、世界中にかなり多いのではないでしょうか。己の道を貫くストイックな姿勢と音楽に、私も強い強い影響を受け、自分の指針としてきました。

私は琵琶奏者として、有り難いことに本当に沢山のお仕事を頂いて、今までやって来れました。音楽=エンタメとされる現代の日本では、売れないものは価値が無いとも言えるような風潮ですが、そんなショウビジネス第一主義の世の中で、非ショウビジネスのスタイルで、細々でもこうしてやって来れたのは本当にありがたい事であり奇跡だと思っています。そういう日々を過ごす中で、パット・マルティーノの言葉にとても導かれるものがありました。

「自分が自分である事を幸せに思う。。。それに勝る成功はない。つまり、自分の人生そのものをもっと楽しもうと私は言いたいね」

正にこれなんです。私が琵琶を手にした時から思っているのは、ここに尽きるのです。もしもっと若い頃から琵琶を手にしていたら、有名になりたい、売れたい、注目されたいという心にふりまわされていたかもしれません。しかし幸いにも私は大人になってから琵琶に出逢い、今の道に進んだので、自分のやりたい事を只管やって行きたい、という想いだけをずっと抱いてやって来ました。少しづつ少しづつ牛歩の如く自分の作品を書き、演奏してきて、自分の世界を只管創り続ける事が出来て、本当に嬉しいのです。だから彼の音楽に対する姿勢は、大いに私の活動の支えとなって来ました。

また私はマルティーノの音色がとても好きでした。ダークで低音成分が多く、豊かに響くギターの音色は彼だけのものでしょう。マルティーノはジャズギタリストの中でも一番太い絃を張っていることで知られていますが、私の琵琶の極太セッティングはマルティーノの影響ですね。フェンダーのシングルコイルのような細くしゃきっとした軽い音も嫌いではないのですが、自分ではそういう音を出したくないのです。私が流派から離れたのも、当時所属していたT流独特の倍音が少ない漆塗りの軽い音が私の好みではなかったからというのが大きいですね。基本的に目指す音色が流派のそれとは真逆だったのです。豊かな倍音を実現するには、大きめのボディーと太い絃がどうしても必要不可欠なので、私の琵琶は特別仕様になっているという訳です。

一番左(上)の「Consciouness」の最初に収録されている「Impressions」という曲を高校生の時に聴いて感激し、その感激と高揚のまま私は東京に飛び出して行きました。だからもうマルティーノ氏の存在は自分の音楽人生を通して追いかけているといっても良いと思います。真ん中の「Exit」というアルバムは全ジャズギタリストのバイブルとも言える内容で、スタンダード曲を超の付くハイレベルで、且つどこまでもマルティーノ流で演奏しています。伝統に胡坐をかかず、己のスタイルで、しかも誰にも追随することが出来ない程のハイレベルで貫く姿は素晴らしい。そして私の憧れです。
もう一つ復活後のライブの様子を記録したのが、右(下)の「Live at Yoshi’s」です。皆ある程度の年齢になると、音数も減り落ち着いて渋く丸くなって行くものですが、マルティーノは最後迄「シーツオブサウンズ」とい言われるスタイルを貫きました。確かに相応の洗練がありますが、けっして甘口にはならない。その姿勢が凛として好きでした。

photo 新藤義久


私も彼のようでありたいと思います。オーソドックスな曲を演奏しても、流派や伝統というものに胡坐はかかない。確固たる自分のオリジナルのスタイルでケリもカタも付ける。永田錦心や鶴田錦史のように、そしてパット・マルティーノのように、何処までも自分の矜持を持って舞台に立ちたいのです。何とか流の名のもとに、習ったスタイルに胡坐をかき、己の音楽を創り上げない事は、流派を創った先人たちに一番背く行為だとも思っています。

時代は留まることなく移りゆくものですが、その流れに流されることなく、また同時に時代と共に時代の中で音楽を鳴らし響かせて行けたらいいですね。まだまだやりたい事も創りたい音楽も色々とあります。私に与えられた時間がどれだけあるか判りませんが、どこまでも自分の道を歩んで行きたいのです。余計なものは要りません。それがパットマルティーノから受けた一番の影響であり、教えであり、私の指針です。

レジェンドに献杯。

祝 琵琶樂人倶楽部開催15年目突入!!

秋も深まってまいりました。コロナの状況も大分緩和して、人も街に溢れてきましたね。先日は京都で演奏会だったのですが、なかなかの盛況でした。

今月で琵琶樂人倶楽部は15年目突入。開催数としては167回となります。毎月コツコツとのんびりやって来ましたが、さすがに14年というと何か節目に来たように感じています。

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琵琶樂人倶楽部は阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンをお借りしてやっているのですが、集客よりも内容優先でライフワークのように毎回やりたい事をやりたいようにやって来ました。そのお陰で随分と色んな経験を積むことが出来、大きな糧となっています。会場はマックス25名ほどで、発足以来ずっと珈琲付き1000円という事でやっていますので、ゲストへのギャラもろくに出せないのですが、本当に沢山の方がゲスト出演してくれまして、その一つ一つが貴重な私の糧となっています。

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10周年記念演奏会にて


発足当時は古澤月心さんと二人で始め、私が企画運営をやっていました。古澤さんは上記の10周年の演奏会を機に引退したのですが、年明けの会にもまた登場してくれるとのことです。
初期の頃の写真があまりないのですが、今月のゲストでもある長年の相方 笛の大浦典子さんや尺八のグンナル・リンデルさん、筝のカーティス・パターソンさんはじめ、1stアルバムで御一緒したチェロの翠川敬基さん、フルートの吉田一夫君等々本当に様々な方が来てくれて、最初から毎回盛り上がりのライブという感じでした。
琵琶樂人倶楽部は古澤さんの提唱する「流派横断の会」というのがポリシーですので、琵琶もあらゆる流派の方々が演奏してくれました。全員をここに載せる事は出来ないのですが、中でも筑前琵琶の鶴山旭祥さん、平野多美恵さんのお二人にはよくお世話になりました。

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薩摩琵琶五絃と樂琵琶は私が担当。薩摩錦心流と平家琵琶は古澤さんが担当していましたので、筑前琵琶、薩摩正派の演奏家や、その他尼理愛子さん、岡崎史弘君、ナカムラユウコさんのようなオリジナルスタイルの方にも随分と登場してもらいました。
また語りと演奏を分けるのは私の念願の形ですので、語り手も、櫛部妙有さん、黒沢組の俳優 伊藤哲哉さん、など凄いベテランが毎年のように来てくれて、ありがたかったです。

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左:櫛部妙有さんと、右:伊藤哲哉さんと photo 新藤義久

そして洋楽器の演奏家ともかなり一緒に演奏しました。CDでも共演してくれたVnの田澤明子先生。地元の知り合いでもあるVnの濱田協子さん、そしてこの所よく御一緒しているフルートの神谷和泉さん。更にはメゾソプラノの保多由子先生等々、邦楽器とのアンサンブルという難しい注文にも皆さん快く引き受けてくれました。

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このほか雅楽アンサンブルでは、笛の大浦典子さんをはじめ、京都の弦楽ふるさとの会のお二人が駆けつけてくれて(2017年)、フルーティストの久保順さんに龍笛をお願いして華やいだアンサンブルも出来ました。

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尺八の藤田晄聖君、琵琶の制作者でもある石田克佳さん、笛の長谷川美鈴さんなど、もう毎年の常連として来ていただいている方も居ますし、昨年末には安田登先生にも登場して頂き、大変な盛り上がりで一年を締めくくれました。

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1photo 新藤義久
毎年8月には私の解説で往年の琵琶名人のSPレコードコンサートも開催しているのですが、それがとても勉強になっています。この琵琶樂人倶楽部は私にとって学びの場でもあるのです。
私が琵琶の活動を始めた25年ほど前は、薩摩琵琶の音楽史、音楽学の部分があまりにもお粗末で、各流派も伝説のようなことを看板にしている状態でしたので、その歴史を先ずはしっかりはっきりさせて、琵琶樂全体を知ってもらいたいという趣旨で始めました。
今でこそ、薦田治子先生などがその分野を大いに開拓していますが、当時は史実も伝説もごちゃ混ぜ状態で、琵琶樂千数百年などと喧伝し、まだ100年程度の歴史しかない薩摩筑前の近代琵琶に、箔やら権威やらを付けようとする輩が沢山居ました。まあそれだけ衰退が激しかったという事ですね。私は活動の最初から縁あって、毎年どこかの大学などでレクチャーする機会に恵まれましたので、そんな根拠も無いいい加減な事はとても言えませんでした。自分でも色々と調べ上げて、これはしっかりと発表して行かないといけないという使命のようなものを活動の最初から感じていました。邦楽では雅楽や能は勿論の事、近世の歌舞伎や近代の浪曲、講談、落語などかなり研究をされて関連の本も沢山出ています。琵琶だけが取り残されている状態なのです。是非音楽学者の方がtにも頑張って頂きたいと思っています。

これから琵琶樂がどうなって行くか、私には判りませんが、とにもかくにも創造性を失っては何事も衰退消滅へと進んでしまいます。その為にも、豊かな魅力を湛えている琵琶樂を是非次世代に継承して行って欲しいと願っています。

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photo 新藤義久

私は只管己の想う所を今後も行くだけです。地味ではありますが、出来るところを確実にやて行きたいと思っています。新たな仲間も増えて来ましたので、まだまだ面白い作品、そして活動が生まれて行きそうです。乞うご期待!!。

それから

琵琶樂人倶楽部のお知らせ専用ブログを開設しました

琵琶樂人倶楽部の来年一年のスケジュールもほぼ決まりましたので、来月には発表したいと思います。是非お気軽にお越しくださいませ。

マイルストーン

琵琶樂人倶楽部のお知らせ専用ブログを開設しました

先ずはお知らせです。琵琶樂人倶楽部のこれ迄の軌跡と、年間予定、そして毎月のお知らせをする専用ブログを上記のように開設しました。是非こちらもご覧になってみてください。琵琶樂人倶楽部は毎月テーマを決めて、多彩なゲストと共にレクチャー・演奏を通し、様々な琵琶樂を聴いて頂く会です。特に御予約の必要ありませんので、是非お気軽にご参加ください。

こちらの写真は東京公演のもの photo 飯野高拓

先日は東京に続き、新潟リュートピアにて「能でよむ」公演をやって来ました。

新潟県では、湯沢や六日町では何度も演奏してきたのですが、新潟市内での演奏は随分前に小さな所で演奏したきりでしたので、ほとんど初めてという気分でした。
公演内容は、今月初めに池袋の「あうるすぽっと」でやったものと同じ内容でしたので、良い感じでこなれて来て気持ち良く出来ました。この公演は来週熊本にて再々演になりますので、お近くの方には是非お越しいただきたいと思います。

今回は公演の前日早目に新潟入りしたので、知人に車を出してもらって、色々と新潟を案内してもらいました。夕方、海に沈む夕日は、これまで見たことのないような素晴らしさで、ちょうど雲が夕陽を隠し、光の筋だけが降り注ぐ光景は、得も言われぬ絶景でした。そんな光景を見ながら、様々な事が心の中に去来してきました。先日の焼津でもそうでしたが、やっぱり私は海を見ていると、何か湧き上がるものがあるようです。

以前の知り合いに、「人生は常に通過点の連続だ」なんてことを言う人がいました。今この年齢になって思うと、通過点を意識し、何かに一区切りをつけるというのは確かに人間らしいですね。お祭りや儀礼から極個人的な事に至るまで、私たちは常に何かしらの通過点をイベントのような形にして、マイルストーンを刻みながら生活していると思います。
コロナのせいもあるのでしょうが、この秋は何か私の中で一つのマイルストーンを越して行くような気分がとても強いのです。

先ず琵琶樂人倶楽部が来月で15周年を迎えます。特に特別な演奏会などはしないのですが、私の中では15年という年月はやっぱり大きな奇跡ですね。こうして15年という節目は一つの区切りですし、このマイルストーンから明日が始まるという想いが湧き上がっています。私が今、琵琶奏者として生きて行けているのは、この琵琶樂人倶楽部の存在があったからこそだと思っています。仕事の少ない時でもとにかく毎月自分を表現する場があるという事は、舞台人にとってありがたい事。それに普段の舞台では出来ないような様々な実験をすることも出来ましたし、演奏だけでなく、毎年色んな大学や文化講座等でやっているレクチャーも、この琵琶樂人倶楽部で何度となく小さなレクチャーをやっているので、その度に関係した本を読んだり、多くの人と話をして、そんな中で知識が増え、琵琶樂に対する私なりの解釈・考察も深まって行きました。

人形町楽琵会の方も紆余曲折を経ましたが、5年目を迎え心機一転、12月にまた再開をしますし、琵琶樂人倶楽部も15周年という節目に立ち、また一つのマイルストーンを刻み、先へと歩みを進めて行く事が出来、本当に嬉しく思っています。

琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久


コロナ禍にありながらも、昨年よりありがたいことに沢山のお仕事を頂いて、何とか生きて行けているのですが、やはり私は小さくとも自分の舞台を創って行くのが使命ですので、またどんどんと曲を創り、出来るだけ舞台をやって行こうと思っています。
幸いに一緒にやってくれそうなパートナーも居ますし、世の中も動き出してきているので、琵琶樂人倶楽部や楽琵会の他にも、舞台を創って行きたいですね。
元よりショウビジネスの音楽ではないので、利益の追求は出来ないですが、作曲、演奏、レコーディングそれぞれに、自分が本当に求めるところを具現化して行きたいです。配信での作品の発表も2018年以降やっていないので、これからまた新作を発表して行く予定です。

琵琶樂人倶楽部15周年記念の会
2021年11月10日(水)
場所:阿佐ヶ谷ヴィオロン
時間:18時30分開演
料金:1000円(コーヒー付)
出演:塩高和之(琵琶)大浦典子(笛)
演目:まろばし~能管と琵琶の為の 花の行方~篠笛と琵琶の為の 西風~篠笛と琵琶の為の
    古の空へ~琵琶独奏の為の 他

予約は特に要りませんので、是非お気軽にお越しください。会場は18時から入れます。

2011年1月の琵琶樂人倶楽部にて、古澤月心さん(錦心流)、石田克佳さん(薩摩正派)との薩摩琵琶三流派対決


長く生きていれば、辿ってきたマイルストーンも増えて行きます。それは自分の軌跡です。世の中は急速ともいえるような速さで変化して行くので、社会の在り方に伴って、活動のやり方は今後様々に変わって行くと思いますが、音楽を創り発表して行くというスタンスは何も変わりません。これからもマイルストーンを越えて、器楽としての琵琶樂の確立というヴィジョンに、突き進んで行きたいのです。

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